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2004.08.06

薄れていく記憶

今日、8月6日は、
59回目の、広島原爆忌です。
私も家族と、テレビで、その様子を見ていました。
8時15分には、
テレビと同じように一分間の黙祷。
ゴ〜〜〜〜ン、ゴ〜〜〜ンという鐘の音と、
ジィイイイ〜〜〜、ジィッジィッ、、、、
というセミのなく音を聞きながら、
「あの日」への思いを込めて目をつぶります。

59年という時の刻みの中で、
「ヒロシマ」は、確かに薄れてきたと、私は思います。
私が、ついこの前まで住んでいた広島の町では、
「被爆体験」なさった方が、年々少なくなっています。
初めて、この町を訪れたのは、学生の時でした。
夏休み前に、東京で、「被爆体験を聞く会」という催しに友人が誘ってくれて、
行きました。
それまでの私は、
故郷から、東京に出てきたわけで、
「ヒロシマ」は、遠いものでした。
その「話を聞く会」には、何人かの被爆者の方が、
順番にお話をされます。
すでに、高齢な方ばかり。
2〜3人、男性が話した後、年配の上品な女性が、壇上に立ちました。
もう、随分以前なので、その方の話の詳細は、残念ながらここに復元はできませんが、
当時の私には、かなりショッキングな事実が、その方から伝えられました。
「私は、独身です。
当時、世間は、被爆した女の人、しかも若い女の人には、
大変、厳しいものでした。
次第に、放射能の被害が分かってくるにつれ、
原爆、ピカにあった女とは、結婚するな、、、
という、風潮ができました。
ひどい場合は、子宮摘出までされた人もいます。
子どもを、次代に
残さないという理由で、、、、、」
まだまだ、その方の話は続きましたが、私は最後まで聞いていることが出来ないくらい
ショックでした。
会場は、水を打ったように、シ〜〜〜〜ン。
しわぶきひとつ聞こえません。
みんなが、その話を聞き入り、
「戦争の悲惨さ、残酷さ」を共に感じたのでした。

そんなわけで、
私は、その年の8月6日、迷わずに「広島」に行きました。

また、縁があって、
広島に住むことになったのは、もう15年くらい前です。
幼い我が子を連れて、
近所を散歩するうちに、話すようになった、おばあちゃんが、被爆者の方だったり、
自動車の修理のおじさんが、被爆二世だったりと、
「あああ、ここはヒロシマだぁ」と、思うことが度々でした。

しかし、次第に被爆者の方も亡くなり、
また記憶も薄れてきつつあるのも現実です。
私も、友人たちと、
「聞き取り調査」をしたり、
あるいは、広島の原爆作家の方と勉強会をしたりと、
積極的に、関わってきました。
そんな中には、壮絶に戦っている人というのが、
いるんですね、、、
今も、後遺症に苦しみ、
生活は、保護を受けているのですが、それも何年か前に打ち切られてので、
「国」を相手に訴訟を起こしているのです。
弁護士を雇うお金がないから、自力で、勉強。
裁判所に出す書類も自筆です。
そして、その記録を、のちの人に残すために、
自叙伝を、書き続けています。
私の中では、
ヒロシマというと、
東京でお話しを聞かせてくださった方と、
今なお、壮絶に病気と、国と戦っているK・Sさんのことが、
いつも一番目に思い出されます。

小泉さんが憲法9条を改正の意向を発言
しました。
あの日のヒロシマの記憶は、もう薄れてきたかもしれません。
しかし、
地球上の、いろんな場所で、戦争、紛争がたえません。
新たな「ヒロシマ」を再び作らないように、
どうか、もう一度、
ここで踏ん張ってください。小泉さん。
すでに、かすれてしまったか細い声ではあるが、
まだ、苦しんで苦しんでいる人々の声に耳を
傾けてください。
ヒロシマは終わらない、、、
まだまだ続く。
しかし、
新しいヒロシマを作ってはならない。
そう、願わずにはおれない
今日、8月6日。
広島原爆忌、59周年の日。

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コメント

ウチの母もお見合いの時にはいろいろあったみたいです(まぁ、暗に断られたりとかですが..)

ぼくもそろそろいろいろ用意しないといけないんだけど・・めんどくさいですね(手続きがめんどい)

投稿: m_um_u | 2004.08.06 18:48

 さきほど、「恐怖の分類」という記事をトラックバックさせて頂きました蒔苗でございます。同記事が、ココログトップページに紹介されている室井さんのブログへの発信というかたちとなっていて、失礼致しました。
 さて、瀬戸さんの記事にて、「ピカに遭った女とは結婚するな」という話を知り、改めて、被爆の苦しみを知りました。
 これでは、“被爆国”の人が、“被爆者”の人を差別していることになり、“唯一の被爆国”という主張の根拠すら崩れてしまう気までします。
 今、当コメントを書いていて、ふと、思い出したのですが、、、
 朝日新聞に作家の五木さんの連載があって、その中で、敗戦下、ソ連兵から逃げ惑う日本人の一団の話があって、遭遇してしまったソ連兵が女を差し出せというので、日本人一団のリーダー格(男性だったと記憶してますが)が相談して、水商売の女性に頼み込んで、ソ連兵の相手をしてもらって皆助かり、結果ぼろきれのようになって戻ってきた女性について、男性陣が「どうせそもそもそのような商売をしていたのだからこれでいいのだ」といったような陰口というか、正面切っての言い訳というかをしたということでした。
 同胞の被害者・犠牲者にもかかわらず、哀れむどころか差別するという心理的側面で、「ピカに遭った女とは結婚するな」という話と酷似している気がします。
 通常戦争や核戦争もさることながら、同胞差別という恐怖もなくなって欲しいものと思いました。
 失礼致します。
 

投稿: 蒔苗昌彦 | 2004.08.06 21:56

瀬戸様
ゆいまぁるにきてくださって、ありがとうございます。またこちらにも寄らせていただきます。

投稿: ゆい | 2004.08.08 22:06

せと様、こんばんは。お身体は、もう大丈夫ですか。
健康第一!ですよ。

「間島の夕映え」ですが、「夕映え」というタイトルで「日高 一」という方の著作で1994年に出版されています。この方は山陽新聞社の記者だったようです。ネット上の本屋で検索すれば、かろうじてヒットすると思います。地元の本屋にはありそうなので、近々私は買おうと思います。ぜひ読んでみて下さい。原爆の悲劇とは違いますが、戦争に無関係な市民の市民の悲劇という意味では変わりないと思います。

投稿: mazra | 2004.08.11 19:20

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