国語教育の必要性
このところ、よくメールをいただきます。
それは、「作文教室」についての問い合わせです。
「子どもに どうのようにして作文を書かせるか?」と
いうことから、
「いかに人間として成長できるか?」
に至まで親の悩みは尽きないわけです。
そんな悩みの、一つの受け皿として
メールを私に送ってくださいます。
有り難うございます。
「学校教育の大切さ」を痛感しています。
今日は、瀬戸智子の実験教室 の「作文教室の扉」とにかく書こうの文を掲載します。
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国語教育って難しいの一言につきます。
多くの子どもとお母さんが
「どうしたら、国語が好きになりますか?」
と私の所に聞きにきます。
この場合は多くは「すき」=「いい点が取れる」なんです。
確かに国語ってどんな風に勉強していいかわかりません。
とくに現代国語の長文にいたっては「おてあげ状態」
です。
出題者と自分の感性,自分の考えが合うかどうか、
ただこの一点にかかっていると云っても言い過ぎではありません。
仕方がないのでテスト勉強は「まあ漢字と文法くらいかな、、、」となります。
あとは「本を読む」くらいです。
以前、小学校4年生の子と、国語の問題集を勉強していたときのことです。
まず、長い文が書かれています。
(主人公の名前を変え、要約のみ下に書きます。)
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ここに心優しいライオンと、したたかなキツネがいます。
いつものようにキツネがやってきてライオンにいいました。
~なんて立派で強いライオンさん〜
キツネにそういわれると、ライオンは空に向かって一飛び。
そして子鳥を捕まえます。
その子鳥をキツネはしっかりと手に押さえ
〜ああ、、、なんて、強いライオンさん〜
と言いながら、ニヤニヤ笑いながら去っていきます。
キツネがいなくなると、ライオンは大きくため息をしました。
「ああ、今日も疲れたな」
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このような話がまず書かれていて、
次にいろいろ質問があります。
その中の一つ
「なぜ、ライオンは疲れたと思いますか?」
みなさんは何故と思われますか?
子どもたちはいろんな答えを出してくれました。
「やりたくないことをした」
「強いふりをした」
などなど
しかし、どの子も違っていました。
正解は
「ライオンが疲れたのは小鳥を捕ったから」
というものだったのです。
私はこの答えを見て愕然としました。
「こ、こんな、、、
こんな表面的な解答を子どもたちに求めていたのか」と驚きもしました。
作者が伝えたかった事は、はたしてそんな事でしょうか?
「本当は強いと云われているものの優しさ、悲しみ」
「心ないことをした痛み」だったのではないでしょうか。
複雑な心の機微、ゆれうごく気持ち、そんなあんなを
考える所にこの本の意義があったはずなのに、
「国語の問題」という洗礼を受けるとこんな具合になったのです。
あのような正解を「良し」とする子にはなってもらいたくないと私個人は思っています。
あれ以来、私は子どもたちに
「国語のテストにしゃかりきになるより、
自分で作文を書いたり、本を読みなさい」と声を大きくして言っています。
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