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2004.12.18

学力低下問題

学力低下、理科も深刻 中2が6位、小4は3位にというニュースが先日発表されました。その一週間前には日本は数学6位、読解力14位に転落 OECD学力調査という記事が出て文科省、教育関係者や保護者に激震が走ったところでした。
この記事が出てから私はいろんな新聞の記事や識者と言われる方々の意見、あるいはブログで多くの方の意見を拝見させていただきました。
この問題を「学力低下」と位置づけて、その行き着く先は「ゆとり教育」への苦言となるのが多くの意見だったように思います。
私も結論としては「そうなのだろうな」と思うのですが、
「では、どうするか?」と言うことに関しては、しばらく考えてしまいました。
この問題がでるちょっと前の11月には全国学力テストを実施、競争意識高める 文科相が私案というニュースが出ました。
また今回の結果を受けて中山文科相「土曜授業」を容認 「現場裁量に任せても」という方針も打ち出してきました。
しかし、この一連の動きを見ると、どうも「その場しのぎ」としか思えないような小手先方針ばかりなのです。
そもそも、なぜ「ゆとり」が導入されたか?ということの歴史を知らないのではと思います。
そして、いまこの「ゆとり」が破綻しようとしている。
では、また「詰め込み」に戻そうとするのは、あまりに知恵がなさすぎます。
これでは綻びてくるのは、目に見えます。
「あれがだめなら、これ。これで失敗したらやっぱりあれ。」というのではなくて、
新しい可能性を探さなければならないと私は考えます。
私は、いつも子どもたちと接していて、彼等の「学ぶ能力、知りたいという探求心」には目をみはらせられます。
「学力低下」なんて、まるで子どもが悪いみたいな言い方は適当ではありません。
「教育の環境低下」と私は言ってもらいたいとひそかに眉を顰めていました。
では、現実に子どもたちが今どんなことを学んでいるか、、、
これは、次のエントリーとして書きます。

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コメント

学力低下の問題は、「学力観」の問題が本質なのではないかと僕は思っています。今まで語られていた形での「学力」が問題だとしたら、それは低下していると思います。それは、「ゆとり教育」の影響ではなく、古くさい「学力」の定義が、もはや時代にそぐわなくなったので、必然的に「学力低下」が起きていると僕は思っています。

夏目漱石の時代には、学生が漢文の白文が読めないことが「学力低下」として嘆かれていたそうです。しかし、時代はもはや白文を必要な教養とはしていなくなっていたというのが、正しい解釈だっただろうと思います。

時代にふさわしい新しい「学力観」が必要なのに、古くさい「学力観」で学力低下を嘆いているのが今の状況なのではないかと思います。「ゆとり教育」は、その本来の目的は「学力観」の転換だったはずです。しかし、単に暇を作っただけで、その転換が出来なかったので、古くさい「学力観」に復讐されているのだと思います。

投稿: | 2004.12.19 13:39

秀さん。
コメント有り難うございます。
確かにそうなのです。
「新しい学力観」を文部省が発表したときも、子どもたちの学ぶ要求や環境を整備することよりも「できないのも個性」なんて言って、教えること、分からせることを放棄した結果が、今表れていると思います。
これに関しては識者は警鐘を鳴らし続けていたのですが、、、
「ゆとり」にしても、実は子どもたちはゆとりに振り回されていて、ちっともゆとりのある生活をしていないのが現実です。
私は文科省の付け刃で、その場しのぎのやり方には、本当に腹が立ちます。
子どもたちは受難の時代です、、、
しかし、
しかし、
やはり言っていかなければとも思っています。
これからも、小さな叫びかもしれませんが、書いていこうと思っています。
その時はまたご意見、おきかせください。
では。また。

投稿: せとともこ | 2004.12.20 13:38

 う~ん、「教えること、分からせることを放棄した」わけじゃないとは思うんですけど・・・。
 「できないのも個性」って、その人にあったレベルの教育をしていこう、という意味だと思うんですけどね。
 ただ、教育学界や文部科学省内でも足並みが揃っていないのは事実でしょう。
 「ゆとり教育」って、机の上での勉強やテストの成績以外にも大事なことがあるよ、という意味だったのに(すくなくとも僕はそう理解しています)、その成果をはかる方法がいまだに机の上での勉強をどれだけしたかで決まるテストの成績なんですから。

投稿: さいと~ | 2004.12.22 09:35

さいと〜さん
こんばんは。
コメント有り難うございます。
そうなんです。
本来の「新学力観」は、仰有るように
>その人にあったレベルの教育をしていこう、という意味だと思うんですけどね。

なのです。
ところが、現実の学校の中で行われていることは、
「君は勉強はできないけれど、体育はできるからいいんだよ」
「あなたは音楽ができるから、算数はわからなくてもいいんだよ」
「素直ならいいんだよ」
と、いうことが実態になりました。
それまでは、放課後残って教えたいた先生方も、課外授業をしなくなりました。
しかし、先生方は暇になったのではありません。
細分化された評価や、それ以外の仕事に追われているのです。
私は、新学力観は「分からない子」に分からせる努力を放棄したものだと、はっきり思います。
キッパリと言います。
この導入で、ますます学力の二極化、いわゆる落ちこぼれと言われる子が増えたことも現実です。
文科省のやり方には、本当に腹が立ちます。
彼らの思いつきの狭間で、翻弄される現場の先生方と子どもたちのことを思うと、もっと大きな声で言わなければと私は思いますが、、、
いかがでしょうか???
では。
またね。

投稿: せとともこ | 2004.12.22 18:26

 ん~、じゃ、「分からせる努力を放棄したもの」というより、僕は「放棄させられた」だと思いますね。微妙な差ですが。
 けなすよりほめたほうが人間って伸びることが多いので、本音で「できなくてもいい」と思ってるわけじゃないとも思いますし。
 どっちにせよ、新学力観は大きな方向転換なわけですから、それなりの準備と説明が必要だったはず。だけどそれをほとんどしないで、極端な言い方をすると「学習指導要領だけで方向転換ができる」と思ってたフシがありますね。
 せめて大臣が「テストの成績も大事だけど、テストの成績よりも『知ることの喜び』や『科学の面白さ』などをわかってもらえること重視で指導しています。現場もみんな試行錯誤の段階ですので、テストの成績が多少悪くても、長い目で見てください」なんて言えば、ちょっとは違ってくるんでしょうけど・・・大臣が新学力観を理解してないみたいで、ヒステリックに叫んでますからね。何のための改革やら、というところですね。

投稿: さいと~ | 2004.12.23 07:58

 ゆとり教育を考える側にゆとりがないような気がします。
 学力の高い北欧をまねて、教育観がないままゆとり教育をまねしていたら、ガリ勉くんの韓国に抜かれた、どうしよう、という右往左往が手に取るようです。北欧のように教育の地方分権、学校の自主性を認めてゆとり教育をやれば、いいでしょうが、教育内容を細かく中央から統制しながら、というのは「やすめ」を強制させる整列のようです。
 「封印される不平等」という本に書いてありましたが、ここからは、日本モデルが提示できなければダメで、実際日本のまねをしてきた韓国はその道を歩みつつあります。
 しかし残念ながら司馬遼太郎先生がかつておっしゃったとおり、日本の悲劇はリーダーが三流だと言うことなのかもしれません。

投稿: i-demo | 2005.02.05 11:13

i-demo さん。
こんにちは。
コメント有り難うございます。
本当に仰るとおりだと思います。
いつも思いつき、その場限り、そして利益優先の考えが先にいっているような気がします。
結局、このつけは子どもにいき、ゆくゆくは将来の日本全体が負わなければならないと思います。
三流のリーダーに任せられないとは言え、一流はどこにいるううううう??????(^^;(^^;(^^;
と、叫びたくなります(^^;
本当にどうなるか、しっかりと見極めていきたいです。
これからも、また色々お教えくださいね。
では、また。

投稿: せとともこ | 2005.02.07 13:18

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