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November 17, 2004

相手に関心を持つこと

作文教室の課題は「インタビュー」でした。
二人から三人が組になり、自分が新聞記者になったつもりでいろいろ質問します。そして、それを元に新聞を作りました。
このテーマの目的は「相手に関心をもつ」「どんな質問がいいかを考える」「情報をまとめる」というものです。
それぞれが個性があって面白かったです。
「好きな人は?」「好きな色は?」など相手の嗜好を聞くことや将来の夢、希望なども聞き出していました。
みんな、本当に楽しそう。
顔見知りの友達ばかりなのに、いざこうしてインタビューをすると新しい面を発見するのでしょうか。なかなかいい雰囲気。
そこに身を置いている私もホットな気分に浸れました。
「ね、、好きなタイプは?」「ええーーーないしょよ。」なにやらゴソゴソ。そのうち歓声が「わあーーー」とあがります「どれどれ」と私。
「だめ、、、絶対見ちゃだめ。先生に知られたひには、、、」と言って隠されてしまいました。ああー見たっかたのに。
そんなこんなで40分近くインタビューをやり、その後はいよいよ新聞作り。
学校でも新聞作りはやっているので、慣れているのかとても上手にまとめます。
ただ、ここでも個性が発揮されて、見るべきものがあります。
ほんのちょっとの所に光る文が書ける子。上手にイラストを入れることが出来る子。表を活用して見やすくまとめることが出来る子。色使いが上手な子。
どの子の新聞も世界に一つしかない宝物新聞でした。

(あすなろ通信より)

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国語のまとめる力

受験間近の中学三年生と、国語の入試問題を一緒にやりました。
決められた字数内でまとめる問題は、近年ますます多くなってきています。
「なんとなく解答はここだな、、、」という事は分かるのですが、しっかりとまとめあげる事はなかなか難しいようです。
曖昧な理解では正解には至りません。また、日頃の読書量や漢字力も必要になります。
しかし、これも訓練なのです。
ベテランの新聞記者は字数内にピタリと書き上げるとか、上手な司会者は時間内に全てを言いきるとか、、、まあプロの仕事とはそうしたものですが、この人たちも初めからそうだったわけではありません。

「ローマは一日にしてならず」

受験生も同じです。
最初は自分が「文」を作ることに挑戦してください。
自分が書くことで、人の文が分かることってよくあります。
次に、字数制限付きまとめタイプの問題を何回もやり、まとめあげる練習をしてください。
一回目より、二回目。二回目より三回目と,上手に書けるようになります。
文もこなれてくるし、何より自信が付いてきます。
自分が一流の作家になったような気分で、楽しみながら書くことに挑戦してください。
まずは、そこから。
今からでも大丈夫。

(あすなろ通信より)

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入試における作文

作文教室で「新聞、雑誌を見て記事を書く」という事に挑戦しました。
新聞記事は、今はやはり「戦争」が関心を集めました。
どの子も一様に「戦争はいやだ」「平和がいい」という結論にはなるのですが、そこへ結びつくまでの過程、考え方の道筋は、その子のものでした。
広島という土地柄家族に被爆された方もいたりして、「戦争は痛い」と書いている子。地球環境が破壊されると主張する子。また自分の身近に置き換えて「友達と喧嘩しないでおこう」という子など、それぞれがユニークに仕上がっていました。
低学年の子たちは思うままに良い文を書くのですが、中学受験を控えてやってきている六年生が、問題発言をするのです。
「先生、僕の文と、○○君とどっちがうまい?」
「先生、僕の文、何点くらい?」
「そんなの、しるか、、、みんな100点だよ」と答える私に彼らは一様に不満顔。
点数に還元されないと不安なのだろうか?

私は「そもそも人の書く文に採点なんて出来ない」と思うわけです。もちろん、文法的な間違いや、漢字の間違いは正すことは出来ます。
しかし、「ものの考え方」については正すなんて事はありえないわけです。
仮りに、ここで「戦争は大好き」なんて書いている子がいたとしても、私としたら「ヘーーー上手に書けたね。」と言って「ここはね。こうしたらいいよ。」とか赤をいれて、オシマイ。
思想調査じゃないのだから。
そして、何よりも思うのは「子どもたちのしたたかさ」です。
こんな時、子どもは決して「戦争がすき」なんて事は書かない。もし、そういう子がいても、、、「自分が損する」と思っているから。
彼らは「誰でもが認める常識的なところに結論を持っていく。その中で、ちょっと個性を出すことに汲々としている」なんとも窮屈な事です。私の仕事は、そのちょっとの個性をいかに効率よく出してあげるか、、、なのです。
私は「入試の中で、子どもたちの能力を見るために、小論文を導入した人たちは、子どもたちのしたたかさを知らない人たち」だと思います。
子どもたちは逞しくて、したたかです。
しかし、入試という枠組みをとっぱらうと、なかな素直な可愛い部分がでてきて、「ノビノビとした文」を書きます。「文を書く」ということは、「自分を見つめる」ということで必要です。
いつもながら私は「入試」という壁と、「人間としての必要な学力」との狭間で大きく揺れるわけです。

(あすなろ通信より)

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ストレスとプレッシャー

 人はだれでも、大きな事、自分の人生の転換期には、
ストレスとプレッシャーで、身が縮こまります。
そんな、緊張をいかに解くか、
昔から多くの先輩たちは考え、知恵を後輩に残しています。
その一つに「平常心」があります。 
私も受験生には、毎年
「平常心」と言いながら入試会場に送り出していますが、
どの子もこの子も「戦時」態勢緊張バリバリで入試に向かっていました。
我が子が受験の時も、ストレスとプレッシャーであの子なりに大変だったようです。
早朝に起きて、胸ドキドキのところへもって、
「栄養つけよう〜〜」というのでいっぱい食べさせたら、全部吐き出してしまいました。
迫ってくる電車の時間、気分悪くなった息子。
もう、なにがなにやら分からないまま、家を飛び出したら、道路はツルンツルン。
車のフロントガラスはガチガチ。前が全然見えない。
おっかなびっくり。
大寒のさなか、
車の窓全開して、受験生の息子に窓から顔を出させて、カーナビをさせました。
早朝で人がいなくて本当によかった。
そんなこんなで、命懸けで電車の駅まで送ってホッ。
息子は、ガチンガチンの道を、生きた心地もせず駅まで私の運転で行ったことで、試験のことはすっかり忘れて、
「平常心」を取り戻したようです(^^;
そんなわけで、その時の試験は、合格することが出来ました。
後日談
「かあさんが無事帰れたか心配していたら、自分の試験のことなんか大したことじゃなかった」
と、言ってました。
そりゃ、そうか、、、死に物狂いの運転だったんだから。帰りも(^^;

ことほどさように、、、
なぁんて一般化は出来ませんが、
それでも、やはりストレスとプレッシャーには
「平常心」です。
ありのままを、、、
いつでも、ありのままの力を十二分にだせるように、日々の一歩一歩を大切にしてください。

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呼吸法

今日はリラックスの仕方について考えます。
どんなに周りが「リラックスしろ」「緊張するな」「平常心」いろいろ言っても、当事者にとっては「その言葉自体」が重荷の場合もあります。
こんなときは、ストレスから逃げずに上手に向き合うのがいいでしょう。
人によっていろんな方法がありますが、手軽にできて、どこでも、いつでも、安全に出来るのは「呼吸法」です。
気孔の本などにはイロイロの呼吸法が出ていますが、今からなら「深呼吸」でいいと思います。何も難しい方法を覚えることはないです。
ラジオ体操の最後の深呼吸で十分。
さらに欲を言えば「おへそ」を感じて呼吸してください。
おへその指三本下が「丹田」という人間にとって最も大切な部分と東洋医学では言っています。(東洋医学はうんちくが深い、面白いですよ。)
また目は半分閉じている方がいいそうです。
たぶん交感神経がリラックスするのでしょうね。
なにはともあれ、緊張から逃げないで楽しむ積もりで後、しばらくの時を過ごしてくださいね。

(あすなろ通信より)

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受験三原則

「広く、浅く、確実に」
私はこの三つを受験三原則と名付けました。
もう、この時期になるとほとんどの受験生は志望校の過去の問題を解いた事があると思います。
「わ、なんて難しいのだろう、、、ダメだ。」と思った事もあるのではないでしょうか。
しかし、大丈夫。
実際に受験した先輩たちも満点なんて取れていないのだから。
合格最低点という物を見たら明らかです。「ええ、、、こんな点で受かるんだ」と安心します。
そうです。何も100%カンペキでなくていいのです。
(もちろんそれにこしたことはありませんが、、、)
それより大切なことは
総合的にできる事
簡単な問題は必ずできる事
この二つです。
難しい問題はみんなできないのです。
確かに高校や大学の入試問題は最後の方に目をムクくらい難しい問題があります。
しかし出題者にしても、それは「学校の格付け、権威」くらいにしか考えていません。
実際にその問題で正解をする受験生を合格させようなんて考えてはいません。それより学校が望んでいる、求めているのは
「基礎学力がしっかりある」受験生です。
受験生の皆さん、難しい問題に迷わされることなく、ていねいにしっかりと簡単な問題を解いて確実に点数を取ってください。
以前も書きましたが今からやることは
「簡単なことを確実に」です。

(あすなろ通信より)

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November 16, 2004

Santa Please Stop Here その2

以前、あすなろ通信に載せた記事、こちらにも転載します。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
小学生の子どもたちと勉強をしたのですが、わらっちゃいました。
「おれ、小学校三年の時、サンタさんが来るの待ってて12時に起きたんだ、、、」
「ふーーーん。それで、サンタさんから何もらえたの?」と私。
「あアーー先生、何いってんだ。サンタさんっていないんだよ」
とか、なんとか私と小学校五年の男の子と話していたら、横から
三年の女の子が
「なに、いってんのよ。そんなこという人にはサンタさんはこないのよ」と、大きな声でその男子に怒鳴ります。
「ああーおまえ、まだ信じてんのか、、、」
とか、いいながら、二人で喧嘩が始まりました。
私は、私のところにお鉢がこないように、聞かないふりをしていましたが、内心は「かわいいな、、、」と思って聞いていました。
どっちもかわいいな、、、
でももし、私に質問されたらこまるな、、、
さいわい(?)二人は自分たちの言い分に夢中で私のことはすっかり忘れていました。(さびし、、、い)

そろそろ、クリスマス。
サンタさん(?)
いそがしくなりますよ。

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Santa Please Stop Here


作文通信教室を行っているのですが、
今、指導している子の一人に、まだ学童前の弟君のいる子がいます。
以前、自己紹介の文を、「絵入り」で送ってきてくれたことがありました。
イキイキとしたカブトムシが書いてあって、とても上手。
また、習い立ての字がいっぱい、いっぱい書いてあって、思わず笑みがこぼれます。
その中に「サンタさんにあいたい」という言葉がありました。
そこで、私は、お姉ちゃん(私の生徒)に課題を出すとき、弟君にも
「サンタさんへのお手紙書いてね」と書きました。
すると、翌日、おかあさんからメールが来ました。
〜〜〜〜〜
弟は、サンタさんへ手紙を書くと張り切っています。
ただ、ひとつ気がかりなのは、瀬戸先生がサンタさんへ手紙を届けてくれると思っているのです。
もし、先生が添削してくださって、その手紙が家に戻ってきたら、先生はサンタさんへ手紙出してくれなかった〜〜〜と、思うのではと、心配です。
、、、、、、、

〜〜〜〜〜〜
お母さんからのメールにまたまた笑ってしまいました。
そうだよね、、、
いやぁ〜〜気がつかなかったなぁ、、と思いながらもやっぱり一人で笑ってしまいました。
あんまりかわいいエピソードなので、家族が帰ってくるたびに、この話していました。
「かわいい〜〜〜〜」
と、連発。
我が子も小学生の時、ドイツに行く前にサンタさんにお手紙書いていました。
「ねぇ、かあさん。日本語で書いてサンタさんわかるかな???
サンタさん、ドイツのおうちわかるかな???」
と言いながら。
思い出しました。
さて、
お母さんと相談して、「サンタさんへのお手紙の練習」ということで、この問題は一件落着。
そして、やってきました、やってきました。
お手紙が。
「いっぱい、おもちゃください」って書いてありました。
かわいいサンタさんと、いっぱいのプレゼントと、とトナカイさんの絵入りで。

子どもの感性って新鮮で豊かで大好き!!!
子どもたちと勉強をしているときも、そろそろサンタの話題になります。

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November 15, 2004

お母さんの勉強教室

bunnsuu

以前、「お母さんの勉強教室」を開いたことがあります。
お母さんが子どもに勉強を教えるとき、間違ったことを教えないように、、、という意図で行いました。
私の経験上、一番間違って教える、というかお母さんも学校で間違って教わってきたのが、
「分数と小数」です。
この二つはともに端数を表すものですが、
考え方、理論は全く逆の概念なのです。
小数は、あるもの、大抵は1と表しますが、それを10等分したものの一つを0.1と表します。
分数は、例えば、「あるものがあって、それを3つ合せると1メートルになるとき、そのあるものを1/3メートルとする」のです。
全体が先にあるか、部分が先か、
じつは、分数と小数は全く反対の考え方から、端数を表していたのです・
まぁ、こんなことやら、
あるいは、「そのまま足せるもの、単位に戻さなきゃならないもの」などを、
教えていました。
これに関しては瀬戸智子の実験教室実験算数教室に詳しく書いてあります。
さて、
「分数を教わると思ったのでケーキが出るかと思ったのに、、、」
なんて、元気な感想が出る中、
どなたも
「ああ〜〜〜わかったつもりだったけれど、実はなにも知らなかった、、、」
という方が沢山いらっしゃいました。
「こんな難しいこと、我が子は習っているのだ、、、」
と改めて我が子の偉大さに気がつかれたりと、
充実した勉強会でした。
そうなんですよね、、、
子どもは、難しいこといっぱい学んでいるのですよね。
お母さん方も、ご自分が勉強なさって、改めて「勉強の難しさ」を実にしみていらっしゃいました。
「今日は、勉強せい、、、って言わないでおこう」と言い残して帰っていかれました。
(後日談は聞いていないので、実際はどうだったかなぁ?)

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November 11, 2004

通学路で見つけた小さい秋

作文通信教室を行っています(関心、興味のある方はメールをお送り下さい)。
今回は、二人の小学生の女の子の作文の要約を紹介します。
テーマは、
「通学路でみつけた小さい秋」です。

〜〜〜〜〜
「ヘビを見つけた」  小学校5年生
友達と遊びにいった帰り、近所でヘビが日影でまるくなっていた。

家に帰って
キリフキを持って、またヘビのところに行き、みずをかける。

、、、、、、、、、(友達のことなど書いてある)
もう一度ヘビを見にいくともういない。

電柱の後ろで死んでいた。

気持ちが悪かった。

次の日、ヘビの死体にハエが20匹以上いた。

ヘビは今でも電柱の後ろにる。
〜〜〜〜〜〜〜
この子は「いきもの」を飼うことが大好きな子です。
家にはいろんな生き物がいて、その餌を探しに野山をめぐって歩く少女です。
だから、この子が描く生物の描写は細かくて、やさしいのです。
何気なく、霧吹きを取りに行って水をかけてやったり、死んだヘビのその後も、気にして思いをかけるところが、
この子らしい繊細な文だと思います。

〜〜〜〜〜〜
「大きな柿の木」  小学校2年生
家を出ると大きな柿の木がある。

柿の大きさや葉っぱのあいだからみえる実について描写

実の色や、自分の思いを書く

近所のおじさんの話

その話からわかったこと

風がざわざわ吹いて葉っぱが落ちる

いっぱい落ちたはっぱの掃除を思い浮かべる

自分の家にもし柿の木があったらどうしよう。
〜〜〜〜〜〜〜〜
この子は、いろんなことに興味を持っている少女です。
「好きなこと」がいっぱいあるのです。
とにかく「楽しい!!!」ということが伝わってくる文を書きます。
また、そこここでの描写がとても優れていて、とても2年生とは思えない洗練された文を書きます。
観察が細かくて、新鮮です。


二人とも、
ふとした日常の発見を丁寧に書いてくれました。
この調子で、これからも素直にノビノビと書いてもらいたいものです。

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November 10, 2004

学力低下論争 その2

「教育から期待されるもの」は何か、を論点の中心においてしばらく考えていきます。
教育から期待されるものは「人間形成」であるといえば、誰からも、どの立場の人からも反論は返りません。
では、「どのような人間形成か?」という問いになると様々な答えが返ってきます。
教師、保護者からの声は「バランス感覚のある人間」「感性豊かな人間」「思いやりのある人間」などなど「精神面」に「人間形成」を期待する回答が多く寄せられます。
また、経済界は露骨に「人材養成」を教育に求めてきます。
文部科学省は今頃は「愛国心」を教育に打ち出してきました。
それぞれの立場の人が目指す「人間形成」は違って当たり前なのですが、ここで不思議なことに「学校の勉強がよくできる人間」を求めるということを口にする立場の人がいません。
それは、おおうにして「ガツガツしている」「冷たいがり勉」「頭でっかちのヘンチクリンな人」というマイナスのイメージを「勉強好き」に対して持つ人が多いことの反映のような気がします。
これは、「詰め込み教育」の負の遺産です。
何もできなくてもいい。頭さえよければ、成績さえよければ、という時代の失敗をなんの総括もせずに「詰め込み教育」はいかん。と結論を出し、「ガツガツ勉強することは恥しい」というような風潮を作ってきました。
その中で出てきたのが「ゆとり教育」であり「新しい学力感」であるわけです。
本来は子どもたちや親、そして教師からも歓迎で迎えられるはずの「ゆとり教育」が眉唾物の代表みたいに考えられる原因は、現場から遠く離れた人たちが、前の失敗を分析、総括しないことにあります。

そこで、詰め込みからゆとりへの変換時に何があったかを、見てみます。
「詰め込み教育」は確かに当時かなりの問題を抱えていました。
スプートニクショックで世界中が「理数教育」の重要性を訴え日本もそれに負けじと、教育に力を入れた結果、知育偏重のゆがみが出てきたのが、1970年代後半からです。
そして180度の転換を図り、「ゆとり教育」が提唱され、「新学力感」が出ました。
「できないのも、個性」と一時期ブームになったこの新学力感。「算数はできなくてもいいんだよ。いい子なら」「理科がわからなくても問題ないよ。元気なら」
「何も考えなくていいんだよ。素直なら」

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学力低下論争 その1

「学力低下問題」の中で「保護者、教員」の思いについて中心にみていきます。
日本全国PTA全国協議会のアンケート結果では(2002年、6〜7月実施。4777人回答)「新学習指導要領に対する不安、疑問が多かったです。
「教員や学校により教育内容、質に格差がある」
「学力格差が拡大する」
「学力が低下する」
「塾、補習の割合が増える」
などが、主なものでした。
一方、教職員は「新学習要領」に対してどの様に考えているかというアンケート結果をベネッセ総研が2002年10〜12月に14都道府県、小中学校教員対象に行いました。(管理職1200人、一般教員7000人)
その結果、管理職(7割)、一般教員ともに新指導要領の教育内容が削減しすぎ、学力低下を予想しています。
また、小学校教員の90,2%が宿題を「毎日出す」、中学校でも、宿題を出す教員が7割近くに増えました。
また、文部科学省組織令によって設置された国立教育政策研究鵜も2002年9月、研究調査を発表して、その中で
今回の教育内容が「机上の空論」「上からの押しつけ」「ぶれが大きい」という教員の声を報告しました。
なお、この記事を書くにあたり下のサイトを参照にしました。
「学力低下論争」http://www.p.u-tokyo.ac.jp/johoka/03/start.htm

こうして一連の動きやそれぞれの立場の意見を総合的に分析、評価すると、私自身の意見は現行の「ゆとり教育」にはノーの立場です。
そもそもの出発点が「子どもを信頼していない」「子どもの能力を信じない」「子どもから学ぶ権利を奪う」という意味で反対の立場をとってきました。
「学力」に関しても私の立場は、大野晋さん達の中間派です。(多くの方がそうだと思いますが如何でしょう?)
基礎だけが重視されることも実践だけが大切なこともありえない。
両方がバランスよく支えあって初めて人間形成ができると私は思います。
ところが、一連の論争の中で問題の本質が一面のみクローズアップしていき、見えなくなっていったと感じます。
一つ一つの現象では、学校現場の無気力や、ますます予想される教育の二極化などありますが、根本原因は文部科学省の方針、やり方の間違いを指摘したいです。
では、どうすればいいか?
まず、何よりも「30人学級」の徹底を望みます。
つづく

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できないのも個性か?

新しい学力観とは,
学ぶ意欲
思考力
判断力
表現力
などの資質や能力の育成を重視する学力観です。
21世紀に 主体的,創造的に生きる子供 の育成を目指し, 各学校では, 新しい学力観に立つ教育 の充実に努めています。
体験的な学習 問題解決的な学習 地域にかかわる学習 機器を活用した学習 などを積極的に取り入れながら子供一人一人の 個性を生かし 主体的な学習活動 となるように,工夫を重ねています。

上のような考え方から「新しい学力感」が登場しました。
そして、「できないのも個性」と堂々と言われたときは、教育界周辺では動揺が走ったことはいうまでもありません。
私も当時(1996年)、いろんな勉強会に行き、その趣旨をはかろうとしました。
あるとき、こんな話をききました。
「まず、指定校というのがあって、そこでどの様な結果になるかやってみる、いわばシュミレーションです。ある首都圏の学校で行ったところ、中学生達は、毎週土曜日は老人ホームに行く。〜今日は何点稼ぐ〜と言って。また、クラブの部長は毎週変わる。学級役員の数がやたらに増えた、、、ということが報告されました。
また、小学校では教師が教壇の上に、席順を書いたボードをのせている。そこにはフックがついている。授業中、発表した子どものボード上の席のフックに輪ゴムをひっかける。こうして誰が、どれだけ手をあげ、発表したか調べる。
小学生も中学生も本来の勉強よりも「点数稼ぎ」に精を出す。
こうしたことが学校で行われました。
当然、保護者、教師、識者からの猛反対をうけて、この県の教育委員会は、
〜シミュレーションの結果は良くない〜と報告しました。」と。
このような動向は全国的にも見られ、「新学力感」は定着することなく、葬られました。
ただ、その後の「ゆとり教育」として引き継がれたことは言うまでもありません。
一人ひとりの行動をチェック、その中から「やる気」を調べ、点数をつける、というえげつないやり方はさすがに影をひそめましたが、「関心、意欲、態
度」として残っています。
そして、何よりも問題なのは「できないのも個性」として、学校現場から「教えること」を撤退させたことだと私は思います。
それまでは教師は「子どもたちに分らせようとして、居残りをさせた、宿題を出した、休み時間も子どもにつき合った」というような風潮はどこでも学校なら見られました。
しかし、新学力感以後は「授業中で分らない者はハイそれまでよ。」と切り捨てられていきました。
最悪なのは、そうした子どもたちのことを「落ちこぼれ」と評したことです。
落ちこぼれではありません。
「落ちこぼして」いったのです。
そして、真犯人は、もちろん、文部省。
「わからせよう」とする努力を放棄した学校。
規律、統制だけが残った学校。
こんな学校に子どもたちが信頼を寄せるはずはありません。
学校の転落がここから始まります。

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基礎学力は大切

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「基礎学力は大切」と思ったエピソードを一つ。

O君はよく勉強の出来る少年でした。中学三年の秋まで生徒会で活躍していました。
O君が私の所にやってきたのは、三年の11月。私立の入試まであと2か月。
難関校を目指して頑張っていました。
その高校の過去の問題、予想問題が出ている、いわゆる「赤本」という問題集をもって私の所にいつも来ていました。
ある日
「この因数分解がわからない、どうしたらいいですか?」と言って私に質問にきました。
見れば確かに難しい。
私は彼に
「この問題は君にはまだ早い。私の見ている前で、教科書の基礎問題100題をしなさい」
彼は黙っていましたが、顔中が不満をあらわしていました。でも、しかたなく私の前で100題の計算を解きました。
「おおーやったじゃない。できるじゃない。よしよし。じゃ、君。もう一度さっきの問題やってごらん」
O君はもう一度あの問題集を取り出して、さっきの問題をやりました。するとどうでしょう。
スラスラと解けるではありませんか。
その後も「基礎」を中心にみっちりやりました。
そして、彼は見事合格しました。
どんな事でも焦りは禁物。
時間が無ければないほど「基礎」を丁寧にすることです。

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割合が難しいわけ

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小学校の算数の中で一番むつかしいのは「分数」「割合」です。
「分数」には「量分数」と「割合分数」があります。
たとえば分かりやすく例をあげます。
「プールの水1/2リットルと、プールの水1/2」
この二つは両方とも1/2と表記されますが、後ろに名数があるか、ないかで意味は全く違います。
1/2リットルは0,5リットルのことです。プールにどれだけの水が入っていようと同じです。これは量分数と呼ばれます。
しかし、プールの水1/2となると、プール全体にどれだけの水がはいっているかで違ってきます。すなわち
プールの水を1とした時の割合を分数であらわしています。
学校教育の中ではこの二つが区別される事なく出てくるので子どもたちは混乱します。
算数が苦手と思ってくる子どもたちがこの頃から増えてきます。
また「割合」は「内包量」といって2数以上をそのままは足せません(そのまま足せるものを外延量)。
この二つの違いもきっちりと教わる事がないので、子どもたちはますます混迷しているようです。

以前、小学校六年生に教えていた時の面白い話を紹介します。

「みんな、10%の食塩水が100gここにあります。そして、こっちにも10%の食塩水100gあります。合わせると何パーセントの食塩水ができる?」
「20%」みんな大きな声でいいます。
「んんん。じゃ、ここに時速50キロの自動車が2台あります。この二つをひもでひっぱると速さは?」
「50キロ」とみんな正解をいいます。
「そうだね。100キロじゃないよね。
数字にはね、、、」
と私は、子どもたちに内包量、外延量の話、その考え方、答え方を教えます。
また、ジュースを作らせて、「濃さ」の勉強を実際にやります。
そのあとで
「みんな、10%の食塩水が100gここにあります。そして、こっちにも10%の食塩水100gあります。合わせると何グラム?」
「100g」 みんな大きな声で張り切って言います。
「、、、」

笑い話のような勉強をして思った事は、「ほとんどの子どもたちは具体的な事象は理解できる。抽象になると思考がついていけない子が沢山出てくる」ということです。
これについての解決は「具体例を沢山やる」
という方法が一番良いと考えます。
「ゆっくり、焦らず、確実に」
成功の一番の近道です。

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November 09, 2004

頭のよくなる野菜たち

食事について書きます。
一般に「よく噛む子は頭がいい」と言われていますが、それは本当です。
噛むことで、脳に血液が多く流れ活性化します。
また体の血流も良くなるので健康になります。
つまり頭が良くなるというよりは「頭によい=頭の栄養になる」と言う意味で記事を読んで下さい。

では野菜についての研究報告が数多くなされているので以下にみていきます。
東京中野区の中学校校長で日本ストレス学会評議員の広瀬正義氏によると、成績の上位と下位では野菜の摂取量が明らかに違っていた事や、豆類魚類の摂取が多いということが報告されています。
特に大根、きゅうり、レタス、白菜、ピーマンは沢山摂取すると良いとも述べています。
また、福山女子短大の鈴木雅子教授によると
「バランスが悪い食事、とくに野菜嫌いの子にいじめる子暴れる子が多い」とも報告しています。
その上で脳に欠かせない栄養素として
ビタミンCとビタミンB(特にビタミンB1)が大切だそうです。
頭に効く野菜として玉ねぎ、にんにく、にら、ねぎを挙げています。
また、納豆などの豆類も頭の回転を早める食材です。

結局はいろんなものをバランス良く食べるということです。
いろんな物を食べるということは体への栄養ももちろんですが、作る側が食べる側を想定して、愛情深く語りかけることでもあるのでしょうね。

豊かな食事はまず心を豊かにしてくれますよね。
さあ、私も、、、q(-_-;)p
なおこの文は「野菜がクスリになる50の食べ方」池田弘志編(小学館)を参考にしました。興味のある方は是非ご覧ください。
キーポイント
玉ねぎ、にんにく、にら、ねぎ、大根、きゅうり、レタス、白菜、ピーマン、納豆

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暗記法

ここでは、暗記の仕方について考えます。
学習心理学や認知心理学の方面での研究の結果、効率的な暗記法がいくつか分かりました。
その方法を紹介します。
一、暗記してから、2〜3時間後にもう一度やることで定着が期待できる。
一、同じ事をいっぺんに覚えるより、順番に覚える方が効率がいい。
  例えばAAABBBCCCと覚えるよりABCABCABCの方がいいそうです
一、覚えた時の環境の再現で効果はより出る。
  つまり、受験生なら覚えるときは試験場のような雰囲気作りとか、自分で試験場にいるようなイメージ作り、本番に臨んでいるような環境で勉強するといいのでしょう。
また、良く言われている睡眠学習は、この研究によると、確かに効果は有るが、ただし寝ているときに効果が発揮できるそうです。英語の単語を睡眠学習で覚えたら夢で英語を話しているのかもしれませんね、、、q(^_^;)p

何はともあれ、楽しんで積極的な気持ちで憶える事が一番。
まだ間にあいます!!
  
  

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日本の公教育

日本の公教育について考えます。
明治十年、東京に唯一の帝国大学が創設された事が近代日本の公教育の始まりでした。
その後、遅れること二十年、京都に帝国大学が作られ、この二つの大学が事実上、その後の日本の教育の上に君臨する時代が続きました。

第二次世界大戦後、教育基本法が制定され、今の私たちの学校教育の柱となる法律が作られました。
(ここでは、教育の歴史を綴る事が目的ではないのでイロイロの事実を省略)

今、現在の学校教育は、文部科学省が責任官庁です。
そして、文科省にもっとも影響力がある発言力を持っているのは「中央教育審議会」です。
文部科学省、中央教育審議会の時々の答申によって、学校教育の現場は揺れ動きます。
「期待される人間像」に始まり、現「ゆとり教育」まで、実に多くの答申、方向性が出されました。
戦後の復興日本から、高度成長期、バブル崩壊、そして現在の出口の見つからない不況。
社会の動きと不可分であったことはいううまでもありません。
学歴偏重の悪弊からくる校内暴力、それに対応するために『ゆとり教育」。しかし、少年犯罪はますます低年齢化するという実際。
教科書は薄くなり、反比例して教師の負担は大きくなり、その狭間で子どもたちはつぶれていくという実態。
何か、問題があると、「学校はなにをしていた?」「家庭はどうなっている?」学校、家庭、地域がお互いに責任をなすりつけていく。
その隙間をついて、文科省はますます教育を荒らしていく。
じつは、教育の流れを長い目で変えていこうとする強烈な意思の持ち主がいることを忘れてはいけません。
公教育に隠然と力をかけるものがいるのです。

戦後、間もない頃からすでに「教育基本法はいずれ変える」「三割のエリートと後は兵隊を作ればいい」という勢力がありました。
この勢力の存在を私たちはつい、忘れて学校と保護者が時として敵対することもあります。
本来、学校と保護者は共に手を取り合う仲です。

この事実をしっかり踏まえて、公教育を語る必要があると思います。
つまり、教科書問題、「ゆとり教育」、総合学習、その中での入試問題などです。
今日は公教育の歴史、その背後をチョット見てみました。
けっして、公教育がさぼっているわけではない、また、塾もその歴史の中で翻弄され得ている存在なのです。

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教科書

教科書について考えます。
教科書が形として表れたのは江戸時代。
武士の子弟を対象にした漢籍と庶民の子どもが行く寺小屋で使った往来物とがありました。
近代教育制度のスタートは学制発布の明治5年。
この頃は手掴みの状態で、とりあえず欧米の真似をしようというものでした。
当初は教科書は文明開化の風潮もあり、自由発行、自由採択。
しかし、明治14年の届け出制、18年の検定制が国によって行われるようになって、教科書は次第に国のものになっていきました。
その後、明治、大正と検定教科書は続き、終戦を迎えました。
戦中の教育の反省から教育内容の改革、見直しを計るために「学習指導要領」なるものを文部省が編集することになり、現在に至っています。
「教科書の歴史」http://s-opac.sap.hokkyodai.ac.jp/library/shiryou/index.html参考

教科書は、学習指導要領の下で変遷を重ねてきました。
「教科書問題」というと、「歴史」について考えますが、ここでは、数学や理科について触れてみます。
数学は、指導要領がかわり、教科書が改訂される度に「考える」事が減っていきます。
小学校の算数は「数式」「数量」「図形」の分野を学ぶことになっています。
つい二年前の教科書改訂で「円周率が3になる」「台形の面積が消える」とかの話でもちきりでした。
実際には数式の時間は以前と変わりません。
数量と図形を教える時間はグーンと減りました。したがって子どもたちは「計算」を一年中やっているという怪異な現象が学校現場で行われています。
数学でも、教える範囲は随分狭くなったため、子どもたちは過去の入試問題はもう解けません。
理科教育に至っては、その変質は最たるものです。
実験が消えた!!
自然科学とは実験をしてこそ真理に迫るものです。
現在教科書で書かれていることだって「うそ」かもしれない。
オームの法則、メンデレーフの周期表だって、実は「真理の一面」かもしれない。それを見つけるのは絶え間ない実験、研究しかないわけですが、
理科の教科書は子どもたちから、その可能性を奪ったともいいすぎないようなものがここ近年使われています。
では理科は何を教えているの?と質問される方。
心配はいりません。理科の時間が減ってきているのだから。
同様に体育や音楽、美術、技術・家庭科も減っています。
ひたすら総合学習が大手をふっていきます。
つづく

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偏差値

ここでは、偏差値について考えます。
偏差値とは、良く耳にする言葉です。
統計学からで出てきた言葉で、「集団のなかでの位置を表す数字」と思ってください。
例えば、H君が試験で300点(500点満点)とり、次の試験では350点をとったとします。
単純に考えると、成績はあがったと思います。
しかし、皆も頑張って、最初は平均が285点だったところ、次は365点になったらH君は、みんなの平均より低くなった事になります。
では、H君の成績を計るためには得点と平均点だけ分ればいいか、、、というと,そうではありません。
「全体のばらつき」というものも必要になります。
確かに、平均点は二回目が365点とあがったとしても、それはう〜〜んとがんばった人が何人かいたために平均があがったわけで、実はH君は全体からみたら上位にいるかもしれません.
全体の中での位置を表す数値も必要になります.
これを偏差値というわけです.
偏差値について、さらに詳しく知りたい方は「偏差値のお話]というサイトをご覧ください。http://www.o-shinken.co.jp/benkyo/hensati/hensachi.htm
このサイトは、なかなか分りやすく説明してあるので、お薦めです。

さて、こうした偏差値は集団の数が多いほど信頼度が増します。
入試にあたって、志望校を決めるさいの参考にする偏差値ですが、この数値を示してくれるのは、学校より塾の業者テストです。
学校内での成績や、偏差値が示されても、自分が志望する学校の受験生が他にどれくらいいて、自分はその中で、どれくらいの位置にいるかということはわかりません。
「偏差値」が示されると、科学的に分析されたような気になってきます。
人は数値に弱い。
こうして、偏差値は学校にも、個人にもランクをつけて、ドンドンその枠に押し込めていきます。
「本当は違うところ行きたいけれど、偏差値が、、、」ということであきらめる子どもたちが沢山出てきます。

行きたい学校ではなくて行ける学校選び。

偏差値が、こんなに大きな顔をしていない頃には、このような現象は少なかったと思います。
しっかりと数字で示され有無をいわされないとしたら、よっぽどの決意がない限り、自分の偏差値以上の学校は望めなくなりました。

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絶対評価と相対評価

今日は評価の基準について考えてみます。
戦前は学校教育の下で行われていた「学籍簿」では「優、良、可、不可」の評価は、教師の主観的な判断に委ねられていました。
その反省をふまえ戦後は「相対評価」がとられるようになります。つまり、子どもが集団の中でどれくらいの位置にいるかということを、5段階、あるいは10段階で表す評価です。
しかし、この方法では「テストはいいけれど、、、」「成績さえければ、、、」などの弊害がでてきました。
そこで1971年の指導要録改訂で「一定の比率に児童を割りふらないように」とされました。
その後、1991年の改訂で、小学校低学年で評定欄の廃止、中・高学年で絶対評価を加味した相対評価という部分的な修正が加えられました。
それでも、なお問題は残り、2002年、根本的な方針として「絶対評価」が打ち出されました。
ある基準があってそれに到達していれば5,、もう少しなら4,,,といように、テストの点数に関わらず、「到達度」を評価するものです。
また、「関心、意欲、態度」など「個人のやる気」も評価の対象になりました。
ここまでが、「評価の歴史」です。詳しく知りたい方は「絶対評価」という項目で検
索をすると、関連サイトが出てきます。

さて、問題は、この一連の流れをどのように解釈して、なおかつ願わくば子どもたちにどうすれば一番いいかを呈示することでしょう。

私自身の考えは「一連の教育が全て変わる必要」があるということです。
つまり、小学校、中学校の現場で「ゆとり教育の導入により、絶対評価に変わった」としても、さらに上の高校では、成績調査書は「相対評価」であるとしたら、それは、たんに「きやすめ」を保護者に、「重労働」を教師に強いる事でしかないと思うのです。
残念ながら、現状では「絶対評価」が「高校入試」になんの意味もないことを教師、保護者、子どもたち、すべてが知っています。
したがって、だれも学校の成績をあてにしない、というか信頼しない、
という現実があります。
絶対評価で5をとっても高校にはいれるの?
と、思うわけです。
子どもたちはますます、塾の門を叩き、公教育は置き去りにされていきます。
現場の先生方も負担だけが増え、中身は薄っぺらになった学校の授業に大いなる不満を持っています。

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内申書

ここでは、内申書について主に考えます。
内申書(調査書ともいう)は、ご存知のように、中学校、高校が、受験生の成績、その他を受験する学校に提出する書類です。
都道府県によって様式は様々です。
大体において書かれることは
名前、生年月日、現住所
受験校名
三年間の出欠状況
健康状態
9教科の観点別学習状況
9教科の評定
学校生活関係
部活などの活動状況
生活態度
学校長の署名
   まなびどっとこむのサイトを参照にしました。
  (http://www.man-abi.com/chukou/highschool/school/naisinsho.html)

ここで、親にとっても、子どもたちにとっても気になるところは「9教科の観点別学習状況、9教科の評定、学校生活関係、部活などの活動状況、生活態度」の項目にどの様に記入されるかではないでしょうか?

確かに、この内申書に関しては、保護者や子どもたちからの不満の声は多いです。
学校の現場が「子どもを人質」にとっているという声さえ出されることがあります。
「言いたくても内申書に響くから言えない」
「内申書に良くかいて貰いたいからボランティアにいく」
などなど、です。
水戸黄門の印籠のように力を持って黙らせる内申書。
以前は、受験生にとって内申書はそんなにおおきなウエートを占めていませんでした。
何よりも本番。
ところが、この15〜20年前から内申書がスポットを浴び出したのは「校内簿力」「学級崩壊」など学校が全国的に荒れ出してからです。
(大学紛争時代は、まだ中学や高校の内申書重視という声はあがりませんでした。)
受け入れる高校や大学も、「いい子」を欲しがりました。
ここでいういい子とは、それはそれでかなり問題ですが、、、(ここでは今回は触れません)
こうして、内申書重視の声があがり、
受験の合否の決定に50%の威力を持つ、
実技の科目の評価が高い
などなど保護者の間で「うわさ」は広まっていくわけです。
本来の意味、つまり生徒の普段を評価するということから逸脱していった内申書について、絶対評価とともにその是非を次回は考えます。

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学校の現実

「学級崩壊」と「入試政策」
この二つの共通点は「学校の現実」を社会から隔離して考えていることにあるのでは、と私は思います。
学級崩壊は、きわめて社会的な問題であり、
出発点はそこから求めなきゃいけないにも拘わらず
実際は「担任の力量」に任せられたり、「家庭のしつけ」に押しつけられたりします。
しかし、この現象を文科省は利用して
さらなる「ゆとり教育」を推し進めようとしています。
また、入試政策にしても、「学歴偏重」を是正するという大薙刀は高校までの教育現場にはふるいますが、実際は大学間格差はなくならない。
それどころかますます二極化する方向にある。大学のトップ30などで競争に追い立てます。
高校にしてもスーパーサイエンスハイスクールなどを作って、受験競争を煽っています。

ではどのようにすればいいか?

学級崩壊の対策としては
少人数学級の徹底と教員の増員、給料の増額、それにみあう教員の質の向上、
地域の公共施設の充実などが効果的ではと考えます。
考えるだけでなく行政に訴えていくことも一つの方法です。
同じ気持ちを持っている仲間と勉強会をしたり、成果をあげている学校の情報を学ぶ、教師と連絡をとりながら話し合うなどがいいと思います。
なお結論は焦らないでください。
すぐに効果は出ませんが、いずれ実を結びます。

次に、入試政策に対しては
学校間格差をなくすことが先決だと思います。

学歴の問題は難しいテーマです。
なぜならそれは「それぞれの人の思い」だからです。
100人いれば100人の思いがあります。
その思いを縛ったり、決めつけたりはできません。
「学歴は本質的なものではない」と私個人は思います。
例えば東大を出たと言う人に出会うとする。
「あ〜〜すごいですね、、、お勉強なさったんですね」と思う。
そうでない人に出会うとする。
「学校の勉強がキライだったのね」と思う。(あくまで学校の勉強が、、である)
そして、しばらく付き合うと、そんな出身学校なんて関係なくなり、ひたすら「その人の品格」のみが問題になってきます。
小さな私の人間関係のあり方は、この頃は大きく日本の社会にも広がりつつあると思います。
基本的には「学歴」はなんの意味もありません。
意味があるのは「勉強してきた内容」です。

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学級崩壊 その2

その1より

子どもたちの抱えている問題は親の課題でもあります。
大学は高校に、高校は中学校に、そして中学校は小学校に「子どものしつけ」を望みます。
さらに小学校は幼稚園に、幼稚園は家庭に子どもたちのしつけを望んでい来ます。家庭にしつけを押しつけられると、個々のケースが出てきて、問題の本質が見えにくくなるわけですが、この場合、二つのけじめをはっきりと持たないと、解決の糸口は見つからないような気がします。
つまり、公私のけじめです。
言ってしまえば簡単ですが、なかなか難しいテーマであるとも思います。
ここで、私個人の意見を言えば、「親と子どもはソックリ」です。
昔から「子は親を映す鏡」と言いますが、8割は正しいと思います。後の2割は例外。(例外のない規則はない)
ある本を読んでいたら、次のような例が出ていました。
子どもが窓から出入りするので、注意をする。何回注意をしても直らないので、親に言ったところ、「窓から出入りするのがうちの子の個性です。」と。
ここまでひどくはないですが、私も子どもの「しつけの質」は明らかに以前の子より落ちていると実感します。
まず、来たときに挨拶をしない。
履き物はそろえて脱がない。
遅刻しても謝らない。
後片付けをしない。
もっと、ひどい子は勉強の机に腰掛ける。
最後の挨拶もしない。
等々。
こうした子どもの様子を見ると、思いたくはないけれど、「親の顔が見たい」と思うのです。(本当は知っていますが、、、)
このようなことは「最低限」できなければと私は思うのですが、実際、親の立場では、必ずしもそうではない、という場合があります。
つまり、共働きで子どものしつけにかまっていられないとか、下の子の世話でそこまで気が回らないなど、社会がその責任を果たさなければならないときと、単に親のモラルの低下とがあるからです。
その見極めは難しいので、私個人は、関わっている子たちにはしつこく教え、また親にも連絡をしています。(こうした連絡で親とトラブルが生じたことは今のところありません)
しかし、公教育の現場になると対象の子どもの数も私とは比べ物にならないから、気配り、目配りは行き届かないのが現実でしょう。
学級崩壊の根は深いと思いますが、一つの解決策としては「少人数学級」の徹底があると私は思います。

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学級崩壊 その1

「学級崩壊」についてちょっと考察を加えます。

教育の問題を考えるにあたっても、それだけがポッキリと一人立ちしているわけではなく、社会との関係で見なければなりません。
「学級崩壊」が抱える問題は、今日的で教育、政治、経済全般で考えなければならない大問題です。
「学級崩壊」という言葉が登場したのは1998年頃からです。
ことのきっかけはNHKのスペシャル番組「学級崩壊」が全国の小学校に衝撃を走らせたことにあります。
「おおーー、うちの学校もそうだ。教師の話をきかない子が多い。」
「あっ、うちの児童も同じだ。授業中歩く子がいる」ということで、その後調査をしたら、都市部に限らず、全国的に同じような現象があることが分りました。
また驚いたことに、その放送があるまでは、自分のクラスが学級崩壊していると、自覚していなかった担任が多かったことです。
こうして、瞬く間に社会問題にまでなった「学級崩壊」
その実態については、ここでは述べません。
その背景に隠れたものは何か?に迫りたいと思います。

ズバリ、「親たちが生き辛い」社会が背景にあると考えます。

親の世代の不安が子どもたちに投影、反映しているのです。
「イライラ」「むかつく」「集中力がない」「コミュニケーションがとれない」、、、
子どもの実態は親と重なります。
親の世代が不安であることの原因は
「核家族」「共稼ぎによる親子の会話の減少」「生活、将来への不安」「離婚率の増大」「地域とのかかわりの希薄さ」など、社会学者は挙げています。
このような不安は、子育ての不安、自信喪失、子育て放棄へと発展していくわけです。
親から幼児期に「愛情」というスパイスをふりかけられて育たなかった子どもは「人を好きになる」事はできません。
子どもはすべて、模倣から始めるのだから。
ただ、問題の本質は見誤ってはいけません。
「家庭のしつけ」だけに問題を押しつけてはならないという意味で。
子育て、教育は社会全体で担わなければならないと考えます。
子どもは社会の財産だから。
つづく

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合格体験記U君の場合

U君の体験を紹介します。
私は彼を見ながら、「子どもの才能」は尽きないと思うのです。
初めて私のところにやってきたときは、「勉強きらい」という雰囲気が全体に漂っていました。
「まあ、かあさんがいけというから、、、」
やり初めの頃も何かにつけ休みがち。
本当に大丈夫?
その彼を変えたのは、学校での三者懇談会(保護者、担任、本人)
この担任がいけない。
「○○君はT校しかいけませんよ。K校に入っても苦労しますよ、、、」
この、とても教師とは思えない一言が彼を発奮させました。
彼は頑張りました。
私と二人で冬休み、猛特訓。
集中的に国語のまとめ方、英語や社会の暗記、
とことん、やりました。
そして、三学期は驚くほどよい点を取ったのです。
その後も彼は真剣に勉強をやり、グングン力を伸ばしました。
そして、入試が終わった昨日、高校での勉強を教えてくれと私のところにやってきました。
すばらしい!!
彼は伸びました。これからも伸びます。

彼との半年をふりかえると、本人の性格の強さが大きかったと思います。
「くやし〜〜い、まけないぞ!!」
褒めて育つタイプと、叱って育つタイプがあります。
彼は後者だったのでしょう。
(そう言う意味では今から思えば担任は名先生なのかな?)

子どもの才能を伸ばすには「子どもの個性」の見極めが大切と、彼を教えながら改めて私も教えてもらいました。
そして、U君は見事合格したことはいううまでもありません。
U君。
応援しているよ!!

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合格体験記T子さんの場合その5

その4より

いよいよ三年生になったT子さん。
すぐ修学旅行があり、ウキウキ。
勉強なんて出来るわけがありません。
それが終ると、今度はクラブ。最終学年だから、忙しいのです。
演劇部は三年の秋、文化祭まであります。
クラブをやりながら、勉強もやります。
当時は今のように塾へみんなは行っていません。
学校で補習が増えたことと、定期試験に加え毎月実力試験があること以外は、そんなに受験生という雰囲気ではありません。

それでも気持ちは受験生。
夏休み前には「志望校」の決定とかしなければなりません。
一年前の先輩たちの様子が思い出されます。
みんな、青い顔して、担任と面談していたな〜〜

夏休み前に、自分の成績と、希望、担任のアドバイスを元に第一回の志望校を決めます。(当時は偏差値なんてありません)
志望校を決めると、なんとなく受験生の気分になります。
しかし、夏休みはクラブと補習で、特別に勉強をしたわけではありません。
本格的に勉強をやりだしたのは、文化祭も終り、最終的な志望校を決めてからのような気がします。
どんな風にやったかというと、T子さんの場合はひたすら教科書を中心にやりました。
英語は先輩から教わったように教科書の暗記。
数学は例題を何回も解きました。ちょっと難しい問題は、解答のやり方を見て、納得。しばらくして、もう一度自分でやる。三日後にもう一回やる。というように三段階でとりくみました。
社会は「自分で自分に問題を出す」という方法を行いました。
問題を作る。解く、採点をする、というやり方で三回はその問題に触れることが出来ます。
理科は暗記の箇所は社会と同じ。計算は数学と同じ方法でやりました。
国語は、ひまさえあれば本を読んでいたようです。

こうして、「一つの事を三回はする」という勉強法で、二学期の終わりから、受験の三月まで徹底して行った成果が幸いに実を結び、T子さんは四月には憧れの高校生になる子とが出来ました。

完。

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合格体験記T子さんの場合その4

その3より

これではいけないと思ったT子さん。
特に英語と数学の力がついていません。
気がついたら勉強はとても難しい。
どうしたらいいのか、、、
なやんだT子さんは近所の先輩の所(友達の姉)に相談に行きました。
勉強のやり方を教えてもらうためです。
先輩は、この年大学の教育学部に入ったのです。

「先輩。英語全然わからないのです。どうしたらいいですか??」
と聞く私に先輩は優しく方法を教えてくれました。
「英語はね。教科書を覚えればいいのよ。とにかく覚えること。
これが一番。やってみてご覧。」
そうか、、、教科書を覚えるのか。
「先輩、数学も全然ダメなんです。」
さらに尋ねる私に、先輩は嫌な顔もせず教えてくれました。
「数学も教科書の例題を何題も解いてご覧。」と。

そうか、、、簡単なことをもう一回、丁寧にやろう。
最初の試験の時、「数学の計算を5つ、国語の漢字を10,英語の単語を10,毎日やるぞ〜」と決意したはずなのに、いつのまにかウヤムヤになってしまいました。
試験が近づくと、やたら難しい問題ばかりやって、落ち込み焦り、泥沼にズルズル。

そうだ〜〜もう一回、基礎からやろう。
今度の期末試験が良くなくてもまぁいいや。
それより、最初からおさらいしよう。
数学の計算と国語の漢字や英単語も、今度はマジでやろうーーー

先輩の家から帰りながらT子さんは新たな道が開けたように明るくなりました。
もちろん、今度は決意したようにしっかりと、毎日の課題、教科書の暗記をやりました。
そして迎えた期末試験では、すぐに成果はでないものの、下降路線は辛うじて食い止めることが出来たのです。
先輩のおかげ。
有り難う、先輩。きっと優しい小学校の先生になるだろうな、、、
と、思ったT子さん。
こうして、T子さんにもいよいよ受験が到来します。
続きは次回。

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合格体験記T子さんの場合その3

その2より

初めての定期試験をなんとかクリアしたT子さんは、「なんだ〜中学校の試験ってなんてことないじゃない」というとんでもない誤解をしました。
テストが終った開放感から、ますますクラブにいそしみます。
発声、早口言葉、などの練習に加え準備体操など「演劇部」といってもやっていることは体育系のクラブとそう変わりません。
家に帰ったらもうクタクタ。
カバンを投げっぱなし.
時間割りは,朝 慌ててあわせる、、、というような生活。

そして、迎えた期末試験。
前の試験のように緊張もなく、なんとなく勉強をして、、、貰った点数を見てビックリ!!
「なっ、なにこれ」
ドーーーンと落ち込みます。
期末試験は九教科あるのですが、どれもこれもガ〜〜〜ン。
九回、落ち込んだわけです。
T子さんが中学生の頃は試験ごとにクラスの順位、学年の順位というものが出ます。
みごとに、二倍になりました。
「あ〜〜〜甘くない」
しみじみと厳しさを感じたT子さん。

一年生の夏休みはクラブがかなり忙しく、毎日通いました。
夏休み中に市内中学の演劇発表会があるからです。
クラブが終るとすぐ、学校のプールで泳いでやっぱりクタクタ。
宿題もそっちのけ。いつのまにか夏休みも終りました。

二学期になれば、今度は秋の校内文化祭があります。
「演劇部」はもちろん花です。
さぁ〜〜がんばらなければ、、、
秋の日暮れは早い。
毎日、家に帰るのは真っ暗になった頃。
勉強なんて出来るはずがありません。

二学期の中間試験はさらにサンザン。
順位は一学期の期末のさらに二倍。
お〜〜〜い、この調子でいくと後がないよーーー
さすがに焦りを覚えたT子さん。
「これはまずい、なんとかしなければ、、、」

この後は次回に続く

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合格体験記T子さんの場合その2

その1より

英語はラジオの基礎講座を毎日聞くことで、なんとか不安を取り去ろうとしたT子さんです。
入学して一ヶ月とちょっと。
やっとクラスやクラブにも慣れてきました。
ゴールデンウィークも終わり、いよいよ初めての中間試験。
まずは、スケジュール作りに取りかかりました。
国語、社会、数学、理科、英語と項目を書き、日程を書いて、「一日に必ずすること」を考えてスケジュール表に埋めていきます。
これが楽しくてたのしくて。
どんどん、埋まります。
「あっ、ここで、英語もやろう。まてよ、数学もちょっと頑張ろう、、、」
なんて、表に書き込んでいったら、瞬く間に表はいっぱい。
「う〜〜〜ん、なんだかやる気でてきたぞーーー」
とても、充実した良い気持ち。
もう、終った気になりました。
ところが、ところが、次の日からが大変。
スケジュール通りにやろうとしたら「寝る時間がな〜〜〜い」

そうなんです。嬉しくて、表に詰めすぎて、現実的には不可能な計画をたてていたのです。
「あ〜〜もう一回、最初からやりなおし。」
ということで、二回目のスケジュールはごくごくさっぱりと「国語、やれるところまでやる」なんてものが出来ました。(これってスケジュールっていうの?)

中学一年の中間試験ということもあって、そんなに勉強をする範囲は多くありません。
国語は漢字中心。英語も単語。数学も計算。
毎日、こんな勉強をしていてふと、気がつきました。
「この勉強、試験が終わってもやろう。」と。
毎日、必ず、国語の漢字は10個、英語の単語も10個、数学の計算は5問。
とにかく、やってみよう。と思いました。

さて、本番の試験は「初めての試験」ということで先生の温情もあってか、「気合い」をいれて緊張していた割りには、問題は素直で、T子さんでも「よくできました」
心配した英語もなんとかクリア。
「中学校ってたいしたことないなぁ、、、」
と、間違った考えを持ったT子さんに早速、本当の厳しさが次の期末試験で訪れます。

次回につづく

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合格体験記T子さんの場合その1

私自身が中学生、高校生の時から比べると、
「時代はかわった」ということを富みに感じます。
私の頃と、勉強方法や受験体制が違ってきたので、「この方法が一番いいよ」なんて事は言えないなぁ、、、とつくづく思います。
だが、しかし、時代は変わっても「基礎」は変わりません。
そこで、今回はずいぶ〜〜〜ん以前に勉強をした自分自身のやり方に付いて考えていきます。(これは、あすなろ通信にけいさいしていたものですが、参考になればと思って、こちらにも転載します)

T子さんは、中学に入るなり、演劇部に入りました。
宝塚に憧れたというのもありますが、演劇部の先輩がカッコヨカッタという実に単純な理由からでした。
学校の勉強はあんまり好きでないのですが、「中学に入ると英語がある」というので、それはそれは緊張をしました。
近所にアメリカ帰りの医者の息子というのがいて、とても頭がいいのですが、どういうわけか英語はサッパリ。
「あの子ができないのだから、英語ってのはよっぽど難しいもんだ、、、」と思っていました。
また、兄や姉たちも英語では苦労をしていたので、小学校の頃から「中学校に入ったら英語をやらなきゃ、、、」とだけは思っていたのです。
そこで、NHKのラジオの「基礎英語」というテキストを買ってもらって、とにかく、毎日聞こう、とかたく決意したT子さんです。
それ以外の勉強は相変わらず、、、です。
毎日、演劇部に行ってカッコイイ先輩たちを見ていました。(ちなみに先輩は女子ですよ、、、)
時間は瞬く間に流れT子さんにも初めての中間試験が訪れました。
次回に続く

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November 07, 2004

恋と月

作文教室の通信教育を行っています。(興味、関心のある方はメールください)
時々のテーマで、子どもたちに作文を書いてもらっていますが、
初めは、書けなかった子でも、
発見をする、豊かな表現で書くことができるようになる、、、というように
子どもたちの成長を、しっかり感じます。

さて、今日は作文通信教育の一つを紹介します。
テーマは「百人一首の中での月」でした。

〜〜〜〜〜〜〜〜
「有り明けのつれなくみえし別れより 暁ばかりうきものはなし」
=========(歌の意味がかいてある)
この唄を読むと、作者が、夜が明けても尚残っている月を見て、昔の別れを思い出している静かな様子が思い浮かびます。たった一つの歌のなかに、作者の思い、言いたいことが、沢山詰まっています。
月を見ただけで、別れた人を思い出すとは、その人は、とても大切な人であって、別れたくなかったのだろうと思うと、なんだか作者がかわいそうになりました。
作者にとっては、月のように光っている人だったのでしょうか。
ーーーーーー(自分のことについて書いてある)

〜〜〜〜〜〜〜
とても感性豊かに書いてあり、
また表現も洗練されてきました。
さらに、当時の人々の「恋」の在り方や、婚姻形態などにも踏み込めばカンペキです。

現代に住む私たちが、なにげなくやり過ごしている自然を、
昔の人は慈しみ、擬人化していたことを、百人一首の歌から読み取ることで、
情感豊かな文が書けました。

それにしても、
「恋と月」
同じ姿でないハラハラ、ドキドキが素敵ですね(^.^)

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November 06, 2004

過ぎたるは及ばざるが如しだろうか?

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という諺があります。
何事もやり過ぎない事への戒めです。
度を越した事は足らない事と同じである。
良い事でも「ほどほど」が大切である、という意味です。
学校では、このように教わり、辞書の意味もそうです。
しかし、私はこの頃、過ぎたる事は及ばざる事と同じどころか、むしろ弊害の方が多いと思います。

「過ぎたるよりは猶及ばざるがよし」です。

とかく、人は限度というものを見誤ります。自分で律しているつもりでも。
いい事とされることなら尚更です。
私にあてはめるなら、月曜から金曜日のお昼の時間に放送される健康番組が大好き。司会者が(本当は解説の先生)「○○がいい」と言えば、その何日か後に必ず食卓に出てきて「Mさんがいいと言ってたから、、、」と、無理矢理食べさせています。
この頃は私が何か言うと家族の方も、「はい、はい。Mさんが言ってたの?」となります。
最も、これに関しては長続きしない私だからやり過ぎる事はありませんが、、、

法演という高名な禅の僧が、縁の寺に送別の言葉として四端(四つの本源)を贈りました。
1,福を受け尽くすべからず、すなわち必ず禍殃をいたす。
2,勢いを使い尽くすべからず、勢い尽くすときは、すなわち定めて欺侮に遭う。
3,語言は説き尽くすべからず、説き尽くせば、すなわち機密ならず。
4,規矩は行い尽くすべからず、行い尽くすときは、衆とどまりがたし。

幸福を求めすぎること、勢いがありすぎること、言葉で説き尽くしすぎること、行いが厳格すぎることを戒めています。

私たちはともすれば「及ばないこと」ばかりに目をやりすぎます。我が子に対して、出来たことより出来ていない事ばかりに目が行ってしまいがちです。
しかし、ここらでもう一回見直して見ませんか?
及んでいないことにやさしさと愛情を持って、、、
(やじろべえ日記より転載)

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November 02, 2004

入試とは?

今年2月の中国新聞(2/16日付け)の教育欄に広島県の公立高校の入試改革について特集記事が掲載されていました。
従来の総合選抜制度を改めて
学区の拡大、入試の多様化(入学者を決めるとき校長の裁量権が拡大など)
理数系や国際系のコース、中高一貫校の設置など個性化をはかる
などが、六年間のあゆみでした。
この問題を、
PTA会長、塾講師、私学校長、教師、保護者、受験生が、それぞれの立場で発言しています。
立場は違うのですが、内容はみんな「不安」でした。
「学力の保障がない」「基準が不透明」「公立の私学化」「成果主義」「偏差値助長」
教育委員会は「過度期」といって自らの改革に一定の評価を下していました。
いろんな意見があって、そこから「いいもの」が生みだされることを期待します。

ただ、この中で一つ、とても気になる意見がありました。
それは有名私学の校長先生の意見の中に
「難関大学に進学させる」という保護者の期待に応える努力を続けたい、、、
と、ありました。
そして、その難関大学への前段階として選抜試験が「ものすごく難しい問題が出る」わけです。中学レベルの勉強じゃとても出来ない。下手すれば大学入試のような問題が出て、さらに凄いことはそんな問題をちゃんと解く中学生がいる、、、ということです。
そして、彼らは親と学校の期待に応えて難関大学に入っていくのでしょうが、
これって、健全とはとても思えません。
高校は予備校ではない。
感性が一番鋭くて、華やかで、活気のある高校生の大切な三年間を「難関校突破」目標に進むことは「得るもの」「失うもの」のバランスを考えた場合、どうなんだろう??
確かに「幸福切符」は手に入れることが出来るのかもしれないが、「幸福を感じることが出来る感性」を失うことになりはしないのだろうか、、、
ちょっと、考えた記事でした。
また、ご意見、感想お寄せください。

やじろべえ日記より転載

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