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2006.02.09

ゆとりから言葉の力へ

学習指導要領、「言葉の力」柱に 全面改訂へ文科省原案を出す予定だそうです。
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 「ゆとり」から「言葉の力」へ。約10年ぶりに全面改訂される次期学習指導要領に、学校のすべての教育内容に必要な基本的な考え方として、「言葉の力」を据えることがわかった。文部科学省が近く、中央教育審議会の部会で原案を示す。「言葉の力」は、確かな学力をつけるための基盤という位置づけ。学力低下を招いたと指摘を受けた現行指導要領の柱だった「ゆとり教育」は事実上転換されることになる。

 指導要領は、日本の学校の教育内容を方向づけるもので、すべての教科や教科書検定などの基本になっている。今回原案が示す「言葉の力」は次期指導要領の理念にあたり、現行の「ゆとり」に代わるものになる。今後、これに沿って各論の議論に入り、各教科の授業時数などの教育課程を詰める。文科省は07年度までに全面改訂を終える予定。それをもとに、教科書編集や教育現場への周知の期間を置いたあと、次期指導要領を本格実施する。
(上記ニュースより)
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「ゆとり教育」が広く世間に知られ、
物議を醸したのは、主には、二つの学習指導要領の改定と週休5日制の採用と重なります。
一つは、
1989年(平成元年) 学習指導要領の全部改正。
学習内容、授業時数の削減。
二つ目は、
1992年(平成4年)から第2土曜日が休業日に。
1995年(平成7年)からはこれに加えて第4土曜日も休業日となる。
三つ目は、
小学校の第1学年・第2学年の理科、社会を廃止して、教科「生活」を新設。
1999年(平成11年) 学習指導要領の全部改正 (2002年度〔平成14年度〕から実施)
学習内容、授業時数の削減。
完全学校週5日制の実施。
「総合的な学習の時間」の新設。
(上記wikipedia.参考)

私は、この三つにそれぞれの思い出があります。
「ゆとり教育」が叫ばれ、
詰め込み教育が批判され、
従来の教育を落ちこぼれ教育と評して、
教科書は、年を追う毎に薄くなりました。
親たちからは、不安の声だけが聞かれ、
教師からは、何故か現場の過重な負担の声だけが聞かれました。
何回も、何回も、
現場の教師と保護者が話し合い、
知恵を出し合い、
どうにかして子どもたちに学ぶ喜びを与えたいと願いました。
どぶ川学級の映画を見たり、
無着成恭の本を読んだり、、、
はたまた「わらび座」の方針を聞いたり、
いろんな本を読んだり、
と、
あの頃、みんな必死で新しい文部省の教育方針「ゆとり教育」の本質を探り、
とにかく、とにかく子どもたちが健全に育つことを願っていました。
しかし、
勉強すればするほど、
知れば知るほど、
文部省の方針が、机上の論理であるという感を拭うことはできませんでした。
特に、思い出すのは、「総合学習導入」の時。
国立大学の教育学部主催で、
一般公開講座をしたときのこと。
文部省からも、お役人が見えて、その趣旨を説明。
その折、多くの現場の教師から、
「総合学習」の意味を問いただされました。
説明のお役人は、
「とにかく子どもたちを平等に教えていく」の一点張りでした。
揚げ句、
全国どこの学校でも、
同じメニューで総合学習が展開。
教科書は大幅に削減。
全ての子が分かる授業、、、が合い言葉。
こうして、
多くの、多くの関係者を不安に陥れた「ゆとり教育」は見切り発車をしたのですが、
結局、終点に行く前に方向転換。

ゆとり号にのって走った子どもたちには何が残ったのか?
あの時大見えを切って、会場の私たちを黙らせた説明官は今、何を思っているのだろうか?
学力は全体に落ち、
子どもたちの格差は広がり、
ニッチもサッチもいかなくなって、
ゆとり教育の見直し、とはあまりにお粗末。
教育は時間がかかります。
結果が出るのは10年、20年先です。

今回の「言葉の力」、
今後、どの様に進んでいくか、しっかり討論議論をしていく必要を感じます。
しっかり、
しっかり、
注目です。
今後も引き続き拘っていきたいと思っています。

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コメント

 たしかに、「ゆとり教育」は理想を追い求めすぎた感がありますね。机上の空論とまでは僕はよぅ言いませんが、議論が煮詰まらないままに作り上げたのは事実でしょう。
 まぁ僕個人的には、詰め込み教育は異常だと思うし、それを異常だと思わない大人の感性も異常だと思ったりしますね・・・何もそこまで勉強させなくても、勉強させてどないするねん、なんて思います。そういう子供が大人になって、「勉強は苦しいもの、辛いもの」なんてふうに思うのはとてももったいないことですよね。
 もっと自然体で、子供が吸収したいというぶんだけ吸収すればいい、それが教育の本質だと思うし、それが本来の「ゆとり教育」だったと思うんです。
 それにしても「言葉の力」というのも、具体的なようで抽象的で、最近の「日本語ブーム」に乗ってるだけとちゃうのん?なんて思ったりしてしまいます。

投稿: 評論評論家 | 2006.02.09 23:49

評論評論家 さん。
こんばんは。
コメント有り難うございます。

そうなんです。
そうなんです。
学力をあまりに追求すると、以前のような詰め込み教育になる。
しかし、
ゆとりにすると学力が落ちる。
ではどうする、、、
となるのです。
ただ、私はこの間の文科省のやり方を見ていると、
「子どもたちの伸びる力」を信じていないということがよく分かりました。
例えば、中学三年生の数学から「二次方程式の解の解法」を削減したときの理由。
「こんな難しい物は子どもたちが分からない」
でした。
一事が万事この考えで教科書からポロポロと論理がこぼれ落ちていったのです。
これじゃ、出来る、出来ない以前の問題だといつも思っていました。
つまり子どもたちから「学ぶ喜び」を奪ったのです。
そして、今になって「ゆとり」の間違いを、それも学力向上という理由で変更することに本当に怒りを感じます。
総括、反省、謝罪をしてもらいたい。
そして、今後この様な失政を子どもたちに強いて欲しくありません。
と、いうことで、結構この問題については文科省に怒りを覚えている私。
これからもじっくりとやり方を見ていくつもりです。
また、ご意見、アドバイス待っています。
では、、、
お風邪引かないように!!!

投稿: せとともこ | 2006.02.10 18:39

 「ゆとり」。
 僕は良いことだと思います。ギュウギュウに詰め込んで暗記だけの学生生活を思えば格段に良いですよ。
 ただ、いままで詰め込み教育で育った人間ばっかりのこの日本で、いったい誰が「ゆとり」を教えられるのかってところが机上の空論って気もしますがね(笑)。

 次は言葉ですか。
 僕にはあまりにも基本的すぎて「いまさら何いってんの?」って気がしてなりません。英語の解説だって算数の解き方だって日本語で解説しているのにね。
 んま、今の若い子たちの言葉を見れば、ココから教えていかなきゃならないのかもしれませんが……「日本語を教える」って……なんか外国人向けの教育みたいでやだなぁ。

投稿: ろぷ | 2006.02.12 06:30

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