January 21, 2010

脳のはたらきと子どもの教育を読んで、その5

シリーズで見てきた「脳のはたらきと子どもの教育」
いよいよ大詰めです。
最後は、
「能力・学力・人格」について考察していきます。
まず著者は「能力について」。
これについては概念じたいを定義することの困難を語ります。
遺伝か環境か?生来の素質か技能で習得したものか?
などなど、よく言われるところの「能力」ですが、これは見える能力と、隠れている能力があり、とくに隠れている、潜在的能力に言及すると、やっかいである。
と、著者は言います。
たとえば、能力をはかる学力テスト。
好成績をおさめれば問題はないが、仮に思っているより出来が悪い場合。
それは「そのテストが本人に向かなかったのか?別のテストでは能力が発揮出来るか???」
などなど討論の種はつきない。
故に著者はあっさりとこの手の追求はやめ、
システムとしての脳のはたらきについてみていきます。
素質を神経生理学的に理解すると、
「神経系や脳が生まれながらにして持っている解剖学的、生物学的特性」と言うこと。
たとえば音楽の素質、これは聴覚分析器と運動分析器との間の同時的総合と系列的展開の系を介した結びつきの形成と深化に関わると著者は言います。
そしてこのシステムは人が音楽活動に携わることで形成されていくそうです。
つまり、素質は誰でもある程度までは持っているが、その能力を伸ばすかどうかは環境によるというものです。
「環境」。
それは人類が幾千年かけて獲得した社会的文化的環境を、周囲の人々の力を借りて、自分のものにできるための道具として「遺伝的、生理学的、解剖学的基礎」を人はもっている。
と、言うのです。
さらに著者は前言で述べていた学力調査について書いています。
学力調査は、ひたすら第二ブロックの力をはかるために考案されたものである。
機械的知能をはかるためのものである。
知能検査に情意的なはたらきをはかる性格検査的側面が入ると検査の独自性がなくなる、ということからだそうです。
さらに著者は、この学力テストのもう一つの側面に「時間の速さ」があると言います。
限られた時間に問題を処理する能力のことですが、
これは運動能力とも大いに関係しているらしく、本当に子どもの理解力、つまり能力をはかることができるかは不明。
さらに、学校教育の現場では「人格」までもが、はかられるようになってきたことに著者は危惧を表明しています。
具体的な例でいうならば学習の評価に「態度や関心」があることです。

さて、最後の結びでは当然のように「子どもの能力は個人によって違うが、これは脳の発達も個人によって違うからであり、
教育は、これら子どもの状況をきめ細かくみていくことが肝要」というものです。


今回は教育について脳の発達との関連でみてきました。
今まで知らなかったことが分かり、なるほどと思い当たることも多く、
私としてはとても役に立ちました。

結論としてはあまりに普通ですが以下の通り。
幼児期の体験重視。
学童低学年期は反復、定着と音読、書き取り。
高学年はさらに意味を考えることを経験させる。
子どもそれぞれの発達が違うのは当然だから、一喜一憂せず、
ゆったり、おっとりと構えていきたいものです!!!

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脳のはたらきと子どもの教育を読んで、その4

坂野登さんの著書「脳のはたらきと子どもの教育」もあと、残すところ、
「学び取り」と「能力、学力、人格」の二つ。
では、早速「学び取り」についてみていきます。
まず著者は「進化の最高段階にある人間の脳」について確認。
脳の中で大脳皮質の占める割合が大きいこと、その中でも前頭葉の占める割合が大きく、左右の大脳半球が対照的ではなく、分化していることが、人間の言語、ならびに知的操作能力に大きな役割を持っていることを述べます。
ここで再確認。
第三ブロックと第二ブロックの共同作業が学び取りには大切である。
と、言うこと。
そして、いよいよ本題として学び取り。
これは学習すべき素材を自分の中で消化、わがものにすると言う過程のことだと著者は定義。
そのためには、まず学び取りたいと本人が十分に動機をもつことが必要。
ここで母国語習得について例として挙げています。
まず、子どもは母親(保護者)との感情的結びつき、共感を持つことで第一ブロックと、さらに第三ブロックが密接に結びつく。
その感情的支えが学び取りの基礎である。
ここでは、子どもの意識をさらにはっきりさせる、つまり記憶痕跡が確かに定着していると、次の情報にも対応が早い、と言うのです。
具体的には規則正しい生活を送らせる、ということです。
生活のリズム、自分の役割などなどを基本的な生活として学び取る。
これが第一ブロックの準備体制を整えることだそうです。
学び取りとは模倣。
ゆえに子どもは何回も試行錯誤する中で母国語を獲得していくようです。
その手段としては、「読むとか書く」は必須だそうです。
さらに著者は「詰め込み教育」について脳の見解から述べています。
それによれば、詰め込みは主に脳の第二ブロックに関係しているそうで、
本当に自分の中で消化、わがものに出来るのは、第三ブロックのはたらきによることが大きいと言うのです。
この後は私の私見ですが。
と、言うことは、子どもの発達段階を考えると、
第三ブロックが急速に発達する7〜8歳児以降でなければ、
高度な知的活動はまだ無理なのかもしれません。
幼児教育がガンガンと言われて久しいのですが、
この時期の子どもたちには、計算をやたらさせたり、外国語を覚えさせることよりも、母国語をしっかり定着させるとか、あるいはワクワクするような「体験」「経験」が必要なのでしょうか???
その後、就学期に入った児童の場合、低学年はまだ第二ブロック段階なので、
ドンドンと詰め込ませる(ひらがなとカタカナとか、簡単な計算とかとかのことですが)。
そして頭のポケットに情報を入れる。
その後、高学年になり第三ブロックが発達した頃は「意味」を考える時期にきているので、しっかりと意味付けをして教えることが効果的なのでしょうかねぇ???
なかなか参考になります。
尤も、これも一つの理論であり、個人差は当然あるので、一様ではありませんが、
子どもの発達についてきめ細かく観察しながら課題を与えることは必要だと思います。

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January 19, 2010

脳のはたらきと子どもの教育を読んで、その2

昨日に引き続き「脳のはたらきと子どもの教育」について、今日は計画性について読み解きます。
この計画性は今回は学校受験にのみピックアップしていきます。
学校受験の場合、親はたいてい、「良い学校」へと願うのですが、これは親の価値観の中では良い(たいていは偏差値が高いと言う意味)学校を出ると、
就職に有利で、それに付随するもろもろを勘案すると「幸せ切符」であると思っているのでしょう。
こうした図式が是か非かは、子どもによって違うので、一概に断定はできません。
が、いずれにしても、子どもたちは人生設計にあたり、目標をもち、その目標のために計画を立てます。
抽象的な思考と具体的な操作の両面をバランスよく行うことが大切ですが、
現実にはそうも行かない場合の方が多いものです。
子どものタイプによって認知のスタイルが衝動型の場合(直接行動型)と熟慮型(検討分析型)がありますが、この二つのタイプも発達とともに自然に熟慮型に移行していくことが多いようです。
ここで脳についての言及を著者は続けます。
つまり前頭葉が計画と密接な関係があることがすでに実験で分かっているというのです。
ルリアの目の研究とレービンの眼球運動の実験を引用しながら説明)
そして、計画性とは神経心理学で言うならば「第三ブロック」のはたらきと密接な関係にある。
計画、プログラミングの部分のはたらきは「まず行うべき行為を想像することから始まる」
行為の条件の空間的配列をもとに解決のための方略(ストラテジー)をとる。
そして、仮説が生まれる。
これらは一つの計画だけでなく、多くの計画と階層的に複雑に連なりながら進んでいくと言うのです。
と、言うことで、こうした知的行為の発達段階を次にみます。
1, 子どもに課題とその条件を熟知させ、課題にたいする予備的概念を形成する段階
2, 対象を用いて行為をマスターする段階。
3, 行為が対象からの直接的な支えなしに外言へと変わる段階。
4,  自分自身に向けられたが外言を含む段階
5, 内言を用いた段階。
この研究をしたのはガリペリンと言う心理学者です。
この段階は年齢とは無関係で、大人でも未知のことを習得する過程ではこの段階を踏むということです。
が、ここでは学校教育の現場にあてはめると、
4〜5歳から7〜8歳の子どもは直感的な思考の段階なので、
「実際見たものや絵、まあ情動的な文はよく記憶している」そうです。
計画性というよりは直感的、形象的であるこの時期は事態を分析したり論理的に推論することはまだありません。
こうした時期には「物質的対象に基づく行為」から始めることが効果があると言うことです。
たとえば、算数の「数の概念」を教える時は具体的事物、人物を想像しながら操作すると子どもには定着しやすいようです。
この繰り返し、つまり「基礎教育」をしっかりすることは、子ども自身が「計画性」を自ら育むための条件であると著者は言います。
次の11〜12歳になると具体的操作期に入り、
言語的、論理的な思考が急速に発達します。
この段階で「言語」がとくに大切です。
人と人とのコミュニケーションの道具として使われる言葉は、同時に自分の中での論理の構築としての道具でもあります。
この言語を内言として使う場合、本人の中では非言語的に行われている場合も、
あるいは完全な言語として考える時もありますが、
この言語が意思作用に関わるのは第二信号系だそうです。
この分野が「行為をやった自分を主観的に対象化、言語評価を与えることが」できるのは児童期、青年期に至るそうで、小学校時代は、
真に客観的な計画性が可能になる時期はまだ待つ必要があるということです。

そして著者は述べます。
「計画とは現在持っているあれこれの操作を利用して、新しい行為を作り出すための準備段階である。この中で重要な役割を演じるのは形象や表象、あるいは観念の形を使った、新しいものを創造するものとしての「想像」のはたらきである」と。

計画という知的な行為の支えというか、保障が想像というロマンであることを、
思うと、
なんと、人生ってヒラヒラと翻り、キラキラと輝いているものかと嬉しくなります。
今、
学校に就学している子どもたち、
とくに小学校時代を過ごしている子どもには、この時期が人生の大きな基礎作りをしていることを、
声を大にして伝えていきたい。
しかも、
その基礎とは、
想像すること、感じること、ワクワクすることなどなど、、、、
などであることを、
伝えていきたいと思うものです!!!

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January 04, 2010

かけ算の順番ってなんだろう?(追記あり)

以前かけ算の順番についてツラツラと考えましたと言うエントリーを挙げたところ、
多くのコメントが寄せられました。
ご意見を伺いながら、さらに考えるキッカケになり、とても刺激になったものです。
と、言うことで、イマドキの方にも本文のみ要約して転載しておきます。
さらに興味のある方は「枕草子」の方のエントリーでコメントなどご覧頂けたらと思います。

=============
かけ算を行う場合「学校教育の現場で、掛ける数も掛けられる数も順番が入れ替わっても間違いとするのはおかしいのでは」という疑問から、
海外在中の方が、
ご自分のお子さんの体験からアメリカのかけ算の考え方を紹介。
(この箇所だけでは、アメリカのかけ算の考え方は分からないのですが、あたかも、かけ算をたし算の延長のように教えているとしたら、それは問題では、、、と思いました。この教え方だと4×1、4×0、また分数や小数で子どもたちは戸惑ってしまいます)

さて、
私も基本的には、順番が変わっても「本質」は変わらない、と思います。
思うのですが、
では、現場の教師は「なぜ、順番が入れ替わると間違い」とするのか、、、
を、最終結論に見据えて、考察の手順として以下のように行います。
まず四則演算の意味について、
次に子どもたちの発達段階について考察を加えながら、先の結論へと書いていきます。

=====「四則演算の意味」====
たし算の意味は小学校では「合併、添加、増加」の3つです。
1番目の典型として「電車5台と電車3台をつなぐとみんなで何台」というような問題が合併です。
これは5+3でも3+5でもOKで交換法則が成り立ち、子どもたちの理解も速やかです。

次に添加。
「えきに電車が5台あります。あとで3台きました。えきには何台電車がありますか。」
などの問題です。
これは、5+3ですが、3+5、とはなりません。
この考えは理科の実験で試薬を作るときも同様です。
試薬を添加する順番があるからです。
添加を教えるときは「順番」は大切なのです。
どちらでもいい、という教え方をすると子どもは混乱するのです。

最後の増加は、「体重が去年から3キログラム増えた」などなどを扱うときの演算です。


引き算はたし算の逆思考で、
合併には求補。
添加には求残。
増加には求差と対応しますが、今回は長くなるので、引き算については、省略します。


かけ算の意味は3つあります。
1つは今では一般的になった「1あたりの数×いくつ分=全体の数」です。
2つ目は「基になる数×倍=比べる量」、つまり割合です。
3つ目は「長さ×長さ=面積。面積×長さ=体積」など新しい乗法単位を作るための演算です。
例は省略します。


割り算の意味は、「等分除、包含除、倍」の3つでかけ算の逆思考です。
まず典型的な割り算は等分除。
「みかんが12個あります。4人に同じ数ずつわけると、1人分は何個になるでしょう」というもので、かけ算でいうならば「1あたりの数を求めるものです」

包含除は「みかんが12個あります。1人に4個ずつ配ると、何人に分けられるか」というもので、かけ算のいくつ分を求める演算です。

倍は「比較量÷基本量=倍」というもので2量の関係を求める演算です。

以上が四則演算の意味です。

さて、
本来のテーマに戻るならば「a×bとしてもb×aにしても間違いではないのでは」と言うテーマについて考えるとき、
私は、これは「子どもの発達段階と不可分」では、と考えます。
つまり、
当該の問題で、教師が間違いとするのは「掛ける数と掛けられる数」の順番違いではなくて
「1あたりの数といくつ分」の違いを理解しているかどうかを指導しているのでは、と思うのです。
最初に公式として「1あたりの数×いくつ分=全体の数」と教えた以上は、
子どもたちに「1あたりの数」「いくつ分」と言う概念を混同することなく定着させるために、入れ替えた場合は間違いであると指導することで正しい理解をさせようとします。

「1あたりの数」という概念をしっかりと子どもたちに定着させないで、
次に進むと子どもたちは、割り算や内包量(速度とか濃度などなど)になるとグチャグチャになります。

教師はただ順番に拘っているのではなく、小学校で理解する算数全体を見通して、
かけ算の始めには、「1あたりのかず」、「いくつ分」を理解させようとします。
また、
面積の公式は「縦×横」、と教えますが、これは板書で書くとき縦の線を先に書くことが多いので、まず縦、次に横の線を書くので「×横」としますが、
横の線から先に書けば横×縦でも交換は可能です。
ただ、この順番にも拘る教師がいるとしたら、
その教師は子どもに「立体の名称」を定着させるために、拘っているのかもしれません。

いずれにしても、
中学では可能なことが小学校では制限される大きな理由の1つは、
「子どもの発達段階が具象から抽象へ、異質なものから上位の等質を導く力が未熟」であるとの分析からだと思います(もちろん、小学校でもこの段階を難なくクリアする子もいるし、中学、高校でも呻吟する子はいるので個人差があるのですが、一般的に、という意味です)

と言うことで、
当該の問題は現場の教師は、
「順番」に拘っていたのではなく、「1あたりの数、いくつ分という概念の定着」に拘っているものと考えます。
(教え方は教師によりさまざまですが、、、)

それにしても算数は難しい、、、
どこまで具体的に教えればいいのか???
教えるほうも、子どもたちの思いも寄らない新鮮(?)な反応に戸惑うことしばしです、、、
が、
いずれにしても、
教師自らが改めて「意味」を理解し、教えることの意義を考え直すことは大切だとしみじみと思いました。
==============

以上が以前のエントリーの要約です。
その後、私も折りにつけ対象年齢の子どもたちや保護者に「順番」について問い合わせるのですが、
存外、悩んでいない方が多いようです。
つまり「そんなもの」と言うことで割合、スンナリと受け入れているというか、、、
あるいは、疑問さえ思わないのか、
もっと別のことに問題を感じているのか、、、
それはその子その子でしょうが。
さて、
これに関してさらにさつきさんという方が遠山啓の水道方式について考察を加え、詳細に分析をしてくださいましたので、紹介しておきます。
こちらも是非ご覧いただけると嬉しく思います。


Continue reading "かけ算の順番ってなんだろう?(追記あり)"

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August 16, 2006

自分で考えること

今の子どもたちは自分で考えることが苦手です。
真面目で努力家ではありますが、
「自分で考えろ」と言われると手探りです。
そんな子どもたちの一端を紹介いたします。


枕草子からの編集・転載です。
========

以前、子どもたちに、
実験算数を教えたときのことです。
〜〜〜〜〜〜〜〜
「みんな、机の前にある粘土で、まず自分の好きな物を、
作ってご覧。」
と、私。
子どもたちは、机の前に置かれた粘土をただ見ているだけ。
「どうしたの?」
と、再び私。
「、、、」
答えは返らない。
「どうしたの?なんでもいいから、、、作ってご覧。」
と、言う私に、一人の男の子が、
「本当にいいの?」
と、聞きます。
「勿論。」
私がそういうかいなや、
子どもたちは、セッセと作り出しました。
(ヨシヨシ)
私は、心の中でニンマリ。
しかし、、その笑みは、
すぐに凍りつきました。
子どもたちの作品を見て。
なっ・なぁ・んと
子どもたちは、
机一杯に、
うんち
を作っていたのです。
コネコネ二段型。三段重ね、マルマル型、、、
あっちのも、
こっちのも、
みんな
ウンチ。

あっxxxxxっっつ。

声も出ない私をよそに、
子どもたちの
生き生きしていること。
友達とワイワイ言いながら、
あるいは一人ニンマリと。

まぁ、私が好きな物を作って良い。
と、言ったのだから、子どもたちは間違ってはいないわなぁ。
そう、思ってしばらくは彼らに付き合いました。

30分くらい、好きに作らせた後、
「じゃ、今度は、立方体、
本当は正六面体っていうんだけれど、
サイコロの方が分かるよね。
作ってご覧。」
と、いうと、
みんなは、
自分の会心の作品(?)に別れを惜しみながら、
サイコロを作り出しました。
今度は、
課題を与えたので、
「きれいに」作ることに、苦心をするのです。
みてくれのいい、、、ものを作ろうと躍起になるのです。
「ここは、工作教室じゃないから、
そんなにきれいな物を作らなくてもいいのよ。
大事なことは、
サイコロって、6つの同じ面から、、、、」
私がどんなに大きな声で叫んでも、
だれも
聞いていない。
みんな、汗拭きふきやっています。

そうこうしているうちに、
時間は過ぎて、今回はここまで。
子どもたちは、
それぞれ、
出来、不出来はあるものの納得をして帰りました。
〜〜〜〜〜〜〜〜
今の子どもたちは、
「管理」されることが多いので、
「自分の好きなもの」という言葉に対して、
臆病なのです。
初めは、
おっかなびっくり。
しかし、
それが、許されることがわかると、
それこそ
「たが」がはずれたように、
自分の世界に入ります。
また、与えられた課題に関しては、
「これをやる意味」
なんてだれも質問をしません。
「どんな風に作るの?」
という質問は矢継ぎ早ですが、、、

これは、
私の小さな経験です。
この事実から全てを展開は出来ないし、
しようとも思いませんが、
こうした一面を持っている今の子どもたちということで、
ここに紹介をしました。

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夏休み自由研究

夏休みもあと10日あまり。
自由研究もそろそろ仕上げの段階に入ります。
昨年、枕草子に書いた記事ですが編集・転載いたします。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「簡単なこと、単純なことをやりなさい。」
「できるだけ、家にある材料を使いなさい。」
と、
幼い頃に疑問に思ったこと、
大人が「当たり前」と思って、流しているような疑問を、
もう一回、思い出して、それを調べたら良い、とアドバイスします。
たとえば、
「地球はなぜ青い」
「子どもは、どうしてうまれるの」
「空に雲が浮かんでいるのは、どうして」
「植物は、何を食べているの」
とかとか、、、
そんな単純な疑問を、もう一度、丁寧に考え、調べてみると、
「自分だけの自由研究」ができると思います。
本で調べるときも、結論を丸写ししない。
まず、その疑問を、思った「自分」というものを全面に出していく。
========
「私は、空になぜ雲が浮かんでいるか不思議でした。
そこで、本で調べたら、
雲は、水の塊だとわかりました。
そこで、天気と、雲の形について、考えました。
、、、、、、、、、、」
========
「自分の言葉」で書くことが、
何よりも大切です。
結論は、大人の方が知っているのだから、
「動機、きっかけ」を丁寧に考えて、書いていくと、
そこから、
何か違う物が見えてくると、思います。
また、お金は使わない。
あるもので、工夫しながら行うことも、大切です。
そして、
それこそが、
自由研究では、、、、
と、私は思いますが。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

独自の物を見つけることはなかなか難しいとは思いますが、
ほんのちょっとの「ひらめき」がユニークなものを作ると考えます。

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文を書く

夏休み。
子どもたちにとっては読書感想文をはじめとして絵日記、自由研究と何かと書くことが多い時期です。
と、言うことで
文章を書く。と言う事について、ちょっと考えてみました。
しかも自分の考えを相手に伝えるような文を書くことは、確かに難しい。

話し言葉ならどれだけでも話すことが出来ても、
いざそれを文に書き起こすとなると、大人でもすぐには書けません。
自分の思いや考えや感情の行ったり、来たりの中で右往左往しながら自分の意見を纏めていく作業は大変です。

思いつくままに、音が発するままに書いていくことは気ままで楽しい。
伸びやかにストレートに文字が原稿用紙を埋めていく。

空は青いよ。
いや、雨の日は鉛色だよ。
えええ????
鉛筆で落書きしたみたいだね。

とかとか勝手に無責任に書き綴ることは子どもたちにとっても、ちっとも苦ではない。
だがしかし、
こんな気ままな勝手な文さえも今、子どもたちからは消えていっている気がします。
「表現力」というモノサシが学校教育に入り込んでから、
子どもたちの表現・感性は評価の対象になったから、子どもたちは縮こまってしまいました。

子どもたちが書くことに、
指導なんていらない。
まずはとにかく書く、書く、書く。
思いつくままに、メモのように書いてください。
例えば、
好きなこと、キライなこと。
感動したこと、イヤだったこと。
楽しかったこと、怒ったこと。
どんなことでも「一言」だけでもいいのです。
どうしても書くことがなかったら「天気」でもいい。
晴れとか雨とか、、、
こうして一言メモを取ることで、
やがて観察力がつき、分析が生まれ、感激が沸き上がると思うのです。

まずは結果を気にせず
書くことから。
それが第一歩です!!

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January 11, 2005

今日から三学期

tori2

今日から新学期になった子どもたちは多いのではと思います。
お正月気分も終わり、いよいよ日常が始まります。
寒くて風邪が引きやすい上、今話題の食中毒などもあるので健康にはくれぐれも気をつけて無事三学期を乗りきってください。
三学期は一番短くて、行事も多いので瞬く間に終わってしまいがちです。
学校の勉強も、一年分の課題をクリアするため教師はかなり焦って、走るので、わけが分からないうちに、その単元が終わっていたりします。
常日頃から家での予習や復習をしっかりとしておくことが必要です。
頑張ってください!!!

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January 08, 2005

人はいかに学ぶか

受験生にとっては最後の追い込みのこの時期。
なにかと焦ります。
今、教えている子どもも二週間後に本番を控え、いま暗記の科目のおさらいです。
ことわざやら漢字やら年代を詰め込んでいます。
以前、中学生の期末試験の社会を教えていて思ったことを、ちょっと書いてみます。
範囲は地理で「マレーシア」と「フランス」でした。
ちょっと、ピーンとこない組み合わせ。
宗教や農業や工業などを覚えます。
子どもたちは、うすっぺらな覚え方しかしていないから、試験が終わったらスカッーと忘れます。
しばらくしてもう一度私が聞いたら「あれーーーそんなことやったけ?」と本気で聞き直します。
「おい、おい、、、試験の前にやったでしょ。あなたたちはまだ脳味噌がギシギシにつまっているんだから、皺がいっぱいあるんだから、忘れちゃだめよ。」
「先生の顔みたいに、皺だらけ?」
「うるさーーい」
こんなことを繰り返しながら「記憶の定着」に必死な私。
どうしたら、暗記が苦手な子に覚えさせ、なおかつ定着まで期待できるのだろう、、、
そこで、本棚に並んでいる本を漁ってみます。何か、解決がないか。ヒントがないか。
「人はいかに学ぶか」稲垣佳世子、波多野誼余夫(中公新書)
うーーん。いい題だ。手に取って見ると、

「第8章  知識があるほど学びやすい」
憶える、暗記するというのは、何も能力ではないのだ。その人がいかに自分の原体験に結びつけて理解できるかが大事なのだ。
たとえば一人の子ども。数学、理科は抜群。しかし、国語、社会はさっぱり。本人も周りも「あなたは典型的きな理科系ね。暗記が苦手ね」でおしまいにしていた。
だがしかし、理科だって暗記の所は山ほどある。しかし、その子にとって苦痛には感じない。つまりこの子は暗記の能力がないのではなく、社会の歴史や地理が生活の中にないだけなのだ。
(瀬戸流解釈)
そうか、、、やはり、そして絶対に子どもたちに「体験」をさせることが大切なのだなとあらためて思いました。自分の生活の中にどれだけのものがあるかが記憶の刺激の差になるのです。
どうぞ、みなさん、子どもたちに潜在ポケットにいろんな経験を入れてあげて下さい。
(あすなろ通信より)

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January 05, 2005

飛躍の年

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明けましておめでとうございます。
今年は酉年。
飛躍の年です。
空たかく舞う鳥、水辺で遊ぶ鳥、そして庭で草を食む鳥。
それぞれの鳥達。
しかし、優雅なその姿の影で、支えている足の動きがあることを忘れてはいけません。
見えない努力の結果、あの華やかで美しい姿があることは、
私たちに教えてくれるものが多々あります。
日々の地味な努力を大切に、今年も頑張って勉強をしていきたいものです。
どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。

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