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2004.07.22

はたち前にただの人

「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎればただの人」
とは、良く聞く言葉です。
が、
が、
私はこの頃の子どもたちは、
「二十歳前にただの人」になっている子が多い、と思います。

身近な例で言うなら我が子。
あの子が幼い頃、
神童とまでは思わなかったが、
私は、彼の感性は好きでした。
目の前にある あらゆることに、興味を示し、
自分が関心を持ったもの(例えば、ウルトラマン、レゴ、恐竜、、、、)
は、図鑑で調べて、絵に書いて、お話を作って、と。
小学校時代も、
才子か どうかはわかりませんが、
本人は「勉強が好き」と、言って、よく親に質問に来ました。
小学校二年の算数の時間のこと。
「2-3+5=」という問題で、
先生が、「2から3は引けないから、先に5を加えましょう」
と、教えた時、
彼は、
「どうして、2-3ができないのかわからない、、、、」
と、言って先生を質問攻めにしたことがあります。
あの子は「方法」じゃなくて「原理」が知りたかったのです。
また、三年の国語のテスト。
まず、小説の一部が出ていて、
「下線部の部分は、作者のどんな思いが書かれていますか?」
というよくある質問。
息子は、
「僕は作者じゃないから わからない」
と、答えました。
勿論、×でしたが、
私は、その解答を見て、おなかを抱えて笑いながら
「かあさんは、君の答えがあってると思うよ、、、」
と、言って、さらに笑い転げていました。
まぁ、一事が万事、この調子で、なかなかユニークな子なのです。
そして、私は彼の感性がお気に入りでした。

そんな息子が中学になり、
さらに受験生になったある日、私にこう言うのです。
「かあさん、この頃 僕、勉強わからないんよ。」
「ええ〜〜〜っ。それは大変。どうして???」
と、私。
「うん、今まで僕は勉強が楽しくて、好きだったんよ。
授業を聞いていたら、いろんな事がわかって。
でもね。この頃、授業がちっともオモシロくない。
社会でも、理科でもプリントを渡されて、ぱっっ〜〜〜と、授業が進むくせに、
ちっとも肝心のことは教えてくれなくて、
まるで、出口のないトンネルの中に入り込んだように、ボヤッとしてるんよ。
国語も、考えれば、考えるほど、先生の答えから遠ざかっていくんよ、、、
数学も、ちっとも意味や原理を教えてくれなくて、ひたすら問題を解いてるだけ。
ちっとも勉強する気がしないんだ、、」
と、言うのです。
なるほど。
確かに、それは楽しくない。
「じゃ、どんな風にしたらいいと思う?」
と、私が尋ねると、
息子は、
「前みたいに、先生がいろんな話をして、その背景なんかを教えてくれたら、
後は自分で家で勉強するんだけれど、、、」
「そうか、、、では、自分で、いろんな本を読んで、エピソードなんか調べたら?
ご冗談でしょ、ファインマンさん、、、なんて本があるよ。うちに。」
と、著名な物理学者の本を紹介しました。
子どもが実際、それを読んだかどうかは、私は知りませんが、
彼なりに、自分で楽しく勉強をするように工夫はしていたようです。

しかし、一方で、教師も「これでいい」とは思っていないのです。
先生も、矛盾を抱えています。
「もっと、子どもたちに、楽しい授業をして、
学ぶ喜びを伝えていきたい。」と思っているのです。
だが、現実はギュッギュッのカリキュラム以外に煩雑な雑用に追われています。

「ゆとり教育」推進者の言い分は、
「全ての子に分かる喜びを」ということです。
そして現実に行ったことは、
極端なカリキュラムの削減と、総合教育の導入でした。
理科実験教育が減り、
算数の数量、図形授業が減り、
と、「考える授業」は目に見えて減りました。
暗記する、機械的に行う授業に変わっていきました。

子どもは、本来、分からないことは分かりたい。
未知へのものへの憧れ、を持っています。
そんな生来の才能をすりつぶし、捨て去っていくような
学校教育の今のあり方で、
どんな子どもたちが育っていくのでしょうか???

二十歳前にただの人にさせていく、
文部科学省の方針には強く危惧を感じている私です。

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コメント

ああぁ、息子くんの気持ち、むちゃくちゃわかりますよ。

 僕も「とにかくこうやっとけ」って手法の先生に巡り合った事があって、その時は凄く疑問に思ってましたよ。「だから、答えじゃなくて、答えが出てくる『技』の方を教えろよ!!」って感じで。

…今思うとかなりイヤな子供だったかも(笑)。

んでもね。歴史の先生だけはとっても好きだったですよ。「○○年は××」って感じじゃなくて、どう言ったらいいのかな「お話」として歴史を語ってくれたんですよね。「コレがあったからあの事件が起こったんだよ」って風に。


 ふと思ったんですが、文部科学省のお役人方で実際に教壇に立った事のある人ってどれくらいいるんでしょうね。んで、その人たちが教育の予定表を作るってのも…どうかと思いますけどねぇ…

投稿: ろぷ | 2004.07.22 16:22

歳を重ねるごとに
知識では無い知恵、小賢しさではない知恵、そして何かを求める思い
の必要性を感じます。
そして、私も自分に足りないものを実感し、未熟さを思い知らされる。

知識だけでは物事をつなぎ合わせる事はできない。
人に対したとき知識や小賢しさでは人は動かない。
イレギュラーな自然に向かうとき知恵が無ければ対処できない。
成し遂げたいという思いが無ければ何もできない。
知識という材料を使う術を知らなければ、そのなかで迷い、その中に埋もれてしまう。
・・・・・

振り返ればいつもその重要性を訴えているものがあたりまえのように目の前にあった(今もある)のに、気づかない(今も気づかない)。

人が残した膨大な知識(材料)を集めるのに四苦八苦し、同じように人が残した膨大な「知恵」や「思い」にまで未だに手が回らない自分がそこにある気がしてなりません。
瀬戸さんのエントリーを読むたびに教育論とは別の何か「身につまされる」ものを感じてしまいます。

投稿: FAIRNESS | 2004.07.22 16:52

「下線部の部分は、作者のどんな思いが書かれていますか?」

これは問題が間違えていますよね。その文章からは、どんな思いを表現していると読みとれるか、を聞くのが正しい質問だと思います。作者がどうかということではなく、文章そのものが何を伝えているかを、文章だけでつかめるかというふうに聞かなければならないと思います。

そして、作者についての別の知識を知らなければ伝わらないことを読みとらせようとしていたり、作者の意図がそのまま伝わらないような文章になっているとすれば、それは文章が悪いのだと、文章の欠点を教えなければならないと思います。

作者の意図は、もし問題作成者が知っているのなら、最初に教えてやらなければいけませんね。そして、作者は、こういう意図を持っているけれど、そういうふうに読みとれましたか?と聞かなければならないと思います。

投稿: | 2004.07.23 10:52

ろぶさん。
FAIRNESSさん。
秀さん。
こんにちは。
コメント有り難うございます。

ろぶさん。
確かに歴史の先生って、いろんな蘊蓄を教えてくださいましたよね、、、
私が一番、記憶に残っているのは、
大仏開眼と墾田永代私有令の関係です。(^^;
あっ、それから、文科省の官僚は、
「お役人」です。
実際に教育の現場のことについては、無関心だと私は思いますよ、、、困ったことです。
教育って、本当に「元」「根幹」と思う今日この頃です。
また、ご意見お聞かせ下さい。

FAIRNESSさん。
頂いたコメントを読んで、きらめく星空を思い出しました。
以前、「二十億光年の彼方」で、書いて下さったコメントを彷彿と思い出しました。
本当に仰るように、私たちって、
目の前に滴っている真実のしずくを、
つい見落としてしまいがちになりますよね、、、
学ぶということを、
遥か彼方にある真理というロマンを求めることのみと考え、
足元にある、
そこにあるという普段着のままにを、つい見落としてしまいがちです。
学ぶことは、生きることだ、出会うことだと、
FAIRNESSさんの文を読んで改めて思いました。
有り難うございます。

秀さん。
そうなんです!!!
その通りだと私も思います。
「下線部に付いて、作者は、どう思ったと、あなたは思いますか?」
という設問なら、
子どもたちは、「自分の答え」を考えます。
ところが、くだんのような設問だと、子どもは、悩むんですよね、、、
国語を初めとして、
試験、テストには、先ほどのような「?」っていう設問が、多くあるんですよ。
質問の意味からして悩んでしまいます(^^;
表面だけの勉強が更に進んでいく、今。
質問するということの「センス」も消えていきそうです、、、
果たしてどうなることか???
また、いろいろ教えてください。

投稿: せとともこ | 2004.07.23 17:53

はじめまして。
私も少し思い当たることがあり書き込みをさせていただきます。
小2の娘の算数のテスト(市販のものです)で、52+33を筆算で計算しなさいという問題がありました。その隣にわくがあって、確かめをしましょうとあります。その確かめを娘は85-33=52と筆算で書きました。ばつになっていて、33+52=85と赤でなおしてありました。筆算の引き算は習っていないのですが、ばつ?娘はこだわっていないのですが、私のほうがこだわってしまい、娘よ、もっとこだわってくれとも思ってしまいました。でもこういうことにこだわると学校不適合をおこしてしまいそうですよね。

投稿: hiroko | 2004.07.26 23:54

hiroko さん。
はじめまして。
書き込み有り難うございました。

お嬢ちゃんの様子、
お母さんの思い、
手に取るようにわかります。
本当に、
「?」ってこっちが悩むような採点っていっぱいあります。
「国語」になると、もう質問から「?」です。(^^;
学校不適合は、ともかくとして、
「こだわり」は大切です。
本質をしっかり学ぶためには、、、
お嬢ちゃんの確かめの方が、本質というか、
「足し算、引き算」の意味にかなっていると私は思いますよ。
「算数大好きにする意味の授業26章」と言う本が、平文社という出版社から出ています。
なかなか、よくまとまっていて、読みやすいですよ。おすすめです。また、いろいろお聞かせくださいね。

これから、夏本番。
どうぞ、お体、大切にお過ごしください。

投稿: せとともこ | 2004.07.28 13:20

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