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2006.05.26

水上勉を思い出す

昨日、FAIRNESSさんから「偏見」と言うタイトルのトラックバックを頂きました。
今日は愚樵さんからビラミッド型・サークル型と言うエントリーのトラックバックを頂きました。
お二人のブログを拝見しながら、
何故か水上勉を思い出しました。
なぜですかね???
以前、と言っても水上が亡くなった直後の9月に書いた記事を読み返しています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
のたうち回り、自らを「愚かだ」、おろかだと、言い、
這いずり回って、その生を生き抜いた水上勉。
この本を読みながら、
私は「安心」をしました。
人間の極限に追い詰められた「愚かさ」は、まさに自分のものであり、
自分こそが、「この のたうち回っている水上勉である」。
「生きる」ということが、どんなに凄まじいものであるかを、教えてくれます。
そして、
「不浄である」人間に一縷の光を、確かに指し示してくれる本であると、私は思います。
人間が、間違いを犯す者であることは、古今東西、多くの哲学、文学で語られています。
間違いをおかす 故、
神(仏)は無謬である、と思いたい。
しかし、その神(仏)とて、人間が愚かな知恵で生み出したものである。
神(仏)もまた然り。
人は、神(仏)と共に、
愚かさを共有して、生きていかなければならないのでしょうか???
ひたすら、
愚かに、生きまくった水上勉。
そして、
真実を探し求めた水上勉。
その壮絶で迫力ある「生」は、
今、土に帰った。
本当に、
ほんとうに、
冥福を祈り、
そして感謝を捧げたいと思います。
ありがとうございました。
(以前の記事より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

この世の一切が全て「空」であると思えば、
瑣事ばかりの人の日常などは愚かなものである。
しかし、この愚かさが人間である。
「自分こそ愚かな人間はいない」と言い続け、書き続けた水上勉。
般若心経をひたすら、ひたすら読み、誦し、己の煩悩から逃れたい、救われたいとのたうち回りながら、
それでも、水上は言う。
「悩み多いこの世に、悩みのタネを撒いている私は、その種子の芽立ちによって、それぞれの業の花をひらかせて暮らしたい。妻子とともにのたうちまわっていきるしかないではないか。どこに安心立命などあるものか。
そんなものがあったらみせてくれ。
、、、、、」
そして、そして最後にこう結ぶ。
「正眼国師は、この私をどう思われるか。禅師は今は故人ゆえ、いくら赤穂の龍門寺にその木造を拝んで訊ねても、ご返事は帰ってこないのである。」
と。

壮絶な生き方で、人生を駆け巡り、波をくぐり抜けた作家、水上勉の本人曰く愚かな人生は、
愚かな人生で右往左往する私にとって、どんなにか心強いものだったろうか、、、
水上はやさしい。
愚かさを愚かさとして認め、受け入れ、そして一緒に流してくれる。

愚かであるが故にひたすらであった水上勉、その人をまた思い出しました。

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コメント

TB、コメントありがとうございました。
遅い田植えがやっと終わり、ほっと一息入れています。
「愚」とは「無知」のことではなく、「己を知らざるを知る」と言うことなんですよね。
「愚」の自覚が一生到達することのない「知」へのスタートですが、厄介なことです。

投稿: 早雲 | 2006.05.26 18:57

コメント、ありがとうございました。
私の記事から水上勉を連想していただけたなんて、光栄です。水上勉は尊敬する作家です。
「般若心経を読む」は「好き」と表現してしまうには畏れ多いと感じてしまう文章です。今の私にはまだ、これについて何かを書くということは出来そうにありません。
代わりといっては何ですが、妻の好きな「土を喰らう日々」について。
妻はこの文章の中にでてくる「畑と相談」という文句がお気に入りのようです、ってあれ? これは拙ブログに以前に書いたかも。ひょっとしたら瀬戸さんはご覧になったかもしれませんね。
なんだか中途半端になってしまいましたが、これにて退却します(苦笑)。

投稿: 愚樵 | 2006.05.26 20:11

早雲 さん。
愚樵 さん。
こんにちは。コメントありがとうございます。
お返事しようと思いながらもバタバタして遅くなりました。またお二人には別のエントリーでもコメントを頂き嬉しく拝見させていただきました。
勝手ながら、こちらでコメントをさせて頂く失礼をお許し下さい。


早雲 さん。
田植え、お疲れさまです。
肉牛の方で頂いたコメントにあるように、
実際、畜産は贅沢な食べ物ですね、、、
大方の農家は、採算が見合わなくて、結局やめてしまい、そこを大型のアグリビジネスがきれいにかっさあらっていくやり方は将来に大きな禍根を残すものと思います。
以前、バイオマスについて書いたことがありますが、
私も環境については興味がありますので、またお教え頂ければ、嬉しく思います。
さて、「愚」です。
早雲 さんの言われるように、
>「愚」の自覚が一生到達することのない「知」へのスタートですが、厄介なことです。

全く、厄介なことです。
私は悩むといつも上座仏教のサイトを訪れます。
別に帰依しているというわけではありませんが、
濃霧に覆われた私の頭と心に光がさし込む気がしています。
上座仏教は簡単で、有り難く、それゆえ奥が深い。
「余計なことは考えるな」
ただそれだけなのですが、、、、ねぇ、、、
なかなか到達できません。
ふと気がつくと妄想だらけ、薮だらけ(孟宗竹にかけたというお粗末な駄じゃれ^^;)
です。
と、いうことでこれからも宜しくお願いいたします。


愚樵 さん。
「たのしみ、、、」の方にもコメント頂きありがとうございます。
アイスブレイクですか、、、いいですね。そんな感じで多くの方と接することが出来れば至上の喜びというものでしょうか。
私個人の感想を書くことが許されるなら「反省はしない」という事です。
反省はやがて執着につながります。
「明極まれば則察にすぎて疑い多し」と言う言葉があります。
なんとなく、そんな言葉が頭をよぎったりしているのですが、、、どうでしょう???

さて水上勉さん。
そうですか。愚樵 さんの尊敬なさる作家のひとりですか。頂いたコメントを拝見しながら浅薄な自分の記事が恥ずかしくなります^^;
奥様は「土、、、」のファンでいらっしゃるとか。
あの本は水上の「土」に対する思い、食に対する思いから、生き方が問われるそんな本で私も大好きです。
私は以前、水上にはまっていたことがあります。
福井の暗さは、私の故郷の金沢に共通のものがあります。
あの頃は、まだ若くて読みきれていなかった気がします。
この歳(内緒です)になって漸く分かることもあろうあかと再び読み始めています。そうそう、ドストエフスキーも、、、
と、言うことで、これからもご意見やアドバイス頂けたらと思います。たのしみです。
なお、奥さまにも宜しく!!!

投稿: せとともこ | 2006.05.29 12:14

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