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2005.08.10

何故私がイラク戦争に拘るか

私は、イラク戦争に拘り続けています。
今までは戦争の原因や戦禍の実態について。
これからは、二度と戦争が起きないためにはどのようにしたらいいかという解決策を中心に。

戦後生まれの私たちを称して「戦争を知らない世代」とか「平和ボケした世代」とか言う人たちがいます。
しかし、
果たしてそうだろうか?
私たちは戦争を知らない世代だろうか?
平和の中でお目出たく呆けているだろうか?
私は否と思います。
確かに、只今の自分の生活が戦争に脅かされてはいません。
生と死のギリギリの中で生き抜くことを余儀なくされてもいません。
そういう意味では戦争を体験はしていません。
平和が保障されている中で安穏と暮らしているのかもしれません。
が、
私たちは、世界中ここかしこで今も起きている戦争、紛争については知っています。
新聞、テレビなどで送られて来る映像で、その凄まじさは手に取るようにわかり胸を痛めます。
私はこの間、イラク戦争に拘り続けています。
戦争というものが如何に破壊的で不毛で何をも見いださないことを、この目で見続けています。
さらに戦争がもたらす罪科は何代にも引き継がれていくことも知りました。
人の恨みや憎しみという感情だけでなく、地球の環境を破壊しているということも含めて、私たちは「イラク戦争の証人」だと思っています。
たとえば、日本でいうなら先の大戦が侵略か進出かで議論が分かれ、その後の憲法や教育基本法にまで意見が及び、さらには教科書問題にまで至っています。
いずれが真実かは、もっともっと調査する必要があると思います。
しかし、
2003年3月19日に開戦されたイラク戦争に関しては、私たちは目の当たりに見ていたのです。
その後次第に明らかにされてくる真実を知るにつけ、歴史の証人としての私たちの責任を感ぜざるをえません。
そして、次代に伝えなければならないとも思うのです。
戦争を体験はしていないが、戦争を知っている世代の責任として。
戦争することの罪を。
平和を守ることは、眠りを許さないくらい大切であることを。
私はこれまでも、これからも、こうした理由で「イラク戦争」に拘り続けていきます。
今までにこのブログで書いたイラク関係の記事と平和に関しての記事の一部を下に掲載致します。
お時間がありましたらご覧ください。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
イラク関係
何故 私がイラク戦争は間違いだったのでは、と思うか
ダウニング街メモ
イラク世界民衆法廷
イラクへの主権移譲1年

憲法、自衛隊関係
憲法の理念
NPT会議
今日は何の日
国家と憲法
日本国憲法
標榜するもの
原爆60年 オークリッジでは
「戦争と有事法制」という本
自衛隊法改正の中味を見る

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コメント

>いっこめのTBのひとへ
たぶん、ブログ主はそれを見越してわざと餌をまかれたのでしょうが、すぐさま喰らいついてきましたね(笑)。
よく調教された犬をみているようで、いつも楽しませて頂いています。
これからも道化役よろしくお願いします。

投稿: 鎖ッ誅罪 | 2005.08.11 09:32

>>>たぶん、ブログ主はそれを見越してわざと餌をまかれたのでしょうが、すぐさま喰らいついてきましたね(笑)。

ほんと、笑えます。

 第2次世界大戦の開戦理由は、罵愚がブログでいってるような理由じゃありませんよ。ヒトラーはソヴィエトと密約を結ぶ前から「第三帝国」の夢を見ていたんですからね。

 いつも罵愚が人を批判するときに使う言葉でお返ししましょう。

「もっと本をお読みなさい!」

投稿: 罵愚を知るもの | 2005.08.11 10:07

 論理的な返答ができなくなると、罵声に変わる。戦後左翼の常套手段だ。無視するオーナーも同質ですがね。
 ヒットラーがどこで開戦を決意したかはともかく、ドレスデンの空爆の背景にヒットラーのナチス政権の存在を抜きにした議論は無意味ですよ。まったくおなじように、アメリカのイラク進攻を議論するときに、フセイン政権の人道犯罪と侵略戦争を度外視した議論は成立しません。あきらかな、片手落ちの議論です。
 フセインの暴虐を容認しながら、女性問題や平和運動を話題にする二律背反は、弁解の余地はありません。反論があるなら、感情を殺して、論理的な文章を書いてみたらどうですか。

投稿: 罵愚 | 2005.08.11 16:32

>罵愚さん

>反論があるなら、感情を殺して、論理的な文章を書いてみたらどうですか。

穏やかではないですね。
以前も瀬戸さんがここで書いておられたように、だれもが罵愚さんのように論争したいわけではないでしょう。

『旗旗』
http://hatahata.mods.jp/archives/2005/08/022345.html
より、ブログ主、草加耕助さんのコメントより引用
「ただ論争を「勝ち負け」に持っていこうとする人との会話は非常に疲れてしかも得るものはほとんどありません。」「自己の思想の絶対的正当性を前提として他者の善意を揶揄・愚弄するような態度の方に対しては、こちらから批判しに出かけて行くつもりもないし、向こうから来ていただいても正当防衛の範囲内で対処する以外はありません。」

 もちろん私もこの主張に賛同しています。罵愚さんは上のふたつの発言を「罵声」だとおっしゃってますが、あなたのトラックバックやその発言も一種の「罵声」なのではないでしょうか。

「結論として、どういう選択をしようとも、地球と呼ぶ電車に無賃乗車はできない。定期券は高価だからやめようというあなたたちの主張は、その代わりに乗車券を購入する必要があることを忘れた議論だ」
http://bugswebblog.at.webry.info/200507/article_36.html

まるでキセル犯罪者呼ばわりですよね。

こんなのもありました。

 「戦争は悪だ」「正しい戦争はない」と言い切ったところからはじまる議論は、いいかえると自衛権を否定してはじまる平和憲法の論理と重なる。個人レベルに換算すれば、犯罪に対抗する正当防衛さえ否定した議論だ。右のほほをたたかれれば、左のほほを出せ、というまちがった博愛精神だ。
 大東亜戦争敗戦後60年、日本列島の周辺の海底にたまったヘドロのような、思想とも呼べないような思考法だ」
http://bugswebblog.at.webry.info/200505/article_17.html

「戦争は悪だ」というと、ヘドロ扱い。


 あと、瀬戸さんが「フセインの暴虐を容認」しているとは、瀬戸さんのエントリを通して読むかぎりどうしても思えません。もしかして罵愚さんはアメリカの戦争を批判すると自動的にフセインの擁護者になると判断されるのですか。だとすると、イラク戦争に反対した前ローマ教皇ヨハネ=パウロ2世も、ダライ=ラマ法主もフセインの擁護者ということになってしまいます。

投稿: Rough Tone | 2005.08.11 17:55

上にならい、「感情を殺して、論理的な文章を書く方」の歴史を調べてみました。ピックアップと一口感想を載せます。ぜひご覧あれ!!

<三月〜>
記事”イラク戦争 二年目”に反論
●「大量破壊兵器の現存にだけ絞り込んだ発言は、視野狭窄で問題の全体像をつつんだ議論だとはいえない。」
ブログ主”何故 私がイラク戦争は間違いだったのでは、と思うか”という非常に論理的かつ情報豊富な記事を載せる(『先生はどうして反論しないの?』という方はこの記事をどうぞ。反論しまくっています)
●「問題はむしろ、あなたたちに都合のわるい情報が、どうして見聞できないかの疑問だ。」(どんな「都合のわるい情報」かソースは未だ明らかではない)
●「あたかも、フセインやアルカイダの支配下では、平和な市民生活がいとなまれていたという前提で、あなたたちのおとぎ話は、はじまっている。ネオナチの論理なんだよ。」
●「人道犯罪に関する、基礎的な知識を欠落させた反論や批判は、勘弁してくださいよ。」(いい加減勘弁されてほしい)
色々反論をあびる
●「まぁ、話題に対応した知識と知的能力を蓄えてください。」
●「さらされたくないプライバシーなら、はじめから公開するなよ!」
●「米軍の戦時犯罪だけがクローズアップされた議論を、臆面もなくつづけられる。はっきりいって、非常識な愚論だと思う。こんな教師に、教室を荒らされるのはゴメンだ。」(他の場所でも執拗に「教師」と「女という性」に拘る。何か触れてはならないトラウマでもあるのだろうか)
ぼこぼこに反論されてグウの音も出せなくなったため、しばらく巣(自ブログ)にこもる。
巣ではあいかわらず、「瀬戸先生批判」。
負けて悔しいが故に、また傷ついたプライドと体面を守るが故に、一生懸命に罵しる。そうすることで自己の存在を確定しようとしているのだろうか
しばらくたって記事”日本国憲法”に
●「瀬戸先生のような、戦後平和主義者は、この議論から逃げて、平和念仏に明け暮れているのが、わたしの不満です。」(「議論から逃げて」どちらがだろう)
とうとう呆れたブログ主は、シカトを決め込む
●「あなたの話題は、その現実からの逃避するのか、その現実を打ち破るのかの、方向性によって、読者をまったく別の世界にいざなう話題ですね。」(わざわざネットにつないで嫌みをたれにいらっしゃる。負けた腹いせに、とことん嫌がらせしようと決めたようだ)
また、
●「教え子に「先生、そのとき、あなたはなにをしていたの?」と質問されて、ほほを赤らめない発言を期待いたします。」(この科白は自分で気にいったようだ。これと「戦後左翼はこれだから・・・」が二大反論に困ったときの台詞)
また、”イラク世界民衆法廷”では
●「つまり、単純な反米感情の爆発にすぎないんだよなぁ。日本の平和運動は、いつも不満分子の不満の矛先が、反米、反権力に転化されている。なんちゃって平和主義なんだよ。」(先生の情報源豊富な記事に、どこの路傍で拾って来たか不明瞭な情報(あるいは、先入観)を叩きつけ、無視される)
また、”イラクへの主権移譲1年”では
●「イラクの話題については、あなたの脳細胞はパンクしている。戦争終結の話題と、開戦理由と、現在の戦況をごちゃ混ぜにした議論だ。もうすこし、論点が理解できるようになったら、わたしのブログへいらっしゃい。」(全くパンクしない、ガチガチの岩石のような頭脳保持者が、ほどよく、脳を活性化させたものを笑う。これを表現した故事成語はないだろうか)
そして、あまりにも相手にされないので、(そうまるで、小さな子どもが親の注意を引きたいが為に暴れるように)”自衛隊法改正の中味を見る”には一気に8連投する。
最後には
●「「先生、あなたはそのときなにをしていたの?」の疑問には、終始無言で答えない。答えられない。対話を拒絶する平和主義って、なんでしょうかねえ。」
●「非武装論者には、国連中心主義を口にする資格はない。オカマが少子化対策を議論するのとおなじ種類の笑いがこみあげる。」
でも、相手にされない。
●「対話を拒否した平和主義を、平和主義と呼べるのだろうか?対話と武力を放棄して、なにを手段にして安全保障政策がなりたつのか?一方的なアジテーションに乗せられるほどバカな民族だと愚弄しているんだろうか?
 日本の平和主義は、また一歩後退したんだな。」
でも、やっぱり相手にされない。
●「自閉症を患った平和運動って、なんだりろうか?」(「注意欠陥多動性障害を患った非平和運動って、なんだりろうか?」←同じように聞けば今度は自分が無視)
●「自閉症を患って、対話を拒否した先生に、かれらを笑う資格がありますか?「先生が 変わろうとしまければ」の批判に答えられるのかな~?」(「自閉症」が口癖リストに追加したようだ)
●「反論があるなら、感情を殺して、論理的な文章を書いてみたらどうですか。」(ここまで感情にまかせたコメントしまくってるのに、自分例外論かな?)

いや〜実に良いお手本を示されていらっしゃるようで(笑)
ちなみに、ここでは主に罵詈雑言系の目にとまったものを選出しました。論理的に破綻系は枚挙に暇が無いので、そちらも各自でご覧あれ。
・・・「どこを?」「全部を。」


(この餌にはひっかかるかなあ。「都合のいいところだけをピックアップし、さも立派な論理を組み立てたかのような錯覚に陥って、一人だけ満足するのが戦後左翼の性癖だ」とか言ってくるかなあ。まさかそんな天に唾できないよなあ。いや、でもひょっとして。。。わくわく)

投稿: 鎖ッ誅罪 | 2005.08.11 19:21

 「おれの主張が罵声なら、おまえだっておなじじゃぁないか」の議論は、パソ通の時代からあって、それでは罵声とはなにかの定義に話題を引き込んで、うやむやのうちに本題が消えてなくなるパターンは、数多く経験しています。あなたたちの作った定義で、あなた自身の発言やわたしの発言を料理して、このブログを盛りあげてください。わたしに対するご批判は、拝聴いたします。
 自説の喧伝目的のブログだから、応答はいたしませんのオーナーの宣言は、都合のいいコメントには親切に対応するのだから嘘だということはすでにばれています。TBもコメントも禁止した、閉鎖的な運営もあるのでしょうが、近親者の応対もできなくなってしまうのでしょう。
 ブログという媒体そのものが、批判や反対意見への対応を前提にしてつくられていますから、HPに戻らないかぎり問題は解決しないのかもしれません。これも本題とは無関係なので、これ以上は書きません。
 ただ、自説の垂れ流しを目的にしているから、批判や反対意見には対応いたしません、という手法は、アタマから民主主義を否定した、全体主義的体質を露呈しているのも事実だと思います。近親者にだけは居心地がいいが、反対意見の持ち主を差別した言語空間だといえます。
 『瀬戸さんが「フセインの暴虐を容認」しているとは、瀬戸さんのエントリを通して読むかぎりどうしても思えません』というような感想が、都合よく飛び出してくる構造を指しています。誤解をといて、よく読んでください。
 わたしは先生が「フセインの暴虐を容認している」といっているのではなく、フセインの暴虐を失念してイラク戦争を議論していると指摘しています。米軍のイラク進攻を事象的にとらえて、その原因となったフセインの暴虐に遡及しない主張をくりかえしています。
 これがわたしの先生批判の根幹です。

投稿: 罵愚 | 2005.08.12 04:45

なら来なければいい。
どっち派でもないが、どうして君が、こんなにここに拘るのかが分からない。
論理云々よりも、「しつこくコメント」「批判を目的としたトラックバック」「『自閉症』等の程度の低い悪口」これでは相手にされなくて当たり前。
誰が見ても「荒らし」である。
無視されて怒るのはお門違いだ。

先生批判になんの意味が?

議論がしたいのか、ただ平和主義を苛めたいだけなのか?
そんなに「不信感を抱いて」いるブログに噛みつく理由は?
本当にただ、「負けた腹いせ」のように見える。
あなたの頭の悪さが、文の端々から、如実に伝わってくる。
その対比によって、ますます先生の株は上がる。
ですからあなたは、知らず知らずの内に批判することで、相手の手助けをしているのだ。それに気がつかない限り、勝利は遠ざかり続けている。
見ている方ももはや、あなたが何を書こうと「またバグ」になって、本気で目を通そうとしない。これは自業自得だ。人のせいにしてはいけない。
だから、傍観者だった私も、少し口を挟みたい。

そんなに文句があるなら、来なければいい。

と。

投稿: 綾小路一郎 | 2005.08.12 08:56

いろいろコメント頂いて有り難うございました。
それぞれが、それぞれの思いでネットの世界と関わり、
現実の世界で生きていく糧になれば、これに勝るものはないと思います。
本当に大切なことは、
現実の世界で如何に生きていくかではないでしょうか?
ネット上で、どんなに討論、議論をしても所詮見えない相手なのです。
そして、たとえ相手を析伏したとしても、
それがなんだろうか、、、と私は常々思っています。
そんな時間があるなら、
現実の生活をより豊かに楽しく過していきたいです。
現実の自分の周りの人たちと生産的な生活を送っていきたいとも思っています。
そして、ネット上の人間関係についてもそれは同様です。
楽しく、愉快にそして生きていく上での力になるような優しい関係を作っていきたいと思っています。
と、いうわけで、ここでの議論、討論はここまでとさせていただきます。
なお、今後もこの方針は変わりません。

投稿: せとともこ | 2005.08.12 14:25

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» ヒットラーやスターリンに同情してドレスデンの空爆を語るグループと同質です。 [罵愚と話そう「日本からの発言」]
http://ts.way-nifty.com/makura/2005/08/post_4cb7.htmlへのTBです。  第二次大戦の原因は、ナチスドイツとソビエトロシアと呼ぶふたつの全体主義国が結んだポーランド分割の密約の実行でした。連合国のドレスデンの空爆は、人道犯罪の疑いは濃厚にありますが、開戦の原因にはなりません。  瀬戸先生の主張は、これとおなじです。イラク戦争の米国の責任は話題が豊富です。議論はいろいろあって、わたしはそれを否定しません。しかし、先生の主張の欠陥は、開戦の...... [続きを読む]

受信: 2005.08.11 03:59

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