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2006.05.12

いよいよ華やぐいのちなりけり

年々にわがかなしみ深くして
いよいよ華やぐいのちなりけり(岡本かの子)

岡本かの子の駆け抜けた人生を思えば,
「年々にわがかなしみ深くして 」という表現は、
私がこれから話題にしようと考えているテーマからはずれているような気がします。
さらに、「いよいよ華やぐいのちなりけり」に至っては、
180度回転しているのではないかとさえ思うのですが、
しかし、今日の話題、「老いること」「死に逝くこと」の初めに書きたいと思い、さらには題名にもしました。

年を経ることは、人としての経験を積み重ね、
その多くは悲しいことや辛いことの思い出であります。
また、「老いた我が身」には初夏の木漏れ日さえ徒に物哀しい。
そんな「年々」を越えるごとに、
その悲しみさえ、やがて美しく艶やかに、香りたかく華やいでくる、スキップしたくなるような「命」の弾みを感じるところに歌人かの子の豊かでしなやかで、そして激しい感性を感じます。
普通は「老い」への積極的な讃歌として捉えられていますが、
私は逆説としての「寂しさ」を感ぜずにはおれません。

「老いること」は確かに辛い。
ここでも何回も書いていますが、体の節々が故障して、毎月あちこち医者通い。
引っ越しが多くて、いつも新しい環境で一から始める私にとっては、
唯一の友人であり心の支えは夫です。
しかし、夫は仕事で忙しくて帰りが遅い。
以前は子どもを通して出来た友達も、今は大きくなった我が子は地域の学校へは行っていない。
友達がいない。
誰もいない。
ふと気がつくと毎日、体のことばかり気にしている。
あっちが痛い。ここがきしめいている、、、と。
老いを通り越して「死」ばかりを考えていた時があります。
「あああ、、、癌だろうか。死ぬのだろうか?
死ぬときは痛いのか????」と。
そんな私にも新しい土地でやがて一人、二人、、、と友人が出来ました。
友人と話をしているうちに、
「あれ、、、私、どこも痛くない」と気がつきました。
もちろん、積ねた年齢分の「痛み」はあるのです。
が、その痛みを気にしない自分がそこにいました。
痛みは痛みとして、感じることが出来たとき、
良寛の言葉が実に心に染みわたりました。
〜〜〜災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。 是はこれ災難を逃がるる妙法にて候〜〜〜

実際、良寛はその死の間際まで病の床で苦しみのたうち回りました。
「言(こと)に出て言えばやすけし瀉(くだ)り腹 まことその身はいや耐えがたし」と。
まことその身はいや耐えがたしだったのでしょう。
死に臨み達観などする必要はない。
喘ぎ、うめきのたうちまわればいいんだ。
そして受け入れていく、、、ということでしょうか。

脳死、尊厳死。
今、この問題を考えながら先輩たちの死生観をちょっと覗いてみました。
そして思ったことは、
それが延命であろうと尊厳死であろうといずれにしても、
誰かがそばにいてくれたら、それは幸せなのか、と言うことです。
苦しむ私のそばにあなたがいてくれたらいい。
(夫は、その”あなた”を私にと言います。私も同様なので、これはどちらが先か、、、ですね。)
たとえ医療スタッフであってもソバにいてくれたらいい。
仮に誰もいない事態だったら、
同伴者である「私」とともに、、、
ということでしょうか。

「死」を考えることは辛い。
しかし死を考えるときこそ「華やぐいのち」を知ることが出来るという事でしょうか?
なかなかに奥は深い。
この問題、これからも考えていきたいと思います。
以前は、ニーチェの「永劫回帰」について書きましたが、次は「ツァラトゥストラ 」を書こうと、またぞろ本棚を漁って昔読んだ本を探しています。

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コメント

 なんだか私の事を言われてるみたいですね。
 死生観というものは人それぞれですが、尊厳死というものは有って良いものだと思います。
 まだ一般的には認められていないのですが、「尊厳死協会」というのがあって、そこへ登録すれば、本人の意思がなくなっても延命装置をはずしてくれるそうです。最高10万円までの費用がかかりますが、家族は安心して医師に訴えることが出来ると言うものです。
 私は代わりに承諾書を書いておけばいいと聞いたので、それを書いてあります。

投稿: hitoriyogari | 2006.05.13 09:46

hitoriyogari さん。
こんばんは。
コメントありがとうございます。

そうですか、、、延命装置についてその様なことがあるのですか、、、
参考にさせていただきます。
いずれ誰でもが迎えることですから。
いずれにしても「天命」を日々思いながらひたすら優しくとはいかない自分ですが、
そうありたいと思っています。
先日、気功の先生が次のように言われていました。
「明日死んでもいいように。
100歳まで生きてもいいように。
食べるもを食べ、会いたい人に会い、行きたいところにいく」と。
本当にその様な自然体でと願っています。
お互い、頑張りましょうね!!!
じゃ〜〜〜

投稿: せとともこ | 2006.05.15 20:34

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