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2004.06.30

「時計じかけのオレンジ」が今、そこに

「時計じかけのオレンジ」という映画、ご覧になったことありますか?
監督は、あのスタンリー・キューブリックです。
この映画に関しては、「時計じかけのオレンジ」から人間性を考えるというサイトで詳しく書かれていますので、
是非、ご覧ください。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(これからは、映画のあらすじの話などを書くので、
「ネタバレ」になるかもしれません、、、)
イギリスの近未来。
主人公は、「暴力、性」であけくれる日々を送ります。
あの当時としては、その描写はビビッドで、薄ら寒いものがありました。
あげく、仲間の裏切りで「投獄」。
そして、「洗脳」されて、非暴力、無気力の若者が出来上がるのでした。
しかし、
しかし、
「洗脳」の呪縛は解かれ、主人公は「元に戻る」
という映画です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私は最初、この映画を見たときは、(随分前です)
後味が悪くて、イヤ〜〜〜〜な映画でした。
「どうして、キューブリックは、こんな映画を作ったんだろう??」
と、訝しく思いました。
しかし、
2004年の今。
この映画を、思い出すと、
「まぁ、なんと、現代によく似ていることか。」と驚いています。
若者たちの、未来への不安や不満。
国家による、統制、規制。
その危なっかしいバランスが、
新しい危機を生み出している現代。
「昼か夜か」
「善か悪か」
「全体か個か」
「金持ちか貧乏人か」
「賢いか否か」
「、、、」
二つの対極にある価値観の中で、
揺れに揺れています。
この秤のメモリが、
いずれの側に傾いても、
それは、「破滅」の一歩のような気がします。
そして、
どちらに動いても、
「国家」という権力がさらに強くなり、
私たちを、さらに統制、規制、強制していくような気がします。
それに、立ち向かう手段が、
映画「時計じかけのオレンジ」の主人公のように
なるしかない、、、
そんな時代に突入しようとしているのでしょうか???

なんだか、
この頃のいろんな世の中の動きを見ていて、
考えてしまいました、、、

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2004.06.29

鳥なき里のこうもり達

優れた人がいないところでは、つまらない者が、
大きな顔をすることを、
日本のことわざでは、
「鳥なき里のこうもり」
と、言います。

さて、遠いイラクのお話。
・・・・・・・・・・・・・
6月28日。
突然、主権国家になって、
国際社会にデビュー。
アメリカ主導の占領機関、連合国暫定当局(CPA)が、
イラク暫定政府に主権を移譲。
・・・・・・・・・・・・
したそうです。
今朝は新聞、テレビ、ラジオで報道されていましたから、
もうご存じとは思いますが、、、
当初の30日を
「二日繰り上げ」したその意味することは、
深刻です。

勿論、
「テロ」への警戒が唯一、最大の理由です。

予定を繰り上げたことで、
テロが起こらないならば、
それに越したことはありません。
また、そうであることを心から願っています。

しかし、
「闇の中」で行われた主権移譲は、
CPA自らが、
「その矛盾」を明らかにした、
と、思わざるおえません。

この戦争自体が、
なんの大義も無ければ、
占領政策も、先が見えなかった。
更に、
今回の、
主権移譲のやり方が、
当時者6人で、ブーツをはいたまま、
あたふたと行われましたが、
まさに今のイラクとアメリカの国際社会における
象徴のようだと思います。
どこの国際社会(?)にも受け入れられることのない
イラク暫定政府。
俗名「CIAの男」とも言われる、
アラウィ首相が、中心になって作る政府を、
だれが
「イラク人の政府」と認めるでしょうか???
むしろ、
アメリカより政府のために、
混迷は深まり、
同胞同士が憎しみ、
殺し合う事態を招くだけのような気がします。
アメリカが、
アメリカのためにだけ行った戦争に、
否応なく巻き込まれていく、
砂漠の豊かな歴史を持った国の人々を
思うと、胸が張り裂けそうです。

また、この事態にたいして、
日本国政府はどういう態度を取ったか?
ご存じのように、
慌てて28日夜。
「持ち回り閣議」で、
「イラク暫定政府」を承認。
泥棒を捕まえて慌てて縄をなったのでしょうか???
当然、
自衛隊の多国籍軍参加も前倒しになりました。
前倒しというより、
なし崩しの感がしますが、、、
在沖縄米軍のグレグソン前四軍調整官が、
「日本全体が、海に浮かぶ睡蓮のようなものでなく、
アジア全域への米軍の動きをやりやすくするための、
戦略的中軸、ハブ(母港)のようなものとして、
機能することになるだろう。」と述べているそうです。
そうか、
日本はアメリカの「ハブ」になるのか、、、
今、私たちが住んでいる国は、睡蓮だそうな、、、
ハス(蓮)からハブへ、、、か。
いかにも、
民族、文化に対して、
敬意を払う習慣のないアメリカ人らしい譬えだなぁ、
なんて感心している場合では、ないのですが、、、
(もっとも、アメリカ人に対しては個人的には、
明るくて、親切で良い思い出ばかりの私ではあります)

しかし、ここまで言われて、
(アメリカの「ハブ」になるだろうと)
黙って唯々諾々
笑っている政府というのも情けない。
そんな、「人生いろいろ」
なんて言っている場合か。
と、私は「花」を背にインタビューする小泉さんに、
テレビの前で、ひとり言ってるのですが、(チョット、これって暗いかな?)
まぁ、考えてみれば、
小泉さんも、このままでは
「こうもり」
だからな、、、

あ〜〜〜
イラクには、
しばらく、
コウモリが跋扈しそうです。

まだ、今のところ
睡蓮のうえに住んでいる私たちは、
どうしたらいいんだろう???

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2004.06.28

法演の四戒

J1リーグのファストステージが26日の土曜日に終わり、
横浜マリノスの優勝が決まりました。

ファストステージを終え、
いろんな掲示板を覗いたりしたのですが、
「審判のミスジャッジ」への抗議、不満が多いことに気がつきました。
この問題は、何も昨日、今日の問題ではないのですが、、、

例えば、
私はサンフレッチェ広島のサポーターなのですが、
広島側から、言わせてもらえば、
ジュビロ磐田のFWが得点を上げる、チョット前、
広島のDFをエルボでボ〜〜〜ン、
と、叩きつけ、DFが倒れている隙に得点。
と、いう悪夢のような出来事が一瞬にして行われたわけです。
審判は、ファールを取らなくて、試合を流した直後のゴール。
これは、
これは、
広島サポにとっては許し難い。
許せない、、、

当然、試合終了後の掲示板は、
「審判」について審判が下るわけです。

しかし、
これは、広島に限ったことではありません。
お互い様です。
よそのサポもみんな、
審判には「泣かされている」
いやいや、選手こそが、そうだと思います。
先に書いた相手チームのFWだって、
以前、不可解な判定で泣いた(?)選手なのです。
納得できない判定のために、
場内が騒然となったり、
チームや、
選手の「その後」が変わったりするから、
審判という仕事は、
本当に大変だと思います。
「人は間違いをおかすもの」
とは言え、
そこはそれ、
やはり「贔屓のチーム」に対しては熱くなります。

協会の方も、この問題を、
見過ごしているわけでなくて、
対策を考えてはいるようです。
「ビデオ導入」
「審判の数を増やす」
等。
しかし、
いずれも長所と短所があって、
効果的な解決策はいまだ無いようです。

現実、可能なことは、
「審判の質」を高めること、
ぐらいでしょうか???
あっ、
ところで、日本の審判の方の名誉のために
言うならば、
これは、
「日本人の審判の質が低い」ということでは、
ありません。
今、行われている「欧州選手権」でも、
あるいは「ワールドカップ」でも、
厳しい判定,
いかがわしい判定は沢山あります。
審判は一瞬の判断で、
「決定」しなければいけない仕事だから、
本当に、
ほんとうに大変だろうと思います。
いずれの判定でも、
一方のチームからはブーイングが来るから、、、

そうすると、
やはり解決策は、
「間違い、ミスも含めてサッカー」
と、思うしかない。
それは、選手だってミスをするのだから、
当然なのかもしれません。
ただ、サポーターが何よりも
不信を持つのは、
「審判の判定が揺れ動いている場合」なのです。
ミスジャッジの多い審判なら、
その審判は、最後まで徹底して、
両方のチームに公平にミスジャッジをして欲しい、、、
と、私は思うのです。
勿論、
ミスジャッジを認めているわけではないので、念のため。
それより、
大切なことは、
「そこにいつまでも踏みとどまらないこと」
「気持ちを変えていくこと」
相手の失敗をいつまでも、グチャグチャ言わない。
前向きに対応すること。
そこにこそ、
幸福の女神は微笑むのでしょうか?

さて、
私は子どもたちに、勉強を教えていましたが、
これは、
「自分自身への修行」であったと思います。
ひとは、
本当に自分の思い通りには動かない。
そんな時、見つけた素敵な言葉。
最後にこの言葉を紹介します。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
1,福を受け尽くすべからず、
   すなわち必ず禍殃をいたす。
2,勢いを使い尽くすべからず、
   勢い尽くすときは、すなわち定めて欺侮に遭う。
3,語言は説き尽くすべからず、
   説き尽くせば、すなわち機密ならず。
4,規矩は行い尽くすべからず、
   行い尽くすときは、衆とどまりがたし。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
中国宋時代の高名な禅の僧、五祖法演の言葉で、
「法演の四戒」と、世には知られています。
4つの順番は、書物によって違うようですが、
意味は、
幸福を求めすぎること、
勢いがありすぎること、
言葉で説き尽くしすぎること、
行いが厳格すぎることを戒めているものです。
「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」
という意味でしょうか。
自分の「幸福、損得」を求めすぎない。
自分の価値観を振り回しすぎない。
他人に対して、
「及ばないこと」ばかりに目をやり、
キリキリと相手を追い詰め、
析伏させようとしない。
自分への厳格さを通り越して、
他人にも忠誠を求めすぎない。
「つい、やりすぎになる態度」への戒めです。
含蓄溢れる言葉。
自分自身への自戒をこめて、
「人がひとを判断すること」の難しさを考えてしまいました。

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2004.06.27

マリノスおめでとう(*^_^*)

昨日、Jリーグファーストステージの優勝を、
横浜マリノスが決めました。
マリノスの選手、サポーターの方、
おめでとうございます。

私はサンフレッチェ広島のサポだから、
昨日はジュビロ磐田との対戦をテレビで観戦。
結果は2−4で負けました。
残念!!!

まぁ、終わった試合の、
戦術やらあれこれの評価は、
もっと、詳しい方に譲るとして、
テレビ観戦で思うことをここで書きます。

アナウンサーも解説者も、
「主語」が磐田。
これって、
これって、
広島サポは猛烈に腹が立つうううううううう。
例えば、
前半最初の方に、まず得点。
「わぁ〜〜〜〜〜い。」
と、我が家は、ビックリするくらい盛り上がりました。
それなのに、
テレビのアナウンサーと解説者は、
「お〜〜〜、
磐田。先に点を取られました。
このままでは、もう優勝の見込みはありません。」
と絶叫。
次に、グラウが得点をして、
同点になるまで、
ひたすら、二人(アナウンサーと解説者)は、
ジュビロとマリノスの話ばかり。
「オイオイ、試合をしているのは、広島だぞ〜〜〜〜〜」
そして、
待望(?)の得点をグラウが入れると、
「おお〜〜〜〜、やりました。
グラウ。
スバラシイ!!!
取るべき人が取りました、、、、
これで、弾みがつきました。」
とアナウンサー。
「そうですね、、、
これから、ドンドン点を入れてもらいたいですね、、、」
と、解説者。
「オイ。コラ。
こっちは広島サポだぞーーーーー」

と、まぁこんな調子で、
前半終了。

そうして、後半が始まり、
すぐに、
磐田がパンパンと二得点。
「ジュビロ、3−1と。しました。
まだ、マリノスは得点がありません。
このままでいくと〜〜〜〜〜」
と、丁寧に(?)優勝への道筋を説いてくれます。

そうして、広島の
森崎浩司が入り、
FKから直接ゴ〜〜〜〜ル。
「おおおお〜〜〜〜
さすが、森崎。双子の弟。
この人が入ると違いますね、、、」
と、浩司のことはほめてくれました。

(そうか、、、浩司は全国区になったのか、)
と、思いきや、すぐに、
「この人には気を付けなければいけません。」
と、言うと、
「そうですね〜〜〜
広島は怖いですね。
こうした人がいますから、、、
磐田は、、、、、、、、、、」
と、延々と磐田のお話になります。

その間。
マリノスが得点を入れて1−0という情報が入りました。
それからは、
目の前の試合そっちのけ(?)で、
マリノスの話。
「○○サン(解説者の名)、
このままでは、
マリノスの優勝ですね、、、」
「いや〜〜〜まだ分かりません。
一点差というのは、
一点が入ったら同点になります。」

 あたりまえじゃ〜〜〜〜〜
(^^;
こんなことなら、私でも言える。

と、まぁ。
最後までこんな調子で、
試合は終わり。
結果は、
マリノスが優勝。

アナウンサーと解説者。
「あ〜〜〜残念。
ジュビロ磐田。
しかし、今日勝ったことで、
セカンドステージに繋がります。
では、皆さん、ヤマハスタジアムからさようなら〜〜〜〜」

お〜〜〜い。
広島はどうなってんだよ、、、、

かわいそうな広島組。

う〜〜〜〜ん。
こうなりゃ、
やはり
「力」をつけるしかない。
セカンドステージは、
広島が主語だ〜〜〜〜
こっちは、
未来のルーニーがいっぱいいるんだぞ。
(ホント?)

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2004.06.25

シャロット姫からノーラまで

川の中州にシャロット姫は住んでいた。
シャロット姫は、
外の世界を直接見ると、死ぬ、という呪いをかけられていた。
川岸には、凛々しいランスロット卿の住む、キャメロット城がある。
シャロット姫の部屋には、鏡があり、
それを通してしか、外の世界を知ることができない。
シャロット姫は、来る日も、来る日も、織物(タペストリ)を織りつづけている。
恋愛を楽しむ恋人たちの姿を鏡を通して見るにつけ、
シャロット姫は、鏡に映る影の世界に退屈し始める。
ある日、
ランスロット卿が、川のほとりで歌う。
その歌声に惹かれ、
シャロット姫は、織物の手をとめ、外の世界を覗いてしまう。
とたんに、呪いが現実となってしまう。
織物は飛び散り、
その糸はシャロット姫に巻きつき、
鏡には端から端まで、ひびが入る。
ランスロット卿を追い、
舟に乗り、岸まで行こうとしたシャロット姫だが、
キャメロットの岸に舟が着いたときには、息絶えていた。

 (19世紀 詩人 アルフレッド・テニスン(1809?1892)の作品より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
イギリスの詩人、テニスンが詠ったシャロット姫は、
まさに古い家族制度の呪縛にからめとられた、
女性の話です。
この中で、
「女は、家の仕事をモクモクとすること」
の是が教えられています。

一方、同じ頃、フランスではイプセンが、
「人形の家」という戯曲で
人妻ノーラが自我に目覚めていく様を
描きました。

婦人問題、フェミニズム運動は、
本当に難しい。
以前、このブログでも書いたように、
社会的問題でありながら、
極めて個人的、私的な問題であるため、
一つひとつのケースが違うから、
そこから、
普遍妥当な答えを導くことが難しいのでしょう。
私も、できればこのテーマは、
難しくて書きたくないのだけれど、
先日、
酒井順子さんの著書が示すことに触れた際、
一人の方から、頂いたコメントが、
かなり「問題の本質」を突いているように思ったのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
結婚しない、子供を生まないという消極方法で、
「女の仕事」を捨てるということが行われている。
そうやって「楽をする女」への、
いまだに女の仕事を重荷としてしょっている女たちからの
ルサンチマンをかわすために、
先に「ああ、どーせ私たちは負け犬ですよ」といってしまおう、ということだよね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ウ〜〜〜〜ン。
なるほど、
「負け犬発言」は
彼女の言う
「楽をする女への
いまだに女の仕事の重荷をしょっているルサンチマンをかわすために、」
だったのか。
仕掛人の酒井さん本人が、
そこまで認識しているかどうかは、
ここでは、考えないことにして、
既婚女性の「怨念」に似たものというのは、
あるのだろうか???
あっ、
その前に、
「ルサンチマン」という言葉は、
ここでは、
「恨みや憎しみが心の中にこもって鬱屈した状態」
という意味で使っていこうと思います。
ニーチェはさらに
哲学用語として、
「被支配者あるいは弱者が、
支配者や強者への憎悪やねたみを内心にため込んでいること。怨恨。」
と、定義しているようですが、、、

さて、話を本題に戻すなら、
この極めてデリケートな問題が、
社会問題の俎上に上ってきたのは、
一連のフェミニズム運動、
ラディカルな「性差別反対」運動。
等、時々の運動の成果ではあると思うのです。
しかし、
こうした先輩たちの運動の歴史を経ても、
いまなお厳然と
「女同士の恨み、つらみ」があるとしたら、
これは、
「未成熟な近代市民」という範疇に入ってしまうのではないだろうか???

「成熟」という言葉が持つ意味は、
「自分の立場と相手の立場の違いを、
想像、理解し、
お互いに、相手の立場を尊敬すること」
だと、私は思うのです。
ところが、現実には、
コメントしてくださった方の指摘のように、
「ルサンチマン」をお互いが、
相手に対して、持っているとしたら、
そして、お互いに、
「相手の立場より、自分の立場がより大変」
と、思っているとしたら、
やはり、
それは、
過去の遺物を自分の中に抱えていることなのでしょう。
「正義」とか、
「真理」とか、
そんな言葉では表されない
「魂」の部分で、
私たちは、まだ
近代市民としての成熟をみていない、、、
そんな気がしてなりません。

こうしたことは、
広く世の中を見ると、
いろんなところで見られます。
今、
イラクで行われている憎しみの連鎖も、
渦巻いている「欲」が巻き起こしたにしては、
あまりに弱い一般の人たちの犠牲が、
いずれ、「ルサンチマン」として表れ、
果てなき破壊への輪舞となるのでしょうか???

頂いたコメントから、
いろんな事を考えました、、、

まだ、まだ、
問題は山積。
この問題、
本当にむずかし〜〜〜〜い。

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ビューリダンのロバ

哲学の言葉です。
二つの干し草の山を目にして、
どっちの山から食べようか迷ったロバは、
こっちの山に行こうと思い、
「待てよ。やっぱりあっちか、、、」
と、考え、
あっちに向かう。
途中で、
「イヤ、待てよ。やっぱり向こうが沢山あるか?」
と、方向を変える。
こっちと、あっちを、
行ったり来たりしているうちに、
ついに死んでしまった哀れなロバの話です。

この話から、
「二つの価値観を行ったり来たりして、
ついには、自分でもワケが分からなくなる」
と、いう教訓を得る人もいれば、
「あまり欲は、かかないでおこう。」
と控えめな教訓を導く人もいます。

エピソード、教訓という物は、
それを引用する人が、
自分の都合のいいように使うものだから、
(同じことわざが、
まったく立場の違う人から使われている事もいっぱいある)
その人がその状況で、自分自身への
納得という形で使えばいいと思います。

したがって、
この「ビューリダンのロバ」も、
いろんな解釈があっていいのです。

そして、今回私が言いたいことは、
まさにそこなのです。

ある物に対して二つの価値観しか無いということは、
やはり
「こわい。」

例えば、卑近な例をあげるならば、
今、耳目をさらい、
洛陽の紙価を高めた、
「負け犬の遠吠え」にしても、
「勝ち」か「負け」かの二つの立場しかありません。

「善か悪か」
「自由か抑圧か」
「資本主義か社会主義か」
「、、、、、」
とにかく私たちは、
いろんなことをカテゴリーに分けることが好きで、
しかも、
たいていは大きく二つに分けることが好きです。

しかし、
人はいつだって変わる。
不断に成長しているのです。
その生涯のある時期、
革命家であり共産主義者であった、
その後、
自由思想家、キリスト教徒、神秘家
を経て、
ファシスト、実存主義者と
様々な冠を呈して若くして生涯を閉じた
シモーヌ・ウェーユという女性がいました。
彼女ほど変遷しなくても、
私たちは、
いつも日々揺れ動いているわけです。
「善か悪か、」
なんて単純な価値観では、
推し量れない部分でたゆたい、戸惑っています。
行ったり来たりしているわけです。
二つのみの選択に追いやられることは、
とても、とても苦しいことって、いっぱいありませんか?
(戦争か平和かのみが、
二つの選択を許されるものだと思います)
「その合間」を埋める、
冗長ともおもえる「ため」の部分、
「ゆとり」の部分が必要だと思うのです。
こうした考え方が、
東洋の哲学者の知恵であったと思います。
「中庸」
とでも言うのでしょうか、、、

さて、
私は次に行われる選挙が、
「二大政党時代の幕開け」のように
位置づけられるのは、
「こわい」
と、単純に思うのです。

選挙の選択が、
「自民か反自民か」
という図式はやはりおかしい。
自民という干し草の山と、
反自民(多分民主党)という干し草の山を目にして、
結局、死んでしまうロバにはなれない。

やはり、
共産党、社民党、それ以外の市民団体からの代表。
いろんな議員を国会に送らなければ、
私たち国民は、
二つの価値観だけしか、
選べなくなるのではないでしょうか???
もっと、多くの可能性、選択制を
国会に持って欲しいと願っている私です。
愛のまぜご飯で、
heteheeteさんが、各政党、候補者について,
詳しく、多岐にわたり調べていますので、
すごく参考になりますよ。
blog JUNXIONさんも6/29日から参議院戦に向けて、各政党の世論調査なども踏まえて分析しています。

そんな思いで、
今日は「ビューリダンのロバ」の話を
紹介しました。

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2004.06.24

今日は何の日?

今日はなんの日,
6月24日は何の日かご存じですか?
今日は
「UFO記念日」
「空とぶ円盤記念日」
でもあります。
これは、
UFOの資料館・UFOライブラリーが制定した記念日です。
終戦まもない1947(昭和23)年の今日、
アメリカの実業家ケネス・アーノルドさんが、
オレゴン州上空で「空飛ぶ円盤」を目撃。
はじめは疑いをもってみられましたが、
同じような情報が届けられ、
ついに研究会もできました。
そして、
名前を空飛ぶ円盤から、
UFOと改められたそうです。
世界初のUFO目撃です。
UFO(Unidentified Flying Object)とは、
未確認飛行物体のことです。
今日が世界初のUFO目撃の日です。

また、美空ひばりさんの命日
「林檎忌」でもあります。
ひばりさんも、
空の上から、
私たちのことを見ているのでしょうか、、、

「ドレミの日」
「麦の日」
でもあります。

記念日ではないけれど、
「壬申の乱」の勃発日
でもあるんですね、、、

なるほど、
いろいろ思い出やゆかりのある人には、
大切な一日なんですね、、、

さてさて、
私にとっては、
2004年、6月24日は、
やっぱり
そう、第20回参議院選挙の公示日です。
もう「耳」と「目」と「肌」でご存じのことと思います。
今日が、日本の未来にとって、
輝しい記念日になるために、
絶対に7月11日の投票日には、
「投票に行きましょう!!」

自分の一票は、
小さな一票かもしれないけれど、
この一票は、
日本にとっては大きな一票である。
と、私は信じています。

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読まれざる名作

あなたの
「読まれざる名作」
は、なんですか???

ーー読まれざる名作ーー
つまり、内容、あらすじは知っているものの
ちゃんとは読んでいない、
という本です。

一般的に
有名なのは、
セルバンテスの
「ドン・キホーテ」です。
あなたは、
読んだことがありますか?
勿論、私はありません。
しかし、あらすじや登場人物の性格などは、
うっすらと困らない程度に知っています。

ドン・キホーテは此方において、
私にとっての、
「読まれざる名作」は
夏目漱石の、
「坊ちゃん」
「我が輩は猫である」
なのです。
どうしてか、、、
多分読む機会を失したのでしょうねぇ。

ほら、
中学の時。
夏休みの宿題の読後感想文とか
書くためにリストをもらったりしたじゃないですか。
「新潮文庫100選」とか。
「岩波ジュニア文庫、、、」
とか。
そういう時、
いい加減な私は、
本の厚さで、
選んだりしてました。
そこで、
選んだ本が、
芥川とか、、、(^^;
今から、思えばあんな難しい本。
どんな風に感想書いたのか???
(どうせ、
あらすじ+おもしろかった+また読みたいです。
だろうな、、、)
そして、高校生になって、
漱石に はまることははまったのです。
まず、
「三四郎」「それから」「門」の三部作。
「こころ」や「虞美人草」「明暗」、、、
と、読んだのです。
しかし、
しかし、
「坊ちゃん」と「猫」
読んでいない。
いまさら、、、
と思っているわけでもないのですが、
なぜか、機会がない。

そういう本ってありませんか???

さて、ここで、質問。
いま話題の
「日本国憲法」
是非の論議はともかくとして、
読んだことありますか???
私は勿論無いです。
まぁ、法律家でもないから、いいのかもしれませんが、
せめて、
憲法前文と
話題の9条は
やはり読まなきゃ、、、
と、思っています。
みなさんは、
如何ですか???
もし、よろしければ
ブログの中で、
ご一緒に。(*^_^*)

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2004.06.23

酒井順子〜負け犬の遠吠え〜が示すことは?

この本、
「負け犬の遠吠え」
酒井順子著    講○社発行
ウラ表紙を閉じて、
一番目に思ったこと、
「しまった〜〜〜。
出版社の罠にヤスヤスと、
はまった〜〜〜〜」
と、いうことです。
イヤァ・・・やられたな。
編集者のニンマリが目に浮かびます。


「立ち読み」で読んだ以上のことは
何も書かれていませんでした。
〜そこで、酒井さん。
まぁ、私も買ったので、その分(1400円)だけは、
ここで、言わせてくださいね。〜〜〜

「酒井さんはサカイさんをやっているの、
大変だろうな、、、」
なんて、酒井さんに変に同情。
彼女は、
今まで「ノリ」で軽くエッセイを書いて、
「読ませてなんぼ」の世界にいました。
確かに、私も彼女の書く物は、
「軽くて、オモシロくて」
フッと、笑って読んでいました。
人の心をとらえるキャッチコピーなんかは、
さすがに
広告代理店で鍛えた物があるのか、
上手です。
そんな彼女が、
「負け犬〜〜〜」を書いたのですが、
これについても、
一回こっきりぐらいなら、
笑えて読めるのですが、
単行本になって、
ず〜〜と読者を引っ張っていくには、
「経験、知恵、知識、世界観」が浅薄なのです。
(酒井さん、ちょっとキツイ言い方だったらゴメン。)
読者である私としたら、
やはり、
田中美津さんのように、
堂々とジェンダーフリーを唱えつつ、
その歴史、社会的背景、今後の展望など
論陣を張って、
さらに有名な
「女性は便所か?」
というショッキング発言で、
当時の社会の一つを牽引したもの
(賛否両論はあるものの)
を期待していたのですが、、、
実際に、
本をひもといてみると、
ある年齢以上の女性を負け犬と称して、
その「生態」を自分の体験を中心に、
オモシロく(?)描いているつもりのようですが、、、
そもそも、
酒井さんが、
カテゴリーに分けている
勝ち犬、負け犬の洞察が、
粗くて、雑。
彼女が称する勝ち犬という物が、
どんなものか、彼女自身が知らないので、
一方的な考察になるのは仕方がないとしても、、、
「人」の評価が、
「勝ち、負け」というところで言及しているから、
対象全て(いずれの立場でも)に対して。優しくない。
と、思いました。
最初のスタートがそんなだから、
最後まで、
同じことをクドクドと、
愚にも付かないことを言っているだけで、
何も結論が出てこない。
あとがきに、
「世の中にはイロイロな人があるということを、
知ってもらいたかった、、、」
なんてことで、
チャンチャン。

オイオイ。
これじゃ、泣くになけないよ〜〜〜(遠吠えワンワン)
「人生いろいろ」なんて、
どこかの国の首相に似てないか、、、
最後まで読んだのに、、、
もっと、期待していたのに。

しかし、
考えてみたら、
酒井さんも、
本当は自分でビックリしているんじゃないかな??
なぜなら、
彼女も出版社の戦略に組み込まれた
一人だから。
「売らんかな」主義の出版社の編集者の顔が、
手に取るように思い浮かびます。
ボロボロの雑巾、もう、どんなに絞っても、
一滴もでないような「知恵」を、
さらに絞り出させて、著者に書かせるのです。
(それこそが編集者の真骨頂。腕のみせどころ)

そして、そして、
書かせたら
後は、センセイーショナルな売り出しコピーを、
考えて、
世論をミスリードしていく。(この場合は)
これが、
出版社のやり方なのだ!!!
(どこでも、大手出版社の仕事だから、、、)

酒井さん、
貴女には怒っていないけれど、
(今まで通りの軽いノリで
これからも書いていて下さい。)
出版社のやり方に腹を立て、
なおかつ、
それにはまった自分に、
腹を立てている私なのです。
そして、そんな自分を棚にあげつつ、
酒井さんの本が一連の社会現象を起こした背景は、
かなり深刻に受け止めています。
この本が読まれ、
賛否両論はありつつも、
一つの社会現象になったと、いう意味は、
「家庭」が一つの社会単位ではなくなりつつ
あることだと思います。
結婚を望まない、
結婚をしない人たちが増えている、
と言うことは、
政治の貧困の一つのインジケータだと思います。
日本の社会の病理は、
グ〜〜〜ンと深いところに潜んでいるのでしょうか?
私たちが本来考えるべきことは、
「負け犬、勝ち犬」なんて表面のことではなくて、
もっと本質的な、
社会の仕組みを考え、論ずるべきではないでしょうか?
ややもすれば、
言葉の持つ力のみに振り回されそうな
自分をかいま見たという点では、
社会の病理をえぐり出したと言う意味では、
酒井順子さん、出版社には
「有り難う!!」
と、思いながら、
なお問題は深まった感がしている私です。

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星に願いを

今晩、「うしかい座流星群」を見ることができるかもしれません。
詳しくは出現するか?梅雨空のうしかい座流星群をご覧ください。
観測できるといいですね、、、
さて、あなたなら
流れ星に何をお願いしますか???
私は、
「健康」
「家族の幸せ」
その次に、
「世の中平和」
かな???
やっぱり、
どうもイチバンは
自分みたいです、、、、(^^;

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2004.06.22

美しき川は流れたり

美しき川は流れたり
そのほとりに我はすみぬ
春は春、なつはなつの
花つける堤に坐りて
こまやけき本の情けと愛とを知りぬ
いまもその川のながれ
美しき微風ととも
蒼き波たたへたり
     室生犀星  [犀川] より
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この詩は、
室生犀星の詩です。
私の生まれ、育った、
金沢の町の、
”郷土の文人”の一人。
室生犀星。

彼が詠った”美しい川”
犀川。

私は、
この北国の、ふるさと、
金沢の「早春」が一番好きです。
雪解けで、
あちこちがぬかるみ、
地面はグチャグチャ。
足元に気を取られながらも、
日の光を吸い込み、
照り返す雪のまぶしさに、
思わず、空を見上げると、
もう、春。
鉛色のド〜〜〜ンと重たい冬の空から、
軽やかな青い、白い空に様変わるこの季節が、
一番好きでした。
犀星が愛し、歌い込んだ川、犀川の水面も、
鏡のようにキラキラときらめき、
彼方の銀色の白山連峰を鮮やかに映し出すのです。
私は、犀星には遠く及ばないものの、
友だちと、
この川の土手に座り、
川岸を歩き、
”まだ見ぬ君”に思いを寄せた、
遠い昔の青春を、
今、
なつかしく思い出します。

豊かな自然と、
茫漠としてはいるが、
確かに横たわっている未来。
そんな物があった時代でした。

しかし、
今の子どもたちを思うと、
我が子や、
その先に続く子どもたちには、
どんな未来が待っているのだろうか???
不透明で先が見えない子どもたち。
この時代を表す言葉が、
「心の闇」
というものであったとしたら、
それは、あまりに淋しい。
悲しい。

詩情あふれる、しなやかな言葉で、
子どもたちを、
迎え、
巣立ちを送る、
そんな願いを、強く持ちます。

いつの時代も、
子どもは、
「秘めた思い」をソッ〜と胸に抱え、
「熱い情熱」を抱きながら、
生きているのです。
その思いが、
美しい風景と共に溶け込み、
長い時間の中に沈みながらも、
宝石のようになお輝いている、
そんな豊かな青春を、
彼らに贈ることは、
大人の責任です。

環境が壊れ、
自然が悲鳴を上げ、
人が死んでいく。

そんな時代を、
彼らの青春の思い出にしてはいけない。
と、強く願っている
今日この頃の私。

さて、それは、それとして、
最後に、
犀星には、下のような詩もあります。

これってヒドイと
思われませんか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
逢いたきひとのあれども
逢いたき人は四十路(よそじ)すぎ
わがそのかみ知るひとはみな四十路すぎ
四十路すぎては何のをとめぞ
をとめの日のありしさえ
さだかにあはれ
信じがたきに
     [四十路] より
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

乙女の日はあった〜〜〜〜〜のだ。
今も変わっていな〜〜〜〜い。
(自分だけはそう、思っている(^^;)

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2004.06.21

ジョンQー最後の決断ー

昨日の日曜日、
子どもと映画を見ました。
映画のタイトルは、
「ジョンQー最後の決断ー」。
2002年、アメリカ映画で、
デンゼル・ワシントン主演の
映画です。
ご覧になった方も多いと思います。

〜〜〜〜〜〜
一人息子が心臓病で入院。
助かる道はただひとつ。
心臓移植。
しかし、高額な医療費がかかる。
主人公は、仕事をリストラされて、
保険では保障されず、
国の補助も受けられない。
そこで、
ついに、
病院をジャックする。
〜〜〜〜〜〜〜
と、いう大味な映画です。
最後は、大団円で終わり、
全ての人がハッピーになるという、
映画でした。

この映画については、
いろんなサイトを見ると、
「ご都合主義」
「自分の要求を通すためには、何をしてもいいのか、、、」
などなど、私も賛成、納得するような
ネガティブな意見も多いのです。
が、
が、
私は「良い映画」だったと思います。
勿論、筋自体は、
いかにも「アメリカ」という荒っぽい物でしたが、
また、最後も、
呆気なすぎるとか、
そういう所もあるのですが、、、

では、何が?
と、問われれば、
私の場合は、
「親が子を思う、その気持ち。
文字通り、命懸けのそれに、
神は奇跡を起こしたもうた。」
と、言うところが、
「いいのです。」

世に言う
社会派映画、
つまり、
貧富の差、
社会保障制度、など
「アメリカ社会の矛盾」をえぐっている部分も
あるのかもしれませんが、
それよりは、
「人の命は、重い」
何よりも重い。
と、いうメッセジーを受け取りました。

今、地球上のどこかで、
戦争のために多くの命が散っている。
死んでいく一人ひとりの背後には、
ジョンQがいるのです。
誰よりも、
何よりも、
その人を大切だと思っている人が、
いることを忘れてはならない。
そんな風に思いながら見終えました。
なお、息子は、
「初めはケチだった病院の理事長、
医者、
警官、全ての人が、最後はいい人に、
なるところが嬉しかった、、、」
と、いう感想でした。

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2004.06.20

速読法

今、子どもは速読法に、はまっています。
指回し健康法でおなじみの
栗田昌弘さんの本をテキストに、
頑張って(?)速読に挑戦中。
私も付き合わされています。
「かあさん、今から一分間測って、、、」
と、まぁ大変なわけです。
つまり時計係。
その合間をぬって私もその本をパラパラ。
栗田さんの理論は、
本をパノラマ的に景色のように、把握。
内容を理解するようです。
(それこそ、速読したので、違っていたらゴメンナサイ。)

さて、そんな速読の本を見ながら、
以前集っていた読書会のことを思い出しました。
もう14~5年前です。
そこでは、
作品の一つひとつの表現を、チェックしていきます。
そうして、
「表現の勉強」をするわけです。
あるとき、
合宿というものがあって、
私も幼い子どもを連れて参加。
そこへ行ってみると、
当時の私よりは、はるかに年配の男の方、女の方がいっぱい。
はじめに、
ヒロシマということで、
先達に敬意を表して、
井伏鱒二の
「黒い雨」。
この、作品を読んで、
「この表現は~~~~」
「ここは、、、、、」
と、じっくりと意見を言います。
まぁ、ここまでは良いのですが、
次が大変
だったのです。
次は、
自分たちが作った作品の合評会だったのです。
そこでは、
みんなの創作をチェックするのですが、
みんな、言いたいことを言うのです。
「歯に衣着せぬ」とは、こういうことを言うのか、、、
という感じ。
私の書いたものなんか、
「漫画」呼ばわりされました。

・・・・・・・・・・・・・・・・
主人公はテレビのディレクター。
あるとき、ドイツのケルンに近い小さな町で、
顔見知りの男とすれ違う。
思わず、声を掛けるが、慌てて立ち去られ、
何気なく後をつけると、
そこにはたいへんな陰謀が隠されていた、、、、
・・・・・・・・・・・・・・・・・
と、いうストリーで、
自分では結構気に入っていたのですが、
年配の方から見たら、
「マンガ」
でした。
あの方たちは、
「純文学こそが語るに足る」
と、思われている節があって、
それ以外はみんな、
マンガ。
さて、そうこうしているうちに、
あちらの人と、こっちの人が、
お互いの作品を、
本気でけなしあいだして、
もう喧嘩寸前。
初めての私はオロオロ。
しかし、周りにいる人は、みんな知らん顔。
「いいのですか、、、、あの二人。」
と、聞く私に、
「あ~~~いいのよ。
いつものことだから。」
と、答えが返ってきました。
いつものこと
だ、そうです。

その後、私は引越しや、
あれやこれやで、
その読書会には行っていないのですが、
同人誌は手元に送られてきます。
みなさんの入魂の作品。
ひとつ、ひとつの表現に時間をかけて、
推敲に
推敲を重ねた作品です。
年取ってなお意気軒昂な方たちです。
敬意を持って、
読まなきゃ~~~。
(かなり、硬い、固い、堅い、、、)

そんなわけで、
私自身は、
一字一句、尺取虫のように
味わいながら読んでいく読書の方が、
性にあっているなぁ~なんて思いながら、
今日も子どもに付き合わされて、
時計係をしています。

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2004.06.19

たったひとつの スマートな抵抗

大池純子は、
自分の頭の中に巣くっている物の正体を、
今、
初めて知った。
それは、
ウィルスだったのだ。
宿主の脳細胞を栄養源として、
どんどん広がっていき、
ついには、宿主の脳を、
隙間だらけのスポンジのようにする、
そんなウィルスだったのだ。

思えば、純子とこのウィルス、
名前をセンロウという。
この物との付き合いは長い。

純子は孤独であった。
都会の一人暮らし。
信じる価値観は何もない。
東ドイツが崩壊した。
その直後のベルリンを訪れて、
純子は驚いた。
象徴とされたブランデンブルグの門のまえに、
旧ソ連の人たちがなぜか、観光客を相手に、
ロシア人形を売っている姿があちこちで見られた。
その時だった。
純子の頭の中で、
「ねぇ、、、社会主義ってイヤだろ。
日本はアメリカと友達でヨカッタね。」
と、言う声なき声が聞こえてきた。
驚いた純子に、
そのものは言う。
自分は無害なエイリアンで、
何も悪いことはしないから安心しろと。
ひとりぼっちの淋しい純子は、
初めは違和感があったものの、
自分の頭の中に巣くうエイリアン、
「ジミンセイ」からやってきた、センロウに
次第に友情を感じてきた。
センロウが言うには、
自分たちの種族は、至る所で、
「人の頭につき、宿主の脳から、ほんのちょっと、
栄養をとり、そのお返しに、宿主の快楽中枢の掃除をする」
と、いう事であった。
なるほど、
センロウが巣くってから、
純子はなにやら毎日が安心であった。
よその国で戦争が起きても、
気にならなかった。
自分の隣の席の同僚が、次の日から会社に来なくなっても、
「あ〜〜リストラされたんだ。可哀想に。」
と、思うだけで、自分の生活は快適であった。
次第に、
しだいに
純子は、考えることをしなくなった。
と、いうより
自分で考えることがどんなことか、
忘れてしまった。

ある日、
純子は新聞を見て驚いた。
そこには、
「日本が遠い彼方の国の戦争に参加する」
という物だった。
さすがに純子は驚いて、
センロウを呼び出した。
頭の中のその物は、機嫌よく出てくると、
純子にこういった。
「やぁ、、、純子。
有り難う。我がシミンセイの仲間たちが
どんどん増えたおかげで、
今や、この国の人間の頭の中は、
すべてこちらの物なんだよ。
感動した。
有り難う。」

その時、純子は、
まだ少し残っている自分の理性の中で、
「これは大変だ。」
と思った。
このままでは、この国は、
ジミンセイのエイリアンたちに乗っ取られる。
もうすでに、
あちこちで増えまくっている。
自分の理性も、もうそろそろ、、、

あ〜〜〜
まだ、この理性があるうちに、
何かしなければ。
これ以上、
彼らを増やさない方法を、、、

そうだ、
あれだ。
あれしかない。
たったひとつのスマートな方法。
それは、
、、、、、、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「たったひとつの冴えたやりかた」
ご存じですか?
ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの名作です。
一人の優しい少女とエイリアンとの友情を描いた
涙、なみだの
感動の作品です。
主人公の少女が宇宙の彼方、
孤独のなかで、エイリアンと知り合い、
次第に友情を育みながら、
最後は、
そのエイリアンの悲しい習性がために、
自ら「死」を選ぶことで、
人類を、宇宙を救うという話です。

さて、この格調高い物語りは物語として、
私は、私たちの頭も
どこかの誰か、
あるいは、何かに乗っ取られていくのではないか、、、
と、危惧する昨今です。
気がついたら、
取り返しがつかないような事態にならないために。

今、
何ができるか。

そう、
私たちにできる
たったひとつのスマートな抵抗は、
「選挙」
です。
まちがっても
まちがっても、
みんなが
「選挙にいかない」
事だけはないように、
願わずにはいられません。
そして、
本当に、ほんとうに
みんなが納得できるように、
選ばれた政治家が
国を動かしてくれることを、
心より祈ります。

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2004.06.18

少女はどこにいる?

少女は、病室の窓から、
空と流れる雲を見ていました。
ソレはまるで、
青い海と逆巻く波のよう。
そのうち、少女は、眠りのそこに沈んでいきました、、、

少女が目をさましたとき、
そこはいつも遊んでいた砂浜でした。
手に取れば流れ落ちるような小さな粒。
キラキラ、サラサラと少女の小さな手からこぼれ落ちます。
寄せては返す波に洗われながら、
ときおりピンク色の貝殻があります。
その固くてゴツゴツした感覚は、幼い手の平に心地よく伝わってきます。
ふと、目をやれば、
遠くに、向かいの島が浮かんでいます。
少女は立ち上がり、波打ち際をゆっくりと歩きました。
波がまだ小さな足にまとわりつき、
白く砕けていきます。
そんな感触を楽しみながら、
少女はさらに歩きます。

少女はゆっくりと目を開けました。
窓からは、
さっきの雲の切れ端がまだ見えました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

例えば、こんな文があるとしましょう。
そして、これが国語の問題になるとします。
問題。
「少女はどこにいますか?」

あなたはどこだと思いますか???

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は以前、友人たちと、
「子どもに如何に国語を教えるか?」
というテーマで勉強会をしていました。
その折、
友人が、「発達心理学」という難しい言葉を使って、
先のような問題を話してくれたのです。
いま、彼女の話を思い出しながら、
内容、要旨を、
ここに再現しました。(ディテールは違うと思いますが)
そこで、彼女が言うには、
発達心理学の立場からすると、
この問題は、解答者の年齢によって正解が違そうです。
小学校低学年が解答者である場合は、
「砂浜に少女がいる。」
で、いいそうです。
しかし、小学校高学年以上になると、
「病室で少女は幼い日の回想、夢を見ている。」
と、なるそうです。
つまり、
人間の発達過程の中で、
時間や空間を把握していくのは、
高学年以上からだそうです。
その段階、段階での、
「到達、理解」
と、いうものがあるそうです。

なるほど、
同じ事柄でも
人は、
その年齢、立場、環境、条件、その他で、
理解、見解という物が違うのでしょうねぇ。

ひろさちやさんは、
「人は他人を誤解する権利を持っている。」
と、言っています。
自分も他人を誤解している。
それなら他人から誤解されても文句は言えまい。
それなら、
その誤解を無理に解こうとあがかずに、
まぁ、ここは一つ、楽しみましょう。
というのが大人の知恵という物なのでしょうか???

私はこの頃、
とみに思うのです。
「人は他人のことは分からない。」
そして、自分の事は、なおさら分からない。
自分のことはさておき、
他人については、
「自分と同じ」と思うことだけは、
やめようと。
育った環境も歩んだ道も違うのだから、
「分かろう」とするのは無理がある。
しかも、人はおおうにして、
相手を分かろうとするより、
自分を分からせようとすることに、汲々とする。
それどころか、
ある時は、
相手を析伏させようと、
むきになる。
ソレは、とても無駄なことだと思うのです。
人はそれぞれ、違うのだけれど、
人もまた、自分と同じように、こちらが分からない、
と、思えば、
気楽になれます。
大切なことは、
相手に「分からせること」ではなくて、
「自分の立場」とは、こういうものだという
理解を求めることではないでしょうか???

そういう意味で、
私はブログをお気楽に、書いています。
また、ひとのブログも、
楽しく拝見しています。
小さな地球の、小さな国の、
さらに小さな町の、
ちっぽけな自分が、
限りある時間に体験できることなんて、
本当に僅か。
みなさんの、
体験や、うんちくから
学ぶことばかりです。
それは、とても楽しくて、、、
「ほぉ〜〜〜」
「へぇ〜〜〜」
と、まるでトリビア。
そして、わたくし瀬戸智子は、
もう一人の
せとともこ に、
自分を分からせようと必死に、
今日もブログに向かって、
愉快に、
しかし悪戦苦闘しながら、やっているわけです。

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2004.06.17

アドルフに告ぐ

今、手塚治虫の漫画
「アドルフに告ぐ」を読み終えたところです。
この本は、昭和60年に手塚治虫さんが、書いた物です。
私は、単行本が出ると、すぐに買い求め、
読みました。
その当時は、
「よくできた漫画だ」と思って、
他の手塚さんの漫画と一緒に本棚に並べておきました、、、

昨日、
本棚の中をのぞいていたら、
ボ〜〜〜ンと文字が目に飛び込んだので、
何気なく、手にとって、
再び読み直し。

いつのまにか、
私の世界は、
第二次大戦の日本を、
ドイツを駆け巡り、
やがて、迎えた戦後の
日本。
更になお戦いの続く
パレスチナへと移ります。

読み終えて、、、
して
その感想は、
・・・・・・・
なかなか辛いものがあります。

一人ひとりの思いは、正しい。
一人ひとり、初めの出発は同じであった。
それなのに、
そうだったのに、
「戦争」という、
るつぼのなかに、
追いやられ、
翻弄された三人のアドルフ。

あまりに悲しい。

「正義ってものの正体を、
すこしばかりかんがえてくれりゃいいと
思いましてね、、、
つまんない望みですが。」
と、
物語りの 語り部の峠草平の、
最後の言葉は、
今の私には、
かなり重い物があります。

私はまだ、自分の中できっちりと
咀嚼、消化してはいませんが、
こんなサイトを、
見つけました。
もし、お時間がありましたら、
立ち寄って下さい。

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驕れる者久しからず

 祇園精舎の鐘の声、
    諸行無常の響きあり。
 沙羅双樹の花の色、
    盛者必衰の理をあらわす。

 驕れる者久しからず、
    ただ春の夜の夢の如し。
 猛き人もついに滅びぬ、
   ひとへに風の前の塵に同じ。
                    平家物語から
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

私の今、住んでいる町は、
古い歴史のある町です。
ある時は、
権力の中枢に、
またある時は、
片隅に追いやられ、、、
為政者の、飽くなき野望の的にされ、
民衆、大衆の、
ひそかではあるが、
確実なエネルギーのたまり場になり、

時代を作り、
時代と歩き、
そして、
次代を担ってきた、
そんな町です。

ちょっと歩くと、
「歴史」にぶつかります。
もっと、歩くと、
「歴史」が向こうからやってきます。
あらゆるところに、
「過去に生きていた人々の息使い」を感じます。
いろんなところに。
「今を生きている人の逞しさ」を感じます。

私が今、住んでいる町はそんなところです。

ここに住んでいる人たちの、
時間は長いのです。
諸行無常の響きを聞いてきたのです。
ここに生きていた人たちの歴史は、
「よそもの」の侵略に耐えながら、
いつの間にか、
「よそもの」を同化して、
「 盛者必衰の理」を見て、
取り込んでいく「したたかな」ものです。

ここに住んでいる人たちは、
知っています。
「 驕れる者久しからず」
と。
 「ただ春の夜の夢のよう」に消えたことを、

この町の連綿と続いた歴史が、
「 猛き人もついに滅び、
 ひとへに風の前の塵のよう」に散っていくことを、
語っているからです。
この町の歴史に、
更に、
あらたに、
どんな事が書き連なるのだろうか、、、

驕れる者久しからず
と。
書かれるのだろうか、、、
次代の語り部に。

なんて、思いながら、
今日も、この町の散策をしています。


 

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2004.06.15

ご存じですか? ドリマーズ

ご存じですか?
ドリマーズ。
戦後間もないヒロシマを舞台に、
少年たちの夢をのせて作られた、草野球のチームです。
アニメ映画にもなリました。
興味のある方は、是非、かっ飛ばせドリマーズの公式サイトをご覧ください。

ピカにやられ、
焦土と化したヒロシマ。
全てが、焼け落ち、崩壊したなかで、
野球にかける思い、
家族、友情、淡い恋と
原爆で亡くなっていく人々との別れ、
それらを通して成長していく少年たちの映画です。
「野球」をすることが、
できることが、
どんなに素敵なことか!
戦場と化していた土地を、
野球のグラウンドに使うことが、
それをできることが、
どんなに貴重で大切なことかを、!!
どんなにすごいことか!!!
鬼畜米兵と、思っていたアメリカ兵。
しかし、
面と向かって見れば、
一人の優しい人間であることの発見が、
どんなに嬉しかったことか!!!!
野球を通して、
平和の喜びを感じとる主人公たちの
思いは、

今に新しいです。

全体にセピア色の雰囲気、
つまり、
なぜか懐かしい、幼いあの頃を思わせるような
日本の風景。
「はだしのゲン」を作ったスタッフは、
取り戻した平和でどよめく日本の
所々の町の一角を切り取ります。

さて、今、近鉄とオリックスの合併問題が
耳目をさらっています。
私は、野球に関しては、あまり詳しくないのですが、
しかし、
野球が示す象徴を思うとき、
一つの時代が終わろうとしている予感がします。
おりしも、
今、
有事関連法制が国会を
やすやすと
通過しました。
別のひとつの時代の到来か???
不気味な風が吹いてくるようです。

昨日、14日。
サッカー批評(双葉社)を読みました。
特集記事、「サッカーの持つ求心力、
ストイコビッチが描く夢」
を読み、
胸がつぶれました。
ご存じ、ストイコビッチはあのユーゴを、
世界を代表するサッカー選手です。
ユーゴの歴史は辛い。
しかし、どんな圧政の中でも、
彼らは、民族の誇りと、サッカーへの情熱を忘れてはいない。
そのサッカーをアメリカがしかけた戦争が踏みにじった
辛い、悲しい歴史が書かれていました。

昨日、14日、
日本の国会は、
「年金関連法案」が通りました。
国民の意思はますます隅に追いやられていきます。

今日15日、
私は朝から、何も手がつかず、
自分の住んでいる町を
ボッ〜と歩いていました。
この町は、私にとってはまだ馴染みのない町です。
「あ〜〜ここにこんな通りがあるんだ、」
「まぁ、こんなところに、池がある、、」
幼い子どもたちの歓喜の声にふと目を上げれば
幼稚園がありました。
小さなジャングルジムの上で、
きゃーきゃーと騒いでいる子どもたちのカワイイ声。
歩けばあるくほど、
怒りが込み上げ、
悲しみが募り、
困惑が増します。
子どもらの声を背に受け
帰ってきました。

私は何ができるのだろう?
この時代に、、、
来るべき時代に禍根を残さないために。
次の時代も、
さらに、その次も、
人にとって、生きる上で最低限の保障、
つまり、
平和が、
約束されている世の中にするために、、、

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2004.06.14

客塵煩悩

仏教の言葉です。
「きゃくじんぼんのう」と読みます。
客人煩悩と書く場合もあるようですが、
多分、本来は客塵なのでしょうか???
さて、その意味は、
「人間とは、本来 清らかなものであり、
煩悩は客や塵のようなものである。
客がお帰りになったら、
あとは主人である本来の
清らかな自分がここにあるだけである。
塵ならば洗えば、
きれいになる」
と、いうような感じでしょうか。

まぁ、心静かなとき、読書して、
文字からそのような
ありがたい教えを得たならば、
その時は、
「あ~~なるほど」
と、納得もすれば、分かったつもりにもなります。

しかし、
実生活では、「煩悩」だらけの私です。
朝起きてから、夜寝るまで
あれやこれやで腹が立つことばかりです。

まず、子ども。

「もう、おきなさ~~~い」
と、何度起こしても起きてこない。
こっちは朝早くおきて、
ア・ナ・タのために弁当作っているんだぞ~~
ついに、部屋の前に行って
ドアをドンドン。
すると、なんと息子はプンプン顔で出てくる。
「わかってるよ~~~
今、もうそう してたところなんよ。邪魔せんといて」
「はぁ?もうそう?」
と、いぶかしく首をかしげる私に子どもは、
両手をおなかの前に持っていって、
丸を作り、目を半分閉じます。
「あ~~~それを言うなら妄想じゃなくて
瞑想でしょう。」
「あ~そう」
なんて、ダジャレを言っているうちに瞬く時間が流れ、、、
子どもを送りだし、洗濯、掃除、ごみだし(これが強烈(^^;)、、、
途中、何回も夫からの、
「お~~~い」と呼ぶ声に,
無視したり、
反応したりして、、、
ようやく一人になれば、
ピンポ~~~ン。
「は~~い、」
「今度、こちらに開店しました、、、」
「はい、わかりました」
と、ドア越しに話して、
はい、さようなら。
やっと、一人だ~~~
新聞を広げて、、、っと。
「トゥルルン、トゥルルン」と電話。
「はい、」
と出れば、いきなり男の人が、
「奥さん、よいマンションがありますよ。
今なら、、、」
「あ~~~結構です。さようなら」
さぁ、ゆっくりするぞ~~~と思いきや、
ピンポ~~~ン。
あ~あ~、今度はなんですか???
次第にイライラ。
気がつけば、もう12時。
「お~~~モン様の時間だ」
と、テレビをつけて、
おもいっきりテレビ
を見れば、
今日の特集が、
「ボケ予防」

あ~~煩悩、ぼんのう。

わかっているんだよね。
「自分の思い通りに、なんて
いかないこと。」
ちゃん~~んと本読んでいるから
知っているんだよね。
「虚心坦懐」
とか、自分で言いながらも、
小さな屈託を、積もらせている私です。
本当に、人から見たら小さな屈託。
自分でも分かっているんだよねぇ。
しかし、本人は結構、ストレスが溜まると、
いうことは、
よくあることです。

一方、電車で通っている夫や子どもも
電車の中というのが結構、ストレスのようです。
「汗のニオイってこれからいやだよね」
と、言う夫に、子どもが、
「そうそう、
女の人の化粧も臭い。
それから、ニンニクのにおいも。」
と、言います。
「あっ、でもそれって、うちもよく食べるから、
知らないうちに迷惑掛けているかもね。
お互い様かぁ」
と、私。
「それから、、、例の臭いが、
急にプ~~~ンとしてくることあるんよ。」
と、息子は電車通学の大変さを教えてくれます。
「へぇ~、
そうなんだ。」
(ダジャレです(^^;)
「そういう時は、息をしばらくしないんよ。
電車の中って人が多いから、
みんなが吸ってくれるんで、
しばらくすると、消えるんだ、、、そのにおい。
やっと、安心して深呼吸。」
と、いう息子。
「そんな、もんかねぇ(^^;」
と、私。
「あっ、そういう時、ハンカチで鼻をおさえるな〜」
と、夫。
「じゃ、、、ほかの人は?」
と、私が聞くと、
「みんな、知らん顔しているよ、、、」
だ、そうです。
お~~~それにしても、
みんな
ストレス、溜めているのだ。

そのストレスの大きさなんて、
自分しか分からないことで、他人がとやかく言うことでは
ないと思うのです。

本人にとっては、
全部
なのだから。

してみると、
人はみな屈託を抱えている。
人のことはわからない。

人はみんな煩悩に振り回されている。
しかし、
その煩悩だって、
自分の心が生み出したものである
と、するならば、
自分のことだって、
わからないわけです。

そうであるなら、
分からないもの同士。
キャンキャン責め合うよりは、
お互いに、
やさしく包み込むような
そんな人間関係を、周りに築いていきたいものです。
そう、
安積得也さんの詩には、
こんな一節があります。

「眼前のボロをかくすより
あふれる真実で相手を包む、、、」
と。

さぁ、もう一度おさらい。
「客塵煩悩」。

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2004.06.13

ヨン様よりモン様

「トゥルル〜ン トゥルル〜ン」
「は〜〜い」
電話がなり、受話器を取ると、
そこからは懐かしい友人の声が聞こえました。
「あ〜〜元気?」
という私に彼女は、こう答えるのです。
「私、いま  
こ・い・わ・ず・ら・い」
「ほう〜〜〜これは、これは」
と、私は耳をダンボにして、
受話器の向こうの彼女の次の言葉を待ちます。
「あの、、、、ねぇ。」
「ウン」
私は声を弾ませて、次を促すと、
ついに彼女が告白開始。

「私、ヨンサマに
恋してるの。」

「ハァ?  ヨンサマ?」
「そう、冬ソナのヨン様。」
なるほど、あのヨン様ねぇ〜〜〜

「実は見たことがないのよ。」
という私に、彼女は強く(?)薦めてくれました。
「絶対、見たらいいは。それも吹き替えじゃダメ。
本物のヨン様の声がいいの〜〜〜」
「あ〜〜〜〜そう」
そして言うには、
彼女の周りの主婦たち(私の友人でもある)は、
みんな、
いまや、

ヨン様のと・り・こ

だ、そうです。

さらに続けて彼女が言うには、
「ヨン様ダイエット」とかで、
ヨン様を見ているだけで、
ご飯を食べなくてもいいそうです。
(やれやれ(^^;)

「あなたも絶対に見てね〜」という彼女に、
「う〜〜〜ん。
私は今のところ、ヨン様より
モン様だなぁ。」
「モン様?」
「そう。モン様よ、モン様。
おもいっきりの
みのもんた」
「ハァ〜〜〜(^^;」
(電話の向こうで多分こんな顔していたんじゃないかな)
「私、毎日、見ているのはモン様だなぁ〜〜〜
モン様見ながら、笑ってるモン。」
そのあと、子どもの話をしたり、
私が引っ越してからの、その後のみんなのことを聞いたりと、
話題は移りながら、
「じゃ〜〜またね。」
「うん、じゃ〜〜〜元気でね。
みんなによろしくね、
あっと、、、ヨ・ン・サ・マにもよろしくねぇ〜」
とかとか言いながら、電話を切りました。

ヨン様ねぇ〜〜〜

世の中 平和でよろしい。

と、私は思いました。
たとえば、こんなことを書くと
例の酒井順子さんには、
「まったく勝ち犬は、、、」とか
イロイロ言われるかもしれませんが、
(そうそう、先日、機会とお金を工面して、
酒井さんの本、買いましたよぉおお)

あるいは、こんなことを書くと、
世の中でバリバリ働いているキャリアウーマンにも
「だから専業主婦は、、、」とかとか、
眉を顰められるのかもしれないけれど、

しかし、
問題はそこ(専業主婦)にあるのではないと思うのです。
自分がどの分野に、立場に属していても、
つまり専業主婦、共働き、シングルマザー、独身、、、
などですが、
ーーその環境を楽しむーー
と、いう「心のゆとり」が、
その人をして その人たらしめる
と、思うのです。
環境や立場は、
酒井さんが論陣をはるほど
たいしたものではなくて、
たまたま、そうなったことが多いと私は思うのです。

(酒井さんも、もともとはいつもの軽いエッセーだったのですが、
言葉だけが独り歩きした きらいがあります。
これに関しては、後ほど、
時間とエネルギーを使って書きたいなぁ〜と思っています。)

またこれからだって、環境は変わる。それなら、
その環境の中で、
ささやかな楽しみを見つけ、
ときめき、
艶やかに
生活することは
あって然るべきです。
生活の中にアクセントをみつけていく事に
その人の才気というか、能力を感じます。

そうして、私がここに強く望むことは、
こんな環境が、
いつまでも、
どこかのだれかに
すべからく保証されている
平和で安全な国です。

日本という国がいま行おうとしていることは、
全ての国民を、
一つの環境にスポッーと
陥れようとしていることのような気がします。
つまり
臨戦体制に。

明日、14日、
有事関連法案が国会を通過しようとする。
一つの法案が通っていく毎に、
どこかのだれかの
たおやかな思いが、
淡い恋が消えていく、、、

ヨン様、
モン様、
なんて、楽しく言っていられる幸せが、
次の子どもたちの物でも あらんことを
願わずにはいられません。

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2004.06.11

山宣ひとり孤塁を守る

「山宣ひとり孤塁を守る。
だが私は淋しくない。
背後には大衆が支持しているから」

今日の新聞を見ながら、
こんな言葉を思い出しました。
読んでいた新聞の記事は
勿論
「九条の会、発足」。

本棚から、また古くなった本を取り出して、
ツラツラと眺めました。
随分、わすれていたなぁ〜〜〜山宣のこと。
この本は、いつ読んだのかな?
なんて思いながら、
色あせた その本を閉じて、
フッ〜〜〜とため息。

山本宣治、通称「山宣」
京都、宇治市の料亭に生まれ、
恵まれた家庭でキリスト教の思想を学び、
東京大学で生物学を修め、
と、華々しい出生街道、まっしぐらの彼が、
やがて、農民や労働者の抱える大きな問題にぶつかります。
それは、
「産児制限」
「性病について」
等、貧しいゆえに襲ってくる、なまなましい問題。
真っ向から考え、
そして、やがて社会主義者への道を歩み、
代議士となり、
農民や労働者の立場に立って、
敢然と戦った「山宣」。
孤高ではあったが
孤独ではなかった山宣。

今、再び
山宣のあの強烈な生きざまを思うのは、
世の中が、
見えなくなる予兆なのだろうか???

私たちの先輩たちが、
命をかけて守ったものが、
今、目のまえから
ポロポロとこぼれ落ちていく気がする。
しかも
なんのおしげもなく。

山宣は凶刃に倒れたとき、
その暴漢の袖をギュッーと握り締めて
離さなかったという。
山宣が握っていた手のその先には、
「自由」「平和」があったと思うのです。
彼は
死ぬ間際まで、
いや、
死んでなお離さなかったのか?
離さなかった、、、

もうすぐ参議院選挙。
どれだけの代議士が、
背後に大衆が支持していると、言えるだろうか??
私たちは、
だれに願いを託すか、、、
よく見極めなければ、、、

「山宣ひとり孤塁を守る。
だが私は淋しくない。
背後には大衆が支持しているから」

もう一度、
あの高邁な精神を
ここに高らかに歌う代議士が出てくれることを
のぞみながら。

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中学生のための数学オンライン教室の案内

友人のaranさんのブログaranxpは、
教育ネタが満載です。
彼は塾で子どもたちに数学や理科を教えているのですが、
ただ教えるだけでなく、
「如何に楽しく教えようか?ついでに自分も楽しもう」という
スタンスで子どもたちに、
わかりやすい授業をいつも心がけています。
ブログにもいろんな話題が盛り込まれていて、
我が家では彼のことを、
「ドラえもんのポケット」と言っています。
そんなaranさんが数学教室のオンライン講座を立ち上げました。
中学数学の謎!にこたえるブログです。
ぜひ、ご覧ください。
なおパソコンはwindwsじゃないといけないらしいです。
私はmacを使っているので、
その素晴らしさがいまだ分からなくて、
aranさんには、コメントを送っていないのですが(^^;
aranさ〜〜〜ん。
macでも動くようにしてください、、、

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2004.06.10

さよならだけが人生さ

 コノサカヅキヲ受ケテクレ
 ドウゾナミナミツガシテオクレ
 ハナニアラシノタトエモアルゾ
 「サヨナラ」ダケガ人生ダ
    井伏鱒二訳    (『厄除け詩集』より
                  
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
昨日、サッカーワールドカップ、アジア一次予選が
埼玉スタジアムでインドを迎えて行われました。
結果は7−0で日本が勝ちました。
昨日は朝からビールを冷やしてワクワク。ソワソワ。
そして、いよいよ試合は始まりました。
お〜〜〜久保がいる!!!
久保竜彦。
もとサンフレッチェ広島のFW。
今も広島サポは彼のファンが多い。
そして、そして、
その久保が前半12分。
ゴ〜〜〜〜ル。
なんと、なんと
電線にひっかかった凧みたい体形からの
ゴ〜〜〜ル。

スバラシイ。
スゴイ。
サスガ。

テレビは何回も久保のゴールシーンを映し出していました。
前半の得点全てに彼はからみ、
後半はおやすみ。

そして私はテレビを見ながら、
横浜マリノスの一人のサポーターを思い出していました。
「ウーマリ○○さん。天国から見ていますか???
久保選手が活躍しましたよ。
中澤選手も、そうそうGKは川口さんですよ、、、」と。
私はその方は直接知りません。
それどころか、つい先日、夫がある掲示板で
彼女のことを知って、私に教えてくれたのです。
24歳で「ガン」のために逝った一人のサポーター。
その彼女への哀悼をこめた、
思いを込めた掲示板を
読みました。
最後まで、病気と闘いながらも、
マリノスを応援した彼女。
私は直接知らないけれど、
やはり、やはり
天国のその人へ、思いを運びます。

また、昨日は
私のブログに、トラックバックしてくださっている人のブログを
訪問して、その折、
その方のお母様の死を知りました。
やはり、ジワジワ涙が出ました。

私の父は昨年暮、
亡くなりました。
大往生でした。
しかし、残された私は辛い。悲しい。
心にポッカリ穴が開きました。

人はいずれ死にます。
生きとし生けるもの全てが。
その事実のまえに、
無力です。

しかし、人は続くものとも思います。
綿々と譲り渡されていくものと思うのです。
そして、人は尊くその死を迎えなければと
思うのです。
決して、
戦争や犯罪で、
「力」で、その命は失ってはいけない。

「さよならだけが人生」なのだけれど、
だからこそ、
精一杯生きていかなきゃいけないのでしょうね。

そうそう、
三木清は人生論ノートの中で、
「幸せとは機嫌がいいこと。」と書いていました。
幸せは、おのずと外に表れ、
表れた幸せはまた他人を幸せにしていきます。
辛いことがあっても、
「機嫌がいい」
そんな自分でありたい。
いろんなことを丁寧に、
時間を大切に、
機嫌よくやりたいと、
昨日はサッカーを見ながら思いました。
(後半は寝たのですが、、、(^^;)
久保がいないから)

今日は時の記念日。

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2004.06.09

よだかの星と しあわせ切符

 よだかは、実にみにくい鳥です。
 顔は、ところどころ、味噌(みそ)をつけたようにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけています。
 足は、まるでよぼよぼで、一間(いっけん)とも歩けません。
 ほかの鳥は、もう、よだかの顔を見ただけでも、いやになってしまうという工合(ぐあい)でした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
と、始まっていく童話「よだかの星」。

私は宮沢賢治が大好きです。
彼が標榜してやまなかった「法華経」の世界。
なかなか魅惑的で、グングン引き込まれていきます。
そんな賢治は沢山の童話を残しましたが、
どれが一番好き?と聞かれたら、
迷うことなく
「よだかの星」
をあげます。

醜いよだかは、鳥たちの嫌われ者。
しかも醜いという理由だけで、、、
ある日、鷹がやってきて、名前を「市蔵」にしろ、という。
それくらいなら死んだ方がましというので、
よだかは旅たつ。
どうせなら太陽のもとに行こうと、思うが太陽からも、
あるいは次にむかった星たちからも、相手にされず、
結局、自分で空に向かって、飛んでとんで
ついに「星」になるという話です。

最後は希望の「星」になったはずのよだか、、、
なのに、なぜかなぜか
この話は「悲しい」のです。
初めて、この本を読んだときは、
「醜いアヒルの子」を思いながら、
いずれ、この意地悪な鷹はギャフンと言わされる、
とワクワクして読みました。
ところが、どこまでいっても「いじめっ子」は成敗されることなく、
むしろ「いじめられっ子」のよだかは、
どこどこまでも、
苦痛にあえぎながら、
もがいている生を作者は描写します。
読者である私は、
もう苦しくて切なくて
涙ポロポロ。
最後は「星」になってカシオペア座のそばで
青く光り続けるよだか。
そこからは、作者の
「あらゆることを感情に入れず」
という、強い 願いを感じるのですが、、、
「生きる」ということが、それ自体で
他の物への犠牲を強いることであるというその苦しみ。
さらにより高い理想で自分を生きる上で具現化したいという熱い思い。
この二つの相反した思いの
バランスから生まれた童話だとは
思うのですが、
やはり、やはり
読者である私は何回読んでも辛いのです。
(私自身が賢治の精神の高みにまで昇っていないのは勿論ですが、)
さて、ここで「何がそんなに辛いのか?」を考えたとき、
賢治と私との「しあわせ切符」の違いだなと思うのです。
賢治はその人生観、世界観に「法華経」の教えが、
厳然とあって、
それは「雨にも負けず、風にも負けず」の詩にも脈々と流れています。
だから、だから
意地悪な鷹には制裁が下らなくても平気なのです。
太陽や星たちが冷たくても恨まないのです。
最後は自力で星になる、、
そのことが賢治の「しあわせ切符」なのでしょうか?
しかし、私は
現実にいじめっ子がいたら、
「やられっぱなし」って悔しいから
認めません。
冷たい世間には恨み節の一つや二つは
出るのです。
だから、
私が よだかだったら
よだかの慟哭は慟哭として、その上で
スパッーと悪者たちをやっつけて欲しいのです。
「自分が悪い」と思って、自分を犠牲にして欲しくないのです。
ところが、童話は、
最後まで、よだかは気高くて美しいままなのです。
そうすると、
なぜか消化不良のまま、この本を読み終えて、
なおかつ、
「こんな自分の小ささ」を思って
辛いのです。
自己撞着に陥るというか、、、
結局、
よだかのことを思って辛いのではなくて、
自分の小ささを目の当たりにさせられることが
辛いのです。

じゃ、、、
こんな本、読まなきゃいい
のに、
これが読むんです。
やっぱり。

本当の心の深いところでは
よだか
の生き方が立派なことを知っているから、、、

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2004.06.08

アメリカのサダコ像修復に関してのボランティア募集のお願い

私が初めてホームページを作ったのは昨年の八月の末です。
その前は、もっぱらネットサーフィンをしていました。
その時、いつも訪問していたサイトが
「mazra」先生のパズルのページと、井口先生の理科実験でした。

そして、自分でホームページを開いて、初めて、リンクのお願いの
メールを送ったところ、
快く了解していただいて、それからず〜〜〜と、
お世話になっている二人の先生のページ。
そのmazra先生のブログで昨日見つけた記事で、
ボランティア募集の記事がありましたので紹介します。(了解済みです)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アメリカのシアトルに「サダコ像」があることは知っていますか?
「サダコ」とは、広島の原爆で白血病になり、幼くして亡くなった「佐々木貞子」さんのことです。
亡くなるまで、治ることを信じて「鶴」を折り続けた、、、「千羽鶴」のもととなった人です。


さて、その「サダコ像」が、昨年末、腕を切り落とされるという事件があったのは、ご存じでしょうか。
その修復には、かなりのお金がかかり、それを助けるべく
一人の人が立ち上がり、その後次々に協力者が現れたようです。(私もわずかばかり協力させて頂きました)

このたび、無事お金と「鶴」が、集まったそうですが
新たなる協力者が必要だそうです。
以下は、その方から送られてきたメールの内容です。
東京近辺の方、ぜひ、ご協力下さい!

[メール]
ご協力くださった皆様へ
おかげ様で沢山の募金も集まり無事募金活動も終わりました。これまでの経過報告を下記のサイトでお知らせいたしておりますのでご参照ください。これから8月にかけてサイトの更新を行っていますので宜しくお願いします。
お願い:日本の窓口である阿原先生の所には1万8千個にも及ぶ一羽づつの鶴が届いており、その糸通し作業を行うのでボランティアの方達(子供ー大人)を至急探しております。お手伝い可能の方は下記の所まで直接ご連絡ください。
糸通し場所:東京都西東京市
日程:6月12日土曜日
連絡先:守屋敦子様まで(03)3954−6571

本当にありがとうございました。
美智子パンピアン

http://www.m-and-partners.com/sadako/wppc/default.shtml

原文ママ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私も広島では多くの被爆者の方と知り合いになりました。
「原爆許すまじ」
の精神は今に引き続いています。

東京近辺にお住まいの方で、関心のある方がいらっしゃったら
是非、紹介していただけたらと思います。
よろしくお願いいたします。

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取ります 使います 下ります

「休まず 遅れず 働かず」
と、役人の性癖を表した言葉がありました。
その実態がどうかは、私は知りません。
少なくとも、私の周りの公務員の人は、
「休まず 遅れず 働いている」人ばかりだから、、、
しかし、
しかし、高級(高給?)官僚と一般にいわれている人たちは、
(国民から税金は)取ります。
(税金を自分のために)使います。
(定年後は)天下りします。
つまり
「取ります 使います 下ります」だと私は思うのですが、、、

さて、今日の午前中、
以前、私がこのブログで「年金」について書いた記事に、
「では、どの様に改革したらいいか?」という、
とても鋭くて本質的なコメントをいただきました。

そこで、私は随分考えたのですが、
大きな要因のひとつに
「官僚と国会議員」の関係があると、
思います。
ムネオサンとマキコサンのときもそうでしたが、
やっぱり、官僚って隠然とした力を持っているんでしょうね、、、
今までは小泉さんにいつも登場して頂いていたこのブログ。
今日は官僚、しかも高級官僚の皆さんに登場をしていただくことにします。

「昨日、今日の国会議員」じゃ法律のことは分からない。
したがって、みんなプロの官僚に任せきり。
「先生方は、選挙のことだけ考えてください。
仕事は選挙に勝つことです。」
と、官僚たちが議員に言っているか否かは知りませんが、、、
出来上がってくる法案は、
みんな官僚が作るから、
自分たちに都合のいいものばかり。
しかも高級官僚っていわゆるエリートだから、
「人の痛みがわからない」立場にある人が多いのではないでしょうか??
国会議員の先生方も、
一応は地元の有権者の意見は聞くものの、
「アタマのイイ」官僚にはそれこそ頭が上がらない。
つまり、つまり
「国民の意見」を反映できないわけだ〜〜なるほど。
本当は、国民の意見を反映させたいのは山々なのにねぇ〜〜〜
そりゃ、先生方も、
国会ですぐに答えられないわけだ。
いつも後ろに黒子のようにフィクサーがいるよなぁ、、、うんうん。
官僚政治、そのものには明るくない私なので、
違ったことなど書いている折には、
どうぞご指摘ください。
それにしても
今国会で注目を浴びた厚生労働省の役人はひどいな、、、
知れば知るほど
ひ・ど・い

官僚とは
(国民から税金は)取ります。
(税金を自分のために)使います。
(定年後は)天下りします。
と、いったものと、
もういちどオサライ。

なるほど、そりゃ、
みんな、我が子のお尻をたたいて勉強させて、
官僚にさせたいわけですねぇ〜〜〜
「しあわせ切符」を手に入れさせたいわけだ。
なんて、なんて
感心。
否、、感心してはいけません。

私たちは
怒っているぞ〜〜〜

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金星が太陽面を通過  今日午後

金星が太陽面を通過リンク集から。

今日の午後、2時11分
金星が130年ぶりに、
太陽面を横断するそうです。
日本中、どこでも観測できるそうですが、
あいにくの雨。
どうでしょうか、、、
もし、思い出したら空をご覧ください。
目には見えなくても、
はるか空の彼方では、
金星が太陽の横断面ですれちがっている
天文ショウーが演じられていますから。
次回は8年後だそうです。

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2004.06.07

そういうものに わたしはなりたくない

飴にも負けて
鞭にも負けて
年金にも有事立法にも負けて
満身創痍の体で
家はなく
どんな悪法が通っても
決して怒らず
いつもあきらめて無力に笑っている
一日に輸入肉と
農薬いっぱいかかった野菜を食べ
頭の中は
自分の財布の中身だけでいっぱいで
テレビのワイドショーと、新聞の三面記事だけを
よく見て、
そして、
「世の中、こんなものか」と思い
都会の小さなウサギ小屋に住み

東に病気の子どもがいれば
診療費が かかるから「気力」で治せ、と言い
西に疲れたサラリーマンがいれば、
もっと やらなきゃリストラにあうよ、とハッパをかけ
南に死にそうな老人がいれば
今なら まだ年金は高くもらえるよ、と言い
北に喧嘩や訴訟があれば
そんなことしていると ネットに書き込まれるよ、と言い
赤字の家計簿をみて涙を流し
ローンの苦しさにオロオロ歩き
国会議員にアホな国民と思われ
夢もなければ
生きがいもない
そういうものに
わたしはなりたくない

そういうものに
わたしはなりたくない


~~~~~~~~~~~~

小泉さん。
岡田さん。
世の中のおばちゃん達は
怒っているぞ~~~
真剣に声を聞いてくださいよ~~

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サポーターのありかた

私はサッカーのサンフレッチェ広島のサポです。
したがって、スタジアムに応援に行くと、
サンフレッチェの応援を一生懸命にします。
ビールを飲みながら
サッカーは観戦しなきゃ、、、というのが
私のスタイルなので、
どんなに寒くても、雨が降っていても、
ビール片手に、大声応援。
これが、すごく楽しい!!!
そんなわけで、雨の日の観戦は、
カッパを着てビールを飲むのが辛い。
屋根つきスタジアムだったらいいな〜〜なんて、
お気楽に思っている私。
一方、夫はドライバーなので、飲めません。
しかし、これができた(?)夫で、
私のために、ビールを買ってきてくれます。
ここまで、書くと、
なんと、「夫の鏡」と思うでしょうが、、、
実は、これは夫の苦肉の策でした。
サッカーにまったく興味がない、家族をおいて
自分だけがスタジアムに足は運べない。
後が怖いからかな???
そこで、まずは妻を陥落させようと、
ビールでつった訳です。
すぐにつられた私。
母親が行けば、子どももついてくるので、
いつの間にか、我が家は家族中で
サンフレッチェのサポーター。
気がつけば、
夫よりもうるさく応援。
もう、ビールがなくても、
サポーターはやめないけれど、
そこはそれ
やっぱり、ドイツ風(?)に
ビール片手で応援
が、なかなかオシャレ。

そして、スタジアムでは、
いろんな人たちと友達になりました。
これが、またなかなか楽しい人たち。
普段は、ものしずか(多分?)な人たちが、
いったん試合が始まると、
これが、みんな監督(^^;
「ほら〜〜〜そこ走れ!!!」
「こら〜〜〜足がとまっとるぞ〜〜〜〜」
と。
またネットを通しても、
友達ができました。
サッカー関係の掲示板を訪問すると、
試合の勝ち負けで、
次の日の「もりあがり」が違います。
ここにもいろんなスタイル、考えのサポーターの方がいます。
「とにかく勝つ」
「広島が好き」
「選手個人が好き」
「サッカーが好き」
「、、、」
当然、
熱くなりすぎて意見のすれ違いなんかも起きて、
ときどきは、むき出しの言葉で罵りあったりもするんですが、
必ず、
時の氏神が出てきて、
「やっぱりサンフレッチェが好き」
という共通の認識を確認。
ネットのおかげで、
サポーターの皆さんとは、
スタジアム以外でも、
あるいは試合がなくても、
「サッカー」を語れる
と、思って楽しみにしてネットサーフィン。

先日は、
サンフレッチェの掲示板で、
「セレッソサポ」の応援がすごくヨカッタ〜〜〜
という書き込みを複数目にしました。
今、セレッソは負けが込んでいるのですが、
セレッソサポは、最後の最後まで、
休みなく応援をしている姿に、
感動した!!!
という内容でした。
私は、その日はスタジアムには行っていないので、
掲示板書き込みだけの情報ですが、
なんだかすごく清々しい気分。
セレッソサポが素敵だったのは、
言うまでもありませんが、
それを見て、
「いいなぁ〜〜〜真似しよう」と
と、思った人も、
やっぱり素敵。

こうしてみると、
サポーターというのは、
サッカーを応援しながら、
自分をも、
成長させているものだな〜〜
と、改めて思いました。

もうすぐ、もうすぐ。
アテネ。
いっぱい、いっぱい。
応援しなければ、、、
サッカーだけじゃなく、
全部の競技が楽しみです(*^_^*)

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2004.06.05

クラインの壷

メビウスの輪、、、どこまでいっても、
表と裏の区別がつかない帯です。
作り方は簡単で、一枚の帯を一回ひねって、
両端を糊でつけると、できあがり。
作った方は多いと思います。
この輪は、
二次元から三次元の広がりを持った立体です。
さらに次元をあげたものが
「クラインの壷」と呼ばれるものです。
つまり、三次元に四次元の広がりを持たせたものです。
これは、とても複雑で、実は私には容易に想像ができませんが、、、
クラインの壷というより、「クラクラの頭」と、言った私です。(^^;
とにかく、出口がないのです。
どこまで辿っても、行き先が見つからなくて、
また元に戻ってきます。
この壷については、作り方、考え方などは、
いろんなホームページで紹介されていますので、
興味のある方は、ご覧ください。

さて、私は今のイラク・アメリカの戦争を見ていると、
この出口のないクラインの壷を連想するのです、、、

ブッシュ大統領は三日発売のフランス週刊誌
パリ・マッチのインタビューで、
「もし、イラク人だったら?」
という記者の質問に対して、
「私はドコでも、いつでも言う。
私の国が占領されることに、
私自身はガマンならないだろう。」
と答えました。
また、イラク人が全てテロリストでないことを、認めた上で、
「一般のイラク人が戦闘していることは、
占領にガマンがならないのであって、
もし自分がその立場なら、
そういった事態は好まないだろう」
(せとともこ、、、新聞からの意訳)
とも、答えたそうです。

ブッシュさん。
分かっているんじゃない。
だったら、だったら、
何故、
一般のイラクの人たちを攻撃するんですか???
どうして、
さらに憎しみを増加させるような占領を繰り返すのですか???
このままでは、クラインの壷の奥深くに、
入り込み、ますます迷っていくばかり。
悲しみと憎しみだけが積み重なった
壷の中。


いつか、
どこかで、
だれかが
この壷を、
破らなければ、
この先には、
人類そのものの
危機が
待っている!!!

一人では、この壷は割れない。
私ができることは??
みんなに、
「さぁ、ここから抜け出そうよ」
と、呼びかけることかな?

これくらいしかできない私ですが、
やっぱり、
大きな声で呼びかけます。
「もう、やめようよ、、、
戦争は。」
と。

クラインの壷の天然版は、
あのドラえもんの四次元ポケットだそうです。

ねぇねぇ〜〜
ドラえもん。
何とか、戦争を止めて。

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2004.06.04

和製 ボーリング フォウ コロンバイン

長崎・佐世保の事件。
ず〜〜〜っと考えてきました。
新聞、テレビ、ネットでのみなさんの書き込み。
まだ考え中。
この問題が社会に与える影響の大きさは、
そうそう簡単に言えるものではないと、
じゅうじゅう承知しながら、
私はなぜか
「和製ボーリング フォウ コロンバイン」と
いう言葉が出てくるのです。

ボーリング フォウ コロンバインは
ご存じ、マイケルムーア監督の、
昨年度アカデミー賞受賞の作品。
ご覧になった方は多いと思います。
それぞれの立場で、
いろんなご意見があるとも思いますが、
私は、あの映画は、
「不安を煽る社会」
が犯人である、、、
と受け取りました。

さて、今回の事件はさしずめ
「インターネット フォウ ナガサキ」
とでもなるのでしょうか?
この事件の当事者や、周囲の環境がなんであれ、
いずれ、結果として、
「未成年のインターネット」が悪い、、、
ぐらいのところに落ち着くとしたら。
あるいは、さらに、拡大して、
プライバシー保護法案、
マスコミ規制、
言論統制への
道を譲っていくとしたら、、、
と、思うと、別の意味で、
背筋がザワザワします。
もし、ここに和製マイケルムーアがいたら、
この事件の背後に潜むものを追って
権力の中枢にまで行くかもしれない、、、

そして私たちに、
次のようなメッセージを送ってくれるのではないだろうか?
「将来、生活がどうなるかわからない。
だから年金法を改正しよう。消費税を上げよう。
将来、テロが起こるかもしれない、
だから自衛隊を軍隊にしよう。」
将来、将来、将来。
何が起きるか分からない!!
不安だ!
心配だ!!
備えなければ!!!
と、いうように国民の心理を持っていく、
やり方、方法、マニュアルが、
国の奥深い金庫に眠っている。
と。

時あたかも、
国民年金法案国会通過と
抱き合わされた事で、
私たちの関心はすこしずれた。
(こうしたショッキングな事件がなければ、
別の事件が代替として取り上げられたでしょう、、、マスコミに。)

この事件事態は、とても悲しく重い。
何回考えても、悲しい。
怖い。
何回考えても、重くかつ怖い。
しかし、もっと怖いのは、
この事件さえ、
自分の都合に合せていこうとする
「力」が
あるかもしれない。
と、言うことの方が私には怖いのです。

いつの間にか、
いつのまにか
私たちは、
見えない敵に翻弄されて来ているような気がします。
不安を煽られているような気がするのです。
しかし、
しかし、
人間は、本来、そうした悪ではない。
愛すべき、
カワイイ、
ものであると、私は思うのです。
私は、そう信じているのです。
だから、この事件をきっかけに、
さらに不安を増長することなく、
冷静に、対応しなければと思います。
今後、どのように展開していくか、
さらに見守って行きたい。
傷ついた子どもたち、
大人たちの心のケアを中心に
やさしく行政が対応していくことを
願っています。

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2004.06.03

そのときはすでに遅かった

ナチスが共産主義者を攻撃したとき
自分は少し不安だったが、
とにかく自分は共産主義者でなかった。
だから何も行動しなかった。
次にナチスは社会主義者を攻撃した。
自分はさらに不安を感じたが、
社会主義者ではなかったから
何も行動に出なかった。

 ナチスは学校、新聞、ユダヤ人等をどんどん攻撃し、
そのたびに不安は増したが、
それでもなお行動に出ることはなかった。
それからナチスは教会を攻撃した。
自分は牧師だった。
だからたって行動に出たが、
そのときはすでに遅かった

マルチン・ニーメラー
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

有名なマルチン・ニーメラーの詩がまた再浮上。
ネット上、あちこちで目にします。
ナチスの迫害に抵抗し、ダッハゥ収容所に送られるも
奇跡的に生還した牧師です。
ニーメラーのようには書けないが、
こんな詩を作ってみました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本国政府が国民年金を改悪したとき
自分は少し不安だったが、
とにかくまだ自分は若く関係がないから、
なにも行動はしなかった。

次に、自衛隊が海外に派遣された。
自分はさらに不安を感じたが、
自衛隊員ではなかったので、
なにも行動に出なかった。

日本国政府は、学校に「日の丸・君が代」
新聞に「マスコミ規制」
などをした。
そのたびに、不安はどんどん増したが、
それでもなお行動にでることはなかった。

それから
日本国政府は
国民徴兵制を強いた。
私は国民だから、
赤紙が来ることに反対をした。
しかし、
そのときは
すでに遅かった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
な〜〜〜んてことに
ならないように、
祈らずにはおれません。

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そこのけ  そこのけ  年金が通る

ひょっとしたら、今日中(6/3)にも年金法案が通るかもしれません。
自民、公明の与党は2日夕方、
参院厚生労働委員会理事懇談会
(長い名だね〜〜〜国会の委員会って)で、
3日に年金法案の採決を行うように要求。
野党は「十分審議をつくしていない」
と、反対。
与党は強行突破する姿勢です。
国民の7割が反対。
将来に不安。
現制度に怒っている。
それでも、
それでも、
政府与党はこの案を通す。
7月に参議院選挙を控えているにも拘わらず、
これだけの暴挙に出る、ということは、
よほど、
国民をバカにしてのことだろうが、、、

国会のあり方ひとつを見てもそう思うのです。
以前、このブログでも子どもにみせたくない国会中継
と、言うタイトルで、
国会の審議の模様を書いたのですが、
お時間がありましたらご覧ください。

ヌケヌケと、国会の場で、
シラを切る。
茶化す。
侮どる。
、、、
小泉さんが総理になってから、
国会の責任、権威、は軽くなったと切に思います。
形骸化、空洞化した国会。
しかし、この穴を埋めるのは、
先生方ではなくて、国民の私たちなのです。

私たちは、
いつからこんなに誇りを失ったのだろうか??

分からない、、、
いつからか、それは分からない。
しかし、未来のこと、これから起こることには、
責任を持たねばならない。
私たちは、
絶対、
ぜったい
このような傲慢な政府のやり方を
「よし」としてはいけない!!!

と、私は思うのです。
すくなくとも、
私はバカにされたくはありません。

「国民よ、そこのけ  そこのけ  年金がとおる」
と、言いながら
シャンシャンと年金法案が通りを練り歩き、
国民である私たちは、
「ハァハァ〜〜〜」
と土下座して、年金様のお通りを
やり過ごすのか、、、???

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2004.06.02

予言

ある朝、井原壮介は、なにか気がかりな夢から目を覚ますと、
周りが変わっていることに次第に気が付いた。
部屋はいつものように、自分の部屋である。
しかし、朝起きて一番目に窓のカーテンを開けると、
隣のマンションの屋上に、
星条旗が高々とたなびいているのが目に入った。
「おや?あれはなんだ、、、」
そう思いながら、
テレビのスイッチをつけた壮介に、二度目の衝撃が走った。
NHKのアナウンサーが英語でニュースを読み上げているのだ。
「どっっ、、したんだぁああ〜〜」
チャンネルをガチャガチャ変えたが、
どの局もみなそうだった。
英語で、喋っている。
壮介は不安になった。
のどがカラカラになった。
「おいおい、、、」
自分のほっぺをたたきながら、
玄関に行って新聞をとりあげた壮介を、
さらに三度目の衝撃が襲う。
新聞も英語であった。
「一体、どうなったんだ〜〜〜」
壮介は英語は苦手だ。
しかし、どうあっても事の次第を、
知らなければならない。
自分を落ち着かせ、
新聞をゆっくりと、読むと、
そこには英語でこう書かれていた。
「キョウカラ ニホンコクミンハ エイゴヲ
ハナサナケレバナラナイ、、、」
「えっ〜〜〜俺そんなこと知らないぞ。」
なにか悪い夢でも見ているのか、、、
そうだ!会社に電話しよう、
と、思いついた壮介は会社に電話をかけた。
プルルン、、プルルン、、、
呼び出し音が聞こえる。
そうだわな、まだ七時半。
ダレもいるわけないか、、、
そう、思って受話器をおこうとした、
壮介の耳に、受話器の向こうから、
録音が聞こえた。
「ハロー。アイムソリー、、、、」
なんと、英語で喋っている!!
一体、いったいどうなったんだ〜〜〜
どうしたらいいんだ〜〜〜

その時、ドアを叩く音がした。
あっ、人だ、、、
壮介は、喜んで玄関に走って行き、
勢いよくドアを開けた。

そこには、軍服をきた日本の兵隊が立っていた。
「○○××、、、、」
その兵隊はブツブツ言うと、
いきなり壮介の腕をつかみ、
引っ張り出そうとした。
「おい、おい何をするんだ〜〜〜!!」
そう、叫んだ壮介の声を聞きつけて、
さらに何人かの兵隊が飛んで来て、
彼の腕を掴んで、連れていこうとする。
壮介はいちはやく危険を察して、
ドアを閉めると、鍵をかけ、
慌てて、
ベランダに出て、下を見た。
下にも「敵」はいる。
壮介は、かがみこみながら、
ゆっくりと、
隣のベランダにうつり、
隠れる。
心臓は早鐘のようになる、、、
早く!はやく、、、はやく
思うほど、
手はジトジト汗ばみ、
のどはカラカラ。
何とか、なんとかここから逃げなければ。
彼の危険本能が知らせる。

しばらくして、敵はあきらめたのか、
静かになった。
さらに、時間をかけて、
そっ〜〜と、樋をつたって、下に降りると、
もう、そこは昨日までの、町並みとは別世界。
店の看板も、
電柱もみんな

え・い・ご。

キョロキョロ周りを見渡しながら、壮介は、
どうなったのか、
知りたかった。
その壮介の疑問を解決してくれたのは、
ゴミ箱にまるまって棄てられていた、
一枚のビラだった。
それには、日本語でこう書かれていた。

「明日○月、○日から、日本国民は、
すべて英語を喋ることを義務とする。
その理由は、
吾が、日本国軍隊が、多国籍軍とともに
戦うとき、言葉が通じないと不便なため、
日常的に英語を喋ることで、これを克服する。
なお、これに逆らう者は、
終身刑である。
日本国総理大臣、
ギョージ・ダッシュ」

壮介は我と我が目を疑った。
しかし、何回読んでも、ビラの内容は変わらない。
「俺、何をしていたんだ、、、
知らなかった、、
こんなこと、、、
いつのまに決まったんだ、、、」

ハッと気がついた壮介の目の先に、
ニヤリと笑う
日本国兵隊の姿があった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


これは、
私が以前(1993年)友人と作っていた
同人誌の中で、
「あそび」で書いた短編を
今日、ここで手直ししたものです。
あの時、私たちは笑いながら、
「まるで、カフカの変身みたいだね〜〜」
なんて言って、批評しあってました。

あれから、10年後。
自衛隊は多国籍軍の傘下に入り、
行動、活動を共にするという、、、

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2004.06.01

二十億光年の孤独

人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする

火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或はネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ

万有引力とは
ひき合う孤独の力である

宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う

宇宙はどんどん膨んでゆく
それ故みんなは不安である

二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした

谷川俊太郎  二十億光年の孤独
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

谷川俊太郎というと、この詩を一番目に思い出します。

私は空が好きで、
星が大好きです。
昼間、寝転がってポカポカ浮かんでいる
いろんな形の雲を見ることが楽しくて、
夜、空に瞬く星を見ると、ワクワクして、
遠い、宇宙に思いを寄せます。

今、ここに「こうしてあること」が、、、
ものすごい偶然に偶然を重ねて、
地球が、生命が、人類が、私が、
ある。
その、偶然と必然に戦かずには
いられません。

遠い、とおい宇宙の
彼方には、
まだ見ぬ「生命の星」があるのだろうか??
もし、あるのなら、
手を取り合えたら嬉しい。
いまだ、無いのなら、
地球はひとりぼっち。

だとしたら、だとしたら
もっと、もっと
この地球を大切にしなければ。
この命を、
大切にしなければ、、、

偶然と必然の、
積み重ねで、
いま、
ここにある私たち。
もっと、自然の前で、
謙虚でなければならないのではないでしょうか。

本当に、
ほんとうに
人間は、
この先、
どこへいくんだろう??
毎日、
胸の詰まるニュースばかりで、
いつの間にか、
私たちは、心が麻痺したのかしらん。

ねぇ〜〜
もう一回、
空を見ませんか?
雲を、
星を見ませんか??
地球の、
宇宙からの声に耳をすましてみませんか?

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