« 2004年10月 | トップページ | 2004年12月 »

2004.11.30

一期一会

この時期になると、スポーツ界(野球、サッカーなど)は来期の選手の動向にあれこれと忙しくなります。
私もサンフレッチェの選手たちの動きが気になります。
中国新聞の情報によるとリカルド選手をはじめとして6人の選手が「戦力外通知」を受けたそうです。
来年は契約が結んでもらえなかった選手たち。
それぞれの理由や評価があるんだろうが、新聞で報道されると寂しいものがあります。なんとか別のチームで活躍の機会が在ることを願っています。
昨年は、山形恭平君(我が家では新潟恭平と言われています。プリントミスで、山形が新潟になっていたことがあったのです(^^;)が、サンフレッチェから去って寂しかった、、、
彼は、いつもファンクラブの受付で座っていて、とても素直な良い選手でした)
その山形君。今は福岡で頑張っている。
先日のJ2入れ替え戦で、活躍していました。
そんな姿を見ると嬉しい。
ウメちゃんも頑張っていた、、、ちょっと残念なシーンがあったけれど。
今年、去っていくことを通告された選手たちもどこかで活躍してもらいたいです。
そして、また見かけることがあったら声をかけたい。
さて、それとは反対に、来年加入してくる選手が話題になるのもこの頃。
どんな選手の、どんなプレーが見られるかは楽しみです。
気の早い人たちは掲示板を盛り上げてくれています。
「♪あのこが欲しい、、はないちもんめ」
「♪この子が欲しい、はないちもんめ」と。
そういう意味でも、今度の柏と福岡の入れ替え戦。
楽しみです!!!
両方のチームの選手、サポーター、ファンのみなさん。
頑張って下さい。
悔いの残らない試合をしてください。

と、いうわけで、ふつう「別れと出会い」は三月という感じですが、私にとっては今もそんな季節です。
考えてみればいつだって、「別れと出会い」なんですよね。
「一期一会」
人との関わり、時間との付き合い方、自分との対話。
すべて、一瞬いっしゅんを大切にしていかなければならないのでしょうね。
なかなか、そうはできない私ですが、、、
昨年の今も実は同じ文を書いていました。
普段は、何気なく過ごしていて気がつかないのですが、
こうした現実のシビアな判断を目の当たりにすると、
襟をたださねばと、また思いました。

「一期一会」
です。
何事も。
二度と今はない。
今を、ひたすら大切に!!!

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2004.11.29

プロの仕事 その3

プロの仕事
について、前2回書きましたが、今回は「教える」と言う事について、考えてみます。
世に先生と呼ばれる仕事は山ほどありますが、
「師」と呼ばれる仕事はグッと少なくなります。
その狭い一つに教師があります。
教師もまた一般人からは「プロたらんこと」を要求される仕事です。
人にものを教えるということは、たんに知識を教えることだけでなく、
知恵をも教える、伝えることです。
知恵は一朝一夕では身につきません。
その人の長い間の経験と感性から練り上げれるものです。
練り上がった知恵はそこにあるだけで芸術です。
しかし、どんな人でもそこへ行くまでには未熟な時代があるのも道理です。
なにしろ、初めはみんな素人なのだから。
同じ先生でもド素人の時に出会った生徒と、発展段階二回り目くらいの時に教えられた生徒と、
熟成一歩手前では、生徒たちの評価も違います。
いずれひとは成長すると言う法則は「先生」にも当てはまるわけです。
ただ、ここで大切なことは本人の自覚が如何ばかりかで、その後の成長は大きく違うのも確かです。
「人にものを教えるということは、その人の人生をも預かることである」という思いで、畏れ緊張することができる先生は、人間として伸びます。
では、現実に如何様に行うか?
答えは簡単です。
自分が教えることの3〜5倍、予習しておくことです。
1時間教える授業で、1時間分だけの用意をしておけば、それだけですが、
たとえ、その時間に教えなくても倍のことを用意しておくと、不思議に授業に深みと幅が出てくることは、
先生業の方ならどなたでも経験なさっています。
本当に不思議なんですが、子どもたちは「わかる」のです、先生の本気度が。
私もこんな経験をよくします。
子どもたちに理科実験なんか教えるとき、万全の準備をして臨むと、その時間は非常にスムーズに進み、
自分自身も満足します。
しかし、用事があって、駆け込みで教えたときは、授業が散漫になり、子どもたちもワイワイガヤガヤ。
私も怒ってばかり、、、です。
ピアノを家で教えている友人は、
子どもたちがやってくる1時間前から正装してピアノの前で子どもたちがやってくるのを待っています。つまり、「教える」ということの心構え、準備をしているのです。
また、ネットでお世話担っているmazra先生のサイトや日記を拝見すると、楽しく教えることをいつも工夫されていて、
頑張っている先生も多いことも事実です。
力づけられます。


私は、この準備こそが、「先生たらん」ことであると思うのです。
発展途上の若い先生でも、ベテランにさしかかった先生でも、もう国宝級にまでなるような先生でも、
みな同じだと思います。
教えるということに戦き、謙虚になり、そしてひたすら準備をすること。
これがプロの仕事への初めの一歩では、と考えています。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

プロの仕事 その2

前の記事に続いて、
プロの仕事について考えます。
今回は、私の贔屓にしているサンフレッチェ広島の選手とサポーターについて見てみます。
サンフレッチェ広島ファンの私は、広島の一試合、ひとしあいの勝ち負けに拘り、
喜んだり、落ち込んだりとしています。
(最終節もまけた〜〜〜)
そして、次の日はサッカー関係のサイトやブログ、掲示板をサァファーします。
勝った日はスイスイと。
負けた翌日はウントコドッコイショと。
いろんな意見があり、とても参考になります。
「がっかり」、でも次につなげようと、前向きタイプから、
「もうだめ」悲観型。
「だから言ったじゃないか」後付けタイプ。
と、いろいろあって面白いのですが、
気になる意見は、
「プロだから、アンナ試合するな〜〜〜」の罵り型。
「もう、応援しんねっぇ〜〜〜」なる諦め型。
これって、すごくわかる。
私たちサポーターやファンは、プロの華麗な技を見たくて、洗練された試合を見たくて、
時間とお金を工面して会場まで足を運び、(あるいはテレビ観戦)応援をするのです。
選手と一体感になることで、
見ている自分が走り、蹴り、ゴールしているのです。
だから、たとえ負けても選手が真剣で一生懸命であれば私たちは納得するのです。
しかし、90分をダラダラ、ヘトヘト、やる気な〜〜〜い、なぁんて試合を見せられたら、
それは、やはり頭に血が上り、キツイ言葉が出るのもむべなるかな、、、と私は思います。
私たちが期待したものを、彼等から得ることが出来なかったのなら、
やはり彼等はプロとしては未熟であると言って言いすぎではありません。
では、どの様にすればいいか?
答えは簡単です。
選手はいつでも、どこでも「プロ意識」を持って日々を過ごすこと。
これしか解決策はありません。
「勝ち」に拘る→技術を磨く→練習をする→体力をつける→精神面を鍛える→「勝ちにこだわる」
吸う息、吐く息。一挙手一投足が美しく理にかなうまで鍛錬をしなければ、
本物ではない。
私はいつも思うのですが、
どんなときでもどんなことでも日常は出るのです。
つけ刃は、すぐにはがれる。
毎日の積み重ねの上にこそ、勝負はある。
勝敗は時の運です。
勝つこともあれば、負けることもあります。
勝てば、兜の緒をしめ、負ければう〜〜〜んと悔しがって、口惜しがって、くやしがらねばならない。
私たちは、そんなプロの美学を見、触れたいために、
プロサッカーチームを応援しているのです。
また、サポーターも、発展途上にある選手たちに対して、
プロとしての誇りを、気負いを、自負を持たせるようなメッセジーを送らなければならないのでしょうね。
プロがプロたることを自覚できるような。
そして、それは何もサッカーだけではなく、全てのことに当てはまる事でもあり、
すべての人にも言うことが出来ます。
子どもだって、学生だって、主婦だって、老人だって、その立場のプロです。(もっとも、本来のプロは報酬を得ることを目的としていますが、)
よくよく心して日々を過ごさなければ、、、
アナタや、私も、
何かのプロなのだから。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

プロの仕事

昨日、父の一回忌の法要が行われ、私たち家族も実家に帰りました。
早いもので、もう一年が経つと思うと感無量。
大往生で、眠るように亡くなった父のことを偲びました。
さて、その父の法事で、お寺の偉いお坊さんがお経をあげに来て下さいました。
そのお寺は、かなり大きな寺で、昔は檀家も多く、下寺も沢山あったそうです。
幼い頃は、報恩講のたびにお経をあげに来ていたことを覚えています。
そのお坊さんが、今はかなりの年齢になっているのですが、まぁ、昨日は来てくださいました。
お経は、昔取った杵柄で、それはよかったのですが、
読経の時間は10分。
講話は、うううう====んんんと言う内容でした。
昔の人は、お坊さんから、いろんなことを教わり、日々の心の糧にして生活をしてきたので、
「おてらさん」は自分たちと密接に繋がり、尊敬もしていました。
そして、それこそ自然に「ありがたい」と思い、心から布施、心尽くしを差し上げました。
それこそ、お米一握りでも良かったのです。
感謝を込めて、差し上げたのです。
しかし、今の人は教育を受け、いろんな本に出会い、いろんな講演会に出席をして、人生観やら世界観は、
以前の人とは違って豊かになっています。
そんな人たちを前にして、講話をするには、それなりの「ありがたい話」でなければなりません。
いやぁ、これがボランティアで来てくれる僧ならいいのですが、
目が飛び出るくらいの布施を差し上げているのです。
(要求してくる(^^;)に等しい、、、)
それならば、それで、
僧もプロとしての自覚を持って、
釈迦の話を、哲学を、世界観を話して下さるべきでは、と思うのです。
もちろん、お経を読むことは誰でも出来ることではありません。
しかし、お経を読むことだけが僧の仕事ではない。
心をこめて読むなら私でも般若心経は読める。
私たちが、お坊さんに期待するのは、
生きている私たちに「証」を伝え、自信を与え、縁を大切にする豊かさを、思い出させてくださることです。
今、「葬式仏教」と言われ、次第に寺院から人々の心が去りつつあるその一端を、
昨日は垣間見たような気がしました。
仏教に携わる人々は、
たまたまお寺に生まれたから僧になっている、、、なぁんて甘い考えじゃなく、(その様な人ばかりでないことも承知していますが)
日々、研鑚してもらいたいものです。
なにしろ、法事というのは、亡くなった人のためでもありますが、
生きている私たちが、それを機会に更なる交流を深める場でもあるのです。
僧は、そのコーディネーターなのです。
自らを、プロとして厳しく見つめ、
品性ある講話、つまりその人の生きざまが、尊敬に値するものであるような僧が、沢山出られることを願わずにはいられません。
そんなことを思った父の法事でした。
そして、父はその言葉を私や私の家族にも語ってくれたものと思います。
私たちも、与えられた仕事では、
プロでなければならない、、、

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.11.27

年末調整

チョット前に夫が「年末調整」の手続用紙を持ってきました。
サラリーマンがその年に払いすぎた税金が還付される大切な手続用紙。
生命保険やら、損害保険やら、いろんな控除書類を机の上において、記入。
「今年はどれだけ返ってくるかな?」とワクワク。
それは第二のボーナスのようだから、、、
しかし、その還付も年々歳々、少なくなっていると感じます。
たとえば、今話題になっている定率減税。
言葉だけ聞いてもピーンときません。
ましてやそれが我が家の家計にどれだけの負担を負わすのかなんて、あんまり気になりません。
だが、本人が意識しないにも関わらず、
しっかり、税金はとられます。
たとえば試算では、年収500万円、4人家族で8万円の増税。
文字で書かれると、これまたピーンときません。
しかし、年収500万ということは、単純に12でわると、月収が42万弱。
月の負担が7千円くらい増えるわけです。
これは、やはり主婦である私には辛い。
さらに追い打ちをかけるように消費税率アップも浮上。
つらい。
こちらは、生活と密接に繋がっているから、、、
さらに歳をとると体が弱くなり医者通い。
医療費もバカならない。
先日は歯医者と眼医者に行きました。
それぞれは少ない金額でも積み重なると、
つらい。
あ〜〜〜〜
年末調整の用紙を見ながら、
重なっている医者のレシートも眺めて、
普段はあまり考えない税金をつい考えてしまいました。
出るのは、ため息ばかり、、、
うわああああ、
なんとかしてぇえええええええええ。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

親の負担

「三位一体改革」の全体像が明らかになりました。
その焦点の一つに義務教育費があります。
2005年、2006年の二年間で8500億円の削減。
しかし、この問題については政府執行部でも議論され、反対の議員も多いことから、
いまだ、決定というわけではありません。
中山文科相は、「削減ゼロ」になる可能性もあると述べています。
親としては、是非、そうであってもらいたいところです。
このまま、義務教育費が削減されたら、教育の質が低下されることは明らかです。
教師の数は減り、クラスはマンモス化。
当然、教師は子どもたちに目が届かなくなる。
授業も以前より更にうっすぺらになってくる。
と、なることを予想するのはたやすいことです。
国が教育から「手をひいた」ならば、そこには民間が入り込み、
それはすなわち「利益の追求」に繋がってきます。
質が低下した公教育から離れていこうとする親たちは、我が子を塾に通わせる。
塾に行けない子は、まずます学校の勉強がわからなくなる、、、
と、いう二極化が加速されて来ます。
日本が、「日本たる」ゆえんは、豊かな教育を国民に等しく行ってきた成果だったのです。
それが、ここに崩されようとしています。
教育に利益が介入してきたとき、
もはや学問は真理の探求から遠くはなれ、
企業の論理優先、手先と化していきます。
潤沢とは言えないまでも、全ての子どもたちに、ひとしく与えられていた教育、学ぶ権利が侵されようとしていることに、私は危惧を覚え、かつ反対をします。
中山大臣、
がんばってください。
子どもたちに、豊かな教育をいつまでも保障してやってください。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.11.26

家守綺譚

誘われて読書会に顔を出しています。
私が「平均年齢を下げている」というような人生の先輩たち(?)が集まっているサークルです。
先日は梨木香歩の家守綺譚を取り上げて勉強をしました。
実は、私は浅学非才ゆえ、当日までその本について知らなかったのです。
ブラリと出席をしたのですが、話はとても興味深く、身が引き締まるものでした。
「つい100年前の話。死んだ友人の家を守るためにやってきた私が、そこで出会う不思議な世界」を描いている異界の物語なのです。
霊やら物の怪やら異形の者が出てくるその話は、夢か現つかと惑ううちに、淡々と話は進み時間も流れていきます。
人が初めは持っていたであろう能力、すなわち精霊と意識を交換する能力。第六感とでもいうのであろうか、あるいは超能力とでも言うのでしょうか?
科学の発達とともに置き去りにされ、忘れ去られ風化した能力。
そんな懐かしいものを思い出させる小説でした。
と言うようなところで、私は終わってしまうのです。
しかし、サークルの方々は違うのです。
ある方は、この本について、
「四季折々の豊かさを五感で感じ取り、時空を超えて飛び交う物の気配に、今ともにあることの重み、いとおしさを感じる。京都に住むものの手ざわり感を感じた。」
と、言われました。
綿々と続いてきた歴史の町 京都で、さらに営々と築き上げてきた文化。脈々と流れる伝統。
ついこの前住んだ私には、それはわかりません。
生活の中に取り込んできた自然との触れ合い、ぬくもり、それは何も樹木や花や山川だけでなく、霊であったり、物の怪であったりしても、すべて取り入れるのです。
そして限りなく果てまで続く小宇宙が、目の前にあるのです。
そのことが、私にはたまらなく魅力だったのです。
「おもしろい、、、
この町はおもしろい」
と、心の底から思いました。
ほら、あなたのすぐ後ろに誰かがいるよ。
だれだろうねぇ。
まぁ、そんなこともあるよ、、、この町には。
なぁんて感じのどうにもこうにも、一筋縄では括られないおかしみを感じたのです。

ゆうゆうと、
ひたすらゆったりと流れる時に、
ちょっと身を委ねた一瞬でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

指先のフィーリング

「サッカー監督という仕事」という本の中で、著者の湯浅健二氏は、
「サッカー監督とは、ドイツではやじろべえの上に乗る椅子」といわれていると冒頭で述べています。
如何にバランス感覚が必要かということでしょうか?
守る時、攻める時。若い選手とベテラン選手。選手交代のタイミング。時間配分。
そしてメンタル面。
そんな全てを含めてのバランス感覚が要求され、しかもいつもフラフラあっちに傾き、こっちにグラリと「おっかなびっくりの椅子」に座っているのがサッカー監督だそうです。
さらに、あとがきで
「誰でも監督にはなれるが、良い監督は少ない」と書いています。
パーソナリティこそが最大の条件である。
知識、知性、応用力、実行力、批判力、表現力、誠実さ、道徳観、自信、、、、、
そんなもの全てを表し、さらに言葉で表せないものを、持ち合わせていることをパーソナリティというのでしょうか。
そして、優れたパーソナリティの指先からはオーラが出ている。
これを「指先のフィーリング」というそうです。

私はこの話を読みながら先日、コーラスサークルの友人が話していたことを思い出しました。
「オペラの先生は、出す声がすごく小さくて か細いのだけれど、周りの空気がビンビン震えて、先生の声と同化しているような気がした。オペラ一筋に生きてきた人。歌は勿論生活その物がオペラである人は違う。体現するということはあんなことなんだぁ〜〜〜」と感心していたことを。
一芸に秀でる。ひとかどの人物になるということは、その吸う空気、吐く息さえ精進しているのでしょうか。
その人がそこにいるだけで大きな山が聳えているような「気」を発しているのでしょうね。
そして、そんな大きな者は一朝一夕では作られない。
ひたすらの努力の賜物では、と思うのです。何事にも通じることだと感じました。

さて、先日のサンフレッチェ広島の第14節。
ホームでの最終戦。
相手は大分。
と、いうことで試合開始前から大勢のサポーター、ファンがスタジアムに押しかけました。
私もワクワクしながら、いつものメンバーと席を共にして観戦。
しかし、試合は0-0で引き分けでした。残念(^^;
その後のセレモニーで小野監督の挨拶がありましたが、
その中の一言。
「ホームでは負けてはいない」(引き分けということですが(^^;)
と、いう言葉が物議を醸して、あちこちのサイトやブログ、掲示板を賑わせました。
私もあれから、この発言に対して、いろんな方のご意見を読み、また自分なりに随分考えました。
そして、本棚から再び湯浅さんの本を引っ張り出したりしたのです。
そこで、出た結論。
「小野監督の真意は、小野監督でない私にはわからない。」
という単純なものでした。
監督がどう言うつもりだったのかを斟酌することは無駄なような気がします。
(監督自身も分かっていないかもしれない、、、そういうことは誰でも良くあることです。
その場に呑まれるということは)
それよりも、大切なことは、
小野監督が、指先からフィーリングを発せられるようなパーソナリティになるため、さらに自らの研鑚と謙虚さを追求してもらいたいなぁと思いました。
来期、どの様な体制になるかは分かりませんが、
どのような布陣であっても、監督自身が
「サッカーを楽しむ」ことが、何よりも大切で必要なことではと思いました。
結局は「人」「人格」なのでではと考えます。
マネージメントするのも、プレイをするのも、観戦するのも、みな「人」なのですよね。
人柄が私たちに
指先のフィーリングとして伝わってくるのでは、、と思います。
なにはともあれ、
今季最終節、浦和との戦い、気合いで臨んでもらいたいものです。
オーラがパッ、パッ、、、ビシビシと出るくらいに。
引き分けキングは、もうご勘弁。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2004.11.22

後生おそるべし

ゴ〜〜〜〜ル。
前田俊介初ゴール。

11月20日、広島ビッグアーチで、J1セカンドステージ第13節が行われました。
対戦相手はジュビロ磐田。
このステージは調子が悪いとは言っても磐田相手の試合は、気合いが入り緊張が走ります。
また広島は、チアゴが復帰して、どんな試合を見せてくれるか期待と不安。
そんなチアゴは、チームの中心になって、しなやかに活躍。
チアゴが起点になることが、何回もありました。
ソフトな足さばきと、しなるような走りで、魅せてくれます。
そして前半16分。
ドラマが生まれました。
森崎浩→大木へ。ワンタッチで落ちるボール→ボール→チアゴがループパスを出す→走り込んだ森崎浩→トラップで抜けると折り返し→
チアゴ、ゴ〜〜〜ル。
先制!!!!
うわっ〜〜〜〜

場内は割れんばかりの歓声。
チアゴ、やった!!!
復帰後のゴールでチームは活気付き、その後も何回も惜しいシーンがありましたが、
得点には結びつかず、前半終了。
ほっ、、、、
このまま、終わりますように、、、、
と、いう願いのもと後半キックオフ。
後半2分、浩司クンが見事なゴール(私はこのとき席を外していたので残念ながら生で見る事ができませんでしたグスン。)
おおお===これはいける。
このままいける。
と、思ったとき。
やはり、予想とおりの展開が準備されていました。
磐田もこのままでは引き下がりません。
たてつづけに2点をとられ、アッと言う間に同点。
おいおい、、、おいおい。
どうなるんだよーーーーー
だれの頭にもよぎるのは、今までのあれこれの試合。
リードしていて,追いつかれ、そして、そして、、、、
あ〜〜〜みなまで書けない。
そんな恐ろしいことは。
口に出さないでおこうと思いつつも、つい弱気な言葉がでそうになる。
「もしや、、、と」
そして、ついに、ついに
監督は動き、舞台は変わった。
前田俊介が投入されたのです。
照明は彼にあてられ、主役は彼になった。
すると、周りの選手たちもすべて動きが変わりました。
彼を中心に、彼が得点できるように、動き出しました。
盛田選手は、前田君の動きだけを見ていました。
そして、盛田選手の頭から弾かれたボールは一直線に前田に。
そして、その前田は、鋭く美しく伸びやかにシュート。

ゴ=====ル。

うわあああああああ。
怒濤のように歓声が鳴り響くスタジアム、
先輩たちの祝福を受けて、狂喜する前田俊介。
そして間もなくピッピッー
試合終了。
3−2広島は勝ちました。
同時に残留も決定。
よかった。うれしい。
さて、
交代ですでにベンチに座っている大先輩の大木選手が、試合後、前田君を、
カッポカッポとたたきながら、嬉しそうに飛び跳ねている姿が、とても印象に残りました。
森崎ツインズも、服部キャプテンも、こまちゃんも、、、みんな、みんな前田俊介の活躍を讃えていました。
若い選手が活躍していく様子は未来を感じさせ、期待が膨らみます。
先輩が、後輩の成長を喜ぶ様は、見ていて微笑ましくも有り難くもあります。

確実に、若き芽は育っている!!!
この芽を、大事に育てて大木(たいぼくと読んでください)になるように願わずにはおれません。
後生おそるべし。
そんな言葉が頭をよぎり、ちょっと胸をただした私です。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2004.11.21

ぶち美味弁当

昨日、サンフレッチェ広島のホームゲームが広島ビッグアーチで行われました。
私も連休なので,応援に行きました。
相手はジュビロ磐田です。
監督は、あの山本監督。
これは、絶対勝たねば、、、と気合いを入れてスタジアムに入りました。
久しぶりのビッグアーチ。
なつかしい〜〜〜
白いアーチに紫の旗がたなびき、サンフレッチェの応援がこだましています。
はやるこころを押さえて、席をさがしにいくと、そこにはもう大勢のサポーターやファンが紫装束で身をかためていました。
その中に友人たちの顔があり、合流。
久しぶりに見た友人たち。
(あんまり変わっていませんでした。)
落ち着いてから、買ってきたお弁当を開いてみて,思わず
「あーーーここはまぎれもなく広島」と実感。
弁当の名前が
「ぶち美味弁当」
〜食べてみん彩1せいが出るぶち美味弁当。
せいがでるぶち美味弁当はスタジアム限定の弁当じゃけん。
はよう!みなで!食べてみん彩!ぶち美味いで!〜

ぶちとは広島弁で「すごく」という意味です。
「せい」とは元気、勢いなどです。

と、いうわけでぶち美味弁当を食べながら、
広島を感じていました。
おいしかった!!!

さて、試合は3−2で広島が勝ちました。
観戦記はまた、別に書きます。

ぶち楽しい試合でした〜〜〜

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.11.20

明極まれば則ち察に過ぎて疑い多し。

今朝は霧。
もうもうと立ちこめる霧の朝は、まさに冬景色。

さぎりきゆる〜〜〜〜
です。
流れ星はついに今年は見ることができませんでした。
そんな空を見上げながら
思い出した言葉があります。


「明極まれば則ち察に過ぎて疑い多し。」

近思録という本に出ていた言葉だそうです。
明とは窗(けい と読み窓の意味)と月との会意文字だそうで窓から見る月のことだそうです。(まさに昨日の私のように)
察というのは宀(べん と読む)と祭りが合わさった字から出来ていて、宀は廟ということで、つまり神意を伺うということだそうです。
そこでひろさちやさんは、さきの近思録を解釈して「あまりに明らかになると欠点まで映し出されてよくないですよ。まあ、あまり深く考えると疑い深くなって何もできませんよ」と書いているのです。(これはとても乱暴な私の要約ですから興味のあるかたは本を読んでくださいね。)
が、がそうだろうか???と思いました。
明が極まれば物事の道理がきっちりとわかり、本質が見え、疑うことはないと思うのです。近思録を書いた人には悪いけれど「それって中途半端な明じゃない?」と言いたいです。
もちろん、ひろさんが本当に言いたいことは何でも疑うな、、、という事なのでしょうが。
そんなことを、あれこれと思いながら流れ星をさがした夜でした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.11.19

無気力の心理学

無気力の心理学という本があります。
著者は心理学者です。
「豊かな社会に蔓延する無気力、、、それは、生存への脅威や苦痛から解放されただけでは、意欲的に生きようという効力感はうまれない」として、ではどのようにすべきか教育や社会、また家庭の在り方などを示しています。
私は仕事柄、
子どもたちに勉強へのモチベーションを高めさせる必要から、この本は折に触れ読んでいます。

さて、今日はこの「無気力の心理学」をちょっと愛するサンフレッチェ広島の選手たちにあてはめてみました。
先日の天皇杯では、正直ガッカリ。
それでも、なお広島を応援するために自分の気持ちを鼓舞。
さぞや選手たちも気落ちと反省か、、、と選手の気持ちも自分なりに推し量っていました。
そんな推し量りの延長から、
また消化試合と言われた「W杯一次予選シンガポール戦」などを見て、
「選手たち、やる気ないのかなぁ〜〜〜」なぁんて漠然と思ったのです。
今の時期って、選手にとって「モチベーション」を高めるのはなかなか難しい時期ではあると思うのです。
崖っぷちから足一歩は脱けている、(油断は禁物)
優勝にはからまない、
なんとなく目標がない。
来期は自分はどうなるか???
などなど考えると、試合の勝敗以上に、思うことが多い時期でもあるのです。
したがって、モチベーションがわかないとか、達成感がないとか、いわゆる無気力状態になる時期です。
これは広島に限らずよそのチームでもそうです。またサッカーに限らず他のスポーツや受験生などもそうです。
もちろん認める事はできませんが、「むべなるかな」という思いもします。
ただ、
「むべなるかな」ではあっても、そこで止まっていては、いつまでたっても前には進めません。
では、どうするか?
答えは簡単すぎて、単純すぎるのですが、
「ポジティブシンキング」しかありません。
今日は、確実に未来に繋がっているのだから、
未来を思って憂うことは、「憂う未来」が実現することでもあります。

「未来は思ったとおりに実現する」

無気力とはさようなら。
服部選手や小村選手などベテランが精神的な支柱になって若者をもっと、もっとサポート。
若者もイキイキ、ノビノビ、はつらつと練習。
そして何よりも楽しいサッカーをしてください。
さらに勝ってくれると私はうれしい〜〜〜
非常にうれしい〜〜〜〜
みんな、応援しているから、明日はイキイキ、ノビノビ楽しいサッカーを見せてください。
たたかえ広島!!!

| | コメント (3) | トラックバック (0)

自己を習うとは

道元禅師は、
「仏道を習うとは自己を習うなり。自己を習うとは自己を忘るるなり」という有名な言葉を残しています。
意味、解釈は多くの仏教研究者や哲学者がなさっています。
また、とくにそんな解釈がなくても、
「そのまま」とってもわかりやすい言葉です。

「自己を忘れるか」、、、かぁ。
一言で言われて、その通りと思っても実際に自分の中でド〜〜〜ンと収まり、行動が伴うのは容易ではありません。
どんなときでも、自分から離れることはできない。
いつだって自分の考えから脱けきれない。
じゃ、どんな自分から???
と、突き詰めてみれば、
「ひとから見た自分」であることに気がついて愕然としてしまいます。
人が私をどの様に見ている?
私が話した事を人はどの様に受け取る?
人は私は評価してくれるだろうか????
あ===
気がついてみれば、
私は、自身を人の目から見ていたような気がする。
「他人の目」で生きていたような気がします。
人との対応、関係の中で、ギチギチになり緊張して、自分の心を縛っていたのでは?と思うのです。
人からみて美しい?
賢い?
やさしい?
そう、そんなもの全ては、いつだってボロボロに崩れ去っていくもなのに、、、
もっと大切なものがあることを知っていながら、それでもなお捕らわれている、
「自己をわすれられない私」
そして、道元禅師が教えてくださったのとは全く違う意味で「自己を忘れていた」私。

そうではない。
そうではない。
と、本来の私が私に語ってくれます。
時々の場面、局面で、
人の評価やウワサで本来の自分を見失ってはいけない。
「自分は自分」だよ。
自分を愛して、いとしく思って、信じていくことが、
「自己を忘れる」ことに繋がるのかもしれない、と思うのです。
そして、そこからさらに繋がるもは、
人への素直な愛情なのでしょうか???
どんなに頑張っても
人は自分以外の誰にもなれないのだから、、、
ならば、自分をいとおしみながら、相手もいとおしんで生きていきたい。


雨のしずくにゆれるモミジを見ながら、そんなことを思いました。

| | コメント (6) | トラックバック (1)

2004.11.18

かわいそうな桃太郎


桃太郎の運命
という本をご存知ですか?
誰でもが、一度は絵本で読んだことがある「ももたろう」。
実は、民話の主人公である「ももたろう」は、戦後「戦犯」であったことをご存知でしたか?
この本の著者は、愛すべき桃太郎が背負ってきたその運命を、歴史とともに語り、
そして、二度とこの様な過酷な生き方を桃太郎に強いいることのないような世界を願い、彼を民話に戻してあげたいと、書かれています。
また、この本に関しては、若田泰さんが、とても分かりやすく丁寧に解説、感想を述べていらっしゃいます。
是非、ご覧ください。

それにしても、かわいそうな桃太郎。
そういえば、桃太郎の歌って、よく見てみると、かなりコワイですよ、、、


1 桃太郎さん 桃太郎さん
  お腰(こし)につけた 黍団子(きびだんご)
  一つわたしに くださいな

2 やりましょう やりましょう
  これから鬼(おに)の 征伐(せいばつ)に
  ついて行くなら あげましょう

3 行き(いき)ましょう 行きましょう
  あなたについて どこまでも
  家来(けらい)になって 行きましょう

4 そりゃ進め そりゃ進め
  一度に攻めて(せめて) 攻めやぶり
  つぶしてしまえ 鬼が島(おにがしま)

5 おもしろい おもしろい
  のこらず鬼を 攻め(せめ)ふせて
  分捕物(ぶんどりもの)を えんやらや

6 万々歳(ばんばんざい) 万々歳
  お伴(おとも)の犬や猿雉子(さるきじ)は
  勇んで(いさんで)車(くるま)を えんやらや


この歌、ちょっと替え歌作ってみませんか?
あなたなら、桃太郎はだれ?
鬼はだれ?
お供のさるや犬や雉子はだれ?
私なら○○ですねぇ〜〜〜
(こんど、作ってみようかな?)

それにしてもかわいそうな桃太郎。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

SOS日本国憲法

こんなニュースをみつけました。17日、自民党憲法調査会がまとめた改憲案大綱の原案が明らかになりました。
これを読むと、自衛軍の明記、海外武力行使が際立っています。
また、国民は国家の独立途安全を守る責務を有するなど「国防の責務」が明記されています。
さらに、総理は「国家緊急事態」を布告、戒厳令を敷く権利が与えられています。
私たちの生活に直結することでは、
「新しい人権」として肖像権などが述べられ、
「納税」の責務の他、「社会保障その他の社会費用を負担する責務」も盛りこまれています。

そして、
一番問題なのは、
改憲手続きの方法です。
国民投票抜きにして、国会の2/3の賛成で可能にする方向へと導いています。
この原案は起草委員会の論議を経て来月初めには総会で「大綱」を決定する予定です。

これは、ちょっと大変なことになりそうです。
私たちが、守り続けてきた「平和の灯」が今、風前のともし火です。
ひしめきが、あえぎが聞こえてきます。
憲法の。
日、一日大きくなってくる。その叫びが、、、

SOS日本国憲法。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2004.11.17

ファルージャに花束を

ひどい、、、あまりにひどい。
米軍が、イラク、ファルージャのモスク内で無抵抗のイラク兵を射殺している映像が映し出されました。
言葉もありませんでした。
この映像の中にはなんの正義も大義もない。
あるのは「暴力」だけでした。
かなしい、、、ひどい、、、
その罪の大きさに戦くほかありません。
さらに戦火は各地に広がり、もはや収拾のつかないところまできているようです。
この先に何がまっているか???
容易に想像ができます。

どうにかして、
なんとかして、
今のうちに戦争を止める手だてはないものだろうか?
いまならまだできる何かはないのでしょうか?
人間の尊厳をことごとく踏みにじっていく戦争を食い止めるすべが。

今、私は心の中でファルージャに花束を贈っています。
それは、この戦争で亡くなった多くの人たちの冥福を祈るものであり、
家族を亡くした方々への哀悼の意であります。
そして、一番強く思っているのは、
これからの世の中が平和でありますように、という祈りの気持ちを込めて、、、
まだ、私自身が平和なうちに、
「ファルージャに花束」を祈りを込めて贈ります。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2004.11.16

プレッシャー

スポーツ選手に限らず、人間はその局面、局面でストレスにさらされ、
あるいは成功願望が高じて、プレッシャーになったりするものです。
昔の人は、平常心とか言って、どんなときでも「ありのまま」の自分を出すことに努力したようですが、
この言葉が今に至ってなお新しいのは、そうそう人は「平常心」では物事に対応出来ないということなのでしょうね。

私が応援しているサンフレッチェ広島の選手たち。
たぶん、
落ち込んでいるだろうな?
焦っているだろうな?
プレッシャーになっているだろうな?
いろんなことが。
メンタルの問題、なんて軽く言われて、たしかにそうかもしれないけれど、
だから、解決できるかというと、そんなに単純じゃないと思うのです。
しかし、
解決をして、道を切り開いていかなければならないのも事実なら、
解決しなければならない。
では、どうやって???
簡単です。
単純になることです。
こうした場合、二つの方法があります。
どっぷり漬かり込んで、あえぎながら自己撞着するタイプ。
ケ・セラ・セラと考えを変えて、プラス思考で邁進するタイプ。
これは、人によって違うので、どちらがいいとか悪いとかではありません。
また、問題によっても違うから、同じ人でも二つのタイプのことがあります。
こんなことは、もう十分承知していることと思います。
しかし、
解決はそれしかありません。
また、
「それだけのこと」なのです。
そもそも抱えきれないプレッシャーなんてないのだから。
最後に、
さらに、さらにご存じとは思いますが、
自分のこと、好きになって、
自分にやさしい言葉をかけてください。
絶対、大丈夫と。
今、自信がチョットないかもしれない広島の選手たち。
絶対大丈夫だよ、、、
信じて!!!
(昨日、開設した森崎お兄ちゃん、弟君のオフィシャルサイト読むと、
選手たちは、必死で
気持ちを奮い立たせていることが分かりますね。
選手を身近に感じることができてうれしい〜〜〜
素敵なホームページでした。
また楽しみが増えた(^.^))

そして、私たちサポーターやファンも、同様に。
信じて!!!
「それだけのこと」だから。

今度の磐田戦。
楽しみにしていますよ。
「たたかえ ひろしま」!!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サンタさん こっちむいて

もう一つのブログにSanta Please Stop Hereという記事を書きました。
子どもたちのサンタさんへの思いが、とてもかわいい。
あなたは、いつの頃までサンタさん信じていましたか?
私は結構、長く信じていたような気がします。
今の子どもたちは情報がいっぱいあるから早熟かと思いきや、案外そうでもなくて、
学年の上の子も信じていたりして、なかなか楽しいエピソードがあるんですね。
サンタにまつわる、、、

それにしても、
サンタさ〜〜〜ん。お願いです。
イラクの方々、
世界中の飢えや病気で苦しんでいる人々、
日本でも天災に見舞われて不自由な生活を余儀なくされている人たちに、
素敵なプレゼント、いっぱいもってきてくださ〜〜〜〜い。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

空駆ける天馬

空駆ける天馬が似合う季節になりました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
♪ 銀の翼を光らせて          
秋の夜空を駆けてゆく 天馬     
雲の峰を突き抜けて 真北に向かう   
ごらん〜〜〜駿馬(シュンメ)の〜〜〜     
駆けて行く〜〜〜〜〜白銀の道を〜〜   
風さえのけぞる 静まりかえる   
銀の  翼を  光らせ〜て 
秋の夜空を 駆けてゆく天馬   
地の声をたずさえて 
地の声をたずさえて 天の声をたずねに      
天の声をたずねに ア〜 ア〜 ア〜 ア〜 
アンドロメダを西南に 
スワンの星座を東南の 
はるかかなたを 後にして 
銀の  たてがみ    光らせ〜て 
秋の  夜空を   駆けてゆく天馬   
秋の   夜空を駆けて行く天馬
天馬 天馬〜〜〜〜  

  (作曲 黒沢 吉徳)

〜〜〜〜〜〜〜〜
さて、こんばんは、流れ星見ることが出来るでしょうか?
あなたは、
どんな願い事をなさいますか???

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2004.11.15

今更ながらネット討論の難しさ

以前、人のうわさという記事を書いたことがあります。
この時はおもに、
マスコミと「風評被害」を考えて書いていました。

私はこのブログでも何回も書いているのですが、
言葉って、必ずしも自分の思い通りに伝わらないし、また逆も同様です。
そもそも自分の考えだって、瞬間、瞬間で違うのだから。

以前は、なんとか自分の考え、思いを相手に伝えようと必死になったこともありました。
とくに、仕事柄、悩める母との対話が多いのです。
一つひとつ、環境やら内容は違うのですが、どのお母さんも「なんとか子どもの成績を伸ばしたい」という共通の思いがあります。
「子どものため」というその後ろには、「自分の思い通りに子どもを作り上げたい」という親の勝手が見え隠れしたりします。(自分自身、まさにそうであります。我が子に対しては、、、いつも子どもに迷惑だと叱られています(^^;)
それは、親のエゴであり、不自然であり、子どもにとってプレッシャーや余計な心配以外の何者でもないことを、伝えようと努力しました。
しかし、いつだって親の強硬な「子を思う気持ち」に跳ね返され、その度に自分の無力を思い、
そして分かったことは、
「なりふり構わない親の愛情が子どもを育てる」ということです。
親って、鬼子母神でいいのでは、、、ということです。
我が子を思い、我が子を育てるのは、まさに親の一心不乱な思いであるということが分かったのです。
私が冷静に「おかあさん、それはね、、、」なぁんてレベルのことではないのですよね。子育てって、、、
そして、その親の愛情が時には間違っていたり、迷わせたりするのかもしれないけれど、
やはり愛情は子どもを育てることを確信しています。
この頃は、成績で悩む母親には、
「わかりました、、、お子さんもわかっていますよ。あなたの気持ち」ということにしています。
また、子どもに勉強を教えることも同様です。
子どもが悩んでいることと、私のそれとは違うことってよくあるので、
うまく指導できないことも多々あるのです。
こんなときは落ち込みます。
そんなわけで、いつも言葉の限界に接しながらの仕事をしている私です。

さて、面と向かっていて目を見て話している相手でもそうなのだから、
ネットで討論、議論することは、かなりエネルギーのいることだと思います。
ブログ仲間のmuse-A-museさんが「とうろんこわい」というタイトルで面白い記事を書いていらっしゃって、私の前の記事にトラックバックをいただきました。コメントもなかなか面白い。
是非、ご覧ください。
あるいは、別の友人のところでも「新潟地震とマスコミ」について、討論 議論が盛り上がっているようです。
拝見しながら、今更ながらネット討論の難しさを感じています。

私自身は、
皆さんにいろいろ教えていただくコメント、意見には感謝、敬意を払いながら、
自らは楽しんで、書いています。
こんな私ですが、
またいろいろご意見や感想などお聞かせください。

| | コメント (5) | トラックバック (1)

天皇杯 広島

ううううう〜〜〜〜〜
負けた、、、、、
ムムムムーーーーー

天皇杯4回戦、J1勢もこれからは加わり、いよいよ元日国立に向けて、熾烈な戦いが始まりました。
土曜日、日曜日とそれぞれ試合がありました。
昨日は、サンフレッチェ広島は横浜FCと三ッ沢公園球技場で、午後1時キックオフの試合があったのですが、、、
結果は、0−1で負けました。
うううううう。
テレビ中継がなかったので、掲示板で現地観戦のレポート、感想から情報を得ているので、
なんともいえないのですが、
残念、、、

広島は天皇杯には強かったのになぁ。
私たちは、十二月2週目は、「ガンバとの試合が万博であるから応援に行こう」とか、元日は今年こそ国立へ、、、
なぁ〜〜〜んて、思っていたのに。(グスングスン)

それにしても、掲示板情報、サッカーサイト情報からですが、
なんとな〜〜〜く敗因は想像ができます。
例のあの人が、邪魔していたのかな???
いろんな書き込み、読めば読むほど、現地にいて、この目で見ていたように想像できるところ、
納得できるところがコワイ。
みんなは、
「なんで使う?」
「もう使うな」
って、書いてあるし、私もよくわかるんだけれど、
一番辛いのは本人だろうな???
なにしろ練習の時は、FWらしくゴールきめているのだから。
「本番に弱い」のでしょうか???
プレッシャーに弱いのだろうか???
いずれにしても、練習で力が出せるが、本番では実力が出ないということは、
サッカーに限らずあることです。
これに関しては、解決策は、ひたすら本人しかありません。
「スコッと抜ける」まで、悩み、苦しむのは本人以外誰でもないし、誰も代わりが出来ない。
みんな同じだと思うのです。
そこをどうのり越えるか?
一流か、そうでないかの違い、分岐点でもあると思います。
N君にも頑張ってもらいたいものですが、、、
ただ、周り、とくに監督は「見極め」をすることが仕事だから、
これまでのような「使い方」をしていたら、本人にとって「自信のなさ」だけが、増して落ち込むのではと思うのですが???
なにしろ、出場するたんびに「反省」を強いられるのだから(^^;
とにもかくにも、一番苦しんでいるのは、本人です。

それにしても、
今年の天皇杯は、J1がバタバタ崩れていますね。
これって、なんなのかな?
「差」がなくなった?
油断した?
いずれにしても、
一つひとつの試合を丁寧に本気で向かっていく者に運命の女神は微笑むことは間違いなさそうです。

あと残すところ3試合。
昨日は前田君が頑張ったという「未来」を感じさせる情報も入っているので、
力いっぱい頑張ってもらいたいものです。
私も応援に行こうと、今から楽しみにしています。
「たたかえ広島」
力いっぱい応援します!!!

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2004.11.14

落ち葉

落葉(らくよう)

秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもいでや。

げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。
(ポール・ヴェルレーヌの“秋の歌”から上田敏が訳)

もう、落ち葉新聞が届く頃になりました。
かそこそとなる落ち葉を踏み締めて歩くのも好きですが、
雨上がりの、しっとりとぬれた落ち葉をミシミシと踏み締めるのも、かなり好きです。
あるいは、青い空にハラハラと散っていく赤い葉っぱも風情があります。
晩秋の澄みきった空には、赤やら黄色の葉っぱが、ほんに似合います。
素敵なこの季節。
あなたには、どのような思い出があるでしょうか?
何を思い浮かべますか?
私は、随分昔の映画ですが「化石」という映画を思い出します。
井上靖の同名の本の映画化ですが、
銀幕に映し出されるヨーロッパの風景が、心にジーーーンとしみてきました。
勿論、話の筋も忘れられませんが、、、
「死」を同伴者として生きていく男の物語り。
なんて、軽くは言えませんが、
何回でも読んでみたいし、見てみたい本、映画です。
秋の夜長に、もう一回、開いてみようかな〜〜〜
あの本を。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

滅びの美学

大河ドラマ新撰組第45話は、いよいよ
鳥羽伏見の戦いになります。
タイトルは「源さん、死す」です。
先日の予告では、「源さん、死す」ご期待ください。
と、書いてあったけれど、「ええ〜〜〜期待なんかできない、、、、ゲンサ〜〜〜ン」と、叫んでいた私。
あ〜〜〜ついに今日、あの源さんも。
思えば、第33回「友の死」で山南敬助が死んでから、坂道を転がるように、みんな死んでいきました。
歴史は、そうなっているから仕方がないけれど、さびしい〜〜〜。
真実かどうかはいつも意見の別れるところですが、このNHK大河ドラマ新撰組は、
人々のとらまえかた、描き方がやさしい。
歴史上、敵役として扱われていた人物に対しても、「それなりの理由」を用意して、
死に際には、みんな「いいひと」として描かれていました。
どの「死」に対しても、
厳かで、人間としての尊厳、敬意が表されていたように思います。
脚本家の三谷さんの人柄でしょうが、
なかなか「良い作品」では、、、と思います。

それにしても、
新しい時代を駆け抜けた男たちの物語り。
もう、終盤です。
時代の選択であったとはいえ、そこには「良心」が脈打ち、消えては去り、また現れたりしていた人間たちの物語りをして「滅びの美学」と名付けてみました。

さて、今の時代。
ブッシュさんの選択は?
小泉さんの選択は、どの様な「美学」(?)を残すのでしょうか???
そして、今ここに生きる私たちの選択は???
と、思ってしまいました。

それにしても、
げんさぁあああああん。
寂しくなるよ、、、、

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.11.13

IQテスト

先日、テレビでIQテストの放送がありました。
その結果については、
aranxpさんのブログや、
ブログ仲間の、さいと〜さんの自慢であったり、みなさんいろいろ書いていらして面白かったです。
真偽はともかく、楽しいですよね。
私はパズルが大好きなので、テストをすることを、すごく楽しみにしていました。
私も、家でやりました。
夜はなにかと忙しいので、時間のある日にやろうとビデオに録っておきました。
そして、その時間のある日がやってきて、
子どもと気合いをいれてやろうと、したのです。
「ちょっと、待って。かあさん 顔洗ってくる〜〜〜」と洗面所へ、飛んでいって顔を洗った途端。
ほら、例のあれカメムシ き たぁーーーになるわけです(^^;(^^;
(^^;
と、いうわけで、IQテスト。
気もそぞろに、やりました。
顔やら手やらの臭いばかり嗅ぎながら(^^;
「ねぇ、ちょっとかあさん、カメムシ臭くな〜〜い?」
と、何度も聞くので、子どもに嫌われながら(^^;

そんなわけで、結果はさんざん。
ガ〜〜〜〜ン。
ガ〜〜〜〜〜〜〜ン。
この日はダブルパンチでした。

でも、ねぇ。
ここだけのはなし。
カメムシがわるいんだ〜〜〜〜
(ありがとうよ。カメムシさん。君のセイにできたよ)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

それだけのこと

皆さんは覚えていらっしゃいますか?
今年の宮中歌会の御代を。
「幸」でした。
それについて以前「やじろべえ日記」に書いたことがあります。
今日はここに加筆変更をして掲載いたします。

〜〜〜〜〜〜〜
歌会はじめ   
御代 「幸」

天皇をはじめとしての皇族の詠まれた歌を拝見して、やはり皇太子夫妻の歌に思わず微笑んでしまいました。
親の子を思う情感がなみなみと伺えて親しみを持ちます。
さて、今日は「幸」について書かれたものを二つ紹介します。

まず有名なカール・ブッセの「山のあなた」の詩です。
山のあなたの空遠く
さいわい住むと人のいふ
ああわれひとととめゆきて
涙さしぐみかえりきぬ
山のあなたになお遠く
さいわい住むと人のいふ   (上田敏訳)

次に哲学者の三木清の「人生論ノート」の一節を引用します。
「機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福は常に外にあらわれる。歌わぬ詩人というものは真の詩人でないごとく、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではない。幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如くおのずから外にあらわれて他の人を幸福にするものが真の幸福である」

この二つ如何ですか?
私は「幸せとは自分」なのだというメッセジーをこの二つから受けています。
なにも桃源郷をさがさなくてもいい。自分が幸せと感じること、そしてその身内から出てくるものが周りをも幸せにしていくということなのでしょうか。
幸せにはエネルギーが流れているんでしょうね。
幸せとは表現だというこの言葉、含蓄あります。
まずは、機嫌がいいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なことに挑戦してみたいと思います。

〜〜〜〜〜〜〜
さて、私は以前ここにも書いたように首の第6、7頚椎がちょっと変形をしているため、
手がしびれたり、頭がボッ〜〜(これはいつもか?)とすることがあります。
そんなわけで、西洋医学の本や東洋医学に興味を持ち、いろいろ読みあさっています。
自己治癒力というか免疫力というか表現は違っても、
そのいずれも「こころ」のありかた、持ちよう、考え方の大切さを説いています。
現代人が抱えるストレスをどのように対処し、バランスを保っていくかということが、いろいろ書いてあって、参考になります。
そんなかで、見つけたのは
アランの幸福論の一節です。
「人間というものは、感情のままに放っておけば悲観的になっていかざるをえない。しかし、幸福感というものは自分の楽観主義など意思によって生まれる。自分は幸せになるぞと思うことによって、はじめて悲観主義から逃れることが出来るのだ。それしか道はない。逆に言えばそれだけのことだ」
そうです。
〜自分は幸せになるぞ〜
と、自分に言い聞かせる。
自分とともに歩む
と、いうことでしょうか???
あなたはいかがですか?
幸せですか?
私は、今現在が幸せです。
(あこが痛い、ここが痛いとギャコと騒いでいるし、もうすこし福沢さんの顔を拝みたいなぁ〜と欲な私ですが(^^;)
どうか、あなたもお幸せに!!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.11.12

冬が来る前に

♪ 冬が来る前に
もう一度あの家にかえりたい

もうすぐ本格的な冬がやってきます。
テレビでも何度となく放送されていますが、
新潟の地震被災地にも冬はやって来るわけですが、
ここは豪雪地帯。
雪の季節を迎えるにあたり、いまどんな気持ちでいらっしゃるかと思うと胸が痛くなります。

私も北国生まれの北国育ちだから雪の大変さは想像に難くありません。
最近は暖冬とかであまり雪も降らなくなったのですが、
それでも、一旦降れば見る間に積もります。
積もった雪は、そくお荷物です。
屋根に積もった雪は直ぐ下ろさないと家が潰れます。
だから北陸の家は屋根が急で、瓦がツルツルしています。
また、家の中に中庭なんかがあって、屋根の雪が落ちてくるように工夫したり、
その時は当然、玄関から中庭までは土間だったりと、豪雪地帯仕様の家作りがあちこちに見られます。
そして、積もった雪は、川に捨てにいくのですが、この時一番役に立つのがリヤカーなのです。
車は役に立たない。
毎日、まいにち雪かき。
だんだん疲れてきます。
すると雪捨てで、本当にケンカになったりするのです。
日向の家の方に、雪を持っていくと、その家の人が慌てて出てきて、
自分ちの前に捨てるなと言ったり、、、
リヤカーで雪を捨てにいくとき、コロコロ転がり落ちる雪ってあるじゃないですか。
そしたら、「あんたんちの雪だからちゃんと持って帰れ」とか、とか、、、
みんな疲れているから、普段なら笑ってすますことでも、段々とんがってくるのです。
私は子どもだったから、お気楽なもんで、お地蔵様の前の空き地に雪を山のようにして積んで、スキーをしたり、雪だるまを作ったりしていましたが、今思うと大人は大変だったと思います。
なにしろ、豪雪の時期は、血液の比重が男の人はみんな低くなるとか、、、

地震で地盤が緩くなり、復興のめども未だ立たないこの時期。
雪はつらい。
本当に辛い。

テレビでは、住宅の手当が、なかなか思うように行き渡らない現実を報道していましたが、
なんとか、もっと被災地の方に暖かい行政の手が差し伸べられないものでしょうか、、、
せめて、冬の寒さをしのぐ住宅を早く、という思いでいっぱいです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

やさしさを有り難う  その2

以前このブログで「愛だよ愛」というタイトルで、サンフレッチェ広島のファンとして自分の在り方を書いたことがあります。
今日は、同じ気持ちで、自分のブログにむけて「愛だよ愛」と囁きながら書いています。
そもそも、私はホームページやブログを始めたのは、
自分の仕事から得た経験、それは拙いものであるけれど、
どこかで悩んでいる母、孤独な子どものちょっとしたきっかけになってもらいたいと、作り始めたのです。
夫を初め家族が私を支えてくれ、いつも励ましてくれます。
また周りの人たちもいつも温かく見守って下さいます。
そんなやさしさは、ウレシイ!!!
だから、「やさしさをありがとう」と言う気持ちで、
私のホームページやブログを読んでくださる方に思いを込めていました。
ところが、
このごろ私は怒っていたのです。ムカついていたのです。苛ついていたのです。
この世の中の仕組みや動きに。
イラクのこと、税金のこと、教育のこと。と。
そこで私は思いの丈をありったけ書き散らしていました。
その怒りやら、苛立ちが文になったとき、その行間から見て取れるのは、
乱暴で突出していて、危険なアジテーターだったのです。
それでも私は怒りのあまり気がつかなかったのですが、先日隅田清次郎残日録さんに指摘されて、ズドーーーンとわかったのです。
ほら、文って「人となり」って現れるじゃないですか。隠しようもない自分が。
それはホームページやブログでも同じで、
開いた途端、楽しくなるページ。いやされるページ。真剣なページと、
いう具合にその雰囲気って伝わってきますよね。
それはとりもなおさず、管理人、サイトマスターの人柄でもあるわけです。
隅田さんは、直感として私の乱暴な思いや怒りを感じられ(多分みなさんも、、、)
それを教えてくださったのです。
あるいは、以前私が落ち込んでいたときFAIRNESSさんが勇気つけてくださいました。
FAIRNESSさんには、いつも教えられることばかり。
その時、「やさしさをありがとう」というタイトルで記事を書いたので、今回は「その2」です。
しかし、ほんとうに、有り難い。
うわすべりになり、心あちこちに飛び、ひたすら怒っていた自分をもう一度見ることができました。
そこで反省!!!
しかし、私は基本的に反省はいつまでもしないことにしているのです。
反省は執着になるから。
実は同じことを繰り返すから。
したがって、私は今までの政治に対する怒りは怒りとして自分の中で肯定しながら、
これからは、始めた頃のようにブログを書き終えるとき、
「あなたにやさしさを」
と、唱えて終わることにします。
もちろん、世の中の動きについては今まで通り書いていきたいと思います。
ただ、勢いに任せてドンドン書くのはやめようと思います。
願いを込めて書こうと思います。
もし、よろしければこれからもお付き合いください。

小さな私の世界を一緒に読んでくださるあなたに、「ありがとう」という思いをこめて。

| | コメント (17) | トラックバック (0)

2004.11.11

天文マニア

宇宙・天文サイト『星空への散歩』のテルテルさんからしし座流星群について書いた記事のトラックバックをいただいたので、訪問しました。
来週の流れ星の饗宴にワクワクしている方が大勢いるんだなぁと思い嬉しくなりました(^.^)
テルテルさんは、11月10日(つまり昨日)の木星と月と金星の競演についても書かれています。
私も、遅ればせながら、
「見ました!!!!見ました」
と、叫びながら、ブログ拝見をしていました。
昨日は、一直線でしたが、その前は、木星と金星が兄弟のように並んでいました。
日ごとに変わっていく様子を見ながら、ため息をついていました。
なんというのかな、、、
壮大なんですよね。
丹精なんですよね。
東の空に惑星と月が並び、ちょっと離れたところから、次第に茜色になっていくさまが、、、
金星の輝きはまさに「明けの明星」。
木星はそれより、やや控えめに小さく輝いています。
あの星たちがいる宇宙の彼方ってどんなだろう、、、
思いは膨らみ、想像は羽ばたきます。
う、、、んんん。
やっぱり宇宙が好きです。
天文マニアと言うには恥しく面映ゆいけれど、
宇宙は好きです。
大好き!!!
見ていてあきません。

惑星と月の会合を見逃した方も是非今度の流星群はご覧ください。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

錯覚ワールド

先日、夫と「青少年のための科学の祭典」に行ってきました。
主催は、日本科学技術振興財団などです。
小学生から大人までが楽しめるように、いろんなコーナーがあって、それぞれに専門家や先生がついて、説明をしてくれました。
理科離れが問題になって久しくなりますが、
学校の現場から離れたところでも、子どもたちに理科を好きになってもらおうと、努力している人たちが、大勢いることは、とても嬉しく、また力付けになりました。

私たちは、友人が担当している「錯覚ワールド」のコーナーを覗きました。
長さが違って見える線や、ハーマンの格子などよく知られている錯視から、新しいバージョンまで、いろいろあって、とても楽しい時間を過ごしました。
錯覚、錯視については、友人のaranxpさんが、ブログに取り上げています。
新しい目の錯覚か?
あるいは、
kariage.さんのところでも、絵入りで載せてありますので、ご覧ください。
絶対、楽しめると思います。ウケアイ。
錯覚って、「脳」が情報を処理するときの時間差から起こると言われていますが、
何回見ても、飽きません。

私たちって、とかく目に見える物には絶対の信用をおきますが、
案外、それも「脳」の処理が時間差をもって行っているのかも、、、
なんて、またしてもSFの世界に滑りこんでいく私です。
先日もここで書いたように「科学と常識」というものは、相関関係にあって、
昔の迷信が今は科学で証明され常識になっていったように、
今、不可思議、未知と思われていることも科学の進歩により、常識になっていくものもあると思います。
そして、そんな未来を背負っているのが、今の子どもたちかと思うと、なんだかワクワク、ゾクゾクしてきます。
夢があっていいなぁ〜〜〜
子どもたちには、
今の時点で人類が到達している科学を、超えるために、
よりよい教育、環境を贈りたいと考えた「科学祭典」の一日でした。

〜〜〜〜〜〜〜
aranxpさんからコメントをいただきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
目の錯視でキョーレツなサイトはここですね。
http://www.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/
プリントしていろいろな年代の人に見せたらそれぞれ反応が違っておもしろかったです。若い人ほど感じないみたい(?)

その他私(aranxpさんのこと)のサイトで取り上げた錯覚ものです。
http://aranxp.ddo.jp/cgi-bin/mt3/mt-search.cgi?IncludeBlogs=3&search=%E9%8C%AF%E8%A6%96

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私もこのサイトを訪問いたしましたが、頭がクラクラ。目がグルグルしました。
是非、ご覧ください。

| | コメント (3) | トラックバック (2)

かにかくに 

いつも訪問させていただいているdragon-tailさんのところで、楽しいお祭りを紹介していました。
かにかくに祭というお祭りです。
〜〜〜〜〜〜〜
祇園をこよなく愛し、全国にその魅力を広める広告塔の役を果たした歌人にして劇作家、吉井勇の歌碑が、祇園の白川巽橋のほとりにある。
刻まれた歌
「かにかくに 祇園はこひし 寝るときも 枕のしたを 水のなかるる」
その碑を建立した11月8日、毎年彼を偲んで、お茶屋さんや屋形の女将さん、芸妓さん舞妓さんが集まって菊の花を手向けるのが、「かにかくに祭」。
元来、関係者だけが集まって風流に行われるものだったらしいのだが、なにしろ、盛装した芸妓さん、舞妓さんを間近に見れる機会なんてめったにないため、近年はやたら見物客が増えることとなった。
(dragon-tailより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
こんな素敵なお祭りがあることを知りませんでした。
来年は是非行きたいと、今から楽しみにしています。

さて、「かにかくに」というこの言葉。
普段の生活ではあまり使われませんが、「とにかく」というような意味です。
私は、「かにかくに」という言葉を聞くと、まず思い出すのは石川啄木です。

〜かにかくに 渋民村は恋しかり おもひでの山 おもひで の川〜

啄木はふるさと岩手の澁民村を限りなく愛し、ふるさとを詠んだ歌が沢山あります。
切なくて、哀しくてそれでいて燃えるような情熱を秘めた啄木の歌が好きです。

あるいは、先日このブログでも書いた良寛様の歌を思い出します。

〜かにかくに 止まらぬものは 涙なり 人の見る目も 忍ぶばかりに〜

普段はあまり耳にしない「かにかくに」と言う言葉。
こうして歌に詠まれ、音にするととても素敵な響きを出します。
なんだかなつかしい音でもあります。
時間が、ひだまりの中で過ぎていくようなのんびりした感じ。
とかく忙しい今日この頃。
なんだか、揺れるような日本語にふれて、嬉しくなった一時でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.11.10

お忘れなく「しし座流星群」

今年もやってきました。
しし座流星群の時期が。
今年は11月17日がピークだそうです。
今年は、活発な出現は予想されないそうですが、
それでも、夜空に星が流れる様は、なんとも言えません。

前に住んでいたところは、
山だったので、星がそれこそ降るように輝いていました。
そして、そんな夜は、空気が透きとっています。
煌めく星とかなた町の光が悠然とまじりあって、時間の流れがゆっくりであることを感じていました。
大自然の中のちっぽけな自分が限りなく愛しいと思う瞬間であります。

さて、今年ももうすぐやってくる「しし座流星群」。
ぜひ、ご覧ください。
尚、防寒はお忘れなく。
(家以外でご覧になるときは、ご家族でいかれることをお奨めします。老婆心ながら)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

全ての人類よ 警戒を怠るな

以前、嵐は木を鍛えるという記事を書いたことがあります。
レジスタンス運動で絞首台に散ったフーチクのことを書きました。
彼が最後に言った言葉を今、しみじみと、なお あたふたと感じます。
「全ての人類よ 警戒を怠るな」
と。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ひとまとめにされる人々

今、イラク・ファルージャで、米軍による掃討作戦が行われています。
その公に明かされた理由は、「武装勢力の一掃」だそうです。
武装勢力、、、、ねぇ。
そんな言葉に騙されるお目出たい人なんてどこにもいないのでは、と思います。
なにしろ当の米軍でさえ、テロ組織の中心人物はすでにファルージャにいないと発表しているのだから。
それでも、なおかつ「武装勢力」はいるそうな、、、
そりゃ、そうでしょう。
自国を、泥靴をはいて、ズカズカとやってきた占領軍に対して、自分たちの安全と誇りを守るために、戦う普通の人々を武装勢力と米軍は名をつけたのだから。
つまり、武装勢力と米軍に呼ばれている人々は、かってのレジスタンスです。
彼等、すべてをひとまとめにして、「敵」とみなして、戦うわけです。
解放するべき(?)人たちを敵にして戦うことは、その戦争が間違いであったことを示しているわけですが、
米軍にとって、というか戦争仕掛人にとっては、「そんなことどうでもいい」のでしょうね。
そもそも大義やら、理由なんてあとから追っかけて来ているのだから。
(大義やら理由もたいへんだぁ〜〜〜)
ところで、こうした乱暴な「ひとまとめ」のされかたは、一方で日本人にもあてはめられるのでは、と思います。
「日本人は、好戦的」とか「アメリカの家来」とか、まぁいろいろ。
いわゆる国際社会の中では、
日本=小泉さんの発言
と、いう等式がなりたっているのでしょうか、、、
私たちは、自分の知らないところで、日本人というだけで「戦争好きのアメリカいいなり」のレッテルを貼られているわけでしょね、、、
これは、大変。
私たち、日本人も小泉さんだけでないことを、知らせていかなければならない時期が、本当に、
ほんとうに
今、きました。

続きを読む "ひとまとめにされる人々"

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2004.11.09

ファルージャ総攻撃

愛のまぜご飯のheteさんが、攻撃激化に反対するオンライン署名という記事を書かれています。
是非、ご覧ください。
また、米軍、ファルージャ総攻撃を開始武装勢力が応戦 激しい戦闘にという記事が載っているサイトも紹介しています。
今、イラクで行われている現実が、描かれていて少々辛い記事です。目をそむけてはならない、、、

さて、今朝は朝のワイドショーを見て、思ったこと。
「自衛隊がいるサマワは安全。」という自民党の○○議員さん。
あなたが、まず行ってくださいよ。イラクへ。
日本の、東京の、テレビ局の椅子に座って、ぬくぬくしながら、
「イラクの平和のために」なんて言っている間に、何人のイラクの無辜の民が亡くなっていることか、、、
まずは、あなたが行ってください、、、
私はテレビに向かって大声で叫んでいました。
小泉さんや、その他大勢の「自衛隊海外派兵」賛成の方々、
まずは、あなたやあなたの子どもたちが行ってください。
と、大声で叫んでしまいました。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2004.11.08

隣人を愛せよ

「父と母を敬え。 あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」(マタイ伝)
よく知られた聖書の一節です。
意味は文字通り「他人を大切にしなさい」という意味です。

さて、アメリカ大統領にブッシュさんが再選された今だからこそ、
映画華氏911の描き出した現実を考える必要があるのでは、と思います。
あまりに話題性に富んだ映画なので、すでに見られた方もそうでない方も内容についてはご存じだと思います。
ズバリ「ブッシュの嘘」を暴いている映画です。
この映画が全て真実を描いているかどうかは、わかりません。
ブッシュさんの演説を切り貼りして、監督のTPOに合せているので、
マイケル・ムーア監督がコケにするほどブッシュさんが「○○」(お好きな文字入れてください。
ただし罵りの言葉ですから、、、ねぇ)ではないかもしれません。
しかし、
この映画が、最も言いたいこと、監督が声を大にして叫びたいこと、体をはってまで訴えたいことは、「本当」だと私は思いました。
それは、
戦争へ、戦場へと、かりたてられる人たちは、極貧層出身者が大多数である。
彼等は、自分たちの命をはって、自分たちの上にのっかかっている人々の富と安全のために、今日も人殺しをしている。
と、いうことです。
そうなんです。
イラクの人々もアメリカ兵も戦っているのは、名もなき善良な民衆なのです。一般の人々なのです。
彼等は自分の明日のために、命を体を、心をはって戦っている。
しかし、それは彼等とは無縁の世界に生きている「階級」の人達の明日を保障してるだけなのです。
いつだって、どこだって、犠牲を強いられるのは、こうした人たちなのです。

過去の戦争は、全て、そうでした。
一人の王や君主のために、多くの多くの人々の命が犠牲になりました。
そして、人類は再びこうした愚をおこさないように、自らを縛る目的で、
「国際社会」を築いていこうと誓ったはずなのに、、、

ブッシュさん再選が意味することは、
さらにアメリカが軍事力で他を制圧していこうとすることです。
アメリカのみが利益をあげていくプログラム作りを強化していくということです。
強いアメリカを支えているのは、極貧層の人々や、マイノリティーであって、
その貧富の差はさらにさらに拡大していくことです。
ごく普通の人々は、「アメリカの正義」を信じ、星条旗をかかげ、
教会に行き、賛美歌を歌う日々が約束されていることの幸せのみを噛みしめ、日々を送ります。彼等の生活の中にはマグドナルドはあるけれど、イラクの人々はありません。
今は、まだその社会的病理は顕在化していません。
しかし、いずれこの病巣は広がり蔓延し、支えきれなくなることは必至です。
社会を支えていた極貧層の脆弱な部分から崩れ、次に中産階級と呼ばれるところに波及していく。この頃になって初めて人々は、自分たちの道義や正義は、それを支えていた人々の血から成り立っていたことに気がつきます。
やがて、この動きはもっとも極貧から遠ざかっていた上流階級にまで届く。
ただ、この厳粛な事実に気がつくまでにどれだけの犠牲が強いられるかを思うと頭がクラクラします。
もちろん、ブッシュさん一人が悪いわけでなく、戦犯は彼のいる階級であると思うのです。
だから、ブッシュさん一人が「いいひと」になっても世の中は進むべき道に進んでいくと思うのです。推進力は「資本」なのだから。
ただ、この「資本」のもつ大きなエネルギーを、ほんのちょっとだけでも方向を変えることが出来る立場にいるのはブッシュさんなのです。
だから、あなには「いい人」になってもらいたい。
あなたの誇らしいアメリカがカタストロフィーで崩れ去る前に、
そして、巻き添えを食って多くの国々が崩壊する前に、
どうか、もう一度思い出してください。
〜あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。〜
を。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2004.11.07

たたかえ広島

昨日、Jリーグ第12節、サンフレッチェ広島と名古屋グランパスの試合が、
名古屋・瑞穂陸上競技場で行われました。
私たちも、名古屋まで出かけて応援!!!
余談ですが、我が家は作家の清水義範さんの大ファン。
名古屋と言えば清水さん。清水さんと言えば名古屋。
あまり、今までの生活の中で名古屋に縁がなかったので、情報はもっぱら清水さんからもらっていた私たちは、
名古屋と言えば、言葉の最後に「にゃ〜〜〜」とか「みゃ〜〜〜」とかつけるのかと思いました。
また、食べ物はきしめんと、味噌カツ。
そんな知識で出かけた私たち家族。
車の中では、もっぱら「○○だにゃ、、、」とか「○○だみゃ」とか、多分地元の人でもビックリするような名古屋弁(?)をしゃべって、楽しみにしていました。名古屋の人々にあうことを。
そして、早めについて、車を駐車場にいれるところから、大騒動。駐車場がない^^;
ようやく、町の真ん中の駐車場を見つけて、そしていざ「きしめん」を食べに、お店に直行と繁華街へ。
いろいろ、探しましたが、結局わかりませんでした。
多分、地元の人ならよくご存じなのでしょうが。
仕方がないので、デパートのテナントに入りました。
そこで、名古屋弁がきけるかと思いましたが残念ながら、みんな標準語でした。
味噌カツはおいしかった(^.^)

そして、地下鉄を乗り継いで、スタジアムに行きました。
地下鉄は、新しくてきれいで気持ちがよかったのですが、スタジアムは、ピッチが遠く、チョット見にくく、声も聞きにくかったように思います。
(先週の神戸がよすぎたのか?)
さてさて、肝心の試合は、
前半の前半。すごく早いうちに(前半7分)右サイドを大きなワンツーで崩されて中央に走り込んだマルケスにあっと言う間に決められました。そして、続く13分には右からのCKを中央でマルケスが頭で逸らし、中央に飛び込んだウェズレイのシュートを許してしまいました。
この時はアッという間もありませんでした^^;
その後も名古屋の攻撃の手はゆるまず、バスケットの試合のように大量得点されたらどうしようと、思いました。
サポーターも、引き気味の選手に「おい。こら。下がるな」と叫び、
そして
「たたかえ広島」コールがあがりました。
そのコールに後押しされるように選手たちは、前にまえにと攻め込み、
押し上げ、ついに、ついに大木選手が、ダイビングヘッドで1点。
ゴ〜〜〜〜〜ル。
べんちゃん!!!!
すーぱーべんちゃん!!!!!
君はすばらしい、、、
おしみなく、おしみなくベンちゃんを讃えるコールと拍手が続く中、さらにさらに広島の攻撃は続く。
そして、ハーフタイム。
島根の友達と、この時点で合流。
一緒に応援をしました。
(広島からの応援ツアーは、前日の11時半の出発だったとか、、、)
サンフレッチェのことが好きじゃなきゃできないよなぁ。あたまが下がります、サポーターの方々には。
さて、後半もペースは広島。
森崎お兄ちゃんを中心に、何回もチャンスがあったのですが、
(とくにリ・ハンジェのシュートとか)
結果は残念ながら2−1で負けました。
残念。
しかし、この試合は、「広島は頑張った」と評価したいです。
ベンちゃん。90分お疲れさま。
カズ。迫力があり、気合いが入っていました。
浩司。目がよくなってよかったね。
コマ。仕事きっちりしたよね。
吉弘。プロの洗礼を受けて、さらに大きく成長してください。
あと、リカや盛田やら、小村やらベテランの選手もおつかれさま。
シモッチも頑張っていた。
前田俊介!!!君が上手なのはわかるが、ユニフォーム、アンダーにしたほうが審判のウケいいと思うよ。
と、まぁ納得いくところも多々あるのですが、一つだけ素人の私に分からなかったのは、
「なんで、中山君が交代ではいってきたんだ????」です。
どなたか、おわかりになりますか?
監督の深慮遠謀が。

それにしても「たたかえ広島」で俄然勢いついた選手たち。
やはり、サポーターの大切さを感じました。

| | コメント (7) | トラックバック (2)

2004.11.05

カメムシ き たぁーーー

さっき、顔を洗っていました。
そして、洗濯したばかりのタオルで顔を拭いてサッパリ、、、のはず。
が、
が、
あのニオイがそこはかとなく、顔と手の方から、、、
ううううーーーーー
も・し・や。
そっーーーとタオルを広げると、
なっなんと、そこには、
カメムシの子どもが、、、
ぎゃ======

ううううう======んんんん
どうしよう、、、
もしかして顔、拭いた???
ぎゃーーーー

何回も、何回も顔を洗って、
手を洗って、、、
でもとれないよーーーー

あのニオイってなんともいえないよなぁ^^;
前に住んでいたところは山を開拓したところだったので、ワンサカいました。
その前に住んでいた所は海の近くだったので、フナムシはいたけれど、カメムシはいませんでした。
引っ越してきて、初めて、カメムシを見たのは、近所のお兄ちゃんが、ソッーと団扇に乗せて、外に捨てているときでした。
「なんて、やさしいお兄ちゃんだろう」
と、我が子と感動していました。
そして、息子は、カメムシをかごに飼っていました^^;
そのスゴサを理解するのに時間はかかりませんでしたが、、、
私の友人は、カメムシに強くて(?)手で掴んでポイと捨てるんです。
その彼女が言うには、さすがに40匹くらいつかむと臭くなるそうです^^;
カメムシ談義すると、どこまでも、時間を忘れる私たちでしたが、
まさか、まさか、
こんな都会で、見つけるとは、、、、トホホ。
油断したぁ、、、
前は、洗濯物を手にするときは慎重に、しんちょうに調べてから、身につけていたのに。

まぁ、人間の勝手でニオイが臭いなんて言っていますが、
向こうも必死なのでしょうね。
生きるために、、、
カメムシが大量発生する原因は、人間が生態系を崩したという説もあります。
すべて、己の招いたことか、、、

と、いうわけで、今年の冬もカメムシとの闘いが続きそうです。
と言っても、こちらはひたすら逃げの一方ですが。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

科学と常識

以前、「科学読み物読書会」に行ったことがあります。
その時、話し手の方から、こんな質問をされました。
「ジュースの空き缶と、中の入っている缶とを、坂道でころがしたらどっちの方がはやいか?」
という内容でした。
私を含め、30人くらいの参加者は、みんな考えこみました。
なかには、「物理苦手なの」なんて言って最初からドロップアウトの人もいたり、
「待って、、、、もうちょっと、、、」と粘る人やら、会場は盛り上がりました。
さて、あなたはどちらが速いと思いますか?

私たちは、日常あたり前と思って疑問をやり過ごしていることって、案外多いような気がします。
改めて質問をされると「あれ????どうだったっけ?????」と、悩み、自分の知識が如何に生半可であるか、
目の当たりにします。落ち込みますガックゥ。

先日、夫からおもしろい話を聞きました。
不思議な無重力と言うタイトルの、ブログにも書いていますが、
無重力と重力の場では、物体のとる行動が、想像を超えて違っているということです。
〜〜〜〜〜〜〜
 我々科学を研究する者は、常に頭を柔らかくしていよう、と努力しているつもりなのですが、しかしこう言うのを見るといかに「常識」にとらわれているか、と言うことが良く分かります。我々普通の人間にとって、重力があるのは当たり前。どんなことでもそれを前提にして考えているわけで、宇宙空間ではその考えが通用しないのもまた、当然なのだと思います。    不思議な無重力より
〜〜〜〜〜〜〜〜
科学は常識を超えたところにあり、
その科学を探求することで、常識にしなおす。
そして、さらに向こうに常識を超えた科学が、また待っている、、、
果てしなく科学と常識の旅は続くのでしょうか???
人間の探求心は、倦くことなく続き、ロマンは、どこどこまでも広がる。
とても、夢のある素敵なことだと思いました。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

因果応報

未来は予見できないものなのでしょうか?
未知なるものなのでしょうか?
私は決してそうではないと、このごろ思うのです。
仏教の言葉では「因果応報」というようです。
過去の行為は、形を変えて現在に影響を必ずや及ぼしている、今行ったことは将来、結果として現れる、ということです。
FAIRNESSさんは、ブログでたびたび「過去の上に今があり、今の延長に未来がある」と書かれています。
イラク人質事件は、何もポッと出たものではありません。
日本の政府の取ってきた政策の上にあり、それは選挙の結果であったり、
アメリカとの力関係であったり、財界からの要求であったりするのでしょうが、
とにかく、一つの小さな(?)ことの積み重ね、偶然の上に必然が生まれ、ここに在るということです。

そして、今、あらたに新しい偶然がここに積み重ねられていきました。
アメリカ大統領再選という、、、

私たちは、日常の中では、「今こうしたら、未来にこの様に返ってくる」なんて、そうそう思わずに生活しています。
ましてや、自分の行動が、「世の中を動かす原動力」の一つだなんてあまり実感していません。
しかし、実は、
私たちの「今、まさに、ここにいる」そのことが、
未知なる未来への一歩だと、
つくづく感じています。

ブッシュさんは勝利した。
小泉さんは大喜びした。
彼等は、過去に、今日ある努力(?)をしたのでしょ。
だから、彼等にとって、「今日」があるのでしょ。
彼等の「今日」が、未来にとって害以外のなにものでもない(とりわけ戦争という意味では)ことを、信じている私は、
今日を、「平和な未来」のために、努力したいと願っています。

〜善因善果
   悪因悪果〜

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2004.11.04

教育と競争原理

教育基本法改悪のシナリオ作りが急がれている今、
中山文部科学省大臣の言動が注目されています。
〜〜〜〜〜〜〜
「努力して自分を磨く」
「秀でることへの憧憬の念」
などを教育で教えないから社会に出てから激しい競争に耐えることが出来なくて、
出勤拒否や離職者が増えて来ているのだ。
もっと競争原理を教育の現場に導入するべきだ。
〜〜〜〜〜〜〜
と、いうような内容を折に触れて発言しています。
一見、尤もそうなこの意見。
しかし、その底にあるのは
「企業の論理」であることを忘れてはいけません。
社会にでて役たつ、ということは勿論、教育の目的の一つでもありますが、
それは、教育の付加価値でなければならないと思うのです。
教育の目的は、
あくまで「学問、真理の探求」です。
教育の現場は、社会に役立つために、人材、つまり材料としてのヒトをつくる工場ではありません。
中山大臣のような考えが、蔓延すると、
「勝つこと」に執着する人間が出来上がってきます。
表面的な事象にしか興味を示さない、
損か得かだけしか考えない。
他人はどうでもいい。
、、、、、、、
すでにその失敗は検証され、誤りを正すために、
試行錯誤を繰り返していたわけですが、
そんなこと、全てをひっくり返して、元に戻そうとしています。
いま、
教育の現場に国家が入り込もうとしていることが、よくわかります。
こわい、、、

しかし、怖がってばかりはいられません。
声をあげて、伝えていかなければ。
「教育とは、国からの縛りを受けない自由なものである」ことを。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

おててつないでイラクにいけば

♪くつが鳴る

お手てつないで イラクに行けば(ゆけば)
みんなこわい兵隊さんになって 
軍歌をうたって、軍靴(くつ)が鳴る
晴れたみ空に 爆音が鳴る


銃をつんでは お頭(おつむ)にあてて
みんなこわい兵隊さんになって
一列行進  軍靴が鳴る
晴れたみ空に爆音が鳴る

アメリカの大統領選挙。
結果はブッシュさんの勝利でした。
アメリカ国民はブッシュさんの今までの政策、方針を是としたのでしょうか???
もっとも、ケリーさんでも変わらない気はしますが、、、
いずれにしても、
日本政府は、これまで同様、いやむしろますますアメリカの言いなりになることは、目に見えています。
憲法改悪をさらに迫ってくるでしょう。
BSEも忘れてはいけません。

今日、この日が、未来にどんな影響を及ぼすのだろうか???

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.11.02

テレビショッピング 新憲法

テレビを何気なくつけたら、ドラマの合間の宣伝だった。

〜〜〜〜〜〜〜〜
「お茶の間のみなさん。こんにちは。細井カンジです。」
「こんにちは、能野千子です。」
「今日は、このほど作られる予定の新憲法についてのご案内です。」
「まぁ、、、もう出来るんですか?」
「はい。今準備中。もうすぐピカピカ、できたてホヤホヤをお届けいたします。
この新憲法は、今までお使いの現憲法とちがって、愛国心が盛り沢山織り込まれています。」
「まぁ、素敵。」
「さらに、いつでも自衛隊が海外に行くことができるようなカラクリを、文の合間に塗り込んであります。」
「それは、賢い。」
「さらに」
「えええ、、、まだあるんですか?」
「はい。まだまだあります。
女性は、社会に出るより家庭を守るようにと、いう思いで この新憲法の図案は東京都の麦長さんがデザインしてくださいました。名人らしく、白ご飯の真ん中に梅干しひとつ乗っている斬新さです。」
「そ・れ・は・オシャレ!」
・・・・・・・・・・・
(画面は変わって)
ーーながたマチにお住まいの大池ドン一郎さんーー
「新憲法で、いつでも戦争が出来るようになります。国際貢献できます。」

ーー高迷島にお住まいの夏草さんーー
「アメリカの友人にも、これでいばることができます」
・・・・・・・・・・・・
(再び、スタジオ)
「こんな、素晴らしい新憲法、お高いのでは?」
「いいえ、今なら新教育基本法もおつけします。」
「えええ、、、」
「さらに、郵政民営化と年金改悪法もすべてセットで、
お値段は、今なら特別価格にて○○円」
「そ・れ・は・お・や・す・い」
「今すぐ、お電話ください。
♪0123ー456ー789○
日本セーフゥ」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
あ〜〜〜つい見てしもうた。
あかん、あかん。
悪徳商法には気ぃーつけんと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

内心の自由

明日11月3日は憲法記念日です。
現憲法を、ことに9条の精神を守っていかなければ、と切実に思う今日この頃。
また、教育基本法についてもしっかりと守っていかなければならない状況です。
このブログでも折に触れて、教育基本法について書いてきました。
そもそも、この法律が出来たのは、昭和22年戦後間もなくのことです。
先の戦争の反省をこめて再び子どもたちを戦禍に巻き込まない目的で作られました。
この法律を作るに当たり、
当時もいろいろな争点がありました。
例えば、教育の目的に「祖国愛」や「宗教心」「犠牲や奉仕」「日本人の育成」などを盛り込む必要があると、その時も主張する勢力はあったのです。
しかし、一方で、思想や良心については法定化すべきでないという意見もありました。
そこで、両者のバランスを取りながら出来上がったのが、現行の基本法です。
つまり、内心の自由に関する項目は
憲法にのみ依拠することにしました。
基本法では、自主的な教育活動を励ますということを主な狙いにしたのです。
当時、多くの教師は、教え子を戦場に送ったのでは、と自分を撞着していました。
自信をなくし、虚脱状態の教師たちを力付け、教育活動を蘇らせる方向性を示したのが、
基本法だったのです。
そして、内心の自由に踏み込まない教育は、教師たちに再び教えることへの自信と情熱を指し示すことが出来ました。
人の心を、強制的に縛ることはできない、してはいけない。
そのことが、多くの教師の心を解放しました。
自らも縛られていた内心の自由から。

今、再びその自由が脅かされようとしています。
縛られ、コントロールされてからでは、遅い。
まだ、自由な時、自分の頭で考え、判断できる今、
私たちは、しっかりと基本法を守っていかなければならないと思います。
決して、
歴史は繰り返してはならない。
と、いう思いを込めて。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.11.01

時間配分

サンフレッチェ広島とFC東京の試合が、昨日広島ビッグアーチで行われました。
そぼふる雨、体感温度は、15度くらい(たぶん)の肌寒い中での試合でした。
応援に行かれたサポーターの皆さん。お疲れさまでした。
風邪など引かないように、ご自愛ください。
私はテレビ観戦.
始まる前、夫が「FCはナビスコのために選手温存しているらしい」と言っていましたが、
実際はケリー選手くらいがおやすみだったようで、
おなじみの(オリンピック代表とか、、、)顔が映し出されていました。
前半は、最初東京が攻めてきましたが、広島もDFがぬかりなく働いて、安心して見ることができました。
(下田も神戸戦で反省したのか?昨日は気合い入っていました)
そんな中、
見せました。
魅せました。
双子が。
8分にゴール正面やや右寄りで得たFKで、凄いトリックプレーを見せたのです。
弟君がボールに近づいて何気なく、ちょんとボールを浮かせると、これを兄がふわっと壁の裏へ。
うわ〜〜〜かっこいい!!
と思って、ボールの行方を見ると、ここに走り込んだ小村が右足でボレーシュートを放ちました。
が惜しくもボールは枠外に外れます。
しかし、凄かった!!!
華麗なプレーでした。
テレビでも何回もなんかいも写していました。
さすが双子。
解説者も「高度なプレーだ」と褒めていました。
その後、服部君の惜しいシュートやらが続いて広島ペース。
ベットもスイスイとボールを持って、惜しいシーンがありました。
そして、ついに前半15分。
兄の和幸選手がゴ〜〜〜〜ル。
ここでも双子の活躍が見せました。
魅せました。
弟が蹴ったCKのボールを、吉弘が相手とゴール際で競り合って落とすと待ち構えていた兄に渡ります。完全にフリーになった森崎和は落ち着いて胸でトラップすると強烈なシュート。
その後も、目を見張るようなシーンが何回もありましたが、
残念ながら、1点にとどまり試合は後半へと移りました。
後半からは、森崎浩司選手にかわり大木選手が入りました。
「うわっぁああああああ。
ベンちゃんだぁあああああああ」
ひそかに心配。(べんちゃん。ごめんなさい。スーパーなあなたは誰にもとめられない。スバラシイ。ただ、そのスーパーがいつなのかわからないところがツライ)
浩司君は前半調子よかったから、どうしてべんちゃんに替えるんだろう?
「殿、ご乱心?」
と、思いました。
(後からの情報で浩司君、ちょっと目がみえにくくなったとか、、、
心配ですが。大丈夫ならいいけれど)
さて、
「どうぞ、、、このまま終わりますように!!!」
ひたすら祈りながら、時計の針のすすむのを見る私。
そんな祈りもむなしく、
やっっやはり、
後半7分。
FCがゴールを決めて、同点。
またもや、またもや。
いやな思い出が蘇る。
「もう1点入れられたらどうしよう、、、」
と、言う我が子に、みなまで言わせない。
「こら、、、言うなぁああああ。
それ以上言うな。」
アナウンサーと解説者も言う。
「広島は疲れたんですかね、、、
前半と戦い方が違いますね。」
そう〜なんです。
広島はすぐにヘタレルのです^^;
「前半のような戦い方を90分続けることができると広島は良いチームになるのですがねぇ」
と、解説者。
わかっとる!!!そんなこと。
あっ、そういえばベンちゃんはどこにいる???
消えてる。
リ・ハンジェ選手もどこにいる??
それから、それから、、、???
テレビの画面から消えている。
あら、みんなどこ行ったの?って感じの後半でした^^;
隠れん坊していたのですか?
そんなこんなで、
後半は、若手のホープ前田俊介君も出場したのですが、
結局同点引き分けでした。
テレビ中継のアナウンサーの最後の一言。
「今日は、はっきりしない天気でしたが、試合内容も天気のようでした。
では、広島ビッグアーチから失礼します。」
でした。

やれやれ。
ですね。
90分戦うことの難しさを感じた試合でした。
選手の調子や、天気。交代の見極めなどいろいろ考えさせられることが多かったのですが、
課題が多いということは、成長の幅もまた大きいということで、楽しみでもあります。
後、残す試合。
全力で戦って欲しいものです。
応援にも気合いが入ります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

迷える羊は見捨てられた

怒り、哀しみ、悔しさ、、、
いろんなものが混ざり合った思いで、今日はニュースを見ました。
そう、イラク人質事件の最悪の結末に対してです。 
この事件が示すことは、大きい。
たんに一人の好奇心旺盛な青年が、危険な所に行って、
自己責任(?)を負って殺害された、というものではありません。
亡くなった香田さんは、今の日本国民の姿です。
だれだって、香田さんになりうるのです。いつでも、どこでも。
確かに彼は、自ら火中に飛び込んで行ったというかもしれない。
こんな時期に、オロオロと危ない目に自ら会いに出かけた香田さんかもしれない。
しかし、
だから、
助けることに誠意と熱意を示さなくていいというものではない。
どんな理由であれ、国民が生命の危険にさらされているというのに、
微塵の動揺もしない総理というのは、私には許せそうにもありません。
あろうことか結婚式に出るとは、、、
そりゃ、前から約束されていた予定かもしれないけれど、
親の気持ちを思ったら、ちょっとそんなことできないよね、普通。
今、この国に住んでいるということは、命は守ってもらえないが、税金だけは納めなければならない、ということなのでしょうか?
さらに、日本に住んでいても、私たちは政府によって見殺しにされる可能性はあるのです。
沖縄のヘリ墜落。
忘れてはなりません。
今度は、岩国から同機のヘリが飛ぶとか、、、
沖縄県民の命より米軍の方が優先されました。
墜落が再びないとは誰が言えるでしょうか?
しかし、政府は何もその点についてアメリカに糺しません。
総理にとって、国民とは「そのようなもの」であるということが露呈したように思います。
安心だ、安全だ、人の命が大切だと、総理が百万遍唱えても、私は信用できない。
「総理、あなたは自ら、自らの穴を掘ったのです。」
たとえ他の国会議員が、あなたのレトリックに騙されようと、
たとえいずれかの国民が、あなたの詭弁にまどわされようと、
私はだまされない。
あなたは、一人の青年の命さえも助けることが出来ない無能な政治家だったのですね。
あなたは、そのことを恥しいと思わないのだろうか???
誰一人国民を守ることの出来ないあなた。
あなたは、
あなたの言葉に包まれ、いずれ、、、

最後にあなたに、聖書の言葉を贈ります。
〜〜〜〜〜〜〜〜
「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。
(ルカの福音書15章1〜7節)抜粋

| | コメント (3) | トラックバック (6)

« 2004年10月 | トップページ | 2004年12月 »