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2004.08.31

台風中継を見ながら思ったこと

台風16号は、日本列島に多大な爪痕を残して、去っていきました。
被害に遭われた地方の方々の、一日も早い復旧をお祈りしています。
私も昨日は、台風情報を知るために、殆ど一日中テレビをつけっぱなし。
「みなさん、こんにちは。
今日はまず大型で強い台風16号のニュースからはじめます。
台風16号は、まもなく日本列島を上陸。
台風が近づいて来ている地方では、すでに暴風雨が、、、、、
では、各地のいまの様子を中継でお送りします。
○○さん。
、、、、、」
と、アナウンサーが話す内容を逐一聞いて、
窓から空を見て、、、
あっ、ベランダの掃除をしなきゃ、、、、
懐中電灯に、お水に、それからカップラーメンを用意して、
風呂に水を張って、、、
大忙しの台風前の私。
さて、
もう10年以上、前になりますが、
9月の末に日本列島に上陸して各地に被害をもたらした台風19号が、
私の記憶では新しいところです。
当時、私は日本三景で有名な広島の宮島近くに住んでいました。
この台風の特徴は、上陸してから勢いが増したという、珍しいものでした。
中国地方は、沖縄、九州と並んで台風の通り道なので、
それなりに、台風には慣れています。
広島に台風がくる頃は、勢力が落ちることが多いので、
被害は、風よりも雨によることが多かったのですが、
が、
この時の台風は、
風も強くて、方々で物が飛び、被害が拡大しました。
また、台風が去ってからが大変。
海に近い所だったので、
塩を含んだ風により電線が塩をかぶりました。
それをきれいに洗う作業がエンエンと中国電力によって行われました。
停電もかなり続き、
飲み水配給も、しばらく行われました。
この時も、
テレビで見ている全国の人々は、
「水につかった宮島」しか知らないのですが、
被害に遭った人々には、大変な労力がその後に求められました。
視聴者はテレビで放送される「その時点」ですが、
当事者は、長く背負っていかなければなりません。

今回も、各地で被害が出たようで、胸が痛みます。
私は、こうした災害が起きる度に友人のことを思い出します。
大学で防災学の教鞭を取っています。
いつも、いつも
「山をきるな、乱開発するな」が口癖です。
三年前、芸予地震が起きました。
それは、それはすごい揺れでした。
土曜日で、私は家族と買い物に出かけていた先での事。
ドォッ〜〜〜という地響きが聞こえたかと思った途端。
グラグラと大きく縦に揺れ、立ってはいられません。その場に座り込んで、頭を抱えて、ひたすら おさまるのを待っていました。
帰り道は、大変。
もう、どの道も車でイッパイ。動かないのです。
農家の屋根は崩れ、壁ははがれ、地震のスゴサを改めて知りました。
しかし、家に帰って、そのスゴサをさらに思い知らされました。
なにしろ、テレビ(かなり重い)が倒れ、
食器棚はガチャガチャ。そこら中に飛び散った食器を片付け終わる頃には、
もうグタグタ。
また、玄関の靴いれの戸は壊れ、家の壁紙も無数に縦のシワが寄っていました。
その後、テレビでこの地震が、どんなに大きかったのか知り、各地の被害が映し出され、
ますます驚いていました。
そんな矢先、くだんの友人が、テレビや新聞に出て、防災学の立場から意見を述べていました。
広島は、土地が少ないので、山が切り開かれ、そこに段々畑のように家が立ち並んでいる所が多いのです。
山に木がないので、土砂災害を起こしやすいのです。
また、木を切った山は、水の保有も少ないので、干ばつにも弱いらしいのです。
「とにかく、木をむやみやたらに切るな。」
というのが、専門家の彼の言い分です。

土地の広さと、人口の関係など、
都市が抱える問題は、研究者の間でも論議されていることですが、
いずれにしても、
災害に強い都市作り、町、村作りを優先にしてもらいたいものです。
営利目的が優先されることのないように願ってやみません。

台風が吹き荒れる日本列島、各地の中継リレーを見ながら、
こんなことを思い出しました。

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夏休みよ、さようなら

今日で、小・中・高校の夏休みはおしまい。(もう、始まっている所もあるようですが、、、)
明日から二学期です。
もう、宿題はすんだでしょうか???
明日からの日常に向けて、今日が一番イヤな日かもしれませんね。
毎週日曜日夜の7時からのサザエさんを見ると、
ブルーになる「サザエさんシンドローム」なんて生易しいものではない。
なにしろ、二ヶ月ちかい休みだったのだから。
学校が始まってしまえば、どうって事ないのですが、、、

我が家では、子どもは昨日から、騒いでいます。
「あ〜〜〜夏休みが終わる!!!
あと何時間、、、」
そして、ついに歌い出しました。
「蛍の光、窓の空、宿題する日重ねつつ、いつしか夏休み、すぎの戸を、明けてぞあさっては、二学期だっぁ〜〜〜」と。
宿題重ねつつねぇ???
そこで、私はすかさず、
「仰げば尊し、我が母の恩、お昼ごはん作って、はや二ヶ月、思えばいととし、母の昼御飯。いまこそ分かれ目、いざさらば〜〜〜〜〜」
と、続けました。
すると、さらに、子どもに切り返されました。
ギターを持つような形をして、
「昼御飯作りで忙しいなんて、
いうじゃな〜〜〜い。
でもあんた、
ねぇねぇ、どっち食べる?日○のカップラーメンか明○焼きそばか?
ザンネン。斬りぃいいいい」
(^^;
ううううう〜〜〜〜何も切り返せない。
仰るとおり。

明日から、解放されるぅうウウウウウウ。
やった〜〜〜〜と思っている母は私だけでしょうか?

いずれにしても、
明日は、元気で時間に遅れないように登校してください。
二学期は、
運動会や、学芸発表会など、学校行事が多く、
アッと言う間に過ぎてしまいます。
一日、いちにちを大切に、楽しみながら過ごしてくださいね。
応援しています(^.^)。

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2004.08.30

国民栄養賞

アテネオリンピックが無事に閉幕。
はじめに予想されていたテロなどもなく、
全ての競技をつつがなく終えることが出来て、
(ちょっとしたハプニングはあったものの)本当に良かったと思います。
多分、相当のエネルギーを費やして、大会の運営が行われたと思うと、
舞台裏の方たちに、心より感謝いたします。

さて、
このオリンピックは、日本選手の活躍が目立ち、
私も楽しく観戦をしました。
そういう意味でも過ぎていくオリンピックに、ある種の寂しさを感じることは禁じえませんが、、、
最後まで、ハラハラした室伏選手も金メダルに繰り上がり、
実に東京オリンピックに並んだ過去最多の記録とかで、これまた話題が多いオリンピックでした。
また、日本にかかわらない競技でも、決勝戦を見ていると、それはそれで、スポーツの美しさを感じ、楽しいものでした。
勝敗ゆえ、いずれかが勝ち、もう一方が負けるという厳然たる事実があって、
なかなかシビアなものもありました。
日本人気質というのでしょうか、私は負けたチームの方に、あるいは負けた選手に感情移入したりして、
何かと忙しい大会期間中でした。
日本人選手団、またスタッフ、関係者の方々、
本当に有り難うございました。

さてさて、これから話の本題。
小泉首相が、金メダル選手に「国民栄養賞」を与えるとか、与えないとか、、、
ウワサが流れています。
26日は、細田官房長官は、記者会見で、問われもしないのに、これに関しては否定をしました。
事の真偽は、遅くないうちに分かると思うのですが、
私は、このようなウワサ(あるいは、本当かもしれないが、、、)が出る小泉総理と言う人の人間性に問題を感じます。
確かに、
総理は、新もの好きで、勝ち組がお好みで、美しいものが贔屓です。
「感動した。」
「スバラシイ。」
「すごい」
と、目を細めて、勝利の美酒に酔う一流の人と握手をすることがお好きです。
今回も、谷亮子選手には喜びの電話をしているところが、テレビでも放送。
柔ちゃんの輝くような笑顔と、大会初期のメダルゆえ、私たちもついつい微笑んで、テレビを見ていました。
しかし、同じ頃、沖縄の普天間基地近辺、沖縄国際大学構内で米軍ヘリが墜落。
総理は夏休み中ということで、
直後、沖縄県知事や関係者の方々との面会を断りました。
総理のこの感覚は、やはり変です。
変を通り越して、怒りさえ覚えます。
総理、
貴方が一番目にしなければならない事は、国民の安全を守ることです。
総理、
貴方が一番目に心を置かなければならないことは、国民の安全です。耳を傾けなければならないのは、困っている国民の声です。
私たち、国民は、自分たちの安全、生命を守ってくれるという安心を、国家に託し、
そのかわり、応分に税金を払っているのです。
何も、貴方に歌舞伎を見てもらいたいために、
オペラを見て感動してもらいたいために、
大相撲で、優勝力士と握手するために、
税金を払っているのではありません。
国民の安全が脅かされたとき、
何をおいても被災地を訪問して、再びこのようなことが起きないように努力することが、総理の仕事ではないでしょうか????
仮想の戦争で、国民の不安を煽り、
憲法を変え、教育基本法を書き直し、
自衛隊を軍隊にしていくより先に、
本当に起きている災害の方にしっかりと目を向けて欲しいものです。
総理、
金メダルをもらった人や、優勝した人たちは、なにも貴方の励ましがなくても、
大丈夫なのです。
(メダルを取った人にのみ激励するのではなく、長くスポーツができる環境こそ保障してもらいたいものです。)
総理、
貴方が、優しい言葉を、目をかけなければならない人は、困っている人、弱い人、悩んでいる人なのです。
貴方は、声をかける相手を間違えている。
どうか、
現実に困っている人たちの声を、もっと聞いてください。

国民栄養書は、なにも金メダリストのものではない。
と、私は思うのですが、、、

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2004.08.29

浜の真砂かオレオレ詐欺か。

実体験!オレオレ詐欺の手口の方法を純水さんからトラックバックいただきました。
是非、ぜひこの体験記、ご覧ください。
敵の巧妙な手口が、鮮やかに描かれています。
それにしても「スゴイ」の一言。
ここまできたか、、、と言う感想です。
「もう、、、何も信用できないよぉおおおおおおお」
なんて思うくらいコワイ。
そしてこの怖さを通り越したら、無性に腹が立ってくる。
「人の善意」を逆手に、弄ぶようなやり方は、絶対に許すことの出来ない犯罪だと思います。
犯人が捕まったら、精神的打撃を蒙ったんだから、慰謝料請求したいですねぇ。
この怒りをさらに、通り越したその先には、
「こうした犯罪に、一般市民がどうして立ち向かうか、自分を守るか」
に行き着きます。

今回、貴重な体験を書いてくださった純水さんも、
オレオレの情報はご存じでした。
また、「自分は大丈夫」と思っていましたが、
敵の情報があまりに詳しいので、ついその術中にはまっていったわけですが、
これは、誰にでも起こりうることだと、改めて思い知らされました。
詐欺ではないのですが、私は以前、こんな体験をしました。
瀬戸智子の実験教室、やじろべえ日記より
〜〜〜〜〜〜〜〜
以前 私はトイレの修理屋に騙されました。
朝早くトイレの水が漏れたので、慌てた私は広告に入っていたチラシから水道屋に電話して、すぐに来てもらいました。
今から思えば?の修理をして、あげくの果てに
「このトイレは○○がだめになっているから部品を変えなくちゃいけない。七万円かかるが今なら安くしておきます。」と修理屋に言われました。
「あ、あの夫に相談して、、、」
「何を言っているんですか奥さん」トイレの修理を途中にしてドンドンまくしたてられ、
すごまれました。トイレの修理を途中にしてのこと。私がウンと言わなければ修理はしてくれそうにありません。そして、ついに七万円払わされました。(泣く泣く銀行に行って振り込み)
「ああ、これから一ヶ月は納豆だけか、」
その晩、夫に言ったら
「それはおかしい、騙されている。」という事で先の水道屋に電話。
初めは「奥さんが納得した、、、」とかナンとか言って騙した事を認めようとしません。
そこで夫が
「わかりました。
じゃ弁護士に相談して、なおかつ貴方のやり方については新聞に投書します。また貴方が言ったそのトイレの部品については本社の方に問い合わせて、そんな欠陥商品を作っているのか確認します。」と言ったところ、相手はすぐにお金を返してくれました。
(確信犯だったのでしょう)

その後しばらくは息子から
「だまされてトイレの修理に七万円」
と川柳まで作られ揶れた私です。

ここから得た教訓は「いろんな意味で情報が少なかった」という事です。
1、広告通りのお金(8000円、それにしても高いが、、、)ですむわけがない。
2、トイレの部品がそんなに簡単に壊れるわけがない。
3、家には知らない修理屋はいれない。どんなに時間が早くても、遅くてもなるべく知っている店に頼むこと。
4、何かお金を要求してきたら録音しておく。
騙されるまで知らなかった情報です。
今、テレビでもいろんな詐欺のパターンについて述べられていますが、これも情報を知っているか知らないかで大違いです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

新手の詐欺が、次々と出て来ています。
私たちは、「受け手」ですから、新しいパターンには、すぐに対応が出来ません。
従って、騙されることもありうるのですが、
ただひとつ言えることは、
どんな場合でも、
「お金をすぐにくれ」
というのは警戒です。
今や、オレオレではなくクレクレ詐欺ですねぇ〜〜〜
浜の真砂は尽きても、詐欺の数はつきないのかなぁ?????
いずれにしても、
これ以上被害者が出ないためにも、
情報のネットワークは密に行っていきたいものです。
また、オレオレ詐欺をやっている人たちも、
いずれ裁きは下されるものと私は信じています。
「天網恢々疎にして漏らさず」です。
天の網は、目が粗くて、すぐに通り抜けそうだが、決して漏らしはしない、ということでしょうか。
とにかく、こうした詐欺師は、いずれ捕まります。
なぜなら、「捕まるまでやるから」です。
甘い汁を一度吸った者は、なかなか止めれません。
破局への道をひた走りに走るだけです。
この犯人たちのためにも、
新しい罪を作らないように、早々の解決をするよう、警察の働きに期待をしたいものですが、、、
それにしても、
=くれぐれも、「クレクレ詐欺にはご用心」。=

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2004.08.28

マニュアル

すでに一般化しているこの「マニュアル」という言葉。
手引書、便覧、説明書とでも言ったところでしょうか。
素人でも誰でもが、
説明に添って行えば出来る、ということで、
私のような、パソコンにはサッパリの者でも、いっぱしに(?)ホームページを作ったり、ブログを書いたりと、
なかなか便利な物です。
また、マニュアルという言葉から、
「ファーストフード」のアルバイトの店員さんも連想しやすいです。
〜〜〜〜〜〜
「いらっしゃいませ。」
「あっ、このハンバーグ下さい。」
「お飲物は如何ですか?」
「じ、じゃ、コーラーを一つ。」
「はい。お持ち帰りですか、こちらで召し上がりますか?」
「あっ、あのここで、、、、」
〜〜〜〜〜〜〜
このマニュアルによると、
客が注文した際、必ず別の注文も聞くと、○パーセントの客は、別の物も注文すると書いてあるそうです。
また、客が店内でこぼしたりした際は、黙って掃除をして、同じ商品をタダで持ってくる、などきめ細かく書いてあるようです。
勿論、
「笑顔」と「いらっしゃいませ」
「スマイル」と「有り難うございました」
「微笑み」と「またどうぞ」
です。
別に笑っていなくても、顔の筋肉を収縮させるコツ。
研究の成果がここにあります。
だれでもが一定のルールに従って行えば、同じ結果が期待されるマニュアル本は、
いまや、生活の中には欠かせないのかもしれません。

このマニュアル本。
「こころ」の部分にまで登場してきました。
それは、
会社や、学校に入るとき行われる就職試験、入学試験(推薦枠)での面接に関しての、
「成功の秘訣」が事細かに書いてある本が、当事者の間で人気です。
〜〜〜〜〜〜〜
「この会社(学校)をなぜ選んだのかね。」
「はい、御社の営業方針と将来性に、、、、」
「君の長所は何かね?」
「はい、粘り強いところと、健康なところです。」
、、、、、
〜〜〜〜〜〜〜
と、続きます。
ここで悩んではいけません。
その時点ですでにふるい落とされる事なのです。
「考え深い」なんて間違っても言ってはなりません。
「繊細な所」も同様です。
つまり、
企業が、あるいは学校が求める
「期待する人間像」に限りなく近くことが、勝利を得ることなのです。
マニュアル通りに、難なく受け答えする、答案用紙には解答する、、、、
これが、
ザ・受験生
なのです。

考えや、感情までもマニュアル化されていくその先にある物は何か?
答えは簡単です。
企業にとって、
考えることをやめた、安い労働力の確保です。
いつのまにか、人間はパック化、パッケージ化されていく中で、
人間性を失ってくるのでは、ないでしょうか???
自分の頭で考え、悩み、解決することがなくなる世の中が、
もしすぐそこに来ているとしたら、、、

しかし、
今ならまだ間に合うのです。
少なくとも、教育の現場では。
受験生を採点するにあたり、「心」の部分は採点の対象にしないとか、
あるいは、
科学教育の充実をはかり、基礎教育の見直しを行うとか、、、
これからの世の中を背負っていく学生、生徒、児童には、
「自分の頭で考える」ことを、しっかりと伝えていく教育が、待たれてなりません。

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ドーピングが意味することは、、、

今回のオリンピックでも、またドーピング(禁止薬物使用)疑惑が次々と浮上しています。
男子ハンマー投げの金メダルをとったハンガリーのアヌシュ選手も、
その対象者の一人です。
結果いかんでは、日本の室伏選手が「金メダル」に、なるかどうかなので、
その行方に注目。
それにしても、後を絶たないドーピング。
スポーツ選手としてあるまじき行為と、批判、批難することは簡単ですが、
この背景には、
「金メダルありき」という期待や重圧があるのでしょうか???
先日も、銀メダルを取った選手のインタビューを聞いていて、
「金がとれなくて、すみませんでした。」
と、謝る人がいました。
「そ、そんな謝らなくても、、、
あなたは、すばらしいプレーをして、私たちに夢を与えてくれたのに、、、」と、私は思ったのですが、
やはり本人にしたら、別のいろんな思いがあったのでしょうか???
かくいう私も、
今回のオリンピックでの日本選手のメダルラッシュには、胸ときめかせ、
毎日が楽しみでした。
しかし、前半の勢いからちょっとダウンした後半のメダルの数に、ちょっぴりガッカリ。
こんな私の気持ちが、
多くの国民の気持ちとしてパワーになったら、
やはり選手は、相当のプレッシャーでしょうねぇ。
祭典として、
参加することに意義があるとしていた頃、
純粋にスポーツを楽しむということが,中心だったのでしょうか。
やはり、勝つことに意義があったのでしょか。
勝つということに、重点が置かれていったのは、
いったい、いつ頃からなのかなぁ???
確かに、
技を競い、
「より高く、より早く、より強く」と選手たちの日々の鍛錬の結実がメダルだから、
それに拘るのも当然といえば当然。
しかも、その名誉が、後の人生までも決めるとあらば、
やはり「勝ち」に執着。
勝つためなら、メダルを取るためなら、なんでもすることになるのでしょうが、
その行き着く先は、やはり不幸しかまっていない。
選手生命もさることながら、
体だって蝕まれていくのだから。
また、気持ちだって、犯されていくだろうと考えるなら、
安易に、「その場」だけの勝利を得る、
という短期の見方でなく、
長い目で、スポーツ選手というものを、見つめ、見守らなければならないと、私は思います。
メダル選手だけが、花形でなく、
それを支えている地道な部分にもしっかりと、
国が、保障していくことも必要では、と思うのです。
ドーピング疑惑は、
公正なスポーツ精神に反するとともに、
今後のスポーツと国家とを考えるにあたっても
かなり衝撃的な事件であり、
しっかりと考えていかなければならないと思いました。

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2004.08.27

都・教育委員の米長邦雄さんってどんな人?

昨日26日、東京都教育委員会は、
来年度開設する、中高一貫校の教科書に、
扶桑社の歴史教科書を採用することを決めました。
この教科書は、
「新しい歴史教科書を作る会」が編纂しているものです。
いろいろ物議を醸し、賛否両論のある教科書です。
作る会側の言い分では、
「戦後の自虐史観に基づいた今までの教科書ではなくて、
日本人の誇りを教えていく教科書」ということです。
一方、反対側の言い分は、
「侵略戦争、植民地政策など日本が先の戦争で行ったことを美化して伝え、
ゆくゆくは、戦争への道を切り開く」と危惧しています。

私が住んでいた市でも、
この歴史教科書を、新設の中高一貫校に採択する動きが、昨年ありました。
そこで、マスコミでも大きく取り上げられたので、私たち母親が、自主的に集まりました。
今、話題の教科書がどんなものかと。
実際にこの教科書で、歴史を学んだり、
あるいは、教師用の指導要領を読んだりしました。
集まった人たちの一様な感想は、
「こわい」
「自分が習った歴史と違う」
「これを子どもたちが学ぶのか」
と、いうものでした。
何がコワイかというと、
教師用の指導要項に書いてある内容が怖かったのです。
「先の戦争は正しかった、というように子どもたちに思わせるまで、
徹底的に指導する、、、、」
と、言うところが、怖かったのです。
先の戦争についての考えは、いろいろあると思うのです。
侵略戦争は間違いであった、という人もいれば、
イヤ、そうせざるおえなかった、という人もいると思います。
どんなことでも、立場の違いによって、いろんな意見があると思います。
過去の歴史を学ぶと言うことは、
「時代が、求めている必然の中で起きた事実から、
その失敗や罪を学び、次代に活かすこと」だと私は思うのです。
だから、先の戦争についても、
それを、懐古する人がいても、それはそれでいいのですが、
ただ、
学校で教える教科書、しかも歴史を教える教科書となると、
ひたすら事実のみを教えるべきではないかと思うのです。
そういう意味で、
子どもたちの考えまで誘導するような指導要項が怖かったのです。
解釈も必要ですが、まずは、歴史の事実を教えてほしいのです。
それに関しては、
なにも、扶桑社の教科書に限らず、すべての教科書に言えることですが、、、

さて、それはそれとして、
昨日、東京都で採択された教科書の委員会のメンバーの一人が、
将棋の米長邦雄さんでした。
私は、東京に住んでいないので、今までよく知らなかったのですが、
米長さんの発言録をネットで調べて、私はすごくショック。
なぜなら、私はこの人のファンだったのだから、、、
この人の将棋スタイルも好きだったし、
著書もオモシロくて、
この人の本から、かなり力をもらっていました。
「運」を味方にするために、どうするか、など、
いろいろ参考になったのです。
また、今も、後進の指導をしている姿は、なかなか「いけている人」だと思っていたのに、、、
いつから、こんな人になったのだろうか???
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◆ 女がわがままになった。女性の教育をしなおすべき。
◆ 父兄会に戻して、お母さんを締め出すのいい。学校に口を出させない。
◆ 父は憲法、母は法律。母親は一歩下がって、父親を立てないと。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
オイオイ、米長さん。そりゃないでしょう。
現実に学校教育に関われる時間は母親が圧倒的に多いのです。
また子どもとの関わっている時間も、実際は母親の方が、多い。
そうすると、子どもの声、悩みを掬い上げるPTAでは、母親のきめ細かい意見も必要です。
それを全部締め出したら、結局、学校側の言い分だけがとおっていくPTA,つまりTだけになると思うのですが、、、

「母親は一歩下がって、父親を立てる」というのもおかしい。
お互いが人間としての尊敬、敬意を持たないと、と私は考えますが、、、
大体、あなたが一番好きだったのは「運命の女神」だったのでは???

〜〜〜〜〜〜
◆ 将棋の先生を尊敬しようというのが、教育基本法の改正
〜〜〜〜〜〜
ここまでくると、ギャグでしょうか????

〜〜〜〜〜〜〜
◆ リストラされた人が先生と交代したらいい。学校は民営化したらいい。
〜〜〜〜〜〜〜〜
教育が民営化されたら、
もう営利しか求めなくなります。
つまり、もうからない物は切り捨てる、
優秀な物しか残らない
、、、、、、
しかし、
すぐに結果がでない基礎教育こそが、
人を作るものです。
性急であるということは、教育にはそぐわない。

まぁ、まだまだいろいろ発言しているわけですが、
私の感想。
「どうしたんだろう?米長さん。」
ってことです。
これが、米長さんの本音としたら、
とても残念です。
お気に入りの棋士だったのに、、、

なんだか、
なんだか、
この国はどうなるんだろう???
と、心配ばかりの今日この頃の私です。

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2004.08.26

親の責任って、ナーニ?

8月25日、東京都内で、「全国教育問題協議会」主催のシンポジウムが開かれました。
自民党、公明党、民主党の国会議員が出席。
その場で、「教育基本法」改正の発言をしました。
自民党議員は、
「今の子どもは鍛錬する機会がない。占領軍関与で作られた憲法や、教育基本法のために、学力低下、学級崩壊、教員の質低下、また教科書の偏向がある。」と発言。
民主党の議員は、
「子どもが自信がないのは、教育で誇りを教えないからだ。
愛国心を明記すべきだ。」と発言。
公明党の議員は、
「親の責任を基本法にいれるべき。」と主張。

うううう〜〜〜〜んんん。
なんと書いていいのか、しばらくは頭が回りませんでした。
占領軍関与の教育、
(オイオイ、その占領軍にシッポふってんのは、ダレダ???)
愛国心、
(愛すべき国を今、占領軍の意のままにしているのはダレダ????)
親の責任,
親の責任って、何でしょうか?
明記すべき、親の責任とは????
(それより、あなたちの親の顔を先に見せてくれ〜〜〜〜〜)
、、、、、、
うううううう〜〜〜〜〜んんん。
もうすこし考えさせてください。
こんな大きな問題、ちょっとすぐには書けない。
とくに
親の責任って言葉。
親の力って、弱い。
親は、今、へぇへぇ言いながら生きている。
誰だって、よりよく生きたいし、よりよく子どもを育てたい。
社会が放棄している責任を全部、おっかぶらなきゃならない親たち。
つらいねぇ〜〜〜〜
厳しい。
つめたいねぇ〜〜〜〜今の政治は。 


25日に行われたシンポジウムの内容報告を書きながら怒り心頭の私、、、

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2004.08.25

君子危うきに近寄らず

論語に出てくる言葉で、
「君子、すなわち徳のある人は、はじめから危険な所には近づかない」
という意味です。

今日、愛のまぜご飯
で、heteheeteさんが、自転車の無灯火の危険について、呼びかけていらっしゃいました。
そのエントリーを拝見しながら、
「本当にそうだ、、、」と、同意。
自転車の無灯火、
二人乗り、
本当に危ない。
本人は、「自分は大丈夫」と思っているのでしょうが、
クルマを運転しているドライバーにとっては、はなはだ迷惑。
なにかあったら、悪いのはドライバーになるのです。

我が子が、保育所に行っている時、
その送り迎えは、なるべく歩いて、手をつないで、、、と思っていたのです。
が、
朝の忙しい時間、何かと走り回っているうちに、
つい遅くなって、時間が迫ってきます。
「あっ〜〜〜〜イケナイ。」と思いつつ、
自転車の後ろに乗せて、保育所に連れていった記憶が蘇りました。
保育所だから、働いているお母さんばかり。
朝の時間に追われて、あっちでも、こっちでも、
自転車に我が子を乗せた大急ぎの母親が、やってきます。
足がペダルに巻き込まれないように、小さな短い足を思い切り、開いて、
うしろの荷台に乗っている子ども。
その我が子を、ヒョイと抱えて、小走りに教室に連れていき、
保育士の先生に子どもを手渡します。
そして、来たときよりも大急ぎで、自転車に乗って職場へと急ぐお母さんたち。
みんな、自転車の二人乗りがいい、なんて思っていないけれど、ついやってしまう。

自転車の無灯火、
悪いとはわかっているけれど、太陽のまぶしい昼に、
「自転車の電灯」を修理することを、つい忘れてしまう。

子どものシートベルト。
電車内の携帯電話。
、、、、、

とにかく、とにかく、
悪いと、分かっているけれど、
自分は大丈夫と思って、ついやってしまう小さな罪。

そして、この感覚の延長に、
「自分は大丈夫」と思って、やってしまったことの結果、
大惨事が起きた事件が、この頃後を経たないような気がします。
医療ミスもそうでしょう。
トンネル内、タイヤ修理もそう。
それから、原発事故も、モチロンそうです。
三菱自動車も、、、
、、、、、、、
こうした大きな罪が待っているのです。
とにかく、
いろんな事故の原因を探ると、
その心理的な部分では、
「自分は大丈夫、これくらいどぉ〜〜てことない。」
と、いうものが多いような気がします。

しかし、
なにも自分は特別ではない。
いつだって、どこだって、
自分も巻き込まれる可能性はあるわけです。
「君子、危うきに近寄らない」ようにしていても、
向こうから、危険がやってくることも一杯あります。
なにしろ、
空から飛行機や、ヘリコプターが落ちてくるのだから、、、
そんな時は、もうどうしようもない。
「杞憂」では、すまされない現実の出来事が、
堂々と(?)
行われているのだから、、、、
こうした危険については、ではどのように対応するか???
それは、もう政府に考えてもらうしかない。
個人のレベルを超えている危険。
しかも予想される危険。
何回も過去に起きている危険を、
放置している政府、
こんな政府こそが、
君子が危うくて近寄れないものなのか、、、なぁんて思っている私です。

今日、小泉首相は、
沖縄県知事と、今回の「米軍ヘリ墜落事件」のことで、会談するそうです。
果たして、どんな結論がでることか、注目。
ところで、余談ながら、
小泉さんの君子感、がメールマガジンに掲載されていました。
「君子は和して、同ぜず」
だそうです。

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夏休み自由研究

夏休みも、あと一週間。
子どもたちは、そろそろ宿題に追われている頃でしょうか?
毎年のことながら、
「どうして、もっと早くやらなかったのか?」と、ため息つきながら、
我と我が身を呪っているのではないでしょうか???
仕方がないので、図書館や書店に行って、タネ本探し。
探してみれば、あるある、山ほど。
しかも「自由研究パッケージ」商品まで。
材料が全て揃っていて、マニュアル通りに、実験なるものをやって、
もっとスゴイことには、まとめ方まで丁寧に書いてある。
つまり、子どもたちは、ひたすら写せばいいだけです。
以前、調べもの学習について、書いたことがありますが、
夏休み自由研究は、まさにその延長にあるのが実態です。
とにかく、写す、
それも美しく写す、
そこに、「他人との差」を付ける、
と、いうことでしょうか???

そもそも「夏休み自由研究」ってなんなのだろう?
と、疑問を持つ私。
こんな私は、
本屋の自由研究コーナーで、本を漁っている親子の勢いには、
吹き飛ばされるわけですが、、、

しかし、
ここで、もう一回、考えてみたいと思います。
「自由研究」とは何か?

自由研究が、夏休みの課題の中に取り込まれていったのは、
かなり以前だと思います。
はじめの頃は、文字どおり自由でした。
やる子、やらない子、
どっちでも良かったのです。
子どもたちの、取り組んでいる研究とやらも、
工作と変わらない物や、
理科では、おもに観察、標本作りなどでした。
それが、
いつのまにか、だんだん「派手」になってきて、
高度になってきました。
なぜなら、自由研究発表会や、審査会などがあって、
学校側が、子どもたちの自由研究に優劣を付け出したからです。
すると、子どもだけでなく親が口を挟むようになり、親が出てきたからには、
そこに目をつける企業も出てきて、
自由研究は、今や、恰好の金儲けになってきたわけです。
大人が、与えれば与えるほど、
子どもたちの、知恵と感性はすり蹴らされて来て、
結局、出来上がった自由研究は、
みんな同じ内容。
こんなことで、子どもたちが、
達成感や、満足感、さらにその後に続く科学の目が、芽生えるはずはないと思うのは私一人でしょうか?

科学、ならびに研究という物は、
一朝一夕に、出来るものではありません。
日々の地道な積み重ねの中で、
やっとこ生み出される、しかも生み出されれば「御の字」で、
実際は、目の出ないことが多い。
失敗もまた科学なのです。
その失敗から、何を考えて、次に活かしていくか、を
教えていくことこそが、大切なのではないでしょうか?
マニュアルが与えられ、その通りに行えば結果がでるような自由研究。
そして、それを良しとする学校。
現状の、夏休み自由研究は絶対におかしい!!!
と、私は思います。

では、では、
何をどの様にしたらいいか????
私は、次のようなアドバイスを、子どもたちに贈りたいと思います。
「簡単なこと、単純なことをやりなさい。」
「できるだけ、家にある材料を使いなさい。」
と、
幼い頃に疑問に思ったこと、
大人が「当たり前」と思って、流しているような疑問を、
もう一回、思い出して、それを調べたら良い、とアドバイスします。
たとえば、
「地球はなぜ青い」
「子どもは、どうしてうまれるの」
「空に雲が浮かんでいるのは、どうして」
「植物は、何を食べているの」
とかとか、、、
そんな単純な疑問を、もう一度、丁寧に考え、調べてみると、
「自分だけの自由研究」ができると思います。
本で調べるときも、結論を丸写ししない。
まず、その疑問を、思った「自分」というものを全面に出していく。
〜〜〜〜〜〜〜
「私は、空になぜ雲が浮かんでいるか不思議でした。
そこで、本で調べたら、
雲は、水の塊だとわかりました。
そこで、天気と、雲の形について、考えました。
、、、、、、、、、、」
〜〜〜〜〜〜〜
「自分の言葉」で書くことが、
何よりも大切です。
結論は、大人の方が知っているのだから、
「動機、きっかけ」を丁寧に考えて、書いていくと、
そこから、
何か違う物が見えてくると、思います。
また、お金は使わない。
あるもので、工夫しながら行うことも、大切です。
そして、
それこそが、
自由研究では、、、、
と、私は思いますが。

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2004.08.24

日本人観光客向けツアー

先日、行った香港での観光ツアーについて、
私の感想は、
「お土産屋ばかり連れていかれた、、、」
と、いうものでした。
私は、どちらかというと、買い物にはあまり興味がなくて、観光スポットに行きたかったので、
日本の旅行社で申し込んだときは、
「乗り物ツアー」というオプションをつけたのですが、
実際、行ってみて、これがどんなに甘い見通しだったかと、
イヤというほど思い知らされました。
日本人向けの観光ツアーに参加したのは、初めてだったので、
なかなか新鮮な体験をしたようにも思いますが、、、
さて、バスの中での現地ガイドの話を中心に、いつものように会話で書いてみようと思いますので、
よろしければお付き合いください。
〜〜〜〜〜〜〜〜
「おはようございます。私は、Gと言います。
今日は、皆さんの香港の乗り物ツアーを案内させていただきます。」
と、Gさんは、たどたどしい日本語で挨拶。
「今は、朝の9時なので、香港のヒト、出勤時間。だから混んでいますが、
まず、船に乗って、ドウラワンの方に行きます。
それから、そこで電車に乗ってもらって、次にバスでウ”ィクトリア・ピークに行きます。」
と、説明。
私たち、日本人31人は、言われたとおり、船、電車を乗り継いで、バスでウ”ィクトリア・パークに向かいます。
「ここは、香港で一番きれいなところです。
香港のヒト、金持ち少ない。月給15万円くらいで、アパート代が、すごく古くても12万円くらい。20階建てでもエレベータのないアパートが多い。みんな、働いた後、夜もアルバイトしている、、、、」
と、Gさんは、香港の事情を話します。バスは、山道を走り、下には香港の町並みが霧の中に見えてきて、なかなか情緒がありました。
「ここでは、時間がないので、15分で観光してください。次にトラムに乗って、下に行き、屋根なし二階建てバスに乗って、ランドマークに行きます。」
と、ガイドのGさんが言います。
私たちは遅れては大変と、大慌てで写真を取ります。
その頃から、もう一人のガイドのTさんが、私たちの写真を撮りはじめました。
「はい、チーズ。」
と、言って。
大慌てで、乗り物をついで、ランドマークに来たのが、11時頃。
ご存じのように、ここは高給ブランド品の大御所のようなショッピングセンター。
ブランド品には、一向に興味のない私は、トイレを探したり、ボッーとしたりして、
次の集合時間まで、時間を過ごすだけ。
お腹がすいてきた、、、次は昼食で、解散かな、と思いきや、
それは甘い予想だったと、分かりました。
バスに乗ると、
「みなさん、如何でしたか?安く良い物が買えましたか?
ところで、皆さんのために、私が香港土産のお勧め品をいくつか用意しました。
まず、お茶です。次にパームクリーム、そして、、、」
と言いながら、品物が回ってきて、注文を取ります。
「みなさん、次に行くのは、宝石の工場です。
香港は、良い物が安く手に入ります。
しかし、偽物も多いので、私が本物の安心できる工場にお連れします。」
と、言って、私たちは、宝石工場、ならびに販売店(こっちの方が主でした。)に連れて行かれます。
私たちが入っていくと、お店の人が、客の数以上にパッーと集まってきて、私たちを取り囲みます。
「ヤ・ス・イ」
と日本語で、言いながら着いてくるのです。
ウットオシイ〜〜〜〜
時間は、もう12時。
おなかがすいた、、、早く昼御飯食べたい〜〜〜
やっと、宝石店を出て、いよいよ昼食かと、期待した私の願いは、またもや打ち砕かれます。
「みなさん、良い物、買えましたか???
次は、絹製品の販売店に行きます。」
えええ=====
またかよぉおおおお。
このツアーって、「乗り物ツアーじゃなかったっけ???」
そして、私たちは、絹のお店に連れていかれ、
店員の、日本語での口上を聞かされ、
揚げ句に買わされ、、、、
と、なりました。
そして、次は香港返還記念会場に行きます。
ここでも、Tさんは、写真をパチリパチリ。
「はい、チーズ。」

やっと、やっと、
「みなさん、ではいよいよ昼御飯です、、、、」
と、言って連れていかれたお店は、大衆食堂。もう1時過ぎ。
ツアー客が一杯いたから、多分ツアー客用のお店でしょう。
やっと、おしまいか、、、と期待しながら時間を見たら2時。
このツアーは確か、約6時間だったから、もうオシマイか。
それは、やはり甘かった。バスに乗ると、
「これから、お寺に行って、次に漢方薬のお店に行きます。」
と、言うガイド。
ええええ〜〜〜
そうこうしているうちに、午前中、写真を取りまくっていたTさんが、
写した写真を装丁して、私たちに売り出します。
一枚1000円(日本円)。
オイオイ、原価は100円くらいだろう、、、
しかし、自分の写っているものだから、買わされてしまう。
もう、、、やめて!!!
その後は、
お寺に行って、次に漢方薬の店に連れていかれ、
またもや、口上を聞かされた揚げ句、店員が、
一人ひとりに、
「悪いところはないか、、、」
と聞く。
お〜〜〜い。いい加減にしろ。
この頃になると、もうクタクタ。
はやく帰りたいよぉおおお。
もう、3時。
やっと、バスに乗ると、今度は、
絵はがきとキーホルダーを買えと言う。
もう誰も買わない。(あたり前だぁ〜〜〜)
「みなさん、次に免税店に行きます。
ここで解散です。」
えっううう?????
後は、自分で勝手に帰れってことかよぉおおおおお。
まぁ、いいや。
早くここから逃げ出したいよ〜〜〜〜
と、いうわけで、
やっと解放されたのが、4時過ぎ。
自力でホテルに帰ってから、
疲れがドッ〜〜〜〜。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今まで、海外旅行では、現地人ツアーに参加していたので、
こうした「お土産屋さん」をひたすら連れていくツアーは初めてでした。
これは、
日本人がお土産を買うことが好きだからなのか、
日本人だとお金を落とすと思われているからなのか????
いずれにしても、
一回限りの経験で「もう、十分」と思った私でした。

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2004.08.23

時代を駆け抜けた男たち

昨日、日曜日、NHK大河ドラマ33話は、「友の死」。
山南敬助の切腹でした。
大河ドラマの予告で、
「もう、あの笑顔は見られない」
と、大きく書かれて、
山南敬助の笑顔がバ〜〜〜ンとテレビに映し出されていました。
とうとう、この日が来た、、、、
覚悟はしていたが。
と、いう心境で、昨日は大河ドラマを見始めたのですが、
が、
が、
案に相違して、物語は淡々と進みます。
山南さんという一人の人間に関わる多くの人たちの、
縦糸、横糸の関係が、淡々と織りこまれ、
全体に、
山南さん、その人の持つソフトでしなやかで、艶やかな、
そう、まるで上質の絹の肌触りのようなドラマが紡ぎとられていました。
45分間、全部のシーンが、細かに繊細に、無駄なく描かれていたように思います。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
山南さんと恋人(?)の明里との会話。
お花畑のまろやかな日の光に浮き出される二人。
団子屋さんの他愛のない会話にさえ、涙が出てきます。
「必ず、迎えに行く、待っていなさい。」
と、静かに微笑みながら明里を諭して、抱き締めながら、
明里の髪の乱れを掬い上げる山南さん。

場面は変わって、
壬生に帰り、新撰組に戻ってからの近藤勇との最後の会話。
「京に来て二年。時代の移り変わりは、自分の思いと遠くなった。」
と、いう山南さんに対して、
「それがわからなかった自分を羞じいる。」
という近藤。
「それを聞いただけで本望」という山南。
何も言わず障子を開け、後ろ向きに座る近藤。
それを見て、いつもの笑いで、障子を閉める山南。
それから、それから、
それから、
土方をはじめ、全ての隊士が、それぞれの立場で、
それぞれの思いで、
なんとか山南を逃がそうとする。
逃げて欲しいと、願う。
しかし、
そんな思いの全てを承知しながら、山南さんは、いつもの静かな笑いで、
自らの死を受け入れていく。
テレビを見ている私は涙ポロポロ、、、、止まらない。

そして、切腹の前の夜。
恋人の明里が、もう一度やってくる。
手に菜の花を持って、、、
「必ず、迎えにいくから、待っているように。」
と、固く約束をして、共にその運命を受け入れていく二人。
知らないふりをしながら、全てを知っている明里のよろよろと歩いていく後ろ姿が、あまりに切ない。

ついに最後の、その時が来た。
切腹のシーンは、すごい迫力。
あああ、、、
本当に、
ほんとうに
山南さんが死ぬ。
時間よ、止まって!!!!!

そして、
全ては終わった。
山南さんは死んだ。享年33歳。
若い。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

もう、あの笑顔は見ることは出来ないのです。
山南さんも、時代の波にのまれ、そして消えたのです。
この喪失感は、新撰組隊士と共有できるような気がします。
山南敬助という最後の武士階級の男。
理想を掲げ、時代を生きようとし、
これでいいのか、と悩み、
そして、激しく動く時代を駆け抜けていった
一人の男。
NHK大河ドラマ「新撰組」が、歴史の真実を伝えているか、どうかは別として、
今、この堺雅人さん演じる山南さんが、新しいのはなぜか???
そして、山南さんにこんなにも感情移入できるのはどうしてか???
どんな時代でも、いつの時代でも、
「時代は動いている。」
しかも個人の思惑とは別のところで、ダイナミックに劇場のように動いているわけです。
その流れの中で、私たちは、
自分が、どこにいて、どこに流れようとしているか、
俯瞰的に知りたいと、たえず思っているわけです。
冷静に、しかし熱く、
ゆっくりと、しかし速く、
歴史に関わりたい、知りたいと願っているのです。
そんな姿が、
堺・山南にピッタリ重なってくるのではないでしょうか???
「全てを良し」としながら、さらに高い所を見ているあの山南さんの笑顔こそが、
私たちが、理想とする姿なのではないでしょうか?
しかし、
現代に生きている私たちは、
山南さんの道は歩まない。
時代の行く末は、自分の目で見ていく。
見ていかなければならない、そんな時代に私たちは生きているのではないでしょうか。

いろんなことを考えさせられた、昨日の新撰組でした。

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2004.08.22

香港旅行

お盆明けの18日から、
香港へ観光に行きました。
この旅行の感想は一言。
スゴカッタ!!!
です。
何がスゴイかと言うと、
香港のパワー、エネルギーでしょうか、、、
私は、アジアの国は、あまり知らなかったのですが、
今回の旅行で、アジアの潜在、顕在の力を見てきたような気がします。
〜〜〜〜〜〜〜〜
一日目。
関空から出発。およそ3時間半。
入国諸手続をすませて、ホテルに行くため、二階建てバスに乗る。
天気は曇り。湿度は高くてムシムシ。
バスから見る光景は、遠く霧の向こうに高層ビルが林立。
漢字がオモシロくて、右を見たり左を見たり、、、
30分くらい走ると、バスはいよいよチムシャツォイの繁華街に入ってくる。
狭い道を大型のバスとタクシーがひしめきながら走る。
その合間を人間がウヨウヨと流れる。
思ったより自転車は少ない。
工事中の看板があっちこっちにあり、そこで働いている人が一杯溢れている。
上を見れば、映画によく出てくる大きな看板がウ〜〜〜ンと向こうの通りまで続いている。
漢字がオモシロくて、時間の経つのも忘れてしまう。
通りには、大きな店、小さな店。
きれいな店にキタナイ店。
アパートなどが、空の上の方まで伸びて立っている。
町中がガヤガヤ、ガヤガヤ、、、
圧倒されそう。
「おもちゃ箱をひっくりかえした町」と言われるが、
そんな生易しいものではない。
せまい道を、いろんな色の大型バス、タクシーが走り、
せまい通りを、いろんな国のいろんな肌の色の人が、いろんな格好で歩く。
店は林立。グチャグチャ。
エネルギーだけが発散。
す、すごい。
ついに、ホテルに着いてチェックイン。
夜は、「地球の歩き方」に載っている店を探して、夕飯を食べる。
これって、本当に大丈夫?って感じのビルの二階のレストラン。
外の見かけとは裏腹に、お客は一杯。
味も、とてもオイシイ!!!
食事を済ませて、外に出ると、
もう、夜の香港。
大きな看板にはネオンが光り、
町行く人の数も、昼の倍になり、
呼び込みの客引きの数も増え、時間と共に、猥雑さは増すばかり。

二日目。
曇り。湿度は高くて、今にも泣きそうな空。
日本人相手のツアーに参加。
これは、ものすごく???って感じのツアー。
(内容は別枠で書きます。)
ホトホト疲れて、夕方5時頃、ホテルに到着。
夕飯は、軽くすますつもりで屋台を探しに行く。
道を間違えて、市場に迷い込むが、ここは異様な世界だった。
市場にも拘わらず、シ〜〜〜ンとしていて、
かごにニワトリが一杯いて、
売っている人も、ジロリと睨だけ。
慌てて、Uターン。
あこは、なんだったのか???と言いながら、
安い店を探して、夕飯を軽くすます。
帰りは、昨日と同じように人をかき分け、かきわけてホテルに着く。
人の肌と息使いにクラクラ。
パワー全開の町。
まさに、
ザ・ホンコン。

三日目。
曇り、湿度はやはり高い。
朝御飯は、ファーストフードの店ですませる。
ラーメンを注文したら、なんと出てきたのは「出前一丁」
香港では、出前一丁は、大人気、あっちでも、こっちでも出前一丁。
この日は、予定がないので、お店をブラブラ。
町のはずれにある灯台を見たり、、、
夕飯は、地下鉄にのって、向こう側の高層ビル地帯に行って、
安い店を探しながら、中国風鍋料理を食べる。
夜景がきれいというホテルの上のラウンジから香港の夜景を見る。
夕方から降ってきた雨が、窓ガラスにあたり、流れる雨に夜景が揺れて映し出され、
とても雰囲気アリ。
帰りの地下鉄は、さらに人が増え、ギュツギュツ。
押され、引かれながら、人の波にのって、ホテルに到着。

四日目。
雨。
雨にぬれながら、
朝御飯の店探し。
地元の人が多いところを探して、入ったのが「粥」屋さん。
香港では粥は、こだわりの食べ物の一つなので、種類もたくさんあって、充実。
その後、
ひたすら、ひたすらホテルで、空港行きのバスを待つ。
やっと来た空港バスに乗り込んだ途端、大雨。
ザッ〜〜〜。バッァァア〜〜〜。ジャジャ〜〜〜。
と、大きな音を立てて雨は降り続く。
この雨のため、
帰りの飛行機は30分遅れて離陸。

そして、無事に関空に到着。
帰ってきた!!!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ふつう、香港といえば、
買い物とグルメを求めて行く日本人観光客が多いと思います。
確かに、「観光スポット」と言えるものは、あまりありません。
そこにあるのは、
人のエネルギーでした。
アジアの国は、
今、スゴイ力を持って、伸びていこうとしているのでしょうか、、、
いろんな国の人が、この町に、富と財と物を求めてやって来ている。
ダイナミックな町でした。

最初の感想に戻るなら、
スゴカッタ、
ただひたすら圧倒され、気がついたら、もうすごく楽しくて、
そこにしっかりと融けている私でした。


       

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2004.08.17

カジノが解禁されるの?

来年の通常国会に、「ゲーミング法案」の提出を目指して、
この秋、自民、公明、民主の各党議員を含めた超党派の議員連盟が発足する見通しです。
カジノ構想は、「構造改革特区」構想の中で、三重県や静岡県が名乗り出て、
昨年の3月には、東京、大阪、和歌山、静岡、宮崎の各都道府県知事が、連盟で
カジノ合法化を求める要望書を構造改革特区担当大臣に提出しています。
その後押しをしているのは、
大企業です。
つまり、
カジノを中心に、大規模なリゾート地を作ろうとしているのです。
サッカーくじの時も、そうでしたが、
ギャンブルを合法的に認めることは、
そこに利権を求めてくる「力」を肯定していくことです。
が、
が、
一般的な感覚からいって、
ギャンブルで、もうかるって事は、
その先に何があるのでしょうか???

青少年にとって、
娯楽、イベントは、楽しいものです。
あっ、と言う間に、お金と時間は使われ、消えていきます。
受動的に与えられる、娯楽を、無感覚で受け入れているうちに、
やがて、
人は本物を見失っていきます。
本物とは、
それを、生み出すために、
知恵と汗を流して、何回も失敗を繰り返し、
それでも、それでもこの世に生み出そうとする、
エネルギーと情熱のことです。
スポーツに、
音楽に、
映画に、
文学に、
芸術に、
具現化されてくるものです。
こうした、本物がどんどん駆逐されてきます。
「悪貨は、良貨を駆逐する」ように、
「ギャンブルは、本物の芸術を駆逐していく」のでは、ないでしょうか???
若者に、
進んで、奨励、指し示していくものを見失っているような、この国の政治家たち。
彼らが、今までやってきたこと、
やろうとしていることを見ると、考えると、
彼らは決して、この国が好きではないのではないでしょうか???
亡国の民ともまでは言いませんが、
青少年の健全な成長を考えていない事だけは確かです。
本当なら、
もっとするべきこと、作るべき法案は、いっぱいあるだろうに、、、
とにかく、私は、
カジノ法案には、絶対反対です。
一人の母として、
一人の国民として、、、
今後の行方に目を向けていきたいです。

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日本の海は、空は、 誰のもの?

8月13日、米海兵隊普天間基地(沖縄剣宜野湾市)に、隣接している、沖縄国際大学構内に、米軍の大型輸送ヘリが、墜落しました。
さいわい、人的な被害はありませんでした。
この事故に関して、米軍は、16日午前、沖縄県警や市消防の現場検証をさせないまま、
事故機の回収鉄橋作業を強行しました。
事故現場を封鎖したよりどころとされているのが、
日米地位協定
です。
これは、1960年に、日米が、相互協力および安全保障に基づいて、米軍が日本で利用する施設、区域についての協定です。
この中で、
施設、区域の提供、航空交通管理、通信、米兵の身分保障、税金などが書いてあります。
沖縄で悪名高き米軍によ少女暴行事件も、この協定を隠れ蓑にして、
当事者には厳罰が下されませんでした。
こうして、米兵はやり放題、したい放題。
しかし、我が国は、何も言えません。
なにしろ、アメリカに守ってもらっているのだから。
今回の事件でも、
外務省は、
「アメリカは、きっちり手順を踏んでいるから、別に異議は申し立てない」
そうです。
なにしろ、アメリカのすることは正しいのだから。

ところで、この地位協定、しっかり読むと、
コ・ワ・イ
なにが怖いって???
〜〜〜〜〜〜〜〜
合衆国は、施設及び区域内において、それらの設定、運営、警護及び管理のため必要なすべての措置を執ることができる。日本国政府は、施設及び区域の支持、警護及び管理のための合衆国軍隊の施設及び区域への出入の便を図るため、合衆国軍隊の要請があったときは、合同委員会を通ずる両政府間の協議の上で、それらの施設及び区域に隣接し又はそれらの近傍の土地、領水及び空間において、関係法令の範間内で必要な措置を執るものとする。合衆国も、また、合同委員会を通ずる両政府間の協議の上で前記の目的のため必要な措置を執ることができる。(第三条、第一項)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
つまり、米軍の基地、またその隣接地域は
アメリカの要請があった場合は、日本国政府は、
米軍の便宜を図るために、ただひたすら努力をしなさいよ、、、
と、いうことなのでしょうか???
日本の海や、空は誰の物なのでしょうか???
日本は、米軍基地の天下です。
まず、首都東京に隣接して、横田基地と厚木基地があるのです。
スゴイ拡大解釈すれば、
東京もアメリカに掌握されているのでしょうか???
ここで、思い出されるのは、
1977年、.横浜緑区での米軍機墜落事故です。
この事故では、幼い二人の子どもと、その母親が犠牲になりました。
次第に明らかになってきた事実は、
「救助にきた自衛隊員は、被災者よりも、米軍を助けて、
後は、何もしなかった、、、、、」
などなどでした。
結局、愛する家族を失った父親であり夫である椎葉さんが、
国と米兵を相手に裁判。
ついに勝訴したのですが、
この事故以外にも、米軍機墜落や、ニアミスは後をたちません。
しかし、
いつだって国は、
政府は、
被災者の方には顔をむけていません。
アメリカの方ばかりです。
なにしろ、
アメリカが日本を守ってくれているから、、、
なにしろ、
アメリカは正しくて、偉いのだから、、、

この国は、
一体誰を守っているのでしょうか?
この国が、
言う「国を愛せ」とは一体なんなのでしょうか????
アメリカの言いなりで、
自国にヘリが落とされても、手を加えたまま見ているだけで、
自国民が、他国で拉致されても、誘拐されても、
手をこまねいているだけで、揚げ句には、「自己責任」と言い放ち、
アメリカの言うことは、なんでも言いなりで、、、、
私たちが、愛さなければならない国とは、
こんな国なのでしょうか????

私は、日本人だから、日本が好きです。
日の丸が象徴する「過去」は嫌いですが、
日の丸そのものは、好きです。
素朴で、自然に祖国が好きです。
しかし、
こんな気持ちを、
「権力を持った国家」というものに利用されたくはない。
と、
先日の沖縄米軍ヘリ墜落事故その後を見て、改めて思いました。

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2004.08.13

山本ジャパンよ、どこまで行く?

今朝、アテネで行われた男子サッカー、残念ながらパラグアイに3−4で負けました。
私は、小野の前半PKから見始めたので、1−1からの攻防を見ていました。
夫や、ネットからの情報では、前半5分那須選手の判断ミスで、やすやすと相手に一点を取られたようですが、
そこは、見ていないので、何も書きません。
小野が、落ち着いてPKを決め、同点になったときは、
これで流れが変わるか、と期待。
しかし、相手は怒涛の攻撃で、すぐに追いつかれました。
そのあげくには、
オーバーエイジのGK、曽ヶ端選手のボール持ち好き(5秒以上)による、ペナルティエリア内のFK、などハラハラ、ドキドキ。
審判は、容赦なく笛を吹くので、日本のDFは体を張って止めなければならず、ついファールをとられがち。
なんとなく、みんな、ボールを持っても、落ち着かず、ポ〜〜〜ン。
すると、相手に取られ、すばやいパス回しで、ドンドンこっちに攻めこまれる、という感じの前半。
要の小野選手も消えている。
目立つのは、自信なげな那須選手と、「とにかくいきまっせトゥリーオ」、オロオロ徳永君。
信じていいのか、ちょっと不安な先輩曽ヶ端さん。
「ありゃ〜〜〜」と思っている間に更に相手に得点され、前半は1−3。
どんなふうに、後半立って直すかと期待してハーフタイムの貴重な15分間をまた仮眠(^^;
いよいよ、後半開始の笛がなり、おもむろに起き出して、はじめはまったりとした試合をボッ〜〜と見ていました。
那須選手は交代で、そのあと松井選手が入りました。
我が注目の浩司クンも、なかなかいい動きをしています。
後半は徳永君が、前に出て攻撃に参加。
キレた動きをしていて、魅せるものがありました。
パスがポヨヨ〜〜〜ンなので、これからの課題でしょうか???
後半は、選手の動きもよくなって、パスが繋がり、パスが、繋がると、相手のミスを呼び込みと、なかなかスムーズに、ボールは相手陣を脅かします。
そして、高松選手がPKを取り、小野伸二さんが、難なく決めて2−3。
おお〜〜〜、あと一点。あと一点。
アナウンサーと解説者も興奮。
「ここで、もう一点欲しいですね。」
「そうですね。すると同点になります。まだまだ試合は分かりません。
しかし、この時間帯は気を付けなければなりません。」と解説者。
その言葉とおり、相手もここで引きさがりはしない。
ツンツンとパスをとおして、こちらに攻め寄ってくる。
その間、山本監督は、
森崎浩司に代わり、田中達也を入れて攻めにかかってくる。
個人的には(?)の交代。
浩司は、きれていたのに。
代わった田中選手も消えてしまい、またまたマッタリ。
そのあげく、相手に一点取られて2−4。
ああああああ〜〜〜〜。
「イヤxxxxxxっぁ、イヤな時間帯に取られましたね。」とアナウンサー。
「だから、私が気を付けろ、と言っていたのに。言った通りになりましたね。」と解説者。
「(^^;」これは私の顔です。
しかし、ドラマは、あともう一回だけ私たちに用意されていました。
80分、田中達也のクロスを大久保がシュート。
美しい!!!
これは、美しかった。
3−4で、迎えた後半80分。
この勢いでゴーゴー。
何度も相手ゴールを突き破るか、、、と思いきや、
神の降臨は、山本ジャパンには訪れず、
残念ながら初戦を飾ることは出来ませんでした。
一方、イタリア・ガーナー戦は引き分けなので、
これからの試合に勝つことで、決勝リーグへの進出は可能なので、
諦めずに力いっぱい応援していきましょう。

先のアジアカップのジーコ監督と、山本監督。
対照的な戦術、采配。
ずっ〜〜〜と同じ選手を使い続けるジーコさんに、
いつまでも、試用期間のような使い方をする山本監督。
この二人を足して2で割ったら、ちょうどいい、、、なんてお気楽に考えている私の思惑をよそに、
すでに、本番は始まっている。
後は、あとはなんとか勝って!!!と、ギリシアに向けて念を送り続けます。
どこまで行く?ヤマモトジャパン。

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2004.08.12

先が見えない教育改正ーその2ー

昨日はここで、教育改正案が提出、公表された事に関して、内容を書きました。
今日は、「そもそも教育とは」について、教育基本法を中心に考えます。
教育基本法が、出来たのは、
1947年、3月です。
終戦間もない日本で、この国の立て直しを図るために、
憲法と共に、私たちの先輩の英知の集大成として作られました。
その目的の大なるところは、先の戦争の反省を踏まえ、
「国家が教育に再び介入しない」という大前提が作られました。
教育とは、人格の完成をめざし、平和な国家、および社会の形成者の育成である、としました。
そして、その目的達成のための、方針や教育の機会均等、義務教育などが、述べられています。
最後の第10条で、教育行政に関して、
教育とは、不当な支配に屈服せず、国民全体に直接責任を負って、必要な諸条件の整備確立をしなければならない、としたのです。
つまり、
ここに、教育は国家から切り離され、全く独自に学問、真理の追求と、
次代を担う子どもたちの育成に責任を負うことになりました。
行政は、その環境整備のみ責任を果たすという事に決められたのです。
「金は出すけれど、口は出すな。」
と、いうことです。
戦後出来た教育委員会は、公選制教育委員会を作り、
政治の世界からの相対的な自律を保障。
保護者、学校、地域が結びついた組織でした。
しかし、政府は、
中央集権的な教育行政の妨げになるとして、
1956年、これを廃止。
以来、教育委員は、首長が任命。政治権力=行政の実現、出先機関に変質していきました。
次第、しだいに
教育は、国に再び組み込まれていくことになったのです。
一方、1952年に文部大臣の諮問機関として作られた中央教育審議会(中教審)は、力をつけてきました。
「期待される人間像」「生きる力」「心の教育」など、時々の時代の先駆的役割を担ってきたのです。
そして、
国家は、「口は出すが、金は出さない」という政策を露骨に行うようになり、
教育費負担を地方に押しつけ(三位一体改革など)、
教員への管理を行い(教員養成大学院、免許見直しなど)
教育内容に口を挟み(愛国心、心のノートなど)
果ては、国立大学廃止(2004年4月)、等、ドンドン改悪していきます。
その根幹にある論理は、
「企業に役にたつ人材育成」です。極端に言えば、
国は、多くの優秀な人はいらないのです。
そこそこ出来る人が沢山、欲しいのです。
国と企業に役たつために。
そして、少しのエリートも、勿論必要です。
国際社会に貢献した日本の科学技術にたいしては、
それなりの評価はしているので、
その部分を担う優秀な人材も、ある程度獲得しなければならない。
そのために、ますます学校間格差を作り、
学力の二極化を図っていこうとしているのです。
(スーパーサイエンス校など)

では、なぜこんな単純な構図に、私たちは騙されるかと、いうと、
文科省は、
その理由を、時々の時事問題にぶつけてくるからです。
大学紛争に始まり、
ある時は、不登校を、
ある時は、いじめ、自殺を、
また、ある時は、学級崩壊を、
今なら、犯罪の低年齢化と少子化を。
さらに、学力低下論争も組み込まれていきます。
実は、本来ならこれらの問題は、行政の矛盾が生み出したのですが、
「子ども」という者は、社会的存在であると同時に、
「家庭、私的」な存在でもあるため、
親の気持ちは千差万別です。
予算の問題で考えるならば、
教職員の削減は、先生方への「仕事の負担」を多くすることにつながります。
また、教職員も管理される存在になり、その立場が、保障されなくなったり、、、
そこから、教育の質の低下も生み出します。
原因やら結果やらが入り乱れ、倒錯。
その合間を縫って、気がついたら、
「締め付け教育」がまかり通ってきたのです。
そして、
今年は、東京都の「日の丸・君が代」問題をはじめとして、
なりふり構わない方法で、心の教育をドンドン押しつけてきました。
昨日の書いた、「6・3制弾力化」なども、この延長にあります。
私たちは、
その背景に何があるのか、
未来に何が待っているのかを、しっかり見極めなければなりません。
その第一歩は、
再び、国が教育に介入することのないように、努力することでは、と私は思うのです。
教育とはなんぞ???
と、いう「そもそも論」を行政からも、予算からも解き放たれて、
議論、討論の俎上にのせることでしょうか。
性急な解決は、「人を育てること」にはなじまない。
文科省には
ゆっくりと、
しっかりと、保護者の声、現場の教職員の声、地域の声を聞き、
討論していくことを、期待したいものです。
また、私たちも、
その行く末をしっかり見守るために、
保護者同士や、先生方との連絡を蜜にして、
信頼関係を結んでいかなければならない気がします。

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2004.08.11

先が見えない教育改正

10日、文科省は「6・3制」変えられる義務教育改革案を正式発表しました。以下に要旨のみ書きます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
現行の義務教育「6・3制」に付いて改革案を提出。
 改革案は、小・中学校の区切り方を「4・3・2制」や「5・4制」に市町村が変更できるようにする。
▽教員の人事や1クラスの人数を決める学級編成の権限を市町村に移す。
▽教員免許に更新制を導入する。
理由について、河村文科相は政府の「三位一体改革」で義務教育費国庫負担制度の廃止が検討されていることに言及。「国が財源と義務教育を保障し、地方が財源を心配せずに教育に取り組めるようにする必要がある」と制度廃止の反対を改めて訴えた。
小泉首相は10日夕、報道陣に対して「多くの人の意見を聞かないと。早急に結論を出せない問題だ。とまどう人も多いから、よく議論を積み重ねる必要がある」と感想を述べた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さてさて、この問題、今後どのように展開していくのでしょうか???
この問題を考えるにあたり、まず若干言葉の説明を書きます。
ーーー
「三位一体改革」
地方税を充実し、補助金依存を抑制。一般財源に占める地方税の割合を着実に引き上げ、地方交付税への依存を下げる。地方交付税の不交付団体(市町村)の割合を大幅に高める。地方財政のプライマリーバランス(公債分を除いた歳入と歳出の収支)を黒字化し、地方財源不足を解消する。
ーーー
義務教育国庫負担制度
教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るため義務教育費国庫負担法及び公立養護学校整備特別保護法に基づき、都道府県が負担する公立義務諸学校(小・中学校・中等教育学校の前期課程及び盲・聾・養護学校の小・中等部)の教職員の給与費等について、その2分の1を国が負担する制度。
地方によって、義務教育の水準に格差がないようにとの観点から実施されている。

この改革案が出た背景は、
「国の教育費への負担削減」であることは明らかです。
すでに2002年に、小泉首相は、来年度予算(2003年)削減の目安の一つに、
「義務教育費削減」を位置付けていました。
教職員の削減、
学校図書の予算削減、
学校栄養職員、事務員の削減
などを、順次行ってきました。
そして、ついに、
今回の、「義務教育6・3制、地方にまかせる」という提示にまで至ったわけですが、
この案が提示された2004年7月に、
中教審の初等中等教育分科会教育行財政部会のもとに組織された教育条件整備に関する作業部会(主査・小川正人東京大学大学院教授)が、廃止の影響を試算しました。
(1)義務教育への国の責任放棄につながる
(2)義務教育の無償制の維持に支障が出る
(3)教職員の確保が困難になる
(4)義務教育水準に地域間格差が生じる
(5)義務教育水準が地方の財政状況の変動の影響を受け不安定化する
(6)地方財政を圧迫し財政の硬直化を招く——の六点をあげ、「義務教育費国庫負担制度の根幹は今後とも堅持していく必要がある」と結論づけています。
これは、予算削減という理由から出自するには、
あまりに社会的影響の大きな問題です。
地方によって、
教育の格差が違ってくることは必至です。
それでなくても、ドンドン教育が二極化されてくる中で、
ますます、教育が、国民から乖離していくものになるようです。
そして、さらに行き着く先が、
義務教育廃止にまでなりかねない、恐ろしいもののような気がします。
しっかりと、行く末を見守り、
教育を守る必要を感じています!!!

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2004.08.10

心と体

昔から言われている言葉。
「病は気から」。
全てがそうとは言えませんが、
私は、自分の「蕁麻疹騒動」では、
この言葉は、かなりあたっていたように思います。その1またその2で、書いたように、
突然の、発疹にビックリ。
(考えてみれば、以前は薬物の副作用、チャドクガのかぶれ、などはあったのですが、、、)
慌てて、医者に行き、
血液検査や、薬をもらったりしたのですが、
一向にひかない発疹に、ますますイライラ。
しかし、思い出した「東洋医学」の本から、
「悪いもの、出すものは全部出す」
と、いう事を知って、なんだかホッ。
体中に出ている発疹は、
体内の老廃物が出ているんだ〜〜〜と、思ったら
「もっと、もっと出ておいで。全部出ておいで」
なんて感じになる単純な私。
早速、薬はやめて、痒いときは掻いて、お酒も飲んで、、、
と、元の生活に戻った私。
おかげさまで、
昨日は、随分消えました。
ただし、両方の眼瞼に出ていて、ショック!!!腕や足は気にならないが、
顔は、もうすごく気になる。
夫に、
「ねぇ、見て、みて、この顔。
変でしょう???どうしよう」
と、叫ぶと夫が一言。
「そう?いつもと変わらないよ」
「(^^;」

と、まぁそんなわけで、一連の蕁麻疹は終息に向かったのですが、
自分で、今回の原因を考えると
ズバリ
ストレス
です。

では、そんな蕁麻疹がでるくらいストレスがあったのか?
と、聞かれたら、はたと困るくらい何もないのです。
我が家の子どもは、
私のお気楽な(?)性格を、いつも羨ましがっています。
実際、私も自分では楽天的、と思っていたのです。
しかし、
人は知らない間に、ストレスを抱え込むものなのでしょうね。
ほんのちょっとしたことの積み重ね。
自分では、うまく処理せずに、心のどこかに置き去りにした問題の蓄積。
そんなこんなが、
パァッーーと、体を通して外に出てくれたのかな、と思っています。
そういう意味では、
蕁麻疹をとおして、
隠れていた「自分」をもう一度、見直す機会にもなりました。

また、日々の生活についてもちょっと考える機会にもなったのです。
東洋医学的には、「冷え」は大敵。
いろいろ自分の生活をチェックすると、
危険信号がいっぱいつきました。
(おもいっきりテレビばかりじゃなく、東洋医学も取り入れよう、とすぐに決意する単純な私)
夏でも靴下をはく、
食べ物は、なるべく「陽」のものを食べる。
食べ過ぎない、飲みすぎない。
、、、、、
そういう生活の見直しも出来たような気がします。

そして何よりも、
「気」を楽にする、
ということを、もう一回改めて考えました。
考える中でわかったことは、
私の最大のストレスは、実は、
「目に見えない不安」だったのです。
「病気になったら、どうしよう」
「あっ、めまいがする」
「頭が痛い」
と、いうと、「なんか病気かな???」って気にしていたのです。
夫にはよく「病気になりたいの?」と言われるくらい、気になっていたのです。
新しい環境に慣れきっていないため、
いろんなことが、まだ対応しきれていない体に、追い打ちをかけるように、
気持ちが落ち込んでたのです。
自分で、自分の作った不安に絡め捉えられていたようです。
ところが、
今回の蕁麻疹でバッ〜〜〜と、体の老廃物が出てくると、
なんだか安心して、
「体ってうまくできている」と思った途端、
蕁麻疹がイヤにならなくなりました。
苦にならなくなったからか、
気が付いたら、きれいに消えていたのです。

そいうわけで、
つくづく
「病は気から」
と、思っている私。
病が気からなら、健康も気から、というのは当然の理です。
今までの私は、こうした場合、また頑張って、
健康は気、というスローガンのもとに、
「鏡よ、かがみ。この世で一番美しい、あっ違った、健康なのは誰?」
「それは、あなたです」
と、一人でやっているのですが、
今日からは、それもやめました。
「こだわらない」ことにしたのです。
病気になったらなる、健康なら健康。
どっちでもいい。
「冷え」と「食べ過ぎ、飲みすぎ」だけは気を付けようと。

しかし、
心と体はオモシロイ!!!
と、新たに感動しています。
こうしたことは、
人生のその局面、局面で試されることでもあるのでしょうね。
「ふかい」
ものです。
まだまだ、学ぶことばかり。

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2004.08.08

ああ〜〜〜栄冠は君に輝く

昨日(8/7)は、サッカーアジアカップの対中国戦がありました、
3−1で、日本が優勝。
おめでとう!!!
選手の皆さん。
監督をはじめ、スタッフの皆さん。
本当におめでとうございます。
体をはって(?)現地に応援に行かれたサポータの方々、お疲れさまです。 

いやぁ〜〜〜
今回の国際試合ほど、
日本にとって盛り上がった(?)試合はなかったと思います。
日本チームの現状を別にして考えるならば、
芝の問題。
審判の判定不明なジャッジ。
そして、物議を醸したブーイング。
と、まぁ、見るべき要素、語るべき話題に富んだ試合でした。
とくに、最後のブーイングについては、
いろんなブログで交換されている意見を拝見しながら、
チョット前の「イラク人質事件」を彷彿としたりして、、、
この問題に関しては、また別に考えてみたいと思います。

ここでは、
純粋にジーコジャパンのサッカーについて書きます。
結論から言えば
「勝つけれどオモシロクないのか、オモシロクないけれど勝つのか???」
です。

とくに、昨日の試合はオモシロクなかった。
前半をやっとこ、見て、
「あ〜〜〜もう寝ようか。」と思いました。
前半の盛り上がりは、22分。
俊輔のFKを福西が、美しく決め、
ゴ〜〜〜ル。
その後、中国にゴールを決められて、同点での折り返し、ということだったのですが、
とにかく、みんな疲れているためか「動かない」。
まったり、ゆったりと、時間が過ぎていくばかり。
試合がオモシロクないので、
解説やアナウンサーもオモシロイことを言わない。
(実はテレビを見ながら、解説とかアナウンサーに突っ込みを入れるというのも、
趣味と言うか、クライ 私です(^^;)
後半は、もう寝ようかとも思ったのですが、
後半20分の中村俊輔からのCKで中田浩が、ゴ===ル。
(?)(?)(?)
神の手?
なんて、思うっているうちに、ちょっと試合も勢いがついてきました。
特に、宮本キャプテンと中澤選手の働きが目を見張るものがあったと思うのですが、、、
(って、いうことは、サントスとカジ選手は何をしていたのでしょう?)
選手が動くと、解説やアナウンサーも、なかなか洒落たことを言ってくれます。
「いやぁ〜〜〜中国の選手も力がありますから、油断はできませんね〜〜〜
中国も、ここで一点ほしいでしょうね」と、アナウンサー。
「そうですね。日本は苦しくなりますね、、、」答える解説者。
とかとか、
こんな感じで、やりとりが交されると、目が覚めてきます。
そして、ご存じタマチャンの
駄目押しゴ〜〜〜ルで三点目。
試合終了。
ああ〜〜〜栄冠は君に輝いたわけです。
おめでとう!!!

セットプレーと精神面でここまできたジーコさんはエ・ラ・イ。
つい半年前は、解任デモさえ行われたのに、、、
ただ、内容自体はあの頃と、あまり変わらない。
変わったのは「選手の成長」。
とくにツネさん。
本当に素敵なキャプテンになりました。
マスク仮面なんて、騒がれていたワールドカップの頃から見ると、
人間としての器が、一回り、二回りも大きくなったような気がします。
また、中澤選手や、鈴木選手の泥臭さ。
新鋭、気鋭のタマチャン。
不死鳥川口さん。
ベンチの選手たちと、
本当に、みなさんのエネルギーはすごいなぁと思いました。

これから、ワールドカップに向けて、
ジーコさんは、どんな戦術を組み立ててくるのか、
心配でもありますが、
とにかく勝つ、という結果を残すジーコさんには、
ますます目が離せません。

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東洋医学と西洋医学

昨日の記事
に書いた「蕁麻疹」はまだ収まりません。
それどころか、ますます広がってくるようです。
蕁麻疹の出方って、どんなか分かってきました。
まず、小さな赤い発疹がプツリと出来て、
それが、次第に広がり、隣の発疹と合体して、
さらに、大きくなります。
しばらくすると、真ん中あたりから、次第に消えてきて、
健康な肌が表れてくるようです。
その状態が、
「地図のようなみみずばれ」
という形容で言われているようですが、、、
「やった!!!治った!!!」
と、喜ぶのも束の間。
また、しばらくすると出てくるようです。
そんな繰り返しが続いた後、収束して完治するようなことが、
ネットで得た情報。
西洋医学では、原因は分からないが、
メカニズムは分かっているので、薬で抑えます。
確かに、私もそういう過程を、キッチリ、踏まえて今日に至っています。

さて、ここで
私はいつものように西洋医学に疑問を持つわけです。
そこで、本棚から、
「東洋医学」の本を何冊か持ってきて、
読みます。
東洋医学は、ご存じの方も多いと思いますが、
「体」を一つの繋がりとして見ていきます。
五臓六腑として、とらえ、それぞれに関係があり、
症状として出てくるものを、
「そこ」だけで考えずに、全体として捉らまえるわけです。
「体全体」に行き渡る「血」と「水」と「気」を中心にして、
病気を考えています。
東洋医学では、
「蕁麻疹」は、体毒が、皮膚から出て来ているもの、だそうです。
人は、体の中に、いろんな老廃物が出ていかないまま、
ため込んでいる。
その老廃物が、ある日、皮膚を通して出てくるのだそうです。
(人によっては、下痢とか、アトピーとか、いろいろ違うようですが、、、)
だから、こうした「毒」は抑えないで出す、出し切ることが大切だそうです。
薬で抑えても、その時は治っているようだが、本質的な解決ではない、、、、
などなどが、書いてありました。
そして、
東洋医学では「冷え」が大敵と考えています。
体が冷えると、血が活発に動かなくて、
停まることから、もろもろの病気が表れる、ということです。
したがって、
体は冷やさない。
そこに尽きます。
冷やさない食べ物から、洋服などに至るまでの諸注意が書いてあるのですが、
何より大切なことは、
「心」だそうです。
(これに関しては、西洋医学でもこの頃見直されているようですが、)
心毒といって、まぁストレスのことでしょうが、
これが一番悪い。
だから、ゆったりと生きていきましょう!!!
と、言うことです。
蕁麻疹も、無理に引っ込まさないで、
「あ〜〜〜体から悪いものが出ているんだ、おおきに!!!」くらいに思っている方が
良いそうです。
西洋医学では、症状を抑えようとしますが、
東洋医学は、出てきた症状は「出し切る」のがいいそうです。

私も、
2日間、医者からもらった薬を飲んだのですが、
一向に治らない。
むしろ、ひろがっていくばかり。
と、いうことは、
原因が食べ物ではない。
と、思うのです。
あとは、塵、埃などかもしれませんが、
いずれにしても、
「まぁ、いいやぁ〜〜〜」
と、思うことにしました。
昨日は、
「心頭滅却」を書きましたが、
東洋医学では、
「痒い時は掻いていいそうです」
そして、毒をジャンジャン出す、ということだそうですが、、、

まぁ、どちらの方法が、いいのかは、わかりませんが、
私的には、
西洋医学で、メカニズムを学び、
東洋医学で、生活の在り方を学び、
両方共通の「心」の問題では、
両方の考えを取り入れていきたいです。

思わぬ蕁麻疹で、悩んだ私ですが、
今は、この蕁麻疹とも上手に、楽しみながら付き合っていきます。
日々の生活を考え直す、よい警告として。
(酒、のみすぎるなぁ〜〜〜イライラするなぁ〜〜〜って、事かな???)(^^;

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2004.08.07

心頭滅却しても蕁麻疹はかゆい

今日は「かゆい」話からはじめます。
昨日の朝、起きたら体に赤い発疹。そして、やたらかゆい。
「わっ〜〜〜なんじゃ、コレ???」
というので、早速ネットで検索。
いろいろ見るとどうも「蕁麻疹」。
何食べたっけ???
普通は、こういうときって、「サバ」なんかをみんな思うのでしょうが、
我が家は「鰺の干物」でした(^^;
まぁ、素人判断は禁物。
近所の皮膚科が、8月6日から休診(多分、海外に行っているのでしょ)
そこで、内科や皮膚科や小児科を一人の先生がみんなする、といういわゆる
町のお医者さんに午前中、行きました。
町のお医者さんだけあって、
じぃちゃん、ばぁちゃんばかり。
みんな、馴染みのように、待合室で話し込んでいる、ほのぼの系の医者でした。
さて、私の番。
先生は女医さんでした。(ご夫婦でなさっている)
「どうしました?」
「はい、朝起きたら、蕁麻疹が、、、」
「そうですね、、、、これは蕁麻疹ですね。
何か思い当たる事は?」と、先生。
「イヤ、、、別に。食べ物も、、、、、」と、私。
「風邪はひいていませんか?薬は何か飲んでいますか?」
と一通りの問診後、
「そうね。蕁麻疹って原因がわからない事が多いから。
まぁ、様子みましょう。
抗ヒスタミンの注射と、ステロイドを出しておきます。」と先生。
「あっ、せんせい。ステロイド、大丈夫ですか???」と不安そうに私。
「短期間なら、問題ありません。」
「はぁ〜〜〜」と、私。
そして、注射をして、薬をもらって我が家へ帰りました。
それからは、
ネットで検索。
まず「蕁麻疹」
次にもらった薬の副作用、などなど。
おかげで、随分「蕁麻疹」には詳しくなりました。
〜〜〜〜
蕁麻疹は、確かに原因は不明のことが殆どらしい。
食べ物で引き起こされる場合は、たいてい経験的に本人がわかるそうで、
「これを食べたら出る」と、言う具合です。
しかし、それ以外の原因もかなりあるらしくて、現実には、「わからない」らしいです。
いわく、本人もわからないのに、他人の医者がわかるはずないそうです。(ある皮膚科の言葉)
ただ、メカニズムは、もう解明されているので、対症療法として、治療はあります。
つまり、抗ヒスタミン剤、抗アレルギー剤の投与です。
一般的には、短期間の投与なので、問題はないとのこと。
ほとんどは、内科的な心配はないが、ただ時々、別の病気が隠れている時もある。
また精神的ストレスが原因のこともあるそうです。
飲酒は控えた方がいい、、、とか(^^;
〜〜〜〜〜〜〜
ほとんどのサイトでは、上のように書いてありました。
「まぁ、そんなに心配しなくても、、、」
と思いつつ、
「ただ、時々、隠れている病気がある」
なんて、書いてあったら、
「えええ〜〜〜なんや、それ???」
と、言うわけで、また別のサイトをクリック。
自分の赤く腫れた腕をみて、
ネット上の写真と見比べて、
「あ〜〜〜こりゃ蕁麻疹。」と何回も納得。
嫌がる家族に何回も見せて、うるさがられ、
自分の不運を嘆いて、
「あ〜〜〜私ってかわいそう。」
と、まるで夢みるシンデレラのように(?)つぶやきます。
この辺りになると、もう家族は完全に相手をしてくれません。
「あっ、そう」
って感じ。
そんなわけで昨日は、自分の腕とネットの「蕁麻疹」をひたすら見比べて、
半日を過ごしました。
昨日のネットの履歴は、上から下まで「蕁麻疹」。
見ただけで痒くなるぅうううう(^^;
さて、
メカニズムやら、何やらはわかったものの、この痒さは、もう我慢できない。
とくに、夏の暑いこの時期。
かゆい、かゆい、かゆい。
(このかゆさ、あなたにお届けできたでしょうか?)
以前、いつものろぶさんがヤツだ… ヤツが来たんだ!
で、痒さについて書かれていましたが、あの時は笑っていたけれど、、、
ろぶさ〜〜〜ん。わかるよぉおおおお。
別のサイトでは、どなたかが、
「痛さは我慢できるが、痒さは我慢できない。何が我慢できないかというと、
掻いたときの快感が我慢できない、、、、、」
と、書いてありましたが、これまたわかるぅうううう。
ろぶさんの真似をして、
「心頭滅却」しようとしたけれど、やっぱり、かゆい〜〜〜
たすけて〜〜〜〜。
ろぶさんにならって写経かな???
心頭滅却。
心頭滅却。
(かゆいよ〜〜〜)
それと、
もう一つ残念なのは、今晩サッカーがあるのに、
ビールが飲めないよ、、、、
傍らの夫の飲んでいる姿を見ながら、、、
あ====
いつも、クルマの運転で飲めない夫のそばで、
おいしそうに飲んでいたからバチがあたったのか(^^;
それにしても、今晩は、どうなるかいろんな意味で心配ですが、、、
まぁ、そいうわけで、
わたしの痒い夏の日々は続きそうです。

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2004.08.06

薄れていく記憶

今日、8月6日は、
59回目の、広島原爆忌です。
私も家族と、テレビで、その様子を見ていました。
8時15分には、
テレビと同じように一分間の黙祷。
ゴ〜〜〜〜ン、ゴ〜〜〜ンという鐘の音と、
ジィイイイ〜〜〜、ジィッジィッ、、、、
というセミのなく音を聞きながら、
「あの日」への思いを込めて目をつぶります。

59年という時の刻みの中で、
「ヒロシマ」は、確かに薄れてきたと、私は思います。
私が、ついこの前まで住んでいた広島の町では、
「被爆体験」なさった方が、年々少なくなっています。
初めて、この町を訪れたのは、学生の時でした。
夏休み前に、東京で、「被爆体験を聞く会」という催しに友人が誘ってくれて、
行きました。
それまでの私は、
故郷から、東京に出てきたわけで、
「ヒロシマ」は、遠いものでした。
その「話を聞く会」には、何人かの被爆者の方が、
順番にお話をされます。
すでに、高齢な方ばかり。
2〜3人、男性が話した後、年配の上品な女性が、壇上に立ちました。
もう、随分以前なので、その方の話の詳細は、残念ながらここに復元はできませんが、
当時の私には、かなりショッキングな事実が、その方から伝えられました。
「私は、独身です。
当時、世間は、被爆した女の人、しかも若い女の人には、
大変、厳しいものでした。
次第に、放射能の被害が分かってくるにつれ、
原爆、ピカにあった女とは、結婚するな、、、
という、風潮ができました。
ひどい場合は、子宮摘出までされた人もいます。
子どもを、次代に
残さないという理由で、、、、、」
まだまだ、その方の話は続きましたが、私は最後まで聞いていることが出来ないくらい
ショックでした。
会場は、水を打ったように、シ〜〜〜〜ン。
しわぶきひとつ聞こえません。
みんなが、その話を聞き入り、
「戦争の悲惨さ、残酷さ」を共に感じたのでした。

そんなわけで、
私は、その年の8月6日、迷わずに「広島」に行きました。

また、縁があって、
広島に住むことになったのは、もう15年くらい前です。
幼い我が子を連れて、
近所を散歩するうちに、話すようになった、おばあちゃんが、被爆者の方だったり、
自動車の修理のおじさんが、被爆二世だったりと、
「あああ、ここはヒロシマだぁ」と、思うことが度々でした。

しかし、次第に被爆者の方も亡くなり、
また記憶も薄れてきつつあるのも現実です。
私も、友人たちと、
「聞き取り調査」をしたり、
あるいは、広島の原爆作家の方と勉強会をしたりと、
積極的に、関わってきました。
そんな中には、壮絶に戦っている人というのが、
いるんですね、、、
今も、後遺症に苦しみ、
生活は、保護を受けているのですが、それも何年か前に打ち切られてので、
「国」を相手に訴訟を起こしているのです。
弁護士を雇うお金がないから、自力で、勉強。
裁判所に出す書類も自筆です。
そして、その記録を、のちの人に残すために、
自叙伝を、書き続けています。
私の中では、
ヒロシマというと、
東京でお話しを聞かせてくださった方と、
今なお、壮絶に病気と、国と戦っているK・Sさんのことが、
いつも一番目に思い出されます。

小泉さんが憲法9条を改正の意向を発言
しました。
あの日のヒロシマの記憶は、もう薄れてきたかもしれません。
しかし、
地球上の、いろんな場所で、戦争、紛争がたえません。
新たな「ヒロシマ」を再び作らないように、
どうか、もう一度、
ここで踏ん張ってください。小泉さん。
すでに、かすれてしまったか細い声ではあるが、
まだ、苦しんで苦しんでいる人々の声に耳を
傾けてください。
ヒロシマは終わらない、、、
まだまだ続く。
しかし、
新しいヒロシマを作ってはならない。
そう、願わずにはおれない
今日、8月6日。
広島原爆忌、59周年の日。

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2004.08.05

脅かされる日常

アテネオリンピックまで、あとわずか。
文明発祥の地と言われるギリシャは、
道のそこかしこに、
教科書に載るような遺跡が転がっています。
真っ青な空、本当に抜けるような青い空に、
白い石の宮殿。
ふと、丘に目をやると、どこからでも
パルテノン神殿が目に入り、
今でも、オリンポスの神々がいるような、そんな町です。
時間は、ゆっくりと流れ、
人々は陽気で、明るい。
観光客のカメラのシャッターを、なれた手つきで、押してくれます。
狭い道路脇に、カフェがいっぱい並び、
ギリシャ料理を食べさせてくれます。
また、あっちでも、こっちでも観光客相手の物売りの
呼声がきこえ、
猥雑な、活気ある町です。

この町に、もうすぐオリンピックがやってきます。
今、ギリシャでは、
オリンピックの施設の建設で、おお忙しい。
そんな矢先。
またもや建築現場での爆発
が起こりました。
2日付けのイギリス大衆紙デーリー・ミラーは、アテネオリンピックでのテロ警戒のため、
兵士7万人が配備され、さらに潜水艦や戦闘機、迎撃ミサイルまで配備されたと、
報じました。
ギリシャ軍、幹部は、
「第二次世界大戦以来、最大規模の作戦」とコメント。
その費用は、なんと10億ポンド(2020億円)だそうです。

そもそもオリンピックとは、
政治、宗教、民族を超えて、
スポーツを楽しみ、競うものだったのに、
武力で守られなければ、出来なくなったとは、
一体、どこで歯車が狂ったのだろうか???

こうした警戒は、
何もオリンピックという非日常を迎えるギリシャだけでなく、
どこの国でも、大仰に行っている気がします。
この頃、
どこへ行くにしても、
以前より多くの警備員を、ここかしこで見、
テレビカメラで監視され、
電車の車内放送では、
「不審物は周りにないか」と呼びかけられています。
いつの間にか、私たちは無意識のうちに、
「何かが刷り込まれていく」
ような不安を覚えます。
つまり、
隣人に対する「警戒」ということです。
お互いが、お互いを、
知らないうちに、管理して、見張っていく体制が整ってくるような気がするのは、
一人私だけでしょうか???
チョット前は、当たり前であった「安心」が、
今は、「お金」を出して、
それこそ「自己責任」で手に入れなければならない時代が、もうすぐそこに来ています。
安心で、安全で、信じられる最低限の日常を、担保にしてまで、
何を求めていこうとしているのでしょうか???
私たちの国は、
また、世界の国々は???

未来には何が待っているというのでしょうか、、、

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2004.08.04

神風特攻隊のようなジーコジャパン

昨日(8/3)のサッカーアジアカップでの準決勝、バーレーンとの試合で、
ジーコジャパンの、奇跡ともいうべき勝利には、
多くの方が、感動をしたと思います。
私も、120分間、テレビに釘つけでした。
もう、一つ一つののプレイに、評論。
前半の遠藤選手の、退場には、もう怒り心頭。
後半のたてつづけの日本のゴールには感激。
そして、バーレーンに、同点され、さらに勝ち越されたときの動揺。
そして、奇跡がまたもや起こり、
終了間際の同点に、もう涙。
ついに、
試合は、延長に。
またもや、PK????
と、よぎる不安もなんのその、
玉田選手のゴ〜〜〜〜〜〜ル。
かちこし!!!!!!
そして、この珠玉の一点を守り抜いて、
日本は堂々の勝利。
決勝進出。

と、なったわけです。

そこで、私もその奇跡とも思える勝利を力いっぱい、
そして心から喜びました。
ジーコジャパンの勝利を。
「本当にジーコさんは神か???」
なんて、家族で話していました。

しかし、
私は、
「いつまで、ジーコさんの神通力が通用するか」
ちょっと不安なのです。

ジーコさんは神かもしれないが、
人間である我らが、選手たちは、
あまりに疲れている。
おなじみの選手たち。
キャプテンの宮本ツネさんをはじめとして、
昨日はヒーローのたまちゃん、鈴木さん。中澤選手。
それから、それから、、、、
とにかく
ずっ〜〜〜〜と、ずっ〜〜〜〜〜と、
同じ選手たち。
彼らにしたら「信頼されている」というプライドの元で、
頑張るのかもしれないが、
もう、体はヘナヘナ。
私はテレビで見ていて、もう昨日は泣いてしまいました。
もう、ヨタヨタ。
「走れ!!!!!」
なんて言えませんでした。
前半の早い時期から10人で戦っていた選手たち。
もう「精神力」以外の何者でもない。
確かに、その精神力はスゴイ。
尊敬以外の言葉は見つかりません。
しかし、
その言葉を贈る相手は、
「選手たち」に対してです。
戦っている選手、控えの選手、
全ての選手の方々には、もう尊敬という言葉以外、
表せません。

ただ、
私はジーコさんには、疑問を持ちました。
勝ったインタビューで彼は言いました。
「ヨルダンに続き、奇跡を起こそうと、励ました、、、、」
確かに、監督は、選手たちの精神面の管理も仕事ですから、
それは、道理にかなっているのですが、
ジーコさんの場合、
「精神面」だけなのです。
戦術に、近代的、合理的、科学的なセンスが感じられないのです。
もう、とにかく
「神任せ」なのです。
そりゃ、あなたは、神だから(^^;
しかし、
選手は神風特攻隊ではないのです。
今のようなやり方で、
いったいどこまで行くんだろう????
精神力を強くして勝つものなら、
私はどこどこまでもジーコさんを信じる、いや信じたいのですが。

「神風」は吹くか。
不遜にも、神様ジーコさまに、
ちょっと疑問をもった私です。
なにはともあれ
決勝では、
神風が吹きますように。

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覿面の罪

覿面の罪(てきめんのつみ)とは、
小野不由美さんの、「十二国記」に出てくる言葉の一つです。
もう、読まれている方は、ご存じと思います。
まだの方は、是非、ぜひ読まれることをお薦めします。
小野さんが、繰り広げる異次元ワールドは、
深くて、広くて、
神聖でありながら、人間くさくて、
おどろおどろしくて、なおかつ耽美です。
さて、その異次元ワールドの本の一つが、「十二国記」です。
私たちの住む此方の世界と、別にパラレルワールドの、別の世界があって、
そこでの、不可思議な物語です。
この話の中に出てくる言葉の一つが、
「覿面の罪」
です。
簡単にいうと、
「どんなに理由が正しくても、人の国のことにくちばしを突っ込むと、
天罰が下される」
と、いうことです。
自国のことは、自国民が、
他国のことは他国の人々が、
それぞれに背負っていくのが、
天の定めである、ということです。
これは、小野さんの話の中の事ですが、
私は、
以前から、ブッシュさんもブレアさんも、
「覿面の罪」と、思っていました。
また、
それに追随している小泉さんも。
しかし、そんな小泉さん顔負けの人がまた出てきました。
その人は、ご存じ
民主党の代表、岡田克也さん。
「憲法を改正して、海外での武力行使を可能にすべきだ」
と、発言をした、あの岡田さんです。
岡田さんは、先日(7月29日)アメリカのワシントンで、
かなり強き発言をしてきました。
また、日本のテレビ放送でも、
「外国に行って、人を殺すことを、岡田さんは容認したと、思う人が多い。」
というキャスターの質問に、
「国連とは、そういう組織です。」と、答える岡田さん。
「世界が、汗を流し、血を流すとき、日本も、きちんと、それに参加すべき」
と、述べる岡田さん。
「憲法を改正して、
国連安保理の明確な決議がある場合は、日本の海外における武力行使を可能にし、
世界の平和維持に日本も積極的に貢献すべき」
と、考えている岡田さん。

オカダさん。
世界の平和維持ってなんですか???
武力で相手を制圧しなければならないような平和って、どんなものですか????
オカダさん。
汗を流し、血を流すってことがどんなことか、ご自分の身にあてはめて想像ができますか???
オカダさん。
海外に平和のために真っ先に、
ご自分と、ご子息が出向くことができますか????
一体、だれが、戦地に向かうのですか?
汗や血を流す人はだれですか?????
オカダさん。
あなたは、
ヒドイ
人ですねぇ、、、
あなたもまた、
「覿面の罪」をここに犯そうとしている。
私は天じゃないから、あなたに罰を下すことはできない。
しかし、
私は、あなたが行うとしていること、考えていることは許さない。
自国の人々の
「いのち」を
もてあそぶことは、
絶対に許さない!!!!

岡田さん。
お願いです。
目をさましてください。

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2004.08.03

地図にない町

「地図にない町」と言っても、
フィリップ・K・ディックの本のことではありません。
アメリカのテネシー州にあるオークリッジのことです。
オークリッジは、テネシー州の東部の本当に小さな町です。
静かで安全なこの町の新聞は、
誰々さんが、病気で亡くなった、、、とか、
そんな回覧板のようなニュースを伝えます。
アメリカでは珍しい鍵をかけなくてもいい町です。
アパラチア山脈の谷間にひっそりとあるこの町は、
実は、
第二次世界大戦時には、
「地図」には載っていませんでした。
それは、
誰も知らないところで、秘密のうちに、
「原子爆弾」を作る目的で、できた町だったからです。
そうして、
戦後、残された施設は、
国立オークリッジ研究所として、「原子力の平和利用、研究」のために使われています。
勿論、今では、地図にしっかり名前があり、
全世界から、研究者が、訪れています。
そして、
8月のこの時期は、反戦の方々も訪れます。
研究施設の前で、
平和団体によるデモがささやかに行われています。

ワシントンD・Cには、スミソニアン博物館という大きな博物館があります。
この博物館の航空宇宙博物館は、エノラゲイという、広島に落とした原爆が展示されています。
ここに、エノラゲイが展示されるとき、多くの日本の平和団体から抗議がありました。
アメリカ側の言い分が、
「ヒロシマへの謝罪ではなく、科学技術の粋という観点からの展示」であるというための抗議です。
実際、私たちが、スミソニアンを訪れたときも、
係りの、お兄さんは、そのような口ぶりでした。
「どこから来たの?」
「ヒロシマ」
「お〜〜〜〜ヒロシマ。
それは、スバラシイ!!!
ヒロシマに落ちた原爆は、これです!!!」
と、言う感じ。
私は、「今も原爆で苦しんでいる人々の話し」をしました。
すると、彼は、
「おおおお〜〜〜〜〜。」
と、いうだけでした。
そして、またエノラゲイがいかに、「敵」を認識して、
ピンポイントで、原爆を落としたか、、、を、冷静に話してくれました。
彼は、
原爆のおかげで、戦争の終結が早くなったと、言いました。
そんな彼も、なぜか「パール・ハーバー」に対しては、
違った感情を持っています。
しかし、全てのアメリカ人は、モチロンそうではありません。
プールで、友達になった人たちは、
「アメリカの戦争犯罪」について、しっかり語ってくれました。
一方、
ヒロシマでは、
これから「暑い八月のその日」を迎えます。
私の友人は被爆者(胎内被爆)で、
いまなお苦しんでいます。
ヒロシマでは、小学校、中学校で、「平和教育」が教えられます。
そこでは、
原爆の無残さ、残酷さが伝えられます。
「再び、あやまちを繰り返さないこと」を学びます。
しかし、
こうしたヒロシマの平和教育であっても、
日本人が、他国に何をしたか、については、あまり学びません。

今、
中国、重慶での反日運動が、いろんなところで、
取りざたされています。
過去の歴史が、また思い返されているようです。
日本人が、中国の人々に対して行った事についての、
あるいは、彼らにしたら、納得していない「戦後処理」についての不満なのでしょうか?
一気に噴き出しているようですが、
これもまた、
すべての人が、同じ気持ちかというと、そうではないと思いますが、、、
日本人にしても、かの地での苦い体験を持っている方はいるでしょう、、、

さて、
こうしてみると、
「人は、やったことより、
やられた方のことを、強く覚えている」ような気がします。
それは、ある意味当然だと思うのです。
ただ、
だからといって、「それがいい」ということでは、ないと思います。
アメリカ人はパールハーバーを覚えているけれど、原爆には鈍感。(今なら9・11でしょうか?)
日本人は、原爆を覚えているけれど、大陸での出来事は鈍感。
中国人は、太陸での出来事を覚えているけれど、、、、、、、
とかとか。
戦争というものの愚がそうさせるのです。
悪いのは、
「戦争」だと私は思います。

そうして、
今、世界は新たな憎しみの構図が生まれようとしています。
イラン、イラク、イスラエル、旧ユーゴ、、、、、
果てしなく続く「憎しみの連鎖」は、
ただ繋がっていくだけでなく、
増幅していきます。

先輩たちが、流した涙や、
無残に散った命の重みを、しっかりと受け止め、
恨みが、恨みを超える時を迎えなければならいと、
私は思うのです。
「恩讐のかなた」、のように。

地球上のどこかに、
私たちの知らない
「地図のない町」があらたに出来ることのないように、、、

また、やってくるヒロシマの暑い8月6日を思いながら、
平和への祈りを込めて、
書きました。

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2004.08.02

ギャルからおばさんまで

先日、ここ
で、普段着の日本語について、
案外、気がつかなく無関心であることを、
書いたのですが、
今日は、
「言葉の無神経」について考えてみたいと思います。
無神経な言葉というのは、これまた枚挙にいとまがありません。
「人を罵しる」という悪意に満ちていなくても、
何気なく使ってしまうことって、あります。
そんな中から、テーマを一つに絞って、
「女性の呼び方」について、見てみようと思います。

人の一生を時間の流れと呼び方の変化で調べるなら、
生まれたての女の赤ちゃんは、
「赤ちゃん」です。これは男の子も同じで「性に対しては未分化」のようです。
「まぁ、かわいい赤ちゃん!!!」
しばらくして名前が付く頃には、
男の子、女の子という区別は、付いてきます。
着るものも「青色」「ピンク色」に分かれ。
与えられるものも、男女の区別はあるようです。
周りも
「まぁ、りりしい男の子。」「頼しい坊や。」
「まぁ、ふっくらとしたべっぴんさん。」「愛敬のある嬢や。」
と、いうように家族が喜びそうな褒め言葉を使い分けます。
そして、
男の子、女の子として育ち、
就学時期は、
男子、女子という名で区別されてきます。
小学校は児童、中学、高校は生徒、大学生は学生ですから、
男子児童、女子児童。
男子生徒、女子生徒。
男子学生に女子学生。
と、なります。
ここまでは、一般的な区別です。
ところが、
女性は、早い時期から、
特別の呼び方があって、(それは、たぶんに社会的な風潮を反映しているのですが、)
その呼び方の中に、
先に書いた無意識の、無神経さが、かいま見られます。
〜お嬢様〜
〜お嬢さん〜
〜ギャル〜
あなたは、この三つの言い方から、
どんな女の子を連想しますか???
一般に「お嬢様」から受ける印象は、
長い髪の白いドレスの似合う、金持ちの女の子。
お嬢さんは、普通の家の、かわいい女の子。
そしてギャルは、
「流行に敏感で、性的にもあけっぴろげな若い女の子」
(三省堂、新明解国語辞典)
さて、こうした呼称で括られる若い女性たちは、
やがて、適齢期を迎え、
既婚、未婚とそれぞれの選択をしていくのですが、
すべて、
「おばさん」
に括られていきます。
(この頃は同世代の男性もおじさんになります)
ある調査によれば、
25歳以上は「おばさん」という、ちょっときびしいものもありました。
あなたは、
〜おばさん〜
という言葉から、どんな連想をしますか?
立場、環境によってそれぞれの回答があると思います。
一方、
結婚した女性は、
他人からは「奥さん」「奥様」と呼ばれ、
夫からは、「おまえ」「おい〜〜〜」と呼ばれていくことが多いようです。
結婚しているあなたは、
伴侶をどのように呼んでいますか?
未婚のあなたは、どのように呼びたいと思いますか?
ちなみに、
我が家は、二人とも、
ファースト・ネームで呼んでいます。
なお、夫婦別姓については、
夫婦別姓を持つ身のため息で、管理人さんが、
法律的、社会的な角度から、書かれていますので、
興味のある方は是非、ご覧ください。
私も、この問題については、
別に書いていこうと思います。
さて、
子どもが生まれると、
もうすべての人から、
「おかあさん」です。
我が子は、当たり前ですが、夫からも、
我が子の学校の先生からも、
生協のお兄ちゃんからも、
、、、、、
みんな、みんな
「おかあさん」
と、呼ぶのです。
(子どもの友達はおばちゃんです)
こうして、
次第に、
自分の名前をなくしていくのです。
ひとくくりの
「おかあさん」
「おばちゃん」
に、なっていくのです。
男の人も、すでに同じ道を辿っています。
おとうさん、おじさん、ご主人、、、、、と。
そうして、
おじいさん、おばあさんになっていくわけです。

高校の時、習った古文では、
昔の女性は、「名前」がなかった、と教えられました。
このブログの冠にしている「枕草子」も、
有名な清少納言さんから、頂いているのですが、
これが、この人の本名でないことは、周知の事実です。
「○○の母」
「○○の娘」
という名前で、歴史に残った才女たち。
しかし、
今を生きている私たちも、
それとは、遠く離れていないところで、
「ひとまとめ」にされ、しているのかもしれませんね、、、

もう一度、
「名前」について、
「呼び方」「呼ばれ方」について、考えてみませんか???

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱(ねぎ)のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂

わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽ばたき
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音

わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちている
苦い潮 ふちのない水

わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風

わたしを区切らないで
・(コンマ)や,(ピリオド)いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章
川と同じように
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩

(新川和江  私を束ねないで  より)

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2004.08.01

神様!川口様!そしてジーコ様

ピッピー。
試合終了のホイッスルが鳴る。
「あ〜〜〜PKかぁ」
思わず、ため息。

そうです。
昨日(7月31日)、中国、重慶で行われたアジアカップ2004の準々決勝。
相手はヨルダンです。
試合内容の詳しくはここにあります。

さて、さて、
いよいよ、PK戦。
まず、両チームのキャプテンが、先攻、後攻の順番を決めます。
テレビはジーコさんをはじめとして、選手たちの緊張の顔が映し出されます。
さぁ、今からです!!!
日本は、初めに蹴ることのなりました。
まず、中村俊輔が立ちます。
ゴールの前にはチャーリー・シーンにちょっと似ているヨルダンのキーパーが立ちはだかります。
大きく息を吸うと、ゆくっり助走。
そして、蹴った。
なぁ、なんと、そのボールは大きく、おおきく弧を描いて、ゴールの向こうに飛んでいきました。
「しゅん、、、すけ、、、、」
思わず、あのベッカムを思い出しました。
あ〜〜〜〜イヤな予感。
次のヨルダンの選手は難なく決めて、
次に三都主。
なぜか、不安がよぎるが、まさかまさか、、、、
と、思いきや、
三都主の蹴ったボールが、俊介の時に負けじとさらに大きくハズレました。
「あっちゃ〜〜〜〜〜」
次は、ヨルダンの選手。
と、言うときに思わぬハプニング。
主審がエンドを交代。(芝の状態が悪いから、、、)
お互いのキャプテンや監督まで出てきて、ちょっと騒然。
選手も不安そうに見守る中、
変わったエンドでヨルダンの選手から蹴ることになりました。
この時点で、0−2.
次に日本は福西。ここでダメなら、もうおしまい。
と、いうところで、福西は落ち着いて、軽くシュート。
やった〜〜〜〜
初めて日本が決めました。
後、中田、鈴木と難なく決めた日本。
対するヨルダンは、プレッシャーがかかったのか、
次の選手は川口の手に阻まれ、
そして次の選手が大きくはずして
3−3になりました。
さぁ、、、、ここから。
と、言うときに
日本の中澤がゆっくり蹴ったボールを、キーパーがよんで
しっかり取られました。
ここまでか、、、
肩を落として仲間の所に歩く中澤に宮本キャプテンが、
走っていって、落とした肩にやさしく手をかけました。
(ツネさん。キャプテンらしくなったなぁ、、、と感激)
次のヨルダンの選手。
もう、ここまでか、、、とかんねん。
ゆっくり、蹴ったボールを、川口が、横っ飛びでキャッチ。
ボールはゴロゴロころがりました。
セーフ。
すごい、、、そんなぁ
まるで、奇跡?
いえいえ、奇跡はまだ続きました。
次に日本はキャプテンのツネさん。
落ち着いて、左にシュート。ゴ〜〜〜〜〜ル。
初めて、
はじめて
日本がリード。
手に汗握り、口は渇き、
心臓は飛び出しそう。
そして、
ヨルダンの選手が
左隅を狙ってシュート。
そのボールは、ゆっくりと弧を描いて、
ポストに導かれるように、
ポストに吸い込まれるように、
その方向に飛びました。
そして、そのボールは、ポストに冷たく弾かれ、
ゴロゴロ、ゴロ。
と、ゴール前を転がりました。
その瞬間、
キーパーの川口選手は、
「わxxxxxxxxxxxっっ」
と、雄叫びを上げ、
そして他の選手たちも、
勿論ジーコさんをはじめ、スタッフ全員が、
「わxxxxxxxxxxxっっ」
の、歓喜の声。声こえ。
でした。
すごかった!!!!!

こんなことって
あるんだぁ。

しばらくは、私も呆然。

よかった!!!!
本当に頑張った。
ジーコさん。
あなたはやっぱり「神」ですか?????
それにしても、
ありがとう、みなさん。
本当に。

〜〜〜
ただ、試合内容そのものや、
あるいは昨日、笛を吹いた審判の判定基準やらには、
いささか問題は感じています。
これは、今後の大きな課題です。
〜〜〜

いろいろありつつも、
大きな事を学んだ試合でした。

「あきらめてはいけない」
どんなときでも。
改めて、思いました。
「あなたの夢をあきらめないで、、、」と。

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