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2004.12.18

国語入試問題の意図

子どもたちに国語の入試問題を解かせながら、
このごろとみに思うことは「むずかしい〜〜〜〜」と言うことです。
とくに、中学入試問題が難しい(^^;
出題は、いろんな分野にわたっているのですが、
近年「哲学」関係が多いように思います。
以前はもっと物語、お話から出題されていたと思います。
たとえば、
〜〜〜〜〜〜〜
山が横たわっている。
この山はなんの意味もないけれど、
幼いある日、自分は友達と楽しく遊ぶ体験をしたことで、この山を見る目が変わった。
山は幸せの象徴になった。
、、、、、、
〜〜〜〜
とかとか、自分の体験が述べられていて、その後「象徴」「シンボル」について書いてあります。それも凄く長く。
それを最初から最後まで読んだとしたら、読み終えた頃は、初めに何が書いてあったか、すっかり忘れてしまいます。
その後の設問が、またまた難しい〜〜〜〜
う=====んん。
わからない。
解答を見ても、私にはどうも納得がいかない。
それでも、すがるような目つきで私を見ている受験生の小学生には、教えなければならない。
ここで、私は悩むのです。この子を前にして。
正直にわからないと告白すべきか、理屈をつけて受験術をこの子に伝授すべきか。
悩むのです。
そして、大抵の場合、私が取る態度は、かなり噴飯物と罵られるかもしれませんが、
出題者への不満です。
「こんな問題、だしてどんな意味があるのかね???
先生もわからないのよ。正解はこうなっているけれど、君はこの正解納得する?
えっ、わからないって。そうよね。わかんないよね。こんな問題。
まぁ、仕方がないから漢字と文法、やろうか、、、、」
実は自分でも悩むのですが、それでも正直なところそれしか思いつかない私です。
とにかく、この頃の国語の入試問題。
国語を嫌いにさせよとしているのか====と勘ぐりたくなるような問題が多いのです。
小学6年生に「哲学」のような問題を出す必要があるのでしょうか???
実際、子どもたちが取る点数も平均点が30点代です。
どう考えても「差をつける」だけの問題です。
子どもたちに国語の面白さを伝えようとか、あるいは本来の国語能力を伸ばそうなんて暖かい視点はありません。
これでは、子どもたちの国語の読解力がつかないのもむべなるかなと思うのです。
確かに難関校を目指している子どもたちをふるいにかける必要から難しい問題がでるのは仕方がないとしても、
大人である私たちが見ても「えええ、、、な〜にこれ?」なぁんて問題は、よして欲しいです。
解いていて楽しい問題が出ると、その学校のスマートさがわかり嬉しくなります。
出題からも、その学校のセンスがわかるということで、出題者の方も心してもらいたいものです。

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コメント

 私には入試問題の出し方がどういう事になっているのかは解りませんが、小学6年生に哲学的な問題を出しても無意味でしょう。問題を出す側と現場の先生方との意見交換は無いのでしょうか?教えてて空しくなるような事ではいけませんよね。また勉強してきます。

投稿: hitoriyogari | 2004.12.18 18:03

題材に使われたテキストの作者が問題を解いて間違えることがあるそうですね。また、作者が、ほーこれにはそういう意図が隠されているのかと感心することもあるらしい。それは、出題者が作者の意図を取り違えている、すなわち問題自体が間違っているということです。

投稿: yoshihiroueda | 2004.12.19 01:25

 遠藤周作さんも、自身の作品が使われている問題の「次のうちで作者がいいたいのはどれか」という問いに、どれでもないよと答えたそうですね。
 思うんですけど、入試問題って、試験を出す側が、受験生側に求める理想的な学生(生徒)像を映し出しているふうに感じるんです。
 そして、試験を出す側と、過去の受験生が持ってないものをねだる傾向もある、と。
 たしかに、最近は哲学が不足しているようには感じますよ。ものごとを深く考えず、思いこみだけで「これが正しいに違いない」と決めつける人が多いようには思います。だから、哲学を求めるのはわかるんです。
 だけど、哲学を投げかける時と場所が間違えてますよね。

投稿: さいと~ | 2004.12.19 13:09

国語という教科の特質は、文章を論理的に読みとるというところにはないように僕は感じます。それは、国語教材としての文章が、あまり論理的な記述になっていないことを感じるからです。

論理的にすぐれた文章というのは、複数の解釈を許しません。間違えようのない文章こそが論理的な文章です。間違いやすい、代名詞が何を指しているかが曖昧な文章で、正しく文脈を受け取ることがそもそも難しいのだと思います。

こういう国語のテストの話を聞くと、数学において、本質とは全く関係のない計算の複雑さで難しくする問題を思い出します。これは、まさに差をつけるために、うっかりするヤツや、だまされるほどお人好しのヤツを引っかけるために作られた問題です。そういう嫌らしい問題が出来ても、数学の能力が優れているわけでは全くありません。

国語の本来の能力も、僕は文章の質を評価できることだと思っています。わかりやすい文章がなぜわかりやすいのか、わかりにくい文章がなぜわかりにくいのか、その評価が出来ることが国語の本来の能力だと思います。

うっかり間違えそうな文章で、出題者の意図をくみ取って正解を探すというのは、国語教育における思想教育だと語る国語教員もいました。難しいテストには、その教科本来の能力を見ると言うよりも、思想教育の面が大きいのではないかと僕も感じました。

投稿: | 2004.12.19 13:32

hitoriyogariさん。
yoshihirouedaさん。
さいと〜さん。
秀さん。
こんにちは。
コメント有り難うございます。

hitoriyogariさん。
>問題を出す側と現場の先生方との意見交換は無いのでしょうか?教えてて空しくなるような事ではいけませんよね。
多分、お互いの意思の疎通はないと思います。
出題者は、その学校の命運、プライド(?)をかけて、難しい問題を作ります。
あと、出題後に塾などから叩かれないようにも留意します。(^^;
しかし、受験生のことはいっさいお構いなしですね。
残念ながら、、、
入学後のケアも考えるようになった学校も増えてはいますが、これは高校以上です。中学受験はまだ厳しい問題が多いように思います。
「ふるい」の目はこまかいのでしょうか???

yoshihirouedaさん。
>それは、出題者が作者の意図を取り違えている、すなわち問題自体が間違っているということです。
はい。
本当にそう思います。
出題者は作者の意見を予め聞かないのですかね??
いずれにしても、出題者のセンスが問われるような悪問で子どもたちの学力を測ってもらいたくはないです。
国語教育審議会も、もうちょっとしっかりとしてもらいたいなぁ、、、と思っている私。
さて、これからいよいよ年末。忙しくなると思いますがどうぞお元気でお過ごしくださいね。
では、、、

さいと〜さん。
>思うんですけど、入試問題って、試験を出す側が、受験生側に求める理想的な学生(生徒)像を映し出しているふうに感じるんです。

それって、すごくわかります。
そうですよね。
出題者も当然、入学する学生、生徒を想定していると思います。
「この問題をどのように考えているか?ということは、絶対あると思います。そして自分の思うことが正解になるわけです(^^;
しかし、これって、大学の学期試験ならともかく、受験では困りますよね(^^;
なんだか公私混同している出題者も多いのか???
あるいは自分の守備範囲が狭くなっきているのか???いずれにしても受験生は大変です(^^;

秀さん。
本当に仰有るとおりだと思います。
私自身は論理的で、いかなる誤解も許さないような文を書くことを、いつも心がけなければと思うのです。
文法の勉強をしたり、構成を考えたりとしています。
しかし、なかなかそうはいかないで、自分の未熟さに思い至ることばかり。
しかし、とりわけ受験に出題されるような作品、論説は、間違え用のない論理的な文章であって欲しいものです。その学年により、発達に応じての「国語能力」を測る物であって欲しい、、、
しかし、現実にはそうでないということを考えると、
あなたの仰有る、
>難しいテストには、その教科本来の能力を見ると言うよりも、思想教育の面が大きいのではないかと僕も感じました。

でしょうか????
うううう〜〜〜〜
うなっちゃいますね。
ますます子どもたちの国語能力、言語能力が低下していきそうです。
これは、ちょっと真剣に考えなければならないと思います。
また、ゆっくり考えて書きます。
その時はご意見お聞かせくださいね。
では、、、
おからだ大切に!!!

投稿: せとともこ | 2004.12.20 13:28

せとさん、批判的なことを書きましたが、実は最近の中学入試問題には良い問題も多いと感じています。学校によっては問題に感心させられるところも多いです。今の子どもって想像力欠けていて、こう言ったら人はこう感じるだろうとか、この人はこういう態度を取っているが内面ではどう考えているだろうとか、そういうことを考えられない感じですよね。今の国語の問題ってそういう想像力がないと解けない問題が多いように思います。受験勉強をすることは実はそういう想像力の訓練になっているのではないかと(ただそれもただの受験のテクニックに堕ちる可能性もあるにはあるのですが)。それから論理的な文章があいまいなく分かると言うのも鍛えた結果で、論理的な文章を書くためにも論理的な文章をたくさん読んでセンスを磨くことが必要と思います。

投稿: yoshihiroueda | 2004.12.20 23:09

yoshihiroueda さん。
こんばんは。
コメント有り難うございます。
私も、国語の問題を解いていて、とても楽しい文に出会うことはよくあります。
評論、随筆、科学、どれも目を瞠るものです。
ただ、ここで問題なのは、小学生に哲学的な文が適当か?ということと、もう一つは設問そのものが、いささか、というような問題が多い事について言及いたしました。
出題文そのものは、素敵な文はいっぱいあります。
本当に、教えられることが多いと私も思います。
確かに問題作りって難しいですよね。
出題する側のご苦労もわかるのですが。
いずれにしても子どもたちには「小手先」の受験術は教えたくないものです。
また、いろいろご意見お聞かせくださいね。
では、、、

投稿: せとともこ | 2004.12.22 18:04

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