台風中継を見ながら思ったこと
台風16号は、日本列島に多大な爪痕を残して、去っていきました。
被害に遭われた地方の方々の、一日も早い復旧をお祈りしています。
私も昨日は、台風情報を知るために、殆ど一日中テレビをつけっぱなし。
「みなさん、こんにちは。
今日はまず大型で強い台風16号のニュースからはじめます。
台風16号は、まもなく日本列島を上陸。
台風が近づいて来ている地方では、すでに暴風雨が、、、、、
では、各地のいまの様子を中継でお送りします。
○○さん。
、、、、、」
と、アナウンサーが話す内容を逐一聞いて、
窓から空を見て、、、
あっ、ベランダの掃除をしなきゃ、、、、
懐中電灯に、お水に、それからカップラーメンを用意して、
風呂に水を張って、、、
大忙しの台風前の私。
さて、
もう10年以上、前になりますが、
9月の末に日本列島に上陸して各地に被害をもたらした台風19号が、
私の記憶では新しいところです。
当時、私は日本三景で有名な広島の宮島近くに住んでいました。
この台風の特徴は、上陸してから勢いが増したという、珍しいものでした。
中国地方は、沖縄、九州と並んで台風の通り道なので、
それなりに、台風には慣れています。
広島に台風がくる頃は、勢力が落ちることが多いので、
被害は、風よりも雨によることが多かったのですが、
が、
この時の台風は、
風も強くて、方々で物が飛び、被害が拡大しました。
また、台風が去ってからが大変。
海に近い所だったので、
塩を含んだ風により電線が塩をかぶりました。
それをきれいに洗う作業がエンエンと中国電力によって行われました。
停電もかなり続き、
飲み水配給も、しばらく行われました。
この時も、
テレビで見ている全国の人々は、
「水につかった宮島」しか知らないのですが、
被害に遭った人々には、大変な労力がその後に求められました。
視聴者はテレビで放送される「その時点」ですが、
当事者は、長く背負っていかなければなりません。
今回も、各地で被害が出たようで、胸が痛みます。
私は、こうした災害が起きる度に友人のことを思い出します。
大学で防災学の教鞭を取っています。
いつも、いつも
「山をきるな、乱開発するな」が口癖です。
三年前、芸予地震が起きました。
それは、それはすごい揺れでした。
土曜日で、私は家族と買い物に出かけていた先での事。
ドォッ〜〜〜という地響きが聞こえたかと思った途端。
グラグラと大きく縦に揺れ、立ってはいられません。その場に座り込んで、頭を抱えて、ひたすら おさまるのを待っていました。
帰り道は、大変。
もう、どの道も車でイッパイ。動かないのです。
農家の屋根は崩れ、壁ははがれ、地震のスゴサを改めて知りました。
しかし、家に帰って、そのスゴサをさらに思い知らされました。
なにしろ、テレビ(かなり重い)が倒れ、
食器棚はガチャガチャ。そこら中に飛び散った食器を片付け終わる頃には、
もうグタグタ。
また、玄関の靴いれの戸は壊れ、家の壁紙も無数に縦のシワが寄っていました。
その後、テレビでこの地震が、どんなに大きかったのか知り、各地の被害が映し出され、
ますます驚いていました。
そんな矢先、くだんの友人が、テレビや新聞に出て、防災学の立場から意見を述べていました。
広島は、土地が少ないので、山が切り開かれ、そこに段々畑のように家が立ち並んでいる所が多いのです。
山に木がないので、土砂災害を起こしやすいのです。
また、木を切った山は、水の保有も少ないので、干ばつにも弱いらしいのです。
「とにかく、木をむやみやたらに切るな。」
というのが、専門家の彼の言い分です。
土地の広さと、人口の関係など、
都市が抱える問題は、研究者の間でも論議されていることですが、
いずれにしても、
災害に強い都市作り、町、村作りを優先にしてもらいたいものです。
営利目的が優先されることのないように願ってやみません。
台風が吹き荒れる日本列島、各地の中継リレーを見ながら、
こんなことを思い出しました。
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