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2005.05.10

一人称へ

与謝野晶子の命日、白桃忌(5月29日)も近づいたので、与謝野vs平塚「母性保護論争」について書きたいと思っていた矢先、一人暮らし日記のrinnkenさんより主婦論争というタイトルでトラックバックをいただきました。
早速、訪問。
記事を読ませていただいて共感。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
主婦論争っていうのは、「主婦の存在は有用であるか/無用であるか(第1次)」・「家事は経済的活動か?(第2次)」についての論争のことです。
あなたはこの論争について、どちらの考えを支持しますか?主婦の存在は有用なのか、それとも無用なのか?また家事とは経済的活動(つまり労働)なのか、それともそうではないのか?

(主婦論争より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そうなんですよね。個人の問題としてはみんな,
主婦労働は認めもしてくれるし、わかってくれるのです。
が、これがいざ社会的な立場や問題として考えていくとき、二重、三重に重なる厚い壁を感じます。
女性の社会進出が大きくなった現在、
働き、かつ主婦である女性からも、独身のバリバリ、キャリアウーマンからも冷遇されている専業主婦の声無き声が聞こえてきます。
ついせんだって配偶者(専業主婦)控除が廃止されたときも、女性の間で認識の一致とはなりえませんでした。
出産、育児を含む家事労働はいまだ私的な分野として片付けられているのでしょうか?
思い出すのはアグネス論争です。
子どもを職場につれて行ったアグネス・チャンと林真理子さんの論争。
これを機に働く女性の職場に風穴が開いたとも言われていますが、
だがしかし、主婦である女たちの立場への代弁者ではありません。
この問題、多かれ少なかれ自分の問題です。
男性、女性を問わず。
もっと、もっと考えていかなければ、、、
これからも折に触れ、書いていきます。

最後に与謝野晶子のほとばしるような瑞々しさとエネルギー溢れる詩を載せます。

そぞろごと
山の動く日来(きた)る。
かく云えども人われを信ぜじ。
山は姑(しばら)く眠りしのみ。
その昔に於て
山は皆火に燃えて動きしものを。
されど、そは信ぜずともよし。
人よ、ああ、唯これを信ぜよ。
すべて眠りし女(おなご)今ぞ目覚めて動くなる。
一人称(いちにんしょう)にてのみ物書かばや。
われは女(おなご)ぞ。
一人称にてのみ物書かばや。
われは、われは。
額(ひたい)にも肩にも
わが髪ぞほつるる
しおたれて湯瀧(ゆだき)に打たるるこころもち、
ほとつくため息は火の如く且つ狂おし。
かかること知らぬ男。
われを褒め、やがてまた譏(そし)るらん。

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コメント

はじめまして。TBありがとうございます。
主婦論争は1950年代に起きたものですが、それが未だに決着をみないのは、社会の風潮がこの問題から逃げてきた結果だと思います。とても悲しいことですね。
これに対する社会の関心が、もっと高まるといいですね。というよりも、高まるように努めなければいけませんね。

投稿: rinnken1228 | 2005.05.10 18:15

rinnken1228 さん。
こんにちは。
コメント有り難うございます。
あなたの優しくてすてきなブログを拝見してとても嬉しく思いました。
婦人問題、女性問題は、本当に難しい。
社会的であると同時に私的なことだから。
「性」に関わる問題でもあるからなおさらです。
これからも、またご一緒に考えていきましょうね。どうぞよろしくおねがいいたします。
さて、あなたのように若くて、熱心な人が先生になって、教育の現場に立たれたらいいなぁ〜〜〜と切に思います。応援していますね(^.^)
では。また。

投稿: せとともこ | 2005.05.11 19:09

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