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2004.06.18

少女はどこにいる?

少女は、病室の窓から、
空と流れる雲を見ていました。
ソレはまるで、
青い海と逆巻く波のよう。
そのうち、少女は、眠りのそこに沈んでいきました、、、

少女が目をさましたとき、
そこはいつも遊んでいた砂浜でした。
手に取れば流れ落ちるような小さな粒。
キラキラ、サラサラと少女の小さな手からこぼれ落ちます。
寄せては返す波に洗われながら、
ときおりピンク色の貝殻があります。
その固くてゴツゴツした感覚は、幼い手の平に心地よく伝わってきます。
ふと、目をやれば、
遠くに、向かいの島が浮かんでいます。
少女は立ち上がり、波打ち際をゆっくりと歩きました。
波がまだ小さな足にまとわりつき、
白く砕けていきます。
そんな感触を楽しみながら、
少女はさらに歩きます。

少女はゆっくりと目を開けました。
窓からは、
さっきの雲の切れ端がまだ見えました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

例えば、こんな文があるとしましょう。
そして、これが国語の問題になるとします。
問題。
「少女はどこにいますか?」

あなたはどこだと思いますか???

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は以前、友人たちと、
「子どもに如何に国語を教えるか?」
というテーマで勉強会をしていました。
その折、
友人が、「発達心理学」という難しい言葉を使って、
先のような問題を話してくれたのです。
いま、彼女の話を思い出しながら、
内容、要旨を、
ここに再現しました。(ディテールは違うと思いますが)
そこで、彼女が言うには、
発達心理学の立場からすると、
この問題は、解答者の年齢によって正解が違そうです。
小学校低学年が解答者である場合は、
「砂浜に少女がいる。」
で、いいそうです。
しかし、小学校高学年以上になると、
「病室で少女は幼い日の回想、夢を見ている。」
と、なるそうです。
つまり、
人間の発達過程の中で、
時間や空間を把握していくのは、
高学年以上からだそうです。
その段階、段階での、
「到達、理解」
と、いうものがあるそうです。

なるほど、
同じ事柄でも
人は、
その年齢、立場、環境、条件、その他で、
理解、見解という物が違うのでしょうねぇ。

ひろさちやさんは、
「人は他人を誤解する権利を持っている。」
と、言っています。
自分も他人を誤解している。
それなら他人から誤解されても文句は言えまい。
それなら、
その誤解を無理に解こうとあがかずに、
まぁ、ここは一つ、楽しみましょう。
というのが大人の知恵という物なのでしょうか???

私はこの頃、
とみに思うのです。
「人は他人のことは分からない。」
そして、自分の事は、なおさら分からない。
自分のことはさておき、
他人については、
「自分と同じ」と思うことだけは、
やめようと。
育った環境も歩んだ道も違うのだから、
「分かろう」とするのは無理がある。
しかも、人はおおうにして、
相手を分かろうとするより、
自分を分からせようとすることに、汲々とする。
それどころか、
ある時は、
相手を析伏させようと、
むきになる。
ソレは、とても無駄なことだと思うのです。
人はそれぞれ、違うのだけれど、
人もまた、自分と同じように、こちらが分からない、
と、思えば、
気楽になれます。
大切なことは、
相手に「分からせること」ではなくて、
「自分の立場」とは、こういうものだという
理解を求めることではないでしょうか???

そういう意味で、
私はブログをお気楽に、書いています。
また、ひとのブログも、
楽しく拝見しています。
小さな地球の、小さな国の、
さらに小さな町の、
ちっぽけな自分が、
限りある時間に体験できることなんて、
本当に僅か。
みなさんの、
体験や、うんちくから
学ぶことばかりです。
それは、とても楽しくて、、、
「ほぉ〜〜〜」
「へぇ〜〜〜」
と、まるでトリビア。
そして、わたくし瀬戸智子は、
もう一人の
せとともこ に、
自分を分からせようと必死に、
今日もブログに向かって、
愉快に、
しかし悪戦苦闘しながら、やっているわけです。

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コメント

トラックバックをありがとうございます。
少女の場所ですが、低学年と高学年というよりもその小説がSFやファンタジーなのか、
普通の小説なのかで答えが分かれるんじゃありませんか?
抜き出された短い文で問うには根拠が欲しいですね。

息子に教えてみて判ったことは、大人の常識や「ふつう」というのは、一切通用しません。
正解と不正解を説明できる「根拠」がないと説明できません。
最近は悪問も減っているのではありませんか?

投稿: ばかぼん父 | 2004.10.02 15:30

ばかぼん父 さん。
コメント有り難うございます。
本当に、
子どもたちは、大人の常識が通用しないというのは、確かにあります。
私も、いつも彼らの感性に、驚かされたり、感動をしたり、あるときはイライラしたりと、なかなか忙しいです。
まさに、戦いです。
さて、
この記事で、私が言いたかったことは、
「人は、その発展段階で違う。
だからこそ、どんな段階、時期の子どもたちにも、真剣に接しなければ、、、」
ということなので、
ばかぼん父 さんの仰有ることと同じだと思います。
子どもたちには、
なんとか、素敵な未来を贈りたいものですね。
これからもよろしくお願いいたします。

投稿: せとともこ | 2004.10.03 14:50

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