« 日本の公教育 | トップページ | ゆとり教育 その1 »

2004.09.23

学歴神話

学歴というのは、
○○小学校卒業に始まり、
最終の出身校までの「履歴」のことです。
そもそも、この言葉が出てきた背景は、
高度経済成長期、多くの労働力を必要とした企業の論理があったのです。
そして、
「よい学校を出て一流企業に勤めることが人生の幸せにつながる」という「学歴神話」が、
いつの間にか(あるいは意図的に)広まりました。
60年代になると、
農家の子どもたちは、「勤め人」になるために、
そして「幸福路線」に乗るために、
学歴を求めるようになります。
しかし、この時代でも、
「学歴と実力は必ずしも一致しない」という批判もありました。
能力はあるのに経済的理由で上級の学校に進めなかった人々が、
今よりさらに多かったからです。
その後、日本は、
まずます経済が伸び、
貧困は目の前からは消え、(潜在的な貧困は残存したままですが)
多くの日本人は、自分のことを、
「中流」と思い、生活は平均化してきました。
この過程
の中で人々が学んだことは、
「高学歴は、高収入に繋がる」
と、いうことでした。
そこで、ますます我が子に対して、
幸せ切符を手渡すために、親たちは「学歴」を求めて、
「よりいい学校」へと奔走することになります。
その結果、
競争が始まり、
ますます拡大していくのです。
気がついてみたら、高度経済は凋落。
不景気の荒らしは、世間を吹きまくっている。
頼りとしていた大学も、卒業してみれば、
なんの役にも立たない。
就職がない。
(そうりゃ、そうです。
そもそもの学歴云々の仕掛人は企業の論理なのだから、、、)
田舎に帰ろうにも、そこにはもう田んぼはない。(減反政策で)
都会にしがみついて生きていくしかない。
再び、日があたるまで。
ほんの一握りの「生き残り組」になるには、
やはり学歴だ〜〜〜資格だ〜〜〜〜
と、ますます学歴信仰は高まり、
学校間格差も広がり、
学力の二極化も顕著になります。
今年4月から国立大学が消えました。
法人化されたのです。
多くの関係者の反対を押し切って強行。
これからの子どもたち、親たちは不安を隠せません。
しかし、
それでも、
学歴を付けないわけにはいかない。
なにしろ「信仰」なのだから。
みんな、
本当はわかっているのです。
「学歴」がその人の能力と直結していないことを。
社会に出れば、
「その人」だけが武器であることを。
たとえ、資格を持っていても、
その知識を使うのは、その人の知恵であることを。
次第しだいに、
学歴信仰は崩壊しつつあり、
神話になってきているのも確かです。
私は、個人的には
学歴はなんの役にも立たないと思っています。
しかし、
学力は、必要です。
勉強することは大切です。
子どもたちには、
「勉強しろ。」とは口うるさく言っています。
学ぶことは、謙虚になることだと思うからです。
自然の摂理の中で、
ちっぽけな自分が生かされている、その不思議さや素晴らしさに戦くことは、
学びの中で、かちとることです。
「学問に王道なし」
人は、いつでも学ばなければなりません。
それは、学歴とは無縁です。
(なにしろ学歴とは、何回もいいますが、企業の論理です。)
学ぶため、
勉強するために、
「学校えらび」をして欲しいというのが、
私の考えです。

|

« 日本の公教育 | トップページ | ゆとり教育 その1 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/15797/1500544

この記事へのトラックバック一覧です: 学歴神話:

« 日本の公教育 | トップページ | ゆとり教育 その1 »