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2006年8月17日 (木)

二条城

実は、日本の歴史書において「二条城」と呼ばれたものは、私たちが今、知っている二条城以外にもありました。
・室町幕府第13代将軍足利義輝の居城。
・織田信長によって、室町幕府第15代将軍足利義昭の居城として作られた城。
・織田信長が、京に滞在中の宿所として整備し、後に皇太子に献上した邸。
そして徳川家康が、京に滞在中の宿所として作った城で今、現存しているものです。
桃山文化の粋が結集されていると言われる二条城は、

1603年築城。
1626年、三代将軍家光が後水尾天皇を迎えるために大改修が行われ大体いまの体裁を整えました。

二条城の北側には京都所司代、
南と西には京都東西町奉行が配置されていました。
今は痕跡は無く御池通り大宮下ルに二条陣屋が残るのみです。

さて見所はなんといっても国宝の二の丸御殿。
桃山時代武家風書院造りの代表的なもので、車寄につづいて、城へ参上した大名の控室の「遠侍」、
参上した大名が老中職と挨拶を交した「式台」、
将軍が外様大名に対面した部屋で、慶応3年(1867)には十五代将軍慶喜が大政奉還を発表し、徳川幕府265年の幕を閉じた歴史的な部屋でもある「大広間」、
「蘇鉄の間」・「黒書院」・将軍の居間と寝室の「白書院」の6棟が雁行に立ちならんでいます。部屋数33、畳は800畳余り敷かれています。
各部屋の襖絵は狩野派の手によるもので、部屋の目的に応じて描かれています。また欄間の彫刻、飾金具、長押(なげし)に打たれた花熨斗形(はなのしがた)の釘隠しなどは、金飾あざやかに豪華を極めています。
(ガイドブックより引用)

次に特別名勝の二の丸庭園。
小掘遠州の作庭と言われ、池泉回遊式庭園。
大広間から眺められるよう造られたものです。中央に蓬莱島、左右に鶴島・亀島の三島を置き、四つの橋を架け、西北隅に滝を落とし、池の汀に多くの岩石を配しています。別名「八陣の庭」とも言われています。

また、
創建時の天守は、『洛中洛外図屏風』に、城の北西部分(現在の清流園の辺り)に五重の天守として描かれていました。
この天守は、家光の代に行われた寛永の大改修において、淀城に移築されました。これに代わり、新たに作られた本丸の南西隅には、前年に廃城となった伏見城の天守が移築されたそうです。

清流園は江戸初期の豪商角倉了以の屋敷から建物の一部と庭石を譲り受け、
さらに銘石を、茶室を加えて1965年に完成。

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