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2004.09.22

学力とは何か? その3

学力とは何か?その2より

本来は、
子どもたちや親、そして教師からも歓迎で迎えられるはずの、
「ゆとり教育」が眉唾物の代表みたいに考えられる原因は、
現場から遠く離れた人たちが、前の失敗を分析、総括しないことにあります。
そこで、
詰め込みからゆとりへの変換時に何があったかを、
見てみます。
「詰め込み教育」は確かに当時かなりの問題を抱えていました。
スプートニクショックで、
世界中が「理数教育」の重要性を訴え、
日本もそれに負けじと、教育に力を入れた結果、
知育偏重のゆがみが出てきたのが、1970年代後半からです。
そして180度の転換を図り、
「ゆとり教育」が提唱され、
「新学力感」が出ました。
「できないのも、個性」と一時期ブームになったこの新学力感。
「算数はできなくてもいいんだよ。いい子なら」
「理科がわからなくても問題ないよ。元気なら」
「何も考えなくていいんだよ。素直なら」
こうして登場した
「新しい学力感」。
「できないのも個性」と堂々と言われたときは、教育界周辺では動揺が走りました。
しかし、その実態は、
あまりに現実からかけ離れていたため、
当然、保護者、教師、識者からの猛反対をうけて、
「新学力感」は定着することなく、葬られました。
ただ、その後の「ゆとり教育」として引き継がれたことは言うまでもありません。
「関心、意欲、態度」として残りました。
そして、今にいたって問題なのは
「できないのも個性」として、
学校現場から「教えること」を撤退させたことも未だ残っているということです。
新学力感以後は、
「授業中で分らない者はハイそれまでよ。」と切り捨てられていきました。
最悪なのは、そうした子どもたちのことを
「落ちこぼれ」
と、評したことです。
落ちこぼれではありません。
「落ちこぼして」いったのです。
そして、真犯人は、もちろん、文部省(今の文科省).
「わからせよう」とする努力を放棄した学校。
規律、統制だけが残った学校。
こんな学校に子どもたちが信頼を寄せるはずはありません。
学校の転落がここから始まります。
つづく

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コメント

私のゆとり教育論争です。再度4月に特集しますが、ご参考にinfoseekの検索で社会教育、生涯教育で2位に最高なりました。ゆとりは何もしないのは丸投げで行けませんが、やりたいことを伸ばす時間を与えることと考えています。
http://blogs.yahoo.co.jp/zenikinnyama/1460708.html
http://blogs.yahoo.co.jp/zenikinnyama/1196473.html

投稿: 山中鹿次 | 2006.03.07 12:35

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