今日は五山送り火の日です。
京都の人々にとって、大文字は夏の風物詩です。
さて、この大文字。
実はその起源や由来が謎に包まれていて定説はありません。
江戸時代初期から、いろいろと研究されはじめられましたが、まだ起源にまでは到達していないようです。
しかし、現在有力説は弘法大師と足利義正説です。
まず弘法大師説。京都人は「弘法さんがはじめはったんや」と代々、伝承しながら弘法さんと行事と双方への愛着を示していました。
平安時代初期の弘仁年間(810〜824)に弘法大師によって始められたというもの。
その理由としては、
(1)代々、大文字の送り火をおこなっている浄土村は大師ゆかりの土地である。
(2)大文字の山自体も大師の修行の地の一つであった。
(3)あの大の字の筆跡は筆の名匠、弘法大師のものである。
(4)大文字山の斜面はかなりの高低差のあるデコボコしたもので、そこに地上から綺麗に見える大の字を設置するのは大師にしか出来なかったのではないか。などがあります。なお京都の人の間では「弘法さんがはじめはったんや」と代々、伝承されています。
もうひとつの代表的なものに「室町時代中期に足利義政が始めた」というもの。
その理由は、「大文字の送り火の正面は足利将軍家の旧室町幕府跡に向いている」という場所についてのものです。つまり一番良く見ることが出来るということでしょうか?
こうした起源とは別に「あくまでも民衆による自発的な行為だったので記録されなかったのでは」とも言われています。
大文字の送り火については、公家の舟橋秀腎の日記「慶長目件録」の慶長八年(1603年)の7月16日のところに「鴨川に出て山々の送り火を見物した」と記されているのが最初です。
しかし、この日記では「火が「大」の形だったかどうかも定かではありません。1600年代後半にやっと、地誌に「浄土寺には大文字…」の記述が現れてきます。
送り火の成立を室町後期と推定している研究者によればお盆の風習と併せて考えることが重要です。
もともとお盆とは中国から伝来された仏教行事のひとつ盂蘭盆(うらぼん)の略で、日本では盂蘭盆会(うらぼんえ)とも言われています。
日本書紀には、「齋明天皇が初めて行った」と伝えています。
8月13日に迎え火を燃やし祖先の霊を我が家に迎え、
15日か16日に送り火を燃やし祖先の霊が黄泉の国(よみのくに)へと帰るのを送るのが日本でのお盆の習わしで、15日がお盆当日となります。この迎え火と送り火の事を、おもに門辺で燃やしていたところから門火と言います。大文字の送り火も、この門火のひとつとされています。
そして鎌倉期に芽生えた集落ごとの自治体制が安定し、地域ごとの力が強まります。盆踊りが生まれるなど盆行事が盛大になり、
火をたいて祖先の霊を鎮める行事「万灯(まんどう)」も、家庭から地域へと広がりました。この大規模化した「万灯」が送り火の原型ではないかと研究者は考えています。
「万灯」が送り火へと巨大化した背景に、度重なる戦乱で生まれた怨霊(おんりょう)への恐怖があったとみるのも一理あります。
特に応仁の乱が終わった1477(文明7)年には、地震、暴風雨、洪水、火災が続発した。「都の人々にとっては怨霊のたたり以外には考えられず、急速に高まった危機感が『万灯』を巨大化させ、送り火に発展したのでは」と言うことです。
祖先の霊を冥府へ送る小さな灯火(ともしび)が送り火の原型だったとすれば、それはなぜ「大」の形をとるようになったのか。
諸説はいろりろありますが、定説には至りません。
一般的には、次のような説が有力です。
(1)もともと大という字は、星をかたどったものであり、仏教でいう悪魔退治の五芳星の意味があったのではないか。
(2)一年を通して位置の変わらぬ北極星(北辰)は神の化身とみなされており、その北極星を象った大の字を、同じく動かぬ山に灯したのが、そもそもの大文字送り火の起源ではないか。
(3)弘法大師は、大の字型に護摩壇を組んでいたところから、大の字にしたのではないか。などがあります。
萬燈会の始まりは963(応和3)年夏。
「大」は地、水、火、風の四元素に空を加えて大自然を表した「五大」を意味し、自然への畏敬(いけい)と祖先をうやまう気持ちを象徴しているという。研究者には、この「大」の意味が次第に民衆の間に浸透し、送り火の「大」のヒントになったとする向きもある。なお京都では、男の子が生まれると、その子の額に大の字を書き、宮参りをするという風習が残っております。
なお大文字焼きの謎ということで、
現在では点火されなくなってしまった五つの送り火があります。
その場所は「い」は市原、「一」は鳴滝、「蛇」は北嵯峨、「長刀」は観空寺村にあったとされています。しかし「竿に鈴」は大正初期まで点火されていたにもかかわらず、その場所が一乗寺だったのか、静原だったのか、西山(松尾山)だったのか、もうすでに明確でなくなってきています。
古都の夏を焦がす五山送り火。
謎に包まれながらも、明々と夜空に浮かぶ火の文字は、
亡くなった方々への思いと、今生きている事の意味を交錯させながら燃え続けるのでしょうか???
なお京都検定で五山送り火に関しては、
以下の問題があります。
1五山送り火とは何か?
2五山送り火はいつ行われるか?
3五山送り火で松ヶ崎西山にともされる字は?
4五山送り火で鳥居形がともされる山は?
5五山送り火の大の字の第一画は何メートルか?
6五山送り火で最後に点火されるのは?
答えは順に
・盂蘭盆会の魂送り
・八月十六日
・妙
・曼荼羅山
・80メートル
・鳥居形
「京都新聞」、京都府のホームページなどを参考に致しました。
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