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2004.04.30

国語教育の必要性

このところ、よくメールをいただきます。
それは、「作文教室」についての問い合わせです。
「子どもに どうのようにして作文を書かせるか?」と
いうことから、
「いかに人間として成長できるか?」
に至まで親の悩みは尽きないわけです。
そんな悩みの、一つの受け皿として
メールを私に送ってくださいます。
有り難うございます。

「学校教育の大切さ」を痛感しています。
今日は、瀬戸智子の実験教室 の「作文教室の扉」とにかく書こうの文を掲載します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


国語教育って難しいの一言につきます。
多くの子どもとお母さんが
「どうしたら、国語が好きになりますか?」
と私の所に聞きにきます。
この場合は多くは「すき」=「いい点が取れる」なんです。
確かに国語ってどんな風に勉強していいかわかりません。
とくに現代国語の長文にいたっては「おてあげ状態」
です。
出題者と自分の感性,自分の考えが合うかどうか、
ただこの一点にかかっていると云っても言い過ぎではありません。
仕方がないのでテスト勉強は「まあ漢字と文法くらいかな、、、」となります。
あとは「本を読む」くらいです。

以前、小学校4年生の子と、国語の問題集を勉強していたときのことです。
まず、長い文が書かれています。
(主人公の名前を変え、要約のみ下に書きます。)
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  
ここに心優しいライオンと、したたかなキツネがいます。
いつものようにキツネがやってきてライオンにいいました。
~なんて立派で強いライオンさん〜
キツネにそういわれると、ライオンは空に向かって一飛び。
そして子鳥を捕まえます。
その子鳥をキツネはしっかりと手に押さえ
〜ああ、、、なんて、強いライオンさん〜
と言いながら、ニヤニヤ笑いながら去っていきます。
キツネがいなくなると、ライオンは大きくため息をしました。
「ああ、今日も疲れたな」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

このような話がまず書かれていて、
次にいろいろ質問があります。
その中の一つ
「なぜ、ライオンは疲れたと思いますか?」

みなさんは何故と思われますか?
子どもたちはいろんな答えを出してくれました。
「やりたくないことをした」
「強いふりをした」
などなど
しかし、どの子も違っていました。
正解は
「ライオンが疲れたのは小鳥を捕ったから」
というものだったのです。

私はこの答えを見て愕然としました。
「こ、こんな、、、
こんな表面的な解答を子どもたちに求めていたのか」と驚きもしました。

作者が伝えたかった事は、はたしてそんな事でしょうか?
「本当は強いと云われているものの優しさ、悲しみ」
「心ないことをした痛み」だったのではないでしょうか。
複雑な心の機微、ゆれうごく気持ち、そんなあんなを
考える所にこの本の意義があったはずなのに、
「国語の問題」という洗礼を受けるとこんな具合になったのです。
あのような正解を「良し」とする子にはなってもらいたくないと私個人は思っています。

あれ以来、私は子どもたちに
「国語のテストにしゃかりきになるより、
自分で作文を書いたり、本を読みなさい」と声を大きくして言っています。

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2004.04.29

いま、改めて「吾が闘争」をここに見る

「吾が闘争」
そう、あのヒットラーが書いた自伝。
その中で彼は「デマ宣伝」がいかに政治的に巧妙にしくまれ、
利用していくかを克明に書いています。

「その(宣伝)効果は何時も感情だけを対象とし、
いわゆる知性に対しては
大いに制限を加える必要がある」
「宣伝上取り扱うべきいっさいの問題に対する態度は、
原則として
主観的に一方的に偏すべきだ」
「宣伝は、それが相手側の利益になる限りは、
客観的に真相を探求して
大衆に純理論的な真実を教えてやる必要はない」
「戦争の責任を論ずるには、、、、、、
一から十まで敵国に罪を負わすべきで
たとえ実際は
その様な経過でなくても。」
と続きます。
こうして、彼は政界に登り詰め、
ついには独裁者になったわけです。

改めて、いまの日本の現実に照らし合わせてみました。
まず、一連の人質問題。
もう一度、丁寧に、なおかつ冷静に考えて見ませんか??
物事の本質を知る前に「感情の暴走」がありませんでしたか?
次に小泉さんをはじめとして、国会議員の数々の暴言。
「なぜ小泉さんが、人気があるか?」という分析の中で
「ワン・キャッチ・フレーズ」という事がその一つにあげられていました。
〜感動した〜
〜ヨカッタ〜
に始まり
〜改革なくして成長なし〜
に至るまで
耳障りはいいが、中味のない言葉に
私たちは
幻惑されていたのではないでしょうか?
ポンポン出てくるワン・キャッチ・フレーズに
私たちは安心していた、、、

そして気がついたら、
いつの間にか自分で考えることを
放棄していたのではないか?
面倒くさいことを、論理的に一つ一つ積み上げていく作業を
停止していたのではないでしょうか??
(というよりも「停止させられいる」、という方が正しいのですが、、、)
ある事柄に対して、
その本質をゆっくりと見極める事、
そのためにいかなる事をやるべきか、、、
こうした骨の折れる作業、思考が
今、国民から奪われて来ている、、、

そんな感がしてなりません。

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2004.04.28

道義なき発言の果てにあるものは

「やっぱり、ただのオジサンだったんだ〜〜柏村さん。」
今日、朝のテレビ番組に渦中の柏村さんが出演。
さてさて、どんな風に強弁するか、あの「反日分子」発言を。
まぁ、後知恵だろうが、、、
と、思いながらも、興味津々で見ました。
見た感想は、最初に書いたとおり。
「テレビ宣言に出ていたときと同じただのオジサン」でした。
(地元広島では、この番組は、なかなか主婦の間では好評でした、、、
私もよく見ていました。
スゴ〜〜ク、ローカルなことを言うなら、あの頃より顔の相が崩れました。)
さて、今朝は見ている方が、ひたすら恥ずかしくなるような答えで、
「オイオイ、どうせ後知恵なら、もっとましな事言えよな、、、」
なんて思ったりして。

私は、この番組を見ながら二つのことを考えました。
一つは、言うまでもなく柏村議員、個人の「資質」についてです。
もう一つは、この発言がもたらす
さらなる行方です。

最初の問題、柏村議員の資質について、まず私の考えたことを書きます。

柏村さんは、オジサンと言うより、むしろ子どもに近い。その発想が。
それも、周りの波に乗って、自分では何も考えないいじめっ子。
「どうして、そんな風にいじめるの?」と
聞かれたら
「だって、みんながやってるから、、、」
と、答えるものの、内心は
「どうして、自分だけが責められるの?」
と不思議に思うそんな子どもです。

柏村さんは言う。
「みんなが言っているんですよ、、、
なんで僕を責めるんですか?
イラクに行っていない者は何も言ってはいけないのですか?
大方の人の意見なんですよ。
国が決めたことを守らなければならないんですよ、、、」と。

この人は、問題の本質がわかっていない。
みんな(?)が言うことと、
国会議員が、委員会で述べる発言との違いを。
もっと怖いのは
「自衛隊に賛成していたら、こんな発言はしない」
と、平然と言うことが何を意味するか分かっていない。
反日分子には「血税は使わない」と言う論理が通れば
その先に待つのは何か?
自分の言いなりになる者だけ、手厚く遇する人間に
たいしたものはいない。

人間としての質が落ちたな〜〜
と、感じました。

次に考えたことは、
こうした発言が出る背景と行き着く先です。
柏村さんは言ってみれば
「すてこま」なのかもしれない。
チョット、言わせてみて、国民がどれくらい反応するか、、、
情報操作の一つの先鋒として使われただけなのかもしれない。
私たちがどの様に、対応するかという指示薬の一つだったのか???

なにしろ、自分でも
「一つの石を投げかけたのです。」
と、言ってましたから。

そんなこんなを考えると、ただのオジサンの柏村さんの
発言は
「バカな」と笑い飛ばさず
きっちりと、異を唱えなければと思いました。

道義なき発言の果てにあるものが
ファシズムではないことを祈りながら、、、

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2004.04.27

この国で生き延びるには、、、

「この国で生き延びるには大臣になるしかない」
このところの政府首脳陣の発言をテレビで見ながら
思いました。

いいねぇ〜 大臣の皆さん。
プライバシーがあって。
かわいそうだねぇ〜 国民の皆さん。
自己責任があって。

いいねぇ〜 大臣の皆さん。
国民年金を払わないのは事情だそうで。
かわいそうだね〜 国民の皆さん。
国民年金を払わないのは罰則だそうで。

いいねぇ〜 大臣の皆さん。
飲み放題、食べ放題、やり放題。
かいそうだね〜〜〜 国民の皆さん。
払うのはみんな税金からだよ。

この国で生き延びるには大臣になるしかない!!

今度の参院選は他人なんかに票を入れずに
国民がぜん〜〜ぶ
自分自身に票を入れたらいい。

なにしろ
大臣は「自分の利益の代弁者」なのだから、、、
まちがっても
今の閣僚は
「国民のため」なんて思ってはいない。

今度、行われる選挙は
よ〜〜く
考えよう!!

(書きながら、なんだか悲しくなりました。(>_<))

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「嵐は木を鍛える」

ユリウス・フーチク。
日本ではあまり馴染みのない名前ですが、
ナチスに対してのレジスタンス運動を繰り広げたチェコ人。
最後は絞首台に上リました。
そこから呼びかけた言葉は

「全ての人類よ。警戒を怠るな!!」

です。
有名な本は
「絞首台からのレポート」があります。
地下に潜り、活動をして、捕まり、
監獄で、綴った手記です。
また、私の好きな本は
「嵐は木を鍛える」です。

これらの本の中でフーチクは言っています。
「私は何も筋金入りの活動家ではない。
私を支えているのは、
名もない多くの民衆たちだ。
ちょっとした伝言を伝えてくれる老婆。
公衆電話から連絡をしてくれる労働者。
ほんのちょっとした活動をとおして
支援してくれる多くの大衆、民衆がいることで
私は今、ここにある。
私は、光が好きだ。
この光が、空が自由が、
未来の人たちのためにあることを信じて
私は活動している、、、、」(意訳)

私たちが、当たり前と思っている
光、空、自由を
求めて、鮮烈に戦った人々がいたと
いうことを
忘れてはならないような気がします。

ひっそりと静かに
ただ暮らしていく、日々を過すことの
素晴らしさを改めて思います。

私はフーチクにはなれない。
しかし、それを支える大衆にはなれる。
やはり、私はここでもう一度言いたいと思います。

「どんな理由があれ、戦争は反対」
と。

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2004.04.26

我なき後に洪水は来れ、、、ってことなのかな??

ルイ15世の寵妃として有名なポンパドゥール夫人の言葉として
今に伝えられています。
平たく言えば
「自分が死んだ後はどうなってもかまわないよ」
そこから、さらに発展して
「今がよければ、いいんだよ〜〜」など
まぁいろいろ使われる便利な言葉(?)です。

今朝、ワイドショウを見ていたら
話題はもちろん年金。
滞納の三閣僚の断罪。
次に、今国会で審議通過可決されるという
年金法案。
私にはよく分からない〜〜〜
何回聞いても分からない。
なにしろ解説してくれる人も
「どうなるか分からない」と言っているのだから
素人の私が分からないのは当然かぁ〜
「100年後には、、、」
と、まぁ、100年後の話が取りざたされています。
この法案が通ると
100年後の年金受給が保証されるそうです(^^;
そして、その100年後のために、
今、少々(?)辛くても
年金を少し(?)高く、
支給を少し(?)低くなることを
我慢しなければならないそうです。
ただ、100年後のことはだれも知らないそうです、、、(???)
はぁ〜〜〜
言いたくもなるわけです。
「我なき後に洪水は来れ、、、って思っているでしょう??」と。

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2004.04.25

やってくれましたねぇ〜小泉さん

「純ちゃんと呼んだ私がバカだった」
去年の時事川柳の中で私の一番のお気に入り。
明日4月26日。
小泉政権が発足して三年。
ひときわ光彩を放って登場した小泉さん。
「何かやってくれるか〜〜」
「この不況をなんとかしてくれるか〜〜」
そんな期待の星でした。
「純ちゃん」「じゅんちゃん」と呼ばれ、
ポスターやグッズが売れまくり。
改革なくして成長なしの掛け声のもと、
不良債権バッサバッサと処理。
結果、痛みだけが残り、失業・倒産は激増しました。
次第に、
「これでいいのか?小泉さん」
と、疑問の声があがり、純ちゃんコールはなりをひそめ、
ついに冒頭の時事川柳。
「純ちゃんと呼んだ私がバカだった」と。
今ではもう、純ちゃんは死語。
さて、ここで小泉さん、何をやったか、もう一度おさらい。

まず生活に関して。
2002年。
老人医療費改悪。
雇用保険料引き上げ。
2003年。
健保サラリーマン本人三割負担増。
介護保険料引き上げ。
年金給付の物価スライド凍結解除。
発泡酒・ワイン増税。
雇用失業保険給付額削減。
タバコ増税。
2004年。
配偶者特別控除廃止。
消費税免税点引き下げ。
介護保険料引き上げ。
年金給付の物価スライド実施。

政治、国際では
イラク特措法を強行実施したことにより、
戦後、はじめて自衛隊が海外に派遣されました。

やってくれましたねぇ〜〜

さてさて、皆さんは、こんな小泉さんに何点をつけますか??

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2004.04.24

それでも地球は回っている

「魔術から数学へ」という本があります。
森毅さんという数学者が
「数学嫌いの思想好き」のために書いた本です。
この中ではたくさんの数学者が道案内をしてくれるわけですが、
私が気に入っているのは「ガリレオ・ガリレイ」その人です。
地動説を唱えて宗教裁判にかけられ
「それでも地球は回っている」と最後に言い残して、その場を去った。
あるいは、ピサの斜塔から物を落として「落下の法則」を発見した。
寺院のランプが揺れるのを見て「振り子の法則」を発見した。
等など、
今では「うそ」と言われている伝説が多くある、
あのガリレオ。
神話化と脱神話化の交錯する人物と、森先生は書いています。
個性的で、したたかなガリレイは、
私たちが今抱いている「悲劇の主人公」の
イメージとは、相当にかけ離れていたようです。
ただ、彼はその「科学」にかける情熱は、本物でありました。
この時代は、まだ「実験」が普通ではありません。
科学は「魔術」だったのです。
占星術のような学問が大勢を占めていた頃、
ガリレイは実験という方法で、近代科学を打ち立てていく
推進力になった人です。
著者はこう書いています。
「創造の過程においては、
しばしば逆説的な現象が見られるのが普通である。
科学の黎明期を、合理的精神だけが、
新しい世界観を作り出したと、考えるのはおそらく正しくない。
一種の非合理的精神もまた、時代の推進力であったのである。」と。
また、こうも書いています。
「時代の歯車が回るとは、激しい、むしろ不条理な動きにおいてだろうと思う。
宗教裁判が最も多く、魔女狩りが最もひどく、、そして
科学者が最も魔術的だった時代」
こうした時代であるからこそ、突出した科学が生まれた、ということでしょうか。
人が生きるとは、
不条理をも含めて「生き抜く」ことでると言う、したたかで、しなやかなエネルギーを感じます。
さて、
歴史を見るに、いつの時代も不透明で混沌としています。
しかし、こうした混沌から、大きなエネルギーが作られ、
次代へと引き継がれるのでしょか?
今、まさに私たちは
ひとつの時代を、駆け巡っている
そんな感がします。
好むと、好まざるに関わらざる
時代が次々に私たちに降りかかってくる
そんな感がするのです。

「それでも、地球は回っている!!」
と。

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2004.04.23

ジェンダーの中での性愛とは?

万葉集では、男女の性愛は大らかに、伸びやかに、
そして、みずみずしく謳われていました。

しかし、歴史に「階級」が登場する中で、
性愛は、「隠すもの」「私的なもの」として
家の隅に追いやられました。
そう、女性とともに。
その時々の時代に「はねっかえり」の女性が
出て、文学で名を馳せたりするも、それは
「男の目」としての「男女の愛」を語ることが多かったようです。
男性にとっても、女性にとっても、
「性愛とは何か?」という本質的な問題に触れることなく、
従って、その問題に関して「成長」することなく、
近代文明とともにやってきた「男女平等」。
それは、両性にとって、いきなりつきつけられた難問でした。
ある時はラディカルな女性たちが、
またあるときはコンサバな男性たちが、
「性愛」について次第に考えるようになりました。
「性」は解禁されたのです。
しかし、それこそ、未熟な「市民」にとっては、
重い問題でした。
事柄が、社会的な部分でありながら、
きわめて私的な部分に負うことが大きいからです。

アメリカの文化人類学者、マーガレット・ミード。
著書は「サモアの青春」「男性と女性」などです。
主にはサモア島、ニューギニア島、バリ島などに調査に出かけ、
「性差と文化」について、一つの理論を作りました。
男女とも穏和な部族、男女とも活発な部族、
女性が経済的な力を持つ部族などが観察。
その比較から両性の気質は
「生物学上の差」からくるのではなく、「後天的なもの」としました。
また、性愛についても、同様の意見を展開。
「両性の間にあるのは、生物学的な差以外のなにものもない」(意訳)
と言った言葉は有名。

その後のフェニミズム運動やジェンダーフリー運動の牽引の役割を示しました。
しかし、彼女の研究そのものに疑問を呈する学者もいたりして、
実際にサモア島やニューギニア島の部族が彼女の言うような
「男女の役割反対」の文化を持っているかどうかは、定かではありません。

私個人の意見を言うなら、
ミード以降発展してきたフェミニズム運動やジェンダーフリーは賛成です。
ミードの観察した部族が実際は、「男=狩り、女=育児」であったとしても、
それはミードの観察、研究が間違っていたことであって
(そんなことは研究の中では山ほどあることです。
ノーベル賞をとった研究でさえ、後の科学者から誤りを指摘されることもあります。)
そこから、導かれ、発展してきたイデオロギーまでも否定することはないと思うのです。

「性愛はそもそも排他的である、、、」
と言ったのはエンゲルスです。
歴史を顧みると、私有財産が女性の地位を低くして行った、
そしてそれは男性にとっても敗北であった、、、、とエンゲルスは言います。
両性にとって、真の意味でお互いが、なんの束縛からも解放される日が来たとき、
その時の両性が自分の伴侶を自分の価値で決めるだろう、、、と言っています。
エンゲルスはそこまでしか言及していません。
その時の当事者のみが知り得ることと、決める事としているのです。

では、未来において、自分の伴侶を決めるに当たり、何を判断基準にするのだろう?
地位でも、家でも学歴でもない。
顔?性格?
まあ、それは、その時の人に任せればいいのですよね、
エンゲルスさん。

ただ、いま言えることは
ゆっくりではあるが、確実に
歴史は動き、私たちは
「当事者である」ということです。

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クラブチームか代表か

21日、サッカーのU23代表がギリシアの同じくU23と親善試合を行いました。
結果は1−1の引き分け。
しかもロスタイム、終了間際ということで、ショックも大きかったような気がします。
試合内容については、
監督の戦術やら方法に、いささか疑問が残るものの
デモ(?)までは至らないようです。(^^;

さて、今日はクラブチームか代表かということで、ちょっと書こうかな?
でも、うまく書けるとは思いませんが、、、

私は広島サポです。
従って、広島の選手が出ていると嬉しい!!
先日はGKの林君。森崎兄弟と、なんと、なんと三人も広島から出ている。
涙、なみだ。
このところ、林君は代表では、いつもゴールを守っていて、
自信もついてきたようで、「切符は手に入れたかな」と思うのですが、、、
次に双子のお兄ちゃん。
私は誰よりも「美しいサッカー、頭脳的なサッカー、シャープなサッカー」ができると
思うのですが、しかし、しかし、監督は使ってくれない。
監督の戦術には合わないのだろうか?
後半、出場したのですが、
どうも、お兄ちゃんらしいプレーが見えない。
「お〜〜い、カズ。どこにいるんだぁ〜〜」
テレビに向かってしきりにカズを呼ぶ。
「出てきた、出てきた!!カズ。頑張れ!!」
しかし、パスがつながらなくてガックリ。
他の日本代表の選手が失敗すると、
「ヨシヨシ」
なんて、、、
オイオイ、いいのかよ〜〜
なんて、思ってひたすらカズを贔屓。
後半途中、別の選手と弟が交代。
解説者が言うには
「いやぁ〜〜森崎弟。今日は守備で頑張りましたね〜〜」

「えっ〜浩司は守備だったのか???」
と、解説者とアナウンサーに怒る。

なんだ、かんだで、試合は引き分けだったのですが、
実は私は内容はサッパリ見ていない自分に気がつきました。
見ていたのは「広島の選手だけ」だったのだ〜〜

もっとも親善試合だったからで、本当のオリンピックだったら
ナショナルチームを応援するだろうが、、、

と、言うわけで
広島ばかり見ていた私ですが、
他のサポもきっと、そうなんでしょうね。
サポはそうだろうけれど、選手はどうなのかな?
やはり、代表になりたいんだろうか??
クラブチームが火の車でも???

あ〜あ。
広島、、、
頑張れ!!

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2004.04.22

フェミニズム運動について

瀬戸智子の実験教室「やじろべえ日記」で、ジェンダーフリーやフェミニズムについて
以前書きました。
いろいろ、意見をいただいたので、
weblogでも、考えていきたいと思いました。
まず、以前書いた文に加筆修正して掲載します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

フェミニズム運動は難しい。
問題の本質が見えにくいからです。
「男女差別」はあるか?
と、問われれば
「ある」と大方の女性は答えると思います。
家庭、職場、学校、そして社会の中で
いろんな局面で、「差別」に遭遇するのです。
しかし、「ではどのように解決をすればいいか」という打開策、対応策について言及すると、
百家争鳴。百人いれば百人の答え、考えがあります。
なぜなら「男女差別」はあらゆる差別の中で全ての人が男、女に関わらず
公平に平等に受益、損益を受けている差別だからです。
(階級差別、民族差別、宗教差別、、、などの問題は
これらの関係者だけが差別に関している、という意味でです。)
世界の、日本のフェミニズム運動の流れを見ただけでも頭がクラクラ。
本流から支流ができ、いつのまにか本流が無くなりと、、、
あるいは初めの説が変節したり、なかなか大変です。
私個人の意見を言えば、
「フェミニズム運動」の流れの中で、女性が女性を攻撃していくという
悲しい論争だけはして欲しくないな、ということです。
例えば、「主婦論争」
働く女性たちにとっていちばん槍玉に挙げられる専業主婦。
「貴女たちが、そんな甘い考えだから、いつまでたっても女性の立場は低いのよ。」
と、言ってエリート女性たちは、女性の権利を拡張していきました。
しかし、その実、行われたことは「深夜労働、危険物取り扱い、、、、」
いろんな分野に女性が進出していく中で、「保護」されるべきものが見えなくなってきた感がします。
「保護」を求める女性たちを、同じ女性たちが「甘え」と斬り捨てていく、、、
その動きに翻弄されるのが、実は男性たちでもあります。
男性たちにとっても、
女性差別が、居心地のいいものでないことにソロソロ気がついてきました。
では、全ての人たちが手を取り合えばいい??。
しかし、問題はそう単純ではないのです。
そこに資本の論理が入ってくるから、
「男女差別は階級差別でもある」と私は思います。
未来の子どもたちによりよい物を残すために
不問に付してはならない大切な問題です。
社会全体が変わっていくには時間がかかります。
ただ、変わっているのも事実です。
諸々の問題を抱えつつも、世の中は次第にジェンダーフリーの方に動いています。
婦人参政権のない時代もありました。
女性が働くなんて想像もできない時代もあったのです。
ましてや「離婚」を女性の側から突きつける時代にもなりました。
ゆっくり、確実に「真の意味での男女同権」の時代に近づいていると信じたいものです。
勿論、逆行している方針や政策もあります。
その一つ一つに丁寧に対応していかなければなりません。
何回も書いているように
私個人はジェンダーフリーの立場に立っているのですが、
今の行政が指導する方法には疑問を呈しています。
いきすぎたジェンダーフリーは、定着しないというのが
過去のフェミニズム運動の示しているところです。
ともすれば、一つの視点だけにこだわると、全体が見えにくくなります。
次代を担う子どもたちにジェンダーフリーを教えることは大切ですが、
小手先だけのやり方ではかえって逆効果。
人間としての尊厳を教えること、
両性を尊敬すること、
などをまず伝えていくべきだと私は思います。
カワイイ、と思った女子には
感情のままに「カワイイ!!」と言ってもいいのではないでしょうか。
「もっと、ガンバレヨ、オイオイ」とはっぱをかけるときは
男子生徒に「もっと逞しく」と言っても、なんらおかしいことではないと思います。
「逞しさ、やさしさは作られたものである」と考える方が変です。
これは、個人の属性です。
まなじりあげて抗議する問題ではないと考えます。
ほかにもっと一杯考えるべき問題はあります。
例えば、就労のこととか、家庭のことなど、両性で協力していかなければならないこと。
人間という観点から出発していない教育現場の付け刃な方法はいずれ破綻するでしょう。
破綻して負の遺産をついでから、男女の尊厳、権利を子どもたちに教えることは大変です。

ここまで来ると、やはり私はいつものように
「オイオイ、文科省サン、もうちょっと親身になってくれよ〜〜〜」と不平を漏らすのです。
みなさんはどのように思われますか?

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映画「ロード・オブ・ザ・リング」を見て

以前、ここに「指輪物語とロード・オブ・ザ・リング」について書きました、
先日、トラックバックをいただいたので、
(TB有り難うございました)
今日は、ちょっと映画を見た感想を書かせてください。

「オモシロかった。」というのが
第一声です。
「よくできていた」
というのが、二番目。
「悪があっけなかった、、、」
は三番目の感想。

そして、我が家で話題になったのは「ゴラム」です。
子どもと私は「原作」を曲がりなりにも(曲がりなりは私です。子どもまで巻き添えにしてはいけない)
読んでいるので、
「ゴラムは可哀想。」でした。
あの映画からはゴラムの悲哀、葛藤、苦しみが伝わってきません。
迷いし者の「救い」に対する渇望。
孤独から身を守るために作りだした「第二の人格」
本当のゴラムは「安らぎ」をひたすら求めていたのでは、
と私は思うのですが。
そしてゴラムは「死」をもって救われたのです。
と、いうわけで私たちは「不満」でしたが、
夫は原作を読んでいないので、純粋に「映画」として楽しんでいました。
ゴラムに象徴される「悪」については
「あの描き方が一番いい」と言っていました。

まぁ、ゴラムの「悪」に感情移入しながらも
最後は、スカッーと全てが丸く収まる「ご都合主義」の映画に
それはそれで、十分楽しむことができました。
機会があればまた見てみたいと思います。

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2004.04.21

きみはサンダーバードを知っているか??

「きみはサンダーバードを知っているか」という本が
1992年「サンダーバードと法を考える会」編集で発行されました。
サンダーバードは、ご存じ、あのイギリスの人形劇の「サンダーバード」です。
民間の国際救助隊で、
人命救助のため、最新の機械を使った1〜5号機。
世界中至る所に救助に赴く隊員。
そして、あの音楽。
ハラハラ、ドキドキ。
そして無事救出。
嬉しくなります。

さて、本に話題を戻すなら、
この本は当時広島大学教授の水島朝穂さん以下6人の方が執筆しています。
この本が発行された1992年は、
「国連平和維持活動(PKO)等に対する協力に関する法律」が、可決、成立した年です。
同時に、自衛隊派遣を含む「国際緊急援助隊の派遣に関する法律の一部を改正する法律」も成立したしました。
ここに、自衛隊が海外に出動する道が開かれたのです。
当時は「災害、緊急援助」という名の下での、討論が繰り返されました。
しかし、この法律の本当に目指しているものが、違うところにある、と指摘する人たちは多くいました。
「日本はこの先どうなるんだろう、、、」
「なんだか、きな臭くなるのかな、、、」
いろんな声が出され、巷間に消え、
「災害救助」の自衛隊は、海外派遣を法律的に許されたのです。
この時、これから起こりうることを予見して、出されたのが
「きみはサンダーバードを知っているか」
です。
水島先生たちは本の中で書いています。
「本当に、政府の言う海外援助、人命援助なら
自衛隊ではなく、非軍事の救助組織がやるべきである。」と。
自衛隊が行くということは何を意味するか?
「人命優先より国家優先」
「信頼・自発・連帯より命令・服従・制裁」
「人命救助・建設より殺人・破壊」
「普遍的人間教育より特殊専門軍事訓練」
等などを検証して、
今後の進む道に「危惧」を表明しています。
そして、「非軍事救助組織」こそが地球を救うと明言(?)、提言しています。

そして十年後の今。
現実に自衛隊は海外に派遣されました。
人道支援という名の下で。

しかし、現実に自衛隊が人道支援をしていても
人は「軍隊」と思う。
武器を片手に、
水を差し出す人間に
心から信頼を寄せるものだろうか、、、
イラクの人々にとっても、あるいは他の国の人々、
また私たちにとっても必要なのは軍隊ではない。
必要なのは「災害救助隊」ではないかと、
あらためて思いました。

今、私は聞きたい。
総理。そのひとに。
「きみはサンダーバードを知っているか」と。
夢のような現実が実現すればいいなぁ〜と
ささやかな願いを込めて。

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2004.04.20

面とペルソナ

イラク人質問題が一段落(?)した感があります。
三人の人質の方が安全に戻って来られて何よりでした。
しかし、この事件のおかげ(?)で国際問題をはじめとして、
いろんなことが浮上しました。
忘れていた宿題を思い出して
慌てている夏休み終わり間近の子どもたちのよう。

そんな中で、今日は「匿名か実名か」について考えてみたいと思いました。
この問題も、今回はいろんなサイトやブログで取りざたされていました。
私の知人は、この問題が起きる以前から、「ネット上での実名、匿名」について深い洞察を加えた記事を書いています。
私はこの問題がマスコミやネットでバンバン流れている時、
なぜかいつも和辻哲郎「面とペルソナ」を思い出していました。
と、いっても本そのものを読んだわけじゃなくて、学生時代「国語」の教科書に載っていたものです。
その内容もさることながら
写真が私にはかなり強烈な印象でした。
写真は「般若」の面だったのです。
すべての感情(喜怒哀楽)を抜き去り、
「顔」そのものだけがある「般若の面」。
しかし、そこから流れてくる強烈なエネルギーは、
「素顔」よりも大きい。
喜びが、怒りが、哀しみが、そして楽しみ。さらには憎しみさえも。
まだ、若かった私は「怖い」と思いました。
(だからこそ、覚えているのでしょう、、、)
ペルソナにしてもそうです。
「人格」という意味と同時に
「仮面」という意味も持っている「ペルソナ」という言葉。
オペラ座の怪人がつけているのがペルソナです。
西洋では会いたくない人に、どうしても会わなければならない時、
「ペルソナ」を付けた歴史があるそうです。
ここからは和辻先生の本来の話からそれてきます。
(面とペルソナさん、お疲れさま)

実名か匿名かも同じような感がしました。
つまり、匿名の方がより強い感情、エネルギーを放出しているような感がしました。
なぜなら、匿名は「別の人格」になるからです。
私たちの中にはいろんな人格がいて、
そのバランスで、どうにか生きているわけです。
(有名なダニエル・キイスの本にも多重人格が出てきたりしますが、、、)
匿名という面を被ると、隠れていた人格が出てくるだけ、
あるいは出やすいだけなのです。
イラクの人質家族の方へ「匿名で嫌がらせをした人たち」への、
さらに「批判」として
「普段の自分の中での抑圧されている感情が、
屈折してより弱いものへの「いじめ」として表れている」
と、「素顔」のままのコメンテーターがテレビで言っていました。
私はこれを聞きながら、
「それって、今度は匿名で意見を言っている人へのイジメだ〜〜〜」
と、逆にひねくれてとれないこともないと、思ったりしました。
確かに、行き過ぎた「匿名諸君」は問題があります。
これは私も認めていません。
とくに言葉の暴力は、
言われている当事者もそうですが、
聞いたり、見ている人も「不愉快」になります。
「どうせ面を被るなら、もうちょっと素敵な知的な面を被れよな〜」
なんて思うわけですが。
しかし、一般の匿名の方は「真剣」に考えて、
なおかつ自分の意見に力を持たすために、
匿名という面を被っているわけです。
あるコメンテーターが言いました。
「自分たちがイラクにも行っていないで、
人質になった人のことを、とやかく言うな」って。
もちろん、その人は善意で発言しているのです。
行き過ぎた「匿名諸君」への苦言を呈したわけです。
私はそれを聞いてて、ちょっと皮肉な意見。
「自分がやらないことは何も言っちゃいけないのか、、、」
と、思いました。
それだったら、だれも言えない。

では、私個人は「匿名」についてどの様に思っているかというと
「必要」
だと思います。
匿名という面を被ることで、
自分自身の人格を自分で知ることができるから。
「へぇ〜〜私ってこんなこと考えていたんだ、、」
なんて新しい自分と出会えたら楽しいとは思いませんか??
ただ、それは自分においてのみ
自己を知りうる手段の一つだと思います。
本当に自分の主張や意見を相手に伝えたいときは
「素顔」でないと、
相手は信用しないから、、、
実際、面やペルソナを付けている人と話すのは、ちょっと警戒しますよね。

面を付けたり、外したり、
そう、サングラスや素敵なカツラをつけるみたいに
(サスケはず〜〜と面を被っている)
実名や匿名を上手に使い分けながら
自分と向き合うことができる「ネット」はやはり優れものなのでしょか、、、
同時、自分の生活圏内では絶対に出会うことのない人たちとの出会いも
ある世界を、上手に使って楽しまなければ「うそ」だと私は思います。
よく見かける掲示板での「討論」。
初めはいいのですが、次第に熱が入って
罵しりあいになったりする場合があります。
もし、ここに宮沢賢治がいたら、そんな人たちに言うだろうな。
「つまらないからやめろ」と。

今、私たちは「ネット」の黎明期に立たされているのでしょうか、、、
機械に試されている人間の知恵。
これは、オモシロくなりそうな予感。
どうせ、するなら、
お面でも素顔でも
楽しくやりたいものです、、、


〜「能すみし面の衰へ暮の秋」 高浜虚子〜

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2004.04.19

やっぱり欲しいんです。石油が(ブッシュの本音)

人質事件は日本人五人がすべて無事解放され、
まずはヨカッタと思います。
まだ、拘束されている方もはやく解放されることを心から願っています。

さて、いまアップ トゥ デートな話題は
アメリカがイラク統治を国連主導で行うとかなんとか言っているが
それは是か非かと、討論されています。

私はテレビと討論を見ながら(と、いうかず〜〜〜と以前から思っていたのですが)
「アメリカは石油が欲しかったんだなぁ〜〜」
と、改めて思いました。
歴史を振り返れば
ベトナムがそうでした。

どこかに、イイ国ないかな。
日本は思うようになるが「資源」がないからな、、、
どれどれ、
あっ、ある、ある。
石油、肥沃な大地、勤勉な国民。
こんなに素敵なものがそろっている国。
ベトナム。
欲しくて欲しくてたまらない。

(しかし、大儀なき力はいずれ放逐されるのは過去の歴史の示すところ。
アメリカはベトナムで負けた。
そして、アメリカは地球上の石油を求めてさらにさまよいます)

ついに、見つけた、見つけた。
中近東。
まさに石油の宝庫。
欲しい、ほしい
石油が。
独り占めしたい!!
もうベトナムの轍は踏まないぞ。
時間とお金をかけて、、、と。
独裁者を作り、テロ組織を作り、従順な国際社会を作り、
お〜〜〜舞台はそろった。
登場人物はすべて出揃った。
悪役も正義の味方も、みんな集まった。
さぁ、はじめよう。
「正義は我らの手に(石油は我らの手に)」
(あともう一歩だよ。石油まで、、もう少し。)

(そうして、幕は開かれ、舞台は始まった、、、
すべて予定通り。
悪は倒され、正義は勝ち、、、)
(あ〜〜〜石油まであと、もう少し。)
(しかし、ここへ来て、
シナリオのミスに気がついた。
登場人物にイラク国民を書き忘れた、、、)

あ〜〜〜なんとしたことか。
ベトナムの時もそうだったのに。
お〜い、このシナリオ作ったの誰だ。
こんな失敗作。
もういらない。
欲しいのは石油だけ。
えっ?
イラク国民の自由?
そんなこと最初から言っていないよ。
イラクのせ・き・ゆ

まぁ、仕方がない。
地方公演だったのだから。
また、どこか探そう。
幕は閉じよう。
あっ、「つづく」の札は出し忘れるなよ、、、


と、まぁ、私はテレビを見ながら思ったわけです。
無責任な「物語り」でした。

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2004.04.18

お〜〜いお〜〜いサンフレッチェ

昨日も引き分けサンフレッチェ。
ついに、やってきました。
最下位。

昨日の朝は、新しいサンフレッチェのTシャツを着て、気合い十分で迎えました。
午後4時からの試合に向けて、まず午前中用事を済ませました。
そして、午後からはネットで情報を見たり、、、
次第にドキドキ、ワクワク。
あ〜〜やっぱりドキドキの方が多いな。
相手はベルディー。14位。
はい、14位と15位の戦い。
ともにまだ勝ちに恵まれていない、、、
あ、、、今日こそは、やるぞ!!

2時から始まったチームの試合を見ると、なんと、なんと
あの山形恭平君(我が家では新潟恭平君と呼ばれている恭平君)
福岡で頑張っているーーー
活躍しているーーー
カッコウイイ!!
高橋泰君も大宮でかつやくという情報が入り、
ヨシヨシ。
よそへ行った選手が活躍しているのはとても嬉しい。
(ただし、直接対決の時はイヤ〜〜〜だけれどね)
お〜〜今日は行けるかな。

4時になって、いよいよ試合開始。
テレビの前での観戦。
でも気持ちはスタジアムと同じです。
応援マフラーを手元において、なぜかビールもおいて。
もう万全の備え。
ドキドキ、、、
ボールが大写しになってキックオフ。
ワァッ〜〜〜
スタジアムのどよめきが伝わってきます。

全体の流れは、絶対サンフレッチェの方にありました。
何回も大声出して、手を打って、足をたたいて(階下の方、ごめんなさい)
マフラーを回して、もう絶叫マシーン。
注目は田村君。
高卒新人で前節、Jリーグ初出場、4分でゴ〜〜〜ル。
優れ物。
期待の新人。
確かに、しなやかで、速くて、強くて、勘がよくて、ベリーグッド。
まだ体力は十分じゃないけれど、それはこれからの経験で十分カバーできること。
双子の森崎カズ、浩司の兄弟。
それから、個人的には大好きな服部公太さん。
サンチャン。
皆、なんとなく疲れていたかな?

それでも、試合運びは良かったと思うのです。
なかなか美しいサッカーでした。

なのに、なのに
点が
はいらな〜〜〜い。

どうして?
なぜ?

もっとも、ベルディーのサポも同じことを思っているだろうな、、、
自分たちの不運だけを大きく思うものだから。

それにしても、いつ勝てるのかな?
私個人は
サンフレッチェはどこよりも
う・ま・い
と、思っているのですが、、、

お〜〜い、お〜〜いサンフレッチェ
早く、起きろよ。
もう、日は高い。

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2004.04.17

煽られちゃいけないよ、、、

ほんのちょっと感じたことを書かせてください。

政府が今回のイラク人質事件で,どれだけのお金をかけたか発表する、、、
というような記事が出ました。
それで、人質になった方や家族の方に「お金を請求しろ」なんて声も出ています。

でもね、でもね。
税金の無駄使いをいうなら、もっと「年金の使い道」とか「高級官僚の天下り」とか、
まぁ、その辺りも「公表」してもらいたいと、私は思うのです。

この事件が起きる前は、私たちの関心は
「国の無駄使い」や「医療保険」や「年金」「消費税」だったのです。
景気のことも教育のこともいっぱい、いっぱいありました。

ところが、今回、この事件が起きて、その一連の流れが
「国」(自衛隊撤退)だったり、「個人」(家族のありかたなど)だったり、
そしてついに税金(自己負担しろ)になったとしたら、
これって、やはり「へん!!」。
「危ないところに自分から行ったのだから当然」という意見の方。
そうしたら、
私たちは地球上のどこにも住めない。
いつ、地震や災害が起こるかわからないのだから。
なにしろ、私たちは火山の上に住んでいるのですよ、、、
不測の事態というのは前もって測られないから
「不測の事態」というのです。
いわば、今回も災害、災難のようなものです。
国民が海外で「災難」にあっているのに、
(しかも、理由が本人には本来責任のないことだったのです。)
「お金がかかるから、、、」
という政府ってやはり淋しい。
総理の言う「不測の事態に備えて、憲法も、自衛隊も、税金も使います。
備えあれば憂いなし」
というのは
国民にのみ「犠牲」を強いる言葉だったのか??

私は政府の本当の狙いは、
私たちの不満を、あえて別の方に向けさせよとしているとしか思えないのです。

家族の態度や本人の言動なんて、
「本当のところ」はわからないのだから。
私たちだって、人と話していて誤解が生じることなんていっぱいあるんだから、、、
ましてや、メディアによって切り取られた一部の情報だけで判断しては行けないと、考えます。
家族が気に食わないから「費用」払え、って私たちが言えばいうほど
どこかでニンマリ笑っている「もの」がいるような、
そんな気がします。

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2004.04.16

たびは終わらない〜〜

まずは、ヨカッタ!!
とても嬉しい。
日本人三人の解放。
この激動の一週間。
いろんなことがありました。そして、これからもいろんなことが起こると予想されます。
中島みゆきさんではないけれど、
「たびはまだ終わらない〜〜〜」(ヘッドライト・テールライト)

しかし、この日本中を巻き込んだ「人質事件」
私は次のように考えました。
「一人ひとりが当事者であった」と。

本当に当事者であった彼ら三人。
そして否応なく巻き込まれた家族の方々。
自衛隊撤退と、現状維持の討論をした人。
戦争と平和について改めて考えた人。
イラクが身近になった人。
アメリカについて考えた人。
署名やメールで協力した人々。
匿名掲示板の盛り上がりに貢献した人。
税金のことやメディア リテラシーについても真剣に考えた人。
何もしなかったが、テレビ、新聞で関心を持った人々。
等々、、、

みんなが、それぞれの立ち場で、この問題に接したと思います。
それぞれの考えで接したと思います。
みんなが「当事者」であったと思います。

嵐のような一週間が過ぎました。
さて、落ち着いたら、
これからが「正念場」です。

これから、私たちはどう歩むべきか??

それは、
「今回のことを忘れないこと」
ではないかと私は思います。
自衛隊撤退派も現状維持派も、引き続き討論していく。
戦争と平和についてこれからも考える。
メディア リテラシーについて追求する。
匿名掲示板では、さらに盛り上がる。
(私個人は匿名掲示板は必要と思います。行き過ぎた言論はともかく
本当に自分の気持ちを吐露できる場は大切だから。)
税金の行方や政府のあり方をさらに考えていく。
時事問題に興味を持っていく。
等々、、、

そう言う意味で
「これは一つの事件だけれど、今後の大きな動きになる」
と、思います。

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2004.04.15

粘・弾性

今朝、夫に頼まれてスライムを作りました。
スライムは「液体と固体」の性質を併せ持つ、不思議な物体です。
子どもたちはスライムが大好きでよく作っています。
その手触りがいいのでしょうか?
さて、夫が今日スライムを使って何をしたかというと、
「粘弾性」というものを、学生に教えるためだそうです。
液体と固体の性質を決める一つの要素に粘弾性というものがあって、
液体なら「力に対してゆっくりと、変化」それこそ流れるように、、、これが粘性
固体なら「力に対して変形を加えながら元に戻る」そうです、、、こっちが弾性。

物体の持つ性質ってオモシロイ、、、
何気なく見過ごしている自然界の様々な事象。
もう一度、周りを見渡すと新しい発見がいっぱいあるのでしょうね。

先日も子どもたちが「太陽は地球の周りを回っている」と思っている子が4割もいるという話題がありましたが、
理科教育の充実は体験、経験だと思います。
スライムを触ってみて、あのなんともいえない感覚から、
未来の科学者が出るかもしれない、、、

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2004.04.14

消えた国立大学のその後は?

今年の4月1日から国立大学が消えました。
明治以来100年以上、日本の学問、研究の先進となっていた「学問の府」。
これからは、「独立法人」になります。
したがって、大学そのものはあります。
では、何がどのように変わったのか?
変わるのか?

まず、一番に気が付くことは「天下り」です。
実は文部官僚の天下り先として確保されたのです。
二十三大学(短大も含む)に文部官僚OBが「経営協議会の学外委員」として天下りしました。

次に大学への予算が減少します。
専任教員の人件費以外は1%の削減。
研究費が減らされると、研究者は企業などからの資金調達をしなければならなくなります。
企業と、大学とが結びつくことで、「基礎研究」はますます隅に追いやられます。

こうした事態から次の段階は当然「学費の値上げ」へと進みます。
学費は大学ごとに違いますが、10%までの値上げは許されています。
国立と私立との差は少なくなり、能力のある学生を得られにくくなります。

また、大学の付属機関へも影響は及びます。
教育学部の付属幼稚園、小、中、高等学校も学費が上がると予想されます。
医学部付属病院へのしわ寄せも必至です。

法人化されたことで、いろいろなところに影響が及ぶわけですが、
何よりも「真理の探求」を目指す次代の若者たちの受け皿がなくなったことは
危惧すべきことだと私は思います。

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歴史の検証

NHK大河ドラマ「新撰組」
ご覧になっていますか?
私は見ています。
感想は面白い。
人間模様が細やかに描かれていて、ドラマとしてはなかなかよくできていると私個人は思っています。
以前、新聞の投書欄に「新撰組はテロ集団である。そんな集団をドラマに取り上げると、歴史が間違ってとらえられる、、、」というものがありました。
う〜〜〜〜ん。
難しい。
新撰組を「いいもの」とも「わるもの」とも決めつけることは出来ない、と思います。
新撰組にかかわらず、なんだってそうです。
明智光秀だって、歴史が違えば英雄かもしれない。
古くは楠木正成と、足利尊氏だって立場が逆転していたかも知れない。
あるいは、もっと、もっと遡れば「日本書紀」と「古事記」だって、違っていただろうと思います。
どちらがわの立場に立つかで解釈は全然ちがうのだから。
そして、歴史とはつねに戦いなのだから「勝者」の論理が正論になっていくわけです。
新撰組も明治新政府のもとで「テロ集団」になってしまったが、江戸幕府が続いていたら「英雄」であったでしょう。
歴史の解釈に「いいもの」「わるもの」はないと思います。
あるのは「支配するもの」「支配されるもの」の二つです。
その時々で、どちらの側がどちらの立場であったかを、把握して学ぶことこそが「歴史を勉強する意味」であると考えます。
奇しくも、今日ブッシュさんが記者会見の席上
「自分達の行いがどうであったかは、後世の歴史家が決めるだろう」と言っていました。
確かに、彼が英雄になるか、ならず者で終わるかは今後の経過に待つところです。
しかし、いま、時代に生きている私たちは、いずれの立場に立つか、立たねばならないかと考えた時、
私個人は自由と言う名の正義を持って力で支配しようとする側には、立てそうもありません。

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2004.04.13

平和は眠りを許さない

「平和も、戦争挑発に対する実際的で聡明なたたかいとその克服なしには確保されないものであることを知らなければならない。
平和は眠りを許さない。
地球の全ての男女の運命がそれにかかわっている。最もまめな骨惜しみをしない人類的事業の一つである。」

この文章は宮本百合子の「平和は眠りを許さない」の一節です。
1948年、7月、終戦後間もない時期に書いたものです。
世の中は「平和」への喜びで活気ついている時。
百合子はこの時期、すでに「戦争への警鐘」をならしています。
平和というものは、与えられるものではない、勝ち取っていくものである。
また、それは守っていかなければならないものである。
ということを力強く、格調高く書き上げています。
いま、まさに
平和は眠りを許さない
この言葉が実感として迫ってきます。
連日、イラクでの死傷者の報道がされています。
その数は日ごとに増してきます。
日本は自衛隊を派遣しました。
そして、いま、イラクでは日本人の方3人が人質になっています。
「自衛隊を撤退してほしい」というイラク人の願いが乱暴な形で表れたのです。
他の国の人々も同様に誘拐されているそうです。
しかし、日本政府は「自衛隊は撤退しない」といいました。
理由は「テロに屈しない」というものです。
テロ?
では他国に土足であがり、他国の人々を蹂躙しているアメリカは何なのだろう?

私たちは「平和」の名の下に眠っていてはいけません。
平和なときこそ、その平和を守るために、声を上げ続けなければならないとヒシヒシと感じます。
先輩たちが、命をかけて綴ってきたものは
「再び、あやまちはしない」
ということではなかったか、、、

「平和」はジェスチャではない。
生きること、そのことである。    宮本百合子

この文は「瀬戸智子の実験教室」やじろべえ日記(2004/4/6)を加筆したものです。

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愛と哀しみのボレロ

フランス映画「愛と哀しみのボレロ」
見た方は多いと思います。
いろんな感想があることとは思いますが、私はこの映画からは
「戦争の虚しさ」を強烈なメッセージとして受け取りました。
4つの国から、4つの家族が、ラベルの「ボレロ」のもとに集まってくるのですが、
それぞれの人たちは、それぞれの過去を背負っている。
しかも、それは「戦争」に翻弄された哀しい過去である。
人は繰り返される過ちから立ち直り、さらに新しい過ちを作っていく。
ちょうど、ラベルの「ボレロ」のように、、、
はじめは小さくちいさく、、、
そして最後は怒濤のように、音楽は流れ、
人はまた新しい旅たちとともに、新しい罪を作っていく、、、
「戦争からは何も生まれない」ということを経験したばかりなのに。
私にとっては、愚かしくも哀しい人間への、せつない願いを込めた映画でした。

私の中ではまたボレロが響き出しました。
9。11の時も聞こえました。
アメリカのイラク攻撃の時はさらに大きく、
自衛隊がイラクに派遣された時はさらに早く
そして、いま
もっと大きく、早く聞こえてきます。

同じ過ちを
再びするのだろうか、、、

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2004.04.12

学校でのジェンダー教育について

先日、テレビ番組で「ジェンダー教育」について喧々諤々と討論をやっていました。
そこで、ちょっとジェンダーフリーについて、思いを書いてみました。
私個人としては、そもそものジェンダーフリーの動きには賛成だったのですが、
この頃の学校教育の中で伝えられることが本当ならば、
その行き過ぎたやり方には疑問を持ちます。
さて、
男女のあり方が今のような形になったのは、
人類の歴史の中では、実は最近のことです。

「婚姻史」の研究で有名な高群逸枝(色々批判の多い人でもありますが)によれば、
今のような婚姻形態、
つまり「嫁取り婚」というのは極めて新しい形なのです。
歴史の始まりは、すべてが共有でした。
いわば、原始共産性と言われるものです。
共有で自然に立ち向かわなければ生存はできない時代でした。
それは、「性」に対しても同様でした。
婚姻形態は、「群婚」でした。
氏族は、肩を寄り添って、小さな集落の中でお互いに協力して生活していたのです。
従って、このころ、子どもにとって存在するのは母だけです。
父はわかりません。完全に母系制です。
しかし、この母たちも今のような感性で我が子に接していたかというと、必ずしもそうではありません。
子どもたちも集団の中の共有の財産なのです。子どもにとって、多くの父と沢山の母たちがいたのです。
次に日本の婚姻史に出てくる形態は「妻問い婚」です。
大和朝廷が国を統一。
次第に貧富の差が出来、私有財産が作られました。
男にとって、「我が子」である確たる証拠を欲する時代がやってきます。
しかし、婚姻の形はまだ、母系制です。
男も女も自分の生まれた家で生涯を過ごします。
そして、男は女のところに通う。
子どもは女性の「氏」を継ぎます。
日本文学に出てくる様々な男女の美しい、そしてはかない愛が描かれているので、よくご存じと思います。
まだ、母系制の名残を残しながら次第に家父長制は歴史に台頭してきます。
その後、婚姻の形態は「夜ばい婚」を経て、
今の「嫁取り婚」に至るわけです。
そして、完全に「家」に支配される父権制へと変わっていったのです。

母系制から父系制への移行の中で、
女たちが、
そして男たちさえも「家」という力の前に押しつぶされ、
「個人」が消滅していった歴史。
厳然と「体制」が仕上がっていく過程。
それでも、民衆の内から迸ばしるエネルギーは、権力と言えども押さえることができない。
もろさわようこが言うところの「わわしいおんなたち」(たくましいと言うくらいの意味)が、イキイキと歴史の合間を縫って登場します。
そして、流れながれて「青踏」の時代がやってきます。
「原始、女性は太陽であった、じつに真正の人であった、、、」
と。
女性は目覚め、
与謝野晶子が「山は動く」と言い表します。
その後の婦人参政権をめぐり市川房枝さんの活躍などがあって今に至ったのですが、、、
その後の紆余曲折がありながらも、
女性も男性も次第に「性」に縛られない「人間」としての自我が確立していくはずだったのに、、、
それなのに、
なぜか、「今」はおかしい。
そして、
学校で行われようとしているジェンダーはもっとおかしい。
なぜなら、「差別と区別」は違うこと明らかにしないで、
ただお題目だけ唱えているような気がするのです。
上からの押しつけで、のっぺらぼうみたいな男女平等。
バランスを崩して一方的な男女平等。
これは誤まりだと私は思うのですが、、、
女性は「生む性」としての体の構造を持っている。
これは男性とは違う。
母性は保護しなければならない、ものと私は思います。
何年前に登場した、「男女雇用機会均等法」「男女共同参画法」
どれも耳あたりはいいが、現実には女性に厳しい法律であることは明らかです。
このままジェンダー教育がバランスを崩して浸透していけば、母性が侵害されていくような気がする。
学校の中で行われていこうとしているジェンダーの真の狙いは、「本当の意味での男女平等」ではなく、別の何かがあるような気がするのは、うがちすぎなのでしょうか?

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不思議な国  日本

日本という国は不思議な国だと思います。

第二次世界大戦後、アメリカのGHQによって戦後統治を受け、
日米安保条約を結び、
日本の中に、数々の米軍基地がある。
そして、「思いやり予算」とかで、膨大な税金を米軍のために使う。
アメリカのために、惜しみなく人とお金とを使う。

いうことには、
「日本を守ってくれるから、日米同盟は大切だ。」と。

一体、どこから守ってくれるんだろう?   疑問がフツフツと湧きます。
以前は、「ソ連」
今は、北朝鮮?中国?

それらの国から守ってもらうためには、
たとえ、自国民の命さえ、自国民のお金さえも差し出さねばならない。

何よりも日米同盟が大切だから。

私たちが今、住んでいる日本という国は本当に不思議だと考えれば考えるほど思います。

たぶん、世界中探しても、こんな国って少ないだろうな??

アメリカは、
戦後の日本復興、その後の日本との関係を
世界中の国にやりたいんだろうなぁ。
つまり、自分のいいなりに、思うように動く国つくりを。
ベトナムでも、中米でも、西アジアでも、とにかくどこでも、
アメリカの世界戦略のなかに組み入れて、「家来」にしたいのだろうな?

でも、こんなにウマウマと成功したのは日本だけ。

どうしてなんだろう?
どうして日本の場合、こんなにうまくアメリカはできたのかな?
日本民族が従順だから?
時代がそうさせたから?
島国で、そもそも民族、宗教の対立があまりない国だったから?
どうしてなんだろう?

本当に、どうしてなんでしょう?
日本が真に主権国家であるためには
もっと、もっとこの問題を考えていかなければならないと思います。

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2004.04.09

リセット

朝から、報道やネットでのみなさんの書き込み、意見などを読み、考えました。
「撤退すべきでない」
「撤退すべきだ」
「イラクにこの時期入った人たちの方が悪い」
などなど、、、

どの意見も「なるほど」「確かに」と思いました。
いろんな方の意見を参考にしながら、もう一度(これから、何度でも)確認しておきたいことがあります。
それは、
そもそもイラクに自衛隊を派遣したことが間違いであったのではないか、
という原点、出発点のことです。
はじめに派遣ありき
で、強行に突き進んだ自衛隊派遣
あらゆる危険が起こりうることは予想されていたはずです。
いま、その予想の一つが、行われているだけのような気がします。
これからだって、ドンドン起こりうることでしょう。(実際、砲弾が宿営地を狙って打ち込まれています)
もうイラクは立派な「戦闘地域」です。

意見の中に
「こんなところへいった人が悪い」と言う物がありますが、
それは論外のような気がするのです。
彼等でなくても「狙われる」のだから。
実際、「日本でテロが」なんて心配する声も上がっています。
また、「自衛隊は人道支援の為に行っている。」と声高に語る政府首脳やマスコミの一部論者。
本当に心からそう思っているのでしょうか???
人道支援なら、もっと違うやり方はイッパイあるはずです。

やはり、と、いうか当然出発点の間違い、矛盾がこうした形ででてきているのなら
もう一度、そもそもの原点(誤り)をリセットすることが先決ではないでしょうか。
その後、
何が一番、国際貢献(小泉さんの好きな言葉)かを考えても遅くはないと思います。

いま、政府がやることは
「自衛隊撤退」
今回の事件に拘らず、そうするべきだったのです。

何よりも「人の命」を大切にしてほしいです。
それは自国の人、他国の人に拘らず、、、

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小泉さんの股潜り

昨夜からのニュース「邦人人質事件」を見て、
何故か史記で有名な「韓信の股潜り」を思い出しました。
「大義の前には、目の前の屈辱に甘んじる」という意味で今は使われています。

韓信は若い頃、仕事にもつかず、ブラブラしていましたが、志は高く、剣術には優れていました。
ある時、町を歩いていたら、ならず者にからまれます。
本来の力をすれば勝てるのですが、
「そんなことはつまらない」と思って、ならず者の言うとおり、「股潜り」をします。(ここから、この言葉は生まれます。)
その後、本来の力を発揮して漢の高祖、劉邦をして「彼がいなければ天下はとれなかった」と言わしめた人物です。
しかし、その晩年は不幸でした。劉邦に「謀反の疑い」をつきつけられ、最期は反逆者として処刑されました。

小泉さんを見ていると、韓信と重なります。
もっとも韓信のような高邁な理想、熱い情熱があるとは思えませんが、、、
ブッシュに、すりより、ご機嫌伺いをして、国民の命より、ブッシュの方が大切な小泉さん。
「え〜え〜、ブッシュのためなら股潜りだってやりますよ。任せて下さい。」
とニコニコ顔のわれらが総理大臣。

こいずみさ〜〜〜ん。
韓信の最期は、信じていた主に一番目に粛正されたんですよ。
日本だって、こんなにアメリカの言いなりで、なりふり構わず「股潜り」していたら、最期はアメリカどころか、国際社会(どこにあるんだろう?)からも粛正されますよ。

こいずみさ〜〜〜ん。
一番大切なのは「自分の国の人々」ですよ。
彼等を犠牲にしてまで「しなければならない大義」なんてどこにもありません。

どうか、自衛隊を撤退して下さい。
アメリカになんと思われようと、国際社会にどう判断されようといいではないですか。
むしろ、ここで三人の人たちの命を選ばなかった場合の方が「負の遺産」は大きいと思います。

もう一度、お願いします。
三人の人たちを救って下さい。

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2004.04.08

子どもにまねさせたくない小泉さん。

こんな大人になってほしくな〜〜い人の一番目小泉さん。
理由は
頑固者。
頭がわるい。
弱い者のいじめの強い者びいき。
ウソツキ。
数えればきりがないので、後は皆さんに任せます。

昨日7日、福岡地裁は「小泉首相の靖国参拝を違憲」という判決をくだしました。
(この関連記事は、瀬戸智子の実験教室http://homepage3.nifty.com/jikkenn-kyositu/、やじろべえ日記にも掲載)
その判決を受けて
「なぜ、違憲なのかわからない。個人的信条で参拝しているから、今後も参拝します。」と記者団に述べました。

さて、ここからが私の論理の展開です。

一、「なぜ、違憲かわからない」という前半のコメントについて。
もし、仮に小泉さんが、本当に「違憲」かどうかわからないのなら、この人は歴史を知らない人、
日本語の解釈、理解ができない人、
公人である自分の対場が分からない人。
つまり頭が悪い人です。
次に、本当は「違憲」と知りながらも強行突破した確信犯なら、彼のコメントは嘘だから小泉さんは嘘つきです。
嘘つきは、さらに新たな嘘をつきます。
いずれの場合でも、総理大臣としての資質は問われる物と思います。

二、「今後も参拝します。」というコメントについて。
これは、司法に対する挑戦です。
裁判所が「違憲」と判決をしたにも拘らず、それを無視して今後も行うということは
「裁判の結果なんて大したことないさ、、ヘヘノヘ〜〜ン。」と首相自らが国民に示していることです。
犯罪者たちが、同様に
「なんで、罪なのかわかりません。自分の個人的な信条で行ったのです。今後も犯罪は犯すつもりです。」
と、言い出しても文句は言えないよね、、、コイズミサ〜〜ン。
と、いうことで、自分の信条はどんなことがあっても、だだをこねてやり遂げる分からず屋の子どものような頑固者。

三、「よその国から言われて変えるつもりはない。」と2004年、2月に行ったコメントについて。
おいおい、小泉さん。
それを言うなら「よその国」が違うでしょう。
アメリカに対してこそ言わなければならないのでは?
アメリカの言うことなら、国連さえも踏みにじる感覚の小泉さんが、中国、韓国に対しては冷たいねぇ〜。
あっ、そういえば日本はアメリカの植民地なのか、、、
これは失礼しました、小泉さん。
弱い者いじめの強い者にはしっぽを振る小泉さん。

まだまだ、ありますが今回は以上の点において考察を試みた結果、
こんな大人になって欲しくない、ナンバー1が
小泉さん。あなたです。

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2004.04.06

惑星直列

三月の末から2週間くらい、太陽が沈んだ西の空に月と、惑星が5つ直列に並びます。
私は、今日こそは見ようと、、、、決心して、太陽が沈む頃を見計らってベランダから西の空を見ます。
見えない、、、
見えるのは、墨絵のように濃淡あい混ざった夕暮れの空だけ。
う〜〜〜ん、
では玄関に出てみよう。
周り中がいろんな光に囲まれて良く見えない。
あ〜あ〜、前の東広島の家からならバッチリだろうな〜〜

オ〜〜〜イ。東広島のみんな。
ちゃんと、見ているかい??
しっかり、見ておきなさいよおおおおお。
いいな。見たらどんな風だったかちゃんと。教えてね。

みなさんは御覧になりましたか?
機会があれば是非太陽が沈んだ後の一時間ぐらいの間。西の空を仰いでみて下さい。

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2004.04.05

塩枕

今日姉から塩枕なるものが宅急便で送られて来ました。
ご存じでしたか?
塩枕。
私は実は知りませんでした。
そこで、ネットで調べたら、意外に検索にかかってくるのです。
「高血圧、腹痛、便秘、水虫、肩こり、、、、」
まあその効用が書いてあって、
なぜ、塩枕がいいか、、、という説明も書いてありました。
夫は仕事柄肩こりがひどいので、ちょっと今晩、試しに使ってもらいます。
(結果は後日、報告します。)
確かに、「塩」は体にはいいのでしょうね。
幼い頃、風邪をひいたら、母がよく「塩」と「ねぎ」を温めてガーゼに巻いてくれました。
それを首に巻くと、あったかくて、気持ちがよくて安心だったことを思い出します。
また、「塩は穢れを祓う」と言う意味もあるので、祭礼などにも使われたりしています。
果たして、この枕、効くか効かないか、、、
楽しみです!!

それにしても、このごろの健康ブーム、どんなものでしょうか???

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