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2004.07.31

新解さんの謎

赤瀬川原平さんの
新解さんの謎読まれた事ありますか?まだ読まれていない方は、是非ぜひ読まれることをお薦めします。
新解さんとは、
三省堂の新明解国語辞典に作者が
愛情をこめて付けたニックネームです。
国語辞典だから、当然言葉の意味が書いてあるのですが、
その意味、解釈が、「?」なのです。
抱腹絶倒。
「おい、おい」
と言うものを、作者の原平さんが、集めてさらに、
解釈、感想が書かれています。
のっけから、
れんあい「恋愛」
〜特定の異性に特別の愛情を抱いて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる(まれにかなえられて歓喜する)状態、、、、、、〜
だそうです。
そして、話は続いていきます。

さて、先日、文化庁がまとめた「国語に関する世論調査」が発表され、
その言葉、本来の意味と違った理解をしている人が多い言葉が、
いくつか紹介されました。
言葉は生き物だから、
使っているうちに、どんどん変化したり、
その時代を反映したりして変わっていくのは不思議なことではありません。
今年、注目の「負け犬の遠吠え」なんかも、そのうち、違った意味になって
まかりとってくるかもしれませんね、、、
あるいは「自己責任」なんかも。
ところで、別の視点でみると、
私たちは、「分かったつもり」になっていることも、
案外多いのではないでしょうか?
いつも、何気なく使っている言葉にしても、
実はお互いが、共通の認識なしに、しゃべっていることって
あります。
家族や、面と向かって話している人。
また、仲良しや、よく会う人たちなら、
時間という手段を介して、お互いの誤解を解くことも
できますが、
「文字のみ」「声のみ」の相手では、誤解をしたまんまってこともありそうです。
ネットでの、議論もそうです。
そもそも、お互いが共通の認識、理解のうえで、
その問題を話す(書く?)のなら、議論は建設的にすすみますが、
そうでない場合は、
まず、自分の立場(その問題に関して)を理解してもらうことに、
相当のエネルギーがいると思います。
「言葉」というものが持つ限界をしっかり見極めて、
その上で、
相手に敬意を表しつつ、
お互いの理解を深めるようなネット場の討論、議論をしているサイトやブログを見る機会にめぐまれると、とても勉強になります。

また、聞き言葉というものも「誤解」を生むことが多いです。
先日、家族とKiroroのコンサートに行きました。
開演までまだ、時間があります。
場内アナウンスが、いろんな注意をアナウンスしている中。
「開演しましたら、非常灯は消えて、場内は暗くなります。
非常の場合は”てんとう”します。、、、、、、」
それを、聞いてた私は、
「えっ?転倒???
みんな、慌てて逃げて転倒するの???」
と、思って、思わず隣の家族を見ました。
「どうか、そんな時は、私のこと、おぶって逃げてぇえええ」
という、強い意味を目に込めて。
しかし、夫も子どもも知らん顔。
「ねぇ、非常時大丈夫?」
と、私。
「何が???」
「だって、暗いんでしょ。電気つかないんだから。」
「?????」
しばらくして、私は
「点灯」であることに、
ようやく気がつきました。
(^^;
言葉って、
本当にオモシロイ。
はぁ。(^^;

今、夏休み。
子どもたちの自由研究の一つに、
「言葉」について考えてみては如何ですか???
また、大人の私たちも、もう一回。
普段着の「言葉」についても、改めて考えたらいい機会かもしれませんね、、、

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2004.07.30

ゆりかごから墓場まで

細田官房長官は29日の記者会見で消費税の引き上げについて
「例えば、三年後施行というような小泉純一郎首相の約束に反しない形であり得る」と述べました。
今日30日、
社会保障の在り方に関する懇談会
の初会合に関しての検討課題に関しての発言です。
07年には二桁にまで上がりそうな気配。
「社会保障」という名の下に、
また泣く人が、増えそうです(;_;)
社会保障のためという事で登場してきた消費税や、
その税率の引き上げは、
一方で「法人税減税」とのセットでした。
つまり、
大企業が負担する「福祉」の部分の穴埋めに、
国民からの「消費税」という形で財源を賄ってきたわけです。
そして、いよいよ
その税率を二桁にまで上げようというシナリオが浮上して、
さらに検討される事になりました。

私の友人は、小さな中華料理店を夫婦でやっていました。
行くたびに餃子が小さくなるのです。
「こんなに小さい餃子だったら客が来なくなるよ。
もっと、目玉商品は張り込まなくちゃ、、、」
と、私は友人に言いました。
「うん、でもね、、、このごろ本当に苦しいのよ。
これで消費税が5%になったら、うちはもうダメだわ」
と、友人。
当時、消費税は3%でした。
その後、私は引っ越したのですが、
何年か来ていた年賀状が、ある時からバッタリ来なくなりました。
それから、さらに何年かして、
元いた町を訪れた私は、
友人のお店が、もうそこにはないことを確認。
そう、確認したのです。
「あっ〜〜〜やっぱり。
いま頃どうしているだろう?」
消費税率アップの話題がでると、
彼女の顔を思い出します。
どこかで元気にやっていてほしい。

今年4月から、
商品の店頭価格は「消費税込み」になりました。
これが、
「消費税率アップの布石」であったことは明らかです。
消費税というものを、私たち消費者から
隠したのです。
今まで、100円だったものが、105円になりました。
「あっ、消費税分ね。わかりやすくていいわ。」
「そう、いちいち計算しなくて楽になったわ。」
と、思っていたとします。
目から消えた消費税は、頭からも消え、
いつの間にか、私たちの家計簿からも消えていきます。
ある日、同じその品物が110円になりました。
「あら、値上げしたのね、、、」
と、思います。
〜いえいえ、値上げしたのは品物ではありません。
消費税率が上がったのです。〜
こんなカラクリが、そのうちまかり通るのでしょうか?
ときどき、疑問に思って質問する人がいたりする。
「あら、これって、消費税値上げなの?」
「はい。これも高齢者の福祉のためです。奥様」
と、答えるように、マニュアルはできている、なんて事になるのでしょうか?

本当に、ほんとうに
「福祉」のために使われるのなら、
それは、それで、私たちも応分の負担はしなければとは思うのですが、
今、この国で実際に行われている政治を見ると、
とても、信用は出来ません。
年金の時もそうでした。
(結局、払うお金は高くなり、もらうものは少ない。国会議員年金は手つかず)
税金の無駄使いも然り。
(グリーンピアや、高速道路やら、やら)
ここにきて、橋本元首相の問題、、、
(氷山の一角でしょう)
その
同じ政府は、
教育に関する予算は削減。
介護保険など(それこそ本当に福祉に関わる)は値上げ。
とかとか、
枚挙にいとまがありません。
これから三年間は「国政選挙」がありません。
「さぁ、いまのうちにやりまっせ。」
「いけいけドンドン」
「取れるところからは、とりまっせ。
ゆりかごから墓場まで、、、」
あっちからも、こっちからも
眠っていた魑魅魍魎が跋扈してくるのでしょうか???

では、なにも私たちは出来ないのか???
と、言うと、そうではありません。
「国民の声」はどんな時でも、
上げていかなければならないと思います。
上げるのは、国民の声であって、消費税ではない!!!
諦めず、腐らず、不断に、
声を届けていかなければ。
「消費税率アップ、反対!!!」と。

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2004.07.29

「日常」というドラマ

今、私の注目のドラマはウオーター・ボーイズ2です。
内容、あらすじは、
「思ったとおり」に、毎回進みます。
まぁ、この手のドラマは、たいていそうです。
ドジで熱血漢の主人公と仲良しの友人。
イヤミなライバル。
かわいいヒロイン、、、、
と、お決まりなのです。
見る前から結果は予想できて、
「裏切られることなく」物語は進みます。
そして、見終えた後は、
「やっぱり、思った通りだね。アハハ。」と、なるわけです。

そこで、私は思ったのですが、
あらすじが、ある程度見えて、ハプニングが少々バリエーションあるドラマは、
見ていて、
「安心」
なのです。
思ったとおりに進む、
わけだから、見なくてもそれまでなのですが、
時々に切り取られる人間模様が、
等身大であって、感情移入ができて、
共感を覚え、
自分の「日常」と重なるのです。
そこに、見ているものは、
「安心、快感」を覚えるのでは???と
私は思います。

映画でもそうです。
「寅さん」
のいつものパターンが、好きなのです。
寅さんのようなフーテンな生き方に憧れ、
いろんなしがらみから解かれ、
自由に生きていく様に、憧れつつも、
「いつものパターン」に安心をしているのです。
笑ったり、ホロリときたり、そして、いつものように失恋する
その中から、
哀愁と優しさと安心を嗅ぎ取るわけです。

私たちは、実は自分が思っている以上に
「日常」が好きなのではないでしょうか???
「あ〜〜〜こんな生活いやぁ、、、、」
「どこか、遠くへ行ってみたいな、、、」
「ハラハラ、ドキドキ、ワクワクしていみたい」
とかとか、
いろいろ「非日常」への憧れは、あるのです。
だから、
時々は、外食をしたり、映画館へ行ったり、
コンサートに出かけたり、
あちこちを旅したり。
また、
四季折々の行事の中に
「ハレとケ」をおくことで、
メリハリをつけた昔の人の知恵とも重なります。
生活の中に「非日常」を取り入れて、
心のバランスを上手にやりくりしているのです。
しかし、その土台の考え方は、
「昨日、かくてありけり、今日もまたかくてありなむ」
その日常に対しても、改めて考えることもないくらい
「安心」なのでは、、、と思います。
そして「懐かしむ」のが好きです。

その日常を支えているのは、いうまでもなく、
近代国家としての国です。
政治です。
「日常」というドラマを、
演じるのは、私たち国民です。
そして、脚本を書いて、
メガホンを振るのは、
国会議員や、行政です。
私たちが安心して、
「日常というドラマ」を演じることが出来ることを
願ってやみません。
政治が、
揺らぐことなく、私たちの「日常」を
しっかりと支えていってくれること、、、を。

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2004.07.28

防衛懇 論点整理

小泉首相の私的諮問機関
安全保障と防衛力に関する懇談会
が、27日、これまでの議論をまとめた論点整理を公表しました。
この中で、
「自衛隊の国際活動を、本来任務とすることの重要性」
「独立国としての必要最小限の基礎的な防衛力の保有を考え直す」
「憲法の平和原則に基づき、外国への武器輸出を原則禁止している武器輸出三原則は不合理」
と、しています。

また、石破防衛庁長官は、27日の記者会見の席で、
「自衛隊が海外の敵基地に対する攻撃能力を保有する事について、
現在は考えていないが、これから、検討していく可能性はある。」
と、述べました。

簡単にいうと、
「敵と認めたら、相手を攻撃することが可能になる」
と、いうことです。

敵、、、、、ねぇ。
一体 誰の敵なのかな?
だれが
「こいつは 、テキだ!!!」
って決めるのかな???

私たちの思いを置いてきぼりにして、
事態はダンダン、進んでいきそうです。
このままで行くと、
本当に
日本は
戦争をする国になりそうです。

「国を守るため」って???
国を守るために、わざわざ海外に出ていって
敵の基地を攻撃する理由があるのでしょうか???

「やられる前にやる」って???
本当に相手が、こっちに敵意を持っているかどうか分からないとき、
先制攻撃をかけるって事は、
どんなにひいき目に見ても、
戦争仕掛人は、こっちがわだよね。

それにね、それにね。
なんといっても
武器ってすご〜〜〜く すごく高いじゃないですか。
武器は、一つもいいところがない。
人を殺す。
環境を破壊する。
その上、目が飛び出るほど高い。(お金はもっと有効に使いましょう)
戦争の犯罪性は、明らかであることを、
私たちは、学んだはずではなかったのでしょうか。

これ以上、日本が、
戦争への道をひた走りに走ることに、
とても、不安を覚えます。

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2004.07.27

マーフィーの法則

マーフィーの法則
「失敗すると予感したことは、必ず失敗する」
ということで、一躍有名になった法則です。
その法則はいっぱいあって、まで出ています。
つらつら眺めると、
本当に思い当たることばかり。

〜切符を買う時、自分の並んだ列がいつも遅い。〜
わかります。わかります。
スーパーでも、いっぱいあるレジに、沢山の人が並んでいる。
人数を数えて、前の人の買い物かごなんかチョイト見て、なるべく少なそうな列に、
ついたはずなのに、やけにこっちの列は遅い。
うん?うん?
前を見てみると、
レジの紙がちょうどきれて、お店の人が入れている、、、
とかとか。

〜ビデオに撮ってまで見たい番組は、必ず野球中継が延長する。 〜
つい、先日もありました。
「ウオータ・ボーイズ」のビデオを撮って、安心。
さぁ、見よう、、、というときになって、なぜか、
野球が入っている。
????
まだ、わからない。
????
もしや、、、もしやと分かりかけたとき、
テレビのテロップが上に出てきた。
「野球が延長をしていますので、野球放送はこのまま、お送りします。
つぎのウオータ・ボーイズは30分の遅れとなります、、、」
ううううっっっっ
結局、その回の放送はネットで「あらすじ」を調べました。


〜たいして重要でない電話は、テレビドラマのクライマックスの時にかかってくる。〜
あるある。
先日は「新撰組」で、
仲間割れして、うんぬんかんぬん、、、
という、すごくシビアで重要な場面。
トゥルゥン  トゥルゥン
「あっ、オレ。今から帰る。」
という出張帰りの夫の元気な声。
思わず、
「あっ、そう」
ガチャン。

推理小説で、謎解きの緊張の一瞬。
ピンポ〜〜〜ン。
「おくさん、こんど新しくできたクリーニング屋です。」
「はい。分かりました。」
ブスッと返事。

電話は、相手が見えないので、かけるとき、
かかってくるときのタイミングは難しい。
手が離せない時に、かかってくる、、、
ような気がします。

こうして、みていくと数えれば切りがないのですが、
私個人の場合は、「マーフィーの法則」とは、
「こだわり、とらわれ の法則」と思います。
失敗する予感は、必ず失敗するのではなくて、
「失敗談、経験」を覚えているだけなのです。
たとえば、
スーパーの列で、並んでいたら、
隣のレジが開いて、一番にしてもらってラッキー!
なんてことも経験しています。
しかし、すぐにそういうのは、忘れて、
腹立たしい事だけ覚えています。

ビデオも、ちゃんと撮れている方が圧倒的に多い。
テレビも、大切なシーンの時、いつも電話があるとは限らない。
トイレ掃除や、ハンバーグ作り中に、いつも電話があるわけではないのです。

しかし、
「そうであったら、困るときに、そうであったことを覚えている」
私。
そして、いつまでもそれをひきずって、
怒っている(?)私なのです。
つまり、自分で自分の心を縛って、
苦しくしています。

私は、特定の宗教は持っていませんが、
「仏教哲学」は、興味深く、読んでいます。
とくに、私のように、
「おこりんぼ」には、その時々で指針を与えてくれるような気がします。
なかでも、
ひろさちやさんの本は、私にでもわかりやすく仏教を哲学として
教えて下さるのでお気に入りです。
般若心経について、
「私たち凡夫は、自分に関わりのあるものに、勝手にレッテルを貼り、
そのレッテルにこだわって生きている。そして、窮屈な生き方、
自分で作った影におびえて生きている。
勝手に作った概念に執着して、どうにもならない。
般若心経は、そんな枠をとりなさいと、教えているんです、、、、」
(せとともこ文意要約)
なるほど、なるほど、、、、
本当にそうだなぁ〜〜〜と、私は思うのです。
私個人に関して言えば、
私は、私の都合しか考えていないのです。
そして、人が自分の思い通りにならないと言って腹を立てているのです。
(たいていは、夫とか子どもとか、、、
可哀想な我が家の家族たち。すみません。)
と、いうか思い通りに進まなかったことに、
いつまでも、ネチネチと思っているのです。

そういうわけで、
私にとって「マーフィーの法則」は
「とらわれ、こだわっている自分を教えてくれる法則」
なのです。
頭では、その「つまらなさ」「おろかさ」が分かっていますが、
現実には、
なるべく列は、早く進みたい、
忙しいときなる電話の向こうの人には、なぜか不機嫌に対応するという
自分です。

まだまだ、
本当にまだまだ
修行は続きます。
「みちはとおい、、、」
〜たびは
終わらない〜

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2004.07.26

スポーツが伝えるものは

昨日25日、
アテネオリンピック・サッカー男子日本代表は、
大阪・長居陸上競技場で、オーストラリア五輪代表と
壮行試合を行いました。
結果は0−1で日本代表は惜しくも負けました。

私も、長居まで観戦に行きました。
朝から、
浩司と駒野のゲーフラを作って、
早めに行こうと、思ったのですが、
折足悪く、
出掛けに「夏の嵐」。
まるで台風なみの突風に、さすがに、ひるんでしまいました。
家を出たのは、夕方。
大阪は天神祭りのため、
浴衣すがたの かわいい女の子がいっぱい電車に乗っていて、
なかなか風情がありました。
そして、
長居駅について、
改札を出た途端。
人人、そして人。
みんな代表の青いユニフォーム姿。
えっ、、、、
これが長居???
先週と同じ長居かぁ、、、

もう、串カツは諦めて、
お弁当を買ってスタジアムへ直行。
途中、横断歩道で待っていると、
若いカップルが声をかけてきました。
「ワールドカップの時はすごかったよ、、、」と。
そして、自分たちの家は、すぐそこだから、
いつもセレッソの応援に行っていると、
大久保の名前のついたシャツを見せてくれました。
先週も思ったけれど、
大阪の人って、
人なつこくて、親切で、明るくて、楽しい!!!

さて、会場に入って、一番天井に近い席をやっと見つけました。
周りは、もう
青、青、あお、、、、、、
熱気にムンムン包まれています。
まさに、
ニッポン・チャチャチャ
です。

実は、私は代表のこうした試合を見るのは初めてです。
ワールドカップは、
日本戦はチケットが手に入らなかったので、ウルグアイ ー デンマークの対戦を見ました。
あの時は韓国まで行きました。
そこでも韓国の方と親しく話をすることが出来ました。
また、アトランタオリンピックも、
たまたま、その時アメリカにいたので、サッカーの準決勝を見る機会にめぐれました。
しかし、
あの時は、海外ということもあって、
ここまで、盛り上がってはいなく
静かな観戦でした。

昨日は、
もう、会場中がニッポン・チャチャチャ、
オーレオ、レオレオレ、、、
でした。
そのすごい熱気に、
こっちも思わず、
調子を合わせます。
持っていったゲーフラも、
周りの人たちには「うけました」。
なにしろ、周りは大久保ばかりだから、
とてもメズラシイ。
のです。

こうした渦に巻き込まれ、
頭の中、体の中にまで、
ニッポン・チャチャチャ〜〜〜
と、入っていきます。
それは、一種の連帯感です。
同じチームを応援することから生まれる親近感
です。

さて、
家に帰り、
ネットでいろいろ見ていて、
FAIRNESSさん
経由で、
中国や韓国のサッカー会場での反日感情の高まりを知りました。
「とても悲しい。
とても淋しい。」
と、いうのが感想です。
これに関した、あれこれを読みながら
ドラガン・ストイコビッチを思い出しました。
そう、あのピクシーです。
ピクシーは、セルビア生まれのサッカー選手です。
彼の祖国は、
民族の問題を抱え、いまだ解決しない中で、
「サッカーをすることの意義、平和、
人々に生ということを伝えていく」こと
を求めて、
サッカー選手として、戦い続けました。
今は現役を引退しましたが、
尚、戦い、訴えています。
詳しくは悪者見参という本に書かれています。
いつでも、政治は、
あらゆるものを利用していきます。
しかし、
民衆の知恵は、そんな政治に巻き込まれないくらい
豊かで、逞しく、またしたたかでもあります。
もし、今回のような事柄が、
中国や韓国であったとしても、
そのことで、即「かのくには、、、」と判断することなく、
物事の本質を、
等身大、実物大にみていく必要を感じます。

民族、宗教の問題などデリケートな問題。
政治、経済の問題など現実的なこと。
それらを、すべて抱え、包み込みながら、
さらに、超えていくものが、
スポーツや音楽、芸術だと思います。
それは、
人間としての、もっとも原始的なエネルギーに起因している部分でもあるからです。
すべての
しがらみを超えて
「人間である」というただ一つの原点に立ち戻って、
スポーツや音楽、芸術を楽しんで欲しいと、
心から
こころから
願ってやみません。

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2004.07.25

北風と太陽

私は、夜空に輝く星です。
私が南の空にきらめく頃、
あちこちの窓から、
子どもを寝かせるためのお母さんの子守歌や、
童話の読みきかせが聞こえてきます。
あっ、
あの赤い屋根のおうちからは、
お母さんが、幼い二人の兄、妹に
イソップを聞かせています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
母 「旅人は、暑くてコートを脱ぎました。 おしまい。」
妹「私、お日様、好き」
兄「そうか、、、」
母「あらぁ、お兄ちゃんは、お日様がキライなの?」
兄「って、言うか、かわいそうじゃん。北風が。」
妹「なんで?」
兄「だって、あんなに頑張ったのに、、、」
妹「 この話は、お日様が良くて、北風が悪いことになってんの。」
兄「コイツ。ナマイキ」
母「まぁまぁ、、、ケンカはやめて。」
母「 お兄ちゃんは、北風が頑張ったのに、負けて可哀想と思うんだ。」
兄「そう。お日様はニコニコ照らしただけなのに、勝って、イイモノだろう、 北風は、すごく頑張ったのに悪者だし、」
母「この話は、イイモノ、悪者ってことを言っているんじゃないと思うよ。」
妹「私、お日様が好き!!!」
兄「うるさい、おまえだまれ。 こんなやつがいると、ポカンとやりたくなるんだ、、 北風の気持ちがわかる。」
母「好き、嫌いと言う「好み」については、何も言えないけれど、二人とも、旅人の気持ちになってごらん。 力でやって来る人と、やさしい人とどっちがいい??」
兄「そりゃ、力でくる人はいやだ。」
妹「私も」
母「母さんも。自分の思い通りにしよと力でくる人は勘弁ねぇ。」
兄「でも、お日様のように、ニコニコ笑って、優しそうで、実は、うそつきもいやだな。」
母「そうね、、、このお日様が、うそつきかどうかは知らないけれど、そもそも、旅人のコートを脱がそうっていう競争がいけないのよね。 母さんも、じつは、この話、お日様も、北風も好きではないの。」
妹「そうか、、、旅人がかわいそう。」
母「まぁ、この話し。こんな風に解釈するのどうかわからないけれど、、、  ただ、母さんが旅人だったら、いやだなぁ〜〜〜と思っただけ。」
兄「うん、それなら、僕も納得」
母「もう、おやすみなさい。」
兄「おやすみなさい」
妹「、、、」
母「良い夢を」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
もう、窓からは、幼い二人の声は聞こえなくなりました。
あっ、あっちの窓からは、テレビが聞こえてきます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「日本は、アジアでより強い支配権をもつために、
力を持つことが必要と、経済界のトップが発言をしました。
そのためには憲法の解釈を見直し、改正もやむなしと発言をしたもようです。」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
夜はますます更けていきました。
もう、窓からは光が消え、
人々は眠りについたようです、、、
そろそろ、東の空が白くなりはじめました、、、
私も、もう寝ましょう。
明日、あうときまで、ごきげんよう。

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2004.07.24

くもの糸

 ある日のことでございます。
 お釈迦様は極楽のはす池のふちを、ひとりぶらぶらお歩きになっていらっしゃいました。
 池の中に咲いているはすの花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色のずいからは、なんともいえないよいにおいが、たえまなくあたりへあふれております。
 極楽はちょうど朝なのでございましょう。
お釈迦様は、池の前にたたずまれました。
その池は「今」の池でございます。
極楽には、「過去」「今」「未来」の池がございます。
ふと、池の底を覗いてみますと、
「今」を生きている人々の様子がはっきりと見えます。
生まれたての嬰児、
もう、こちらにやってくるばかりの老人、
そして、笑っている人、泣いている人、
その様はじつにイロイロでございます。
名前はわかりませぬが、一人の男がお目にとまりました。
この男は人のうえに立っているようでございます。
しかし、驚いたことに、この男の周りは、くもの糸で
ビシビシに絡まっている、いろんな人の
嘆きや哀しみが渦巻いているではありませんか。
男が、吐き出したその息が、
「法」という言葉になって、
多くの人たちをからめ取っているようでございます。
お釈迦様は、ため息をつかれて、
この池から離れようと致しました。
と、
歩きかけたとき、思い出されたのでございます。
「あの男は、以前、別れわかれになった親子を救ったことがあった。
本心がどこにあるかは、わたくしもわからぬが、
一つ、あの男を、迷いから救い出そう」
そう、仰ると、蓮の花についていた、極楽の蜘蛛を、
タラリと、池の底に下ろされました。
極楽の蜘蛛は、
スルスルと銀色の糸をたらして、
男の耳元にまで、おりて参りました。
「これ、それ以上、人を泣かすでないぞ、、、
迷いの徒よ。」
と、極楽の蜘蛛は男に囁き、法を説きました。
しかし、
男の耳には聞こえませんでした。
男が見ているものは、別の大きな国、
男の聞いているのは、金持ちの声でありました。
譬え、極楽の蜘蛛でございましても、
届かなかったようでございます。
男は、
からめとった人々の嘆きを聞きながら、
「どうして、そんなに泣くんだい?
サッパリ、わからない。
泣きやむ特効薬はないからな、、、
人生いろいろさぁ」と、言って
笑っておりました。

極楽の蜘蛛は、
スルスルと上に上がってきました。
銀色の糸はお日様の光りに輝き、それはきれいでございました。

帰ってきた、蜘蛛を、また蓮の上にソッとおかれて、
お釈迦様は、
また、お散歩の続きをなさいました。
もう、
「未来の池」には、見向きもなさいませんでした。
しかし極楽のはす池は、少しもそんなことにはとんちゃくいたしません。
 その玉のような白い花は、お釈迦様のおみ足のまわりに、ゆらゆら うてなを動かして、そのまん中にある金色のずいからは、なんともいえない良いにおいが、絶え間なく あたりにあふれております。
 極楽ももう昼に近くなったのでございましょう。
 
(芥川龍之介、くもの糸、参照)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今日、7月24日は、
芥川龍之介の命日です。

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2004.07.23

未来への手紙

今のあなたは、
未来のあなたへ、どんな手紙を送りますか?
そして、
あなたに繋がる未来の子ども達へ
どんな手紙をしたためますか?


先日、友人たちと読書会をしました。
まず、
最近読んだ本で、印象深いものや、
推薦の本をそれぞれの人が紹介します。
平山郁夫さんの本だったり、
司馬遼太郎さんだったり、
と。
その中で、
みんなの注目を浴びたのは、
「無言館」という画集でした。
無言館とは、戦没画学生の作品を集めた美術館のことです。

私たちが見ていたのは、
そこに納られている作品集でした。
筆なかばにして、
戦地に赴いていった若き画学生たちの作品や、手紙が載せられていました。
透き通るようなタッチで、
やさしい筆致で、
力強い筆運びで、
それぞれの作品が、語りかけてきます。

作品は残りました。

しかし、
これを書いた画学生たちは、
遠い昔に、もういない。
親も、恋人も、
自分の未来も、
戦争という渦の中に巻き込まれ、
奪われていった人たち。
一ページめくる毎に、
その人の息遣いが聞こえてきます。
一ページ開く度に、
その人がここに、確かに在ったという証を見ます。
先輩たちの愛と、慟哭、
生きるたことへの渇望がにじみ出ています。
そこから伝えられてくるものは
「生きて、生きて、生きて、、、、」
と、いう未来への私たちへの
凄まじいまでのメッセージです。
再び、
戦争という大きな災難に見舞われることのないように、
という一生懸命の祈りです。
彼らが命を捧げてまで守ったもの、
未来を棄ててまで貫かなければならなかったものの
正体を、
今の私たちはすでに知っています。
あまりにも哀しい歴史が犯した罪に巻き込まれていった
若き画学生たち。

私たちは、
過去に歩いたあの方たちから、
手紙を受け取ったのです。
今の私たちは、
「戦争というもの正体」
その罪と罰を知っているハズです。
再びその愚は犯してならないことも。

そして、今度は、
未来へ、発信しなければなりません。
「ず〜〜〜っと、
ず〜〜〜っと、
平和で豊かに、生きて、生きて、生きて」と。
自分たちに続く明日の若者たちへ。

今日7月23日は、
文月文の日。

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2004.07.22

はたち前にただの人

「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎればただの人」
とは、良く聞く言葉です。
が、
が、
私はこの頃の子どもたちは、
「二十歳前にただの人」になっている子が多い、と思います。

身近な例で言うなら我が子。
あの子が幼い頃、
神童とまでは思わなかったが、
私は、彼の感性は好きでした。
目の前にある あらゆることに、興味を示し、
自分が関心を持ったもの(例えば、ウルトラマン、レゴ、恐竜、、、、)
は、図鑑で調べて、絵に書いて、お話を作って、と。
小学校時代も、
才子か どうかはわかりませんが、
本人は「勉強が好き」と、言って、よく親に質問に来ました。
小学校二年の算数の時間のこと。
「2-3+5=」という問題で、
先生が、「2から3は引けないから、先に5を加えましょう」
と、教えた時、
彼は、
「どうして、2-3ができないのかわからない、、、、」
と、言って先生を質問攻めにしたことがあります。
あの子は「方法」じゃなくて「原理」が知りたかったのです。
また、三年の国語のテスト。
まず、小説の一部が出ていて、
「下線部の部分は、作者のどんな思いが書かれていますか?」
というよくある質問。
息子は、
「僕は作者じゃないから わからない」
と、答えました。
勿論、×でしたが、
私は、その解答を見て、おなかを抱えて笑いながら
「かあさんは、君の答えがあってると思うよ、、、」
と、言って、さらに笑い転げていました。
まぁ、一事が万事、この調子で、なかなかユニークな子なのです。
そして、私は彼の感性がお気に入りでした。

そんな息子が中学になり、
さらに受験生になったある日、私にこう言うのです。
「かあさん、この頃 僕、勉強わからないんよ。」
「ええ〜〜〜っ。それは大変。どうして???」
と、私。
「うん、今まで僕は勉強が楽しくて、好きだったんよ。
授業を聞いていたら、いろんな事がわかって。
でもね。この頃、授業がちっともオモシロくない。
社会でも、理科でもプリントを渡されて、ぱっっ〜〜〜と、授業が進むくせに、
ちっとも肝心のことは教えてくれなくて、
まるで、出口のないトンネルの中に入り込んだように、ボヤッとしてるんよ。
国語も、考えれば、考えるほど、先生の答えから遠ざかっていくんよ、、、
数学も、ちっとも意味や原理を教えてくれなくて、ひたすら問題を解いてるだけ。
ちっとも勉強する気がしないんだ、、」
と、言うのです。
なるほど。
確かに、それは楽しくない。
「じゃ、どんな風にしたらいいと思う?」
と、私が尋ねると、
息子は、
「前みたいに、先生がいろんな話をして、その背景なんかを教えてくれたら、
後は自分で家で勉強するんだけれど、、、」
「そうか、、、では、自分で、いろんな本を読んで、エピソードなんか調べたら?
ご冗談でしょ、ファインマンさん、、、なんて本があるよ。うちに。」
と、著名な物理学者の本を紹介しました。
子どもが実際、それを読んだかどうかは、私は知りませんが、
彼なりに、自分で楽しく勉強をするように工夫はしていたようです。

しかし、一方で、教師も「これでいい」とは思っていないのです。
先生も、矛盾を抱えています。
「もっと、子どもたちに、楽しい授業をして、
学ぶ喜びを伝えていきたい。」と思っているのです。
だが、現実はギュッギュッのカリキュラム以外に煩雑な雑用に追われています。

「ゆとり教育」推進者の言い分は、
「全ての子に分かる喜びを」ということです。
そして現実に行ったことは、
極端なカリキュラムの削減と、総合教育の導入でした。
理科実験教育が減り、
算数の数量、図形授業が減り、
と、「考える授業」は目に見えて減りました。
暗記する、機械的に行う授業に変わっていきました。

子どもは、本来、分からないことは分かりたい。
未知へのものへの憧れ、を持っています。
そんな生来の才能をすりつぶし、捨て去っていくような
学校教育の今のあり方で、
どんな子どもたちが育っていくのでしょうか???

二十歳前にただの人にさせていく、
文部科学省の方針には強く危惧を感じている私です。

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2004.07.21

クジラの島の少女

昨日、子どもと、
「クジラの島の少女」というチョット前の映画を見てきました。
映画の公式サイトはここ
です。
まだ、ご覧になっていない方は、このサイトも覗いてみてください。

さて、感想は、
「淡々としていた」
というものです。
全体が、ゆったりと、
そして神秘的で、
なおかつ力があって、
その上控えめで、
いつのまにか終わっていた、、、
というのが私の印象です。

しかし、
一つひとつを丁寧に追ってみると、
とても良くできている映画だと思います。
「クジラに乗ってきた先祖」への畏敬とあこがれ。
なお伝統を守っていこうとする老人と、
そこから外へ出て行きたいと願う次の世代。
女は家にいて、男の後を付いてくるという典型的な男尊女卑の思想。
したたかに生きていく女たちの知恵。
自然と民族と芸能を守って生きている人々の逞しさと哀しみ。
そうして、
「伝説」は少女に再現されることの意味。
最後に彼女が淡々と言った言葉。
「私は予言者ではないけれど、未来がみえる、、、、」
その未来とは、
男も女も年寄りも若者も、
力を合わせてカヌーを押す映像と重なっていく、、、

こうした一場面、いちばめんを思い出すと、
本当に素敵な映画だと思います。

人は、
「自分がどこから来たか」
そのルーツを知りたい、探したいという根源的な欲求を持っているような気がします。
日本人も、その祖先が、
大陸から来たとか、
あるいは、アフリカに人類のただ一人の母がいた。
とか
とか。
そして、古事記や日本書紀のような神話による
「国おこし」
とか。
私個人は、神話は好きです。
なんといってもロマンチックだから。
それが、政治に利用されていったという悲しい歴史が
なければ、神話ってもっと子どもたちに広く読まれていたかもしれませんね。
また、
民話も好きです。
こちらはエネルギーがいっぱい。
時々の民衆、大衆が、
時の権力に立ち向かうための
したたかで、たくましくて、艶やかな
「さが」が描かれていて、いいです。

今、
学校教育の中で問題になっている「愛国心」。
そんなに肩ひじはらずに、
もっとゆったりと、自然に、伝えていくものではと、思います。
「淡々」と「おだやか」なものであるのでは、と私個人は考えています。
政府は、愛国心を押しつけようとするけれど、
一方で、伝統芸能、伝統工芸は、日に日に衰退しているのも現実です。
私の今、住んでいる所は、
日本の伝統の粋を集めたところです。
しかし、こここ近年、
その伝統工芸に影がさしてきています。
職人さんがどんどん減っているのです、、、

押しつけるだけの「愛国心」でなく、
伝統と歴史を、誇りとして、
守るものは守っていく「愛国心」じゃないと、
他の国の人、民族もまた然りであることを、認める愛国心でなければ、
うすっぺらで、すぐにメッキがはげるような気がするのですが、、、

そんなことを思いながら、
「クジラの島の少女」を見ました。

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2004.07.20

選ぶということ

もうすぐ、アテネオリンピック。
見る方の私たちは、
日頃、あまり馴染みでないスポーツに触れることができる絶好の機会。
楽しみにしています。
しかし、
その一方で、
「代表選手の選考」については、
不透明で、いろいろ問題があるのも事実です。
マラソン選手の選考もいろいろ取りざたされました。
また今回は、馬術五輪代表選考
の、仲裁結論がでました。
「選考基準があいまい」として、加藤麻里子選手が、
日本馬術連盟(日馬連)を相手に、
代表の取消と自身の代表入りを求めた申し立てを、
日本スポーツ仲裁機構(JSAA)に、提訴していました。
結論は、
日馬連の選考は著しく合理性を欠くものではないと、
加藤選手の訴えは却下。
その一方、
日馬連にも、
選考方法を分かりやすく選手に伝えるようにと、
いうことでした。
選ぶということは、
本当に難しい事とは思いますが、
選手たちは、オリンピックを目指して、
日夜猛烈な練習を行い、研鑚しています。
人生をもかけています。
曖昧さ、不可解さが残る選考では、
涙をのんだ人や、またそれに続く後進にも
良い影響を与えるとは思われません。
誰でもが納得するようにガラス張りの
方法を、今後に期待したいものです。

さて選ぶというと、いつも思い出すのは、
百人一首に納められている二つの歌です
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 しのぶれど色に出でにけり
 わが恋は
 ものやおもふと
 人の問ふまで  (平兼盛)

 恋すてふ わが名は
 まだき 立ちにけり
 ひと知れずこそ
 思ひそめしか  (壬生忠見)

この二つの歌の選考の話は、
ここ
に載っています。
また素敵なエピソードにして、こちらのサイトにも載っています。
お時間、興味がある方は是非ご覧ください。
私がこの話を知ったのは、
高校の古文の時間でした。
それと相前後して、
社会の時間には、
「アムンゼンとスコットの南極点到達物語」
を聞きました。
私の中では、
妙にスコットと壬生忠見が重なるのです。
ただ、この二人は決定的には違うのですが、、、
スコットの場合は、北極点初到着が果たせず、
南極点に向かったものの、着いてみたらすでに
アムンゼンが到着。
その失意の中での帰路、猛吹雪に見舞われて遭難。
という人生でした。
スコットが何故、負けたかというと
犬ぞりと馬の違いだったとか、
あるいは食べ物が、
南極生息動物を食料にしたか、缶詰めだったとか、、、、、
いろいろ、その敗因があるようです。
(実の所は、私はわかりませんが)
一方、壬生忠見の方は、
どう考えても「たまたまの偶然」です。右においたか、
左においたかの、違いでその後の人生が変わりました。
選ぶという時、
少なからず、この偶然の要素ってあるような気がします。
選考の時、たまたま、そこにいて選ばれ、その後頭角を現す。
ちょうど、怪我で選ばれなかった、、、
入試の時、体調を崩した、、、
枚挙にいとまがないと思います。
私は、自分の中で、
人生の選考に選ばれなかったパターンを、
「スコット型」と「壬生忠見型」に分けて考えています。
「スコット型」の場合は、
万全を尽くしたかどうか、
あるいは、
己の未熟さと、尚一層の努力と、
なぜなのか、納得いくまでの説明を自他に課します。
くだんのオリンピック選考は、スコット型です。
しっかり、理由を知る必要はあります。
「壬生忠見型」の場合は、
「まぁ、運が悪かった」とスッパリ諦めて捲土重来を期すようにします。
我が子が二者択一で悩んでいるときも、
(たいていは、ラーメンにするかチャーハンにするか、、、などですが(^^;)
「コインで決めなさい」と言っています。
本当に、それが欲しい、やりたい場合は悩まないのだから、
「選択に悩んでいる」ということは、どちらでもいいことだと思うので、
「神様」にお任せしています。
もともといい加減な性なので、
「あんまり悩みたくないのです」

しかし、
人が人を選ぶことは、難しい。
さらに、その結果をうけて、今後どうするかは、
もっと難しい。

ところで、
今思うと、学生時代の授業って、
先生の雑談ばかりが思い出されます。
これこそ元祖トリビアなのかな???
今の子どもたちも、
後から心に残るような、
「楽しい授業」を受けているのかな???

ときに、
あなたなら、
この二つの歌のどちらを選びますか?
 しのぶれど色に出でにけり
 わが恋は
 ものやおもふと
 人の問ふまで  (平兼盛)

 恋すてふ わが名は
 まだき 立ちにけり
 ひと知れずこそ
 思ひそめしか  (壬生忠見)

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2004.07.19

ディベート

ディベートという言葉が一般化したのは、
学校教育でも、取り上げられるようになったことが大きいのではと思います。
ディベートに関しては、ディベート入門講座に詳しく書いてありますので、参考にしてください。

さて、私も作文教室でディベートを取り扱ったことがあります。
一応ルールにしたがって、
グループに分けて、
事前に、与えたテーマ(このテーマについても
子どもたちに決めさせました。)
を、家で調べさせて、発表の手順などをまとめさせておきました。
そして、
いよいよ当日。
二つのグループは、
責任者を決め、じゃんけんで順番を決めて、
さぁ、始まりです。
それ以外のグループは判定者です。
この時は、
「言葉は、世界共通語がいいか」「それぞれの国で違う言葉がいいか」
というテーマで行いました。
共通語が先に
次に「それぞれ」が後に、自分たちの
調べてきたことを元に主張をします。
そのあと、
相手のグループへの反論、質問を行って、
最後に
責任者がまとめます。
この論戦後に、
判定グループが、
「どちらの説に賛成するか?」
ということで挙手をして、勝敗を決めたのです。
・・・・・・
そこまでは、良かったのですが、
ふと、見ると、
負けた方のリーダーが泣いているのです。
「どうしたの?」
と、私は彼の肩に手をおいて尋ねました。
「、、、、、」
しゃくりあげているだけ。
周りの子たちも、困った顔をして見ているだけ、、、
「う〜〜〜〜ん。どうしたん???」
と、私は前の質問よりさらに元気に聞きました。
すると、
絞り出すような声で、
「くやしい〜〜〜〜〜」
と、言うのです。
彼は、家でこの難しいテーマをこなすために、
随分調べてきたのです。
「言葉の歴史」から「役割」まで。
勿論、小学生の調べたことだから、脇は甘いのですが、、、
それでも、真剣に調べてきて、
かなり自信をもって、この場に臨んだのです。
しかし、
判定結果は「負け」
だったので、
彼は相当ショックをうけて、ついポロポロ。
(子どもはすぐ泣くので、珍しいことではありませんが、、、)
「そうか、、、
それは、悔しいね。でも私は、君の主張、すごく筋が通っていて、
分かりやすかったよ。
みんなも、きっと同じだよ。
ただ、テーマが難しすぎて、ちょっと分かりにくい部分もあったかな???
まぁ、今後の課題だね。
これぇ!!!!もう、泣くな!!!!
うちのティシュが減るじゃんか、、、」
と、ハッパをかけて、涙を止まらせました。
が、
が、
私は、この問題はかなり深刻と思って、
その後はディベートを子どもたちにやらせなくなりました。
本来のディベートは、ディベート入門にもあるように、
論理的思考力や理解力、表現力をつけるために、
考えられた方法です。
しかし、
現実には「競技」としての性質もあって、
(実際、大会まであります)
「勝ち、負け」の判定が付いてきます。
すると、
子どもたちは、
その過程、そこから学んだことよりも、
結果としての勝敗だけにこだわるのです。
こちらが、どんなに「そうじゃない」といっても、
やっている子にとっては、
「相手を負かす」ことに最大の目的を持っていきます。
そもそもの目的が薄らいできたような感がしたので、
私個人は、自分の作文教室では、
もうこのやり方は採用しませんでした。
しかし、
「自分を相手に伝える」
しかも要領よく伝えることや、
相手に不快感を感じさせないことは、大事なことです。
そこで、
「勝敗」の決まらないやり方を行いました。
予め、
カードに、いろんな食べ物の名前を書いておきます。
そして、子どもたちに、カードを選ばせます。
(どの食べ物かは分からないように裏側に伏せて)
ある子は「ラーメン」
またある子は「おすし」
などなどです。
そして、
「みんな、その書いてある食べ物のお店やさんになったつもりで、
町を歩いている人への呼び込み、宣伝をしてごらん」
と、言います。
子ども達には、その食べ物を調べる時間や、
看板を書く時間(コピー用紙に簡単に)
を与えて、
、、、、しばらくして、
さぁ、始まりはじまり、、、
子どもたちは、
イキイキとお店やさんになりきって、
「さぁ、いらっしゃい、いらっしゃい、、、
うちのおすしはいいよ。ヘルシーだよ、、、」
と、やっていました。
なかなか上手に。
判定はないのですが、
手を抜くこともなく、
むしろノビノビとやっていました。
その後は、
動物園シリーズにしたり、
外国人ごっこにしたりと、
このやり方でず〜〜〜と行っています。

さてさて、
この問題、
なかなか示唆に富んでいるとは思われませんか???
「討論」に慣れていない人が多いのは、
討論の中で「決着」をつけたがるからでしょうか?
すぐに感情に走って、あからさま、むきだしの言葉で、
相手を追い詰めていくと、たとえその主張が正しくても、
人は聞いてくれない。
冷静に、感じよく伝えるには、
まず自分が勝ち負けから解放されることではないでしょうか?
討論の第一歩にも
その人の人となりが浮かび上がります。

そんなことを思い出しながら、
今日は、ディベートのことを紹介しました。

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2004.07.18

ドナドナド〜ナ、どうなるの?

牛さんのお肉の話題です。
16日。
内閣府、食品安全委員会の専門調査会が開かれました。
結論から先に述べるならば、
今回の委員会は、
「30ヶ月未満の牛の安全性について、
結論は出ず」ということで、見直し、持ち越しになりました。
安全委員会が、まだ結論を出す前から、
政府はアメリカとのBSE席上で
「一定の月齢以下の牛について、現在の検出方法では、
検出できない」として、
アメリカの言い分を丸のみ。
日本は、
BSE問題が出てから、「全頭検査」を行うことで、
より安全な肉を消費者に届けるため努力をしてきました。
しかし、
こうした全頭検査が、非合理的だと、
アメリカ政府は、日本の検査体制、見直しを急いでいる、
その矢先のことです。
その背景は、
当然、
アメリカ政府の日本への牛肉輸出再開を狙っていることがあります。
政府は、
21日から開かれるBSE日米協議の専門家・実務家会合で、
アメリカ肉の輸入再開と、
従来の全頭検査の見直しをしようとしています。

環境問題、放射能のこと。
あるいは、食べ物の問題は、
すぐに結果がでません。
何年も、何十年も経ってから、出ることがあります。
体内に蓄積され、
発がん性や催奇性があったことがわかるからです。
したがって、
よくよく慎重に期す必要があります。
勿論、
騒ぎすぎる必要もなければ、心配しすぎることもありません。
そんなこと言っていたら、何もできない。
しかし、それは消費者である私たちの選択、態度であって
「政府」の態度であっていいはずがありません。
政府は、
現状で分かりうる限りの安全に対する努力をすべきです。
専門家は、
「若い牛の検査をしないことに疑問」を呈しています。
早々に、現体制を見直して、全頭検査をやめようとする
政府のやり方には、要注意!!!
これは、
しっかり見守っていかなければなりません。

ドナドナドナどうなるんだろう???

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サンフレッチェ広島 ナビスコ杯

昨日17日、サンフレッチェ広島は、
大阪長居スタジアムで、セレッソ大阪との、
ナビスコ杯をかけての試合がありました。

私も久しぶりに、スタジアムに足をはこびました。
長居スタジアムは、
交通の便がよくて、地下鉄やJRの駅から、
歩いて、10〜15分。
その間には、
大阪らしい活気にみちた商店街が立ち並んでいます。
試合が始まるのは、7時。
時間が、あるので先に夕食を済ませることにしました。
目に飛び込んで来た看板には、
串カツ、どれでも100円。
と、書いてあったようなので、迷わずその店に入りました。
時間が早いためか、
客は、家族連れが一組いただけでしたが、
こぎれいで、こざっぱりしている店内と、
お店の主人夫婦が、いかにも大阪という感じの
人のよさそうな方達でした。
串カツも、おいしかった!!!
ただ、全部が100円じゃなくて、200円もあった。
「あれ〜〜〜嘘やんか」
と、思って、よくよく看板を見たら、
「100円」の文字がすごく大きくて、
小さくジャンボエビ串カツと、
書いてありました。
私はそれを見ながら、一人で笑っていました。
ジャンボエビなのに、字が小さい。
それに、全部100円だと思った己の欲の深さに。
それにしても、
それを差し引いても余りあるくらい、おいしかった。
とてもハッピーな気持ちで、
スタジアムへ。
スタジアムの周りは公園になっているので。
沢山の人が、散歩に出ていました。
若者は、スケートボードの練習をしていたりと。

そして、ようやくスタジアム入り。
久しぶりの「生観戦」
ワクワク。
アウェイ席なので、
いわゆるコアサポといわれる人たちのすぐ下で観戦。
すぐ目の前で選手たちが練習。
サポーターの応援も迫力ある。
また、久しぶりに広島の人たちにもお目にかかって、
試合前から、舞い上がってきそう。
クラクラ。

しかし、
試合が始まると、
前半は、反対サイドで試合をやっていることが多くて
(広島が攻めていると、いうこと)
見にくいことや、
暑さや、酔っ払ったり(?)で、眠くなりました。
ウトウト。
おいおい、せっかくここまで来ているのに、、、

後半になってサイドがチェンジ。
こっち側でやってくれるので、選手の顔が俄然近くなりました。
そして、
後半12分。
茂木選手がゴ〜〜〜ル。
本当に、吸い込まれるように、ボールがネットをゆらしました。
わ〜〜〜〜〜い。
ジャ〜〜〜〜ン。
モギ。ヒロト・オーレー
みんな、立ち上がって、
持っているマフラーを回します。
知り合いは握手したり、タッチしたり、、、
私も家族や、一緒に観戦した友人(一人は、島根から来た学生さん。
もう一人は、いつも広島で一緒に見ていた仲間の一人)
と、ギャ=ギャ〜騒いでいました。
興奮覚めやらぬ21分。
今度は、新加入をした盛田選手がゴ〜〜〜〜ル。
もりた〜〜〜
もりた〜〜〜
どうやら盛田コールは、両手を上げたり下げたりしながら、
全員で
もりた〜〜〜
と、ちょっと暗め(?)に言うようです。
そんな、こんなで、
結局、試合は
2−0で広島の勝ち。(^.^)

オリンピック出場が決まった
森崎浩司と駒野の両選手も試合に出ていました。
いまや、この二人は全国区です。
お兄ちゃんの和幸選手は、すご〜〜〜い能力があるにも拘わらず
選ばれませんでした。
本人の気持ちはいかばかりか、、、
「カズの背中に哀愁が漂っていたね。」と、夫に言うと、
「そう? 8番って書いてあったけれど」
(^^;」
夫はカズが、ここで終わる選手じゃないことを、
信じているからです。

帰りは、
なぜかセレッソサポと仲良しになって、
一緒に電車に乗りながら、
「今のセレッソについて」語りながら帰りました。
セレッソ大阪のサポーターって、
前にも書いたけれど、なかなかいいのです。
広島サポも、ちゃんと後片付けしていました。
「帰るまでが試合です。」
(むかし、運動会で、校長先生は言っていた。
家に帰るまで運動会だと、、、)

昨日もまた、
新しい出会いをして、
学んだ一日でした。

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2004.07.17

夏休み自由研究

夏休み間近。
私の所にも、お母さんからメールが沢山届きます。
「子どもの自由研究サイトを調べていたら行き着いた、、、」
と、いう内容です。
そして、
ご自分の子どもたちの様子も書いてあって、
なかなか楽しいメールです。

本当に、この時期、
親たちは、
夏休みを前にして、嘆息。
「あ〜〜〜昼御飯を作らなきゃ。」
と、改めて学校給食の有り難さを実感。
(学校給食の内容については、いつか別に考察します。
つまり、自校式かセンター式か、などなど)
次に、
夏休みの宿題。
山ほど持ってくる宿題。
わけても、自由研究と作文。
なぜか、親が悩んでいます(?)
当の本人はあっけらかん、、、なのですが。
先日も、ここで書いたように、
この頃の子どもたちは、「丸写し」に抵抗を持っていません。
「自分で考えなさい」と言われても、
自分で考える習慣がないと、どの様に、
「自分で考えていいのか」さえわからないのです。

以前、子どもたちに、
実験算数を教えたときのことです。
〜〜〜〜〜〜〜〜
「みんな、机の前にある粘土で、まず自分の好きな物を、
作ってご覧。」
と、私。
子どもたちは、机の前に置かれた粘土をただ見ているだけ。
「どうしたの?」
と、再び私。
「、、、」
答えは返らない。
「どうしたの?なんでもいいから、、、作ってご覧。」
と、言う私に、一人の男の子が、
「本当にいいの?」
と、聞きます。
「勿論。」
私がそういうかいなや、
子どもたちは、セッセと作り出しました。
(ヨシヨシ)
私は、心の中でニンマリ。
しかし、、その笑みは、
すぐに凍りつきました。
子どもたちの作品を見て。
なっ・なぁ・んと
子どもたちは、
机一杯に、
うんち
を作っていたのです。
コネコネ二段型。三段重ね、マルマル型、、、
あっちのも、
こっちのも、
みんな
ウンチ。

あっxxxxxっっつ。

声も出ない私をよそに、
子どもたちの
生き生きしていること。
友達とワイワイ言いながら、
あるいは一人ニンマリと。

まぁ、私が好きな物を作って良い。
と、言ったのだから、子どもたちは間違ってはいないわなぁ。
そう、思ってしばらくは彼らに付き合いました。

30分くらい、好きに作らせた後、
「じゃ、今度は、立方体、
本当は正六面体っていうんだけれど、
サイコロの方が分かるよね。
作ってご覧。」
と、いうと、
みんなは、
自分の会心の作品(?)に別れを惜しみながら、
サイコロを作り出しました。
今度は、
課題を与えたので、
「きれいに」作ることに、苦心をするのです。
みてくれのいい、、、ものを作ろうと躍起になるのです。
「ここは、工作教室じゃないから、
そんなにきれいな物を作らなくてもいいのよ。
大事なことは、
サイコロって、6つの同じ面から、、、、」
私がどんなに大きな声で叫んでも、
だれも
聞いていない。
みんな、汗拭きふきやっています。

そうこうしているうちに、
時間は過ぎて、今回はここまで。
子どもたちは、
それぞれ、
出来、不出来はあるものの納得をして帰りました。
〜〜〜〜〜〜〜〜
今の子どもたちは、
「管理」されることが多いので、
「自分の好きなもの」という言葉に対して、
臆病なのです。
初めは、
おっかなびっくり。
しかし、
それが、許されることがわかると、
それこそ
「たが」がはずれたように、
自分の世界に入ります。
また、与えられた課題に関しては、
「これをやる意味」
なんてだれも質問をしません。
「どんな風に作るの?」
という質問は矢継ぎ早ですが、、、

これは、
私の小さな経験です。
この事実から全てを展開は出来ないし、
しようとも思いませんが、
こうした一面を持っている今の子どもたちということで、
ここに紹介をしました。

もうすぐ夏休み。
今年の夏は暑い。

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2004.07.16

お〜〜〜い、真相は薮の中じゃないぞ

私は、急いで列車に乗り込んだ。
あわやと、いうところで間に合った。
ヨカッタ。
予約を入れていなかったので、
席を探すため、コンパートメントの入り口表示を確認して歩いた。
いくつめかで、
「Nicht reserviert」というコンパートメントを見つけた。
中に入ってみると、
二人の男がすでに席に座っていた。
二人は友人らしく、談笑をしていた。
私が入ると、
にこやかに笑って、それまで上等のコートが置かれていた場所を、
空けてくれた。
車窓からは、
緑の草地に、一面の菜の花。
そして、それを食む牛たちの、のどかなヨーロッパの光景が見えてくる。
年配の紳士の方が
私に話しかけてきた。
「どこから来たの?」
「日本からです。」
「ほぉお、それで、何をするため?」
もう一人の方も私の顔を見ながら聞いてきた。
「はい。ヨーロッパにおいて鉄道の果たした役割、主にはプロパガンダとしての
鉄道ですが、、、それを勉強するつもりです。」
「なるほど、ソレはいい。
若いということはいいことだ。」
と、窓際の年配の男が言いながら、さらに
自分たちの話を私に聞かせてくれた。
「君は若い。
それは、とても貴重な事だ。
絶対、私たちのようになってはいけない。
私の名まえはヤ〜〜ブ。
こっちは、ト〜〜ミ。
私たちは、生まれつき”うそつき”なんだよ。
そもそも、
私たちに”うそ”を教えてくれたのは、国民だった。
あ、、、紹介するのを忘れたね。
私は、ムチリカ国の、彼はキリギリス国の
大統領と首相なんだよ。」
「そんな国、ありましたっけ?」
と、私は、地図を思い出しながら聞いた。
「あるんだよ。それが。
地球上には、地図にない国。町がいっぱいあるんだよ、、、」
と、ト〜〜ミが言った。
ヤ〜〜〜ブは、さらに続けた。
「私たちが、”平和な国”を作ると、嘘をつくと、
国民は喜ぶ。
”福祉を充実させて、老後を守る”とデタラメを言うと、
国民は有り難がる。
私たちは、そんな中で、”うそ”をつけば、
国民は安心することを学んだんだよ。
そこで、
さらに、
国民を喜ばせるために、
”イアク”という国が世界制覇を企んでいて、
45分以内に攻撃をしかけてくるから、
やられる前にやろう、、、と、ウソをついたんだよ。
国民は、そりゃ、喜んでね、、、」
と、年配の男はうっすら口元に笑みをたたえた。
それを、うけてト〜〜ミが、続けた。
「しかし、
悪いことはできないもんでね。
この嘘がばれたんだよ。
ブトラーという男と、クスクスという男によってね、、、
それで、
我々は責任をとって、裁判にかけられるところなんだよ。」
「あっ、あの〜〜〜では、今何故ここに???」
と、私は二人の男を交互に見ながら尋ねた。
二人は笑いながら、
「だから、言ったろう。初めに。
私たちは”うそつき”だと。」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
イギリス政府の調査委員会(バトラー委員長)は、
14日、
イラク戦争強行の根拠になった機密情報の「深刻な欠陥」を指摘しました。
「イラクは45分以内に大量破壊兵器を配備可能」と発言して、
戦争への根拠にしましたが、これは大きな間違いであったと報告しています。
また、アメリカでも
9日、
米上院情報特別委員会で、
開戦前の米情報当局の「大量破壊兵器の脅威」という評価について、
「誇張、あるいは証明されないもの」と断じました。
ブレア首相もブッシュ大統領も、
「その判断は正しい」と述べ、
「大義なき戦争」であったことを認めました。
しかし、
それにも拘わらず
「イラクに攻め入ったのは正しい」としています。
また、ブレア首相も、こうしたブッシュ大統領の発言を是認。

真相は、
もう薮の中(ブッシュ)ではありません。
白日の下に晒されています。

さあ〜〜〜て。
我らが小泉さん。
これに関しては、どの様に答弁をするか。
注目!!!

 

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ありがとう

昨日は、
「ブログってなんだ?」と、
ちょっと後ろ向き発言を書きました。
そうしたら、
FAIRNESSさんが、コメントを下さって、
それを読みながら、涙ウルウル。
有り難う、FAIRNESSさん。

FAIRNESSさんのブログ
は、ご本人の人柄が溢れていて、
「誠実で、丁寧で、鋭い」視点で社会について書かれています。
そうして、不思議なことに、このブログは「癒し系」なのです。
私は、問題に行き詰まると、夫のサッカー関係か、ここに立ち寄ります。
すると、ホッとするのです。
何回も記事を読んで、ホッとさせていただいています。
有り難う。FAIRNESSさん。

また、
いつものろぶさん
が、「ブログの賞味期限」というタイトルで、
コメントやトラックバックについて書いて下さいました。
ろぶさんは、
人を惹き付ける文をバンバン、書かれます。
その秘訣は、ご本人の「人間が好き!!!」という感覚、思いが
文章からバンバン、飛び出て来ているからです。
ここへ来ると、元気になります。
ありがとう。ろぶさん。
そして、ろぶさんから、飛んで
今日、また素敵なブログ発見!!
あいすさんのブログです。
あいすさん。ありがとう。
ブログって生き物。
本当にそうですね、、、
とても元気になりました。
ユニークなご意見を下さる
無相亭日乗さんからはトラックバックをしていただき、
記事を読ませていただいて、やっぱりホッ。
なんだか親しみがわきます。

ブログってなんぞや???
と、ちょっと、後ろ向きになっていましたが、
ようやく
私も、分かってきました。
人は、
人の中でこそ育つ、
と、
言うことが、、、

有り難うございます!!
本当にありがとう。
やっぱり、
これからも
ブログ、書いていきます。
コメントやトラクバックもジャンジャン下さい。
(よろしければ)
コメントって、
真っ正面から来なくて、
横やら、後ろから急にド〜〜〜ン、ガ〜〜〜〜ンと
くるので、お返事は遅くなりますが、、、
それから、
これからも、みなさんのブログへ伺って
目からウロコいっぱい落としますので、
拾っておいてください 。
次に取りに行くまで、、、

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2004.07.15

ひたすら「つぶやき」です

友人の津村ゆかりさんの記事で普通の人が考えるネタは早々に終わる
という、オモシロイ記事を読みました。
津村さんは、ネット上の「匿名、実名」について、ご自分の経験を踏まえ、
鋭い観察力と、やさしい感じ方で、ず〜〜〜〜と書かれています。(必見!!)
さて、
津村さんの記事を読んで、(その前から多くの方が書いていらっしゃるので、
多分、潜在的にず〜〜〜と思っていたのでしょうが)
「ブログってなんだろう?」と改めて思いました。

私は、私のことしか分からないので、
自分自身の事を考えるなら、
ブログをはじめた理由は、
「日記」「自分の覚え書き」
の、ような感覚でした。
私のWEBPAGEは、「教育」です。
いろんな方が、それぞれの思いで、
教育に接しています。(あるいは接していました。)
そんな思い、考えを、
「自分からの一方通行じゃなくて、
読んでくださるあなたからのご意見も聞きたいな!」
と、いう思いから、ブログをはじめました。

今、
子どもたちが置かれている現状は、
教育だけがポッと一人あるものでなく、
政治や経済や、文化と不可分じゃないですか、、、
したがって、
私のブログは、
「なんでもや」
になっています。
政治、経済、フェミニズム問題、文化、スポーツ、漫画、、、、
あらゆる角度から「教育」を見ていきたいな〜〜〜
と、いう本当に
カル〜〜〜イ
気持ちからだったのですが、
実は、
この頃、
悩んでいる、というか
先ほどの疑問
「ブログってナ〜〜〜ニ?」
に、ぶちあたっています。

ここでも、折に触れ書いているように、
私は、
「言葉の限界」をいつも感じて、
実生活を、おくっています。
仕事柄、
多くの方に出会います。
たいていは、「我が子の成績に悩む親たち」です。
ある時、
私は、一人のお母さんから、相談を受けました。
しかし、
その方と、私は基本的な教育方針が違っていたのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「先生、もっと、うちの子の点をあげてください。」と、お母さん。
「そうですね、、、点数があがると、自信もつくから、頑張ってみましょうね」私は答える。
「もっと、もっと難しい問題、一杯させてください。」と、彼女はさらにたたみかける。
「そうですね、、、でも、大事なことは目の前の成績じゃなく、基礎だから、
簡単なことをやりましょう。」と私。
そんなやりとりが数回続いた後、
、、、、、
「先生と話をしていると、
まるで
日本語の通じない人と喋っているみたいです!!!」
と、急に声を荒立てて、
帰っていかれました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私は、それ以来、
面と向かっていても、
人は、なかなかお互いを分かり合えない、、、
と、いうことが分かったのです。
どちらが正しいとか、間違っている、ということでなくて、
「分かり合えない」ということです。
では、最初から会話は成立しないか?というと、
そうではありません。
「理解すること」はできるのです。
「あ〜〜〜,この人はこんな風に考えているんだ。」
「へぇ〜〜〜こんな感じ方ってあるんだ」
と、いうように。
わかること、と理解することは違います。
分かることは、相手の考えに完全に同化することです。
理解は、相手の言い分も認める、共感する事です。
似て非なるものと、私は思うのですが、、、
さて、私は、先の経験を通じて、
「人を納得させようと」することはやめました。
それ以来、
教育の問題で、相談されると、
「私は、基礎教育って必要だと思うから、
今は、簡単な問題を一杯やって、ゆくゆく難問にも挑戦していくスタイルですが、
それでよろしいでしょうか?」
と、いうように変わりました。

そして、
それはその後の人との付き合いにも、
大きく影響を及ぼしています。
つまり、
「人は他人のことはわからない」
と、いうことです。
相手に対しての、
思いやりや、ゆとりが生まれてきた感がします。
話し合うことは、
相手を析服させることではなく、
理解すること、だと私は思います。
「みんなちがって、みんないい」です。
今思うと、例のお母さんには、大感謝です。

話を元に戻すなら、
そんな私が、ブログをはじめたわけです。
自分では楽しく、愉快に、
また、今までと、違った世界が広がり、十分ハッピーでした。
小泉さんには、いつも登場していただいて、
愛情込めて(?)書かせてもらったり、この頃は岡田さんも
キャラに入れようと画策。
どんなパロディーにしようかな、、、と。
また、別のブログ友達のところへ行って、
世界が広がり、
「目から鱗」を落として、
鱗だらけに、その方のブログをしてきます。
皆さん、ありがとう〜〜〜
鱗、見つけたら拾っておいてください。
キラキラ虹色に光ってきれいですよ。
次に取りに行くまで、取っておいてくださいね。

ところが、
読んで下さっている方は、そうではないのかもしれない、
と、この頃、
自分の、またよその人のブログを見て気づいたのです。
(当たり前といえば当たり前ですよね、、、)
例えば、
書いた一字一句に、
「あなたはこう言ったでしょう、、、」
「こんな風に書くなんて、いい加減よ、、、、」
とかとか、、、
そういうことって、
ネット上じゃ、最終的な合意って難しい。
私は、ネットは討論の場とは思っていません。
それは労力、エネルギーのいる作業ですよね、、、
いい加減な私は、
「そんなこと、どうでもいいのにな、、、、」
なんて思いながらも、
今までのように楽しくは書けないのです。
「あ〜〜〜,こんなこと書くと、いけないのかな」
「こんな表現って、誰かを傷つけるのかな?」
と、先に思うのです。
そして、
こんな思いをしながらも
書く必要はあるか?
と、考えるのです。

そんなわけで、
「ブログって一体なんだろう?」
と、悩んでいる今日この頃の私です。
ほんの「つぶやき」でした。

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2004.07.14

学んだこと

男女共同参画に関するアンケートに目を通してみると、
そこから、それなりに「社会」が見えてきます。
その項目の一つ、
「自治会活動、PTA活動」についてのアンケート結果。
「社会的に評価」するという回答は多いものの、
自分が実際、役員をするのってイヤダナ〜〜〜という気持ちが、
見え隠れしています。
確かに、
子どもの学校のPTA役員を決める時って
大変だったと思い出します。
学年初めの学級PTAで役員選出があるのが、
普通です。
多くの親にとって、
我が子の初めてのクラス担任、
友達の顔などを知る重要な参観日の
後に、その会議はあります。
本当は帰りたいけれど、
担任からクラスの様子、首尾よくいけば我が子の様子も伺えるので、
一応、出席。
しかし、
役員選出になったら、絶対下を向いておこう〜〜〜と硬く決意。
先生と目があったひには大変。
じ〜〜〜っと通りすぎるのを待つ。
そうして心の中で言い訳をいっぱい考える。
「下の子が小さい。」
「働いている。」
「体が弱い」
「親の介護がある」
「、、、、、」
と。
結局、クジになって
役員は、
あなた
に決まりました。
後の、みんなはホッ。
あたった人は、
「来年は、あなただからね、、、」
と、心でニンマリ。

と、いうのが毎年の光景です。
では、何故こんなにも役員はなり手がいないか?
というと、
その多くは、
「自信がない」
「成功して当たり前、失敗したら、ドンドン批難されるのがいや」
「働いている人はしないでいいのは不公平」
「、、、、、」
と、いうものです。
一年やった後は、
それなりに友人も出来て楽しく思い出すのですが、、、

さて、私個人は、
ず〜〜〜っと執行部をやっていました。
私の住んでいる団地は、山を新たに切り開いたところで、
新しい住人と、昔からの土地の人たちの入り混ざったところです。
PTAにもやはり隠然と力を持った、
地元のボスがいて、
私たち、「新住民」と一線を画していました。

この学校は、
新しい学校なので、「歴史」を作ろう、、、ということで、
地元の人たちは、
「PTA親睦会」「PTA百人一首大会」「、、、、」
と、やたら学校にいく行事を作ります。
新しい人たちは、少しでも「出たくない」
当然、クジで選ばれた役員も、イヤなのです。
間に入っている、執行部は、
あっちを立てれば、こっちが立たず、
こっちを立てれば、あっちが立たず、、、
困ってしまいました。
そんな時、
一人の友人が私にアドバイスをしてくれました。
「どんなことでも、一番、後ろ向きの人にあわしてやりなさい。
前向きの人は、一人でドンドンするから。
最後に付いてくる人の歩みにあわしてすると、間違わないよ、、、」
と。
また、こうも教えてくれました。
「大切なことは行うことであって、
そのために、何をどうして、どのように発言をして、
みんなに協力してもらうかだよ。
決して、バンバン意見をいうことではないよ。
それが、正論であっても、人はついてこない、、、」
と。

彼女は、自分のPTAで得た経験から、
私にアドバイスをしてくれたのですが、
私にとっては、
PTAの活動以外の、自分の人生の指針にさえなりました。
「一番、後ろ向きの人にあわす」
という考え方は、
自分が教えている子どもたちに対して、
待つことができるようになりました。
あるいは、
大企業、金持ちばかりを見ているのではなくて、
「労働者を裏切らない、弱い者の立場に立つ」
生活者としての感覚を持った、
そんな政治家を私個人は求めています。
また、
自分がどんなに正しいと思っても、
他人に対しては「丁寧」であること、謙虚であることの
大切さを学びました。

私個人にとっては、
PTA活動で知りえた人々は、
今なお、私の人生での「師」であるような気がします。

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国連女性差別撤廃委員会の勧告

1979年、国連で「女性差別撤廃条約」が採択されて今年で25年。
しかし、
「事実上の平等」にはほど遠いのが、各国の現実です。
それを、受けて
今回、「条約第4条、第1項の暫定的特別措置」を、
十分に活用して欲しいという勧告が出されました。
この「暫定的特別措置」というのは、
二つの目的があります。
一つは、企業が女性を採用するにあたり、
雇用、昇進、登用などに関したことです。
もう一つは、母性保護に関することで、
特別措置では、「母性保護は恒久的性格」のものである、
と位置付けています。
今回の勧告は、
この「特別措置」を
実際に適用するために、
まず、言葉、定義の明確さをうたい、
次に、「条約の拘束力」を強める働きを自治体、および企業にしていくものです。

日本は、
情勢の社会進出度を示す数値(国連開発計画報告)では、
44位と、先進国の中では、低い順位です。

先日、このブログでも、
「憲法24条見直し」について述べましたが、
ますます世界の動勢から逆行していくような気がします。

本来、
あるべき姿は、
「性」という枠組みにとらわれない、
人間としての「平等」を、
男女、各々が手にするのは、
まだまだ遠い先なのでしょうか??
生まれたときの、ほんのささいな部分の差が、
その後の人生を大きく変えるという現実の前に、
多くの男性、女性が涙をのみ、
さらに、これからの人たちが、
同じ道を歩むことのないように、
今、
先輩として、生きている私たちの世代が、
真剣にこの問題を考えなければならない時期にきているのではないでしょうか???

なお、参考までに「男女共同参画に関する世論調査」を紹介しておきます。
興味、お時間があれば、ご覧ください。

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2004.07.13

数学メールマガジンのお知らせ

友人のaranさんが、
お母さんのための、
数学メールマガジンを配信しています。
これから、夏休み。
子どもたちに、「勉強」を期待するお母さんも多いと思います。
これを、機会に、
一緒に楽しく、数学に挑戦するのもいいかもしれません。
親子の触れ合いの、
お手伝いもする(たぶん)
aranさんのメールマガジン。
今のところ、100人くらいの読者ですが、
aranさんの数学に対する、
勉強に対する熱意が伝わってくる、
ホットなメルマガです。
是非、ご覧ください。
数学オンライン教室も、
ご覧になってください。
私も、
いつも刺激を受けています!!!

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学力調査の結果

12日、国際科学振興財団は、
日本、中国、韓国、シンガポール(大学だけ)の
高校一年と大学一年、四年を対象に行った、
英語と理系科目の学力調査の結果を発表。
中国の学力は、他の三か国を、大きく引き離し、
圧倒的に良くできていた。
日本は生物で高得点だったものの、
英語や数学は振るわなかった。
今回の調査対象は
大学では日本と韓国が四校、
中国、シンガポールは二校。
高校は日本、中国は三校、
韓国は二校が参加。
とくに数学においては、
中国は圧倒的に良くできていて、
高校一年の問題では、一校は平均81点。(100点満点)
日本は11〜39点。
韓国は36〜56点。
大学でも、
中国は韓国、シンガポールより春かに高得点をマーク。
大学一年では、日本の方が上回った。
英語でも、高校一年の平均点は
中国49点、韓国47点、日本43点(60点満点)。
大学一年では、
日本42点、韓国38点。
四年になると、
日本32点、韓国34点。
大学生を対象にした生物では、
日本が一番高い平均点をマークした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

今朝、こんな記事を見つけました。
まぁ、4カ国で、しかも対象校も少ないので、
この結果から、すぐには結論は出せませんが、
このところ、
日本は、この手の学力調査では、
あまり好い結果を出していないことも本当です。

以前話題になった、
「分数の出来ない大学生」
ではありませんが、
確かに、
今の子どもたちの学力は、
10年前、さらに15年前、もっといって20年前の、
子どもより、落ちている気がします。

と、いうより
二極化が進んでいると言った方が正しいのかもしれません。
良くできる子は、以前の同じ学年の子より、ウ〜〜ンと進んでいます。
難関校と言われる学校の受験の洗礼を受けているからでしょう。
そりゃ、スゴ〜〜〜イ。
こんなもん、解けるか、、、って問題をヤスヤスと、解きます。
(ただし、これは考えているのではなく、反射で解いている子が多いのです。)
その一方で、
1/2+1/3=2/5
と、解く中学生、高校生、あるいは大学生がいます。
学校教育の中では、
これらの子どもたちを救う手だてが極端に少なくなりました。
以前は、放課後、子どもたちに居残りをさせて教えていた先生たちも、
自分自身の負担が急激に増えて、
なかなか思うようには、目をかけることが出来なくなりました。
仕方がないので、
親、あるいは塾に任さざる追えないような事になり、
先生自らが更に大きな矛盾を抱えています。

時間を追うごとに、
「出来る子」と「躓いている子」の差が大きくなり、
ますます学校間格差が開き、
その中で、子どもと親は右往左往、のたうち回ります。

では、いわゆる成績のいいとされる子が、
学力が高いか?というと、
実は、みんながそうとは言えません。
先ほど書いたように、
自分の頭で考えることはしなくても、
マニュアル通りに解けば解答にいきつくような、
今のシステムでは、
本当の意味で、勉強が分かっていることにはならないからです。
とにかく、覚えて、解いて、解いて覚えて、、、
という方法で勉強をしているから、
テスト、試験が終われば、
スカッーと忘れてしまいます。
また、一面的な勉強なので、
パッチワークの一つ、ひとつの知識が有機的、総合的に結びつきません。
全体の中で、今自分のやっていることが何か?を見直し、確認しながら学ぶ機会に恵まれていません。
とは、言っても、
昔もそうだったのです。
ただ、
今と決定的に違うのは、
時間の流れが違うのです。
とにかく、
今の子は、忙しくて、慌ただしくて、落ち着きがないのです。
じっくり、ゆっくり、一つの物事に取り組むことが少ないような気がします。
難しい問題にぶつかったら、
すぐに答えを、聞きます。
自分で、ややこしい過程、試行錯誤をしながら、
楽しむことが少なくなりました。
なにしろ、
「ゆとり」さえ、
上からバンバン押しつけられて、
やらなければならない時代なのです。

こんな教育環境で、
真の学ぶ喜びを得ることは容易ではありません。

文部科学省のやり方には、
今まで通り、苦言を呈しつつ、
これから、夏休みを迎え、
子どもたちが過程に帰ってくるこの時期。
チョット、
ゆっくり、
と、
子どもたちを受け入れてあげませんか?
おかあさん。

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2004.07.12

調べもの学習

今日12日、
友人に誘われて、
「科学読み物読書会」
に、行ってきました。
2003年度に発行された
子ども向け科学読み物、絵本の
「比べ読み」をする読書会です。
科学ということで、
理科実験や、
動物の生態、
また科学史のような読み物などです。
去年、一年発行分ですが、
いっぱいあって、頭がクラクラ。
チューターになってくれた方が、
各分野ごとに要領よく説明してくださって、
よくわかりました。
2時間近い、説明の後、
それを受けて、質問応答。
その中で、気になったものを、ちょっと紹介します。
いつものように、会話で書きます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「総合学習が導入されてから、科学読み物の質が変わりましたか?」
という質問。
「ええ〜〜〜明らかに変わりました。
以前は、子どもたちに質問して、後は自分で考えさせるような物が多かったのですが、
この頃は、見開きに、質問、実験方法、答え、グレードアップ問題、、、
と、全て書いてあって、子どもは考える必要がないような物が増えました。」
という答えでした。

次に別の方から
「でも、親はそういう本があると助かるのですが、、、」
という声が上がります。
「どう言うことですか?」
と、チューター。
「この頃は親も働いていて、なかなか子どもの勉強を見てやれないのです。
だから、学校は土・日に宿題をバ〜〜〜ンと出して、
親と調べて来なさい。という調べもの学習が一杯出るんです。
親も分からないので、子どもたちは一斉に図書館にダッシュ。
足の速い子が”いい本”を真っ先に取る、、、という感じなんです。
だから親は、そういう天こ盛りの本があると、すごく助かるのです、、、」
と、くだんの人が発言。

全員
「ウ〜〜〜〜〜ン」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
クラスの子どもたちは、ほぼ全員が、
同じ本からの丸写しも珍しくないという現実。
そもそもの総合学習の目的ってなんだったっけ???
「自分で、考え、感動して、生きる力」を
つけることではなかったっけ???

今、
総合学習の洗礼を受けている子ども達が、
「考える」
ということを、どんな風に理解して大人になっていくのか、、、
少々不安を覚えました。

もうすぐ、
夏休み。
暑い夏がやって来る。
子どもにも、、、
親たちにも、、、

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荘子 混沌より

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
あるとき、北海の帝と南海の帝が、相談した。
いつもお世話になっている中央の帝、混沌にお礼をしようというのである。
混沌には目、鼻がない。
そこで、混沌に目、鼻をつけてあげようと相談して、一日、ひとつづつ穴を開けた。
そして、七日目、
七つ目の穴を開けたとき混沌は死す。
(文意を要約)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
荘子に出てくる、「混沌」の話です。
北海の帝も南海の帝も、
「よかれ」と思ってしたことですが、
結果として、混沌は死んだ
というこの話は、
「余計なことはしない」
「相手のことはわからない」
というような意味に使われることが多いようです。

さて、第20回参議院選挙が、
昨日7月11日行われました。
結果は、初めの予想を裏切ることもなく、
「低投票率」
「二大政党化への幕開け」
と、いうものになりました。

選挙の動向、
つまり、
投票率の内訳(年齢、地域)
各党の得票の内訳
などは、今後の数字を見て、また考える事にして、
私個人の感想は、
はっきりいって、
「これは、かなり、ヤバイかも、、、」
ってことです。
以前、このブログでもビユーリタンのロバというタイトルで、
触れましたが、
今、この日本で、二大政党に収斂していくことは、
いずれ、
大きな一つの連合政党への道を切り開いていくような
不安がするのは私だけでしょうか???
政治が安定することは、
国民にとって、望ましいことです。
それは、勿論理想です。
しかし、
しかし、
本当に、今、この選択で良かったのだろうか?
例えば、憲法。
有事法制。
たとえば教育基本法。
また消費税率を上げること。
それに年金。
これらの問題について、
実は私は二つの政党の違いが
よくわからないのです。

この結果が、将来に禍根を残さないように、
是非、
自民党、民主党、
また、その他の選ばれた国会議員の皆さんに、
絶対、絶対
国民を裏切らないで下さい。
と、強くお願いと期待をしています。
今後の政局の行方、
期待と不安を持って
見守っていきたいものです。

最後に、
警告を込めて、
祈りを込めて、
「現代版、混沌」を贈ります。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
七夕も終わり、
天の川もいつもの静けさを取り戻したある日。
北海のライオン帝と南海のカエル帝が、出会った。
「やぁ〜〜〜このたびは、、、」
「いやぁ〜〜〜〜どうも、どうも。」
と、二人の帝王は、お互いの再開と、
今までの健闘を喜び合った。
「それにしても、これは、いつもお世話になっている、
中央の混沌民のおかげだな、、、」
「本当に。
なにかお礼に出来ることないかな、、、」
と、二人の帝王は相談した。
そして、
二人の帝王は、お礼に混沌民に
一日目は「消費税を上げました。」
二日目は「年金徴収を引き上げました。」
そして三日目は「義務教育を縮小しました。」
四日目には「自給自足をやめて農薬いっぱいの輸入食品を食べさせるようにしました。」
次の日は「男は仕事、女は家と決めました。」
さらに次の日は「医療費はウ〜〜〜ンと値上げして自己負担にしました。」
最後の七日目の晩。
「平和憲法を棄てました。」
哀れ、
混沌民の運命は???

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2004.07.10

ウルトラマン研究序説

今日、7月10日は
「ウルトラマンの日」です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
1966(昭和41)年、TBSテレビで、
『ウルトラマン』の放映が開始されました。
本当は『ウルトラマン』は7月17日に放送開始の予定でした。
しかし、その前に放送されていた『ウルトラQ』の最終話が、
内容が難解であるという理由で放送されないことになりました。
そこでその穴埋めとして、ウルトラマンの宣伝イベントの模様を
「ウルトラマン前夜祭」として放映しました。
(今日は何の日から引用、一部修正)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
と、言うわけで、
今日がウルトラマンの日なのです。

ウルトラマンを、
生で、
あるいは、その後の録画で一度は見られていると思います。
今なら、もっとすごいものができるかもしれないのですが、
当時としては、
その特撮は、
時代の先を一歩も二歩も進んで歩いていました。
ウルトラマン誕生までの秘話は本やテレビになっているので、
よくご存じと思います。

そこで、今日は
「ウルトラマン研究序説」
副題が「若手学者25人がまじめ分析」
という、本を紹介します。

この本は、
「こんなときあなたはどうしますか?」
という疑問で始まります。
「もしあなたの家が怪獣と戦っているウルトラマンに壊されたら、
あなたはどこに損害賠償を請求しますか?」
「もしあなたが出かけるとき、玄関に怪獣の死体が転がっていたら
あなたはどこに届け増すか?」

著者の一人、山崎祥之氏は、
「ウルトラマンワールド、つまりビートルズにも
全共闘にも間にあわなかった世代にとっての
最大共通語としてのウルトラマン」
について、
もし現実に彼がいたなら世の中はどうなるかを
学問として真剣に論じていくことで、
「ウルトラマン」が必要な社会とは何かを投げかけています。

25人の若手研究者の説はともかく、
私は、
ウルトラマンの力が必要な所は、
「災害救助隊」
でいいと思います。
前にも、このブログで
「君はサンダーバードを知っているか」
というタイトルで、災害救助について書きましたが、
ウルトラマンも、
地球侵略を狙う怪獣をやっつけるより、
その3分間の力を災害救助に使えたら、
今、サマワで頑張っている自衛隊の方々も
助かるなぁ〜〜〜〜
と、思っています。

しかし、
映像だけの世界でいうなら、
「ウルトラマン、カッコイイ、、、好き」
ですよ。今のままで。

息子も幼い頃はウルトラマンが大好きで、
ビデオや本、またおもちゃを一杯持っていました。
7歳までは、子どもは母親の胎内の記憶がある、
と、聞いた私は彼が3才の時、聞いてみました。
「母さんのお腹の中のこと覚えている?」
「うん」
と、すぐに答えが返ってきます。
おお〜〜〜これはひょっとして天才!!!
「へぇ〜〜〜〜。で。どんなだった?」
「うん。
ウルトラマンの絵が書いてあったよ。」
「(^^;」


今日7月10日は「ウルトラマンの日」です。

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なぜ、選挙に行くか?

明日の参議院選挙に向けて、
候補者、支援者の舌戦も、いよいよ最終盤。
一方、選挙管理委員会や、マスコミ、新聞、
また、ネット上でも「棄権防止」の呼びかけが高まって来ています。

さて、ここで
「なぜ投票しなければいけないか?」を、
私なりに、もう一度考えてみました。
答えは、
「生きていくため、生き延びていくため」
と、いうものでした。私の場合は、、、ですよ。

以前、ここで
「人は何故勉強するか?」
という問いに対して、
「生き延びていくため」
という同じ答えを出しました。
私自身はそれと、まったく同じ理由で、
選挙、というか自分を取り巻く全てのことを、
そんな風に考えています。
(しかし、「損、得」ではあまり考えません。
損とか得って、死ぬまで分からないから、、、)

つまり、
未来の自分を作るのは、
今の自分だと私は思うのです。

何故、勉強をするかと言えば、
広義には、「人間社会の発展に貢献、奇与するため」です。
科学技術の発展を初めとして、いろんな技術の発展、発達。
狭義では、「よりよく生きていくため」です。
そのより良くの中には、
自分の将来の糧になる職業を見つけることや、
芸術やスポーツなど、
また「悪徳○○」に騙されない知恵、
遭難しても生き延びることのできる知恵
、、、、
です。
言い極めるなら、
「生きるための知恵」を学ぶことです。
歴史や宗教や倫理などの学問を学ぶ意味はこうしたことです。
その知恵の中には、当然、「無駄」もいっぱいあります。
こんなこと、なんの役に立つなんて、山ほどあるのですが、
例えば、良く子どもたちが言う
「数学なんて実生活に役に立つの?」といいますが、
しっかり役に立っています。安心して、勉強をしてください。
みんな必要なのです。
無駄な知識って一つもありません。
何事も
「ため」「ゆとり」って必要なのです。
それがあるからこそ、
どんな環境でも人は生きていけるのでしょう。
ギリギリ、カチカチでは、
何か事が起きたら、さぁ、大変、、、なのです。
学問とは、
「無駄なことも楽しむ心の知恵」を学ぶ事ではないかと私は考えています。
(本来は無駄ってないのですが、、、)

そうして、
選挙も
「何故、いかなきゃいけないの?」
という質問に対しては、
「未来のあなたが生き延びるため」
と、私は答えます。
「でも、自分の力は小さいし、死票じゃつまらないし、、、」
という質問に対しては、
「力は小さいけれど、何もしなければ、何も得ることはできない。
死票は決して無駄では無い。意思表示ではあるよ。」
と、言います。
死票は、大きなエネルギーを持っています。
反対の立場で考えてみたらいい。
仮に当選してもギリギリで当選したら、
その議員は、
「国民は見ている、、、下手な事はできない」
と、思うでしょうが、
投票率が低くてラクラク当選だったら、
「まぁ、こんなもんさ〜〜〜」
と、思うのではないでしょうか?
(すくなくとも私が候補者なら、
国民のことを甘く見るようになる)

選挙は鏡です。
自分たちが緊張して、力を込めて、投票をしたら、
相手の候補者、ゆくゆくは議員になるかもしれない人も、
誠意で返してくれます。
投票して、それが、即結果に繋がらなくても、
未来には繋がっていると思います。

「でも、入れる人がいない」
という質問。
う〜〜〜〜ん、
それは困った。
我が子が二者択一で悩んだときは、
いつもコインで決める私だけれど、
選挙の候補者をコインで決めろ、なんて無責任なことは言えない。
やっぱり、
もう一度政策をよ〜〜〜く見て、
誰が、どの党が騙さないか(ここにも知恵が働く)を見て選ぶ。
それでも、分からないときは、
最終的には、
「顔」です。
前にも書きましたが、
人は、自分が知る以上に、
他人に、自分を晒しています。
自分の第六感を信じて、
その候補者に入れる。
のがいいと思います。

選挙のような大きな事、
自分の身の回りの小さな事、
たとえば、喜怒哀楽の感情なんかも含めて、
全ては、
今の自分が明日の自分を作っていると、
私は思います。

ほら 足元を見てごらん これがあなたの歩む道
ほら 前を見てごらん あれがあなたの未来***

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2004.07.09

朝三暮四

お〜〜〜〜い、
このままでは、「猿山のサル」になっちゃうぞ〜〜〜

「猿山のサル?」
「そう、猿山のサル」
「どうして?」
「ほら、昔の中国の話で、
朝三暮四ってあるだろう?」
「チョウサンボシ?」
「そう、チョウサンボシ。
朝3つに、夕方4つ。」
「あ〜〜〜,あの朝三暮四ね。」

そうです。
ご存じ朝三暮四。
〜〜〜〜〜〜
狙(そ)公(=猿回し)が、
ある日、猿山の猿にトチの実を朝に三つ、暮れに四つ与えると言った。
すると猿が怒り出したので、
朝に四つ暮れに三つやると提案したところ、
猿が喜んだという話。
「列子(黄帝)」から。
〜〜〜〜〜〜〜〜

この故事から、
朝三暮四と言えば、
ごまかすこと。うまくまるめ込むこと。(与える方の立場から)
目のまえの利益にとらわれて、全体が見えなくなること。(もらう方の立場から)
という意味に使われます。

さてさて、
私たちは、案外この猿山のサル、よろしく
「上手に騙されていること」ってありませんか???
自分では、引っかかるつもりがなくても、
「しまった〜〜〜」
「やられた、、、」
なんて経験、どなたにも一つや二つはあるのでは???

しかし、
しかし、
この半年くらいで、日本政府が、
私たち、国民にやってきたことほど、ひどいことはない。
「イラク問題」
「年金問題」
「憲法、拡大解釈」
「予算の使い方」
「〜〜〜〜」
「、、、、、、」
とにかく、とにかく
私たちの声を聞いてくれない。
どんな問題でも賛否両論ってあるじゃないですか。
イラクのことだって、年金のことだって、
小泉さんと同じ考えの人もいるかもしれない。
しかし、そうでない人もいる。
その人たちの意見は、いつの間にか、
空中分解。
そうして、残ったのは、
小泉さんが思ったことを、
そのまま行ったという事だけ。
「やってくれましたね、小泉さん。」
って、感じ。
小泉さん、私たちに「トチの実」一つさえ、もうくれない。
戴けたのは、
「痛みだけ」
有り難いことです。

ところが、
今度の選挙にむけては、さすがに小泉さん。
トチの実の一つは与えなければならない。
そこで、考えました。
(以下は、フィクションです。念のため)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「このままでは、来る少子、高齢化に向けて、
年金財源がありません。
したがって、これからは、払う年金は高く、もらう金額は少なくなります。」
「え〜〜〜〜〜,ブウブウ」
「では、こうしましょう。
今まで通り、年金の払う額は保証します。
そのかわり、税金を上げます。」
「え〜〜〜〜同じじゃんか。ブウブウ」
「では、では
高速料金を値下げします。
どうです!
すごいでしょう!!!」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

私たちは、
猿山のサルじゃな〜〜〜〜い。

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妖怪「火の車」

今日も、もげきゃっちさんとこで盛り上がっている「怖い話」をネタにして書かせていただきます。
(ろぶさ〜〜〜ん。いつも、おおきに〜〜)
夏ともなると、この手の話があちこちから出てきます。
実は、私。
大好きなのです。
(ろぶさんネタの前の時は確か、占いだったな?)
何がって??
あれですよ。
アレ。
夏になると、ヒュ〜〜〜ドロロンっていうアレ。
(ただし、まだ本物はお目にかかっていないので、話だけ。
尤も、あんまりお会いしたくはないけれど、、、)
そして、これまたうちの子どもも大好きなんです。この手の話が。

まだ、彼が保育所に行っていた頃。
家族で出かけたクルマの中で、
自分の知っている妖怪の話し(たいていは水木さんの漫画から)
を、ず〜〜〜とするのです。
「ねぇねぇ、○○っていう妖怪知っている?」
「□□っていうのはね〜〜〜〜〜」
と、自分の知っている蘊蓄を披露するのですが、
聞いているこっちは疲労。
やっと、口が閉じた合間に、父親が、
「妖怪ヒノクルマって知ってるか?」
と、言いました。
「火がボウボウで、、、」と、父親。
「えっ???ナニそれ??火車(かしゃ)じゃないの?」
と、息子。
親バカな私は、
この子、もう漢字知っているのか、と感心
じつは絵で分かっただけでした(^^;)
「ウ、ウ〜〜〜ン。妖怪火の車。
これが、一番怖い。
父さんも母さんも、これが出ると、もう怖くて怖くて、、、、」
と、言う父親に、
さらに私が加勢して、
「そうそう、あれって怖いよね〜〜〜
あ〜〜〜あれは見たくない。
家にいるんよ。じ・つ・は。
特に父さんの給料前に出てくるんよね、、、」
と言うと、息子はますます好奇心にかられ、
親は、ますます調子に乗って、
「おどしました」
あたりはダンダン暗くなり夜も更けて、、、

明けて、次の日。
保育所から帰ってきた子どものカバンから、
先生のお手紙。
「今日、Y君が、妖怪火の車って、どんな妖怪?
どんな風に怖いの????と、一日中聞かれました。
あまり、子どもを揶かわないように」
と、いうお達しでした。(^^;

もう、高校生になった息子。
しかし、
私はまだ「妖怪火の車」
コワ〜〜〜〜イ。

ところで、私の知っているお気に入りの怪談。
ちょっと、書いてみます。(一部変えてあります)
〜〜〜〜〜〜〜〜
私はとある大学の一年生。
今、親元を離れ寮住まい。
友達もでき、まぁまぁの大学生活。
ただ一つ悩みがある。
それは、
私と同室の先輩がクラ〜〜〜イのである。
それどころか、なんだか生臭い。
先輩と話をしたこともないが、どうも気になる。
ある時、
夜中に先輩がどこかに出かけることに気がついた。
よくよく観察すると、それは毎晩である。
「どこへ行くんだろう?」

私はついに、後をつけることを決意した。
そうして、今晩が、その日。
私は布団に入り、グ〜グ〜寝息をたてる。
真夜中。
先輩はいつものようにムクッと起きると、
私の布団をチラリと見て、
それから、ソッ〜〜〜と歩き出した。
しばらくして、
私も起きて、先輩に気付かれないように、後を追った。

前を行く先輩は、かなりの早足で、ドンドン歩いていく。
私は必死で後を追う。
ヒタヒタ。
ドンドン。
どれくらい、歩いたろうか。
ふと、気がつくと先輩の姿が消えた。
「あっ〜〜〜〜」
私は先輩の姿を探して、
あたりを見たら、
そこは
墓場だった。
「ぎえxxxxxxxxxxっ」
私は声も出なかった。
ブルブル震えて立ちすくんでしまった。
すると、どこかからか、音がする。
カリカリ、ギシギシ。
バリバリ、、、
音の方にソッと行って見ると、

なんと、
なんと
先輩が、墓の中の骨をかじっていた、、、、

「ひぇ〜〜〜〜」
思わず声を出した私に、
先輩がクルリと顔を向け、
ニヤリと一言、

「おまえも、
親のすね、
かじってるだろうが〜〜〜」

おしまい。

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2004.07.08

青い鳥コンプレックス

先日、このブログでも、ちょっと触れた
憲法24条
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
の、見直しについて、
あちこちのブログで書かれています。
みなさんのご意見は、
憲法改正プロジェクトチームの意見がおかしい、というもので
私も賛成です。
参考までに、
プロジェクトチームの根底とされている考え方を掲載しておきます。
〜〜〜〜〜〜
この分野における本プロジェクトチーム内の議論の根底にある考え方は、
近代憲法が立脚する「個人主義」が戦後のわが国においては正確に理解されず、
「利己主義」に変質させられた結果、
家族や共同体の破壊につながってしまったのではないか、ということへの懸念である。
権利が義務を伴い、自由が責任を伴うことは自明の理であり、
われわれとしては、家族・共同体における責務を明確にする方向で、
新憲法における規定ぶりを考えていくべきではないか。
同時に、科学技術の進歩、少子化・高齢化の進展等の新たな状況に対応した、
「新しい人権」についても、積極的に取り込んでいく必要があろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜
難しい表現をわざわざしていますが、
要約するなら、
「女よ、家に帰れ」
と、いうことです。
今、社会的な問題になっている
少子化、
あるいは子どもたちの犯罪。
それらの原因を突き進めるなら、
「女が社会に進出したこと」が悪い。
有り体に言えば、そういうことです。
そこで、
えら〜〜〜い先生方は、
日本の未来を憂えて、
憲法24条、両性の平等を覆していこうと考えているわけです。

しかし、
しかし、
この問題。
もともと女性を社会に進出させたのは、
当時の労働省だったのです。
戦後間もなくできた労働基準法、「母性保護法」の立場から、
女子労働者は、保護されていました。
しかし、労働省(特に一部エリート女性)は、
深夜労働、危険物取り扱いなどの項目の拡大解釈を、
行うことで、女性の労働力を、ドンドン職場に刈り出させ、
ついに、99年には、
「男女平等機会均等法」を制定。
職場での男女差別を撤廃して、
男女共同参画のプロジェクトは、
会社、公共事業、各自治体で、盛んになりました。
そうして、
家に閉じ込められていた主婦たちが、
復職、パートなどに出ていく姿を見て、
羨やむ専業主婦のことを、
「青い鳥症候群」
「青い鳥コンプレックス」
と、呼び、
当時の専業主婦と働く女性の一つの
論争のきっかけを作りました。
このもともとの仕掛人は、
「国」であり「大企業」でした。
専業主婦の
いつでも、どこでも
短時間で使えるパート、アルバイトは、
企業にとって、安価で持続的に供給できる労働力だったのです。
また、いつでも辞めさすことのできる雇用形態は、
まさに企業の論理にピッタリとはまりました。
これは、正規の男性職員の賃金の足かせになることもありました。
バブル期を支える重要な力だったのです。
当時は、
えら〜〜〜い先生方はだれも、
「家のこと」「個人のこと」なんか気にかけていませんでした。
どんなに家庭が崩壊する、
まさに「積み木くずしの家」になると叫んでも、先生方は
「男女は平等で、これからは女性も社会進出する時代だ」
と、言っていました。
そして、各種の保護をとっぱらったのです。

そして、今。
先生方は、世の中を憂えて、
女性に「家」に帰れと言う。

しかし、本音は透けて見える。
「もう、バブルも終わり、労働力は足り、それどころか
余っている、、、一番切りやすいのは、、、」
と、いうことです。

いつだって、いつだって
企業の論理、
資本の論理が先行して、
個人は、その後をヘェヘェ〜〜〜
言いながら、
愚痴をこぼし、汗を掻き
付いていくだけなのだから、、、

そもそも、
こんな社会にしたのは、
誰なんでしょう???
人間を薄っぺらな「もの」のように取り扱ってきた社会を、
作ったのは、誰???

少子化の原因や
犯罪の低年齢化を、
間違っても「女性の社会進出」と結びつけてもらいたくはない。
私は、今、この記事を、
結構、怒りながら書いています。
この私の怒り、
あなたには届いたでしょうか?
そして、
できれば
えら〜〜〜いプロジェクトチームの先生方にも
届いてもらいたい、、、

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私はエリン・ブロコビッチじゃないけれど

映画エリン・ブロコビッチをご覧になりましたか?
まだ、ご覧になっていない方は、是非見てください。
元気と勇気が出てきます。
あまり書くとネタバレになるので自粛。
ほんのちょっとだけ、、、
主人公演じるジュリア・ロバーツが格好良くて、
(顔、スタイルも勿論のこと、潔さがいい)
そして全体がやさしくて、
明日につながる爽やかな、
素敵な映画だと私は思います。
人はいつだって、諦めてはいけない。

さて、
先週、このブログでBSEについてちょっと書きました。
あの時は、友人の話や、きつねのすみかさんのブログを参考にさせていただきました。
その後、きつねさんさんから教えていただいた「厚生省」のホームページなども自分で調べたり、
新聞で記事を見つけたり致しました。

私たちに直接影響がある「輸入肉」については、厚生労働省医薬食品局
食品安全部監視安全課,輸入食品安全対策室が窓口です。
アメリカとの交渉で、最新のニュースは、
ここ
に載っていました。
これが、公開されている最新の情報と思われます。
私たちに関係があるところだけ、しっかりと、読んでみると、、、
〜〜〜〜〜〜〜
日本はアメリカに、「輸入」にあたり、全頭の牛をBSE検査して欲しいと申し入れた。
しかし、アメリカは、それは現実的にはできない。
若い牛なら大丈夫と答えた。
さらに、アメリカ側は、
日本の現在、行っている全頭検査は「意味がないのでは」と言った。
〜〜〜〜〜〜〜〜
と、いうような内容でした。
日本政府は、
この問題が出たとき、
しっかりと対応して全頭検査したことは、
評価にたると、思います。
ただ、
これから日米交渉で、肉が輸入されてくるという中で、
アメリカの検査に対しても、しっかりと要請してもらたいと、
(力負けしないように〜〜〜〜頑張れ!!)
私は個人的には願っています。
最初の段階で、
しっかりと、安全を保障することが、
最終的には、
「だれをも泣かさない」
(消費者、企業など)
と、思うのです。
とくに、この問題は、
「食べ物」「健康」に関することです。
情報は正しく、常時、教えて欲しいものです。

私はエリン・ブロコビッチじゃないから、
あんなに格好良く、さっそうとはできないけれど、
「食の安全」に対しては、今後も見守っていきたいと考えています。

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2004.07.07

今防人(いまさきもり)たちの歌

昨日、6日。
小泉内閣は、2004年度、防衛白書を閣議了承しました。
今回の白書の特徴は、
「存続する自衛隊から機能する自衛隊への」
(石破防衛庁長官)変革を掲げたことです。
現実に、
イラクに自衛隊が赴き、
また多国籍軍に参加するという事実の前に、
後押しする形で出された白書であるだけに、
中味は当然予想された範囲を超えてはいません。
つまり、
「はじめにアメリカありき」
です。
「国際社会の平和と安全のための活動に
主体的、積極的に取り組む」
と、繰り返しています。
〜国際社会の平和と安全〜
だ、そうです。

さて、
私は防衛庁、自衛隊という言葉を聞くと、
なぜか
「防人」
を、連想するのです。
小学校でしょうか?中学校だったのでしょうか?
社会科の時間、「防人」という言葉をはじめて教わったのは。
多分、
「防ぐ人」という漢字がその連想をさせたのでしょうね、、、
防人はご存じのように、
奈良時代、大宝律令のきまりによって北九州地方の防衛にあたっ
た兵士たちのことをそう、呼びました。
諸国から集められた兵士の中から一定数がさかれ,大宰府に
送られて,3年交替で任務についたようです。
この防人たちが、
歌った歌が万葉集には数多く残されています。
この歌の編者は大伴家持です。
彼の詠んだ歌は、このブログでも「かささぎの渡せる橋」として紹介をしましたが、
七夕の夜にちなんだ有名な歌が百人一首にあります。
(かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きをみれば 夜ぞ更けにける)
大伴家持は二十巻にわたって防人の歌をまとめました。
その多くは、
ふるさとに残る家族、恋人への相聞歌が多いようです。
私の好きな歌は、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
置(お)きて行(ゆ)かば、妹(いも)はま愛(かな)し、持(も)ちて行く、梓(あづさ)の弓(ゆみ)の、弓束(ゆつか)にもがも  (作者不明)
意味: 置いて行ったら君がかわいそうだよ。持ってゆける梓(あづさ)の弓(ゆみ)の、弓束(ゆつか)だったらいいのに。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
夫が妻を思って、「この弓ならば持っていけるのに、、、」
と詠んでいるのです。

どんな時代になっても、
どこの国の人であっても、
家族や恋人を思う気持ちは一つでしょうね、、、

今、
イラクに入っている自衛隊の方々。
またその他の国の兵士たち。
戦時下のイラクの人々。

一人、ひとりの顔は知らないけれど、
その人たちが生きてきた歴史。
生きている証を思うと、
つくづく
「はやく、はやく、はやく平和に、安全になって欲しい」
と、願わずにはおれません。

とおいイラクの地で、
今防人の自衛隊の方々は、
今日の七夕の夜、
何を星に願うのだろう、、、

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2004.07.06

レトリックな表現

今、参議院選選挙の真っ最中。
各党、候補者の
演説、街宣をがんがん耳にします。
どの党、候補者も「耳障りのイイ言葉」で、
売り出し(?)をしています。
政策を訟える党もあれば、
ひたすら連呼型。
あるいはなぜか肉親の登場でお涙頂戴タイプ、
と、それぞれ苦心しているようです。

また、
テレビでも、
党首討論や、各党の政策比較などで、
有権者に情報を開陳しようと躍起になっています。
よ〜〜く見聞きして、
自分のささやかではありますが、大事な権利を、
当日は行使しようと思っています。

さて、それはそれとして、
テレビ討論会って、見ていると勉強になるのです。
どんな勉強と問われると、
詭弁学の勉強です。
いや〜〜〜役に立ちますよ。
詭弁については、ここに詳しく説明されています。
詭弁というの は議論をわざと間違った方向に向けようとする意見のことです。
このサイトを読んでみると、
いろんなところで、
「ご存じあの方」の顔を思い浮かべるんですよね〜〜〜
ここには、
その詭弁を打ち破る一般的な方法も書かれていますので、
是非、一度ご覧ください。
(できれば、野党の先生方も、、、)
もっとも、
追い詰められたら、
「人生いろいろ」なんて開き直られたり、
「あなたは、そう思うかもしれないが、私はそう思わない」
(小泉さんVS民主党の議員)
「あなたは共産党。共産党と私が同じ意見のハズがないじゃないですか、、、」
と、土俵から下りられたり、(小泉さんVS共産党の議員)
「サマワは非戦闘地域です、
なぜなら、自衛隊が行っているからです。
自衛隊は、非戦闘地域しかいきません。
したがって、サマワは非戦闘地域です。」
なんて、堂々とテレビで言う国会議員がいたりすると、
真剣に構築してきたそれまでの議論、討論が素っ飛んでしまうんですよね〜〜〜
相手は、
本当に手強い。

そうして、
その手強さが、
憲法に及んでいます。
今、世間では憲法9条で喧々諤々、討論。
賛否両論が声高に叫ばれていますが、
その影で、
ひっそりと、
24条が危機に直面しています。
ここに書かれているので、
ご覧ください。
○婚姻・家族における両性平等の規定(現憲法24条)は、
家族や共同体の価値を重視する観点から見直すべきである。
と、書いてあります。
私は、
何回も何回も、読んだのですが、
「見直し」する必要、意味がよく分かりませんでした。
なぜ、
現行の24条が問題なんだろう???
憲法改正プロジェクトの先生方の、論理の展開についていけない私は、
あたまが悪いのだろうか???
それとも、
こんな私に、
しっかり分からせてくれない先生方の方が、
悪いのか???
ところで、
レトリックって、ご存じですか?
「意味のない言葉で飾る」ことだそうです。
さてさて、、、

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2004.07.05

かささぎの渡せる橋

今週水曜日は七夕です。
七夕伝説を初め、ギリシア神話やその他蘊蓄一杯のサイトがここにあります。
私は個人的には、神話や伝承文学は好きです。
昔の人のロマンがここかしこに、、、
なんて、手あかのついた言い回ししかできませんが、
「好き」です。
ところで、
七夕といえば、
織り姫とひこ星の「愛」の物語でもあります。
天の川を挟んで、対岸にいるこの二人を、
一年に一度、かささぎという鳥が、二羽で橋を作って、
この二人を会わせる、
という中国の伝説があります。
百人一首で有名な、
〜かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける〜
は、大伴家持が、この言い伝えに因んで詠んだそうです。
なかなか味わい深い歌だと思われませんか???
広大な宇宙にきらめく天の川。
赤やら青やら銀色に輝く星ぼしの饗宴に、
昔の人々はどんな思いを込めて、
空を見上げ、
どんな願いを星に託して、
夜が更けていったろうか、、、

星に対する限りない情愛(情愛という言葉がピッタリくると思うのですが)は、
今、
天文学という学問の発達によって、
さらに広がりつつあります。
私たちの住む銀河系とウリ二つの
「NGC7331」という銀河が、
ベガスス座の方角に約5千万光年の距離にあるそうです。
また、土星の衛星タイタンの地表画像が探査機カッシーニによって
送られてきたそうです。
宇宙は広がり、
これからも観察、調査、研究が進められるでしょう。
知れば知るほど、
分かれば分かるほど、
さらに、
私たちの「星へのあこがれ」は膨らむのではないでしょうか、、、

見上げる夜空は、
悠久で、
測りしれない。
そこに人は、
安らぎと優しさと挑戦への戦きを感じるのでしょうね。

すぐそこに七夕が来ています。
ちょっと、
空を見上げて見ませんか???
そして、
チョット、
願い事をしてみませんか!!!

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2004.07.04

人はなぜ勉強するの?

いつも訪問しているmazra先生の日記
は、専門教科の数学のことや、クラブのことなど、
いつも楽しく書いてあります。
子どもいわく「4コマ漫画」のように、軽快に、要領よく、コミカルに、
学校の様子やご自分のことを描かれています。
そのmazra先生のブログで、
「テストはなぜあるか」と書かれていました。

今、期末試験の真っ最中。
我が家も子どもが、
「かあさん、化学教えて〜〜〜」
「数学、みて〜〜〜〜」
と、やってきます。
その都度、
「とうさんに先、聞いてご覧。
それでわかんなかったら、かあさんが教えてあげる。」
なんて言って逃げます。(^^;

父親の所に行った子ども。
「とうさん、○○がわからないんだけれど〜〜〜」
「ど〜〜〜れ、見せてご覧。
・・・・・・・・
あっ、それはだな。
大学に行ったらもっとよく分かるぞ。」
「(^^;」
と、
やっています。
それでも、数学、物理、化学、英語と見てやっています。
(私はホッ(^.^)
高校までの数学は、一つひとつ基礎をやりますが、
それはバラバラで学ぶため、
面白さが分からなくて、
「こんなことなんのためにやるの?」
と、思いがちです。
大学では、
それらが機能的、有機的に結びついて学んだりします。
「あ〜〜〜,そういうことだったのか!!!」
と、感動。
目からウロコがポロポロ。
「勉強ってオモシロイ」
と、つくづく感じ入るのですが、
高校までは、
その基礎作りの時期だから、
全体が見えにくいということは良くあるんでしょうね、、、
勉強することで、
分かること、感じること、見つけること
は、深く、広くなるのでしょう。
「どうして勉強するの?」と疑問に思っている段階と、
勉強をした後では、
質問、疑問もおのずと違ってくると思います。

「人は何故勉強するのか?」
と悩む前に、
勉強してから
「人は、どの様に勉強をすればよいか?」
と、悩むようになるかもしれませんね!!!

やはり、
まずは、
やることでしょうか、、、

ちなみに、
私自身の考えは、
「何故人は勉強をするか?」
という問いの答えは、
「生き延びるため」
と答えます。
人類は、直立歩行を得、
火、道具、文字などを得て、
やがて文明が誕生したわけです。
この一つ一つの過程は、
「よりよく生きること」
「天敵から守ること」
でした。
今、
科学は宇宙へ飛び立とうともしています。
一方、環境の汚染も日に日に進んでいます。
これらのバランスがどうしたら取れるか?
どの様にあるべきか?
生き延びるために、、、
これを知り、考えることが、
「勉強する目的」であると私は思うのですが、
あなたは如何ですか???

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2004.07.03

顔は口ほどにものを言う

友人にスゴイ美人がいます。
彼女を見ているだけで、ホレボレ。ウットリ。
子どもが小学生の時、知り合いました。
それで、私は、彼女に啓発されて、我が麗しのヘップバーンという記事を、
小学校の広報誌に投稿したことがあります。
さて、この彼女。
どこが美人なのか、私は彼女の顔をじ〜〜〜っと見て、
分かったのです!!
彼女が美人なのは、
と、いうか
とびきりの美人なのは、
「雰囲気」
だったのです。
顔の造作の一つ、ひとつ、
確かに美しいのですが、
それ位の美人は世間に山ほどいます。
ところが、彼女は、
人をして、その前に立たすと、
期せずして、
「美しい!!」
と感嘆の声をいわざるおえなくさせるのです。
私は、一緒にPTAの仕事をする機会があって、
彼女と仲良くなり、彼女を観察。
そうしてわかった事が、
先に書いた
「美人の雰囲気」だったのです。
しっとりとして、艶やかで、揺れ動き、はかなげで、
それでいて逞しい。強い!!!
ピ〜〜ンと張り詰めていて、ハラハラしそう。
また、誠実な人なのです。
物事を真剣に考えて、取り組むので、
時には、キツイ言葉なんかが、彼女の口からポンポン出てきます。
でも、憎めないのです。
なぜなら、誠意が伝わってくるから、、、
そんな虹色に輝く彼女のオーラーは、見ていて楽しい。
美しいのです。

さて、
私は以前、関節をずらして、
カイロプラクチックに通っていた事がありました。
その先生と奥様は私の友人なのですが、
お二人とも、人間に対して、
なかなか深い洞察を持っていらっしゃいます。
最初に行ったときは、すごく痛い時でした。
何回か通っているうちに、
お二人から、
「ああ〜〜〜この頃、顔の相が優しくなりましたね、、、
それが本当の貴女ですよ。」
と、言われました。
ただ、ガンバレ〜と言うのではなく、素敵な言葉かけで、
力強く励まして下さったのでしょう。
お二人からは、いろんな事を学びました。
その中で印象的だったのは、
「自分を信じなさい。
まず、自分の第一印象を信じなさい。」
と、言われたことです。
「人は知らずして、自分を出している」
と、言うことでしょうか???
そういえば、昔から
「気」
ってありますよね。
自分では、わからないけれど、
案外、人は簡単に自分を、他人に見せているのかもしれない、、、
隠しようもない真実というのは、
顔の間に間に出てくるのでしょうね。
(多分、文の間に間にも、、、)

やはり、
「40過ぎたら顔に責任を持て」
と、言う言葉は至言なのかもしれません。

あなたは、
どんな自分の顔になりたいですか?

私は、
「やさしい」顔が好きです。
前にも書いたように、安積得也の詩に出てくるような、
溢れるような真実で相手を包む、
優しい顔になりたい、、、
(今、目の前に家族がいないから、そう思っています。
家族が表れると、すぐ夜叉に、阿修羅になる私、、お〜〜〜こわ)

今、
選挙で、政治家の先生のお顔を拝見する機会が増えました。
政策は勿論ですが、
顔も大事です。
あっ、誤解のないように言うならば、
「顔から醸し出す雰囲気」
という方がより正確です。
嘘やごまかし、その場の詭弁、言い逃れを
する度に、
人はその品性を知らずして落としているのかもしれない。
イヤ、知らないのは自分だけで、
他人はしっかり感じ取っているのではないでしょうか???

顔、体から出す雰囲気は、
口ほどにものを言う。

さぁ、私も今から、
鏡の前で、にっこり(*^_^*)

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2004.07.02

奥様は占いがお好き

いつも訪問させていただいているもげきゃっちさんのブログ。
ブログマスターのろぶさんが軽快に、書かれている記事は、楽しくてオモシロくて、
ためになります。
そんなろぶさんが、「自己紹介のやりかた〜〜〜〜」ということで、コラムを書いています。
その中に、いろんな占いについて紹介していました。
そこで、
私も子どもと、ろぶさんお薦め(?)の占いをやってみました。なかなかオモシロかったです(ろぶさん、ありがとう〜〜〜)

ところで、私。
何を隠そう(隠していないか(^^;)
占いが大好き!!!なのです。

まず、朝一番。
新聞で「占い欄」を確認。
次に、
BGMのFMの『今日の運勢」をしっかり聞いて、、、
まぁ、さすがに高嶋易団の本までは買っていない(実家にはある)
のですが、
パソコンの無料占いコーナーは、
今日の運勢というところで、
「大吉」と言う卦が出るまで頑張る。
星座占いは、「今日は運勢が低迷」と、
出れば、
「まぁ、あてにならないよ〜〜〜」と、思い、
「今日はなにをやってもうまくいく」と書かれていたら、
「よっしゃ〜〜〜」と元気を出す。
今日の貴女のラッキーカラーは白。
なんて出たら、
一生懸命、白をさがして、、、
と、まぁ、
奥様は、なかなか大変です。

それから、
忘れてはいけないのが、
「風水」
これが、また大変。
縁あって我が家を作ることが出来ました。
その折、
営業の人と「間取図」なんかを相談。
「奥さん、家相を気にしますか?」
「はぁ?なんですかそれ?」
と、いうことで、初めて「家相」なるものを知り、
家を建ててから、本屋で立ち読みしたら、
「おおおお〜〜なんと我が家の家相は!!!」
あっちの方角は(^^;
こっちの方も(^^;
あ〜〜〜もう遅い!!
・・・・・・・・・・・
いえいえ奥様。
大丈夫。まだ大丈夫。
私にお任せください。どんな悪い家相でも、
わたくしが吉相にします!!!
・・・・・・・・・・・・
とは、言わないでしょうが、
有名なDr.コパの風水の本を立ち読み
(小林先生ゴメンナサイ)
「金運は〜〜〜〜」
「恋愛運は〜〜〜〜」
「健康運は〜〜〜〜〜」
「子どもの成績アップは〜〜〜〜」
うんうん。
つい、本を読み込んでしまい、
「あ〜〜〜覚えられない!」
と、思いきや、
コパ先生。
最後に、
「バカじゃできない。
利口じゃやらない風水」
と、あとがきに書いていらっしゃいました。
私は、大口開けて、
「ハッハッハッ」
楽しいな〜〜〜
こういうギャグ大好き。(*^_^*)

と、まぁそういうわけで、
家はそのまま。
家相って、鑑定する人によって、違うから、
結局言いたいことは、
「きれいに掃除しなさい」
という昔の人の知恵なのでしょうね、、、

「ひとはなぜ占いが好きか?」
なんて、心理学ではきっと研究されているんでしょうね。
こんど、本屋で捜してみよう〜〜〜
「また、立ち読み?」って?
それは、内緒。

最後に、
昨日の占いの結果。
私の値段は、
「一億〜〜〜〜円」で、
5番目。ピカソでした(*^_^*)
そのあとやった「三国志人物占い」では、
子どもと『同じ人物」が出てきて、
お互いにイヤ〜〜〜な顔。
やっぱり、
育てたように育つのか?
親の背中を見て育つのか??
カエルの子はカエルなのか???

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2004.07.01

こんな話しを聞きました。

今朝、友達と話をしていたら、
彼女がこういうんです。
(以下、会話文)
・・・・・・・・・・・・・・・・
「ねぇ、知っていた?日本人って、BSEになりやすいんだって」
「えっ?何?それ?」と私。
「だから、ほら、ウシの、、、」
「あっっ〜〜〜狂牛病ね。」
「うん、それそれ」と彼女。
「でも、どうして?」
「それがね、ヤコブ病とかいう病気の、遺伝子を調べたら、
何とか、、、という遺伝子に集中しているらしくて、
その遺伝子を日本人が90%以上持っているんだって、、、」
「えええええ、
チョット、
ちょっと、
それって、ホント?」
「うん、、、私も人から聞いたんだけれどね、、、」と、友人。
「えええええ〜〜〜〜〜」と、私は唸るばかり。
「分かった、、、私、家に帰ってちょっとネットで調べる、、、」
と、私が言うと、
「うん、分かったら、私にも教えて。」と友人。
「じゃね」
「バイバイ」
・・・・・・・・・・
帰ってきてから、
ネットで調べました。

きつねのすみかさんのブログ
に掲載。
う〜〜〜〜ん。
そうなのか、、、

これが本当なら怖い。
そりゃ、本当に病気になるか、ならないかは、
確率(運?)の問題かもしれないけれど、
こんな大切なことって、
もっと、正確に教えて欲しいよね、、、
なにしろ厚生労働省は知っているはずだから。
とくに、主婦には絶対教えて欲しい。
私たちは、「家族の胃袋」を預かっているのです。
前にも書きましたが、
日本の食料自給率は40%らしいです。
ほとんどが、輸入に頼っているのです。

この頃は「食の安全」に対して、
消費者って厳しくなったな〜とは思います。
私も、スーパーや生協に、買い物にいっても、
必ず、
「生産地」「加工日」はチェック。
主婦の関心は高いと思うのです。

何かが起こってからの対応じゃ遅すぎるし、
それに関わった業者にだけ、
後始末させる今の行政のあり方って問題を感じます。
結局、泣くのは、
消費者と。中小企業(風評なども含めて)
という構図はイヤですね、、、

監督官庁である厚生労働省は、
いろんな意味で「国民の健康」を守る必要があると思います。
何も年金だけではな〜〜〜い。
今度、アメリカの輸入肉がまた日本に入ってくるそうですが、
その肉は、国産の肉のように、
しっかりと、安全かどうかの検査をしているかどうかは知りたいです。
(しっかりと検査しているのなら、なんら問題はありません)
そうして、その上で、
一人一人が何を選んで食べるかはその人の自由だと思うのです。
私が望んでいるのは、
「情報」を教えて欲しいということです。!!!

それにしても、
なんだか怖くて寂しい世の中になりそう、、、
食べ物に不信を持ち、
テロにおびえ、
老後に不安を感じ、、、
本当に、この国はどこに行こうとしているんだろうか???

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今日、自衛隊50歳!!

今日、7月1日は自衛隊の創設50年目の日です。
自衛隊の歴史参照。

自衛隊の前身の警察予備隊は、
米占領下、米軍指導、命令によって
1950年に作られました。
当時、その発足に携わった、
コワルスキー米軍事顧問団幕僚長は、
「時代の大うそが始まろうとしている」と「日本再軍備」で述べています。
こうして、誕生した警察予備軍、
更に自衛隊の歴史は、
いつも、
どこかに
「きな臭い」
ものがありました。
その「何かしら?」が
今、明らかな形になって私たちの前に表れてきたような気がします。
自衛隊は、もう「自衛」という言葉をかなぐりすてて、
アメリカの世界戦略に組み込まれて、
軍隊になりました、、、

このプログラムは、
戦後まもないころから、
すでに組まれていたのだろうか???
そうして、
今後、どんな展開が待っているのだろうか???

梅雨の晴れ間には、
青や紫やピンクのあじさいが
よく似合う。
この、ひととき美しく咲く花が、
際立ってあわれに思うのは、
なんだか、哀しい。

ところで、こんな歌が流行したことがあります。
「自衛隊に入ろう〜〜〜」
フォーク歌手の高田渡さんが1969年、
ベトナム戦争を皮肉った反戦歌です。
この歌が今、また話題を呼んでいます。
「渋さ知らズ」というジャズ楽団です。
〜〜〜〜〜〜〜
「自衛隊に入れば、この世は天国/
男の中の男はみんな、自衛隊に入って花と散る」
〜〜〜〜〜〜〜
だ、そうです。
あじさいの花、
どこまで持つのか???

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