自分の感受性くらい
ぱさぱさにかわいていく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
何もかもへたくそだったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
(自分の感受性くらい 茨木のり子 より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
このところの政治の動きを見ていて、
それに翻弄される自分がいる。
自分で自分に語りかける。
「おいおい、何を見て、何を考え、
何を解釈するか」と。
そんな時、思い出したのが、茨木さんの「自分の感受性くらい」の詩です。
「ぱさぱさにかわいていく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて 」
ドキリとします。
自分と向き合い、自分の心に丁寧に語りかける事をしなくなって可成経つ。
「気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか 」
しなやかな心、優しい心、溢れる思い。
なんだか遠くなったのだろうか?
「苛立つのを
近親のせいにはするな
何もかもへたくそだったのはわたくし」
うわっぅ〜〜〜
ドキリ、ドキリ。
いつも家族にしかられています。
もっとウマイものを作れと。
いやぁ、これは体にいい、と言えば、
家族は言う。
体に良い物より、ウマイものが食べたいと。
「初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄 」
見透かされそうです。
いつも探しているのかもしれない。
言い訳を。
鷲掴みにされます。心が。
「自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ」
本当に、
本当に。
やはり、自分を信じていこう、、、
自分の感受性を守り、磨き、
やはりたゆたうことなく、しなやかにやわらかくいこう、、、
ばかものよ、、、
と、自分で喝をいれながら。
楽しんでいこう。
自分の感受性くらい、
自分で信じていきたい。
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コメント
自分の感受性くらい自分のものであるという確信を、やはり持ちたいですね。そうしないと、たとえ間違った場合でも、その間違いが教訓になりません。
マスコミの宣伝することに知らないうちに慣らされて、テレビのコメンテーターと同じことを語っていないかに注意しなければなりません。もし、コメンテーターと同じようなことを語っていたら、自分のレベルの低さを反省しなければならないと思います。
尊敬する優れた人を手本にするのも、注意しなければならないことが一点あると思います。僕は、宮台氏や神保氏と、観点や判断が一致することを嬉しく思うのですが、それが本当に自分の感受性で判断したものなのか、宮台氏や神保氏を単にそのまま鵜呑みにしているだけなのかは、常に反省しなければならないと思います。
そのためには、どのような論理の流れで、自分がそのような判断をしたのか、自分の感受性の個性がどこにあるのかを、常に確認するようにしなければならないなと思っています。
投稿: 秀 | 2006.02.25 17:06
秀さん。
おはようございます。
コメントありがとうございます。
>自分の感受性くらい自分のものであるという確信を、やはり持ちたいですね。そうしないと、たとえ間違った場合でも、その間違いが教訓になりません
本当にその通りだと思います。
間違っても自己批判こそすれ、ひとのせいにすることは決して在りません。
自分で自分の判断の拠り所を、
しっかりと把握しながら進んでいくから、
どこで、どう取間違えたか
自分で検証ができます。
私の場合、
今回の「判断ミス」は、
前原代表の最後まで(?)自信(?)をもっていたことです。
まさか、党首討論で何もないのにあそこまで大見得きれるとは、私の常識にはありませんでした。
と、いうことで、
今回のメール事件の教訓は、
「情報の真贋を見分ける自分自身への確認を怠らないこと」でした。
そう言う意味では、私自身はとても勉強になりました。
それにしても、
今後の民主党、どうなるのか???
注目です。
さらにさらに悪法が出て来ている今日。
これらに立ち向かうためにも、
感情ではなく論理がますます必要と思います。
これからも色々お教え下さいね。
楽しみです。
では、、、また。
投稿: せとともこ | 2006.02.27 11:24