« 指先のフィーリング | トップページ | 親の負担 »

2004.11.26

家守綺譚

誘われて読書会に顔を出しています。
私が「平均年齢を下げている」というような人生の先輩たち(?)が集まっているサークルです。
先日は梨木香歩の家守綺譚を取り上げて勉強をしました。
実は、私は浅学非才ゆえ、当日までその本について知らなかったのです。
ブラリと出席をしたのですが、話はとても興味深く、身が引き締まるものでした。
「つい100年前の話。死んだ友人の家を守るためにやってきた私が、そこで出会う不思議な世界」を描いている異界の物語なのです。
霊やら物の怪やら異形の者が出てくるその話は、夢か現つかと惑ううちに、淡々と話は進み時間も流れていきます。
人が初めは持っていたであろう能力、すなわち精霊と意識を交換する能力。第六感とでもいうのであろうか、あるいは超能力とでも言うのでしょうか?
科学の発達とともに置き去りにされ、忘れ去られ風化した能力。
そんな懐かしいものを思い出させる小説でした。
と言うようなところで、私は終わってしまうのです。
しかし、サークルの方々は違うのです。
ある方は、この本について、
「四季折々の豊かさを五感で感じ取り、時空を超えて飛び交う物の気配に、今ともにあることの重み、いとおしさを感じる。京都に住むものの手ざわり感を感じた。」
と、言われました。
綿々と続いてきた歴史の町 京都で、さらに営々と築き上げてきた文化。脈々と流れる伝統。
ついこの前住んだ私には、それはわかりません。
生活の中に取り込んできた自然との触れ合い、ぬくもり、それは何も樹木や花や山川だけでなく、霊であったり、物の怪であったりしても、すべて取り入れるのです。
そして限りなく果てまで続く小宇宙が、目の前にあるのです。
そのことが、私にはたまらなく魅力だったのです。
「おもしろい、、、
この町はおもしろい」
と、心の底から思いました。
ほら、あなたのすぐ後ろに誰かがいるよ。
だれだろうねぇ。
まぁ、そんなこともあるよ、、、この町には。
なぁんて感じのどうにもこうにも、一筋縄では括られないおかしみを感じたのです。

ゆうゆうと、
ひたすらゆったりと流れる時に、
ちょっと身を委ねた一瞬でした。

|

« 指先のフィーリング | トップページ | 親の負担 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/15797/2075056

この記事へのトラックバック一覧です: 家守綺譚:

« 指先のフィーリング | トップページ | 親の負担 »