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2004.04.12

学校でのジェンダー教育について

先日、テレビ番組で「ジェンダー教育」について喧々諤々と討論をやっていました。
そこで、ちょっとジェンダーフリーについて、思いを書いてみました。
私個人としては、そもそものジェンダーフリーの動きには賛成だったのですが、
この頃の学校教育の中で伝えられることが本当ならば、
その行き過ぎたやり方には疑問を持ちます。
さて、
男女のあり方が今のような形になったのは、
人類の歴史の中では、実は最近のことです。

「婚姻史」の研究で有名な高群逸枝(色々批判の多い人でもありますが)によれば、
今のような婚姻形態、
つまり「嫁取り婚」というのは極めて新しい形なのです。
歴史の始まりは、すべてが共有でした。
いわば、原始共産性と言われるものです。
共有で自然に立ち向かわなければ生存はできない時代でした。
それは、「性」に対しても同様でした。
婚姻形態は、「群婚」でした。
氏族は、肩を寄り添って、小さな集落の中でお互いに協力して生活していたのです。
従って、このころ、子どもにとって存在するのは母だけです。
父はわかりません。完全に母系制です。
しかし、この母たちも今のような感性で我が子に接していたかというと、必ずしもそうではありません。
子どもたちも集団の中の共有の財産なのです。子どもにとって、多くの父と沢山の母たちがいたのです。
次に日本の婚姻史に出てくる形態は「妻問い婚」です。
大和朝廷が国を統一。
次第に貧富の差が出来、私有財産が作られました。
男にとって、「我が子」である確たる証拠を欲する時代がやってきます。
しかし、婚姻の形はまだ、母系制です。
男も女も自分の生まれた家で生涯を過ごします。
そして、男は女のところに通う。
子どもは女性の「氏」を継ぎます。
日本文学に出てくる様々な男女の美しい、そしてはかない愛が描かれているので、よくご存じと思います。
まだ、母系制の名残を残しながら次第に家父長制は歴史に台頭してきます。
その後、婚姻の形態は「夜ばい婚」を経て、
今の「嫁取り婚」に至るわけです。
そして、完全に「家」に支配される父権制へと変わっていったのです。

母系制から父系制への移行の中で、
女たちが、
そして男たちさえも「家」という力の前に押しつぶされ、
「個人」が消滅していった歴史。
厳然と「体制」が仕上がっていく過程。
それでも、民衆の内から迸ばしるエネルギーは、権力と言えども押さえることができない。
もろさわようこが言うところの「わわしいおんなたち」(たくましいと言うくらいの意味)が、イキイキと歴史の合間を縫って登場します。
そして、流れながれて「青踏」の時代がやってきます。
「原始、女性は太陽であった、じつに真正の人であった、、、」
と。
女性は目覚め、
与謝野晶子が「山は動く」と言い表します。
その後の婦人参政権をめぐり市川房枝さんの活躍などがあって今に至ったのですが、、、
その後の紆余曲折がありながらも、
女性も男性も次第に「性」に縛られない「人間」としての自我が確立していくはずだったのに、、、
それなのに、
なぜか、「今」はおかしい。
そして、
学校で行われようとしているジェンダーはもっとおかしい。
なぜなら、「差別と区別」は違うこと明らかにしないで、
ただお題目だけ唱えているような気がするのです。
上からの押しつけで、のっぺらぼうみたいな男女平等。
バランスを崩して一方的な男女平等。
これは誤まりだと私は思うのですが、、、
女性は「生む性」としての体の構造を持っている。
これは男性とは違う。
母性は保護しなければならない、ものと私は思います。
何年前に登場した、「男女雇用機会均等法」「男女共同参画法」
どれも耳あたりはいいが、現実には女性に厳しい法律であることは明らかです。
このままジェンダー教育がバランスを崩して浸透していけば、母性が侵害されていくような気がする。
学校の中で行われていこうとしているジェンダーの真の狙いは、「本当の意味での男女平等」ではなく、別の何かがあるような気がするのは、うがちすぎなのでしょうか?

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コメント

こんにちは。遊びに来ました。Fumです。ジェンダー教育に関しては同意見です。ただ、これは男が発言しにくい問題でもあります。何かいうと「だから男は」となっちゃいそうで。ジェンダーを無条件で肯定することは間違っていると思いますが、無条件で否定することもあまりにもバランス感覚を欠いているかなと。ま、この件に関しては控えめで。また遊びに来ます。では。

投稿: Fum | 2004.04.17 01:23

Fumさん。こんにちは。
書き込みありがとうございます。
そうか、、、ジェンダーって男の方には発言しにくい問題なのですか???
そうですよね。
改めて発見。
ジェンダーフリーは逆差別になったりもして、
あるいは、女性の中でも、いろんな意見があります。
一番槍玉に挙げられるのは「主婦」。
それぞれの立場、環境が違うので、なかなか大変です。
でも大切な問題だからこれからも考えていきたいです。
Fumさんの貴重なご意見も聞かせてください。
楽しみにしています。

投稿: せとともこ | 2004.04.17 18:40

トラックバックありがとうございます。
夫婦別姓資料館も参考にしていただければ幸いです。

投稿: 夫婦別姓を待つ身 | 2004.04.25 11:43

メール&トラックバックありがとうございます!!
お返事ってどこにかけばいいんじゃ?
と悩んでいる時間がもったいないので、ここに書いちゃいます。(勉強不足です、お許しを)
生まれたときから、男性と女性は脳のつくりが異なります。体も異なります。性役割もありますものね。
男性は男らしく、女性は女らしく。
おしつけなくとも、男の子は、正義のヒーローにあこがれ、女の子は、フリルフリフリプリンセスにあこがれます。
そういう性なんです。
もちろん、スカートをはきたがる男性もいて、親分肌の女性もいます。それもOK。
「平等」「平等」と上っ面だけすべるのではなく、男性と女性は違う、だから理解しあうことが大切ということを、
同じように、男女の差だけでなく、個の差があるということ、性差を超えて、人を命を尊厳する、それが一番基本だということを教えて欲しいものです。
まあ、世の中にでると、コンチクショって思うことにもたびたび出会いますけどね。

「僕と君はちがうから
君を好きになるんだね」

子ども番組で流れている歌のワンフレーズです。
子どもと一緒に大きな声で歌います。
私の好きな歌です。


投稿: ドロンジョ | 2004.06.04 03:15

はじめまして。私は今、卒論でジェンダーに関する授業実践を行っています。その為の資料を探していたらこのページにたどり着きました。
私自身、ジェンダーについて調べていくうちに「どこからがジェンダーなのか」という大きな疑問にぶつかりました。いまだに答えは出ていません。しかし、生物学的な性差ではないところで、性別によって生活様式やふるまいが縛られていくことには私は納得ができません。私自身、中学生のときに「おんなのくせに仕切るな」と言われたり、高校生のときには女子という理由で理系希望であったのに文系を薦められました。
性器の形が違うなど男女で異なる点は多々あります。しかし、それ以外の点で性別にとらわれてしまい、自分らしく生きることができない人がいるのであれば、問題ではないでしょうか。女性のみでなく、男性のなかでも「男だから」という理由で制約を受けている人がいないとは言い切れないと考えます。過度な性教育や押し付けのようなジェンダー教育は私も反対です。しかし、教員の卵として、これからの時代、一人でも多くの子どもが何かに縛られることなく自分を表現できるようになってくれればと願っています。

投稿: みっこ | 2004.09.14 14:53

みっこさん。
おはようございます。
コメント、拝見をいたしました。
私も、あなたのご意見に同感です。
仰るように、男性にとっても、荷の思い事であろうと想像します。
階級、身分とともに成立した男尊女卑の思想。
しかし、今、それが崩れようとしている社会の中で、
なお根強く残っている、その思想。
男性にとっても、女性にとっても、
これからが「試されてくる時期」を迎えると思います。黎明期でしょうか、、、
尚、
フェミニズムやジェンダーについては、
まだ、書いているので、もしお時間があればご覧ください。
http://ts.way-nifty.com/makura/2004/04/post_19.html

http://ts.way-nifty.com/makura/2004/06/post_29.html

http://ts.way-nifty.com/makura/2004/04/post_21.html

また、ご意見お聞かせ下さい。
学校の先生になられるのですか、、、
頑張ってくださいね。
応援しています。
私は、子どもたちに算数や理科の実験を教えています。
「瀬戸智子の実験教室」というHP 
http://homepage3.nifty.com/jikkenn-kyositu/
を作っていますので、またご覧ください。では、、、
お元気で。

投稿: せとともこ | 2004.09.15 10:55

学校でのジェンダー教育は行った方がよいと思います。
ただしその教育は、歴史に焦点をあてるべきです。
いつ、なんのために、男尊女卑の思想が入ってきたのか。それは合理性のあるものなのか。政治的な意図はどこにあったか。
そういうことがきちんと見えてくると、性の違いが本来は差別される対象にはならないことも自然と解ってきます。
歴史を知ることで初めて、取り巻く社会にとらわれない視点に立つことが出来るのではないでしょうか。

歴史を知らないと、差別される原因を延々と性の違いの中に探してしまいます。違いにばかり焦点を当ててしまったり、一方では違いをなくそうとしたり… 違いを探すのに熱心な人は、実のところ優劣の裏付けを探しているのかも知れません。だからこそ、それに対応して違いまでも否定する方向に教育が向かっているのかも知れませんね。

私は2つの性は互いに同じようにとても素晴らしいと思います。
しかしながら、その違いを毎日意識して生きる必要はないと思います。性は社会から押し付けられるものでもなく、強調されるものでもなく、能力を制限するものでもなく、ただ自然のものだからです。人として充実して自分の道を生きようとすることがなによりもまず一番大切で、その途中に出てくるジェンダーの壁を乗り越えるのに、歴史を知っておくことが重要な鍵になると思います。

投稿: ぼたん | 2005.08.26 10:23

ぼたんさん。
おはようございます。
コメント有り難うございました。
お返事遅くなってごめんなさい。
何やらバタバタしていて、、、

さて、本当に仰るとおりと思います。
>人として充実して自分の道を生きようとすることがなによりもまず一番大切で、

私もそう思います。
人として生きていく上で、性別や民族や宗教による違い差別はまったく必要ないと考えます。
大切なことは「如何に在るか」と思っています。
その指針として、歴史を学び、科学を学び、哲学を知ることの必要も感じています。
そんなこんなを思えば人生はあまりに短く、また楽しい。
まだまだ到達できない峰を目指して、自分なりのペースで歩いていきます。
これからも、お気づき、感想など教えてくださいね。
では、、、、また。

投稿: せとともこ | 2005.08.30 09:43

せとさん、こんばんは。
TB有難うございます。
色々参考にさせていただきます。
こちらからもTB返しさせていただきます。

投稿: 田舎の神主 | 2005.10.09 18:58

田舎の神主 さん。
おはようございます。
コメント、トラックバック有り難うございます。

ジェンダーの問題は、
極めて私的な部分に公が入ってくるので、一般化できない難しい問題です。
私も今までもいろいろ考えてきましたが、難しい。
フェミニズムやジェンダーについての以前の記事↓も、
もしお時間があればご覧ください。
http://ts.way-nifty.com/makura/2004/04/post_19.html

http://ts.way-nifty.com/makura/2004/06/post_29.html

http://ts.way-nifty.com/makura/2004/04/post_21.html

また、ご意見お聞かせ下さい。
では、、、また。

投稿: せとともこ | 2005.10.10 07:32

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受信: 2005.10.09 18:54

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