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2005.04.22

日本国憲法 

憲法問題について、多くの方がいろんなご意見を持っていらっしゃると思います。
私は、素直な気持ちから、「戦争はイヤ、平和が好き」と思っています。
そこで、自分の考えを整理する必要を感じて、今日は以下の点について書きます。
1、近代民主主義の歴史と、法治国家
2,そもそも憲法とは何か
3,現憲法制定の歴史
4,討論、議論のあゆみ
5,今、世界の情勢は。
6,憲法を変えるとどのようになるか

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1、近代民主主義の歴史と、法治国家
近代民主主義のあゆみ参照。
マグナカルタから権利請願、権利章典、モンテスキュー、ルソーの啓蒙思想家、さらにアメリカ独立宣言、フランス人権宣言などお馴染みの歴史の歩みが一覧表になっています。

2,そもそも憲法とは何か
近代憲法成立の歴史的経過
日本人が背負う二重の困難を参照しました。
宮台真司氏は、この中で、以下のように書いています。
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【憲法的原則への無理解】
■憲法の無理解は多側面に渡る。第一に、日本国憲法に書いてあるのが国民の権利ばかりで義務規定が少なすぎるとの幼稚な議論に象徴されるが、憲法が統治権力(機構としての国)への命令であることが理解されない。憲法という知恵は、ジョン王の横暴な課税を制約すべくシモン・ド・モンフォール議会が王にのませた契約書マグナ・カルタに由来する。この知恵が、議会の制定する法といえどもコモンローに服すべしとの「法の支配」観念と結合し、近代憲法につながった。だが、日本国憲法は市民が統治権力にのませるどころか、手続き的には大日本帝国憲法の改正という形で欽定された。こうした経緯ゆえに、憲法が市民ではなく統治権力の義務規定であることが、今に至るも理解されない民度の低さだ。

つまり、そもそも憲法とはどの国においても、国民と国との契約のうえに成り立つもので、国が国民になすことを明文化しているものであるということです。

3,現憲法制定の歴史
日本国憲法を参照しました。

4,討論、議論のあゆみ
a 民主主義について
民主主義について「民主主義が最善であるのか」と「直接民主制と間接民主制」どちらが優位なのかという議論がある。
民主主義が最善であるのか
民主主義制度が優れた制度かどうかについて、古来から議論がある。しかし、絶対王政、ファシズム、共産主義などとの競合に尽く打ち勝ち、最終的な勝利者になっていることは明白であり、「人類が歴史上生み出してきた政体」という条件が付くならば最善の制度であると結論できる。
民主制は衆愚政治であるという意見も少数ながら根強い。民主主義制度が優れた制度であると主張する立場でも、その根拠で意見が分かれている。おおまかに二つの立場に分けると、一つは、多数決によってより正しい結論を導くことができることを根拠にする立場であり、もう一つは、正しいことを知りえないからこそ民主主義制度が優れた手続きだとする立場である。
民主的意思決定の数多くの失敗を目の当たりにして、後の立場が有力となっている。

b 直接民主制と間接民主制
また、国民が直接政治に参加する直接民主制と、代表者を通じて間接的に参加する間接民主制についても、古来から議論がある。日本では、特に地方自治体での住民直接投票の取り扱いにおいて表面化している。
一つは、「民衆による政治」という基本理念からして、直接民主制の方が優れているという意見である。この意見からは、間接民主制は次善の策だと指摘される。もう一つは、現実の統治の複雑さと困難さから、間接民主制の方が優れているという意見である。この意見からは、間接民主制は最善の策であり、直接民主制を「絶対民主主義」と非難する。
歴史的には、間接民主制が優れた方法と考えられてきた。現代では、実際の施政者と市民の意見との隔たりを埋めるために、直接民主制にも一定の価値があるとされている。このため、間接民主制が原則だが、直接民主制を補完的に採用するべきだという意見がもっとも有力である。日本国憲法も、この考え方で設計されている(地方自治、憲法改正)。

c 制定法理
本来、理論的にも現実的にも自国が定めるべき憲法の制定過程に外国人が関与したため、制定当初から、日本国憲法は無効ではないかという主張がなされた(押し付け憲法論)。また、大日本帝国憲法の改正手続によって成立したにもかかわらず、主権(統治権)が天皇から国民へ移ることになり、理論的に大日本帝国憲法の改正の限界を超えているという指摘も強かった。(上記「日本国憲法の内容」の「上諭」を参照。)
改正の限界を超えた点については、「八月革命説」によって理論的に説明がされている。この説はポツダム宣言の受諾を法的な一種の革命と捉えて、主権の委譲を説明する。他方、制定過程に外国人が関与した点については、議論が今もなお続いている。もっとも、新憲法成立後多くの国民がそれを支持し、朝鮮戦争時に改正を打診された政府も「その必要なし」と回答、さらに新憲法下で数十年にわたって無数の法令の運用がなされたいま、憲法は無効だという主張は少数となった。憲法は慣習として成立したと説明されることもある。

d そのほか各種の議論
基本理念についての議論
基本的人権の尊重に関して
天皇は元首か:第1条、元首を参照。
女帝、生前退位は認められるか:憲法上は触れられていない。第2条、皇室典範を参照。
国家安全保障上の不備:第9条
(wikipedia参照)

今までもこの様な討論、議論は重ねられて来ました。
押しつけ論改憲護憲
憲法改正論議なども参照しました。
こうした中で明らかになってきたことは、
改憲、護憲、それぞれの主張も時を経て変わってきたことです。
この頃は押しつけ憲法論を唱える学者、研究者は少なくなったようです。
それに変わって出てきた主張が「制度疲労」と新しい人権論です。
この「制度疲労論」ですが、私はそもそも憲法とは「理念」であると思うので、変える必要は感じていません。現実に合わない、つまり新しい権利なども法律で補完できるものではないかと考えています。
憲法改正しなければ実現できないことは「首相公選制」と「憲法裁判所」です。
この二つのために今、どうしても憲法を変える必要を私は感じていません。

5,今、世界の情勢は。
この問題を考えるには、
グローバリゼーションを抜きにしては考えられません。
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グローバリゼーションの傾向が認められる物事は多くあるが、それらの多くは第二次世界大戦後に地球規模化したものである。これらの項目には商品、お金、情報、そして人の国際的な流動化が含まれる。また科学技術、組織、法体系またインフラストラクチャーの発展がこの流動化を促すのに貢献した。より明確にいうと、地球規模化が認められるものには:
国際貿易の発展。
海外直接投資を含む資本の国際的流動の増加。
インターネット、通信衛星、電話などの技術を使った国境を越えるデータの流れの増大化。
増大する国際的な文化の交換、交流。例としてはハリウッド映画の輸出を通じてのアメリカ文化の流入が挙げられる。
文化の同化、融合、西洋化、アメリカ化(アメリカナイゼーション)、中華化を通じての文化差異の減少。
世界貿易機関(WTO)などの組織への国際的取り決めを通じての国家支配権と国境(の重要さ)の衰退。
増加する海外旅行、観光。
不法入国をも含んだ移住者の増加。
国際金融システムの発展。
多国籍企業による世界経済の支配の割合の増加。
WTO地球規模的に適用される標準、基準などの増加。
WIPO、IMFなどの国際的組織の役割の増加。
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こうして見ると、とても素晴らしいことに思えます。
また現実にこの通りの世界が出来たらいいなぁとも思います。
しかし、現実はグローバリゼーションは、
ネオリベラリズムとグローバルスタンダードの二つの考えから成り立っています。
ネオリベラリズム
グローバルスタンダード
を参照してください。
つまり大きな会社、力のある企業が生き残っていけるような仕組みなのです。
これに関しては反グローバリゼーションの考えなども見てください。
この流れの中で、日本の憲法改憲の新しい運動が出てきました。
改憲を強く迫ったのは実はアメリカでした。
アミテージアメリカ国務副長官の「改憲発言」は当時物議を醸しました。
「ショウ ザ フラッグ」とともに記憶に新しいアミテージリポートが、今の憲法を変える運動に繋がっている気がします。
「9・11テロ」後、急速に世界は軍事に傾いたように思いますが、私はむしろ経済の力の方が大きいと思います。
日本はアメリカ指導のグローバリゼーションに急進的に取り組まれていっているような気がします。大企業や体力のある会社ならこれに耐えうると思いますが小さな会社は、吸収され労働者はリストラされ(実際、その動きが顕著に現れたのもこの頃です)るのではと思います。

6,憲法を変えるとどのようになるか
私は、今憲法を変えることには反対です。
なぜなら、変えた後の日本がどうなるか見えてこないのです。
一部の人は、「9条を変えても、戦争するわけじゃない」と言います。
勿論、そうであって欲しい。
しかし、今でも多くの予算を割いている防衛費はもっと多くなるだろうし、、、
ただ、個人的には自衛隊のみなさんの災害復旧の働きなどには、感謝しています。
(自衛隊の友人も多いので、自衛隊は必要かな、、、とも思うのですが、今、改憲の動きにある自衛隊の立場って、軍隊の要素が強くなって来たように思います。)
「戦争放棄」を放棄することには、直感として戦きを感じています。
直近の意識調査では、憲法を変える必要を感じている人が多くなりました。
その理由は、新しい権利や、制度疲労が多いようです(前述)
憲法が古いといわれるけれど、
2000年国連ミレエニアムフォーラムでは
「全ての国が日本国憲法第8条の原則を自国の憲法に採用すること」を決議しました。
私は今の日本国憲法を、誇りに思っています。
これが今の私の到達点です。
なお、この記事に異論、反論がある方や、まだ補完することがある場合はニュースソース参考図書を明らかにして書いて下さい。お願いいたします。
これは私自身の勉強になります。とくに歴史、政治、経済は勉強すればするほど楽しい。
次回は他の国の憲法や国連との関係、また憲法24条についても考えていきたいと思います。また具体的な数字などにも挑戦しようと今からワクワクしています。
もっと、もっと勉強していく必要を感じながら、今日は書きました。

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コメント

 興味ある内容なので二つもトラックバックしてしまいました。すみません。

投稿: i-demo | 2005.04.22 18:40

 ここ数年の憲法記念日は、かつてないほど危機感を抱いています。瀬戸さんのエントリを読んで、自分が法学部卒であることを思い出しました(笑)。私も憲法に関するエントリを書いてみましので、トラックバックさせていただきました。

投稿: Rough Tone | 2005.04.23 03:19

 「戦争はイヤ、平和が好き」の主張は、それなりに魅力的なご意見ですが、北鮮による拉致被害者は、だれが救出するのですか?あるいは、どうやって防止するべきだったのですか?

投稿: 罵愚 | 2005.04.23 03:39

 ごめんなさい、あとを書こうとして、誤まってアップしてしまいました。つづけさせていただきます。
 つまり、国際平和主義の理想に対して、その成果を享受したいご希望は理解できるのですが、平和な状況をつくるための協力は、どうするのでしょうか?の疑問です。
 公園を散歩するのは楽しいのですが、その公園を掃除したり花を植えている人がいることを忘れてはいませんか?という疑問です。

投稿: 罵愚 | 2005.04.23 04:06

i-demo さん。
Rough Toneさん。
罵愚 さん。
こんにちは。
コメント有り難うございます。
皆さんの意見を参照しながらさらに竿頭一歩進めることが、私の今後の課題です。
科学もそうですが、答えは一様ではない、という事を思い、人の数ほど意見があることや、私が思いもしない発想があることに驚きと共感を覚えています。
これからもバリバリ書いていこうと思いますので、よろしくお願いいたします。

投稿: せとともこ | 2005.04.23 18:30

初めて書き込みさせていただきます。拝見させて頂いて疑問に思ったことを書かせて頂きます。
「戦争はイヤ、平和が好き」
自分も同感です。でも、平和ってなんでしょう?
結局この問いにほとんどの人が明確に答えられないことが(もちろん自分もですが)、
なかなか「平和」にならない原因だと、自分は思っています。
もう一つ。災害救助は「自衛隊」がやらなければいけないことなのでしょうか?
それ専門の部隊を創設すればいいのではないでしょうか?
ここ最近、それが曖昧で、混同されたまま、憲法9条改定賛成の理由に挙げられているのが、不安です。
この私の疑問が、あなたの考えの手助けになれば、幸いです。

投稿: 星風 | 2005.04.24 01:54

 「戦争と平和」は「犯罪と治安」と同様、表裏一体の関係だと思います。そこには、残酷な現実があるから「戦争はイヤ、平和が好き」という瀬戸先生の感情は、人間的な自然な感情表現です。
 問題は、そこで思考を停止してしまっては戦争も犯罪も防止できない現実です。歴史は、地球を狭隘にして、国際社会をひとつの閉鎖的な空間に縮めつつありますが、同時にその傾向は人類社会を、ひとつの主権国家とおなじような、法と正義による支配やコントロールが可能な社会に変質させる可能性が見えてきたことだともいます。
  法治国家では、法によって犯罪を取り締まって、治安を確保するように、おなじ手法を使って戦争を防止して、平和を確保できる国際社会をつくるのが、共通の話題になるような気がします。ところが、瀬戸先生のような、戦後平和主義者は、この議論から逃げて、平和念仏に明け暮れているのが、わたしの不満です。

投稿: 罵愚 | 2005.04.24 04:36

この記事へのコメントは終了しました。

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