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2004.04.29

いま、改めて「吾が闘争」をここに見る

「吾が闘争」
そう、あのヒットラーが書いた自伝。
その中で彼は「デマ宣伝」がいかに政治的に巧妙にしくまれ、
利用していくかを克明に書いています。

「その(宣伝)効果は何時も感情だけを対象とし、
いわゆる知性に対しては
大いに制限を加える必要がある」
「宣伝上取り扱うべきいっさいの問題に対する態度は、
原則として
主観的に一方的に偏すべきだ」
「宣伝は、それが相手側の利益になる限りは、
客観的に真相を探求して
大衆に純理論的な真実を教えてやる必要はない」
「戦争の責任を論ずるには、、、、、、
一から十まで敵国に罪を負わすべきで
たとえ実際は
その様な経過でなくても。」
と続きます。
こうして、彼は政界に登り詰め、
ついには独裁者になったわけです。

改めて、いまの日本の現実に照らし合わせてみました。
まず、一連の人質問題。
もう一度、丁寧に、なおかつ冷静に考えて見ませんか??
物事の本質を知る前に「感情の暴走」がありませんでしたか?
次に小泉さんをはじめとして、国会議員の数々の暴言。
「なぜ小泉さんが、人気があるか?」という分析の中で
「ワン・キャッチ・フレーズ」という事がその一つにあげられていました。
〜感動した〜
〜ヨカッタ〜
に始まり
〜改革なくして成長なし〜
に至るまで
耳障りはいいが、中味のない言葉に
私たちは
幻惑されていたのではないでしょうか?
ポンポン出てくるワン・キャッチ・フレーズに
私たちは安心していた、、、

そして気がついたら、
いつの間にか自分で考えることを
放棄していたのではないか?
面倒くさいことを、論理的に一つ一つ積み上げていく作業を
停止していたのではないでしょうか??
(というよりも「停止させられいる」、という方が正しいのですが、、、)
ある事柄に対して、
その本質をゆっくりと見極める事、
そのためにいかなる事をやるべきか、、、
こうした骨の折れる作業、思考が
今、国民から奪われて来ている、、、

そんな感がしてなりません。

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コメント

その通りですね。
高度情報化社会は思考とか判断とかを奪うのかもしれません。
自分も含めて、頭で考えて心で感じてない。
以下、私のページからの抜粋。

喫茶店でテレビが流れていたので、なんとなく分析してみた。
過剰な効果音と、これまた過剰なアナウンサーの喋り、そして同じカットの繰り返し、事実を伝えてても、ここまで扇情的にすると人間の脳に達した時は、固定化されたイメージが出来上がっている。”事実を伝えて真実を伝えず”ということである。

人間は楽をしたい。限りなく怠惰な生き物である。現代社会は非常に精神を酷使する。したがって心が疲れ果てている。テレビニュースというのは精神を疲労させずに事実を伝えようとする。そのためには真実を見極めようと考えさせるのではなく、始めから”ある特定のイメージ”を真実のように、脳の中に埋め込むほうが視聴者は楽なのである。

大衆に受ける番組作りとは、

特定の悪者を作り上げること。(悪者の存在が露わになることによって、自分という人間が善人に思われる。本来人間は両方持ってるんだが、自己の中の悪の存在は認めたくない。私は善も悪も時代や状況によって変わると思っている。私も含めて、どうしても物事を2つに分けたがる。曖昧なのはどこか気分がすっきりしない。悪者の存在は下記の怒りへと移行する。)
怒りの感情を誘発させる。(怒り=覚醒、脳の中のドーパミンが過剰になる。ドーパミンと覚醒剤はそっくりである。本当はもっと複雑な作用を及ぼすようであるがここでは簡単に説明しておいた。怒りを爆発させたあとは妙にすっきりしたり、爽快感が味わえたりするのはそういう訳ではないかと考えられる。間欠性激怒障害という、怒りに対して依存してしまうような病気もある。)
考えさせないようにする。(上記に記したように疲れるから。また真実を知ることによって、自分の罪深さや世の中の矛盾、理不尽さ、無力感が押し寄せて酷く気分が落ち込んでしまう。)

テレビばかりが悪いわけではないが、びっくりするぐらい思考が止まっている人がいる。そういう人に限って愚痴や無責任な批判が多い。私も偉そうなことは言えないが・・・

ゴールデンウィークに旅行に行く人は、ぜひ旅先で何かを感じ、電車や飛行機の中で読書でもして欲しい。

現代には何か足りないと思う人は、
池田晶子/14歳からの哲学 がお勧めです。
34歳の私が読んでもハッとします。

投稿: mossarin | 2004.04.29 15:35

mossarin さん。
書き込み有り難うございます。
ご紹介いただいた池田晶子さんの本
ぜひ読んでみますね、、、

それから、深い洞察に富むコメント有り難うございました。
本当に書かれていらっしゃる通りと思います。
「人はいつの間にか考える葦をやめて、
ただ風に揺れるままの葦になったのかもしれない、、、」
危惧すべきことですね、、、
では、またいろいろ教えてくださいね。
お元気で!

投稿: せとともこ | 2004.04.30 10:29

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