なぜ、選挙に行くか?
明日の参議院選挙に向けて、
候補者、支援者の舌戦も、いよいよ最終盤。
一方、選挙管理委員会や、マスコミ、新聞、
また、ネット上でも「棄権防止」の呼びかけが高まって来ています。
さて、ここで
「なぜ投票しなければいけないか?」を、
私なりに、もう一度考えてみました。
答えは、
「生きていくため、生き延びていくため」
と、いうものでした。私の場合は、、、ですよ。
以前、ここで
「人は何故勉強するか?」
という問いに対して、
「生き延びていくため」
という同じ答えを出しました。
私自身はそれと、まったく同じ理由で、
選挙、というか自分を取り巻く全てのことを、
そんな風に考えています。
(しかし、「損、得」ではあまり考えません。
損とか得って、死ぬまで分からないから、、、)
つまり、
未来の自分を作るのは、
今の自分だと私は思うのです。
何故、勉強をするかと言えば、
広義には、「人間社会の発展に貢献、奇与するため」です。
科学技術の発展を初めとして、いろんな技術の発展、発達。
狭義では、「よりよく生きていくため」です。
そのより良くの中には、
自分の将来の糧になる職業を見つけることや、
芸術やスポーツなど、
また「悪徳○○」に騙されない知恵、
遭難しても生き延びることのできる知恵
、、、、
です。
言い極めるなら、
「生きるための知恵」を学ぶことです。
歴史や宗教や倫理などの学問を学ぶ意味はこうしたことです。
その知恵の中には、当然、「無駄」もいっぱいあります。
こんなこと、なんの役に立つなんて、山ほどあるのですが、
例えば、良く子どもたちが言う
「数学なんて実生活に役に立つの?」といいますが、
しっかり役に立っています。安心して、勉強をしてください。
みんな必要なのです。
無駄な知識って一つもありません。
何事も
「ため」「ゆとり」って必要なのです。
それがあるからこそ、
どんな環境でも人は生きていけるのでしょう。
ギリギリ、カチカチでは、
何か事が起きたら、さぁ、大変、、、なのです。
学問とは、
「無駄なことも楽しむ心の知恵」を学ぶ事ではないかと私は考えています。
(本来は無駄ってないのですが、、、)
そうして、
選挙も
「何故、いかなきゃいけないの?」
という質問に対しては、
「未来のあなたが生き延びるため」
と、私は答えます。
「でも、自分の力は小さいし、死票じゃつまらないし、、、」
という質問に対しては、
「力は小さいけれど、何もしなければ、何も得ることはできない。
死票は決して無駄では無い。意思表示ではあるよ。」
と、言います。
死票は、大きなエネルギーを持っています。
反対の立場で考えてみたらいい。
仮に当選してもギリギリで当選したら、
その議員は、
「国民は見ている、、、下手な事はできない」
と、思うでしょうが、
投票率が低くてラクラク当選だったら、
「まぁ、こんなもんさ〜〜〜」
と、思うのではないでしょうか?
(すくなくとも私が候補者なら、
国民のことを甘く見るようになる)
選挙は鏡です。
自分たちが緊張して、力を込めて、投票をしたら、
相手の候補者、ゆくゆくは議員になるかもしれない人も、
誠意で返してくれます。
投票して、それが、即結果に繋がらなくても、
未来には繋がっていると思います。
「でも、入れる人がいない」
という質問。
う〜〜〜〜ん、
それは困った。
我が子が二者択一で悩んだときは、
いつもコインで決める私だけれど、
選挙の候補者をコインで決めろ、なんて無責任なことは言えない。
やっぱり、
もう一度政策をよ〜〜〜く見て、
誰が、どの党が騙さないか(ここにも知恵が働く)を見て選ぶ。
それでも、分からないときは、
最終的には、
「顔」です。
前にも書きましたが、
人は、自分が知る以上に、
他人に、自分を晒しています。
自分の第六感を信じて、
その候補者に入れる。
のがいいと思います。
選挙のような大きな事、
自分の身の回りの小さな事、
たとえば、喜怒哀楽の感情なんかも含めて、
全ては、
今の自分が明日の自分を作っていると、
私は思います。
ほら 足元を見てごらん これがあなたの歩む道
ほら 前を見てごらん あれがあなたの未来***
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