日常に潜む危機
昨日は、尼崎脱線事故のニュースが日本中を駆け巡りました。
何と言っていいのか、、、
言葉もない。
亡くなった方の無念を思い、残された家族、知人の方に心からお悔やみ申し上げます。
朝、手を振って行ってらっしゃい、、、と送り出す。
いつもの光景。
一日の経験を重ねて帰って来る。
そんな当然と思っている日常が切り裂かれた、、、
突然。
なんの前触れもなく。
今まで生きていた証を確認する事もなく、もぎ取られていく命。
日常を残したまま、、、逝ってしまった人々。
なぜ?
どうして?
一人ひとりの命と思いを乗せて、いつものように走っている電車が、いきなり宙に舞い、ちぎれていく車体とともに、
遠く帰らぬ人になるなんて、、、
いったい誰が思うだろう。
だれが、そんなことを思いながら毎朝、家族を送り出しているだろう、、、
朝の途切れる事のない忙しさにかまけて、時には声を荒げ、あるいは せかして追い出す日常。
保証されていると思っているのに。
安全だと信じているのに、、、、
なぜ?
どうして?
どこへ この気持ちを持っていけばいいのか?
やりきれない。
亡くなった方、残された者。
それは他人事ではない。
いつ、どこで、だれに起きるのか、、、
改めて日常とは何か。
そこに潜む危険をえぐり出された気がする。
今、被害者の方の懸命の救助と平行して現因究明がなされています。
憶測や想像が飛び交う中、しっかりと原因究明をしていただきたいものです。
こうした事故が起きた時、決まり文句のように言われる言葉。
「このような事故が再び起こらないように徹底的に原因究明をしてもらいたい」。
虚しく響きながらも、それしかないように思います。
「そこにある日常」への信頼を手放したくはない。
今日は、とても悲しい気持ちで、そして祈るような思いで書いています。
最後にもう一度。
亡くなった方、残された家族の方々。
心からお悔やみ申し上げます。
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