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2005.05.31

ニ子山親方

ニ子山親方が亡くなられました。
ご冥福をお祈りいたします。

今朝からテレビのワイドショーを見ながら思わず涙が出ました。
時間を遡っての映像。
そこには若くキリリとした親方があり、
相撲に夢中になった多くの方の思いがありました。
私も相撲は大好きでした。あの頃は。
学校から帰るなり、カバンをほったらかしにして、テレビに見入っていました。
私は雪国で育ったので、冬は早くから日がおち、寒く暗い。
滅入るあたりの景色とは裏腹に、テレビから流れてくる土俵の映像は明るく活気がみなぎっていました。
元気な掛け声に、行事のしきり。
場内の騒然としたざわめき。
その立ち会いまでの時間の長さが、ハラハラします。
顔やおなかをペッタンしながら、なんども塩をなめてのしきり。
そして、
「さぁ、時間いっぱい」というアナウンサーの声に場内が沸き立ちます。
見ている私も緊張は頂点に達します。
「のこった、のこった、、、、、」行事が声を出す。
マイクを握り締めて興奮するアナウンサーの声と共に、力士の気合いがこちらに伝わってきました。
贔屓の力士が勝っても負けても、清々しい熱気が一杯の場内を見ながら、
さらに更け行く冬の夜を過ごしたことを思い出しました。
貴ノ花時代の名場面が続々と流れてきます。
人間ニ子山親方が語られます。
力士誕生から、引退まで。
結婚から離婚まで。
親方になってから、次代に譲るまで。
と。
駆け抜けた人生。
享年55才。
あまりに若い。
あまりに早いその死を悼む多くの方の声を聞きながら、
あの時代を思い、私もひとり涙していました。
淋しい、、、
ひとつの時代を生き抜いた力士の物語は、
多くの方のそれぞれの物語と重なっていくものと思います。
ここに謹んで哀悼の意を表しながら、
またお礼をも込めて、、、
ニ子山親方。
やすらかにお眠りください。

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2005.05.29

白桃忌

今日は白桃忌。
与謝野晶子の命日です。
本当は、母性論争について詳しく書きたいのですが、今から出かけるので(帰ってきて、時間があったら、私自身の考えを書きたいと思っていますが、、、)。
そこで、今は蘊蓄溢れているサイトのご紹介をしておきます。
母性保護論争−晶子とらいてう

最後に、大好きな「君 死にたもうことなかれ」を載せておきます。
〜〜〜〜〜〜〜〜
ああおとうとよ 君を泣く
君死にたもうことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとおしえしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

堺(さかい)の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたもうことなかれ
旅順(りょじゅん)の城はほろぶとも
ほろびずとても 何事ぞ
君は知らじな あきびとの
家のおきてに無かりけり

君死にたもうことなかれ
すめらみことは 戦いに
おおみずからは出でまさね
かたみに人の血を流し
獣(けもの)の道に死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
大みこころの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されん

ああおとうとよ 戦いに
君死にたもうことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまえる母ぎみは
なげきの中に いたましく
わが子を召され 家を守(も)り
安しと聞ける大御代(おおみよ)も
母のしら髪(が)はまさりぬる

暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻(にいづま)を
君わするるや 思えるや
十月(とつき)も添(そ)わでわかれたる
少女(おとめ)ごころを思いみよ
この世ひとりの君ならで
ああまた誰をたのむべき
君死にたもうことなかれ

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2005.05.28

キリンカップ

日本、UAEに0−1で敗れる キリンカップ
残念というより ここにきて課題が急浮上したという感じですね。
実は、私は試合自体は見ていないのです。
と、いうか途中まで見ていたのですが、なんだか眠くなってきて、気がついたら負けていました(^^;
見ていない試合なので内容については、なんともいえませんが、家族の話やネットを見る限り、なかなか辛い試合だったようですね、、、
(実際、私もあのマッタリとした試合運びで、いつのまにか寝ていたから、、、)
選手の緊張感が伝わってこない、気迫に欠けた試合だったようですが、
原因はやはり選手の心理状態にあったのでしょうか?
「どうせ、海外組が来たらオレたちゃベンチ」
「もうライバルはいないから、このポジションはオレがいただきぃ」
とは思っていないでしょうが、やはり海外組とのバランスは難しいものがありそうですね、、、
ジーコさんの胸中いかばかり。
まぁ、ここへ来てバタバタしても仕方がないので、
とにかくジーコさんを信じて、選手を信じていくしかない。
バーレン戦まであとわずか。
気持ちを切り替えて本番に臨んでください。
応援しています。
にっぽん   チャチャチャ。

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2005.05.26

作られた美談

プロジェクトX 高校にNHKが謝罪 「番組自体は続ける」というニュースについて昨日(5/25日)、コーラスの仲間と話題にしていました。
と、いうのも問題の放送があった翌日(11日)仲間の一人が、この放送を見て感激したと私たちに話してくれたのです。
私たちのコーラスは、ストレス解消のために細々と練習しています。
今更コンクールに出るとか、そういうのでなく、楽しみながら健康のためというお気楽なコーラスです。
指導してくださる先生は今もオペラをなさっていて、私たちに「歌」よりヴォーイストレーニングやストレッチなどを教えてくださいます。
日常の延長に「舞台」があることを意識して日々研鑚している先生からは、歌以上のものを指導していただいて、とても有意義な一時を過ごします。
その折、出た話題が大阪府立淀川工業高校のコーラス部の話。
(私は見ていなかったのですが、見ていた方が詳しく説明して下さいました)
「すごいよね〜〜〜〜」
「歌ってやっぱり力があるね〜〜〜〜」
「先生の熱意って、伝わるね〜〜〜〜」
とかとか、お決まりの絶賛を述べて、その場は終わりました。
しかし、上述の放送番組の謝罪を知って、ちょっとがっかり。
美談は作られていたのか、、、、と。
確かに事の成り行きを見ると、大阪府立淀川工業高校に対して、失礼な表現があったようですね。
多分、感動を際立たせたかったのでしょうが、、、
今回、制作責任のNHKが謝罪したことで、傷ついた多くの関係者の名誉が回復。誇りと敬意を取り戻すことが出来たことは、本当に良かったと思います。
ところで、この問題は、ひとり大阪府立淀川工業高校だけの問題では無いと私は思うのです。感動の押しつけをはかり、安い涙を誘うとしたことには罪があるし、制作側の責任は問われるべきです。
ただ、「何を求めているか」という視聴者の心理に対して一石を投じたのでは?と私は思いました。

ひょっとしたら私たちは「時代の寵児」を求めているのかもしれません。
涙が出るくらい感動する実話を探しているのかもしれません。
閉塞していて、先が見えにくい今、
英雄やカリスマを待っているのかもしれない。
その思いが、「プロジェクトX」という番組にちょうど乗かかっていったのかもしれない、、、
と、思いました。
フィクションとノンフィクション。
バーチャルとリアル。
ネットと実生活。
そのG線上をあっちに行ったり、こっちに来たり。
力があるけれど曖昧なこの境界線を、確かに歩くためには、相当の知恵がいると改めて思います。
情報の氾濫に私たちは呑まれ、巻き込まれている。
また、その情報をリードしているのも私たちであるという現実。
厳粛に受け止めなければなりません。
しかし、
しかし、
なんの、なんの、「楽しむこと」が一番です。
情報の曖昧さを楽しみながら、自分を見失わない事こそが求められています。
それは、ひとえに「ド〜〜〜ンと受け止めて酸いも甘いも楽しむ」という懐の深さです。

私自身は、今回の問題は関係者の方々の名誉が回復されたことを前提にして考えると、
「この話はイイ話だった」と思っています。
作られた美談でも、「明日」への希望に繋がっているから、、、

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PK戦だけ見ました

古豪リバプール、21年ぶり優勝 欧州CLというニュースが今朝のラジオ各局のスポーツで放送していました。
私はPK戦だけ見ました。
会場中が熱気溢れる中、両チームの選手が緊張の面持ちでボールを蹴ります。
歓声、怒号、ブーイング、拍手、、、
逆巻く勢いの中で一心に集中。
蹴ったボールが放物線を描いて落下した先は天国か地獄か、、、
運命の無情さを感じるこのPK戦。
今朝も、夫から「PKになった、、、」とおこされて、やおらテレビの前に座りました。
PKといえば昨年のベッカムとか、あるいはサンフレッチェ広島ユースとか思いだします。
手に汗握り、双方の選手に感情移入してなかなか迫力あるのですが、今朝の試合は私自身はあまり緊張しませんでした。
リバプールGKデュデクの踊り(?)のようなポーズが面白かったからか?
あるいは、リバプールの圧倒的なサポーターに圧されたからか???
結果はリバプールがPK戦を制して優勝。
しかし、試合の経過を見ると、凄い内容ですね、、、これは見たかった、、、

日本代表もいよいよW杯のアジア最終試合が迫っています。
頑張ってください。
応援しています(^.^)
ニッポン、ちゃちゃちゃ

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2005.05.25

談合に消えた税金

橋梁工事受注、道路公団分も談合というニュースが浮上。
実に半世紀ちかくもこのような事が行われていたという証言(公正取引委員会の杉浦総一郎・第二特別審査長談)もありました。
そもそも談合とは何か?
その温床となる背景は何か?
今日は考えてみます。
談合は、入札前に受注予定企業を決めるだけでなく、その企業が予定価格ぎりぎりの高値(90%以上)で落札できるように入札参加企業が“協力”するシステム。これにより受注予定企業は、公正な競争入札がおこなわれたとき以上の不当利益を得ることができる仕組みです。
つまり、本当なら1万円で仕上げることが出来るものを、皆(よそ者はいれません)で口裏会せて10万円かかると決め、その差額を利益とする仕組みです。(それにしても、私の例って、ちゃっちぃねぇ、、、あんまり大きいお金見ないから(^^;)
そこで、
「フゥ〜〜〜ン、それだけ」と思ってはいけません。
このお金は私たちが払っている税金から出ているのです。
つまり払わなくてもいい差額分まで払っているのです。
それが、今回の一番の問題です。
では今までにどれくらいの損益を蒙ったか???
公取委の今までの告発対象をみると発注総額は約670億円。単純にその10%を損害額とすると67億円。
しかし、告発対象だけでなくすべての入札で談合がやられているとすれば、鋼鉄製橋梁の年間市場規模は03年度で3500億円ですから、その10%を損害額とすると年間350億円。それが数十年つづいていたのですから、橋梁談合事件による国民の損害は数千億円にのぼる計算になります。(^^;(^^;(^^;
みんな、税金です。
私たちの税金です。
では、なぜ日本を代表する企業が長年、談合に加わ続けた、続けることができた理由は?
ズバリ。
課徴金が少ないのです。
課徴金とは、談合が明らかになった場合、国に課徴金を納めさせる仕組みです。課徴金の額は、違反対象となった受注額のわずか6%。
同じようなケースで、EU(欧州連合)の制裁金は違反対象にとどまらず、会社の全体の売り上げを対象に10%を上限に算出。
アメリカでは違反対象の売り上げの15—80%の罰金がかかります。
実は、公取委も、現行の課徴金を引き上げる独禁法改正を準備してきました。
しかし、これに真っ向から反対したのが日本経団連。
そのため公取委は初めの12%を、10%の課徴金に抑えざるを得ませんでした。
 この10%の課徴金さえ経団連は抵抗。
(金持ちはケチです。)
同法改正案は昨年の通常国会に提出する予定でしたが、経団連の意向も受け自民党は法案提出の見送りを決定しました。
 この見送りを受け経団連は昨年九月、献金をする際の参考にする“通信簿”を発表した時、自民党にたいしてわざわざ「独占禁止法改正案(閣法)の通常国会提出を見送り…」
(第2次政策評価として検索して下さい。PDFで出てきます)
と特記したほどでした。
つまり、大手企業と政界と、官僚とのつながりというお決まりのコースが見えてくるわけです。

つい先日、消費税が10年後には19%になる、、、
国の財政が赤字、、、
という財政審のニュースを書いたばかりですが、、、
これじゃ、、、ちょっと俄に「はい、そうですか」とは言えません。
友人はゼネコンに勤めていて、公共企業の受注が減った、、、
ボーナスがもらえない、、、と嘆いていました。
たぶん、多くの中小のゼネコン関係の方はそうだと思うのです。
しかし、本当は大企業のゼネコンがちゃっかりと大もうけしていたのですねぇ〜〜〜
この国は、お金持ちは優遇され、そうでないものは支えるだけの役割しか担うことはできない国になっていくのでしょうか?????
格差は広がるばかり。
貧困指数も増えたとかいうニュースがつい先日出ていましたが、、、
小泉さん。
郵政もさることながら、税制も、もっとやさしい仕組みにして下さい。
とくに消費税は辛い。
すべからく国民から公平にとる消費税。
払うお金は同じでも、所得に対する率が違いすぎる、、、
このままでは、国民は体力が無くなるよぉおおおおお。
絶対、絶対、消費税率が上がることは反対です私。
その前にもっと国の出来ることはあるのではないでしょうか???
いずれにしろ税金の使い途、しっかり見ていく必要があります。

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2005.05.24

これは大変、モウ大変

BSE&食と感染症 つぶやきブログの管理人Marikoさんからトラックバック頂いたので早速訪問しました。
タイトルは「BSE審議の座長代理が辞意表明 食安委に疑問」。
Marikoさんはこの間の食品安全委員会の動きに大いに疑問を持っていらっしゃいます。
昨年8月頃より、プリオン専門調査会のBSEに関する傍聴を続けていると言う管理人さんだけあって、迫力と気迫に満ちています。
読んでいて、「これは大変」と思い自分のブログでも再び取り上げねばと思い、今書いています。
安全委員会、安全委員会というけれど、実はその背後にアメリカの圧力があることを私たちは知っている。
その権威の限界も知っていた。
しかし、それでも「安全」という名の下で、「科学」という名の下で「無理」を封じ込めてくれることを願っていました。
その委員会の権威が粉々に崩れ落ちていく様を、つい先頃(5月初め)の「全頭検査緩和」答申であまたの知ることになったのですが、、、
その中味を知るにつけ、「科学」への冒涜とさえ感じてしまいます。
(Marikoさんのブログに詳しく書いてあるので是非ご覧ください)
こんなうすっぺらなものは決して「科学」であってはいけない。
恥じ入る事のない「科学者」「識者」のテーブルの前に、
未検査の牛の肉を出されたら彼等はどんな反応をして口にするだろうか、、、
他人の胃袋を使って「安全宣言」なんてして欲しくありません。
すぐに結論が出ず、結果がでないことこそ丁寧に関わっていかなければ、、、と考えます。
畜産システム研究会が6月11日に「BSEと飼料問題」というシンポジウムを日本獣医大学で行うそうです。
興味のある方は是非行かれて下さい。
いずれにしても、この動き、しっかりと見ていきたいと思います。

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2005.05.23

こんな文が書きたい

こんな文が書きたい。
それは、
小股の切れ上がったようないい文。(おいおい、こんな表現あるのか?)
シャッキとして、切れ味よくて、筋が通っていて、思わずもう一回読んでみたくなるような文。
まぁ、いい文とまではいかなくても、
短くてパァ====ンとしていてズバッと本質を突いていて、
それでいて やさしい文に憧れています私。
(無い物ねだり、、、です)

いろんなブログを拝見していると、みなさんとても素敵な文を書かれているので、とても勉強になります。
行間からにじみ出てくる人柄を掬い取りながら、楽しませて頂いています。
一つの事柄に対しても全く違う表現、言葉が散らばっている文を拝見すると、うちふるえます。
うわっ〜〜〜〜素敵。
こんな表現いいなぁ〜〜〜貰おうっと。
とかとか。
とにかくブログを通して、いろんな文に接することができるのは、本当に楽しいと思っている昨今。
せめて、
せめて、
文(文だけは(^^;)は小股の切れ上がったものを書こう、、、
さてさて(^^;

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傭兵

傭兵といえば私が思出すのは栗本薫のグイン・サーガ「紅の傭兵、イシュトバーン」。
小説の中の遠い話のように思っていた その傭兵という職業が、つい10日くらい前は日本中の人々の耳目をさらっていました。
そう、斎藤昭彦さんという民間警備会社に勤めていらっしゃる方が、イラクの武装勢力に拘束されたというニュースです。
斎藤さんの無事を祈りつつ、固唾をのんで事の成り行きを見守っていたのですが、その後今日に至まで音沙汰がありません。
日本に届くニュースは、かなり深刻な現地の実際ばかり。ますます泥沼化しているのでしょうか?
心配です。
どうか、斎藤さん。無事でいらっしゃいますように、、、
また、いまだ平安が訪れぬイラクの方々のことも気にかかります。

さて、それにしても私たちはその背景は見逃してはいけません。
数多くの傭兵という名の民間警備員の方達が今、イラクで活動しているということは何を示しているのか???
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
国際ジャーナリストの田中宇氏は
「今回は、米軍の兵力が4割も足りないことが、傭兵が入っている要因。危険地帯が多く、警備が必要なためだ。戦争の外注化は、もとは軍備など軍産複合事業を指したが、今回は統治に失敗した結果。イラク戦争が生んだ新しい形態ではないか」と指摘する。
(上述イラク情勢より抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

小説グイン・サーガなら豹頭王グインが解決してくれるのだろうが、
現実は、豹頭王ならぬライオン(?)総理はどのように、イラク問題を解決してくれるのか???
イラク派遣部隊 第1陣が帰国というニュースが先日ながれました。
自衛隊のみなさん。お疲れさまでした。
なお、現地に残っていられる隊員の方も無事、帰国なさることを祈っています。
さらに、今後このような海外派遣に遭遇することのないような国際社会を築くために小泉さん、ご奮闘なさることを希望します。

それにしても、とても気になるその後の斎藤さんの安否。
ひたすらご無事を祈るばかりです。

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医療費と消費税

年齢を重ねる毎に増えてくるのが皺と医療費(^^;
このところ、医者ばかり行っています。
腱鞘炎で整形を皮切りに、歯医者、眼科と耳鼻咽喉科(花粉症)、、、
うわっ〜〜〜
このまま続けば、医療費はどこまで嵩むのか???
と、いうわけでネットでいろいろ検索していたら、こんなページを見つけました。
消費税が福祉に使われているか、どうか?
はたまた医療費はどうか???
京都・宇治徳洲会病院総長 増田道彦さんがインタビューに答えています。
〜〜〜〜〜〜〜〜
 ‐‐医療機関における消費税の実態についてお聞かせください。
 患者さんの医療費は非課税とされています。ですが医療機関が薬やレントゲンを仕入れるときには5%の消費税を払っています。医療機関が仕入れのために払う消費税は、収入である医療費の約2%相当です。
 国は「医療費は非課税だから診療報酬に消費税を乗せている」という説明で、医療費の1・53%が消費税分として内税みたいに、診療報酬に上乗せされているとされています。
 ですから約2%から1・53%を差し引いた約0・47%が損税なんです。いま公的病院は赤字が多く、民間病院で黒字が出ていても1%というレベル。消費税の負担は大きいんですよ。これが10%になったら大打撃です。
 医療にかかる消費税をゼロ税率にし医療費を1・53%下げれば、約30兆円の国民医療費のうち、4590億円が下がります。すると窓口での支払いが減り保険財政も助かる。医療機関の損税もなくなります。
(「消費税で福祉、医療の改善ない」
京都・宇治徳洲会病院総長 増田道彦さんにインタビューの記事より抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

うわっっーーーーー
そうか、私たちの払っている医療費の中には、消費税も入っていたのか、、、
なんだか改めて消費税の凄さに感じ入ります(^^;
そして病院経営も大変だと思いました。
新しい病院がやたら検査やらクスリを出す「からくり」って以前から言われていましたが、
病院も病院の事情があるのですね、、、
そしてもっと打撃的な事実は、政府の消費税率を更に上げようとしている動き。
10年後消費税率19%、財政審が試算
アタマがクラクラ(>_<)してきました。
10年後、この国に生き残っている人たちはどんな人種なのだ〜〜〜〜〜
こんな記事を読んだ私は今度はめまい科を受診しなければならなくなりそうです(^^;

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2005.05.20

神様に祈る 

先日からの腱鞘炎。
ご心配のコメントやメールを頂き有り難うございました。
整形外科で薬をもらい、リハビリ体操を教えてもらい、ボチボチとやっています。
お蔭さまで、すこし快くなりました。
これからもマイペースでゆっくりと書き綴ろうと思いますので、よろしくお願いいたします。

さて、今朝、夫からサンフレッチェ広島のオフィシャルマガジン「SIGMA CLUB」の6月号の記事、
駒野友一物語「神様に祈る」を読むように、、、と言われました。
そこで、素直な(?)私は早速、本棚から取り出して読み始めました。
そこには、駒野友一選手の、怪我病気、そして復帰の物語が綴られていました。
2003年の前十字靭帯損傷を皮切りに、突然のエコノミー症候群。
そして、懸命のリハビリ。
復帰。
アテネオリンピックでの鎖骨骨折に加え、原因不明の視野狭窄。
次から次へと襲ってくる障害。不幸。
落ち込みながら、ひたすら挫折感に覆われながら、
それでも這い上がってくる彼の後ろには、最愛の人があり、
彼の前には、ウエミを初めとして、先輩たちの復活物語がありました。
にっちもさっちも行かなくなった時、ついに彼は彼女とある決意をする。
それは神様に祈るため、神社に行くことであった。
その御利益か、、、
はたまた、神は自ら助けるものを助ける、、、か。
彼は復帰。以前以上に大きく逞しくピッチに戻ってきました。
これからも、あるであろう困難。
しかし、彼は人生の同伴者である奥様とともに乗り越えるだろうと結んで、巻頭特集は終わりました。

「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」の時も。あるいは「壊れた脳、生存する知」の時も。
また、F1レーサーのナンニーニの復活の時も。
この手の「復活もの」を読むと力が出ます。
感動します。
ともすれば、落ち込みがちな私。すぐに悲観的になる私。
「あこが痛い。ここが痛い。」と騒いでいて家族中が「デフォルト」と思って聞き流す私の病気好き。
ちょっと痛いとすぐにネットで検索。
「腱鞘炎、、、、、、、、」上から下まで腱鞘炎。
「蕁麻疹、、、、、、、、、、、、、」何日も履歴は蕁麻疹(^^;
とかとか(^^;(^^;(^^;
その度に夫が「いい本があるよ」と提案してくれ、手渡してくれます。
それは「凄まじくも生き抜く人々の有り様」を描いた上述の本です。
が、
が、
今回の駒野選手の克服日記は、今までのそれとは違った感動を得ることが出来ました。
それは、身近な人だからです。
その存在を見、声を聞くことの出来る人だからです。
ひろさちやさんは、「人生、悪路だから楽しい」と言いますが、本当にそうです。
そもそも順風満帆な人っていません。
それぞれが、それぞれの十字架を背負いながら生きている。
ならば、やはりその十字架を磨きながら、楽しく背負った方が
絶対、
絶対、
得です。

私もいっぱい持病を持っているのですが、(家族は自分で病気を作っている、、、と言う)
この病気とゆっくりとつき合っていきたいと、改めて思いました。
力と勇気を贈ってくれた駒野選手。
どうもありがとう。
そして、これからも頑張ってくださいね。
あなたには神様(かみさま=奥さんも)ついている。

それから、ブログで知り合うことができた皆さん。
これからもよろしくお願いいたします(^.^)

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2005.05.12

腱鞘炎

このところ腱鞘炎で肩から腕がピリピリ(^^;
そんなわけで、しばらくブログは更新できません。

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2005.05.11

生命の耐えられない軽さ

このところの国内外のニュースを見て心を痛めています。
いつもお世話になっている読売新聞の社説について書かれている kouheiさんの記事。
ブログ仲間の愛のまぜご飯
のheteheete さんの記事を読んでふと思った言葉がこれ。
「生命の耐えられない軽さ」

生命の神秘にはいつも驚かされ、その健気さには涙がでます。
数え切れない精子と一個の卵との出会い。
その偶然と必然の延長に私たちの、全ての動物の生命は在る。
その重さ。
その豊かな生命力と、神秘とも言える有り様に私たちはどこまで感謝すれればいいのか?
どこまでが人が許される境界か?
今、私たちの足元に横たわっていた自然の摂理の重さが、その存在の耐えがたい軽さに崩れようとしているのでしょうか???
地獄の門のまえで腕を組み考える人のように、たたずんで思案してしまう、、、
〜〜〜〜〜〜〜
永劫回帰の世界では、われわれの一つ一つの動きに耐えがたい責任の重さがある。もし永劫回帰が最大の重荷であるとすれば、われわれの人生というものはその状況の下では素晴らしい軽さとしてあらわれうるのである

ミラン・クンデラ
『存在の耐えられない軽さ』より、、、ニーチェの言葉
〜〜〜〜〜〜〜〜
そして、選択できない二者択一、
そして、アンビバレントな思いを背負いながら生きていく人間。
その犯す過ちを見極めることができない。
結果しか見ることが出来ないのか?
神は我々人間に予見する能力を授けはしなかったのか???
その生命のなんと軽いことよ、、、

いやいや。
違う。
人はその存在の重さと生命の重さを知っている。
と、再び思う私でした。

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2005.05.10

一人称へ

与謝野晶子の命日、白桃忌(5月29日)も近づいたので、与謝野vs平塚「母性保護論争」について書きたいと思っていた矢先、一人暮らし日記のrinnkenさんより主婦論争というタイトルでトラックバックをいただきました。
早速、訪問。
記事を読ませていただいて共感。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
主婦論争っていうのは、「主婦の存在は有用であるか/無用であるか(第1次)」・「家事は経済的活動か?(第2次)」についての論争のことです。
あなたはこの論争について、どちらの考えを支持しますか?主婦の存在は有用なのか、それとも無用なのか?また家事とは経済的活動(つまり労働)なのか、それともそうではないのか?

(主婦論争より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そうなんですよね。個人の問題としてはみんな,
主婦労働は認めもしてくれるし、わかってくれるのです。
が、これがいざ社会的な立場や問題として考えていくとき、二重、三重に重なる厚い壁を感じます。
女性の社会進出が大きくなった現在、
働き、かつ主婦である女性からも、独身のバリバリ、キャリアウーマンからも冷遇されている専業主婦の声無き声が聞こえてきます。
ついせんだって配偶者(専業主婦)控除が廃止されたときも、女性の間で認識の一致とはなりえませんでした。
出産、育児を含む家事労働はいまだ私的な分野として片付けられているのでしょうか?
思い出すのはアグネス論争です。
子どもを職場につれて行ったアグネス・チャンと林真理子さんの論争。
これを機に働く女性の職場に風穴が開いたとも言われていますが、
だがしかし、主婦である女たちの立場への代弁者ではありません。
この問題、多かれ少なかれ自分の問題です。
男性、女性を問わず。
もっと、もっと考えていかなければ、、、
これからも折に触れ、書いていきます。

最後に与謝野晶子のほとばしるような瑞々しさとエネルギー溢れる詩を載せます。

そぞろごと
山の動く日来(きた)る。
かく云えども人われを信ぜじ。
山は姑(しばら)く眠りしのみ。
その昔に於て
山は皆火に燃えて動きしものを。
されど、そは信ぜずともよし。
人よ、ああ、唯これを信ぜよ。
すべて眠りし女(おなご)今ぞ目覚めて動くなる。
一人称(いちにんしょう)にてのみ物書かばや。
われは女(おなご)ぞ。
一人称にてのみ物書かばや。
われは、われは。
額(ひたい)にも肩にも
わが髪ぞほつるる
しおたれて湯瀧(ゆだき)に打たるるこころもち、
ほとつくため息は火の如く且つ狂おし。
かかること知らぬ男。
われを褒め、やがてまた譏(そし)るらん。

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原点

対独戦勝60年の記事に関して社説は語るの ko-bar-berさんからトラックバックを頂き、早速訪問。
ko-bar-berさんのご意見、またその記事にトラックバックなさっている方の記事も拝見させて頂きました。
みなさんの書かれてる内容はとてもわかるのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
どこの国も、自己の非を認めることを渋るようだ。
 戦勝国の指導者たちは、国際法廷で「戦争犯罪人」として裁かれることはなかった。 戦勝国が残した傷跡は、今も残されている。(社説は語るより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そうだな、、、と思いました。
私は、アメリカでの経験を思い出しました。
テネシーにある小さな博物館。
その町は世界大戦中は、地図に載っていなかった町です。
その町の博物館の一部屋に大戦当時とその後の歴史が書いてありました。
「日本に原爆を落としたことが終戦を早くした」と。
また、私たちはワシントンにあるスミソニアン博物館に行った時もリトルボーイの前で説明をしている職員から同じことを聞かされました。
「何処から来たの?」
「広島」
「おおお、、、ヒロシマ。」
そして彼はリトルボーイの精度について、ひとしきり説明をした後で、
「これが、戦争の終結を早めた」
と、胸を張りました。
私は、
「ノーノー。今でも多くの人は後遺症で苦しんでいる。」
と、言ったのですが彼には分かってもらえませんでした。
尤も普通一般のアメリカ人は、そのような反応はしませんでした。
アパートのプールで知り合った人たちは、みんなヒロシマの話を聞いてくれて、
できれば原爆の日にはヒロシマへ行きたいと言うおばぁさんもいました。
ヒロシマは時と共に風化し、いまや歴史の証人たちも数少なくなりました。
しかし、広島のあらゆる所に、被爆の、被爆なさった方々の思いや叫びが残っています。
私が平和を望むその原点はヒロシマにあります。
広島に初めて引っ越したとき、ビックリしたのはやはり生々しい被爆体験を聞いたからです。
すぐ隣に住んでいるおじさん、
子どもをつれて遊びに行った公園で知り合ったおばぁちゃん。
そして、私自身の書くことへの原動力になっている作家のSさん。
胎内被爆で今や体中がボロボロ。長い療養所暮らしでままならぬ手を使いながらも戦争告発の小説を書き続けています。
そのSさんが私にとっては原点であるような気がします。
実は、この文、左手でポロンポロンとタイプしています。
仕事柄、電話相談やらパソコンで腱鞘炎なのです。
だから、「もうブログを書くことやめよう、、、」と何度も思います。
しかし、そのたびに思い出すのがSさんの壮絶な生への執着と、平和への血の滲むような思いが頭をよぎるのです。
そうだ、、、
やっぱり、少しでも書いていこうと。
Sさんには遠く及ばなくても、書いていこうと。
藤原帰一さんの本ではありませんが「正しい戦争はない」と、私は今でも思っています。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 歴史は、時代の権力者によって都合よく用いられる。
 勝てば官軍、負ければ賊軍。戦勝国の論理で、戦後60年が進行してきた。戦勝国クラブとなっている国連を見ても分かる。戦勝国の戦後処理が適切に行われない限り、本当の意味での戦後は終わらない。
(社説は語るより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
本当にそうだと思います。
そして、終わらない戦争のただ中にいる私たちは、
どのように考え、学か?
未来に何を残し、なにを伝えるか?
今を生きる私たちの試されているときでもあると強く思います。

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2005.05.09

全頭検査 国と都道府県

BSEの全頭検査、全都道府県が自主継続の意向というニュースを発見。
私はこのブログでつい先日これに関して書いたばかりです。
ニュース記事によれば、国が「全頭検査緩和」を打ち出すも、都道府県は独自に今まで通りの検査を実施していくとの事。
今後、どのような動きになるかは注目ですが、この判断が内閣府食品安全委員会への再考を促すものになることを願ってやみません。
何回も何回もしつこく書くようですが、
食の安全は、すぐに結果が出ません。
何年も、何十年もたって、出てくるもの、あるいは子孫に遺伝する可能性だってあるかもしれません。
リスクがあるかもしれない、、、
しかも日本人は遺伝学的に発症しやすい部位を持っていることは周知です。
ならば、やはり安全には安全を期すべきだと思います。
そして、この動きを推進する力は、私たち消費者の安全に対する認識だと思います。
今、いちどリスクコミュニケーションが本来の意味での会議に立ち戻ることを願っています。

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記憶と和解の日

小泉首相 対独戦勝記念式典に出席で8日訪露 という事でモスクワ入りした小泉さんをはじめとして今日9日に行われる式典には、ブッシュ米大統領、中国の胡錦濤国家主席、韓国の盧武鉉(ノムヒョン)大統領ら、53カ国と3国際機関から首脳級や代表が出席。
これに先立ちドイツのシュレーダ首相はロシアの新聞コムソモーリスカヤ・プラウダ に寄稿したそうです。
「ドイツ人の名において、ロシアその他の民族が受けた苦難への許しを請いたい」
また、今後EUとロシアが国際協力を強めることも希望、宣言しました。
シュレーダ首相は昨年2004年の8月1日、ポーランド、ワルシャワでもナチスの犯罪に対して謝罪したことは記憶にまだ新しいところです。
さて、国連は昨年11月に、5月8日と9日を「記憶と和解の日」にしようと提案。
ベルリンが陥落してナチス・ドイツが崩壊。
(ドイツでは各地で記念行事が行われています)
欧州では、第二次大戦が事実上の終結を迎えたからです。
「二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救」(国連憲章前文)うため、1945年6月26日に創設された国際連合は、今も戦争を許さず、あらゆる紛争を平和的な手段で解決することを原則にして活動をしています。
その国連が提唱する「記憶と和解」とは、何か?
「記憶」とは、二つの世界大戦の悲惨さに目を向け、人間の尊厳を失わせる戦争というそのものを忘れないことを言います
「和解」とは国、民族の立場による分断や対立、矛盾があっても克服し、未来に向けた協力を進めることへの願いを込めています。
人は過ちを犯すものです。
そして、何度となく同じ過ちを犯すものです。
だからこそ、そうであるからこそ、いつもいつも謙虚に生きていかなければと思う私です。
失敗は忘れないが、そこからまた学び、立ち上がるのも人間であることを知っているから、、、

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2005.05.08

いやぁ〜中澤さんにやられました

サッカーJリーグ第11節。
今日はサンフレッチェ広島はビッグアーチで横浜マリノスを迎えての対戦。
我が家は、午前中に用事を済ませて、急いで家に帰りバタバタ。
あっちへ行き、こっちに走りとしているうちにキックオフの3時。
マリノスはアジアカップとの関係もあり、若手を大幅に起用。
スタメン発表ではじめて知る名前の選手たち。
久しぶりにクボッチがベンチ入り。
懐かしい久保の顔を見ながら、なんだかホノボノ。
やっぱり久保っていいなぁ〜〜〜
早く体調治して代表復帰して下さい。
さていよいよ試合開始。
前半は広島ペースでなかなか あでやかなプレーを見せてくれます。
横浜はガチガチに守ってきます。
そして、いるんですよね。あの人が。
そう、中澤選手。
ことごとく、ことごとく、ことごとくジャマをする。
おい、そこまでやるなぁ、、、邪魔するな。中澤、、、
いるんですよ、ボールの所に必ず。ニクタラシイィイイイ。
ガウボンのすごい惜しいシュートやら、いっぱいあるんですが、、、ねぇ。
そのうち、だんだん広島の疲れが見えてくる。
走らない。パスが通らない。
そうこうしているうちに、前半終了。
疲れが残ったまま後半開始。
サイドが変わり、広島はやはりボールを圧倒的に支配するも、決定的なシュートを放てない。
いるんですよ。あの人が。
そう、中澤選手が。
お〜〜〜〜い。なんでもう一回休んでいなかったんだぁああああ中澤君(^^;
そして、そして悪夢のような一瞬。
一瞬にして横浜の塩川選手にヘディングシュート。
ゴ〜〜〜〜ル。
ガック。ガック。ガックリ。
その後、広島は攻めまくり、横浜はガチガチに守るのですが、、、
この頃から広島はやっとこ、やっとこ走っている。
連戦の疲れが、もう体中を覆っている感じ。
ボールを追っているその姿を見ていると、なんだか涙が出てくる。
辛い。
振り絞っている気力は感じられるのですが、やはり錘のようにへばりついている疲労が、体を重くしている。
交代でマエシュンや浩司やモギッチも出たのですが、チーム全体の重さを拭うには至らない。
そして、時間切れで、結局負け。
あああ↓↓↓
残念でした。↓↓↓
広島って全国放送には弱いなぁ、、、なんて家族で話していたのですが、
広島の選手はシャイだから、緊張するのか???
なぁ〜〜んて言いながら自分の気持ちの整理。
しっかし、中澤選手は素晴らしいかった。(個人的には好きですが、広島ファンとしたら、サロンパスいっぱいつけて今日出てくるなよ〜〜〜と思うのであった)
また、横浜の選手は、若手も動きが早くヨセが早い。
アッという間にボールに群がってくるのはさすが。
岡田監督のチーム作りの底の広さ、深さを思いました。
ただ、広島は今日は途中交代の浩司君がカンを取り戻したような動きを見せてくれたりしたので、次に繋がりそうです。
次節は大宮。
また強豪です。気を抜かず頑張ってくださいね。応援しています。
横浜のみなさん。
アジアカップ、頑張ってください。
中澤さん。代表でもその凄さ遺憾なく発揮されますように、、、

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2005.05.07

与謝蕪村

蕪村の未知の句を発見 「春雨や女郎花なンど芽に出る」というニュースを見つけました。
芭蕉と並んで江戸時代の俳人、蕪村
芭蕉に比べて地味な存在です。
私も蕪村と言われてすぐに思いつく俳句は何か?とちょっと考えました。
〜〜春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな〜〜
〜〜菜の花や月は東に日は西に〜〜
〜〜五月雨や大河を前に家二軒〜〜
ううう〜〜〜〜んんん。
あとはあまり出てこない。
と、言うわけでこれは良い機会とばかりに「与謝蕪村」を検索。
松岡正剛さんの蕪村論を読んで納得。感銘。
そうか、蕪村とはその様な人であったのかと、遠い昔の彼の人に思いを寄せました。
「菜の花や、、、」の俳句は以前、天動説、地動説のことを記事にしたときのタイトルにしたのですが、あの時は何も考えずに、ちょうどピッタシの俳句くらいにしか思わなかったのです。
しかし、今こうして松岡さんの蕪村論を読んで、時間と空閑を超えるその壮大さにため息をついています。
なるほど、
菜の花や、月は東に日は西に。
自然が織り成すパノラマの中に小さな人間の存在が音もなく流れてきます。
厳然と横たわる大自然の前になんとちっぽけなことか。
そしてなんと愛しいことか、、、

いままで気にもしなかったその俳句の味わいを噛みしめながら、
自分の未だ知らないことの多さにうち震え、そして一つひとつをゆっくり丁寧に温めていきたいと、そんなことを思いました。
知られていなかった蕪村の一句。
「春雨や女郎花なンど芽に出る」
あたたかな春の雨が黄色の女郎花の成長のためにやさしく降り注いでいるのでしょうか?

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リスクコミュニケーション

BSE対策 全頭検査緩和を答申というニュースが昨晩の報道番組で流れました。
うわっ〜〜〜大丈夫だろうか?
正直、私は不安です。
では何故不安か?
それは、「安全」に関しての認識の違いを感じたからです。
第1回リスクコミュニケーション専門調査会が内閣府食品調査会主導の下、開催されたのはH15年9月。
それから先月まで14回の会議が行われました。
BSE問題における全頭検査については、多くの消費者、国民の声は、今までの成果に賛意を示し、今後も引き続き行われることを希望しているものです。
食品委員会も「若い牛から感染源を発見することができたのは全頭検査のおかげである」と評価していました。ところが、ここへ来て急に答申が変わりました。
「リスク評価は多数決で決めるものではない。あくまで科学的知見に基づくことが原則である」と回答。
そうです、そうです。そのとおり。
多数決で決めることではありません。
科学的知見で決めることです。仰るとおり。
しかし、この科学的知見が委員会の出してきたものは、実に曖昧なのです。
月別判別法、危険な部位の完全除去、飼料の管理、、、、
これらに関しては「極めて感染のリスクが低い」というのが委員会の今回の科学的知見なのでしょうか?
これは困った。
極めて感染のリスクが低い、、、かぁ。
まぁ、感染するかしないかは「運」にまかせましょ。と、言うことか。
確かにそうなんです。
感染するかもしれないし、しないかもしれない。
また発症するかもしれないし、そうでないかもしれない。
だから、「全頭検査」はしない、という選択を選ぶことと、
だから「全頭検査」をもっと徹底しなければならないという道を選ぶことは、
科学という立場から見たとき、どちらがより「科学的」なのだろうか???
いずれにしても、消費者である私たちは店頭に並ぶ肉を見ながら選択をしていかなければなりません。
今までは、グラムあたりのお金で選んでいた私ですが、これからはもう一つ選ぶ基準が増えてきそうです。
消費者と行政と研究者とが情報を開示して「より安全な食」を目指そうと立ち上げたリスクコミュニケーション。
つい先日の電車事故から何を人は学ぶか?
それは、「安全は一番簡単なことを大切にすること」ではなかったのだろうか?
これくらいなら大丈夫。
もうちょとでも危険の確率は低い。
そうした積み重ねの上に、あの事故は起きたことを、見たばかりです。
これは何も電車だけのことではありません。
食べ物だってそうです。
これくらいなら、大丈夫。
その油断が、いつか大きな災いを招くかもしれない。
何よりも、そうした体質が、災いを招く。
と、私は思います。
今後はどんな話題が俎上に上るのだろうか?
まだまだ目が離せません。

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2005.05.06

みずがめ座η流星群

いつも天体のことで伺っているテルテルさんのブログにソンブレロ星雲が紹介してあります。
読んでいるうちに、自分自身が遠く宇宙の彼方に飛んでいくような錯覚を覚えました。
ロマンがあって、はてなく興味をそそる宇宙。
まだまだ好奇心はつきません。
今日は夜空にはどんな星達が瞬くのだろうか、、、
今日、5月6日は、みずがめ座η流星群が極大になります。
みずがめ座は、めだたない星です。
ギリシャ神話では、トロイの国にガニメテという羊飼いの美少年に、天上から見ていた大神ゼウスは一目で恋をします。そしてゼウスはワシに姿を変えてガニメテをさらってしまいました。みずがめ座は、この美少年ガニメテを表しています。大神ゼウスのネクタル(美酒)のお酌をした美少年ガニメデスがみずがめを持つ姿だと伝えられています。
この流星群はハレー彗星に関連するものともいわれています。
10月21日ごろピークになるオリオン座流星群と同じハレー彗星を母天体としています。
今日はあいにくの天気で、天文ファンはがっかりしたのではないでしょうか、、、
この流星群は5月10日頃まで観測できます。

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最後の花粉からの反撃?

5月4日、連休の真ん中。
五月晴れとはこんな日のことを言うのか、、、
青く抜けどこまでも見渡せる空を見上げながら、私にはもう一つ空しか見上げられない事態が発生。
そう、花粉症なのだぁああああ。
油断したな〜〜〜〜
もう、花粉は落ちついたと思って、一週間くらい前から薬は飲んでいませんでした。
マスクや帽子という花粉グッズも部屋の片隅に追いやられ、すっかり忘れていた花粉。
その花粉たちの逆襲が始まったのです。
朝、起きると鼻がグズグズ。クシャン。グズグズ。
うわっ〜〜〜もしや花粉症?
それとも今、流行っている風邪???
とか思いながら体温計を出して検温。
熱はない。
やっぱり花粉症?
なぁんて思いながら鼻をグスングスン。
時間を追う毎にひどくなる。
今や、鼻は痛くてかめない(^^;
ダンダン頭が痛くなる。
家族はてんでに難しいことを言ってくる。
「かあさん○○どこ?」
「おーーーーい、まだ□□はしてないぞぉ」
「かあさん。はやく△△作って〜〜〜〜」
エ〜〜〜〜〜イ。うるさい。
こっちは頭が痛いんじゃ。
鼻がズルズルなんだ〜〜〜〜
痛い頭のこめかみを さらにピクピクさせながら家族との対話。
ますますひどくなる。
夫は薬を飲まなかった私の不明をなじる。
わかってるよ。わかってるんだよね、、、
なんとかしてくれ〜〜〜〜〜
ついに関連痛で歯まで痛くなった。
最悪。
最低。
ひたすら、ひたすら花粉様が通りすぎることをジッとガマン。
いつまで続く、この辛さ。
幸いに花粉様は、一日で通りすぎて、翌日は元に戻りました。ホッ。
しっかし辛かった。
本当にひどかった。
かえすがえすも油断大敵。
これが、今年最後の花粉の襲撃と思いたい、、、
まだまだ外へ出ることが怖い私です。
はやく来い、こい。花粉の飛ばない季節。

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2005.05.05

引き分け

昨日5月4日、市原臨海でJリーグ第10節、サンフレッチェ広島は、ジェフ千葉を相手に1−1の引き分けで、勝ち点1を加え、総合3位のまま次節横浜戦を迎えます。
私は家族とともにテレビのまえで観戦。
前節、スーパーなゴールを決めた佐藤選手は古巣、さらに双子のお兄ちゃんがいる千葉とあって、燃えているだろうな、、、とか、ベンちゃんは疲れていないか?浩司クンはどうだろう???とかとかお決まりのサッカー談義をしながらキックオフまで待ちます。
連休の真ん中とあってスタジアムは多くのサポーターが来ていて、内心は「千葉」をお友達と思っている私にとっては嬉しい限でした。
千葉って、あの健気さがいいなぁ、、、
私たちも以前は松戸に住んでいたので、柏や市原は馴染みがあります。
市原の黄色は菜の花の色とか。
今頃は房総半島は菜の花で包まれているのだろうか?
さて、いよいよ4時。
キックオフ。立ち上がりは両チームともボールは落ち着かないのと、かなり風が強いので、なかなか収まりません。そんな中、18分駒野のFK→茂原が拾ってCK。そしてそのボールは相手がクリア→右サイドの深い位置で駒野がボールを拾う→鋭いクロス。→ファーでDFと競り合いながら飛んだ佐藤寿が押し込みゴーーーール。
自分もゴールに吸い込まれていくような迫力のある佐藤君のゴールでした。
2試合連続ゴーーール。
やったね(^.^)佐藤君。
多分、ご家族もいらしてだろうから。
その後、一進一退。
風がかなり強いので、ボールが押し返されます。
なんとか前半にもう一点欲しいところ。
しかし、時間は流れ前半終了。
ハーフタイムに千葉のオシム監督は、かなり選手に檄を飛ばしたらしく、
後半は千葉は見違えるように切れてきました。
走りがはやい。
パスが正確。
果敢に攻めてくる千葉のプレーを見ながら「うまいな〜〜〜」と感嘆。
オシム監督は、ベンチでうわっっーーーーと指示を出している姿が何度となくテレビに映し出されていましたが、迫力、ありますね。さすが名監督といわれるだけあります。
そうこうしているうちに、千葉は阿部選手が一点を入れて同点。
ああああ、、、、、
しかし、しかし、まだ時間はある。
落ち着いて、落ち着いて、、、と自分に言い聞かせながらも、あのセレッソやグランパスを思い出す。
頑張れ!!!!テレビに向かって大声をあげるも何故か千葉の方が攻めているんだよね。
広島はひたすら守っている。
うううう〜〜〜〜〜〜んんんドッコイショ。って感じ。
ハードスケジュールだから辛いんだろうな、、、と思いつつもテレビに向かって「走れ、、、こら。」
「なにをしてるんじゃ、、、、、」とかとか大声で叫んでいる私(^^;
結局攻められ、攻められ、ひたすら守っているうちに試合は終わりました。
感想。
千葉は強かった。
寿人君、しっかり足を治して、次も頑張ってください。
高柳君。昨日はヨカッタ。この試合で自信を持って下さいね。
あと、選手のみなさん。お疲れさまでした。
今度も頑張ってくださいね。
千葉のみなさん。
気合いの入ったプレー、有り難うございました。

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2005.05.03

国家と憲法

国家とは何か、そこにある憲法とは何かについて考えていきます。

今日は58回目の憲法記念日
さわやかな五月晴れのもと、私たちの先輩たちも、誇りと夢と希望に胸膨らませ、58年前のこの日を迎えたのでしょうか
少なくともそうであった証の一人を私は知っています。
シロタ・ベアテ・ゴードンさんです。
彼女の尽力「男女平等」の精神が憲法に活かされ、今に続いています。
〜〜〜〜〜〜〜〜
第二十四条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】
1 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない。
〜〜〜〜〜〜〜
さて、この問題は次に譲るとして、今日は今、盛んに論議、討論されている憲法改正問題について考えていきたいと思います。
次の項目について考えていく事で論理を構築していきたいと思います。少々長いのですが、私たちをとりまく問題の多様性を考えるにあたり大切なことなので、どうぞお付き合いください、お願いいたします。
1、近代国家とは何か?(民主主義とは何か?)
2、憲法とは何か?
3、私たちが目指すものは何か?

1、近代国家とは何か?
近代国家については、
近代民主主義の歩みと共にその概念が発達してきたことは異論の無いところです。
一人、ひとりがバラバラで個人で生活するよりも、集団として生活する方が「得」である。ということがそもそもの国家の始まりでした。
例えば災害に対してや、教育やもろもろのサービスを「国」が国民に提供する方がより豊かで安全なものを提供できるという考え方。
さらに一人よりは二人、二人よりは三人、さらに大きい母集団になる方が「選択」に間違いを犯す確立が低いという統計的な考え方からも、「近代国家」はその存在を承認されて来ました。ただ、ここで忘れてはならないのは、「国家」は意思を持たないものであるということです。国民の総意の下に、国民の利益を還元する為のものです。
国家がある意思を持っていると言う考え方は近代国家にはなじみません。いまだ国体という言葉で代表される国家は、歴史を逆行するものであるということでしょうか?
例えば、日本。
私はこの国が好きです。
匂うように花が咲き、万葉のその昔から、歌に継がれ、またその以前から神々が宿ったその日本は好きです。
しかし、この風土が意思を持ち、さらにその意思が国民を縛っていくとしたらやはりなじめないものを感じます。
さて、次に国民とは何かについてもその概念の二義性がはっきりしないまま理論が組み立てられている事を樋口陽一先生は指摘しています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「イメージとして心に描かれた想像の政治的共同体」(B・アンダーソン『幻想の共同体』)という前提では、ネーションが、しばしば作られた神話でありながら「自然の所与として」提示される「『民族』=エトノスethnosを指すのか、それとも、社会契約という擬制によって説明されるような、構成されたものとしての『国民』=デモスdemosを指すのか」(樋口陽一『憲法 近代知の復権へ』)という根本的区別が曖昧にされたまま理論が組み立てられてしまう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
なお、これに関しては、私の別の記事も参考にしてください。

日本国憲法

標榜するもの

さらに、民主主義との関係で述べるならば(これに関しては、また別に詳しく書きたいと思います)、民主主義を支えている考え方の基本は「多数決」と「人権」です。
多数決に関しては
多数決と民主主義
に多数決とは何か?、そのパラドックスについて書いてありますので是非ご覧ください。
次に人権。
これは難しい。
樋口陽一先生は『近代知の復権』 で以下のように述べています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
伝統からも身分制秩序の網の目からも解放された個人が自分のことを自分で決める、その自己決定権は人権の一部だが、自己決定権の名において「何でもできる、ということになると、それは、人権のもうひとつの核心、人間の意思で手を触れてはいけない価値がある、という要請を否定することに」なる。人権を尊重するなら、この「背反的な二つの要素のあいだでの『知』の賢慮を、試行錯誤を含めながらくり返していく以外にない」(樋口陽一『近代知の復権』 東京大学出版会、2002年)
〜〜〜〜〜〜〜〜
遂行的矛盾=ある言明の意味内容と、その言明が実際におこなわれるときの条件の間の矛盾。ある決定の意味的内容と、その決定が実際に下されるときの条件の間の矛盾。
人が集まれば、その数だけ人権があるのです。
そこから以下に普遍妥当性を見いだしていくか、これまでも、今からも課題です。

2、憲法とは何か?
憲法典に詳しく概念が書いてあります。
ここで最も大切なことは、憲法のそもそもは、「国家権力を制限するために」出来た成文法であるということです。
宮台真治氏参照。
またこの考え方は一般に憲法学者や政治学者の共通の認識です。
しかし、この立憲主義と民主主義という二大双璧がぶつかることがある、と長谷部恭男氏は述べています。
長谷部先生は、この論議の行き着く先が「戦争か平和」、つまり憲法9条になることを、「憲法と平和を問い直す」で書かれています。
単純な粧いをしながら、実はその複雑な仕組みを詳らかに紹介しているこの本は、是非読まれることをお奨めします。
この中で長谷部氏は「憲法を変えることにはやぶさかではない」が、
何故、今憲法9条を変える必要があるのか、その疑問を述べています。
「憲法」とは宮台氏が言うように(長谷部先生も、ここは賛成)国家への規制です。
しかし、時代が変わり、状況が変われば、国家間の関係も変わるから、アプリオリに憲法を守ることにしがみつく必要は無い。
ただ、憲法というのは、何回も言うように国への規制、制限であって、国民の義務や生き方を教える指導書ではないわけです。
憲法9条を「原理」とするか「準則」とするか、
原理とするなら、「自衛のための最低限の軍備を保持するため」にこの憲法を変える必要性、現実性はない。
準則とするなら、まずその前に、根拠となる考え方から煎じ詰めていかなければならない。つまり国家間の対立とは何か、、から考えていかなけれならない。
現実に横たわっている対立に「武力」でしか対抗できないのか?
国家間の安全保障の枠組みを通じて世界平和を目指すプロジェクトが機能することが最も望ましいが、そうでない現実ではどうするか?拡大していく武力が果たして問題解決の最善か?
これらの問題を全て無理なく納得するのでなければ、いささか無謀の試みであり、
憲法9条が合理的自己拘束として存在しているという穏健主義の立場からすれば、準則ではない。と同氏は述べています。
したがって、今、憲法9条を変えることの意味は見いだせない、と長谷部先生は同書で書いています。

3、私たちが目指すものは何か?
「戦争か平和」かという二者択一の問題を、
改憲派の人に尋ねても「平和」と言います。
だれでも、平和がいいのです。
ただ、問題がそう単純でないことは、私たちの知るところです。
私たちが標榜し、目指しているのは「近代国家」と成熟した市民社会であることを以前書きました。
それについては異論のないものと思います。
ただ、それを目指す方法がそれぞれの人、立場によって違います。
当然のことです。
むしろ、みんなが同じである事の方が恐ろしい。
件の長谷部先生は以下のように述べています。
〜〜〜〜〜〜〜
立憲主義的憲法は民主政治のプロセスが自分で処理しきれない問題を抱え込まないように、民主政治で決められることを予め限定する枠組みである。
根底的な価値観の対立を公の領域に引きずり込もうとしたり、大きなリスクをともなう防衛の問題を目先の短期的考慮で勇み足をしないように、憲法は人為的な仕切りをする。
引かれた線が「自然」に見えないという指摘は反論にならない。憲法には自然な線などどこにもない。だからこそいったん後退すると踏みとどまることをしらない。
〜〜〜〜〜〜〜
私たちは、今、真剣に考えるときに来ていると思います。
様々な国際情勢や、経済問題については今後順を追って考えていきます。
現実の中で遅れているとか、実態に即していないとかとかく言われ続けている日本国憲法。
しかし、実態に即すものを憲法をとするなら、憲法はいつも変わり、私たちはその目まぐるしく変わる理念の中でどの様に生きていけばいいのか???
短期的なものの見方でなく、長期の展望に立って、「そのこと」の意味を考える時ではないでしょうか。
憲法を今、変えなければならない必然とは何か?
いまだ、私を納得させることの出来ない論理に私は肯くことができない。
、、、、

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2005.05.02

佐藤くん覚醒!!

昨日五月1日、Jリーグ第9節、サンフレッチェ広島は、新潟をビッグアーチに迎えての試合。
結果は5-0で勝ちました。ホーム100勝の記念する日に ふさわしい勝利でした。
私たちはテレビ放映がないので、例によってネット配信と実況サイト、携帯にかじりつきながらも、
他のチームの試合を見ていました。と、いうわけで相変わらず試合内容は書けません。
何回も書きますが、ネット配信って、更新される度にドッキ、ドッキ。
ふっ===まだ0−0。
あ、、、まだ入らない、、、
とかとか言っているうちに、
実況サイトが騒ぎ出す。
キターーーー。
ガウボン。
ええええ????
入ったの???
公式を見てもまだ変わらない。
ツリか(ガック)
と、思っていると公式も1−0。
(速報して下さった方、ゴメンナサイ<(_ _)>)
うわっ〜〜〜〜〜やった!!!!ガウボン。これで三試合連続。
凄い(^.^)(^.^)(^.^)
喜びが落ち着きに変わる頃、今度はいやぁ===な思い出が蘇る。
このまま、なんとか最後まで持っていって。悲痛な思いでジュビロを見ていると、
テレビの方は磐田がさらに一点を加えて喜びの顔が映し出されています。
と、まもなく、
「サトウ、、、キターーーーー」と情報が入る。
公式も今回はすぐに更新。
うわっ〜〜〜〜〜サトウクン。やった、やった。待っていました。この時を。
なんだか、すごいゴールだったとか、、、
そうこうしているうちに、テレビの磐田が、さらに猛攻撃で追加。
「広島もそろそろ入るか」なぁんて言っていたら、本当にその直後に入ったんですよ。
佐藤寿が2点目をゴ〜〜〜〜ル。
さらにたたみかけるように、大木べんちゃんとモギッチが入れて、終わってみれば5−0でした。
〜〜〜〜〜
これは、もう9時からの速報を見なければと、大慌て。
いつもは8時から見ている「義経」も6時からのBSで先に見て、夕飯を済ませ、お風呂も入って、9時10分には家族はみんなテレビの前でワクワクしながら待っていました。
そして、サンフレッチェのゴールシーンをしっかりと我が目で確認。
皆凄かったけれど、とくに佐藤君の一番目がスゴイ。
夫は今朝、「デル・ピエロみたい」と言っています。
ヨカッタね。本当に。
あっ、それから浩司君も試合に復帰。
このニュースも明るい。
まだまだ長丁場。いろいろあると思いますが、頑張ってください。
どんなときでも応援していますよ(^.^)
(新潟のサポーター、ファンの方で、ネットを通してお友達になった方が大勢いるので、
次は応援しているね、、、
広島の時は、私の喜び、勘弁して、、、)

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2005.05.01

夏はきぬ

♪夏はきぬ

1 卯(う)の花(はな)の におうかきねに
時鳥(ほととぎす) 早(はや)もき鳴(な)きて
しのび音(ね)もらす
夏(なつ)はきぬ
 
2 五月雨(さみだれ)の そそぐ山田(やまだ)に
早乙女(さおとめ)が 裳裾(もすそ)ぬらして
玉苗(たまなえ)植(う)うる
夏はきぬ
 
3 橘(たちばな)の かおる軒(のき)ばの
窓(まど)ちかく ほたるとびかい
おこたり諌(いさ)むる
夏はきぬ
 
4 楝(おうち)散(ち)る 川辺(かわべ)の宿(やど)の
門(かど)遠(とお)く 水鶏(くいな)声(こえ)して
夕日(ゆうひ)涼(すず)しき
夏はきぬ
 
5 五月(さつき)やみ ほたるとびかい
水鶏(くいな)鳴き 卯(う)の花さきて
早苗(さなえ)植えわたす
夏はきぬ
  
いよいよ今日から五月。
新緑の季節です。
吹く風からも緑の香りがして、晴れ晴れとしてきます。
五月は「さつき」とも呼び、皐月とも書きます。
〜〜〜〜〜〜〜
皐月は、耕作を意味する古語「さ」から、稲作の月として「さつき」になった。
早苗を植える月「早苗月(さなえづき)」が略され、「さつき」になったとする説もあるが、「早苗」の「さ」も耕作の「さ」が語源とされる。
漢字「皐」には、「神に捧げる稲」という意味があるため、皐月が当てられたと思われる。
植物のサツキは、「五月に咲くツツジ」という意味から、「サツキツツジ」と呼ばれるようになり、略され「サツキ」となった。
(語源辞典から引用)
〜〜〜〜〜〜〜〜
花は咲き誇り、鳥達は歌い、人々は動く、そんな息吹のこの時期は万葉の昔から歌にも多く詠まれています。
〜〜霍公鳥(ホトトギス)いたくな鳴きそ汝が声を五月の玉にあへ貫くまでに(万葉集1465)〜〜

自然の大きな力が息づいてくるこの季節。
あなたは、何を思い、なにを感じていますか???

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