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2006.05.29

やっぱり晶子と言えば

白桃忌の今日は、もうこれしかないでしょう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ああおとうとよ 君を泣く
君死にたもうことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとおしえしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

堺(さかい)の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたもうことなかれ
旅順(りょじゅん)の城はほろぶとも
ほろびずとても 何事ぞ
君は知らじな あきびとの
家のおきてに無かりけり

君死にたもうことなかれ
すめらみことは 戦いに
おおみずからは出でまさね
かたみに人の血を流し
獣(けもの)の道に死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
大みこころの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されん

ああおとうとよ 戦いに
君死にたもうことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまえる母ぎみは
なげきの中に いたましく
わが子を召され 家を守(も)り
安しと聞ける大御代(おおみよ)も
母のしら髪(が)はまさりぬる

暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻(にいづま)を
君わするるや 思えるや
十月(とつき)も添(そ)わでわかれたる
少女(おとめ)ごころを思いみよ
この世ひとりの君ならで
ああまた誰をたのむべき
君死にたもうことなかれ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
毎年、5月29日は書いていますね。
君 死にたまふことなかれを。
晶子にはいろんな顔があって、
一人称へと言う記事では、有名な「山動く日来る」の詩を載せました。
女性の権利を、一人称と称して高らかに歌い上げた晶子。
「すべて眠りし女(おなご)今ぞ目覚めて動くなる。
一人称(いちにんしょう)にてのみ物書かばや。
われは女(おなご)ぞ。
一人称にてのみ物書かばや」と。
しかし、晶子と言えば、その情感溢れる「みだれ髪」が一番素敵では、と私は思います。
ああ皐月でも書きましたが、
鉄幹を追ってフランスにまで行った晶子の情念。
==ああ皐月仏蘭西の野は火の色す
 君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟(コクリコ)==
です。
〜〜春みじかし何に不滅の命ぞと
 ちからある乳を手にさぐらせぬ
「みだれ髪」より〜〜

とは言え、
やはり今は、「君 死にたまふことなかれ」が実感として感じられる、きな臭いこの頃です。
あああ〜〜〜〜早く、晶子のあの情感を書きたいのに、、、なぁ〜〜〜
私としては。

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コメント

瀬戸先生、こんばんは。ふたたび怪盗ルパンです。与謝野晶子の詩にふらふらと誘惑されて姿を現しました。
「書く」とは、どういうものなんでしょう。これはおれにとっても大問題なんですが。しかし、少なくとも字面のうえでは、

>晶子のあの情感を書きたい

とおっしゃるのは矛盾ですよね? もちろん「あの情感」はすでに晶子が書いてるからという意味。ですから「書きたい」とおっしゃる気持ちは、「トレースしたい」に聞こえるんです。もっとはっきりいえば、「そう生きたい」と願う姿が浮かんできます。
やっぱり「書く」とは生きることなのかな? この記事を拝読して、そんな感想を持ちました。ではまた。

投稿: わど | 2006.05.30 00:18

 昌子は瀬戸先生のような空想的平和主義者ではなかったと思うよ。大東亜戦争のときには、四男のために「水軍の大尉となりて我が四郎み軍にゆくたけく戦へ」と詠んでいる。
 むしろ、その意識の変化に興味をもつのなら、先生もいこじにならないで、政治意識の変革を考えてみられたらいかがでしょうか(笑)。

投稿: 罵愚 | 2006.05.30 05:25

いやー、この歌、魂を揺さぶられますね。 人類理性の裏づけがあるからではないでしょうか。

21世紀の今、改めて膾炙しております。 感謝。掲載。


投稿: hamham | 2006.05.30 10:24

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