良寛様
今日は良寛忌です。
私は良寛が大好きです。
このブログでも何回か、良寛の俳句や漢詩を取り上げたことがあります。
(止まらぬものは 涙なり
人心各不同 如面有相違
さっきから本棚の中に眠っていた古い本を手にとりながら、
良寛様のことを偲んでいました。
なんだか、どこからどう書いていいのか分からないくらい、
胸が一杯になります。
一般に知られてい良寛様は子どもたちと童歌を歌いながら長閑に日々を過している素朴な坊様です。
晩年の良寛は、「愚の如くして寛し」の言葉通り、
全てを受け入れ、全てを赦し、そして全てを昇華したイメージがあります。
確かに、それも良寛です。
しかし、
また違った面、つまり人間良寛の生々しい感性の蠢き、悩みががまこと真摯に躍動したのも晩年でした。
それは、
貞心尼との美しい恋。
「これぞこのほとけのみちにあそびつつ
つくやつきせぬみのりなるらむ」
貞心尼がはじめて良寛に送った歌です。
意味は、
「あなたは手まりで遊んでいらっしゃいますが、あなたの撞く手まりの撞いても撞いても撞き尽くせぬように、あなたのなさることはみな尽きることのない御法なのですね」
です。
この歌に感動した良寛は早速、返歌。
「つきてみよ ひふみよいむなや ここのとを
とをとをさめてまたはじまる」
意味は、
「手まりをついてごらん、1,2,3,4,5,6.
7,8,9,10(ひふみよいむなや ここのとを)
10と納めてまた始まる。
これは仏堂の修行も歌の修行もみな同じ。これでいいということはない。
私と一緒に歌、仏道を修めてみないか」
です。
今で言うプロポーズ?
ではありませんが、
こうして良寛と貞心との師と弟子は、
仏道、歌について語らい、人生について思いを表していくうちに、
お互いの静かで優しくて美しく激しい恋へと進むのです。
「色即是空、空即是色」の仏道にあって、
二人の関係は、人の口に上る事もありましたが、
良寛自身は、「貞心は仏様のはからい」と思い、
自然に振る舞いました。
愛する者への思いを押さえる必要はない。
ただひたすら自然に、、、
貞心にとっても初めは人の目、口を気にしていたものの、
いつのまにか、良寛様との愛を貫徹することこそが仏の光りに照らされていると得心。
〜〜おのずから ふゆのひかげのくれゆけば まつともなきに はるはきにけり〜〜
しかし、
瑞々しい良寛の心も、肉体の衰えには抗することはできない。
齢七十。良寛は病の床に伏す。
病に倒れた良寛を貞心は見舞う。
「いきしにの さかいはなれて すむみにも
さらぬわかれの あるぞかなしき」
と、詠む貞心に良寛は応える。
「うらをみせ おもてをみせて ちるもみじ」
これは良寛の自作ではないそうですが、
咄嗟にこの歌を口ずさんだ真意は後に次のような解釈がなされています。
「貞心、お前には裏も表も全てを見せた。そして安心して散っていくよ」
と。
天保二年正月6日。
午後四時、良寛様は最後の息をひきとりました。
今日はこの良寛様の命日です。
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