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2006.04.04

フランスの解雇規制デモ

フランスでの青年の解雇規制に反対して5度目の全国スト・デモ突入と言うニュース。

事の初めは、
ドビルパン首相が1月半ばに打ち出したCPEの内容。
〜〜二十六歳未満の若者を対象に、通常1—3カ月の「試用(見習い)期間」を2年間とする。
この間、解雇を自由にする〜〜
というもので。
つまり企業の採用意欲を高めようという意図でした。
その際、企業には社会保障費負担分が3年間免除。
新採用者の若者には住宅費融資や契約破棄の場合の失業手当受給資格を有利にする措置も盛り込まれました。

今、フランスの29歳以下の若者の失業率は23%。
ほぼ4人に1人が就職できないという現実。
この問題の解決にドビルパン首相が考えたのが、規制を緩和し市場に任せれば雇用は増えるとする新自由主義的な発想に基づき「2年間の解雇自由」という前例のない措置だったことはこの間の新聞やテレビで知るところです。

これを受けて、CPEの提案直後から、
学生団体と労組との共同闘争が組まれ、
CGTをはじめ6労組と全国学生連合、全高連が1月24日、共同して、
「CPE撤回」を統一スローガンに、
2月7日の全国統一行動を呼びかけたのが始まりとなりました。
それ以来今に続いています。

この運動は当事者である学生や労働組合だけでなく世論の支持も広がりつつあります。
1月末には「若者の失業を減らす」と回答した人が過半数で、CPEに理解を示す人が多かったのですが、3月半ばには「CPE撤回」が68%になりました。
また学生たちの行動への「支持」と「共感」も63%に達しています。
学校父母会も「子どもたちの明るい未来のために」と学生や高校生の行動に支持の立場を明らかにしました。
その背景には、CPEの内容の批判ばかりでなく、
首相の手法にも向けられているようです。
慣行となっている労組代表らとの事前協議を無視。
国民議会(下院)では審議打ち切り、
表決なしの法案採択。
など憲法にもとづく政府の例外的強権を発動したことが反発の大きな理由です。
世論の圧倒的な支持をうけている今回のデモ・ストライキに及んでも、
当のドビルパン首相は「譲歩しない」ということだったのですが、遂にシラク大統領が制度の修正を提案。早急にはスト・デモの収束には向かわないものの事態の解決の緒になればと思います。

一方この動きはお隣のドイツにも影響を与えています。
ドイツでは昨年の選挙で成立したキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)と社会民主党(SPD)の二大政党が連立政策綱領で新規雇用労働者の解雇規制緩和で合意していました。
しかし、相次ぐフランスのデモなどの影響を受けてか、
ここへきて、労組、経済界の左右から批判が相次いでいます。
そして遂に、ミュンテフェリング副首相兼労働社会相(SPD)は3月に法案として審議開始する予定だった解雇規制緩和案の「凍結」の可能性まで打ち出しました。

二大政党の連立綱領の解雇規制緩和は、新規雇用者の「見習い期間」を現行の6カ月から24カ月まで可能とする一方で、この期間内であれば企業の都合により自由に労働者を解雇できるとするもの。フランスで大反対運動が起こっている「初採用契約」(CPE)に比べ、年齢制限はないものの似ているというか考え方は同じです。

いずれの場合も「労働者使い捨て」の発想を出発とする法案には、
「ノン」「ナイン」をはっきりと突きつけることが必要です。
ところで、我が国のニート問題。
若者たちの潜在的な能力を引き出し、活用する場の提供を国が率先して行うことの大切さを思います。
粘り強い運動が必要では、と考えます。
どの国においても、次代を担う若者たちが、
イキイキと才能を開花できる社会であるために、
今、大人である私たちの責任の重大さも感じたフランスの出来事でした。

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コメント

フランスのデモに関しては、若者たちの行動を大人たちが理解して支持していることを、宮台真司氏も指摘していました。そして、このようなことが日本で見られるだろうかという疑問も語っていました。

日本では、大人たちの大半は、若者は怠けている・あるいはだらしがないから働かないのだと見ているようにも感じます。時代の違いというのを敏感に感じ取る大人が少ないのではないかと思います。

かつて仮説実験授業研究会では、努力しさえすれば報われる期待が出来たエリート教育の時代と、努力が報われる期待が薄れてきた大衆教育の時代とでは、学習のモチベーションが違うのだと主張していました。

意味も分からず暗記するような教育でも、その努力が報われるという見通しがあれば、人間はかなりそれに力を注ぐことが出来ます。明治維新のころなどは、それこそ辞書を書き写して勉強する意欲が人々にはあったといいます。今は簡単に辞書が買えても、勉強の意欲はかなり衰えているのではないかと思います。

そのような時代に生きている子供たちには、道徳を押しつけて努力せよと言ってもダメなのだと、仮説実験授業研究会では考えていました。学ぶ内容そのものに強い関心や好奇心をかき立てるものがなければならないと考えたのです。仮説実験授業研究会は、そのような発想で授業を作っていました。

若者たちの意欲が減退しているのを、時代の違いと捉えるか、彼らの道徳心の欠如と捉えるかは、視点の違いだと思いますが、その視点の違いによって若者の理解というものが違ってくるのではないかと思います。

投稿: | 2006.04.05 07:53

秀さん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。
仮説実験授業ですかぁ、、、
私も子どもたちに理科実験を教えているときは、
必ず予想をたてさせ、その予想に対してどの様な実験をするか、、、などなど考えさせるようにしています。そうしたとき、低学年の方が発想が豊かだったり、或いは学校のいわゆる成績が奮わない子の方が柔軟であったりするのです。
そうしたとき、俄然嬉しくなります。
今、「自分以外は馬鹿」に見える若者たちという本を読みかけています。
読んだらまた書きますので、その時はご意見やアドバイス頂けると嬉しく思います。
そうそう、秀さんの以前のエントリーで「無限論」の本について書かれていたのありますよね。私も読んだことがあるので早速本棚から取り出して読みました。
難しかった^^;
秀さんの解説片手にしても、やっぱり難しい^^;
こんな私ですが、これからも宜しくお願いいたします。
では、、、また。

投稿: せとともこ | 2006.04.07 16:20

せとさんが言っている本が『他人を見下す若者たち』(速水敏彦・著、講談社現代新書)だったら、僕も持っています。これは、帯に「自分以外はバカの時代!」と書かれていて、このセンセーショーナルな言い方が目につく本ですが、中身は以外に穏やかで実証的な本だったので買いました。

これは、感情的には、勘違いした全能感から生まれる他人蔑視ではないかと僕は感じています。かつて本多勝一さんが書いた『子供たちの復讐』には、有名進学校のエリート意識を持った高校生の大衆蔑視が報告されていました。強い全能感は、肥大した自尊心と、その裏返しの大衆蔑視が感じられました。

本多さんの本では、大衆への蔑視と恨みを綴った高校生が、その代表だと見ていた家族を殺害する過程を報告していました。それを読むと、意識としては強いエリート意識を感じましたが、実は存在そのものは全然エリートではなかったと言うことが、かえって大衆蔑視の感情を高めていったようです。

自分が高い価値を持った存在であるという自尊心は、相対的なものであり、他に比較するものがないとそれが確かめられなかったのではないかと思いました。他と関係なく、自分の基準で自尊心を維持すると言うことが出来なかったのではないかと。

だから、自分の価値の高さを確認するために、他人が低い価値であると言うことを確かめずにはおられなかったのかなと思います。そのような感情と同じものが、この本で語っている現代人の感覚にはあるのではないかと感じます。かつては、エリートから落ちこぼれた人間が陥る勘違いだったものが、今ではエリートでも何でもない普通の人間たちにも蔓延する時代になってしまった。そういうふうに現代社会を捉えることが出来るのではないかと思います。

「自分以外はバカに見える」というのは大いなる勘違いだと思います。それは、誰にでも優れている面があれば、劣っている面もあるという、ごく当たり前のことを、一面的に自分の優れている面と、他人の劣っている面を肥大化させた勘違いだと思います。インターネットでも、物知りの「お勉強家」は、知識の多さで、知識の少ない人間を見下すところがありますが、それは、百科事典とでも争えばいいくだらない優秀さに過ぎないのですが、大いなる勘違いが肥大した自尊心を支えるためには必要なのだろうと感じます。

僕は、今一流と二流というものにこだわって考えていますが、「自分以外はバカに見える」人間は、間違いなく二流の人間だろうと思っています。一流の人間だったら、他人の優れている面にこそ注目するものだと思うからです。

投稿: | 2006.04.08 09:40

秀さん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。
そうです、、、そうです。
秀さんが書かれている本です。
もう少ししたら読めますので、そのときまた書きますね、、、
さて、エントリーの「一流」「二流」は興味深く読ませていただきています。
>「自分以外はバカに見える」人間は、間違いなく二流の人間だろうと思っています。一流の人間だったら、他人の優れている面にこそ注目するものだと思うからです。

まさにそうだと思います。
ブログ界隈でも簡単に人を馬鹿呼ばわりしている「大人たち」がいます。
そうした記事を読むと「語るにおちる」という感がします。
相手への敬意、リスペクトのない文には想像性が感じられませんが、実は「一流」でなかったという事か、つまり人として。
肝に銘じなかければと思います。
秀さんのブログは本当に私の文を書くうえで、思考の道筋を明らかにしてくれる得難いものです。
どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。
また、いろいろご意見お聞かせくださいね。
では、、、、また。

投稿: せとともこ | 2006.04.10 16:12

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