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2006.05.07

新自由主義と教育基本法 その3

その2より続く

教育基本法前文をもう一度見てみましょう。
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われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
戦後教育の原点がここにあります。
戦前の国家主義と軍国主義を克服して、平和で文化的な国家や社会を形成するための第一歩として教育の力、役割が高らかに謳われています。
教育は全ての人々のものであること、、、
これは今では当たり前のようですが、当時では画期的なことであり、
またすべての人に公平に開放されていない現状が進みつつあることは先に見ました。
新自由主義は不公平、二極化を作りながら、その矛盾を教育現場に押しつけ、
「子ども・若者バッシング」を煽り、改革のエネルギーとしています。
では、現実にはどの様な進みで動いているか見てみましょう。

・臨教審(1984年〜87年)
臨時教育審議会は,
(1)21世紀に向けての教育の基本的な在り方,
(2)生涯学習の組織化・体系化と学歴社会の弊害の是正,
(3)高等教育の高度化・個性化,
(4)初等中等教育の充実・多様化,
(5)教員の資質向上,
(6)国際化への対応,
(7)情報化への対応,
(8)教育行財政の見直し,以上8つの主要課題を掲げて調査審議を行い、
その最終答申において今次教育改革の基本的な考え方として,
「個性重視」,「生涯学習体系への移行」,「国際化・情報化など変化への対応」の3つの原則を示したのです。
この臨教審以降、教育政策が大きく変わりはじめたのです。
まず、教育政策の基調が従来の保守主義から新保守主義に変わったことであると言われています。
一般に「新保守主義は、ナショナリズム、経済自由主義、技術オプティミズムの三者を武器とする現状変革の試みとして要約できる」とされています。
そして臨教審における教育の自由化路線が推進されました。

さらに臨教審を受けて、その後教育界は益々「教育」からかけ離れたになりました。
・第14・15期中央教育審議会
「新しい学力観」導入(1991年)
・第16期中央教育審議会(1998年)
・教育改革国民会議(2000年)
・「21世紀教育新生プラン」(2001年)
などがその後登場してきます。
勿論財界との関係が深いことは言うまでもありません。
・1995年の経済同友会から出された「公教育スリム化論」
などがあります。
90年代教育改革は露骨に「人材」「労働能力」と言う市場原理を教育に組み込みました。
次第に私たち自身が教育権、生存権を買い求める社会原理に巻き込まれる生活を余儀なくされてきていることに、
今の「危険なリアリティー」があると言われています。
昨年の12月のOECDによる学習到達度調査で日本の子どもたちの学力低下が問題になりました。
本来、学校で学ぶことは子どもたちにとって未知との遭遇、知る喜びに満ち溢れているものだったはずが、次第に子どもたちの興味は「点数、偏差値」に振り回されるようになり、勉強嫌いにさせられました。
この原因は文科省自らの改革の結果であるにも拘わらず、
責任は「勉強しない子ども」にあるとして、更に子どもバッシングを強めました。
そしてその解決策として「教基法」見直しをせまるというやり方が今の新自由主義の論理です。
とかく「愛国心」で問題を語られる教基法ですが、
ここでも何回も述べましたが、
教基法改正は新自由主義の憲法改正と共に総仕上げであることをしっかり見ていく必要があります。
この問題、これからも見ていきたいと思っています。

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