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2005.06.20

原爆60年 オークリッジでは

原爆60年 米テネシー州で記念行事 日本人との間に溝というニュースを見ました。
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米テネシー州オークリッジで16日、原爆開発60周年記念イベントが開かれ、マンハッタン・プロジェクトと呼ばれた原爆開発製造計画に関与した研究者らと家族約70人が参加した。参加者のほとんどが「原爆投下は戦争終結のため必要だった」と話し、「原爆」に対する日本人との溝の深さを感じさせた。
 オークリッジは広島に落とされた原爆に使用されたウランを分離・濃縮した工場があり、プルトニウムを生産したワシントン州ハンフォードや、原爆の設計製造を担ったニューメキシコ州のロスアラモスなどと共に、マンハッタン計画の中核となった。
(中略)
  原爆開発計画は極秘だったため、オークリッジは49年までは地図にも存在しない「秘密」の町だった。郵便物の住所は別の町になっていた。「口が軽ければ、船が沈む」。町に住む7万5000人の研究者たちはウランという言葉を使うことも、勤務地を話題にすることも禁じられた。マンハッタン・プロジェクト歴史保存会のマイケル・ビッキオ代表は、「原爆開発の重要な歴史を保存したい」と話した。この町に、キノコ雲の下の惨状への思いは感じられなかった。
(毎日新聞) - 6月18日10時18分更新より
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この記事を読みながら、静かなオークリッジの町を思い出しました。
このブログでもオークリッジについては何回も書きましたが、
普段はこの町は本当に閑静な清潔な町です。
アメリカにあって鍵をかけずに夜眠ることができると言われているくらい安全な町です。
町の新聞は、ニュースと言えば「○○さんの結婚」とか「□□さんが足を滑らして怪我をした」とかとか、、、
本当に長閑なこの町。
しかし、この長閑さは なんによって保障されているかは、この町に住んでいる人は皆知っています。
「研究所があるから」です。
そう、今でもこの町には、核兵器を製造保管するY−12施設があります(8/6には日本からも数名の反核団体?の人がやってきてシュプレヒコールをあげています)。
小さな町には原子力の研究施設が沢山あって、世界中から研究者がやってきて原子力の平和利用をしています。そのため警備が厳しいのでしょうか。普段は犯罪とは程遠い町です。
しかし、
しかし、
ここには先の記事で述べられているように、マンハッタン計画の拠点になった足跡が資料館には満載しています。
展示には一つひとつ説明があって、アメリカの原爆に対する考え方が書かれています。
以前も書きましたが、日本人である私とは、深い溝がありました。
とりわけ、広島から来た私には、多くの被爆なさった方を直に知っているから、
アメリカの「戦争終結のため必要であった」という意見には、賛成することは出来ませんでした。
(ワシントン・スミソニアン博物館でも同様の考えを現場の説明官から聞かされました)
ただ、何回も書いていますが、これが全てのアメリカ人の意見かと言えばそうではありません。
ヒロシマの悲惨な当時の様に心痛め、今なお引きずっている人々への思いを持っている方も大勢います。
戦後60年。
それぞれの人がそれぞれの思いで過ごした60年。
そして、今戦争を知らない私たちの世代が、その経験を引き継ごうとしています。
どのように、引き継ぎ次代に渡すべきか、、、
問われています。
過去からも、未来からも。

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コメント

 教え子に「先生、そのとき、あなたはなにをしていたの?」と質問されて、ほほを赤らめない発言を期待いたします。
 イラク戦争の開戦理由には、フセインの大量破壊兵器がありました。アメリカの開戦理由をみとめなかったあなたが、アメリカの核開発を非難する。アメリカの核には反対するが、フセインのそれは容認する。
 矛盾を感じませんか?わたしには、あなたの主張は平和主義ではない。反米にすぎないと思います。

投稿: 罵愚 | 2005.06.20 16:47

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» 米で原爆開発60周年記念行事、日本ではまもなく原爆60年記念日 [Aquarian's Memorandum]
米国テネシー州オークリッジで行われた原爆開発60周年記念行事の報道に、マンハッタン計画におけるオークリッジの役割などを思い出し、原爆開発の歴史をどう評価するかを考える。 [続きを読む]

受信: 2005.06.20 17:39

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