ネバーランド
ネバーランドという映画を観てきました。
ご覧になった方も多いと思います。
子どものための童話「ピーターパン」の作者ジェームズ・マシュー・バリ主人公。物語が出来るまでのエピソードが綴られている全体にソフトでゆったりとした映画でした。
感想はズバリ「やさしい映画」だったということです。
心がしっとりと、時間がゆったりと流れていくうちに映画は終わり、静かな充実感に包まれました。
夫の感想は、
「心を閉ざしていた人たちも、演劇を通して開いていくところが良かった」というところです。
子どもは、
「演劇を観ているうちに人々の表情が次第に柔らかくなっていくところが良かった」と言っていました。
さてこんなザッーとした感想のあと、ゆっくりとこの映画を再考するなら、
私にとっては二つの問題が提起されたように思います。
一つは、「演劇」あるいは芸術が人に与えるもの
もう一つは、ピーターパンの永遠のテーマ「子どもの心を持ったままの大人」についてです。
まず、一つ目から。
やはり演劇、芸術の持つ力が如何に偉大であるか、人々の心に何を残すか、またそれを生み出す芸術家のたゆまぬ努力への尊敬の念を新たにしました。
私も子どもが幼いときは、「子ども劇場」に入り、少しでも本物に触れさせたいと思いました。
今でも、幼い時に観た劇のことをしっかりと覚えています。
映画、演劇、音楽、絵画をはじめあらゆる芸術、またスポーツなどをしっかりと守り、育てていきたいと思いました。
さて、二番目の問題「大人になりきれない永遠の子ども」について。
作者は本当に子どもが好きだったのでしょう。
やさしくて、寛大で、信頼、また尊敬の念を持って子どもに対峙していく作者の姿からは、
曖昧なやさしさを感じました。
なぁんていうのか、現実逃避、、、っていうのか。
確かにネバーランドは、永遠の憧れであり、心の支えであり、よりどころです。
子どもが、子どもの時代にしっかりとネバーランドで遊び、豊かに、大きく心を成長させることは必要です。
しかし、
作者であるバリもまた、子どもであることに、私は問題を感じました。
勿論、だからこそあんなにピュアな作品が世に出てきたのも事実です。
それはそれとしても、私はやはり奥さんに同情してしまいます。
二人の価値観は違っていたのだろうし、その辺りは映画に克明には描かれていませんが、
バリさんは、大人の心を持った大人たちの物語を、現実の世界で書き上げていったら、あの夫婦も違った在り方があったかも、と思いました。
心の中に人はいつでも、どこでもネバーランドを持ち続け、
なお、心は大人になっていく、
真の大人とは何か???
考えさせられました。
そういった意味でもとても素敵な映画だった思います。
ジョニー・デップさん。アカデミーとれるといいな(^.^)
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コメント
ネバーランド、クリックしてみますと突然良い音楽が流れて来ました。その後、ピアノコンチェルトに変わり、これがまた素晴らしい。アカデミー賞の7部門にノミネートとありましたが、作曲賞も取れるといいなあ。
投稿: hitoriyogari | 2005.02.07 14:14