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January 21, 2010

脳のはたらきと子どもの教育を読んで、その5

シリーズで見てきた「脳のはたらきと子どもの教育」
いよいよ大詰めです。
最後は、
「能力・学力・人格」について考察していきます。
まず著者は「能力について」。
これについては概念じたいを定義することの困難を語ります。
遺伝か環境か?生来の素質か技能で習得したものか?
などなど、よく言われるところの「能力」ですが、これは見える能力と、隠れている能力があり、とくに隠れている、潜在的能力に言及すると、やっかいである。
と、著者は言います。
たとえば、能力をはかる学力テスト。
好成績をおさめれば問題はないが、仮に思っているより出来が悪い場合。
それは「そのテストが本人に向かなかったのか?別のテストでは能力が発揮出来るか???」
などなど討論の種はつきない。
故に著者はあっさりとこの手の追求はやめ、
システムとしての脳のはたらきについてみていきます。
素質を神経生理学的に理解すると、
「神経系や脳が生まれながらにして持っている解剖学的、生物学的特性」と言うこと。
たとえば音楽の素質、これは聴覚分析器と運動分析器との間の同時的総合と系列的展開の系を介した結びつきの形成と深化に関わると著者は言います。
そしてこのシステムは人が音楽活動に携わることで形成されていくそうです。
つまり、素質は誰でもある程度までは持っているが、その能力を伸ばすかどうかは環境によるというものです。
「環境」。
それは人類が幾千年かけて獲得した社会的文化的環境を、周囲の人々の力を借りて、自分のものにできるための道具として「遺伝的、生理学的、解剖学的基礎」を人はもっている。
と、言うのです。
さらに著者は前言で述べていた学力調査について書いています。
学力調査は、ひたすら第二ブロックの力をはかるために考案されたものである。
機械的知能をはかるためのものである。
知能検査に情意的なはたらきをはかる性格検査的側面が入ると検査の独自性がなくなる、ということからだそうです。
さらに著者は、この学力テストのもう一つの側面に「時間の速さ」があると言います。
限られた時間に問題を処理する能力のことですが、
これは運動能力とも大いに関係しているらしく、本当に子どもの理解力、つまり能力をはかることができるかは不明。
さらに、学校教育の現場では「人格」までもが、はかられるようになってきたことに著者は危惧を表明しています。
具体的な例でいうならば学習の評価に「態度や関心」があることです。

さて、最後の結びでは当然のように「子どもの能力は個人によって違うが、これは脳の発達も個人によって違うからであり、
教育は、これら子どもの状況をきめ細かくみていくことが肝要」というものです。


今回は教育について脳の発達との関連でみてきました。
今まで知らなかったことが分かり、なるほどと思い当たることも多く、
私としてはとても役に立ちました。

結論としてはあまりに普通ですが以下の通り。
幼児期の体験重視。
学童低学年期は反復、定着と音読、書き取り。
高学年はさらに意味を考えることを経験させる。
子どもそれぞれの発達が違うのは当然だから、一喜一憂せず、
ゆったり、おっとりと構えていきたいものです!!!

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脳のはたらきと子どもの教育を読んで、その4

坂野登さんの著書「脳のはたらきと子どもの教育」もあと、残すところ、
「学び取り」と「能力、学力、人格」の二つ。
では、早速「学び取り」についてみていきます。
まず著者は「進化の最高段階にある人間の脳」について確認。
脳の中で大脳皮質の占める割合が大きいこと、その中でも前頭葉の占める割合が大きく、左右の大脳半球が対照的ではなく、分化していることが、人間の言語、ならびに知的操作能力に大きな役割を持っていることを述べます。
ここで再確認。
第三ブロックと第二ブロックの共同作業が学び取りには大切である。
と、言うこと。
そして、いよいよ本題として学び取り。
これは学習すべき素材を自分の中で消化、わがものにすると言う過程のことだと著者は定義。
そのためには、まず学び取りたいと本人が十分に動機をもつことが必要。
ここで母国語習得について例として挙げています。
まず、子どもは母親(保護者)との感情的結びつき、共感を持つことで第一ブロックと、さらに第三ブロックが密接に結びつく。
その感情的支えが学び取りの基礎である。
ここでは、子どもの意識をさらにはっきりさせる、つまり記憶痕跡が確かに定着していると、次の情報にも対応が早い、と言うのです。
具体的には規則正しい生活を送らせる、ということです。
生活のリズム、自分の役割などなどを基本的な生活として学び取る。
これが第一ブロックの準備体制を整えることだそうです。
学び取りとは模倣。
ゆえに子どもは何回も試行錯誤する中で母国語を獲得していくようです。
その手段としては、「読むとか書く」は必須だそうです。
さらに著者は「詰め込み教育」について脳の見解から述べています。
それによれば、詰め込みは主に脳の第二ブロックに関係しているそうで、
本当に自分の中で消化、わがものに出来るのは、第三ブロックのはたらきによることが大きいと言うのです。
この後は私の私見ですが。
と、言うことは、子どもの発達段階を考えると、
第三ブロックが急速に発達する7〜8歳児以降でなければ、
高度な知的活動はまだ無理なのかもしれません。
幼児教育がガンガンと言われて久しいのですが、
この時期の子どもたちには、計算をやたらさせたり、外国語を覚えさせることよりも、母国語をしっかり定着させるとか、あるいはワクワクするような「体験」「経験」が必要なのでしょうか???
その後、就学期に入った児童の場合、低学年はまだ第二ブロック段階なので、
ドンドンと詰め込ませる(ひらがなとカタカナとか、簡単な計算とかとかのことですが)。
そして頭のポケットに情報を入れる。
その後、高学年になり第三ブロックが発達した頃は「意味」を考える時期にきているので、しっかりと意味付けをして教えることが効果的なのでしょうかねぇ???
なかなか参考になります。
尤も、これも一つの理論であり、個人差は当然あるので、一様ではありませんが、
子どもの発達についてきめ細かく観察しながら課題を与えることは必要だと思います。

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January 19, 2010

脳のはたらきと子どもの教育を読んで、その2

昨日に引き続き「脳のはたらきと子どもの教育」について、今日は計画性について読み解きます。
この計画性は今回は学校受験にのみピックアップしていきます。
学校受験の場合、親はたいてい、「良い学校」へと願うのですが、これは親の価値観の中では良い(たいていは偏差値が高いと言う意味)学校を出ると、
就職に有利で、それに付随するもろもろを勘案すると「幸せ切符」であると思っているのでしょう。
こうした図式が是か非かは、子どもによって違うので、一概に断定はできません。
が、いずれにしても、子どもたちは人生設計にあたり、目標をもち、その目標のために計画を立てます。
抽象的な思考と具体的な操作の両面をバランスよく行うことが大切ですが、
現実にはそうも行かない場合の方が多いものです。
子どものタイプによって認知のスタイルが衝動型の場合(直接行動型)と熟慮型(検討分析型)がありますが、この二つのタイプも発達とともに自然に熟慮型に移行していくことが多いようです。
ここで脳についての言及を著者は続けます。
つまり前頭葉が計画と密接な関係があることがすでに実験で分かっているというのです。
ルリアの目の研究とレービンの眼球運動の実験を引用しながら説明)
そして、計画性とは神経心理学で言うならば「第三ブロック」のはたらきと密接な関係にある。
計画、プログラミングの部分のはたらきは「まず行うべき行為を想像することから始まる」
行為の条件の空間的配列をもとに解決のための方略(ストラテジー)をとる。
そして、仮説が生まれる。
これらは一つの計画だけでなく、多くの計画と階層的に複雑に連なりながら進んでいくと言うのです。
と、言うことで、こうした知的行為の発達段階を次にみます。
1, 子どもに課題とその条件を熟知させ、課題にたいする予備的概念を形成する段階
2, 対象を用いて行為をマスターする段階。
3, 行為が対象からの直接的な支えなしに外言へと変わる段階。
4,  自分自身に向けられたが外言を含む段階
5, 内言を用いた段階。
この研究をしたのはガリペリンと言う心理学者です。
この段階は年齢とは無関係で、大人でも未知のことを習得する過程ではこの段階を踏むということです。
が、ここでは学校教育の現場にあてはめると、
4〜5歳から7〜8歳の子どもは直感的な思考の段階なので、
「実際見たものや絵、まあ情動的な文はよく記憶している」そうです。
計画性というよりは直感的、形象的であるこの時期は事態を分析したり論理的に推論することはまだありません。
こうした時期には「物質的対象に基づく行為」から始めることが効果があると言うことです。
たとえば、算数の「数の概念」を教える時は具体的事物、人物を想像しながら操作すると子どもには定着しやすいようです。
この繰り返し、つまり「基礎教育」をしっかりすることは、子ども自身が「計画性」を自ら育むための条件であると著者は言います。
次の11〜12歳になると具体的操作期に入り、
言語的、論理的な思考が急速に発達します。
この段階で「言語」がとくに大切です。
人と人とのコミュニケーションの道具として使われる言葉は、同時に自分の中での論理の構築としての道具でもあります。
この言語を内言として使う場合、本人の中では非言語的に行われている場合も、
あるいは完全な言語として考える時もありますが、
この言語が意思作用に関わるのは第二信号系だそうです。
この分野が「行為をやった自分を主観的に対象化、言語評価を与えることが」できるのは児童期、青年期に至るそうで、小学校時代は、
真に客観的な計画性が可能になる時期はまだ待つ必要があるということです。

そして著者は述べます。
「計画とは現在持っているあれこれの操作を利用して、新しい行為を作り出すための準備段階である。この中で重要な役割を演じるのは形象や表象、あるいは観念の形を使った、新しいものを創造するものとしての「想像」のはたらきである」と。

計画という知的な行為の支えというか、保障が想像というロマンであることを、
思うと、
なんと、人生ってヒラヒラと翻り、キラキラと輝いているものかと嬉しくなります。
今、
学校に就学している子どもたち、
とくに小学校時代を過ごしている子どもには、この時期が人生の大きな基礎作りをしていることを、
声を大にして伝えていきたい。
しかも、
その基礎とは、
想像すること、感じること、ワクワクすることなどなど、、、、
などであることを、
伝えていきたいと思うものです!!!

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January 18, 2010

「脳のはたらきと子どもの教育」を読みながら、、、

今日は「脳のはたらきと子どもの教育」と言う坂野登さんのかなり以前の本についてですが、読み進めていきたいと思います。
「はじめに」にも著者が書いているように「脳のはたらきと教育」について書かれた本は少ない。そこで子どもの発達の可能性を求めて、両者の関わりを見ていこうというのが本書の狙いということだそうです。
目次は、
1, 脳のはたらきと精神活動
2, 脳のはたらきと子どもの教育
と言う二部仕立てに各部もろもろの章がついています。
私はもう一度、子どもの可能性というか能力について考えていきたいと思い、第二部について分析していこうと今、本を手にとっています。
これからしばらくは、この本についてエントリーを挙げていきます。

まず「脳のはたらきと意欲」。
著者は「子どもたちの学習意欲とはなにか?」とまず問題をたてます。
それは「学習したいと思う気持ち」を意味しているが「学習の意思」とは違うと述べます。
意欲とは自然的な欲求や高次の欲求と関係した目的追求の行動をさしている。
意思とは欲求の中でもとくに高次のものをとりあげ、意識的で計画的な自発的自由選択行動をさす。
と著者は定義します。
そして、脳の構造(これは第一部で詳細に説明があります)
について述べ、子どもの発達と結びつけています。
たとえば、
精神発達に重要なものは髄鞘化減少というものだそうで、機能の分化により高度の活動が可能になるそうです。
6ヶ月では前頭葉の髄鞘化は進んでいない。
3歳になると中程度。
7歳児で第二ブロック連合野の髄鞘化が完成するが前頭葉ではまだ中程度。
7〜8歳は第三ブロックの発達に重要な転換の時期であり、子どもは自分でアレコレ考え言葉で定式化、行動することが可能になる。
と、著者は言います。
次の章は「発達へと導くもの」と言うことで、子どもたちにどのように接するか、導くかが述べられています。
ここでは主に子どもの学習意欲、欲求について機能的欲求であるにも関わらず身につかないとか、積極的に子どもが関わらないのはなぜかを分析。
三章の「意欲の意志的側面」では「言語」が重要な関わりを持つことを描いています。
子どもが自己中心言語を経て自分の思考の手段として内的に使うことができる6〜7歳の時期に学校生活を踏み出すわけですが、こうした発達を捉えながら、学校も受け入れる必要があることを説きます。
この時期は、子どもたちにとって規則や授業はやりたくないものであるが、それでもやらなければならないものへと変わる時期なのです。
具体的に四章で、各年代に分れて特徴が示されます。
次に目標設定や環境についての考察が続きます。

こうして読み進むうちに、以前「かけ算の順番」についてツラツラ書いたことを思い出しました。
かけ算導入時は子どもにとって7〜8歳。
学習課題に対する興味は新鮮で知識欲も旺盛な時期。
また、脳の発達では先にみたように第二ブロック優位から第三ブロック優位屁と転換する時期でもあります。
ただ、与えられたものを鵜呑みする時期ではなく、自分なりに理解しようと意識する時期であることを考慮すると、
やはり「演算の意味」をしっかりと教えていくことは重要なのだろうと改めて思うものです、、、
次回は「計画すること」「考えること」「能力、学力、人格」について縷々まとめていきたいと思います。
今日はここまで。

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January 04, 2010

かけ算の順番ってなんだろう?(追記あり)

以前かけ算の順番についてツラツラと考えましたと言うエントリーを挙げたところ、
多くのコメントが寄せられました。
ご意見を伺いながら、さらに考えるキッカケになり、とても刺激になったものです。
と、言うことで、イマドキの方にも本文のみ要約して転載しておきます。
さらに興味のある方は「枕草子」の方のエントリーでコメントなどご覧頂けたらと思います。

=============
かけ算を行う場合「学校教育の現場で、掛ける数も掛けられる数も順番が入れ替わっても間違いとするのはおかしいのでは」という疑問から、
海外在中の方が、
ご自分のお子さんの体験からアメリカのかけ算の考え方を紹介。
(この箇所だけでは、アメリカのかけ算の考え方は分からないのですが、あたかも、かけ算をたし算の延長のように教えているとしたら、それは問題では、、、と思いました。この教え方だと4×1、4×0、また分数や小数で子どもたちは戸惑ってしまいます)

さて、
私も基本的には、順番が変わっても「本質」は変わらない、と思います。
思うのですが、
では、現場の教師は「なぜ、順番が入れ替わると間違い」とするのか、、、
を、最終結論に見据えて、考察の手順として以下のように行います。
まず四則演算の意味について、
次に子どもたちの発達段階について考察を加えながら、先の結論へと書いていきます。

=====「四則演算の意味」====
たし算の意味は小学校では「合併、添加、増加」の3つです。
1番目の典型として「電車5台と電車3台をつなぐとみんなで何台」というような問題が合併です。
これは5+3でも3+5でもOKで交換法則が成り立ち、子どもたちの理解も速やかです。

次に添加。
「えきに電車が5台あります。あとで3台きました。えきには何台電車がありますか。」
などの問題です。
これは、5+3ですが、3+5、とはなりません。
この考えは理科の実験で試薬を作るときも同様です。
試薬を添加する順番があるからです。
添加を教えるときは「順番」は大切なのです。
どちらでもいい、という教え方をすると子どもは混乱するのです。

最後の増加は、「体重が去年から3キログラム増えた」などなどを扱うときの演算です。


引き算はたし算の逆思考で、
合併には求補。
添加には求残。
増加には求差と対応しますが、今回は長くなるので、引き算については、省略します。


かけ算の意味は3つあります。
1つは今では一般的になった「1あたりの数×いくつ分=全体の数」です。
2つ目は「基になる数×倍=比べる量」、つまり割合です。
3つ目は「長さ×長さ=面積。面積×長さ=体積」など新しい乗法単位を作るための演算です。
例は省略します。


割り算の意味は、「等分除、包含除、倍」の3つでかけ算の逆思考です。
まず典型的な割り算は等分除。
「みかんが12個あります。4人に同じ数ずつわけると、1人分は何個になるでしょう」というもので、かけ算でいうならば「1あたりの数を求めるものです」

包含除は「みかんが12個あります。1人に4個ずつ配ると、何人に分けられるか」というもので、かけ算のいくつ分を求める演算です。

倍は「比較量÷基本量=倍」というもので2量の関係を求める演算です。

以上が四則演算の意味です。

さて、
本来のテーマに戻るならば「a×bとしてもb×aにしても間違いではないのでは」と言うテーマについて考えるとき、
私は、これは「子どもの発達段階と不可分」では、と考えます。
つまり、
当該の問題で、教師が間違いとするのは「掛ける数と掛けられる数」の順番違いではなくて
「1あたりの数といくつ分」の違いを理解しているかどうかを指導しているのでは、と思うのです。
最初に公式として「1あたりの数×いくつ分=全体の数」と教えた以上は、
子どもたちに「1あたりの数」「いくつ分」と言う概念を混同することなく定着させるために、入れ替えた場合は間違いであると指導することで正しい理解をさせようとします。

「1あたりの数」という概念をしっかりと子どもたちに定着させないで、
次に進むと子どもたちは、割り算や内包量(速度とか濃度などなど)になるとグチャグチャになります。

教師はただ順番に拘っているのではなく、小学校で理解する算数全体を見通して、
かけ算の始めには、「1あたりのかず」、「いくつ分」を理解させようとします。
また、
面積の公式は「縦×横」、と教えますが、これは板書で書くとき縦の線を先に書くことが多いので、まず縦、次に横の線を書くので「×横」としますが、
横の線から先に書けば横×縦でも交換は可能です。
ただ、この順番にも拘る教師がいるとしたら、
その教師は子どもに「立体の名称」を定着させるために、拘っているのかもしれません。

いずれにしても、
中学では可能なことが小学校では制限される大きな理由の1つは、
「子どもの発達段階が具象から抽象へ、異質なものから上位の等質を導く力が未熟」であるとの分析からだと思います(もちろん、小学校でもこの段階を難なくクリアする子もいるし、中学、高校でも呻吟する子はいるので個人差があるのですが、一般的に、という意味です)

と言うことで、
当該の問題は現場の教師は、
「順番」に拘っていたのではなく、「1あたりの数、いくつ分という概念の定着」に拘っているものと考えます。
(教え方は教師によりさまざまですが、、、)

それにしても算数は難しい、、、
どこまで具体的に教えればいいのか???
教えるほうも、子どもたちの思いも寄らない新鮮(?)な反応に戸惑うことしばしです、、、
が、
いずれにしても、
教師自らが改めて「意味」を理解し、教えることの意義を考え直すことは大切だとしみじみと思いました。
==============

以上が以前のエントリーの要約です。
その後、私も折りにつけ対象年齢の子どもたちや保護者に「順番」について問い合わせるのですが、
存外、悩んでいない方が多いようです。
つまり「そんなもの」と言うことで割合、スンナリと受け入れているというか、、、
あるいは、疑問さえ思わないのか、
もっと別のことに問題を感じているのか、、、
それはその子その子でしょうが。
さて、
これに関してさらにさつきさんという方が遠山啓の水道方式について考察を加え、詳細に分析をしてくださいましたので、紹介しておきます。
こちらも是非ご覧いただけると嬉しく思います。


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