「戦争と有事法制」という本
戦争と有事法制という本があります。
著者はお馴染みの小池政行さんです。
今日は、この本を紹介していきます。
法案の制定までの歴史や、国際情勢。さらにこの法案の問題点、最後に私たち国民が、今真剣に考える時期に来ているというメッセージが述べられています。
とても詳しく、またわかりやすく書かれていますので、是非お読みください。
まず、本書は次の構成からなっています。
序章 「有事法制」は成立した
第1章 「有事法制」の歩み
第2章 戦争のルール
第3章 「有事法制」審議を読み解く
第4章 日本国憲法と「イラク派兵」
終章 シミュレーション「有事法制、発動す」
序章 「有事法制」は成立した
2003年6月6日日本に戦後初めての「有事法制」が成立。
制定に先立ち2002年2月4日の小泉純一郎総理の施政方針演説で、「備えあれば憂いなし」という言葉と共に、国会における本格的な審議が始まった。
総理の演説の中味について、「独立」「主権」「安全を平素から確保する体制」の具体的な考察を加えることがこの本の目的である。
第1章 「有事法制」の歩み
「即ち兵強し」という考えが日本には昔からある。
有事という言葉は遡れば「幹非子」に辿ることが出来る。
「無事なれば即ち国富み、有事なれば即ち兵強し」と。
次に時系列で時々の政府が行ってきた「法制成立」までの歩みを見る。
1955年 アイゼンハワー大統領の対日政策発表
「米国と強く結ばれ、共産中国への対抗勢力として役立ち、極東の自由世界の力に貢献できる日本が、最も米国の国益にかなう」
「より健全で積極的なナショナリズムが日本に発展することは、日本が大国として再生する上で緊要なことである。このようなナショナリズムを日米提携の文脈に取り込むことが、米国の対日政策の基本である」と。
そして、1960年新日米安保条約の締結
こうした中、三矢図上作戦計画
とくにこの三矢研究については、岡田春夫議員の国会で暴露したことにより世間に明るみにされた経緯が書いてある。
旧ガイドライン
↓
日米共同作戦の範囲をシーレーン防衛」に拡大
こうして、1978年福田内閣の時「有事法制」が本格的に研究されるに至る。
83年、中曽根内閣の「運命共同体発言」
「不沈空母」発言(ワシントンポスト紙)
1995年 ナイ・リポート発表
「日米関係ほど重要な二国間関係は存在しない。日米関係は米国の太平洋安全保障政策と 地球規模の戦略目的の基盤となっている。」と定義。
これにより、よりいっそうの防衛強化へと日本は突き進む。
そして、1997年新ガイドライン制定。
旧ガイドラインと質的、量的に格段の差がある内容。
2000年10月 アーミテージレポート発表。
「両国の同盟関係は”負担の分かち合い”にとどまらず”力の共有する”時がきた。
そのためには”集団自衛権の行使””有事法制の成立””国連平和維持本体業務への参加凍結解除””情報面での協力の強化”を主張。
このような背景のもとついに2003年有事法制が成立。
第2章 戦争のルール
戦争はいかなる時代、いかなる場所でも起こってきた。戦争の現実は暴力による殺戮である。戦争となればあらゆる残虐非道なことが行われるのかと問われれば、その答えはイエスであ屡。あらゆる残虐非道なお子ないが許されているのかと問われればノーである。
と、して国際法の考え方へと導かれる。
その後、日本が組み込まれていく戦争へのシナリオに触れる。
現在の国際社会では、大国同士が、その正規軍を展開させて正面激突の可能性は極めて低い。日本の環境を考えると大規模テロの対象になる、北朝鮮などの日本を以前敵対視する国からの攻撃などがあるが、最も可能性の高いのは、米国の軍事行動を支援する形で戦争に巻き込まれていくシナリオである。
周辺事態に対応して、自衛隊が米軍との共同軍事行動をとる中で日本が有事体制になっていく。この現実に起こりうるシナリオの対応出来ない「有事法制」ならば無用の長物である。
第3章 「有事法制」審議を読み解く
国会での質疑を披露しながら、「有事法制」の欠陥を「国民保護法制」の不備を中心に紹介。
ごく単純に考えてみよう。
有事法制とは、その善し悪しはどうであれ、命の値段付という側面を持っている。その本質的な目的は、有事の際に「国家の安全と独立」を守ることである。
そのさいの国が果たすことは制定されている。また国民の義務についても決められている。
しかし、「国民保護法制」はいまだ具体的に制定されいない。
国民にとってまず何よりも大切な有事下の保護が曖昧な形で成立した現法案は、欠陥法案であると主張。
今後の成り行きに注目する必要がある。
第4章 日本国憲法と「イラク派兵」
まずアメリカ、ドイツなどの有事法制の比較。
次に有事のさいの基本的人権について。
第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
人間社会は権力と秩序を有し、またこれを絶対的に必要とする。
権力が肥大化し濫用されるとき、個人は人間として処遇ないし尊重されない事態に陥いる。この権力の濫用や逸脱に対して、個人が人間としての尊厳を保つ為に行う利益の主張が人権の主張である。
しかし、この権利にも様々な限界がある。
それは「公共の福祉」との比較衡量の場合が多い。
「精神的自由」と「経済的自由」との関連など明らかにしなければならない問題が山積である。
次に自衛隊がイラク派兵を行った法的な根拠について述べてある。
ここでは、国際紛争についてや、何故イラクだったのかなどを詳細に述べる。
そして、今の有事法制が本当に日本を守るためのものか、あるいは米軍の兵站活動の一方の担い手でしかないのかと疑問を投げる。
終章 シミュレーション「有事法制、発動す」
では、現実に有事になった場合はどうなるかということをこの法案にそってシュミレーションを試みる。
そこで明らかになったことは、この法案は決して国民をまもってくれはしない、という現実であった。
結語
このようにして、我々は有事法制を持った。
それは端的にいえば、自衛隊の活動を円滑にするための法律を持ったことである。国民の生命や財産を守るのが自衛隊の役目である。ならば、自衛隊の活動が円滑になることは、
我々の生命・財産が確実に守られることになるのか。答えは否である。
ならば有事を広く捉えて緊急事態に十分備えるものになるのか、例えば災害やテロ。それも否である。
これらの対策は「今後十分検討して作っていく」という程度の認識である。
また。肝心の「国民保護法制」は後回しである。
そもそも有事とは何かも曖昧なまま出来上がった有事法制。
もう一度、深く考えていかなければならない。
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