脳のはたらきと子どもの教育を読んで、その5
シリーズで見てきた「脳のはたらきと子どもの教育」
いよいよ大詰めです。
最後は、
「能力・学力・人格」について考察していきます。
まず著者は「能力について」。
これについては概念じたいを定義することの困難を語ります。
遺伝か環境か?生来の素質か技能で習得したものか?
などなど、よく言われるところの「能力」ですが、これは見える能力と、隠れている能力があり、とくに隠れている、潜在的能力に言及すると、やっかいである。
と、著者は言います。
たとえば、能力をはかる学力テスト。
好成績をおさめれば問題はないが、仮に思っているより出来が悪い場合。
それは「そのテストが本人に向かなかったのか?別のテストでは能力が発揮出来るか???」
などなど討論の種はつきない。
故に著者はあっさりとこの手の追求はやめ、
システムとしての脳のはたらきについてみていきます。
素質を神経生理学的に理解すると、
「神経系や脳が生まれながらにして持っている解剖学的、生物学的特性」と言うこと。
たとえば音楽の素質、これは聴覚分析器と運動分析器との間の同時的総合と系列的展開の系を介した結びつきの形成と深化に関わると著者は言います。
そしてこのシステムは人が音楽活動に携わることで形成されていくそうです。
つまり、素質は誰でもある程度までは持っているが、その能力を伸ばすかどうかは環境によるというものです。
「環境」。
それは人類が幾千年かけて獲得した社会的文化的環境を、周囲の人々の力を借りて、自分のものにできるための道具として「遺伝的、生理学的、解剖学的基礎」を人はもっている。
と、言うのです。
さらに著者は前言で述べていた学力調査について書いています。
学力調査は、ひたすら第二ブロックの力をはかるために考案されたものである。
機械的知能をはかるためのものである。
知能検査に情意的なはたらきをはかる性格検査的側面が入ると検査の独自性がなくなる、ということからだそうです。
さらに著者は、この学力テストのもう一つの側面に「時間の速さ」があると言います。
限られた時間に問題を処理する能力のことですが、
これは運動能力とも大いに関係しているらしく、本当に子どもの理解力、つまり能力をはかることができるかは不明。
さらに、学校教育の現場では「人格」までもが、はかられるようになってきたことに著者は危惧を表明しています。
具体的な例でいうならば学習の評価に「態度や関心」があることです。
さて、最後の結びでは当然のように「子どもの能力は個人によって違うが、これは脳の発達も個人によって違うからであり、
教育は、これら子どもの状況をきめ細かくみていくことが肝要」というものです。
今回は教育について脳の発達との関連でみてきました。
今まで知らなかったことが分かり、なるほどと思い当たることも多く、
私としてはとても役に立ちました。
結論としてはあまりに普通ですが以下の通り。
幼児期の体験重視。
学童低学年期は反復、定着と音読、書き取り。
高学年はさらに意味を考えることを経験させる。
子どもそれぞれの発達が違うのは当然だから、一喜一憂せず、
ゆったり、おっとりと構えていきたいものです!!!
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