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2004.05.31

負け犬、勝ち犬論争について思うこと

「勝ち犬、負け犬」
この言葉から、あなたは、何を連想しますか?
言葉本来の意味はともかく、
「負け犬の遠吠え」酒井順子著(講談社)
という一冊のエッセー集が「時の話題」を作りました。
仕掛人の酒井さんは、軽妙なエッセーで、女性の心理をたくみに
描くコラムニストです。
すぐに読めるので、本屋さんの立ち読みで済ましている私。
酒井さん。ゴメンナサイ。
今度、機会とお金があるときは「買います」ねぇ。

さて、酒井さんは
「未婚、子なし、30代以上の女性」を負け犬と称して、
自らの体験から、その「生き辛さ」をユーモア(ある意味ペーソス)
を交えて書きあげました。
その本がくだんの
「負け犬の遠吠え」
どんなに仕事では一流でも、
独身の場合は、女性は生きにくい現実を、
どの様に、自分自身が納得して、付き合っていくか、、、
彼女は自らを「負け犬」と称すること、
肩ひじを張らないことによって、生きていく気安さを見つけました。
とは言え、ソレは処世術であって、彼女の本意ではないのでしょうが、、、
この本は負け犬のグループ
(?)からも勝ち犬の側(?)からも
共感を持って迎え入れられ、
一つの社会現象を生む言葉にまでなりました。

この論争(?)の行き着く先が、
どこにあるかは、さておき、
「主婦、母性保護」論争は今に始まったことではありません。
以前、このブログではジェンダーフリーについて書いたことがあります。
酒井さんが、投げかけたようなショッキングな表現ではないにしろ、
女性はどんなときでも、この二つの選択を余儀なくされながら
生きているのです。
「仕事か、結婚か」
「自分の生きがいをどこに見いだすか」
「家庭か自立か」
、、、、、、
とにかく、とにかく
女の人は未婚であろうと、既婚であろうと、
人生の生きがい、仕事、幸せと結婚との天秤を測らなければならない
状況におかれているのです。
男性なら、
「この女性と結婚するか」
ということでは、その岐路に立った時考えます。
「この人と結婚して仕事をやめるかどうか、、、」
と、考える男性は少ないでしょう。
しかし、女性は、
その人が、どんなにそれまでの人生で、
スバラシイ才能と仕事に恵まれていても、
結婚という選択のなかで、失うものもまた多い、
ということを、知っています。
(雅子妃はまさにその一番の例かな???)

こうした、分かれ道の一つひとつの中で、
女性は、
自分自身を、
また同性の女性を敵にして、
生きていかなければならない時代が長く続きました、、、
また、自分の内なる者を封印して、ひたすら耐えなければならない時代を
固唾を飲んで、過ごしてきた私たちの先輩たち。
人はどんなときでも
自分の「幸せものさし」が欲しいのだから、、、
(そして、この多くは人との比較の「幸せものさし」であることが問題なのですが。)
こうして、女性どうしが、
お互いを「勝ち」「負け」と決めることで、
両方の側にとって、気楽になる解決策を見つけてきました。
しかし、両方の立場でも、
自分の足元がおぼつかないことは認めながら。
楽に生きていく「生き方の知恵」が、
本来「間違っているもの」であることを、
「生き方上手」ではないことを、
両方の立場の女性が、実は知っている。
そして、この一番大きな罪は、
女性たちがお互いを認め、手を結ばない社会現象の中では
男性もまた、
被害者であることを、
男性は知らなければならない。
と、私は思います。
なぜなら、
女性はどちらの立場に立っていても、
「人間として生きたい!!」という内心の秘めたる叫びを、
持ち続けているのだから、、、
たんに女性を「性の対象」としてのみ、
「わが子」をうむ者としてのみ、考えていた時代。
ソレは、本当の意味、男性にとっても不幸でした。
「人」としての尊厳を、敬意を相手に払うことによってのみ、
相手からも、同様に尊敬、敬意、愛情を受けるものであるから。

そうした意味では、
今、女性も男性も、
多様な価値観の中で、もまれながら、
相手にのみ、「忠誠」を誓わせる愛を求めすぎているのだろうか?

両性にとって生きることが
楽しくて、豊かな時代は、
まだ、しばらく待たねばならないような気がします。

しかし、しかし、
来るべき、そういう時代のために、
いま、私たちは、
鍛えられているのでは、、、と思うのです。

そもそも、
人の生き方に「勝ち」「負け」が本来は無いことは
みんなだれでも知っているのだから、、、

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2004.05.29

君  死にたまふことなかれ

与謝野晶子は歌う。
戦争に行く弟のために。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ああおとうとよ、
君を泣く 君死にたまふことなかれ
 末に生まれし君なれば  
 親のなさけは まさりしも
 親は刃(やいば)をにぎらせて
 人を殺せと をしへ(教え)しや
人を殺して死ねよとて  
二十四までを そだてしや
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

我が子に「人を殺せ」と教え、
育てならなければいけなかった時代。
どんなにか親は悲しかったろうか、、、

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 堺の街の あきびとの 
 旧家をほこる あるじにて
 親の名を継ぐ君なれば 
 君死にたまふことなかれ
 旅順の城はほろぶとも 
 ほろびずとても何事ぞ
 君は知らじな、あきびとの 
 家のおきてに無かりけり

 君死にたまふことなかれ、
 すめらみこと(皇尊)は、戦ひに
おほみづからは出でまさね  
かたみに人の血を流し
 獣の道に死ねよとは、
 死ぬるを人のほまれとは、
大みこころの深ければ 
もとよりいかで思(おぼ)されむ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

死んでいく人、
大義のために死んでいく人、
名誉と叫ぶ残された者の悲しみ。
その心の深くに折り込まれた襞は、
一体、何か知るよしはない。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 ああおとうとよ、
戦ひに 君死にたまふことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに  
おくれたまへる母ぎみは、
 なげきの中に いたましく
 わが子を召され、家を守(も)り
 安しときける大御代も
  母のしら髪(が)は まさりぬる。

暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
 あえかにわかき新妻を
君わするるや、思へるや 
十月(とつき)も添はで わかれたる
 少女(をとめ)ごころを思ひみよ 
この世ひとりの君ならで
 ああまた誰をたのむべき 
 君死にたまふことなかれ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
送る者、送られる者、
そして行く者、来る者。
愛する者、恋する者。
立場は違っても、
その思いは同じ。
心の中に深く、静かに、
そして激しく織り込まれた、
「生への執着」
「生への情熱」
「生への慟哭」
与謝野晶子は、歌い、綴りました。
                                                           
悲しい事件が続きます。
胸がふさがれるようなことが、
連日、れんじつ、、、
報道されます。

今、地球上のどこかで、
「戦争」という名の悪魔のために、
尊い命を亡くした全ての方に、
哀悼の意を。
今、戦場に赴いている全ての方に、
「君、死にたまふ事なかれ。」
と、大きな声で叫びたい!!

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敵にロマンを

今朝、子どもと漫画、小説、ゲームの話で盛り上がりました。
なかなかオモシロイ話だと私は思ったので、
いつものように、会話中心で紹介します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「この頃、ナ○トあんまりオモシロクないんよ。」
と、息子が少年誌の人気漫画の名を挙げて言います。

「どうして??」
「闘いのシーンばっかりで、疲れるんよ。」
と、息子。
「なるほど、、、ソレってあるよねぇ。やっぱり緩急付けて欲しいねぇ。」
「うん、敵のオロチ○が、どうして、悪、なのかそれなりの理由が欲しいんよ、、、」
「ほぉ〜〜」
と、私は肯く。
「その点、”るろうに○心”は敵にも物語があって、
ナルホドと感情移入できるんだけれどね、、、」
息子は別の漫画と比較をする。
「なるほど、なるほど。
ソレって、ゲームの三国○双にも言えるよね、、」
と、私はゲームに話を持っていく。
「そうそう、あれもいろんな国の話があって、なかなかオモシロいんよ、、」
「う〜〜〜ん。そうか!!やっぱり、敵キャラの魅力って大事だよね。」
「そうなんよ、、、」
と、息子が同意。
「と、すると、グインサー○も、この頃、主人公に魅力なくなったな、、、」
私は以前、はまっていた小説のことを思い出して言うと、
「しかし、そこへいくと、十二○記はオモシロいよね、、、
敵にもそれなりの訳があって、、、」
と、我が子が乗ってくる。
「そうか、、、じゃ、指○物語は?」
と、私は今、話題の物語を言うと、
「あっ、あれは昔だから、、、
あの頃は敵はひたすら悪いんよ、、、」
「なるほど、桃太郎さんと同じだね。」
と、私はなぜか閃いた昔話の名を口にする。
「うん、でもね、、、
今はそれではダメなんよ。敵にも、人間を投影していないと、
長続きしないんよ、、、」
「なるほど、いいこと言うねえ。」
私は感心して聞いてしまった。さらに彼は続ける。
「でもねぇ、これって、漫画業界にも問題があるんよ。」
「へぇ???」
「売れればいい、、、って感じで、作者の思惑なんかないんだろうな。」
大きくなったもんだ〜〜〜と感心してしまう私に、
息子は得意になってさらに続ける。
「なるほど、そうだね。作者は本当は、もっと「文化」に貢献したいんだろうね。
手塚さんのように。」
と、私は、先日見た藤子不二雄A展を思いだしながら、
大好きな手塚治虫の名をあげると、
「うん。まぁ、そうは言っても、
買っている僕たちの方も問題があるんかな???」
「なるほど、行き着くところは、
賢こい消費者だね。」
「うん。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と、言うわけで、話は一段落しました。

漫画から始まり、漫画で終わった話の行方を一緒に追っていたのですが、
なかなか示唆に富んだ話では、と私は思うのです。


先ずひとつ。
一方的な悪というものはありえない。
ということ。

次に、
消費者である私たち。
国民である私たち。
私たちが、「文化」の担い手であること。

そんなこんなを改めて、思った、今朝の息子との対話でした。

それにしても、
ブッシュさんには、
どんな「人間的なロマン、ドラマ」があるのかな??

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2004.05.28

Macは、あマックない。

私は、けなげ(?)です。
何がと聞かれるならば、
パソコンの調子悪くなると、
”自分が悪い”と思うからです。

私とパソコンの付き合いは、かなり長いのですが、
メンドウなことは全て夫がしてくれて、
「はい、奥様どうぞ〜」
と、いうような付き合いだったのです。
で、パソコンを使って、
何をやっていたかというと、
チョコッと自治会やPTAの広報などを作って、
後はひたすらゲーム三昧という、とても怠慢な使い方をしていました。
ちなみに当時は「上海」と「テッセレ」というゲームに、はまっていました(^^;
一方、子どもの方もパソコンといえば、もっぱらゲーム。
我が家はMacなので、ゲームの数も限られていて、
彼は「マラソン」「プリンス・オブ・ペルシア」などをやっていました。
そんなわけで、我が家のパソコンは、
ひたすらゲームのためにあったような感じでした。

が、
が、
夫が長期出張やら単身赴任。
そこで、メールが必要になりました。
当時はメールアドレスを持っている、というのは、
すごく先進だったのです。
しかし、
私は、それが「なんのこっちゃサッパリ」分かりません。
分からないまま、夫に言われたとおりに動かすだけ。
仕方がないので夫が パソコンの前に大きな紙を貼ってくれました。
そして私は、
「その通り」にボタンを押します。
「えっ〜〜と、」
一つ、ひとつを丁寧に(?)慎重に操作。
一つの操作が終わる度に
「はぁっ」
と大きく深呼吸。

こんな感じだから、
ちょっとトラブルがあると大騒動。
夫に即電話。
「あのね〜〜〜Macの調子が悪いのよ〜〜〜」
時間があるときは、すぐに電話の向こうから、
指示を出してくれるのですが、、、
この指示が、また私には難しい。
夫には手に取るようにわかるボタンでも、
私は、それを探すことができない。
「手前の、手前の、、、ボタン」
電話の向こうの主はちょっとイライラ。
私はオロオロ。
やっと、やっとそのボタンを見つける頃は、
二人ともグッタリ。
最後に夫が、
「今度、帰ったら直す。」
と言って、電話をガチャリ。

あ〜〜〜これではいけない。
これではダメだ。

と、いうことで、
もう一回、「一からパソコンの勉強」をしようと
一念発起。

まず、図書館に行って、
パソコン関係の書籍を探すと、
これがあるある。
ウシウシ。
手に取ってみて、私は目が点。
Macの本がな〜〜〜い。
あっても、す・ご・く少ない。
「う〜〜〜ん。」
それでも、数少ない本のいくつかを借りてきて、
一から、勉強。
これが、なかなかオモシロくて、
目から鱗。
ほお〜〜
へえ〜〜〜
の連発。
ついでに、そのノリで、夫が購入している
Mac関係の雑誌も読んでみると、
これが楽しい。

しかし、まだ
オズオズと使っている私は、
夫が唯一のメール友。
ネットも使ってはダメ。
なにしろ、その頃は今のようにつなぎ放題ではなかったから。

そうこうするうちに、
夫が、
「ネットも使っていい」と言いました。
しかし、私は当時、
インターネットのことを知らなくて、
「何やら、不気味、おかしげな世界」と思っていました。
多分、情報が散乱していたときだから、、、

おっかなびっくり。
ネットを使って、何をする?
夫が、
「晩御飯のメニューとか探したら」
と、アドバイス。
「え〜〜〜、そんなのいやだ。コワイ怖い。」
無知な私は、ネットを使うと、
見えない誰かが、こちらをみていると不安になるのです。
しかし、ある日、
我が家の庭に毛虫がいっぱい。
これは大変。
毒がないか、図書館に行って本を、、
待てよ。
ネットで調べよう〜〜〜
と、いうことで、
ネットに挑戦。
「毛虫」で検索。
すると、出てくるでてくる毛虫が。
写真入りで。毛虫がゾロゾロ。
私はその、写真をよ〜〜〜く見て、
庭先に飛んでいって、我が家の毛虫(?)と比べる。
も一度、ネットで確認。
「あ〜〜これ、毒ないわ。」
安心。
と、言うことで「ネットって便利だね、、、」と得心。
ネットでの検索を覚えた私は、
なにかあると調べるようになりました。
「かめむし」
「むかで」
「シックハウス」
「かたこり」
「更年期」
「、、、」

あ〜〜〜こうしてみると
夢がないね、、、ワタシ。

そして、またまた夫に勧められて
自分でホームページを作ったのが昨年の8月末。
それから、今に至るまで、
毎日がMacとの闘い。
夫の単身赴任は終わったものの、これで安心かと言えば、
夫も以前のように、
「はい、奥様どうぞ〜〜」
なんて言わない。
「自分でやってご覧。」
と一言。(^^;

さて、私が使うと、パソコンのご機嫌が悪くなることが
よくあるのです。
夫が使うと、不思議なこと、というか
腹立たしいことに、「言うことをきく」のです。

パソコンは絶対、ひとを見ている!!!!

おっかなびっくりの私は完全に、
パソコンに使われています(^^;(^^;
何か、故障が起きると
「私が悪い」と思うのです。
一方、夫は、
「パソコンが悪い」
と、思うのです。
ここに、大きい違いがあると私は思うのですね、、、

先日も友人のブログにトラックバックをかけると、
文字化けするのです。
私は、「自分のPCが悪い」と思ったのですが、
友人は、簡単に、
「あ〜〜こっちが悪いんです、、、」
と、言います。

私は、つい、こっちが悪いと思って、
頭が真っ白になる。
しかし、物事に明るい人は、
パニックにならずに、しっかり対応します。
私も、もう少し、勉強をして、
「おい、Mac、私のいうことを聞け。」
と、ならなければ、、、

と、いうことで
これからも、なお続く
わがMacとの闘争です。
Macはあまくな〜〜〜い。

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2004.05.27

コウジが走り、駒が蹴り、そしてドラマが生まれる

昨日(5/26)はサッカー五輪代表U23日本代表ートルコ選抜との親善試合が
東京味の素スタジアムで行われました。
結果は1−1の引き分け。
多くの方がご覧になっていると思います。
そこで、私は独断と偏見で、
ひたすら「かわいいサンフレッチェの二人」について書きます。

〜〜〜U23日本代表ートルコ選抜テレビ観戦記〜〜〜〜
           サンフレッチェとともに、、、、

今晩は、7時からサッカーがある、、、
はやく夕飯を済ませて、
ビールを持って、応援の準備をする。
早めに、テレビをつけると、
お〜〜そこには、あのトゥーリオが映っている。
トゥーリオが喋っている。
「広島の時はあんなに注目されなかったのに、、、、」
なんて、ちょっと恨しい。
テレビは次に、大久保、平山、、、と映る。
「コウジは???」
「駒は???」
「お〜〜いた。いた。平山の影に(^^;」
「おい、平山、邪魔なんだよ。コウジが見えんジャンか、、、」
練習風景を映し出すカメラにもコウジや駒がいないか、ひたすら探す。
そして、いよいよスタメン発表。
「おおお〜〜〜コウジがいる!!」
「あっ、アナウンサーがモリサキって言った。なになに???」
モリサキというたびに、耳をダンボ。
たいていは、軽くで、
すぐに終わるんだけれどね、、、

いよいよキックオーーーフ。
始まった。
会場にいるサポーターの熱気がこちらにもブンブン伝わってくる。
「ニッポン、チャチャチャ」

あっ、コウジだぁ。
走れ走れ!!
あっ、ダメじゃ〜〜。
トルコは強い。早い。柔らかい。
日本はやっとこ、やっとこ走っている、そんな感じ。
向こうは、すぐにボールを奪い、サッ〜〜と走る。
う〜〜〜ん。
ちょっと「格上」かな?
テレビの前で腕組み。
なっなんと、その瞬間に映し出された山本監督も腕組みしていた。
(気があいますね)

コウジ!!
コウジ〜〜
その後も熱い声援を送るも、
肝心のコウジはいつものように(?)モリサキハシリをしている、、、
本当は一番上手なんだから、頑張れ!!
こうして、前半は0−0で終了。

後半はトゥーリオは石川と交代。
「トゥーリオ、お母さんにいいところ見せれなかったねぇ、、、」
「し・か・し、石川が出るということは駒はコウジと代わるん?」
テレビのアナウンサー、ならびに解説者は言う。
「山本監督は、いろんな選手を使って、見ているんでしょうね〜〜〜」と。
「オイオイ、まだ、そんなことしているんかよおおおお。
もう、そんな段階じゃないだろう???」
なんて、アナウンサーと解説者の言うことに毒づく。
だって、平山のことばっかいうんだもん。
こっちは駒のことが知りた〜〜〜い。

とか、とか言っているうちに後半8分。
トルコがゴール。
先制。
「あっっ、トルコ先制。
ヤマモトジャパン。このままでは負けます。
点を取りにいかなければなりません。」
アナウンサーが絶叫する。
「知ってるよ、、、」
どうして、アナウンサーとか解説者って、
こうも分かっていることを
大声で言うんだろう??
そう思いながら、ひたすらコウジを探す。
交代と言われるたびに
「駒か?」と期待。
そして、ついに後半22分。
駒野がピッチに立った。
あ〜〜駒野。

しかし、しかし、
テレビを右から左から覗き込んでも
駒野がいない。
消えている。
お〜〜いコマ。
どこにいるんだい??
と、と思っていた矢先。
駒野が
もう、すご〜〜〜く華麗なプレーをピッチの真ん中で見せてくれる。
「お〜〜〜」
まぁ、テレビなんてゲンキンなもので、それから
映ること、うつること
駒野が、、、
「いいねぇ」
「うまい!!」
「さすが、」
惜しみなく讃えていたあげく、
後半42分頃、コウジがCK.
今野の頭にうまくあたり、

ゴ〜〜〜ル。

「わぁ〜〜〜〜い。
蹴ったのはコウジだ。
コウジのボールがヨカッタのだぁ!!」
ロスタイムでも駒野のすごく良いボールが平山めがけて
飛んだり、、、

と、結果は引き分けでもヨシ。
インタビューはモチロン 今野。
「今野さん。おめでとうございます。」
とインタビュアーが聞く。
「はい。良い玉が来たから、、、」
と今野が答える。
「うんうん、蹴ったのはコウジだぞ。」

と、いうことで、
とても楽しいサッカーだった!!
ただ、今日の不満のひとつに、
テレビ放送だと
選手紹介の下に、コメントがつくんだけれど、
森崎浩司の場合は
「森崎ツインズ、弟」
なの。
これって、どうにかならないかなぁ??
「嵐を呼ぶ男」とか???
どんな、ネーミングセンスしているんだぁ〜〜(^^;

〜〜〜〜おわり〜〜〜〜〜〜

私は広島サポなので、こんな感じでテレビ観戦。
よそのサポのかたはどんな感じなのでしょうか??

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2004.05.26

絶対評価と相対評価

絶対評価「5」にばらつき 学校間格差45倍という記事を
aranxpさんのブログで見つけました。
私も、この問題については「瀬戸智子の実験教室」のあすなろ通信2月〜3月頃の記事で、
ずっとシリーズにして取り上げてみました。
学力低下論争から、ゆとり教育に至るまで書いてありますので、
もしお時間があればご覧ください。
高校入試目前に書いた記事でしたが、
多くの方から「掲示板書き込み」やメール、
近所の友人からはお電話をいただきました。
「学力」の問題は100人いれば100人の考え方があります。
保護者の方にとっては切実な我が子のこと、
あるいは、まだ結婚していない、
あるいはまだお子さんがいない場合も
「自分の過去の経験」というものが厳然とあって、
なかなか一つの結論、方向を導くことはできません。
ただ、不思議なことに、
「学校がわるい」ということには
なぜかみんな共通の理解を示すのですが、、、(^^;

あの記事を書いて2〜3ヶ月が経ちました。
子どもたちも新しい学年になり、
もうクラスの担任、友人に慣れた頃と思います。
中学生以上なら中間試験も終わった頃。
小学生なら家庭訪問やら、授業参観も終わり、
そろそろ「我が子」のクラス担任の査定が始まっている頃でしょうか??

さて、問題をもとに戻すなら、
絶対評価は難しい、、、
の一言につきます。
「人が人を評価する。」
しかもその評価の基準が試験の成績ではなくて、
「やる気、関心、態度、、、」
等、はかる基準がいささか曖昧なものを、
どうして、数字に表すことができるでしょうか??
全ての人が納得して受け入れる評価なんて
神ならぬ人間ができるはずがない。
こんな事はやめたらいい、、、
絶対評価をつけることで
教師の仕事はさらに煩雑になり、
保護者からも、子どもたちからも
「?」と思われる結果を残して、
(だれも絶対評価はあてにしていない。
試験の順位で決まる相対評価の方に
目を輝かせているのが多くの現実。)
しかし、公立高校入試には「調査書」として
提出されます。

さらにさらに、あとあと教育委員会などから
クレームがついたり、、、今回のような記事になったり、、、
まったく教師にとって受難の絶対評価。
くだんのような事、つまり学校間格差や
教科格差はいずれ問題になるはずでした。

私個人の意見は
「絶対評価はやめたらいい」
です。
評価をつけるために割く時間を
教師はもっと有意義に活用したら、
子どもたちにも教師にもハッピー(*^_^*)
だと、思うのですが、、、

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2004.05.25

日本の国際的評価

今回の総理訪朝。
北朝鮮側の対応の仕方が、
小泉さんに対して「失礼」というか、
「格下」に扱ったというような観点から、
マスコミは何回もビデオでチェック。
空港での出迎えの人から、会議の場所。
送迎の仕方云々と。
そうして、識者は、
「小泉さんは北にマンマとしてやられた、、、」
と、述べていました。

私は、それを見ながら悲しくなりました。
小泉さんは好きではないけれど、
(総理として、という意味です。個人的にどんな人かは知りませんが、、、)
やはり、あんな扱いを受ける総理を見るのは辛いものがあります。

では、何が辛かったか、というと、
「これが国際社会での日本の評価である。」
と思うからです。

テレビマスコミは、あたかも北朝鮮が恣意的に
小泉さんに、あの様な「失礼」な扱いをしたと言いますが、
私は、そうではないと思います。
あんなに露骨でなくても、
国際社会の中での日本の位置は低い。
以前はそうではなかったと思いますが、
ここ近年は低くなっていると私は思います。

理由は、簡単です。
「アメリカの言いなり。」
「アメリカの子分。」
の役割を甘んじているからです。
独立国にもかかわらず、日本にはアメリカの基地がイッパイあります。
日米地位協定により、
土地だけでなく「資金 物資」までアメリカに提供することを
余儀なくされています。

イラク戦争ではいち早く、
アメリカの選択を支持しました。
「国際協力」という名のもとで。
その後、米軍の虐待報道で、国際社会が
アメリカを指弾したときは、
口を閉ざしままでいることは周知の事実です。

貿易の自由化、食料自由化、、、あげくの減反政策。
全てが、この国を守るためよりも
かの大国のために行われました。

また、この国がもっとも誇っていた
「人間」の教育を
国は今、その手から離しました。
日本が、日本たる所以は
「国民の勤勉さと賢さ、先端技術などの優秀な技術」
だったのです。
その根底には
基礎教育の充実。
広く深く、多種で多様な教育が保証されていたからです。
しかし、政府はこの4月から国立大学を法人化することで、
「人を育てる」という一番大切なことを放棄しました。
このツケはいずれ十年、二十年後に回ってくるでしょう。
その頃、日本はすでに「技術大国」という言葉は
どこか別の国に譲り渡している、、、

私は、日本人だから、
日本が好きです。
折節の移り変わりとともに、
その様を変えていく豊かな自然。
ふさふさと実る瑞穂の国。
そして、質の高い教育が全ての子どもたちに行われる。
そんな日本を、未来の日本の子たちに贈りたい。
また、アメリカの子はアメリカの子で。
イラクの子も北朝鮮の子も。
みんなが等しく「その国、民族の誇り」を
持っていけたら、どんなに素敵だろう〜〜。

こんな願いを持つことは、
もう贅沢な事なのか、、、

昨日はテレビを見ながら
そんなことを考えました。

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2004.05.24

迷走小泉さん。

今回の訪朝について、
いろんな新聞やテレビ番組、
またネットでの皆さんの意見を拝見しました。
今回の成果(?)はいろいろ立場により、
複雑で意見の分かれるところですが、
大方の一致したところは
「北にマンマとしてやられた」というものです。
まぁ、そういわれても仕方がないという点が多々あります。
フライングというか、急ぎすぎたのでしょう。小泉さん。
その思惑がどこにあったのかは、
識者がいろんな詮索はするものの
真意は分かりません
そこで、私は私の立場で考え、
そしてここに書きます。

まず、大きな歴史の流れで見た時、
本当に、北が約束を守って、
核を放棄して、平和な安全な国になってくれたら、
それはすごく大きな成果だと思います。
また、それに伴い「国交正常化」すれば
本当に両国の歴史にとって、意義のあることだと思います。
(ただし、向こうが約束を守ってくれるという条件付きですが、、、)

次に、「人道支援」ということで、
食料や医療物資が北朝鮮に送られることになりました。
確かに、飢えた隣人を助けることはすごく大切で、
それは高邁な(?)精神に基づいた事です。
そのこと自体は支持します。
ただ、私はここで二つのことを考えました。
一つは「本当に飢えた人々に手渡されるか?」という疑問。
これに関しては、向こうを信じるしかありません。
もう一点は、日本のことです。
ズバリ!!「日本の農業」のことを思いました。
私たちが毎日口にしている物は
「農薬付け」で「輸入品」で。
「食料自給率」は4割り以下。
「北朝鮮より、自給率は低い」と言われている
日本の農業政策。
政府自民党は
減反、減反を農家に押しつけてきました。
いまや日本の田舎の風景は変わって来ています。
青々と風にそよぐ豊かな稲は、もう消えました。
私たちの胃袋は、アメリカに握られています。
そんな中、
総理は隣人に食料を支援するという。
送るこの国の人々も農薬汚染の米を食べ、
送られる かの国の人たちもまた汚染米を口にする。
こうして、汚染の連鎖がさらに広がっていきます。
日本の農業をもう一度見直し、守って欲しい、、、
なぜか私は「食料支援」という言葉を耳にする度
そんなことを考えるのです。

さて、拉致被害に遭われた方、家族の方。
今回は最悪の結果だったと思います。
性急に「ことを運んだ」総理への怒りは想像に難くはありません。
とてもこのまま現状を受け入れることはできないと思います。
ではどうすればいいか??
さらに、さらに政府、世論に働きかけることと、
真の意味での、
健全な国交正常化への道筋のために
努力していくことが大切だと思います。
拉致は憎むべき犯罪です。
普通の市民。
そこを歩いていただけの人が誘拐される。
それは
いつ、だれにでも ふりかかる災難です。
他人事ではありません。
私たち、みんなが味方です。
焦らず、
そして何よりも信じて
これからも活動なさってください。

小泉総理。
今、貴方もまた歴史の流れの中で奔走している
一枚の木の葉です。
時には本流に、ある時は支流に、
また逆流になるときもあります。
迷走しながら流れ行く葉っぱです。
一つ一つのことが、すぐに評価として現れることはありません。
貴方がしてきたことが
歴史の中でどの様に評価されるかは
未来の人たちの物です。
ただ、ここではっきりと言えることは、
「国民に誠実であるか、どうか」
が評価の最大のポイントです。
いかがですか???
小泉さん。

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2004.05.23

曽我さん、応援しています。

曽我ひとみさん。
今回の総理訪朝で、
念願のご家族の帰国が達せされなかったこと、
本当に残念に思います。
私は曽我さん、あなたが好きです。
お目にかかったことはありませんが、
テレビを通して、そのお人柄に接しながら
回を重ねるごとにそう思うのですよ。

初めてあなたがタラップから降りて
羽田に着いたとき。
あなたはご自分の感情を抑えていた。
しかし、故郷に戻り、次第にそのお顔に笑みがこぼれ出しました。
素敵な笑顔。
あなたの「ふるさと」を読んだ詩。
素敵でした。
「ふるさとの山や川が微笑む。
お帰りなさいと言う、、、、」
そして最後に
「ありがとう」という詩を読まれたときの
あなたの顔。
本当に柔らかでした。

今回、諸事情でご家族は帰っては来られませんでしたが、
どうか、気落ちすることなく、
頑張ってください。
応援することしかできない私ですが、
どうぞ、お体だけは大切にしてくださいね。

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2004.05.22

エンタの神様

「エンタの神様」というテレビ番組があります。
私も毎週と言うわけにはいかないのですが、
ちょくちょく見ます。
多くの若いエンタティナーが、自分の技を競って
視聴者を笑いに誘ってくれる楽しい番組です。
傍らでゲラゲラ笑って見入っている子どもと、
番組が終わってから真似をしたりと、
親子の会話の一端を担ってくれています。
「こうして、笑いが通り過ぎた後は何が残るのだろう〜〜」
なんて、親である私はふと真面目に思ったりします。

私は自分の幼い頃を思い出すと、
二つの番組が浮かびます。
一つはテレビ番組で、お昼時の「小劇場」です。
もう一つはラジオ番組でNHKの「文芸劇場」という夜の番組です。
両方とも、内容はおぼろげなのに、
そこから受けた印象だけが鮮やかなのです。
「こわ〜〜〜い」ということですが。
テレビの方は夏休みにやっていた「怪談」でした。
語り手は渥美清さん。
椅子に座って、ただしゃべるだけなのです。
見ている方は彼の顔しか見ていないのですが、
話し方、間のとり方、緩急の付け方、
もう、すご〜〜く上手で、
その光景がありありと浮かぶのです。
内容も、別におどろおどろしい話ではないのです。
日常のさりげない場面、出来事にひそむ「心理的な怖さ」を
迫力ある、あるいは説得力を持ってして
私たちに語りかけてきました。
「怖かった、、、」
一緒に見ていた兄と、二人で
夏の真っ昼間なのに震えていました。

次にラジオ番組の方は、
プロの落語家が語る「怪談」。
こっちは本当にオドロオドロシイお化けが出てきました。
夜中に恨みを持った幽霊が走るところなんか、
もう怖くて、こわくて、、、
布団に入りながら震えて聞いていました。
(やめればいいのに、それができないくらい魅力ある番組でした。)
こっちも兄と二人でブルブル震えて聞いていたことを
今でも思いだします。
(関係ないけれどコワイ話しの方が想像力は膨らむのでしょうか?)

幼いときに受けた印象は強烈で、
今でも私は「怖がり」です。
しかし、こんなにも鮮明に、あの当時が
思い浮かぶということは、
やはり「文化の重み」とも思います。

すぐに力にならなくても、
あるいは、表面にでないままで終わるかもしれないが、
幼い頃にいろんな経験、体験をすることの価値を改めて考えます。
人は「歴史と文化」の中でこそ「人」になるのでしょうか、、、

そういう意味でも、
今の子どもたちに、
よい環境を贈る責任があることを感じます。
彼らが大人になったとき、
豊かで、やさしくて柔らかであるように、
祈りながら、、、

エンタの神様に出場しているエンタティナーの皆さんにも
暖かい声援を送りながら、
そんなことを考えました。

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2004.05.21

お先まっくら、草枕

新聞を読みながら、
こんなことを考えた。

~~~~~~~~~~~~~~~

男は山の中で道に迷った。
次第に霧が深くなり、いよいよ日が沈む。
「あ~~、もう今夜は野宿か」
と、思いながら、なおも歩いていると、
遠くに、光が見えた。
それは、ぼんやりではあるが確かに光っている。
男は、その光を目指してひたすら歩いた。
そして、ついに、その光を放つ建物の前に立った。
建物の前には一枚の看板が掛けられていた。
「レストラン。
注文の多い日本国。
店主、ライオン丸」
と、そこには書いてあった。
「注文の多い日本国、、、変わった名前だな。」
と、男は思いながらも、
こんな山の中で一晩を過ごす心細さに比べれば、
一も二もなく
レストランの戸を開けた。
中には誰もいない。
ただ、一枚の紙がおいてあった。
「職業をもって、税金を払っていますか?」
「税金を払っている人だけ次に進んでください。」
と、紙には書いてあった。
「なんだ?これ。お金は、ちゃんと持ってるぞ、、、」
そう言いながら次の部屋に入ると、
今度も同じように一枚の紙が置いてある。
「体は丈夫ですか?
丈夫な人だけ隣の部屋に入ってください。」
と、書かれている。
「おいおい、どんなものを食べさせるんだい?」
そう言いながら、男は隣の部屋に入ると、
テーブルの上には一組の服が置かれていた。
服の色は迷彩色であった。
「この服を着て、続きの間に入ってください。」
いよいよ、おかしなレストランである。
「洋服が汚れるくらい凄いものを食わしてくれるのか、、、」
男は、そう思いながら、続きの間に入ると、
同じようなテーブルに銃が置かれていた。
「おいおい、まさか、この銃を持て、というんじゃないだろうな。」
と、男がつぶやいた言葉が聞こえたように、
隣の部屋からライオンのような素晴らしい髪の男が
にっこりと笑い、さらに握手まで求めて歩み寄ってきた。
「おめでとう。
ようこそ。
わが日本国へ。
私たちは、君のように
お金があって税金を払ってくれ、
体が健康で、
なおかつ素直に指示に従う人間を求めていたんだ。」
と、ライオンのように立派な髪をもつその男が言った。
「あっ、あの夕飯を、、、」
と、道に迷った男が言うと、
「何を、君は言っているんだね。
看板に書いてあっただろう。
ここは、注文の多い日本国。
つまり、注文をするのは、この私で、
それをやらなければいけないのは、
君だよ。」
と。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

「知に働けば叩かれる。
情に棹させば、海外に流される。
意地を通せば、糾弾される。
とかく、日本は住みにくい。」と。

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復活!!ソレは、、、

復活。
その言葉を目にし、耳に聞くと、
私は迷わず、
アレッサンドロ・ナンニーニ
その人を思い浮かべます。
1980年代に活躍したイタリアのF1レーサー。
あのアイルトン・セナと同時期に「走っていた男」です。
飛行機事故に遭い、片手を失って、一時は
その選手生命を危ぶまれました。
彼は飛行機事故で、意識と共に左手を失いました。
気がついた時、
最初に「まだ、右手が動く」ことを確認したナンニーニは
「神はまだ、私に走ることを許してくれている!!」
と、言って懸命のリハビリを行い、ついに
第一線にカムバック!!
今は引退して
イタリアで陽気な(会ったことがないから多分)お菓子やさんをやっています。

復活という言葉は
なにもナンニーニ、
一人の物ではありません。
スポーツ選手が、俳優が
あるいは作家や、いろんな分野で
それぞれの「復活」の道を歩んだ人は
沢山いることでしょう。

そして、サンフレッチェ広島にもまた
復活した選手は多くいます。
今、駒野友一がピッチに戻ってきました!!
私たちサポの心配と不安と祈りを背負って
彼は再び私たちの前に現れてくれました。
以前よりも強く、
前よりも速く、
そして正確に。
駒野がボールを持つと、
何かが起きる!
そんな予感が体を突き抜けています。
駒野選手。
お帰りなさい。

そして、彼は先日
アテネ五輪の代表合宿招集メンバーに名を連ねていました。

一方、サンフレッチェの双子の兄弟、
森崎選手の兄の方は
今回の選手には名前がありませんでした。
理由は「監督の戦術やらなにやら」にあるのでしょうが、
単純に広島サポとしては残念です。
多分よそのチームのサポの方も
それぞれに選手への思いがあって
今回の選択にはいろいろな思いはあるでしょうが、、、

なが〜〜〜い目で見たとき、
この経験は森崎和幸選手にとって
よい経験になるはずです。
私は一人のサポーターとして
心から彼を応援しています。

それぞれのドラマを背負ってアテネオリンピックまで
あとわずか。

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2004.05.20

再び「戦場のピアニスト」を

昨日(5/19)wowowで
「戦場のピアニスト」が放送されました。
映画の内容はご存じの方が多いと思います。
第二次世界大戦中のポーランド。
ナチに追われるユダヤ人のピアニスト、シュピルマンの
奇跡にも似た人生を綴った手記をもとに、
ロマン・ポランスキー監督が手がけた有名な映画です。

見終えた感想。
「悲しかった、、、」
です。
美しいヨーロッパの町並みと、
流れてくる音楽。
そこに暮らす普通の人々。
ある日、突然降って湧いたようにドイツ兵が侵攻。
初めは、ゆっくりと音もなく、
そして、次第に人々は戦争へと巻き込まれていく。
気がついたとき、
人は二つに分かれる。
一つは無気力に、
もう一つは、敵の手先に。
「人はなんのために戦うのか」
その疑問さえ、もうそこにはない。
ただ、あるがままを受け入れていく
ユダヤの人々とナチの兵士。
しかし、地下に潜った人も大勢いた。
あるいは、心の奥では「戦争反対」を唱えている一般の人々も多くいる。
全ての人々が
「不幸」のどん底に落とされる。
そんな悲劇を、
強烈に、あるいは淡々と映画は描いていく。
非力な主人公は
「ただ逃げるだけ」である。
窓越しに彼の目をとおして
戦争の惨劇が、「事実」として伝わってくる。

そして、最終シーン。
ナチスの将校にピアノを聞かせる場面は、
美しい。
一人の人間と人間との交流を、
音楽を通して静かに訴えてきます。
「誰もが、
平和を愛している」
というメッセージをのせてショパンは流れます。

さて、今回、この映画をみて印象的だったのは、
主人公の父親が、夕飯を食べながら言ったセリフ。
「アメリカが悪い。
アメリカにもユダヤ系は大勢いるのに
助けてくれない。」

まさか、この人たちは、
まだ、この事実が逆の意味で
今も続くとは
思いもしなかったでしょう、、、
アメリカは、イスラエルを全面指示している。
そのイスラエルは、今日もまた
パレスチナを攻撃したというニュースが伝えられます。

どこかに、
今日も名のない「戦場のピアニスト」が生まれているかもしれない。

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2004.05.19

わかるということ.

わかった?
わからない?
わかったなら、わかった、
わからなければ、わからない、
と、いわなければ
わかったか、わからないか、わからないじゃない。
わからない人ね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは早口言葉です。
しかし、なかなか意味の深い言葉だと思います。
「わかる」ということは本当に難しいと思います。
分かったつもりになることは、よくあるのですが
本当に理解していないので
生半可なことしか言えないし、実は分かっていない。

相手に、自分の本意を分かってもらう、
あるいは、相手の言っていることが分かる、
しかも、それが目の前の相手でなく、
文やネットを通してなら尚更です。
この頃、私は自分の文の拙さをすごく反省。
では、目の前の相手だと大丈夫かと、
言うとこれがそうでもないのです。
以前、中学生の女の子に数学を教えていたときの事。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「本を8冊、さらにその本より1冊60円高い本を5冊買ったら○○円払いました。
それぞれの本は1冊いくらですか?」
こんな問題が出るとする。
「何をXにおくの?」と、私。
「本のお金」と彼女は答える。
「そうだね、、いいよ。じゃ、60円高い方はどう表せばいい?」
と、私は続ける。
「、、、、」
「どうしたの?」彼女の顔を見ながら聞くと、
「、、、」
「Xを使って表してご覧。」
「Xがいくつか、わからないから、、、
答えらえれません。」
「(^^;」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
と、まあこんなふうに続くと、
次第に私は自分自身が迷路に入っていくわけです。
何とかしなければという思いだけが強くなって、、、
結果、
「ここはこうするのよ、、、X= 、、、」
と教えてしまう。
いけない、これじゃいけない。
本質を教えなきゃ。
わからないものを仮にXとおいて、
方程式をたてて、解く。
「どんな具体的なことも、抽象化して、すべての場合にあてはまる。」
そのすばらしさを感動させたい、、、
そう、思うとますます混迷してしまうのは
彼女ではなく私なのです。
私の焦り、勢いが伝わり、ますます彼女は委縮する。
すると、また私はイライラと焦る。
そうした様子を傍から見ていた息子が一言。
「なにか一つだけしっかり教えたらいいよ。
たとえば分数の意味とか、、、」

そうだ!!
本当にそうだ、、、
私はわかっていたのに、
いや、、わかったつもりだけだったのだ。
彼女がどこでつまずいているかを。
と、改めて思いました。
あれもこれも、この子に伝えたいと思い、
ついつい口を出していたのです。
もっと、的を絞って、
とにかく一つだけをしっかり教えよう、と思い直しました。
一人ひとりが違う個性。
学ぶことにも、教えることにも王道はありません。
まだまだ修業の私。
子どもを通して教えられます。

そして、初めに書いたように、
目の前の相手でもそうなんだから
文やネットではさらに、そうだと思います。
また、だからこそ
自分自身への「修行」になるような気がします。
そんなことを改めて思った、
今日この頃の「私のつぶやき」でした。
なお、上の文は、
「瀬戸智子の実験教室」やじろべえ日記を
手直しして、掲載いたしました。

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2004.05.18

もしも小泉純一郎君が、、、

もしも、小泉純一郎君が君のクラスにいたら、
君はどうする?
もしも、小泉純一郎さんが、隣の奥さんだったら、(譬えです)
貴女はどうしますか?
もしも、小泉純一郎君が、我が子をいじめているガキ大将の親だったら
貴女はどうしますか?
もしも、小泉純一郎氏が会社の同僚だったら、
貴方は、いかがですか?

もしも、私のクラスに小泉純一郎君がいたら
嫌われます。
もしも、私の隣の奥さんが小泉純一郎さんのようだったら
主婦からは相手にされません。
もしも、我が子をいじめているガキ大将の親が小泉純一郎さんだったら
猛烈に腹が立ちます。
もしも、小泉純一郎さんが、会社の同僚だったら、
総スカンです。

何故??
その理由は、
「うそつき」
「冷たい」
「強い者贔屓の弱いものいじめ」
「頑固で誤りを認めない」
「好戦的」
「不誠実」
「腹黒い」
「、、、、」(後はあなたが考えてください)

まぁ、小泉さん。
政治家になってヨカッタね、、、
よそでは通じないよ〜〜〜

それにしても、どんな教育をしたら、
こんな大人になるんだろう??

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2004.05.17

携帯電話

高校生の息子は、携帯電話を持っていません。
本人が言うには、
「クラスで自分だけ」
だそうです。
「この前も、遠足の前の日。
必要な物を書くとき、みんな携帯にパッパと入れているのに
僕だけ、メモ用紙にチョコチョコ書いていたんよ〜〜〜」
「ふ〜〜ん、だからどうなの?」
「だからね、欲しいの。」
「あのね、自分の手でメモを書くことが一番記憶にとってはいいの。」
と、まず一つの問題をクリアした私に、今度は別の問題をふっかけてくる。
「でもね、、、なが〜〜い電車通学の時間が暇なんよ。
みんな、電車の中でも携帯パッパやっているんよ、、、」
「でもね、そんなふうに暇つぶしに、メールやりとりしていたら
お金がどれだけあっても足りないよ。」
「だから、電車の中だけ。」
と、息子は粘る。
「メールするのなら家でPCからすればいいじゃない。」
「いや〜〜やっぱり、急に電話かけなきゃいけないときも
あるし、、、」
「あっ、それならかあさんのピッチ持て行きなさい。」
「ピッチ?
今どき、ピッチ?」
「いいじゃない。ちゃんと通じるよ、、、」
「あのね〜〜
カッコが悪いじゃ〜〜ん」
「あら、じゃどんなのがいいの?」
「そりゃ、○○とか、、、」
「あっ、そんなのすぐに時代遅れになるよ。かあさんのピッチも
最先端のことがあったのだから」
「(^^;」
と、まあ親子の熱い戦いは続きます。
そこへやって来た父親が
「では、カタログを全部集めて、
よ〜〜く調べて、月にどれくらい使うか、
分かってから、基本料金以外は自分で払いなさい。」
「ええ〜〜〜〜(^^;」
可哀想な息子は、もう言うことがなくなったので、
「みんな持ってるよ、、、
僕こんな貧乏なうちに生まれなきゃよかった、、、」
(わるかったわね)

今回は一時退散したものの、また新手の武器を持って
出てくるでしょう。

それにしても、
よその家は、どんな風に対応しているんだろう??
携帯電話について。

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2004.05.16

「プリンセスめぐ」とサンフレッチェ

「わぁ、カワイイ!!
まるで、私の若い頃みたい、、、
ねぇ、とうさん。」
と。隣の夫に私は言います。
「(^^;」
なぜか夫からの返事はない。
「わぁ、かわいい!!!
かあさんの若い頃にソックリ。」
子どもにむかって、今度はもっと大きく言う。
「はいはい、、、(^^;」
「本当だよ、ほんとうだよ。」
もう一度、しつこく。
「はぁいはぁい、、、」
子どもの返事、なぜか力がない。?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
これは、先日のアテネ五輪出場をかけた
女子バレーを応援しながらの我が家での会話。
会話の先には、女子バレーのエース
「プリンセスめぐ」こと栗原恵さんがいました。
今、注目の彼女は「広島出身」なのです。(*^_^*)
かわいくて、明るくて、人気者の恵さん。
中学の頃から、すでに、
バレー選手を目指しての大特訓。
恵まれた環境の中で、
才能と努力で、栄光を勝ち取りました。
今後の活躍にも注目!!!
更に、さらに、
広島出身と聞けば、ますます親近感がわきます。
これからの活躍が楽しみです!!
めぐちゃ〜〜〜ん。
頑張れ!!!

さて、広島と言えば私にとって、もう一つ大事なのは
サンフレッチェ広島!!
今日(5/16)はFC東京との試合でした。
結果は1−1の同点。
今日はテレビでの観戦。
いつものようにビール片手に、
マフラーも持って
気合い十分。
手に汗握り、
ハラハラドキドキ、
声は絞れるだけ絞り出す。
緊張したゲームでした。
雨が強くて、選手は体力の消耗が激しかったのか
後半は足が止まって、ダラダラしましたが、
それまでは、スリルあふれるゲームでした。
攻守入り乱れ、目の離せない試合運び。
サンフレッチェはうまくなった、、、!!
試合の運び方が美しい。
見ていて楽しい。
これでゴールが決まれば最高。
なんだがなぁ、、
しかし、これがなかなか。
う〜〜〜ん。
解説者とアナウンサーは他人事(当たり前か)のように言う。
「あ〜〜ここで、追加点が欲しいですね、、、」
(わかってる〜〜〜〜)
「チアゴ(サンフレッチェのFW)は、ゴールの入るところにいないのですよね。
これが、ゴールの入るところにいるようになると、入るのですが、、、」
(あたりまえじゃ〜〜〜〜)
「この試合で勝つと、次が楽になるんですがねぇ〜〜〜」
(ありがとうよぉ。教えてくれて)
とか、とかあんまり確信にならない解説を聞きながら、
テレビでの応援でもしかっり一体感を持つことができます。
相手チームのことは、グチャグチャに言い、
サンフレッチェにはメチャメチャ甘くて、、、
審判にはブツブツ文句言いながら。

サポってありがたい。
どこのサポもそうだと思うけれど、、、
私は、今はホームにはもう行けないので、
関西のチームとの対戦の時だけスタジアムに足を運びます。
アウェィは楽しい。
ソレは、それで楽しみ方があります。
広島の紫を着ているだけで、親近感がわく。
また対戦相手のサポとも仲良くなれます。
「やぁ、お手柔らかに。」
「こちらこそ」とニッコリ。
心では「まけないぞぉおおお。」
バシバシ、目がしばたく。

スポーツを通して分かり合えるのでしょうか??
サッカー以外のスポーツもそうだと思います。
あるいは、芸術、文化、みんな同じなんだろうな、、、

勝ったり負けたり、
一喜一憂しながら、今日も一日が終わろうとしています。
夢を与えてくれるプロの選手や周囲の皆さんに
感謝をしながら、、、
ビールをもう一杯!!
かんぱ〜〜い。

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2004.05.15

よりよい有事って?

民主党が14日、衆議院有事法制特別委員会理事会(なが〜〜〜い(^^;)に、
有事関連法案の修正案を提出。
具体的には
武力攻撃事態法の中に
「緊急対処事態」への対処に関する規定を加えました。
つまり、
ターミナルや新幹線、航空機などでのテロがあった場合、
国や自治体、指定の民間企業・団体に「責務」が課せられ、
国民にも「制限」が加えられます。
この「緊急事態法」を加えることで、さらに枠組みは大きくなり、
国民への強制は強まります。
この日、提案理由を行ったのは平岡秀夫議員です。
「修正案は、よりよい有事法制としていくため」と述べています。
この法案は来週半ばの衆議院通過を狙って、
与党、民主党で話し合い、共同提案をする見通しです。

この国は本当にどうなるのだろう??
有事という言葉に「よりよい」という形容詞をつける感覚は
すでに私のものとは遠い。
私たちが先輩たちから受け継いできた精神・・・憲法9条。
次第に赤く血塗られた手で書き換えられていくのか、、、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ちちをかえせ ははをかえせ.
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
( 峠三吉  人間をかえせ より)

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だぁれが殺した?クック・ロビン

「だあれが殺した?クック・ロビン」

 「それはわたし」とスズメがいった。

 「わたしの弓と矢羽で。

わたしが殺した。クック・ロビンを」

マザーグースのこの詩は、
萩尾もとさんが、漫画「ポーの一族」で書いたことにより
有名になりました。(パタリロの方が有名だったりして?)
クック・ロビンというのはコマドリの雄のことです。
この詩に出てくる私、つまりスズメは犯人ですが、
あまり悪びれた風がないのがマザーグースらしいところです。

さて、さて昨日も大物の名前が続々と「年金未納」で上がりました。
そして、ついに
小泉さんまで!!
テレビを見ながら、思わず口ずさんだのが、マザーグース。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「だぁれが払ってないの?年金を」
「それは私」と国会議員が言った。
「うっかりで、忘れていて、
私は払っていないの。年金を。」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
国会議員の先生方も
スズメのように悪びれてはいないでしょうが、、、
ここまでくると、
「誰が払っているの?」
と、いう質問の方がいいような気さえします。

また、築紫さんや小宮さんや田原さんや、、、
まぁ数え上げれば切りがないくらい有名人もいるそうです。
しかし、いくら有名でも彼らは国民です。
「やっぱり、分かりにくいんだな〜〜」
「複雑なんだな〜〜〜」
「役所も分かっていないことが分かるわけないなぁ〜〜〜」
と言っても許すことはできます。
今、改めて自分の年金を見直そうとしている人で
役所は混雑しているそうです。
一般の方々にも未納の人は沢山いらっしゃると思います。
「うっかり」「知らなかった」ということで。

ただ、国民と国会議員では
その罪は違います。
国会議員は「法」を作る側の人間なのです。
たとえそれがどんな悪法でも従わなきゃいけないのが国民です。
従わなきゃいけない国民には非情なまでに冷酷なのに、
いざ、自分に問題が及とこの「甘さ」は一体なんなのだろう?
しかも、その言い訳が
「制度が悪い」というものです。
しかし、今国会で通そうとしている内容は
悪い制度の見直しではなくて
「いかに国民から年金を巻き上げるか」なのです。
ここにこそ、
私たちは怒っているのです!!!

ところで、この間の騒動で先生方が「いいわけ」をします。
そんな言い訳にも「人柄」というもの、
あるいは「人間に対しての基本的な関わり方、考え方」が
現れていました。
(そのうち
先生方の「言い訳特集」でも作ろうかな??)
その中で私が一番「悲しかった」のはやはり「小泉さん」でした。
いわく
「私は年金が義務でないとき、
払っていなかったのです。
だから悪くはないのです。
大体、そんな40年前のこと覚えていますか?
まだ学生ですよ。
学生が年金を払えると思いますか?」
と、いった内容を彼はヌケヌケと言いました。

「その学生から年金を取ろうとしているのはダレ?」
「義務と知りつつ、払えない人が沢山いることを知っているの?」
と、思いながら
私は怒りを通り越して、なんだか悲しくなりました。
彼にとって、国民というのは
「税金を払い、徴兵に赴き、ひたすら耐えるもの」
なのでしょうか。

〜小泉さん。
お願いだから、もっと国民の声を聞いてください。〜
こんなことにならないように願いを込めて
小泉さんに下の詩を贈ります。

「だぁれが殺した?国民を
それは私と総理が言った
税金と軍隊で
私が殺した国民を」

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2004.05.14

知的好奇心

先日、自然界における左と右という文の中で、
「鏡はものの左右を逆にするだけで、上下は逆にしないのはなぜか?」という質問が
著者のマルティン・ガードナー氏から読者に出題された話を書きました。
それに関して、昨日(5/13日)友人のaranさんが、
一日かけて考えてくださいました。
鏡が左右反転するのに、上下反転しない理由の中で詳しく述べていらっしゃいます。
答えというか、理由は、すでにaranさんが書かれているとおりなのですが、
私は彼が
「一日かけて考えた、、、」という事実に感動をしました!!
我が家でも、「鏡の反転」については話をしたことは、すでに書きましたが、
今回はaranさんに触発されて、その会話の内容をかいつまんで書きます。
いつものように、会話文でいきますので、どうぞつきあってください。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「鏡って左右反対に映るけれど、どうして上下逆には映らないの?」
「うん、そうなんよ。僕も前から疑問に思ってたんよ。なんで?」
「う〜〜〜ん。じゃ光の進み方を考えてご覧。」
「光はまっすぐに進む・・・と。う〜〜〜ん。
右手を上げると、鏡の人は左手を上げる???
顔を逆さにすると、逆さに映る・・・
光は鏡にあたって、また自分に跳ね返ってくる、、、
では、もし目が上下についていたらどうなるか???」
「あ〜〜〜いいねぇ。その疑問。」

「そうか!!わかった。
人間の顔が左右対称だから、反転するんだ!!!
もし、上下対象なら顔をこうやって、(90度傾けて)反対になるんだ!!」
「お〜〜〜スバラシイ。
そうなんだよね、、、なるほど」
「あっ、とうさん。どうして鏡は上下逆にならないの?」
「ソレはだな、、、左右とか上下というのは人間が作った概念だからだ!」
「(´ヘ`;)ハァ?」
「鏡は直線的(面対称)に反転するのだから、鏡を90度回転しておくと、上下は逆に映るだろう。
つまり、左右とか、上下というのは人間が作った概念で、別に鏡が好んで
左右反転はするが、上下反転はしないんじゃない。」
「はぁはぁ〜〜〜恐れ入りました。」
「だが、Y(子どもの名前)が考えた、目が上下なら?っていう仮定はエライ!!
その通り。」
「うん!!」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
こうしてaranさんの結論、
「人間が上下逆に映そうとしないだけ」ということに、
我が家もたどり着いたのです。
鏡と言えば、
ミラー対称性とか、うんぬんかんぬん、
難しいことは思いつく。
しかし、「何故、上下逆にならないの?」と改めて
聞かれると、悩んでしまう。
実は解答は、
「上下逆に映さないだけ」という
なんだかすごく簡単なことです。
だがだが
この意味することは、実に深い。
発想の転換。本質を探る上での柔軟な考え、
そして、みずみずしい感性。
いろいろなことを改めて学びました。
今までわかったつもりになっていたことや、
当たり前と思っていたことが案外分からない、
ということを再確認。

それにしても、知的好奇心の大切さをヒシヒシと感じます。
波多野誼余夫、稲垣佳世子は「知的好奇心」(中公新書)の中で、
「好きなこと」「興味を持ったこと」が
いかに学習効果を高めていくか、ということを
実験をとおして述べています。
本の最後で著者は格調高く
好奇心、向上心の場の必要性を書いています。
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「一人ひとりの子どもを伸ばすのに、ゼイタクすぎるということがあるだろうか。
同じように、社会についても、
個々人それぞれの可能性をいかすうえでのゼイタクはもっと追求されてよい。
そのためにこそ、われわれは豊かさを
求めてきたのだから。
個別化についてのこうした新しい見方こそが、
本当に人間らしい教育や社会、
つまりだれもが好奇心、向上心を発揮しうる場をつくるための基礎だろう(後略)」
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2004.05.13

プロクルステスのベッド

「プロクルステスのベッド」この言葉は
普通、教育の現場で使われることが多いようです。

ギリシア神話に出てくる強盗、プロクルステス。
彼は街道に住み、旅人を泊めます。
彼の家には大小の二つのベッドがあります。
背の高い旅人は小さなベッドに、
小柄な人は大きなベッドに寝かされます。
そして、寝静まった頃、
プロクルステスは、寝ている旅人を、
ベッドの丈に合わせます。
つまり、大きい人は、はみ出た分を切り、
小さい人は、おもしで熨します。
こうしてベッドに旅人の丈を合わせてから、
彼は金品を奪ったそうです。

この話から
「初めに型あり」で、
その型に、無理矢理人間をはめると
いう意味が与えられたのが、
「プロクルステスのベッド」という言葉です。
そういうわけで、
教育の現場では、
とかく子どもたちを「型」にはめたがる教師や親への
苦言を呈する意味で使われることあります。

さて、このプロクルステス。
教育の現場もさることながら、
います。います。
うじゃうじゃと。
国会に。
「もう、法案ができたのだから、」
「予算は組まれたのだから」
と、いう理由で、
国民を「法」に合わせようとする。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
みんな、やさしそうな顔をして、
にこやかに笑いながら、
街道を歩く旅人に声をかけている。
「さぁ、いらっしゃい、いらっしゃい。
うちのベッドは100年は安心だよ。」
「いやぁ、、、うちこそ絶対大丈夫。
旦那さんは、ちょっとこけてご隠居になったけれど、
番頭さんがしっかりしているから、、、」
「いやぁ、何をおっしゃるミンさんや。
皆さん、うちにこなきゃイカンザキ。」
と、ニコヤカにまるでバラ色の宿が待っているように、
旅人に言う。
旅人は立ち止まり、悩んでしまう。
一方、泊まっている旅人に目をやると。
「あっ、あのぉ、ベッドがちょっと古いんですけれど、、、」
「何を言っているの。選んだのはアナタでしょ。
まだ、そんなことを言っているの。自己責任ですよ。」

「えっっ  水漏れするんですけれど、、、」
「あっ、それね、前の主人が、よその宿と同じでいい、
と言ったので、もう修理しないんですよ。
我慢してください。」

「オイオイ。最初の値段とエライ違うじゃないか。」
「何を言っているのですか。