« 今晩はシドニーFC戦 | トップページ | 異常と正常 »

2005.12.12

義経最終回

昨日11日、大河ドラマ義経の最終回。
一年間、お馴染みになったタッキーの義経。
タッキー、マツケン、その他のみなさん。
お疲れ様でした。

さて、一年間を通して見た私の感想。
「浅かった、
めめしかった。」
です。
全体が浅い。
登場人物の多くがめめしい。
何故か?
それは、脚本家が、人物を捉えるときの視点が、
感情にドップリと漬かり過ぎているからでは、と思います。
そして、全ての人物が、一度思い込んだ感情にズット振り回され続ける。
平清盛。新しき国を作りたい(ただ、それだけ)
院。  自分を守ることだけ。
頼朝。 武士の世を作る。徹底的に情を排除したいが、できない。
義経の部下。 何も考えず、疑わず御曹司についていく。(一人ひとりに物語がない)
そして、
義経。
ひたすら、ひたすら、ひたすら、
新しき国を目指す、
ひたすら、ひたすら、ひたすら、
よい人。
そして、物語は美しく単調に進んでいきました。

うううう〜〜〜〜んんん。
人物像、感情の浮き沈みの描き方が甘い。表面的。
どうして自分の感情をトコトン、トコトン掘り探らないのだろう?
徹底的に、頼朝を恨み、罵り、己の悲運を嘆きながら、
落ちていく義経がそこには描かれていない。
ひたすら美しい、御曹司がいるだけ。
何かと言えば「新しき国」と言う御曹司が。

頼朝についてもそれは言えているよう思うのです。
情に捉えられ、情に絡まれ、情に溺れていく、
そんな弱さを、最終回、頼朝の涙で表したいと脚本家は思ったのだろうか?
しかし、それは、ドラマのテーマをさらに曖昧にしたと思います。
「あんたね、、、泣くくらいなら、義経を討ったりなんかするなよなぁ」って感じで、
私は、頼朝の最後の涙には怒っていました。
あれは蛇足だと思います。
視聴者を泣かせようと、
感動的に作ろうとし過ぎたのでしょうか。
視聴者が泣く前に、当事者たちが泣いてどうすんねん!と思っていたのですが、、、

全体に、中途半端な装丁で最後まできた感がします。
全国あちこちに散らばっている義経伝節に拘りすぎたのか?
ならば、徹底的にオカルトチックにするとか、
あるいは親子、兄弟、男女の愛を詳らかに描くとか、、、
はたまた怒涛のように動く時代に奔流されていく人々の「国造り」物語にするか、
いろんな切り方はあったろうに。
この全てをとろうとして、
全てが半端でした。

そんなわけで、
感動も中ぐらいでしたが、
ただ、一人ひとりの俳優さんは、みんな迫力があり、
好演なさっていたと思います。
それだけに、
脚本の持っていきかたが残念だった、、、
と、私は思います。
これは、
あくまで私の感想です。

|

« 今晩はシドニーFC戦 | トップページ | 異常と正常 »

コメント

お久しぶりです。急に寒くなりましたね。
最終回、私も見ましたよ。昨年も大河の最終回のことでお話しましたよね。

 私も昨年の「新選組!」とくらべるとパワー不足というか、人物の描き方がいまいちだと思っていたドラマでした。大河は毎年、中学生には歴史を学ぶにいいよと薦めていたのですが、今年の大河はオカルトというか、超常現象がやたらと出てくるのはどうだろうかと思いましたね。

 新年には、あの三谷さんが書いた「新選組!」の続編がNHKでドラマ化されて放送されるそうですね。それも、大河と同じキャストで。こちらはなんとか正月休みのうちに見られそうで、ちょっと楽しみです。

投稿: Rough Tone | 2005.12.12 19:44

僕は、NHKにある種の偏見を抱いているので、ほとんど見ることがないので大河ドラマも見ていません。ただ、日本のエンタテインメント作品に関する一般論として、宮台真司氏が語っていたことが当たっているだろうと思ったので、ここに書かれていることも、おそらくその一般論が当てはまる例なんだろうなと感じました。

宮台氏によれば、日本のドラマ作品というのは、感情の琴線に触れて、そこを揺さぶることで感動を生み出そうとする手法に偏りすぎていると言うことでした。これは、ハリウッド映画にもそのようなテクニックはあるのだそうですが、ハリウッド映画は、表現としてのメッセージ性を捨てていないので、楽しんだ後にも何かを考えさせられるというのです。

しかし、日本の作品は、見終わった後に、ただ気持ちのいいカタルシスがあるだけで、それについて何か考えるなどと言う面倒なことをすべて省いてしまっていると指摘していました。何か考えることは、作品をつまらなくしてしまうだけなので、考えずに感動するものがいいのだという考えがあるようです。ただ泣ける、ただ感動するというのが日本の作品に一般的に当てはまる特徴だろうと語っていました。

中国人の葉千栄さんは、宮台氏との対談でこのようなメンタリティを「演歌的」と表現していました。とにかく感情を揺さぶられることが気持ちいいと言うことで、その感動を遮るような理性的な考えが入ってこないものを「演歌的」と呼んでいました。

日本の作品がこのように単純なエンタテインメント性しか持てないのは、それを求める聴衆の方にも責任があるようです。考えるような作品はヒットしないというものがあることで、考えない作品が作られていくようです。

メッセージ性のある考える作品はつまらなかったのでヒットせず、単に笑わせるだけだったり、泣かせるだけだったりする作品ばかりが席巻するという悪循環の中に、日本の作品があるようです。このような悪循環にピリオドを打つのは難しいのだろうなと思います。

日本のテレビは、これからますます水準を下げていくのではないかと思います。その時に、お隣の韓国の作品の方が高い水準を保つことになれば、その時になってようやく日本の創作者も、低い水準の視聴者に合わせるのではなく、本当に優れたものを求めるようになるのかも知れません。

投稿: | 2005.12.12 23:15

Rough Toneさん。
秀さん。
こんにちは。
コメント有り難うございました。


Rough Toneさん。
寒くなりましたね。
早いもので一年が経ちますね。
私もこの記事を書きながらあなたのことを思い出していました。
さて、
ブログ、いつも拝見させていただいていますが、お忙しかったようですね。
今日のエントリー、壮大でした。
宇宙人かぁ、、、
いいですね。
夢があります。
私もいつも、「人類よ、戦争なんかしている暇はない」と書いているのですが、、、
世の中、ますます混迷してイヤな事件が多いです。
大人社会の反映でしょうね。
責任を感じます。
また、いろいろご意見、お聞かせくださいね。
では、季節柄お風邪などひかれませんよう、お大切に。


秀さん。
蘊蓄深いコメント、有り難うございました。
さすが〜〜〜って思いながら読ませていただきました。
以前、ディベートの記事を書いた折も 秀さんからコメントを頂いたこと覚えていらっしゃいますか?
その時、「コメントが役に立つ」という記事のトラックバックを頂いたのです。
その事を思いだしながら読ませていただきました。
さて、
本当に仰るとおりだと思います。
考えることを放棄してしまった感性とは、
快感、独善でしかないと私は思います。
快い陶酔の涙を流すことは、涙が乾いたら、すぐ忘れてしまう変わり身の早いものである気がします。
以前の日本映画は、もっとゆったりと、しっとりと心の襞の一つひとつに染み込んで来たと思うのですが、、、
文化を楽しむ素養が失われて来ているのでしょうか?
お金だけが、価値がある。
競争に勝った者だけが偉い。
そんな世の中になってくるのでしょうか?
愚かなことです。
さてさて
今日のあなたのエントリー、かなりシビアに読ませていただきました。
大人も、子どもも、
待ち受けているのは、かなり厳しい現実であると実感いたします。
ため息ばかり。
ふっ〜〜〜〜

また、いろいろコメント、ご意見お聞かせください。
では、インフルエンザの季節。
お体、ご自愛を!!!

投稿: せとともこ | 2005.12.13 15:19

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/15797/7585765

この記事へのトラックバック一覧です: 義経最終回:

» さらば義経 [ららら★E!blog*自分TV*amuk]
終わり方の演出としては、としては、昨年の新撰組のほうが、泣けました。覚悟したとき [続きを読む]

受信: 2005.12.12 20:09

« 今晩はシドニーFC戦 | トップページ | 異常と正常 »