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2005.06.15

ナショナリズムとジェンダーを読む

 〜〜国民国家を超える思想は論理必然的にこの結論へとわたしたちを導く。「女」という位置は、「女性国民」という背理を示すことで国民国家の亀裂をあらわにするが、そのためには「女=平和主義者」という本質主義的な前提を受け容れる必要はない。「国民国家」も「女」もともに脱自然化・脱本質化すること——それが、国民国家をジェンダー化した上で、それを脱構築するジェンダー史の到達点なのである。〜〜

上野千鶴子さんは「ナショナリズムとジェンダー」の最後をこの様にして締めくくります。
彼女の一貫した主張は、今までの歴史の数々が語る正史とは、
それが民族の解放であれ、階級闘争であれ、いずれも女性解放が高らかに謳われ、勝ち取られたことはかってない。というものです。
ちょっと長いですが、さらに引用。
 「フェミニズムは国家を超えたことがないという歴史にもとづいて、フェミニズムは国家を超えられない、と宣告すれば、わたしたちはふたたびさまざまな国籍のもとに分断されることになる。もはや「シスターフッド・イズ・グローバル」という楽天的な普遍主義に立つことは誰にも不可能だが、ジェンダーという変数を歴史に持ち込んだのは、そのもとで階級、人種、民族、国籍の差異を隠蔽するためではなく、さらなる差異——しかもあまりに自然化されていたために認識されていなかった差異、いわば最終的かつ決定的な差異——をつけ加えるためではなかったか。
 ポストモダンのフェミニズムのもとでは、ジェンダーのほかに 人種や階級という変数が加わった、と言われるが、むしろ人種や 階級という変数がジェンダーという変数を隠蔽してきたことを、 フェミニズムは告発したはずだった。人種や階級という変数は、 新たに発見されたのではなく、ジェンダー変数を契機として、よ り複合的なカテゴリーとして「再発見」されたのである。」

何故彼女がこの様な結論を導き、さらに目指すものは何かを、この本を読み解きながら考えていきたいと思います。
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第1章 国民国家とジェンダー
まず、序で
 歴史とは「現在における過去の絶えざる再構築」である。と定義。
歴史に「事実」も「真実」もなくあるのは特定の視覚からの問題化による再構成された「現実」だけであるという。
そして、戦後史のパラダイムチェンジへと続く。
「国民国家」を変数に、産業革命→市民革命→国家化という流れで歴史を見直し、さらに、ジェンダーという変数を加えるとどうなるか?
そこで著者は女性史のパラダイムチェンジを述べ、被害者としての女性から近代総力戦による「加害者」としての女性へと言及。
メタヒストリーで追うフェミニストの反応を、
明治初期の男性思想家たちによる一夫一婦論から、大正デモクラシーを越え、
市川房枝(1893?1981) 
母性保護論争として平塚らいてう(1886?1971)と与謝野晶子。
さらに高村逸枝(1894?1964) 
山川菊栄(1890?1980)
などを例に上げ、戦時下の女性の運動の制限と限界に言及。

第2章「従軍慰安婦問題をめぐって」
よく知られていた事実の問題化・犯罪化 を「三重の犯罪」と定義する。
戦時強姦の罪、忘却の罪、否認の罪を述べる中で、日本のフェミニズムの人種差別性を浮き彫りにしたと言及。
家父長制パラダイムとして「女性のセクシュアリティは男性の最も基本的な権利と財産」として、日本・韓国に共通の意識であることからくる犯罪の温存を訴える。
被害女性の告発=性的被害の自己認知=セクシュアリティの自己決定者としての女性のアイデンティティの確立をすることで、戦う相手は日韓両国の家父長制であると強調。
(「本人が悪い」→「醜業」意識→性の二重規範 「聖母」母・妻・娘⇔「娼婦」公娼・「慰安婦」などは、家父長制の変形であると述べる)
「慰安婦」問題は様々な当事者によって経験された多元的なリアリティであるという。

第3章記憶の政治学
文書資料至上主義に対しての批判を試みることから始まる第3章は、
歴史教科書問題や自由主義史観について考察を加える。
オーラルヒストリーの価値を認めることで、さらに第1章で述べていた筆者の主張を重複。
「誰のための歴史か」を見ることが大切と強調。
最後に著者の主題「フェミニズムはナショナリズムを越えられるか。」に至る。
 (瀬戸がいささか大急ぎで要約しましたので、詳しくは本書をご覧下さい)
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上野千鶴子さんはこのほかに「家父長制と資本主義」や「女は世界を変えられるか」など意欲的にフェミニズム、ジェンダーについて書かれています(これらの本についても書いていきたいと思っています)

さて、私自身の感想は第1章の母性保護論争が衝撃的でした。
それまで、私にとって平塚雷鳥は憧れの人だったのですが、著者の説によると、
平塚雷鳥をはじめとして市川房枝、高群逸枝、山川菊枝など軒並み、大政翼賛会に組み込まれていったとして「反省の女性史」となるわけです。
ううううう〜〜〜〜〜〜んんん。
これは、ちょっと???
これに関しては、もうちょっと勉強しなければ何とも言えないのですが、、、
当時の環境の中で、私たち女性の先輩たちが到達点として勝ち取ったものは、
たんに国家に巻き込まれていっただけなのだろうか???
「時代」という制限の中で、女性の権利を勝ち取ることと、時代に呼応していくことのバランスの中で先輩たちが悩み、苦しんだ足跡への評価はしつつも、なお先輩の運動に信頼をおかず、やや懐疑的であることがいささか私は感情として淋しい(こんな感情は上野さんの前では一笑にふされるとは承知しながらも、、、もっとも鈴木裕子さんは,
上野さんに対して批判を理論的に行っているようですが。)
わからない。
ただ大きな視点に立ったとき、上野さんの主張や目指すべきものには同意します。
本当に意味での女性解放について考がえていかなければならない提案の書です。
複雑で多種多様な価値の中で、一般化するにはいささか問題が大きく、ともすれば本質が見えにくくなるjフェミニズム問題。まだまだ課題は山積です。
さて、最後に、著者の上野さん。
これからもドンドン活躍なさり、オピニオンリーダーとしてフェミニズムの旗頭になってください。

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コメント

はじめまして。
上野千鶴子さんにひかれて訪問しました。
「うえの・ちづこ書店」の紹介記事をTBさせていただきます。
よかったら、ご覧ください。

投稿: みどり | 2005.06.16 00:05

みどりさん。
はじめまして。
ブログ、拝見いたしました。
鮮やかな切り口とやさしい色合いのブログですね。
とてもフェミニンな雰囲気です。
さて、みどりさんは「市民運動」なさっているのですか???
それは凄い。
今まで存じませんでしたが、これを機会にみどりさんのなさっている運動、ちょっとお知らせください。私も勉強してみたいです。
これからも色々お教えくださいね。お願いいたします。
また上野さんのことなどもお聞かせください。たのしみにしています。
では。

投稿: せとともこ | 2005.06.17 18:16

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