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2004.10.16

責難は成事にあらず

小野不由美さんの十二国紀シリーズの一つ「華胥の幽夢」(かしょのゆめ)の中の短編「華胥」に出てくる言葉に、「責難は成事にあらず」があります。
十二国紀ワールドに足を踏み入れた人は、もうすでに読まれていると思います。
まだ、読まれていない方は、是非ぜひ読まれることを、お奨めします。
さて、その一つ「華胥」は、才という国の話です。
〜〜〜〜〜〜〜
前の王が道を失い、新たに選ばれた王。
この王は、瓢風の王であった。瓢風の王は傑物かそうでないかのどちらかといわれている。
人々は、この王を期待を持って迎え、何かをやってくれると信じて疑わず、正しい政事をやってくれると考えた。
また、王その人もそうであった。
「夢をみさせてやろう、この国に、、、」と。
しかし、少しづつ道はずれてきた。
本当に、気がつかないうちに、少しづつ、、、
そして、誰もが、
「これは、ひょっとして道を誤ったか?」とかすかに不安になった頃、
王、その人はますます自信をもって、さらに強固に破滅への道を突き進んでいく。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この王も、その周りの人たちも、理想に燃え、国作りの夢をもっていました。
しかし、その夢は、みんなが違っていました。
各々が、違う「理想郷」を持っていたのです。
みんなが自分は間違っていない、
自分こそが民を思っていると信じている。
いずれ相手を恨むことになっていく、、、
相手を、周りを責めていくとになる、、、
こうして、次第に国は傾き、
その一番下で民衆は己の知らないところで行われた政事のきしんでいく音ばかりが大きく聞こえてくる、、、
そして、「責難することはたやすい。しかしそれは何かを正すことではない」と言う。

そうは言っても、
そう言われても、、、
そりゃ、王や周りの人々はそうであろうが、民衆にはたまらない。
私は、政事に対しては、寛容であってはいけないと思うのです。
「責難は正事であり、成事であり、また政治である」と思います。

小泉さんが出たとき、国民は「何かをやってくれる」と大いに期待しました。
また、総理もみずから言いました。
「改革なくして成長なし」と。
しかし、それは「夢」であったのです。
総理にとって華胥の夢(良い夢)と、国民のそれとは違うことが明らかになった今、
責難を論じることこそ、正事であると私は思います。
「総理、あなたは間違っている」と。

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