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2005.04.30

やっぱり面白い入試問題 解答の一つ

4月13日にやっぱり面白い入試問題ということで灘中学の算数の入試問題について、ちょっと考えてみました。
〜〜〜〜〜〜〜
「異なる3つの整数があり、3数の和に4を加えたものは、3数の積に等しい。
このような整数の組み合わせは2通りあるが、最大の整数が4である場合の3数の積は
□で、またもう一つの組み合わせの場合の積は□である。」
という問題に対して、
「異なる3つの整数があり、3数の和に4を加えたものは、3数の積に等しい。
このような整数の組み合わせは2通りあるが、」
というところの、「何故、2通りしかないのか」
数学的に証明してみよう
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

長らくお待たせしました。
いろいろ解答があると思います。
まず、私が考えた方法の一つを以下に紹介します。
・・・・・・・・・・・・・
3つの自然数をx,y.zとすると(x>y>z)
x+y+z+4=x・y・z
と、なる。
仮に最小のzを2以上とした場合、
最小の組み合わせは、
x=4,y=3,z=2になる。
与式にあてはめると、
4+3+2=9
4×3×2=24
24ー9=15
と、なりあてはまらない。
これ以上大きい数の組み合わせでは、題意の4を満たすものはないと考えられるので、
最小の数字は1となる。
従って、
題意は、
x+y+1+4=x・y
左辺、右辺を移項すると、
x・yーxーy=5
両辺に1を加えると、
x・yーxーy+1=6
因数分解すると
(xー1)・(yー1)=6
これを満たす自然数の組み合わせは、
1×6と2×3の二通りしかない。
従って題意に合う組み合わせは、
(1,3,4)と(1,2.7)の二通りしかない。
証明終わり。
・・・・・・・・・・・・・・・・
なお、最小の数字が1であることの厳密な証明は、以下に書きます。
今度はa,b,cの3つの自然数で考えてみます(x,y,zでもいいのですが、とりあえず変えてみます)
・・・・・・・・・・・・・・・・
a<b<cの3つの自然数がある。
X=a+b+c
Y=a・b・c
Z=YーX
とおく。
XがΔXだけ増加するとYの増加分ΔY>a・ΔX
よって=ΔYーΔX>a・ΔXーΔX=(aー1)ΔX
ゆえにaが2以上なら
ΔZ>ΔXが成り立つ。
ここでa=2のときX、Yの最小値は
X=9 Y=24 Z=15になる
Xminよりも大きい組み合わせの時
X=Xmin+ΔXとすると、
Y=Ymin+ΔY
この両辺の差を取って、
Z=Zmin+ΔZ=15+ΔZ>15+ΔX>15
すなわち,aが2以上に対してはZ=4を満たすことはできない。
さらにa=1とするなら
Xmin=6
Ymin=6
Zmin=0
と、なりZ=4を満たす組み合わせがある。
したがって、最小の数字は1以外ありえない。
証明、終わり。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

この問題に関して、
これが数学の解き方だ!ということでバリカタBlogのマサボンさんからエレガントな解き方を示して頂きました。
とても素晴らしい解答なので、是非ご覧ください。

一つの問題、一つの解答に対してもいろんな解き方、考え方がある数学。
やればやるほど、その面白さがわかります。
楽しい数学、これからもまだまだ挑戦!!!
機会を見て、載せていきたいと思います。
お楽しみに。

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2005.04.28

長居から帰ってきました。

今、長居スタジアムから帰ってきました。
サンフレッチェ広島とセレッソ大阪のサッカーは1−1で引き分け。
第8節を終わって、勝ち点13。
かろうじて3位。

私たちは、今日こそは勝ちを見るぞ(今年はまだ見ていない、、、引き分けばかり)と気合いを入れて長居まで行きました。
駅の近くにおいしい串カツやさんがあるのです。
そこで、夕飯を食べて、さぁ〜〜〜スタジアムへ。
平日ということで、スタジアムはかなり空いていました。(6000人あまり)。
7時キックオフ。
残念ながら、向こうサイドに攻めているため、私の方からはDFの背中と神様下田選手ばかりが見えます。
広島のDFは、しっかり守っていました。小村選手、頑張っていました。
遠くで攻めている俊介君やらガウボンや、べんちゃんが何しているかさっぱりわからない、、、
ただ攻めまくっていました。
しかしセレッソの守りは堅く、なかなかゴールを割ることができません、、、
うわっ〜〜〜〜
ウワッ〜〜〜
と、セレッソのサポーターの声を聞きながら、ボールの行方を見守っていると言う感じ。
そして、ついに前半終了間際にガウボンがゴ〜〜〜〜ル。
実はどんなふうに入れたかわからないので、家にかえって報道番組のスポーツを見てわかりました。
まぁ、そんな感じで前半終了。
後半は、サイドが変わってこちらで広島の攻めを見ることができるとワクワク。
確かに、後半も最初はよかったのです。
俊介君が華麗なプレーやら、お茶目なボールさばきやらで魅せてくれました。
あの子、楽しいねっっっっっっぇ。
ところが、ところが、その俊介君がモギッチと交代。
このあたりから、どうもチームの調子がかみ合わなくなって、気がついたら、向こうサイドばかりで(つまり、セレッソが攻めている)プレー。
うわっ〜〜〜
ウワッッ〜〜〜。
セレッソサポの声が響いてくる中、こちらはハラハラドキドキ。
かくなるうえは、はやく時間よ経て、、、
名古屋の時がよみがえる、、、、
それだけはやめて。
43分。無事終了。
あ〜〜〜よかった。
あと、もうちょっと。
やっとロスタイム。
もうちょっと。
ここで交代した池田選手。
その後、何が起きたのかわからないままPK。
終わってみればひ・き・わ・け。
あ〜〜〜あ。
ガック。
今日はいけると思ったのに、、、
残念。
あーーーあ。
まぁ、長いシーズン。いろいろあると思います。
今日の試合はしっかり反省して、次に勝つことを期待しています。
応援しているよ。
次は頼むぞ〜〜〜
サンフレッチェ、チャチャチャ  ちゃっちゃ。

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53年目の沖縄

53年前の1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効しました。
「サンフランシスコ条約」の正式名称は「日本国との平和条約」と言います。
アメリカ合衆国、イギリスなど対日戦争参加諸国の代表がサンフランシスコ市(合衆国)で対日講和会議をひらき、そこで調印された条約なので一般にサンフランシスコ条約と言われています。中国、ソ連など多くの国が、この条約には加わりませんでした。
条約の内容は、日本との戦争状態の終結、朝鮮独立の承認、台湾、千島など近接する諸島の権利の放棄、沖縄、奄美、小笠原諸島をアメリカの施政権のもとにおくことなどを決めました。そして第六条で、日本を占領していたすべての軍隊は九十日以内に撤退することになりました。
しかし、この第六条には、「ただし書き」あることはご存知のとおりです。
つまり、〜〜または複数の「連合国」と日本との間で締結される協定にもとづく「外国軍隊」の日本の領域における駐屯、駐留は「妨げるものではない」〜〜と定めたのです。
そして、この条項にもとづき、サンフランシスコ条約と同時に日米間で結ばれたのが、「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」(日米安保条約)です。
現在の安保条約は、これを1960年に改定したものです。
とくに近年の米軍ヘリ墜落事故などで、地位協定と言う名で脚光を浴びている第六条のみ抜粋しておきます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリ力合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。
 前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、千九百五十二年二月二十八日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基づく行政協定(改正を含む)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

では、現実には米軍基地と日本との関係はどうか?
北は三沢基地からはじまり、キャンプ富士、首都圏には横田、横須賀、厚木、キャンプ座間、
そして岩国、佐世保、その次が面積ではじつに75%(自衛隊も使用)を占めている沖縄。
自衛隊との共同基地化は、面積で見て1980年から2005年までの25年間で7倍近くになりました。
(14874ヘクタール→69917ヘクタール)
日本の米軍基地がなくなれば、アメリカ軍の能力の8割が喪失するとも言われています。
また、財政面での支援は、ズバリ「思いやり予算」です。
53年経った今でも沖縄は、基地の町です。
米軍の後を絶たない暴行事件や、米軍ヘリ墜落事件。
そして今は米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の代替施設建設計画で注目を浴びている辺野古。
沖縄の人たちにとって、
私たちにとって、
本当の意味での戦後とはなんなのだろうか???
今、日本国憲法があちこちで取り沙汰されていますが、
「日米安保条約」とは何か?という議論はしなくてもいいのでしょうか???
遠く沖縄の人々のことを思いながら、そんなことを考えてしまいました。

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2005.04.27

学ぶこと

列車事故が起きて三日目。
いまだ車内に取り残されている方々の懸命の救助活動。
併行して行われている原因究明。
次第に解き明かされてくる謎の多くは「人災」の感がしてなりません。
どんな原因であれ亡くなった方はもう帰らない、、、と考えると胸が塞がれます。
この事故の推移をテレビや新聞で見ながら、私はふとJCO社 臨界事故を思い出しました。
状況は全然違うのに、、、
と、いうのはあの当時、テレビや新聞は、「安全とコスト」で終始していましたが、私の頭をかすめた事柄はそれに加えてもう一つありました。
「被災され亡くなった職員の方は、ご自分のなさっている仕事の危険、安全をしっかりと認識していなかったのでは?」
「会社の方も安全と危険が徹底的にわかっていなかったのでは?」
と、いう事でした。
そしてさらに思ったのは、
「理科教育が削減されていく中で形を変えて、このような事故が多くなるんじゃないかな、、、」というものでした。
放射能は目に見えない、触っても痛くない。ちょっとこれくらいなら、、、と思うその延長上に大事故がありました。
電車においてスピードと重さと遠心力と、あるいは風力と、、、とかとかそんな物理的なシステムを把握していなくてもボタンで電車は動く。その延長上に大事故がある。
卑近な例であげるならば、酸性洗剤と塩基性洗剤を混ぜると有毒ガスが出る。
人間は感電する、、、、
などなど枚挙にいとまがないのですが、こうした基本的な科学が身についていなくても、一定の生活はできる。
しかし、その構造を、メカニズムを知っていないと、大事故を招くことがある。
このような「そもそもの始めを」学校は教えてくれなくなりました。
では学校で教えなければ、職場で?
いえいえ、職場はもっと能力効率主義でルーチン化されています。
学校が、しっかりと教えなければならないと私は思います。
「科学教育研究」という雑誌の9巻P100~106(1985年)で西川先生は、「戦後経済・産業界の教育に関する要望、、、、」という長いタイトルの論文を書かれています。
内容を要約すると、
〜〜〜〜〜〜〜
経済6団体は戦後、教育の現場に要望をいろいろ出した。
昭和20年代後半から急激に増加、30年代でピークを迎え、その後は急激に減少。
要望の内容を比較すると、30年代までは実務に直ちに役立つ能力、
しかし、それ以後は国語を中心にした基礎学力の重視を求めてきた。
そして、この基礎学力とは「読み書きそろばん」のことであり、加えて英語である。
(瀬戸意訳)
〜〜〜〜〜〜〜
西川先生によれば、理科が学校教育の中で強調されるのは発展途上国、中進国。戦時下の国、平和で先進国では「教養教育」というのが一般的だそうです。
また、保護者の意識調査でも、社会人になってからどの教科が役に立つかという設問では、
「国語、算数、数学、社会」と続き理科は体育と同レベルという結果が出たことも西川先生は「学校教育研究」という雑誌で論文を載せています。
この後、先生はご自分の見解を書いて、理科教育の重要を訴えていらっしゃいます。
私は、学校教育において、子どもたちをバランスよく育て、教えるという立場に立つなら、どの教科も必要と思います。どれが大切で、どれがそこそこ、、、なんてありえません。
しかし理科教育はかなり削減されている現実を見ると、将来にわたって禍根を残すのではと思うのです。
雷がなったらどこに逃げる?
油は引火しやすい、、、
車はすぐには止まることができない。
などなど。
生活の場に当たり前のようにある科学を、しっかりと認識できるような学校教育であることを、願ってやみません。
私はいつも思うのですが、人類が、学ぶ目的とは生き抜くことだと。
今回のような事故が、二度と起こらないための原因究明は、いろんな立場からなされると思います。またそうでなければとも思います。
文部科学省をはじめ教育関係者は、この事故から何を学ぶのでしょうか?
いずれにしても、
いずれにしても、
大きな流れの中で、泡のように消えていく事件の一つにしてはいけない重要な事故でした。
しっかりと今後の対応を見ていく必要を感じています。

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2005.04.26

日常に潜む危機

昨日は、尼崎脱線事故のニュースが日本中を駆け巡りました。
何と言っていいのか、、、
言葉もない。
亡くなった方の無念を思い、残された家族、知人の方に心からお悔やみ申し上げます。
朝、手を振って行ってらっしゃい、、、と送り出す。
いつもの光景。
一日の経験を重ねて帰って来る。
そんな当然と思っている日常が切り裂かれた、、、
突然。
なんの前触れもなく。
今まで生きていた証を確認する事もなく、もぎ取られていく命。
日常を残したまま、、、逝ってしまった人々。
なぜ?
どうして?
一人ひとりの命と思いを乗せて、いつものように走っている電車が、いきなり宙に舞い、ちぎれていく車体とともに、
遠く帰らぬ人になるなんて、、、
いったい誰が思うだろう。
だれが、そんなことを思いながら毎朝、家族を送り出しているだろう、、、
朝の途切れる事のない忙しさにかまけて、時には声を荒げ、あるいは せかして追い出す日常。
保証されていると思っているのに。
安全だと信じているのに、、、、
なぜ?
どうして?
どこへ この気持ちを持っていけばいいのか?
やりきれない。
亡くなった方、残された者。
それは他人事ではない。
いつ、どこで、だれに起きるのか、、、
改めて日常とは何か。
そこに潜む危険をえぐり出された気がする。

今、被害者の方の懸命の救助と平行して現因究明がなされています。
憶測や想像が飛び交う中、しっかりと原因究明をしていただきたいものです。
こうした事故が起きた時、決まり文句のように言われる言葉。
「このような事故が再び起こらないように徹底的に原因究明をしてもらいたい」。
虚しく響きながらも、それしかないように思います。
「そこにある日常」への信頼を手放したくはない。
今日は、とても悲しい気持ちで、そして祈るような思いで書いています。
最後にもう一度。
亡くなった方、残された家族の方々。
心からお悔やみ申し上げます。

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2005.04.23

学力テストの結果

文部科学省は昨日22日、学力テストの結果を発表しました。
昨年、教育関係者を真っ青にさせた国際学力調査結果のこともあり、関係者はどんな結果が出るかと心配していましたが、案に相違して「好成績」でした。
文科省はこの結果をどの様に判断していいか戸惑いを隠せません。
というのも、思考力、表現力などが問われる記述式が弱い傾向は改善されていないことが明らかになったからです。
現場の教師もこうした状況についての不安は隠せません。
文科相がゆとり世代に謝罪というニュースも先日流れましたが、文部科学省も混迷のただなかにいるのでしょ。
教育は、すぐに結果が出ないので大変だとは思いますが、
いずれにしても、子どもたちのしなやかで柔軟な力を信じて、しっかりした教育をする必要を感じます。
特に理科教育については、実験、観察の時間をもっと保障してもらいたいなぁ〜〜〜と思っています。
これからの成り行きに注目(*_*)

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よっしゃ〜〜〜

今日、サンフレッチェ広島と川崎フロンターレとの試合が広島ビッグアーチでありました。
結果は2−1で広島の勝ち(^.^)(^.^)(^.^)
よっしゃ〜〜〜〜

テレビ放映はないので、我が家はよそのチームの試合を見ながら、ネット情報を見ながらと大忙し。
セレッソーレッズ。
ガンバーFC東京。
清水ー千葉。
あっち見たり、こっち見たり。
清水の長谷川監督、初勝利おめでとうございます(^.^)
セレッソ、頑張っていました。次節はお手柔らかに。
ガンバ、大黒さん、すごかった〜〜〜
と、いうわけでよそのチームをしっかり偵察(?)
肝心の広島は、結果しかわからない。
したがって、内容については書けません。
ただ、広島のいつもの仲間達と嬉しさを共有したいと思って、、、
明日のみんなのサイト、ブログ、掲示板が楽しみだぁ〜〜〜(^.^)
それにしても、ガウボンとモギッチがゴールを決めたとか、、、
良かった(^.^)
これで三連勝。
暫定2位。
2位だよ〜〜〜
うわっ〜〜〜〜
優勝争いにおじゃましま〜〜〜〜す。
ヨロシク。
なぁんて!!!!
しかし、
勝って兜の緒を締めよ。
まだまだ先は長い。
一戦、いっせんを大切に頑張ってください。
応援しています。
今度のセレッソ戦、行けるとイイナァ(^.^)

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2005.04.22

日本国憲法 

憲法問題について、多くの方がいろんなご意見を持っていらっしゃると思います。
私は、素直な気持ちから、「戦争はイヤ、平和が好き」と思っています。
そこで、自分の考えを整理する必要を感じて、今日は以下の点について書きます。
1、近代民主主義の歴史と、法治国家
2,そもそも憲法とは何か
3,現憲法制定の歴史
4,討論、議論のあゆみ
5,今、世界の情勢は。
6,憲法を変えるとどのようになるか

===========
1、近代民主主義の歴史と、法治国家
近代民主主義のあゆみ参照。
マグナカルタから権利請願、権利章典、モンテスキュー、ルソーの啓蒙思想家、さらにアメリカ独立宣言、フランス人権宣言などお馴染みの歴史の歩みが一覧表になっています。

2,そもそも憲法とは何か
近代憲法成立の歴史的経過
日本人が背負う二重の困難を参照しました。
宮台真司氏は、この中で、以下のように書いています。
〜〜〜〜〜〜
【憲法的原則への無理解】
■憲法の無理解は多側面に渡る。第一に、日本国憲法に書いてあるのが国民の権利ばかりで義務規定が少なすぎるとの幼稚な議論に象徴されるが、憲法が統治権力(機構としての国)への命令であることが理解されない。憲法という知恵は、ジョン王の横暴な課税を制約すべくシモン・ド・モンフォール議会が王にのませた契約書マグナ・カルタに由来する。この知恵が、議会の制定する法といえどもコモンローに服すべしとの「法の支配」観念と結合し、近代憲法につながった。だが、日本国憲法は市民が統治権力にのませるどころか、手続き的には大日本帝国憲法の改正という形で欽定された。こうした経緯ゆえに、憲法が市民ではなく統治権力の義務規定であることが、今に至るも理解されない民度の低さだ。

つまり、そもそも憲法とはどの国においても、国民と国との契約のうえに成り立つもので、国が国民になすことを明文化しているものであるということです。

3,現憲法制定の歴史
日本国憲法を参照しました。

4,討論、議論のあゆみ
a 民主主義について
民主主義について「民主主義が最善であるのか」と「直接民主制と間接民主制」どちらが優位なのかという議論がある。
民主主義が最善であるのか
民主主義制度が優れた制度かどうかについて、古来から議論がある。しかし、絶対王政、ファシズム、共産主義などとの競合に尽く打ち勝ち、最終的な勝利者になっていることは明白であり、「人類が歴史上生み出してきた政体」という条件が付くならば最善の制度であると結論できる。
民主制は衆愚政治であるという意見も少数ながら根強い。民主主義制度が優れた制度であると主張する立場でも、その根拠で意見が分かれている。おおまかに二つの立場に分けると、一つは、多数決によってより正しい結論を導くことができることを根拠にする立場であり、もう一つは、正しいことを知りえないからこそ民主主義制度が優れた手続きだとする立場である。
民主的意思決定の数多くの失敗を目の当たりにして、後の立場が有力となっている。

b 直接民主制と間接民主制
また、国民が直接政治に参加する直接民主制と、代表者を通じて間接的に参加する間接民主制についても、古来から議論がある。日本では、特に地方自治体での住民直接投票の取り扱いにおいて表面化している。
一つは、「民衆による政治」という基本理念からして、直接民主制の方が優れているという意見である。この意見からは、間接民主制は次善の策だと指摘される。もう一つは、現実の統治の複雑さと困難さから、間接民主制の方が優れているという意見である。この意見からは、間接民主制は最善の策であり、直接民主制を「絶対民主主義」と非難する。
歴史的には、間接民主制が優れた方法と考えられてきた。現代では、実際の施政者と市民の意見との隔たりを埋めるために、直接民主制にも一定の価値があるとされている。このため、間接民主制が原則だが、直接民主制を補完的に採用するべきだという意見がもっとも有力である。日本国憲法も、この考え方で設計されている(地方自治、憲法改正)。

c 制定法理
本来、理論的にも現実的にも自国が定めるべき憲法の制定過程に外国人が関与したため、制定当初から、日本国憲法は無効ではないかという主張がなされた(押し付け憲法論)。また、大日本帝国憲法の改正手続によって成立したにもかかわらず、主権(統治権)が天皇から国民へ移ることになり、理論的に大日本帝国憲法の改正の限界を超えているという指摘も強かった。(上記「日本国憲法の内容」の「上諭」を参照。)
改正の限界を超えた点については、「八月革命説」によって理論的に説明がされている。この説はポツダム宣言の受諾を法的な一種の革命と捉えて、主権の委譲を説明する。他方、制定過程に外国人が関与した点については、議論が今もなお続いている。もっとも、新憲法成立後多くの国民がそれを支持し、朝鮮戦争時に改正を打診された政府も「その必要なし」と回答、さらに新憲法下で数十年にわたって無数の法令の運用がなされたいま、憲法は無効だという主張は少数となった。憲法は慣習として成立したと説明されることもある。

d そのほか各種の議論
基本理念についての議論
基本的人権の尊重に関して
天皇は元首か:第1条、元首を参照。
女帝、生前退位は認められるか:憲法上は触れられていない。第2条、皇室典範を参照。
国家安全保障上の不備:第9条
(wikipedia参照)

今までもこの様な討論、議論は重ねられて来ました。
押しつけ論改憲護憲
憲法改正論議なども参照しました。
こうした中で明らかになってきたことは、
改憲、護憲、それぞれの主張も時を経て変わってきたことです。
この頃は押しつけ憲法論を唱える学者、研究者は少なくなったようです。
それに変わって出てきた主張が「制度疲労」と新しい人権論です。
この「制度疲労論」ですが、私はそもそも憲法とは「理念」であると思うので、変える必要は感じていません。現実に合わない、つまり新しい権利なども法律で補完できるものではないかと考えています。
憲法改正しなければ実現できないことは「首相公選制」と「憲法裁判所」です。
この二つのために今、どうしても憲法を変える必要を私は感じていません。

5,今、世界の情勢は。
この問題を考えるには、
グローバリゼーションを抜きにしては考えられません。
〜〜〜〜〜〜〜〜

グローバリゼーションの傾向が認められる物事は多くあるが、それらの多くは第二次世界大戦後に地球規模化したものである。これらの項目には商品、お金、情報、そして人の国際的な流動化が含まれる。また科学技術、組織、法体系またインフラストラクチャーの発展がこの流動化を促すのに貢献した。より明確にいうと、地球規模化が認められるものには:
国際貿易の発展。
海外直接投資を含む資本の国際的流動の増加。
インターネット、通信衛星、電話などの技術を使った国境を越えるデータの流れの増大化。
増大する国際的な文化の交換、交流。例としてはハリウッド映画の輸出を通じてのアメリカ文化の流入が挙げられる。
文化の同化、融合、西洋化、アメリカ化(アメリカナイゼーション)、中華化を通じての文化差異の減少。
世界貿易機関(WTO)などの組織への国際的取り決めを通じての国家支配権と国境(の重要さ)の衰退。
増加する海外旅行、観光。
不法入国をも含んだ移住者の増加。
国際金融システムの発展。
多国籍企業による世界経済の支配の割合の増加。
WTO地球規模的に適用される標準、基準などの増加。
WIPO、IMFなどの国際的組織の役割の増加。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
こうして見ると、とても素晴らしいことに思えます。
また現実にこの通りの世界が出来たらいいなぁとも思います。
しかし、現実はグローバリゼーションは、
ネオリベラリズムとグローバルスタンダードの二つの考えから成り立っています。
ネオリベラリズム
グローバルスタンダード
を参照してください。
つまり大きな会社、力のある企業が生き残っていけるような仕組みなのです。
これに関しては反グローバリゼーションの考えなども見てください。
この流れの中で、日本の憲法改憲の新しい運動が出てきました。
改憲を強く迫ったのは実はアメリカでした。
アミテージアメリカ国務副長官の「改憲発言」は当時物議を醸しました。
「ショウ ザ フラッグ」とともに記憶に新しいアミテージリポートが、今の憲法を変える運動に繋がっている気がします。
「9・11テロ」後、急速に世界は軍事に傾いたように思いますが、私はむしろ経済の力の方が大きいと思います。
日本はアメリカ指導のグローバリゼーションに急進的に取り組まれていっているような気がします。大企業や体力のある会社ならこれに耐えうると思いますが小さな会社は、吸収され労働者はリストラされ(実際、その動きが顕著に現れたのもこの頃です)るのではと思います。

6,憲法を変えるとどのようになるか
私は、今憲法を変えることには反対です。
なぜなら、変えた後の日本がどうなるか見えてこないのです。
一部の人は、「9条を変えても、戦争するわけじゃない」と言います。
勿論、そうであって欲しい。
しかし、今でも多くの予算を割いている防衛費はもっと多くなるだろうし、、、
ただ、個人的には自衛隊のみなさんの災害復旧の働きなどには、感謝しています。
(自衛隊の友人も多いので、自衛隊は必要かな、、、とも思うのですが、今、改憲の動きにある自衛隊の立場って、軍隊の要素が強くなって来たように思います。)
「戦争放棄」を放棄することには、直感として戦きを感じています。
直近の意識調査では、憲法を変える必要を感じている人が多くなりました。
その理由は、新しい権利や、制度疲労が多いようです(前述)
憲法が古いといわれるけれど、
2000年国連ミレエニアムフォーラムでは
「全ての国が日本国憲法第8条の原則を自国の憲法に採用すること」を決議しました。
私は今の日本国憲法を、誇りに思っています。
これが今の私の到達点です。
なお、この記事に異論、反論がある方や、まだ補完することがある場合はニュースソース参考図書を明らかにして書いて下さい。お願いいたします。
これは私自身の勉強になります。とくに歴史、政治、経済は勉強すればするほど楽しい。
次回は他の国の憲法や国連との関係、また憲法24条についても考えていきたいと思います。また具体的な数字などにも挑戦しようと今からワクワクしています。
もっと、もっと勉強していく必要を感じながら、今日は書きました。

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2005.04.21

筆力

夕飯を食べながら、子どもと盛り上がった話。
それは、「筆力」。
以下は、いつものように会話文にて。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「そういえば○○(本の名前)どうなった?」と息子に聞く私。
「うん、この頃読んでないんだ、、、」と答える子ども。
「どうして?」
「なんとなく主人公に感情移入出来ないから、、、」
「ああーーーわかる。あの本ってどこか吹っ飛んでいたよね。」と私。
「と、いうか作者の視点が冷たいんだよ、、、」
「へぇ〜〜〜面白いこと言うね。もっとくだいて言って。」と私は息子に問う。
「ほら、どんなにフィクションであっても、作者の思いと言うか、人となりって文に出るよね。
なんとなく分かるんだよね、、、作者が、主人公のこと好きかどうかって、、、
愛されていない主人公って、読んでいてもどこか空々しい。」と我が子は言う。
「なるほど!!!」と私は感嘆。
「○○さんの作品は、どんなにホラーであってもスリラーであってもどこか暖かい。
でも□□さんのは、なぁんか冷たいんだよね、、、」と息子は続ける。
「凄い筆力のある作者なら、どんなジャンルでも書けるのだろうけれど、普通は無理だね。
Sさんはいろんなジャンルに挑戦しているけれど、やっぱりあの人はお気楽エッセーが一番イキイキしていて読んでいても安心。
次にOさんは、、、、、、」
と、息子は私でも分かる共通の作家について語り始める。
「うわっ〜〜〜。凄い」と私はまた感嘆。
確かにそうだ、、、
文って「人となり」が出てくるものだと改めて思う。
隠そうとしてもその底流からにじみ出てくる人柄が出てくるのだろうか???
「ねぇ???母さんの文ってどう?」と最後にきく私に返ってきた言葉。
「自分が一番知っているだろう?」

〜〜〜〜〜
ううううう?????
天知る、地知る、人知る。我知る。
自分のことって、実は一番わからな===い。
よくよく肝に銘じなければと自戒の一時でした。

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21世紀ビジョン

経済財界諮問会議(議長・小泉純一郎総理)は、先日日本経済の長期展望を示す「日本二十一世紀ビジョン」を策定しました。この中で総理は、「ポスト小泉狙う人はバイブルに」と発言。
では、このバイブルの中味を見てみるならば、、、
2030年消費税10%以上もありうると先に試算であげたとおりでした。
〜〜〜〜〜〜〜
10年代初めにプライマリーバランス(基礎的財政収支)が黒字になる予定。
(この間に増税が行われる可能性があるため、消費税率換算で「α%」の国民負担増があると仮定。)
10年代初め〜30年にかけてプライマリーバランスの黒字を保つため、
〈1〉国民負担は増やさないが歳出削減を徹底する「歳出抑制ケース」
〈2〉増税などの国民負担増による「歳出維持・国民負担増ケース」――の2通りの方法を想定。
 「歳出抑制」の場合、
10年代初頭以降は増税がないため、
消費税率は、現在の「5%」プラス「α%」になる。
「歳出維持・国民負担増」では、
10年代初頭〜30年にさらに5%程度の消費税率アップが必要。
消費税率は計10%以上になる。
〜〜〜〜〜〜

ううう〜〜〜〜わわわ。
大変だ。これって。
それでなくても、年金保険料の引き上げ、定率減税半額(これって確定申告の時、有り難みが分かっていったのに、、、、)年金課税の強化。
授業料値上げに、さらに今話題の混合医療とかとか、あっち見てもこっち見ても値上がりばかり。
その上、消費税。
遂に来ましたか。本丸へ。
以前からすっごく気になっていたのですが、私たちが払っている消費税って、どこでどのように使われているのだろうか?これはちょっと調べて見る必要を感じますね。
そりゃ、そうです。
今日の朝のワイドショーでも言ってましたよね。
「社会保険庁の無駄使い」。
こんなニュースを見るとやっぱり不信感持ちますよね。
国民から搾り取る前に、もっとやる事あるんじゃないかな???
高齢化、少子化をうたい文句に、それさえ唱えれば国民は納得すると思っていらっしゃるのかもしれないけれど、
このまま続ければ、政府の言う通りに払い続けることが出来る体力が果たしてどれだけの国民にあるのだろうか?
こっちの方こそ試算してもらいたいなぁ、、、
小泉さ〜〜〜ん。
ポスト小泉には、もっと国民に優しいビジョンをバトンして下さいよ〜〜

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光のリレーその後

4月19日の記事で書いた光のリレープロジェクトは無事、日本を通過致しました。
私もその夜は、8時30分ごろ家中の電気を消して、窓から外を眺めました。
「どこか、よその家もやっていないかなぁ〜〜」と思いながら。
「あっ、消えている、消えてる。瞬いている。」と向こうのアパートに注目。
しばらくして、アパートの外灯が電気切れ間近の最後の一頑張りということに気がつきました。
「なぁ〜〜んだ」ガックリ。
どっこもやっていないな〜〜
もっと大々的に宣伝が必要だったのかな???
多分、皆知らないのだろうな、、、
とかとか言いながら、我が家の電気も点けて、ネットで全国の情報を見てみました。
「宇宙から光のリレーを見る」ということで、そのWEBを開いてみて。
「ううううう〜〜〜〜〜んんん」
厳しいな。ちょっと。
全然、わからない。
主催者には悪いけれど、やっぱり企画倒れ(アイディアはいいと思ったのですが)か、宣伝不足か。
アインシュタイン:
台北の101ビルに相対性理論の公式
という記事も出たので、世界的には盛り上がったのでしょうか?
いずれにしても、とても素敵な企画だったので、またやってみたいなぁ、、、
今度はもっと宣伝をバンバンして。
と、思いました。

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2005.04.20

標榜するもの

私たちが憧れ、標榜するものは「近代国家」ではないかと思います。
このところの教科書問題や憲法問題、国際情勢を考えながらそのように思いました。
そこで、今日は簡単にフランス、ドイツ、アメリカの近代国家の成り立ちと、私の知っている彼等の国民性について、ザツーと書いてみます。
==フランス==
近代国家と言えば、誰でもが一番目に思いつく国です。
フランス革命によって近代国家の礎は誕生しました。
「自由、平等、博愛」を謳い中央政府は、残存する地方勢力を打破。身分制から解放された近代的個人によって普遍的理念が国家の下に結集。国の代表は、個人の代表である形態が残存。
「自分たちの文化は、外国にも受け入れられ理解される」と思っている普遍原理に基づいています。
彼等は、いつでも自信に満ちていて明るくて開放的。自分中心。
フランス人であることに誇りを持っています。
(イタリア人も、イタリア人である事に誇りを持っています。
彼等の場合は文明の発祥という意味でしょうか?)
伝統も大切ですが、科学技術や芸術への関心も深く、未来指向。
(ストリートパーフォマンスも、あちこちのメトロの中や広場で見られ、それがなかなか垢抜けていて玄人はだし。外国人の私たちにも声をかけてくれたのはフランス人が一番でした。フランス語を話せない私のボディランゲージを一番理解してくれました。)

==ドイツ==
「民族」と一体化しながら発達してきた国家。
地方分権が発達しながら連邦国家と言う形態をとったドイツは、「民族」「純血」を紐帯にしながら国を形成。
ドイツ人から連想されるものは、厳格、堅実、合法です。
彼等は「法を破らない」。
以前いたドイツのアパートでは、夜8時以降洗濯機や掃除機をかけると、警察に訴えられます。なぜなら法で決まっているから。
ドイツ人と「ナチス」について話す機会があった人なら誰でも思うでしょうが、彼等は、しっかりと自己批判し、羞じています。しかし、決して卑屈ではありません。
特にお年寄りの方は、私たちが日本人だというと、それはそれは喜んでくれました。
この国もベルリンの壁が崩壊してから、東ベルリンから多くの人たちが流れてきました。
ストリートパーフォマンスも、随分増えたそうですが、どこか垢抜けないと私は思いました。
(ゴメンナサイ)

==アメリカ==
日本人でもこの国の国家形成の歴史は知っています。
メイフラワー号に乗って、イギリスから移住してきたピューリタンの人たちの独立と開拓の歴史です。
個人が自発的に集まって共同体を作り、そこには矛盾無く「自由」「平等」「個人」
「共同体」が入り込みました。彼らにパトリオティズム(郷土愛)が自発的に生まれたのは言うまでもありません。
その大きな国家は、あれこれの歴史を超え、やがて多民族も受け入れ自由国家の名乗りを欲しいままにしています。
開拓精神は今に健在。
人なつこくて、エネルギッシュ。
しかし、私の知っている町は南部で封建的でした。
人々の口は重く、警戒心さえ感じたのですが、それはアメリカ社会が抱える問題であることを後になってからわかりました。
それ以外は、快適な人間関係を持つことができました。
アメリカ人は「歴史」の浅さに負い目を持っています。
日本の京都や奈良に憧れています。(また口にこそ出さないがきっとヨーロッパにも)
実際、イタリア人、フランス人、ドイツ人とホームパーティをする機会には何度となく恵まれましたが、アメリカ人とは一度もそうした機会はありませんでした。
彼等はホームパーティよりプールのそばでジャンジャン音楽をかけてバーベキューする方がお好みか?
西武開拓の時代の教会が、彼等にとっては歴史であり、大草原の小さな家が彼等のルーツです。
フロンティアが高じて、世界の冠たるものなろうとする動きが一部ではありますが(^^;
しかし、アメリカはナショナリズムの国ではなくパトリオティズムの国であることは実感します。


===日本====
近代日本は、上からの急激な力、強力な中央集権によって成立したことは、異論のないところです。
垂直志向で形成されたナショナリズムは、自立、成熟した個人を形成する前に、
「国」と「個人」の間に「家」を入れることで、急速に作り上げられました。
そのため、国家形態において、共同性、公共心は中途半端な形で内在。
「公」と「私」が分離していません(この現象は今でも政治の実際でよく見られるところです==公金横領、税金私物化、、、)
また、日本は地理的な性質上、他国と対等な関係で対話する、共存するという歴史を過去に持っていません。
「征服か、服従か」の二者択一の選択を迫れる関係しか築くことができませんでした。
さらに、日本のナショナリズムの担い手が、旧国家の特権階級であったことも、日本人をして、「飢餓感」「敗北感」で満たすに十分なものでした。
こうした歴史の中で私たちは戦後を迎え、
アメリカによる占領支配がなされ、憲法が誕生したことは、すでに知っているとおりです。
ただ、ここで、日本人はその飢餓感から「自分たちの手で」憲法を作ったという思いを持たず、押しつけられたという印象が今もなおは残っている人々がいます。
そして、その思いとは別のところで意図する何者かの利害と一致して、
「憲法改正」論議はかつてなく盛大に今、論議されているようです。
この問題に関しては、また次に譲ることにしますが、
ただ、個人的な意見としたら、
「今、もし憲法を改正して、果たして真の意味で日本国民の自主憲法」が出来たと思えるのだろうか?
やはり、「押しつけられた」という飢餓感は拭えないような気がします。
では、、、
この飢餓感を捨て、民族の誇りを取り戻すにはどうするか???
私は存外、簡単なことではと思うのです。
長い歴史と伝統、芸能を見直し、
自らの誤りは誤りとして受け入れ、未来にわたり失敗を繰り返さなければよい。
そして、けっして卑屈にはならない。(自虐もする必要はありませんーーー自虐は新たな罪を作る)
事実を事実として受け止め、さらに未来へ志向していけばいいのでは、、、と私は思います。
標榜するものは、
近代国家と成熟した市民です。
今、その第一歩を踏み出そうとしているのです。
力ではなく、対話。
相手への理解。包容。
自らの誇りを持って、、、
そんなことを祈りながら、私は書いています。

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2005.04.19

アインシュタインのエピソードが意味することは

宇宙創成:「ビッグバン直後は液体」 「気体説」覆すというニュースを見ました。
神の一撃と言われるビッグバンから宇宙は始まったとされているビッグバン理論が一般的です。
そして、今までは直後は、気体であると予想されていたのですが、今回の実験で液体の可能性が高いという説を発表しました。
まだまだ解明されることを待たなければなりませんが、
このニュース、ワクワクします。
そういえば、今日はアインシュタインの命日です。
光のリレーについては、先日もお知らせしました。
生涯最大のヘマと自らが述べている膨張宇宙のエピソードがアインシュタインにはあります。
敬虔なクリスチャンであったアインシュタインは、
「神様が時々刻々変化する宇宙をお作りになるはずが無い」と言い続け、決して宇宙膨張説を認めませんでした。
自らの宇宙方程式と矛盾することを認めつつ、それでも容易に受け入れがたい。
膨張宇宙の謎を最初に解いたヴィレム・ド・ジッターには、「膨張宇宙という考えはイライラする」と手紙を書いて認めようとしませんでした。最終的にアインシュタインを納得させたのはロシアのアレクサンドル・フリードマンです。アインシュタインの方程式の計算間違いを指摘。
この二人の歴史的な論争の末、アインシュタインは「生涯最大のヘマ」と自らの間違いを認めました。
その後、決定的にアインシュタインを肯かせたのはエドウィン・パウエル・ハッブル(望遠鏡で有名)の登場によります。
ただ、アインシュタインの名誉のために言うならば、
当のフリードマンは、アインシュタインと一度も「宇宙項」について議論した事はないそうです。
つまり、エピソードとして残されているだけなのか???
科学者が歴史的事実を軽視する理由ということで、このサイトの管理人は、
「科学史における事実と誤謬」について述べています。
確かに、たしかに、、、
科学は、日々変遷を重ねているのですから、
昨日の真理は、今日は既に過去の遺物になる
新しい事実が書き換えられる、なんてよくあることです。
その折、以前の説は、エピソードや想像が付け加わり、
いつのまにか「科学史」となって伝わっていくという事もあるのでしょうね、、、
なにしろ、科学と言えども人が行っていることだから。
そういう意味では、歴史はさらに顕著にこの性質を有していると思います。
事実を超えた解釈、しかも証明不能なものを多く持っているので百家争鳴。
今、話題の歴史教科書もこの限ではありません。
それぞれの立場で、それぞれの事実、真理があるのでしょう。
そこから普遍妥当な解答を見いだすことは、膨大なエネルギーと時間を必要とする作業です。
ただ忘れてはいけない事は、「歴史を学ぶとは、未来を考える事」であると言う事ではないかと思います。
さて、話を元に戻すなら、このエピソードが真に伝えたいことは、やはり天才のスゴサなのでは、と思います。
こうして見ていくと大天才でも間違える。
間違えても、真理の前に謙虚である。
その姿勢こそが、人をして「天才」と呼ばしめるのではと、つくづく思います。

さて、
あなたも、今晩は、お時間があったらアインシュタインのことを思い出しながら、空を見上げて宇宙を感じて見ませんか???

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大山鳴動

「大山鳴動鼠一匹」という言葉があります。
意味は、大騒ぎしたわりには、たいした結果が出なかったこと、成果が上がらなかったことを言います。
さて、一連のライブドアーフジテレビ問題も資本・業務提携で決着ということで一段落したようです。
まぁ、なんと言っていいのか、、、
そもそも事の初めから、あるいは金額の大きさからして、庶民である私の感覚とは遠いところでの話だったのですが。
しかし、当初堀江貴文さんは、「メディア」について熱く語り、情報社会の未来について彼なりの展望を持っているかのようにエネルギッシュでした。
その是非はともかくも、私は注目して見ていました。
以前から「メディアリテラシー」については興味があり、私たちは「黎明期」に来ていると思っていたので、
堀江さんが考えているビジョンには、すごく関心を示していたのです。
私の中での堀江さんは、
野球界に単身乗り込んだり、
クイズミリオネアという番組で賞金の1000万円を新潟の地震被災地の方に見舞金として贈ったりと、
なかなか好感の持たれるものだったのですが、、、
が、
が、
今回の一連の流れ、その結末(と、いうのはまだ早いかもしれませんが)を見ると、
「マネーゲーム」だったのだ、という感を禁じ得ません。
インターネットと既存メディアの融合を今後目指すとか、視聴者のために、、、
とかとか耳障りの良い言葉を並べても何やら白々しい。
勿論、長い目で見たとき、雨降って地固まるで、本当に「いいもの」が出来上がればいいのですが。
ただ、私が今腹立たしく思っているのは、
この騒動期間中、全てのマスコミがエンエンと放送していたことです。
テレビをつければホリエモン。
ホワイトナイトに、なんだかんだ〜〜〜と。同じことばかりでした。
実は、この期間は国会会期中で、重要な法案が一杯審議されていた時だったと思うと、
なんだか、虚しくなるのですよね、、、
放送ジャックされた気分。

まぁ、願わくばこの騒動が鼠一匹しか出てこなかったなぁ〜〜んてことのないように祈るばかりです。

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2005.04.18

4月16日(土)Jリーグ第6節 サンフレッチェ広島ー神戸戦は、広島ビッグアーチで初のホームでの勝利を飾りました。
私はこの週末は目が回るほど忙しくて(本当には目は回りませんが(^^;)、
実はしっかりと試合を見ていないので、内容については書くことができません。
いつものようにネットサーフィンしながら、おおよその見当をつけ、雰囲気を感じています。
それにしても森崎和幸選手はキャプテンらしく成長をしましたね、、、

>今このチームに最も必要なのは勝利! だから昨日、勝てたことはホントに良かった。これを続けていきたい。
(ダイアリーから原文まま)
・・・・・・・・・・・・・・・

彼の日記を読むと、苦悩と決断の足跡が伺えます。
森崎和幸選手がいかにキャプテンとしての器を大きく、広く深く自らが作っていったかがわかります。

菜根譚に次の様な言葉があります
〜〜 徳は度量から、度量は見識から。そこで徳を養うには、度量を大きくせねばならぬ。度量を大きくするには、見識を広めねばならぬ。(145)〜〜

まさに森崎選手の事だと広島贔屓の私は思っています。
キャプテンとしての徳を養うために、ドーーンとこいと胸をはり度量を大きく、
そして度量を大きくするための裏付けとして、広く見識を高めていく、、、
その一つひとつの行程を、今カズは丁寧に行っていると私は思います。
キャプテンという器とともに、彼自信が大きくなっていく様を見ることは、本当に嬉しい。
ますます落ち着きと風格をそなえて、
自他共にゆるす、広島のキャプテンになってください。
応援しています(^.^)
また、カズ選手のみならず、
この連勝は、チームのみんなにとっても、
今までの戦術や内容への自信と確信になったと思います。
迷いを振り払い、進んでください。
私たちサポーターやファンはいつでも一緒にいるから。
応援しているよ。
サンフレッチェ、チャチャチャ   チャッチャ。

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2005.04.16

ラッセル・アインシュタイン宣言

今年は国際物理学年です。
近代物理学の礎となったアルバート・アインシュタインが相対性理論を発表したのが1905年。
100年目を迎える今年を国際物理学年として各地、各大学、研究機関で記念の行事、講演会が企画されています。光のリレー:
アインシュタインの命日に地球1周の計画
などもあるようです。
この企画に一般参加を希望なさる方は、
インターネット(http://www.ils.uec.ac.jp/WP2005/wplight.htm)で申し込むと、具体的な消灯時刻を指定されるそうです。
さて、アインシュタインと言えば私は思い出すのは、
ラッセル・アインシュタイン宣言です。
その格調高い草案と決議は何回読んでも今に新しい。
そこには、人類は共通の課題を抱えていると書いてあります。
「存続か滅亡か」という。
政治や経済や宗教やら民族やら、いろんな集団の枠を超えて共通の認識、つまり地球そのものを守るという立場に立たなければならない事を強く高らかに訴えています。

今、世界中を見ると、沢山の国で小さな紛争や絶え間ない抗争があります。
この事態を解決する方法は決して「力」「戦争」ではないことを先の宣言は謳っています。
時間がかかり、根気のいる仕事ですが、問題解決は平和的な手段しかなく、
その方法を探し求めることに人類はやぶさかであってはいけない。
と、改めて思いました。

私は長く広島に住んでいたので、多くの被爆者の方を知っています。
未だ後遺症で病院、療養所暮らしの方もいらっしゃいます。
薄れていく記憶というタイトルで、被爆の話を以前書きました。
時は流れ、記憶は薄れ、事実は風化していきます。
歴史の真実という言葉をよく耳にしますが、歴史の証言者たちは去り、歴史は動いている。
したがって、真実探しは時を経るごとに、経た分だけの解釈が現れてくるようです。
しかし、
「戦争は一瞬にして人の命を奪い、長い時間をかけて生存者の肉体を蝕む」と言うことは、
解釈を待たなくても事実ではないでしょうか。
環境を破壊し、遺伝学的にも影響を及ぼす数々の不幸を思うとき、
私は、
ラッセル・アインシュタインの精神を次代の人たちにバトンすることの大切さを強く思うのです。
最後にその決議を下に掲載します。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
決議


 私たちは、この会議を招請し、それを通じて世界の科学者たちおよび一般大衆に、次の決議に署名するよう勧める。
「およそ将来の世界戦争においては必ず核兵器が使用されるであろうし、そしてそのような兵器が人類の存続を脅かしているという事実から見て、私たちは世界の諸政府に、彼らの目的が世界戦争によっては促進されないことを自覚し、このことを公然と認めるよう勧告する。従ってまた、私たちは彼らに、彼らの間のあらゆる紛争問題の解決のための平和的な手段を見出すよう勧告する。」
マックス・ボルン教授(ノーベル物理学賞)
P・W・ブリッジマン教授(ノーベル物理学賞)
アルバート・アインシュタイン教授(ノーベル物理学賞)
L・インフェルト教授(ノーベル物理学賞)
F・J・ジョリオ・キュリー教授(ノーベル化学賞)
H・J・ムラー教授(ノーベル生理学・医学賞)
ライナス・ボーリング教授(ノーベル物理学賞)
C・F・パウェル教授(ノーベル物理学賞)
J・ロートブラット教授
バートランド・ラッセル卿(ノーベル文学賞)
湯川秀樹教授(ノーベル物理学賞)

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2005.04.15

壊れた脳 生存する知

壊れた脳 生存する知を読みました。
御存知の方、読まれた方も多いと思いますが、
医師であり、脳卒中患者でもある著者の山田規畝子さんの闘病の記録と貴重なデータでもあります。
以前、ランス・アームストロングのただマイヨ・ジョーヌのためでなくと言う本についても書いたことがありますが、
いろんな病気、障害を抱えながら、人生と前向きに向き合っている人の本は迫力があります。
山田さんの本も、読み終えた後の第一声は「凄い」でした。
何回も脳卒中の発作に見舞われ、生死の境をさまよいながらも生還。
自らを「徳俵の女」と称しています。
心の底をえぐるような事柄を流れるような端麗な静かな表現で語られていてドッキリとします。
それは静かな分、鬼気迫るものがあります。
およそ人が誰でも持っているであろう思いが切々と描かれています。
空間認知ができない、
時間がわからない、
記憶力の低下、、、、
などなどの障害を乗り越え、さぁ次と思った途端の発作、遂に左半分の麻痺が後遺症として残る。
できて当たり前と思った機能、が次々と掌からこぼれる砂のように失っていく。
落ち込み、恨み、脱力しながらも、さらに「生きようと」するその姿は読んでいる私に大きな力を与えてくれました。
不自由ではあるが不幸ではない。
シャッキと前向きに生きるその姿は気高い。
感謝で見つめるその視線の向こうにはやさしさが横たわっている。
人はどう生きるか、、、
人類始まって以来、探し求めているテーマの解決の緒を示してくれているような気がします。
「脳」はボロボロになり、空っぽになっている。
しかし、懸命に「脳」は生きようともがいている。
その健気な有り様は、「人間って素晴らしい」という讃歌に繋がります。
そしてよりよく生きること、今を一生懸命に生きることへの応援歌でもあります。
周りの人々との関わり、
私たちがともすれば忘れがちな「思いやる心」「理解すること」などを訴える告発本でもあります。
将来、見舞われるかもしれない、あるいは身の回りの人の介護に携わるときの指導書でもあります。
ご自分のことを冷静に客観的に分析しながらも我が子への愛が滔々と書かれていて、読みながら涙がジワッ〜〜〜と出てきて仕様がありませんでした。
まだ読まれていない方は是非読んでみては如何ですか?
先に書いた「マイヨ、、、、」もお奨めです。

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2005.04.14

這えば立て 立てば歩め

昨日4月13日、Jリーグ第5節、サンフレッチェ広島は東京ヴェルディと味の素スタジアムでの対戦を行いました。
結果は4−1で広島が勝ち、この結果勝ち点を6として9位になりました。
残念ながらテレビで放映がなかったため、ネットからの情報でドキドキしながらのおよそ2時間。
余談ながらネット配信って緊張感がありますねぇ。
試合を見ていないから結果だけが気になる。
1分毎の配信にドキッ。
ホッ。
また1分。ドッキリ。ホッ。
心臓にわる〜〜〜〜い。
ひたすら想像力だけが掻き立てられ、妄想(?)が先行。
もしや、もしや、、、やられてないよなぁ、と。
いけないな〜〜〜

と、いうわけで、試合は見ていないので書けません。
オフィシャルページ
で監督が次のように語っています。
〜〜〜〜〜〜〜
 今シーズン、ここまで勝ち星が無く、正直苦しかった。いい試合をやってきてたが、得点が取れずに勝ち点3が取れない試合が続いていた。そこで自分たちのサッカーを見失ってしまうのが怖かった。でも、選手一人一人が自分たちのサッカーを信じ、闘ったのが勝ち点3につながったと思う。
 苦しい状態が続いた中、我々のサッカーを信じ、一緒に闘い、そして絶えずに励まし続けてくれたサポーター、そして地元メディアに本当に感謝したい。先制した試合、アウェイでの試合、そして勝利を待ち続けてくれた関東のサポーターの期待にこたえることができた。この勝利は勝ち点3以上の重みがあると感じる。
 この勝ち点3を取れたことを契機に勢いに乗り、中二日で次の試合になるが、ホームのサポーターとも喜びをわかちあえたい。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
Kazu diaryもお兄ちゃんの喜びの声が書かれていました。昨日は頑張ったもんね、、、一つは自分のために、もう一つは弟のために、ですかね。

と、いうわけで、今朝は興奮覚めやらぬままいつもお馴染みサイト、ブログ、掲示板を巡回。
気持ちが軽い。
みんなも明るい。
あの顔、この顔、思い出しながらのドライブです(^.^)
さて、そんな中、感想の一つに
「さぁ、次は神戸だ!!!ホームだ!!!!行け!!!!」
と、言う声が多くて、笑ってしまいました。
私も一番目に思ったから。
いずこも同じと言うかーーー
サポーター、ファンって親心と似ていますね。
「這えば立て、立てば歩めの親心」です。
親って、すごく欲張りで、一つ出来れば、さらに次。もう一つ。とドンドン望みは高くなるのですが、
それって、時々は子どもにとってプレッシャーになったりします。
揚げ句に子どもが落ち込んだり、ふてたりと色々やってくれるのですが、
その度に親はオロオロしながらも、なりふり構わず我が子がカワイイ。
やっぱり、親なればこそ。
親ってありがたいなぁ〜〜〜
そんな親心とファンの心理って共通のものがあるなぁ===と思いながら巡回を終えました。

と、いうわけでサンフレッチェとともにまだまだ熱い時を過ごさなければと思っている私です。

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2005.04.13

やったよ〜〜〜広島(^.^)

サンフレッチェ広島が勝った!!!
うわっ〜〜〜〜
勝ったよ。
今季初めて勝利。
待っていた勝ちがやっとキタ〜〜〜〜

今日はテレビでの放送がないので、ネットで掲示板やらサイトやらをガチャガチャやりなが一喜一喜(^.^)(^.^)(^.^)
試合内容はわからないのですが、マエシュンが決め、お兄ちゃんが2点取り、ガウボンが入れた、、、
いや〜〜〜よかった。
どうしてこんなに幸せなのか。
今までの試合。
「あ〜〜〜〜(^^;」
「うううううう====(^^;」
「おおおお↓↓↓」
も、み〜〜〜んな許せる。
単純なんだね。私。
まぁ、これからだ〜〜〜〜
さっ、今からだ!!!!
気合いだ!気合いだ!気合いだ!!!!


明日はもっと冷静に書きます。
今日はちょっとハイです。ゆるしてください。

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やっぱり面白い入試問題

今日は今年の入試問題で楽しいなぁと思ったものの一つ、
灘中学の算数を紹介します。
6番目の問題。
「異なる3つの整数があり、3数の和に4を加えたものは、3数の積に等しい。
このような整数の組み合わせは2通りあるが、最大の整数が4である場合の3数の積は
□で、またもう一つの組み合わせの場合の積は□である。」
多分、電車の吊革広告でご覧になった方も多いと思います。
頭の体操にはピッタシ。
まだ、試していない方は是非なさってください。
時間さえあれば組み合わせで、いずれ解答には辿り着くので、
ここでは解答は書きません。
それより、中学生、高校生のみなさんは、
「異なる3つの整数があり、3数の和に4を加えたものは、3数の積に等しい。
このような整数の組み合わせは2通りあるが、」
というところの、「何故、2通りしかないのか」という問題に挑戦してみませんか???
これは2通りしかない、ということが数学的に証明されます。
ただし、因数分解を習った学年以上でないと解けません。
(追記 ここで言う整数は自然数と考えてくださいね)

以前、よ〜く見れば楽しい入試問題というタイトルで入試問題には、ユニークで楽しいものがあることを紹介しました。
その折、「早く解答を教えてくれ」とメールを頂いたり、ちょっとばかり反響がありました。
クイズとか推理って、人を捉えて離さない何か魅力があるのでしょか?
それにしても、この頃の入試問題はユニークで楽しくていいですねぇ〜〜〜
出題者のセンスがいいなぁ。
こんな問題があると、受験生もひたすら詰め込み、暗記から解放されて、
論理的に考えるようになるかも、、、と思います。
また、他の問題も紹介しますね。
お楽しみに。

なお、京都教育大学付属高校入試問題解答も載せておきます。

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2005.04.12

浩司君としんちゃん

サンフレッチェ広島のファンである私は、
毎朝、広島関係のサイトやブログ、掲示板を巡回。
新鮮なネタさがし。
さて、今日はそんな中でとっても嬉しいニュースがあります。
そりゃ、もちろん浩司君の練習復活(^.^)
浩司君の日記にも書いてありますが、
〜〜これから焦らず、徐々にコンディションを整えていきたいと思います。 〜〜〜との事。
本当にゆっくりと焦らずしかし確実に復帰してもらいたいものです。
この間の経験は絶対、無駄ではなかったと私は信じています。

さてさて、もう一つの話題は紫熊倶楽部の5月号に桑田愼一朗君が載っていることです。
実は私は秘かにシンチャンファンなのです。
ユースの時からずっと見てきて、彼の地味だけれど確かなプレーに仕事人を感じていました。
シンチャンの妹さんと一緒に応援していたとき、とても楽しかったことから彼のプレーに注目し始めたのがきっかけです。
「遅く咲く大輪の花」と記事には書いてありましたが、私もまさにそうだと思います。
シンチャ〜〜〜〜ン。
頑張れ!!!!!
私が応援しているぞぉおおおおお

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春雨はいたくな降りそ

春雨はいたくな降りそ桜花いまだ見なくに散らまく惜しも
(万葉集 詠み人知らず)
意味は「春雨よ激しく降らないで。桜の花をまだみていないのに、散ってしまったら惜しいことです。」という感じでしょうか、、、
さて、今日は朝からの雨。
春の雨は、細く柔かでしなかやか。しかも忍耐強い。
我が家の窓からは、雨にけぶる遠くの山脈と、
惜しみながら散っていく桜の木が近くに見えて、なかなかの風情を演出してくれています。
今は時は夕暮れ、
暮色にせまるあたりには、街灯の火がともり、雨にぼやりと映えています。
そのなにやらもの哀しさが、まるで夢二の絵が窓に描かれているようです。
カーテンを閉めるほんの僅かな時間に切り取られた光景。
時代は流れ、歴史が動いている。
しかし、今の一時はヒッソリと降る雨の音と散る桜しかありません。
一瞬の贅沢な楽しみを味わった喜びで、満たされながら、、、
怒涛のように流れる時代に棹をさそうか、あるいはそのまま立ちすくむか、、、
〜〜〜 春さらばかざしにせむと我が思ひし桜の花は散りにけるかも 万葉集より〜〜〜〜
季節はいよいよ鳥達の鳴く初夏の候。
やはり私も今まで通り鳴きますか、、、
それが、実に私らしい。

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2005.04.11

私たちに出来ることは?

昨日の記事でも、書いたのですが、中国で起きている反日デモの深刻さを感じています。暴徒と化した行動は断じて許すことはできません。
「国の為なら何をしてもいい」という論理は受け入れ難いものがあります。
今日もニュースやいろんな方のブログ、サイトを訪問して私なりに見聞を広めることが出来ました。
その中で思ったことは、
では今、私たちが出来ること、しなければならない事は何か、、、です。
何故、彼等があの様な行動に出たかを冷静に受け止めることでは、と改めて思いました。
少なくとも、「やれやれ、、、中国人は」と眉を顰め、批判することでは決してないのでは、と思います。

今回の事件を見ていくと「群集心理」と言う言葉が浮かびます。
群集心理とは何か
集団心理の「力学」
などを参考にご覧ください。
そこには、
「人間は社会的生物である。したがって、誰でもがいずれかの集団に属している。
そして、その集団は個人の意志とは別のところで働く」ということが説明されています。
大衆と群衆の違いを類型化し、なおかつ私たちの日常で経験する集団心理の実例をあげています。
例えば、スポーツでも。
例えば、コンサート。
あるいは、トイレットペーパーやお米のストック買い。
災害の時のパニック状態。などなど枚挙にいとまがありません。
これは、どの国がとか、どの集団がということなく、見られることらしいです。
確かに私たちは、サッカーでも昨年の中国のアジアカップの情景や、先日の北朝鮮の試合で、「○○は、、、」と決めつけますが、サッカーの歴史を見れば、もっとすごい場内乱闘、人命の危機さえあったことは一つや二つではありません。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
大衆とは、
(1) 大多数の人びとからなる集合体であり、社会的地位、階級、職業、学歴、富などの社会的障壁をこえて構成されており、異質性をその特質としている。
(2) 匿名性と非人格的な関係によって特徴付けられる。
(3) 未分化な群れであり、明確なリーダーシップをもっていない。ルーズに組織された集合体であり、巨大な非組織集団としての特徴をもっている。
(4) 空間的に散在している人びとから構成されており、お互いには相互作用ないしは経験の交換を行なうことのできない人びとの集合体である。

 一方、群集は、一時的・物理的に近接し、すなわち肩と肩がふれあうような状態におかれており、直接的な人間的接触が行なわれ、かつ強い相互作用と相互刺激が交換される集合体を指して用いられる。群集は自然発生的に生ずることもあるし、操作によって形成されることもある。群集は4つのタイプに区別される。

(1) 活動的群衆(active crowd)・・・共通の注目の焦点を行為の目的として形成される群集。
(2) 表出的群集(expressive crowd)・・・?のような中心的な注目の焦点を持たず、ただ興奮した衝動や感情を動作において表出している群集。
(3) 一時的群集(casual crowd)・・・街頭などで偶然に形成される群集。
(4) 慣習的群集(conventional crowd)・・・競技場などに集まり、競技に熱中している群集。

 また、戦争に巻き込まれた人びとや、パニックに陥っている人びとも、一定の群集心理を示すことがある。
 
集団心理の「力学」 より引用。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この様に見ると、今回の中国反日デモは集団心理が高じた暴動であったのでは、と思います。
一人、ひとりの中国人が、あれほど大きな意思を持って日本人を憎んでいるかというと、私は否と思います。
その原因については、扇動者がいたという見方もあります。また過去の歴史や、今後の国際情勢、また経済問題など複雑で多様であるとも思います。
ルサンチマンとして片付けてはいけない。
では、この原因に関して私たち日本人は何が出来るか?
と、いう初めの問題に戻るなら、
やはり、政府は国の問題として、徹底的に話し合う。
何が問題で、この解決のためには、どうすればいいのか、
お互いはどこまで歩み寄れるのか、、、、
まずは、そこから始めていくしかないように思えてなりません。
そして、私たち個人が出来ることは、
決して相手を罵ったり、なじったりすることではないのではと思うのです。
本当に問題を解決したいと思うなら「理解する方向」で考えていく事ではないかと思います。
お隣さんとは仲良くやっていきたい、、、勿論、世界中の国とも仲良くと、私は願っています。
いずれにしても、お互いにとって、この事件が長い目で見たとき、
相互理解の積極的な役割を担うことを願ってやみません。

最後に集団心理の「力学」は次のように結んでいます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
われわれは常に大衆操作の対象として、その危険にさらされていることを肝に命じておかねばならない。自己の価値基準に基づいた自律的な判断力を失うことは、集団のなかに埋没し、集団の目的達成のためだけに生きる「コマ」の一つにしかすぎなくなることを意味するからである。

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春暁から喜雨へ

春眠不覚暁
処処聞啼鳥
夜来風雨声
花落知多少
・・・・・・・・・・・・・
春眠、暁を覚えず
処処、啼鳥聞こゆ
夜来、風雨の声
花落ること知多少ぞ

有名な孟浩然 の五言絶句「春暁」より今日はサンフレッチェ広島の話題を始めます。
実は先日、昨年の日記を見ていたら、4月10日付で以下のようなことを書いていました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ウ〜〜〜ン。
今日も勝てない、、、
サンフレッチェ広島。
一体どうしたんだよ〜〜
全体に選手の気迫がない、
というか、どうもマッタリコン、
じゃ、攻めていなかったか、
というと、そうじゃなくてかなり、積極的に頑張っている。
シュートも何本か「惜しい」というのもあったり、むしろ相手よりも攻めている。
しかし、相手は少ないチャンスをいかして、しっかり得点に結び付けることができる。
結局、今日も負けました。
あ〜あ〜
いろんな掲示板を見ると
「敗因は監督」というものが多い。
今の段階ですぐに結論を出すのもどうかとは思うが、
気持ちは分からなくもない。
何回やっても何回やってもできない。負けてしまうと、選手たちも自信がなくなる。
お互いに不信感も生まれる。
いいことないなぁ〜〜
どうすればいいか、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
うわっ〜〜〜〜〜まるで同じだぁ。今と。
そして、こうも書いてあるのです。
「はやくお目覚め、もう日は高い」と。
そうなんですよね、、、、
サンフレッチェってお寝坊なのですかねぇ??
覚醒が遅い。
おいおい、早く起きろよ。
ドンドン、時は過ぎていくよぉおおお。
起きれば君たちは強い。
絶対つよい。
自分を信じて、戦って下さい。
絶対、大丈夫。
そんな広島の選手に、最後に同じく唐の杜甫の「春夜喜雨」を贈ります。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
好雨知時節
當春乃發生
隨風潛入夜
潤物細無聲
野徑云俱黑
江船火獨明
曉看紅濕處
花重錦官城
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
好雨時節を知り
春に当たりて乃ち発生す
風に随ひて潜かに夜に入り
物を潤して細かにして声無し
野径雲倶に黒く
江船火独り明らかなり
暁に紅の湿ふ処を看ば
花は錦官城に重からん
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
意味は「自然は時期を知っていて、時が来ればいい具合に雨が降り、風が吹き、そして花が咲く。その計らいの素晴らしさにただ目を瞠るばかり」ぐらいでしょうか(すごい意訳(^^;)
とにかく、機は熟しています。
後は勝つだけ、進むだけ、、、
頑張れ!!!!
サンフレッチェ広島、
次節は東京ヴェルディ。
 

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2005.04.10

とびきり難しい民族史

今、本棚からもう一度出して読み直している本があります。
本の題名はとびきり哀しいスコットランド史
御存知のようにイギリスはイングランドとスコットランドの血で血をあがなう戦いの歴史の上に立っている国です。
私たちがスコットランドのグラスゴーを訪れたのは、もう何年も前です。
その時、予習と言うつもりで読んだのが件の本です。
スコットランドの思い出は、夏にも関わらず暗く寒いものです。
夫が仕事に出かけた時は、子どもとモールに出かけてあの有名な(?)「ハギス」を食べたり、湖やエディンバラへ現地ツアーで出かけたりと、楽しいことが沢山あったにも関わらず、何故かもの悲しい。
あのバグパイプの音色がそうさせるのか、あるいは空気にまで染みきっている歴史がそうさせるのでしょうか?
民族の問題、領土の問題は世界中至る所にあります。
お隣さんとは仲良くしたい、と誰もが思っているが、お隣さんだからこそ問題が発生することは多くあります。
さて、今朝の中国でも反日デモ、さらに一部の暴動化した人々をテレビで見ながら胸が痛くなりました。
恥ずかしながら私は今まで、あまり知らなかったのです、先般話題になっている領土のあれこれを。
学校での歴史の時間は、近代史に入ると途端に時間が無くなってパッ〜と進むのです。
だから、入試の時は大変でした。わけも分からず暗記していた事しか記憶にありません。
そんなわけで、近頃のあれこれを勉強するつもりでいろんな方のサイトやブログを拝見しました。
なるほど、、、
なるほど、、、、
と。
そして、その問題の深さに一筋縄ではいかないもどかしさを感じています。
そもそもの出発点をどこにおくか?初めの一歩からお互いに躓いている感がします。
私は個人的には韓国の方と何年かまえ共同研究をしていた事があります。その時は本当に親切にしていただきました。W杯でもいい思い出でが一杯。
夫がドイツにいたとき、ベルリンの中国人の方の家に遊びに行きました。
中国料理を食べて、子どもたちは一緒に遊んで楽しい一時を過ごしました。
一人の人間と人間との付き合いでは国が違っても、お互いに分かり合える事ってありますよね。
そんなわけで、この問題は静かに見守っていこうと思っていたのですが、
今朝のニュースはいただけない。
暴力で己の主張を通そうとするのは、その理由がなんであれ間違いであると思います。
では、どうするか???
やはりこれは、個人の問題ではなく国と国の話し合いしかないのでは、、、と思います。
政府はきっぱりと、モノを言い主張することはする。さらには何が問題かをこの際、明らかにして、相互の誠意を示す事しかないのでは、と考えます。
いずれにしても、その巻き添えを食っているのが、普通の漁民だったり、普通の人々だったりするのだから、、、

宇宙に飛び出そうとしているこの世紀。
大きな目で、広い心で隣人と接することができないものかと祈りながら、、、

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2005.04.09

足りないものは何?

サンフレッチェ広島と鹿島アントラーズの試合は0−1で鹿島が勝ちました。
残念!!!
今日こそは〜〜〜と期待に胸膨らませてテレビの前での応援。
窓からは満開の桜が咲き誇り、ときどき羽のようにちる風情を横目で見ながら、今日は花よりサッカーと心に決めて。
さて、三時。
キックオフ。
前半の早いうちから広島は鹿島を攻めます。
攻めまくります。
今日デビューのジョルジーニョ。気合いが伝わってきます。
ハッスルして走ります。蹴ります。外します。
茂木も大木も走り込みます。ふかします。あと、ほんの僅かなのに、、、
きゃーーー、ぎゃーーーと騒ぎながら見ていたのですが、
鹿島は落ち着いて捌いてきます。
なかなかゴールを割ることができない。
そのうち広島は疲れたのかペースが落ちて鹿島の方に流れがいきます。
小笠原、新井場がゴールを狙ってきますが、広島のDFは守りきり、
前半は0−0で終了。
こっちが攻めている時間が多かったのだけれど、なんとなくやられている感じで、ハーフタイムを迎えてホッ。
「どうしたらいいか、、、、」
いっぱしの監督気取りで立て直しを考える私です。
そして後半開始前の両監督のインタビュー。
小野監督は「ゴール前でもっとダイナミックに。ジョルジーニョは良いところを出している。自分たちのサッカーができていないわけじゃない。継続することだ」。
トニーニョ・セレーゾ鹿島アントラーズの監督は「気持ちの切り替えができれば後半は問題ないだろう」
と、いうことでした。
後半も前半同様、開始そうそうは広島がボールを支配することが多く、あわやという場面や、ここで決めねばいつ決めるというようなビッグチャンスばかり。
しかし、これが入らない。
ポストにポ〜〜〜ン。ああああ
長さにすれば10センチくらい横をパコン。あ〜〜〜〜あ
強烈なあたりはGKのど真ん中。あ、あ、あ〜〜〜〜
そうこうするうちに、
25分 本山のスルーパス→野沢のシュート→下田を抜いてゴール。
鹿島が先制、、、
ガック。
入るときってあんなものかぁ〜〜
その後も広島は反撃に出るのですが、
結局、ゴールを決められず負けました。
ざんねーーん。

さて、この試合。
何が敗因か???
我が家でも試合後の反省会(?)
GK下田は今日も良かった。
DFも頑張っていた。
サイドはう〜〜〜〜ん。服部選手の調子がもう一つかな?
駒野選手はきれていたOK
茂原?????頑張ってください。次は大事なところでボール見失わないでください。味方にパスしてください。
お兄ちゃん。今日は消えていた。
FW、疲れていたかな?全体に。と、いうか時間配分、戦い下手と言う方が正しいのかなぁ?
鹿島はやはり試合巧者ですね。
広島って正直なサッカーをしているとつくづく思います。
良く言えばキレイな試合。悪く言えば馬鹿正直か?
相手のファールを誘うことが下手ですね。
一度、師匠の鹿島、鈴木選手を呼んで勉強したらいいかも、、、なぁんて冗談ですよ。
こうして、敗因を考えていくと、
行き着くところは「監督の運」。
知将であることは疑いない。
しかし、まだ運を手にできない。
神様を味方にするには経験がまだ足りないのか?
とはいえ、三年目だからなぁ。
う〜〜〜〜〜んん。
かくなるうえは、全員で神頼み(^^;
自分たちのサッカーを信じて、今のままの戦術を確信して、
最後は、
神頼みしかない、、、
うううう〜〜〜〜んん
神様、仏様、広島を勝たせてくださ〜〜〜い。
とは言えやはり人間しかない。問題を解決するのは人間力?
浩司君。早く復帰して下さい。(しかし、この思いが彼にプレッシャーにならないように、、、)
リーダーであるカズは、ドンドン出てもいいと思います。遠慮せずに。
FWはやっぱり入れろ〜〜〜〜
動体視力をもっと訓練してGKの動きをカンで捉える、、、(もう、やっているかぁ、)
と、いうことで
私はずっ〜〜〜と信じていますよ。
♪サンフレッチェ、チャチャチャ。

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2005.04.08

花祭り

今日、4月8日は花祭り。
ここに詳しく載っています。
私は花祭りというと、幼い頃、白い象の上に乗っているお釈迦様の姿をあしらった山車を引いたことを思い出します。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
♪昔も昔三千年 花咲き匂う 春八日 
 響き渡ったその声は 天にも地にも我一人
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
こんな歌を歌いながら、お寺からお寺を廻るのです。あの頃は今のような交通事情ではないので、方々で山車が町を練り歩いていました。子ども心に「天にも地にも我一人」が妙に気になっていたことを思い出します。
そして、最後はお釈迦様に甘茶をかけて、自分も頂きます。
花祭りの歌では
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
♪何年たっても変わらずに 咲いたまこもの法の花
かわける人にふりまいた 甘露の水は限りない
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
とあります。
私は「甘茶ってあんまりおいしくないな」と思いながら飲んでいました。
遠い昔の思い出です。

さて、今日はローマ法王の葬儀の日でもあります。
生まれて来る者、死する者。
世の常であります。
そこにはなんの計らいも無い。
ひたすら「流れ行く時」があるだけです。
人は、その厳然たる事実の前に謙虚であらねばならない、、、
そんなことを思いながら、甘茶(花粉症対策の甜茶というところが、しまらない(^^;)を頂いています。

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2005.04.07

男はつらいよ しかし女もつらい

昨日、朝の女性専用車両の運行開始の話題を書いたところ、男性の方からコメントを頂きました。
「男性専用車両も作って欲しい」と。
と言うわけで昨夜はこの話題で我が家は盛り上がりました。
「そうなんだよね、、、向こうの女性専用車はガラガラなのに、こっちに女の人が乗っていて、それも大きな場所占めて座っているの見ると、あっちの専用車行け〜〜〜って言いたくなるよ。」
「この前、電車、待っていたら、気がつかなかったけれど女性専用車両って書いてあって、ビックリ。
朝なんか慌てて間違えたら痴漢になるのかなぁ?」
「そりゃ、ないでしょう。間違えたって分かるよ。乗り換えればいいのよーー
仮に女性専用車両で痴漢しようなんて剛の者がいたら、それはそれで凄い。
敵ながらアッパレ!」と私。
「男性専用車両も作って欲しい〜〜〜」と言う切なる訴えをしながら今日も我が家の男性陣はリュックしょって出かけました。
なるほど、男性も苦労しているのですね、、、
男女平等は、女性だけの願いではないと改めて思ったりして。

こんな身近な話題から、今日はちょっと大きく憲法24条を見てみます。
〜〜〜〜〜〜〜〜
第24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
(日本国憲法より)
〜〜〜〜〜〜〜〜
先日自民党新憲法起草委員が改憲案を作り、その骨子が発表されました。
これについては、これから多くの議論、討論の待たれるところですが、
私は女性の立場から、憲法24条について考えます。
今回の自民党案は昨年6月提出の憲法改正プロジェクトチーム「論点整理(案)」と大差ありません。
あの時も、家族、共同体の責務を掲げましたが、今回も「国民は夫婦の協力と責任により、自らの家庭を良好に維持しなかればならない」という「家庭保護」の責務が訓示規定されています。
平たく言えば、「家を守れ」と言うことです。
これに関しては全く正しいのですが、ただ憲法が家、夫婦の在り方にまで入ってくることが問題なのです。
「女よ家に帰れ」と言う事です。また、親孝行のすすめまで規定されています。
これは人間として当然のことです。なにも憲法で決められることではありません。
これらは極めて個人的な問題です。
結婚相手に関して、子どもの有無に関して、働く担い手に関して、、、、
などなど枚挙にいとまがないのですが、いずれにしても、それはその当事者の問題です。
しかし、今回出された案では、訓示規定として「良い家を守れ」と言います。
つまり、個人の上に家がおかれ、そしてその上に何が来るかは言わずもがなです。
青い鳥コンプレックスでも以前書きましたが、女性が社会に関わっていくことが、男性にとっても押しつけられる「男らしさ」からの解放なのです。仮に男性だけが社会の担い手としたならば、お互いの相互理解は遠くなり、相手にのみ忠誠を求めることになるのは、今までの封建社会の下での家族制が明らかにしています。
これに関しては学校でのジェンダー教育について
フェニミズム運動について
シャロット姫からノーラまで
女の人生すごろくなどをご覧ください。
真の男女平等を得ることは、女性は勿論男性にとっても本当の意味で「しばり」から放たれることだと思います。
今、憲法24条を変える、しかも「家」という名の下に変えようとしていくことは「退行」ではと考えます。
9条論議はアチコチさかんですが、その陰に隠れている24条もしっかりと見守っていかなければと思います。
女性問題、さらに男性も含めて勉強をしていきたいと張り切っている私です。

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2005.04.06

新しい季節

入学、新学期の時期を迎えることになりました。
子どもたちは、それぞれに、それぞれの思いで、これからの新しい一年を思っているのではないでしょうか?
さて、今日は多くのブログで「教科書問題」が取りざたされています。
これは、いろんな立場の方がいろんなご意見を持っていらっしゃると思います。
この問題については、今後もみなさんの意見や本などを読んでしっかりと勉強をしていきたいと思います。
今日は「教科書から消えた項目」が「発展」として復活した事に関して考えを述べたいと思います。
まず、事実。
中学教科書に指導要項を超える内容を「発展」として認めたのは今回が初めてです。
教科書の囲み記事として登場。
数学の二次方程式の解の解法。球の体積、表面積。
不等式。立体の切断、投影。
理科の元素周期表、生物の進化、遺伝の法則、イオン、力の大きさとバネの伸び。
などです。
私に言わせれば、これら原理は発展というより基礎だと思うのです。
例えば理科。
イオンを教えないのに、電池や電気分解を教えると言った今までの現場のありかたでは、
学ぶ子どもたちも当惑するのですが、教える側も大変なのです。
「電子」を教えないで電池を教えるということは則ち暗記しろということなのです。
これじゃ、子どもたちは理科を理解するのは難しい。
先日、中学生の子どもに「からだのしくみ」を教えていて、循環つまり心臓のしくみを教えていた時のこと。
「ねぇ、カエルって何心房何心室?」ときく私に首をかしげる子どもたち。
よ〜〜〜く教科書を見れば、心室、心房は無い。
彼等にとってはおサカナさんも、カエルさんも蛇さんも鳥さんも、みんな同じ心臓の仕組みなのです。
勿論、人間も。
高校生の息子にこの話をしたら、
「へぇ〜〜〜それじゃ、心臓がどこから血液を送り出し、受け入れるのか疑問に思わないの?」と言う。
「そりゃ、思わないよ。心臓は一つだもん。」と私。
「そうか、、、心臓は一つかぁ」と息子。
二人で妙に納得。
まぁ、ことほどさように「一つひとつバラバラの知識だけが詰め込まれているが、配線が繋がっていない」教え方をされてきた「ゆとり」の世代の子どもたち。
今回の発展の導入が少しは、子どもたちの学ぶ意欲と知識の定着に役立つことを祈るばかりです。
新しい季節が、どの子にも素敵なことで一杯でありますように。

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2005.04.05

瓜田李下

「 古楽府‐君子行」の「君子防未然、不處嫌疑間。瓜田不納履、李下不正冠」から きている有名な言葉です。
一般には「李下で冠を正さず、瓜田で靴を履かず」と言われています。
つまり、李の木の下で冠を直そうと手を上にあげると、たとえその積もりが無くても
「李の実を盗もうとしている」などと疑われます。
 そこで君子たる者、初めから疑われるような事はするな、という意味になり、行動や言動にはよくよく気をつけなさいと言う意味です。
さて、埼京線 朝の女性専用車両の運行開始というニュースを見ました。
これは、とてもいいことだ〜〜〜と思いました。女性は勿論、男性にとってもお互いに。
あとを絶たない痴漢行為。
憤る女性の気持ちは共感できます。
私は東京にいた時は、満員電車の時間には乗車することはあまりなかったのですが、
友人は、満員電車で大学まで来ていたので、毎朝のように痴漢に遭うとぼやいていました。
一方、痴漢冤罪事件もあとを絶ちません。
これはこれでとても気の毒。以前、私もここで書きました。
さて、我が家も家族たちは満員電車でそれぞれ通っているので、「両手は必ず吊革に置く」ように、リュックをしょって毎朝出かけます。
本当に、痴漢をしようと思っている不逞な輩以外は、
男性にとっても、清々しいことでは、と思います。
各路線で定着するといいなぁ〜〜〜

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年々歳々花相似たり

桜の花が咲き出しました。
薄くかすんだ遠くの空と山脈を背に、
淡いピンクの花を一杯に咲かせる桜は春の代名詞でもあります。
その美しさは儚くて散り際の美事さから、この花は万葉の昔から人々の心をとらえ、に詠まれてきました。
百人一首の中でも数々詠われていますが、「花・老い・孤独」という視点の取り合わせに、今も昔も変わらない花への思いを感じます。
さらに、人の一生を花に譬えて有名な唐の 劉廷芝の「白頭を悲しむ翁に代る 」の
〜〜年々歳々花相似たり
歳々年々人同じからず〜〜
に思いが至ります。
人の一生は短い。
ならば、短い人生をもっと優しく、こころ豊かに生きていきたい、
そんなことを、たゆたいながら散る桜の花びらを見ながら思いました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
白頭を悲しむ翁に代る  

洛陽城東桃李の花
飛び来たり飛び去って誰が家にか落つる
洛陽の女児顔色を惜しみ
行く行く落花に逢って長く嘆息す
今年花落ちて顔色改まり
明年花開くとき復た誰か在る
己に見る松柏の摧かれて薪と為り
更に聞く桑田の変じて海と成るを
古人復た洛城の東に無し
今人還た対す落花の風
年々歳々花相似たり
歳々年々人同じからず
言を寄す全盛の紅顔子
応に憐れむべし半死の白頭翁 
     劉廷芝作(初唐時代)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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2005.04.04

国際宇宙ステーション

つい先日、今度中学生になる子と「国際宇宙ステーション」の話で盛り上がりました。
野口宇宙飛行士が5月には国際宇宙ステーション組み立てミッションで宇宙に飛び立つ予定です。
レゴみたいな写真を見ながら二人で話に花が咲きました。
「ねぇ、この写真見てどう思う?」
「ウン、こんなの一杯作って町みたいにしたいなぁ〜〜〜」
「あっ、それいいねぇ。ところで宇宙行ってみたい?」
「うん」
元気に答える子どもの顔をみて、いいなぁ、、、若くて夢があってと少々羨ましがる私。
その後、無重力の話をしたり、どんな実験ができるか、、、など話始めると、アッという間に時間が経ちました。
未来には、宇宙の旅は夢ではなくなるのでしょうか?
ワクワクしてきます。
夜空に煌めく星ぼしの中を遊泳していく宇宙船。
遠いとおいどこかの星の生命体とのコンタクトがあり、人類の宇宙は広がる。
はてしなく〜〜〜
春の大曲線を辿りながらアナタも今夜は星を眺めてみませんか?

そういえばつい先頃暗黒星雲 全天地図が東京学芸大学チームによって7年かけて完成というニュースを見ました。
暗黒星雲は宇宙に漂うガスや塵が正体で、ここは新たな星が生まれるところでもあります。
神秘の謎が一つづつ解き明かされ、さらに謎が謎を呼ぶ広大な宇宙。
そのミステリーに吸い込まれるように、人類は宇宙に挑むのでしょうか???
ロマンを求めて。
そんな人類の英知を集めた宇宙開発の足がかりになるステーション組み立て。
野口さんをはじめとして関わるみなさんのたゆまぬ努力に敬意を払い、またその成功をお祈りしています。

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空飛ぶ聖座 

ローマ法王死去のニュースが流れました。
私は信者ではありませんでしたが、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世は尊敬しておりました。
子どもがウ〜〜〜ンと小さかった頃、
斜塔で有名なピサに住むイタリア人の友人の家に遊びに行った事があります。
その時、バチカン市国も訪ね、サンピエトロ広場に座りながら、「ここにローマ法王がいらっしゃるのよ」と幼い我が子に教えていました。子どもは、そんな事はわからないので、「こっちがイタリア、こっちがバチカン」と国境(?)を行ったり来たり。
81年2月には広島にも見えましたが、その時は私は行けませんでした。
そういうわけで、お目にかかった事はありませんが「積極的外交」でいつもニュースに流れていたローマ法王の死を知り、心から哀悼の意をここに示します。
「空飛ぶ聖座」の異名をとるヨハネ・パウロ二世は、その法王としての在任中は、
積極的に他宗教、多文化との対話、交流を試みました。
また、地動説謝罪をはじめとして、
歴史的謝罪
ユダヤ人迫害で謝罪 など
謝罪の法王でもありました。
そして近年はイラク戦争反対を掲げ、ブッシュ大統領に二回、「武力攻撃を思いとどまる」ように書簡を送りました。
ローマ法王死去の報に世界各地で弔意のミサが始まっています。
ブッシュ大統領は、ローマ法王を「人間の尊厳の証言者」と語り、「世界は人間の自由のチャンピオンを失った」と語りました。
最後まで、平和を祈り、人類の繁栄を願ったローマ法王ヨハネ・パウロ二世の冥福を、心から心から祈ります。
「ヨハネ・パウロ法王様。
長い間、有り難うございました。
安らかにお眠りください。」

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2005.04.03

心はひとつ 広島が好きじゃ〜〜〜

昨日、行われたJリーグ第3節広島ー名古屋戦は、1−1の引き分けに終わりました。
まず、一番嬉しかったことは、
茂木がスタメンに入っていることでした。
ウワッ〜〜〜茂木。頑張れ!!!
赤いサッカーシューズが光っているよ(^.^)
また、小村選手もスタメンだったので、なんだか安心。
ちょっと余談ですが、いつも試合には小村選手のフラッグを持って応援に見えている、お二人(多分、ご夫婦かな?)
が、とても素敵で私は遠くからエールをお二人に送っています。
さて、いよいよキックオフ。
豊田スタジアムは、すごく見晴らしがよくて観戦しやすいのですが、やはり向こうサイドのゴールは遠い。
前半は、広島は向こうサイドに攻めるため、攻撃の方はあまりわかりません。
しかし、相手の攻撃、こちらの守りは手に取るようにわかります。
一言。
今日の下田は神でした。
名古屋はウエズレィ選手が出ていなかったのですが、マルケスを中心に何度も攻めてきますが、
小村の泥臭い守りが効いて、攻めあぐねています。
ボールはあっちいったり、こっちに来たり。
大木選手がボールを持つと何かが起こるような予感がします。
「べんちゃ〜〜〜ん」
大声で声援。もう花粉症予防のマスクもはずしてしまいました。
「いけぇええ。べんちゃ〜〜〜〜ん」
両チームとも決定力に欠けていたのか、DFが質が高かったのか、
前半は0−0で終了。
そして、後半に広島にドラマが生まれました。
こちらサイドに来るので、迫力が違い、応援の声も一段と高まります。
広島は目の覚めるような怒涛の攻撃開始。
そして、後半9分、森崎和のスルーパス→大木がドリブル→茂木にパス。
茂木は強烈なシュートで楢崎の横をスルスルと抜き、ゴ〜〜〜ル。
やった!!!!
茂木がやった!!!
茂木の赤いシューズがゴールを生み出した!!!!
湧く広島サポのまえで、その後も茂木はリズミカルなボール裁きを見せてくれます。
" shall we dance"のような滑らかな足の動きにウットリ。
しかし、ゴールには至りませんでした。
だんだん、押し迫る時間。
早く、はやく 時計よ進め。
出来ることなら、もう終了して欲しい。
その後も、向こうサイドでは下田は神でした。
すごい守りでしたよ。
あと、5分。ガマン。
あと、4分。
そして、あと3分というところで、無情にも
マルケス選手がゴ〜〜〜ル。
1−1の同点になりました。
がっくり。
あ〜〜〜あ〜
しかし、前田俊介が交代して、ほんの僅かの時間でしたが次への可能性を感じさせてくれました。
終わってみれば引き分けで、まだ勝ちがない。
しかし、負けも無いのですが。
私は広島ファンなので、口惜しい〜〜〜と思いましたが、
広島でも名古屋ファンでもない、サッカーファンがご覧になったら、
なかなか楽しい試合だったのでは、と思います。
ファンタジックでしたよ。
名古屋の皆さん。
次節はお互い頑張りましょう。
広島は、まだ結果がついてこないけれど、
この戦術を信じていってもいいのでは、というのが現地で見ていた私の感想です。
最後に、
吉田応援団長の合い言葉。
「心は一つ。
広島が好きじゃ〜〜〜」

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2005.04.02

名古屋から帰ってきました、、、

今、名古屋から帰ってきました。
疲れた〜〜〜
愛知万博???
いえいえ。
勿論サンフレッチェ広島の応援にです。
「よっしゃ〜〜〜明日こそ勝つけんねぇ」と昨日から気合いを入れて、
今朝は早く起きて、青春18切符で、普通電車を乗り継ぎ、のりつぎイザ名古屋まで。
万博のためか電車は満員でした。
昼は、名古屋駅で、きしめんを食べて、その後電車で豊田スタジアムまで行きました。
初めて豊田スタジアムに行くのですが、そのあまりの美しさに呆然。
遠くから見るとシドニーオペラハウスのような感じの建物です。
白い流線型のしなやかで、なお鋼鉄のイメージを持つ不思議なスタジアム。
だんだん、気持ちが高ぶり、盛り上がってきます。
一歩、中に入ると、頭の中が紫になったような私。
おおお、、、聞こえてくる、サンフレッチェのサポーターの声が。
スタジアムは、屋根付きで音がビンビンと跳ねてくるので、ますます迫力があります。
今日こそは。
きょうこそは、とはやる気持ちを静めながら、時間が少しづつ過ぎていきます。
そして、いよいよキック・オフ。
試合内容はいっぱい書きたいことがあるのですが、
これについては、明日書きます。

試合が終わり、
また帰りは普通電車の乗り継ぎで帰りました。
やっぱり、遠かった!!!
いろいろあったけれど、楽しい一日でした。
やっぱり、これからも広島、応援するぞ〜〜〜

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2005.04.01

まっすぐな道はさみしい

明日4月2日は、愛知県豊田スタジアムで、Jリーグ第3節サンフレッチェ広島VS名古屋グランパス戦が行われます。
広島は残念ながら、まだ勝ちに恵まれていません(^^;
明日は是非とも勝って欲しいものです。
練習風景を知らせてくれるサイトでは、
練習はバッチリ。みんなシュパシュパとシュートを決めているそうです。
しっかし、本番に弱い広島(^^;(^^;(^^;
ううう〜〜〜〜んんん。
選手はみんな恥ずかしがり????
内気????
それとも、
能あるクマは爪を隠しているのかぁああああああ。
それとも、
それとも、隠しすぎて爪が無くなったなぁんて事はないよねぇ。
明日は、その持っている能力を存分に出してください。
応援しているよ〜〜〜〜

さて、さて、
森崎浩司選手。
しっかり、休養をとって、焦らずゆっくりと過ごして下さい。
「分かれてきた道が、まっすぐな道でさみしい」と謳ったのは山頭火。
自分の過去を振り返ったとき、何もなく平坦であるより、山あり谷あり、そしてデコボコの方が楽しいものです。
コウジクン!!!
一杯、いっぱい悩みながら、迷路に入りながら、
それでも充実した君の人生行路を歩んでくださいね。
心から応援していますよ。
 

それにしてもサンフレッチェも確かに、たしかにまっすぐな平坦な道ではないなぁ(^^;

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年金制度が今日から変わります

もう、すでに御存知とは思いますが今日から年金制度が変わります
社会保険庁のサイトをご覧頂ければ、年金のしくみが詳しく分かると思いますので、
ここではザッと説明します。
特別支給老齢厚生年金とは、1994年に年金制度が変わり、サラリーマンの年金支給開始が60歳から65歳になったために、その経過措置による調整金として支払われる年金のことを言います。男性は1961年4月1日以前、女性は1966年4月1日以前に生まれた人が受け取る資格があります。
その内訳は報酬比例部分と定額部分からなります。
このうち、報酬比例部分とは、特別支給老齢厚生年金のうち、老齢厚生年金に相当する部分のことを言います。
老齢基礎年金に上乗せされて支払われる老齢厚生年金は、
平均標準報酬額(収入に応じて増額されるもの)
生年月日別支給乗率、
保険料を納めた月数により計算します。
この特別老齢基礎年金が、年ごとに改悪され受給の額が減っています。
例えば、4月以降60歳になる男性(1945年4月2日後生まれ)は、三年間定額部分は支給されず報酬比例部分だけになります。
そして、順次定額部分が減り、ついに1949年4月2日生まれ以降の男性は定額部分は無くなります。
次に報酬比例部分も減っていき、1961年4月2日以降の男性は特別支給の老齢厚生年金は無くなり、基礎年金(厚生年金)のみになります。
こうした給付減に加え、負担の方は増えていきます。月額280円引き上げられます。この引き上げは2017年まで13年間連続で実施されることになっています。
知れば知るほどため息が出ます。フッ〜〜〜〜

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