2010年6月 1日 (火)

History of Spain

I am studying about history of Spain especially about the Andulsia region.
I am interested in the battle of the Islamic world.
It is exciting!
I wish I had studied harder when I was student.
So, I am going to more study.

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2010年5月31日 (月)

I’m going to Spain on sightseeing

I’m going to Spain on sightseeing next month.
While my husband will be working, I am going to sightseeing.
Before trip, I need to practice my English and to study about Spain as much as possible.

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2006年10月29日 (日)

高台寺

276147276_e799470e12ねねさんの寺として有名な高台寺。
東山霊山の山麓、八坂法観寺の東北にあります。
秀吉没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所が開創した寺。
造営に際して、徳川家康は当時の政治的配慮から多大の財政的援助を行なったので、寺観は壮麗をきわめたということですが、
残念ながらたびたびの火災にあって多くの堂宇を失いました。
現在残っているのは旧持仏堂の開山堂と霊屋、傘亭、時雨亭、表門、観月台等で国の重要文化財に指定。
名前の通り高い台地にある寺で、かなり歩きます。
石段を登りヒィヒィ言いながら、当時の人の健脚に思いがいきます。
伏見城からの移築ということで天井や壁画はやはり豪華。
時の権力者の勢いが現れています。
その一方、わびさびの世界への憧れが渦巻いていたのか、
茶室は質素に作られていました。
豊かな自然に囲まれてねねさんは何を思い日々を過したのでしょうか???

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2006年10月14日 (土)

随心院

今日は随心院へ行って来ました。
小野小町の縁の地でもあります。
駐車場は無料。
小道を通り抜けると拝観受け付けがあります。
その前に小野小町の歌碑が建っています。
「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に」

そして中に入ると本堂・奥書院・能の間などがあり、狩野派の絵画が贅沢に描かれ、
そこかしこに1000年以上にわたる歴史が鏤められています。
本尊は如意輪観世音菩薩。
その傍には釈迦三尊や阿弥陀如来・薬師如来・不動明王などの重要な像があります。
また言い伝えによる深草少将の榧の実なども展示。

外に出ると、文塚・化粧の井戸など小町ゆかりの遺跡があちこちにあります。


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2006年8月21日 (月)

お茶壷道中

宇治に茶の栽培を教えたのは栂尾高山寺の明恵上人。
鎌倉時代のことです。
五ケ所の万福寺あたりが発祥と言われています。
当初は栂尾の茶より格下扱いだった宇治茶。
しかし、豊臣秀吉が茶の湯を厚遇したことにより、宇治茶の地位が上がりました。徳川家康も上林家を保護したことにより宇治茶は不動の位置を納めました。 
さらに寛永10年(1633年)徳川三代将軍、家光のときに始まった宇治と江戸とのお茶壷道中。
道中は徒歩頭一人が宰領となって、茶道頭一人、茶道衆二人と若干の徒歩衆、同心衆を伴うものであったのですが、運搬する茶壺の増加につれて警備役人の人数も増え、四百名を超える大行列になり、盛大にお茶壺道中が行われていました。
「下にぃ、下にぃ」と通る行列に民衆は土下座し、少しでも粗略な態度を見せると、容赦なく罰せられたそうです。また、行列に人馬を提供するものは、農繁期に重なり、本業を投げ打って使役に従事しなければならず、庶民にとっては有り難くない道中でもあったようです。

♪ズイズイズッコロバシ胡麻味噌ズイ 茶壺に追われて 
       戸をピッシャン 抜けたーら ドンドコショ〜〜♪

童謡にかくされた庶民の思いが伝わってきます。

こうした泣く児も黙るお茶壺道中も、八代将軍、吉宗の行った享保の改革による倹約令の一つとして簡素化されました。
そして江戸から宇治に運び出す茶壺は三個に限定され、幕府も経費削減を図ったのです。

そして、毎年休みなく235回続いたお茶壺道中も、遂に慶応3年(1867年)江戸幕府の終焉によって、その役目を終えることとなります。

将軍とともに栄えた宇治茶ではありましたが、
江戸時代が終わってなお、現在でもお茶の名所として燦然と輝いています。

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2006年8月18日 (金)

宇治

今日は世界遺産の宇治平等院と宇治上神社を中心に宇治について考察・勉強をしていきます。

まず地理的には京都の南、奈良との間に位置しています。
宇治川流域に形成された集落です。
地名の由来は古く応神天皇の四番目の皇子である菟道若郎子(うじのわかいらつこ)がここに宮殿をつくって住まわれたことによるというものが一般的でした。
が地名研究が進むにしたがい、「菟道」と言う字だけではなく、「鵜路」「宇遅」「宇知」などいろいろな字が当てられてきたことが分かりました。
さらに菟道若郎子が宮殿を建てて住むより前から「うじ」という地名はあったから、菟道若郎子に由来するものではないと言う研究者は「うち」と言う意味からではないかと主張。
その他には「兎に関する民俗と伝説」のなかで、文字どおりに解釈すべきだというものや「道」「路」に由来があると見たほうがいいと言うことで、「一番いい道」と言う意味だという説もあります。
さてこの様に歴史の古い宇治。
実際、政治や文学の舞台になり華やかな歴史を今に伝えています。
またお茶でも有名な宇治です。
wikipediaによれば歴史は以下のとおりです。
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* 646年 元興寺の僧道登が宇治橋を架ける
    * 672年 近江朝、宇治橋守に命じて大海人皇子の私糧運送を妨害させる
    * 1052年 藤原頼通、宇治に平等院を建立する
    * 1133年 宇治離宮祭が行われる
    * 1180年 以仁王が源頼政と組んで挙兵、平等院で平家軍と戦い戦死
    * 1183年 宇治川の戦い。源義経、木曽義仲軍を破る
    * 1221年 承久の乱。鎌倉方、宇治川から伏見を攻める
    * 1286年 叡尊、宇治橋大改修の供養を修して、亀山・後深草上皇が臨幸
    * 1486年 山城国一揆衆、宇治平等院に集まり国中の掟を定める
    * 1573年 足利義昭、宇治の槙島城にて挙兵するも失敗、織田信長に追放される
    * 1951年(昭和26年)
          o 3月1日、久世郡宇治町、槇島村、小倉村、大久保村、宇治郡東宇治町の2町3村が合併して、宇治市が誕生する。
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実は宇治橋を架けたのは僧道登か道昭かという謎があるのです。
「瀬田の唐橋」と「山崎橋」と共に、日本三古橋の一つに数えられる宇治橋。
僧道登か道昭か、あるいは二人で架けたのか?
説はいろいろありますが、
この宇治橋から眺める風景は今も昔も情緒あふれ人々の心をとらまえて離さない物があります。
宇治橋は古今和歌集や紫式部の源氏物語に登場する。 また、能の「鉄輪」で登場する橋姫伝説でも有名であるのは当然と言えば当然なのでしょう。

では次に平等院を見ていきます。

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