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2006.05.20

ラプラスの魔

愚樵空論の愚樵さんは、[空論]命は尊い?と言うエントリーで、他者の命が大切か否かという問いかけに端を発し、
それは実はフィクションであり他者の命を大切と感じることはできない。しかし考えることはできる。従って理念である。と言う考えから更に「時代の理念」にまで考察を深めていらっしゃいます。
また、FAIRNESSさんは「我々が決める事」というタイトルで自発的に決める事と実は意図的に決めされられている事の偶然と必然について書かれています。
そしてHPO:個人的な意見 ココログ版のひできさんは以前のエントリー「人は変われないのか?」の中で「社会というネットワークの形はノードである人の形に確実に依拠している。そして、現代という常に新しいテクノロジーが生み出されている社会において、これまで学習してきたことを白紙にすることがとても大事なのだろうが、人はなかなか忘れることができない生き物なのだ。」と言われています。
数学屋の秀さんは科学的考察を加えながら、さらに「地獄への道は善意によって敷き詰められている」と言う格言を用いて、人の思いと予想できない結果について語られます。

蘊蓄深い記事(寡聞にして未だ知らないサイト、ネットがあると思うとワクワクします)に遭遇すると、身の内が震えるような思いにかられます。

アシモフはファンデーションシリーズと言う本で「心理歴史学」という学問体系を作ったのだが、
その学問とは、
〜〜ある刺激に対して少数の人間の反応を予測することは難しいが、対象が何億という集団であれば、その反応は、関数によって確率的に計算することができ、結果として未来を予測できる〜〜
というものです。
夢中になって何度でも読みました。

多様な価値観と因果関係が複雑に絡み合っている今、
混迷のこの時期にあって、時々思い出すのがハリ・セルダンその人です。
「あああ、、、ハリ・セルダンは、今の状況を看破していたのかな?
人類が誤らないためにはどうすればいいのか予言してくれるのだろうかなぁ???」なぁんて
先の見えなさに嘆息しながら思っていたりして。

松岡正剛さんは、
ピエール・シモン・ラプラスの『確率の哲学的試論』の書評の中で、
ラプラスの確率としての確からしさについて説明をしています。
〜〜〜〜〜〜〜〜
「われわれは、宇宙の現在の状態はそれに先立つ状態の結果であり、それ以降の状態の原因であると考えなければならない。ある知性が、与えられた時点において、自然を動かしているすべての力と自然を構成しているすべての存在物の各々の状況を知っているとし、さらにこれらを分析する能力をもっているとしたならば、この知性は同一の方程式のもとにすべての不確かなことを取り除くであろう」。
この知性が「ラプラスの魔」にあたる。「ラプラスの魔」がいてくれさえすれば、未来もまた過去と同様にすべからく決定されることになる。
〜〜〜〜〜〜〜
なるほど。
「ラプラスの魔」はまさに「心理歴史学」かぁと思ったりするのですが如何でしょうか?
そして次のように結んでいます。
チョット長くなりますが引用。
〜〜〜〜〜〜〜〜
ラプラスが「完全なる知性」としての魔物を想定したことは、科学技術革命の根本を動かす画期的な拍車を発明したということになる。それはニュートンの時代においてはなお仮想されていた「神」に代わる知的魔物となり、科学と技術の代行神となり、その後はたとえば人工知能という代名詞にすりかわっていったものでもあった。
 しかしながら、このような「ラプラスの魔」の想定から多くの科学や技術が発展してきたということは、現代のシステムを成立させている根本基盤はちょっとした計算ミスで狂ってしまうということでもある。また、地震や津波の初期条件が確定できない以上、むしろ庶民の「恐れ」や「警戒心」のほうが現状の科学技術より重要だということになる。もっと重要なことは、そもそも科学ははたして初期条件の決定から構築されていいものかどうかということなのだ。
 こうしたことを考えていくと、いまだ「ラプラスの魔」の正体はほとんど解明されていないというべきだった。問題は、ライブドアにもフジテレビにも、「世界というシステム」につながるラプラスの魔すら見えなくなってしまったということなのである。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そうか、、、
ライブドアにもフジテレビにも、「世界というシステム」につながるラプラスの魔すら見えなくなってしまったということなのかぁ。
今、ここに在ることの必然や合目的性を考えたとき、
「ラプラスの魔」が実に魅惑的に迫ってきます。
知らないこと、知りたいことの多さに圧倒されそうです。
物理を研究している夫は、いつも私に言います。
「人類はまだまだ知らないことだらけだ。
人類最後の日でも解き明かされていない謎に包まれているかもしれない。
学ぶこと、調べること、謎を解くことで忙しい。
人は、戦争なんてしている暇はない」と。

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コメント

瀬戸さん こんにちは
TBありがとうございます。
一つ前に戴いたTBへのコメントを考えているうちにこちらのTBを戴いたのでこちらにコメントさせていただきます。
瀬戸さんのエントリーにも有りましたが、私も「確からしさ」から見た「偶然」が人にとってどんな意味を持つかに強い興味を持っています。
「偶然」という物があるうちは人は無知である。
とか
「偶然」があるから人でいられる。
とか
人と人との争いを本当にジャッジメントできるのは「偶然」でしかないのではないか
とか
紹介されていた愚樵さんのエントリーにも有った「フィクション」がフィクションである所以は常に偶然が存在する所にあるのではないか。
とか
今はまだ抽象的過ぎてモワーッとしてますが、そんなイメージが今頭をよぎってます。

ところで、愚樵さんの記事を教えてくださりありがとうございます。
なんか、自分では言葉にして表現しきれない苛立ちが少し晴れた気がしました。
それでは、また。

投稿: FAIRNESS | 2006.05.20 17:28

FAIRNESSさん。
こんにちは。
お元気ですか?
お母様、いかがでしょうか。
気にしています。

いつも別館も見ていますよ(^.^)
何回かトラックバックかけたのですが、届きませんでした。
どうもこの頃パソコン、ネット界隈が不振ですね、、、あちこちで言われています。

さて、愚樵さん。
FAIRNESSさんと絶対、感性があうと思っているのですが、、、
愚樵さんのところでもいつも教えていただいているのです。
いろんな方の豊な経験と深い知恵に満ちたお話を伺うことができるのは本当に嬉しく思います。
と、いうことでこれからも宜しくお願いいたします。
季節がらお元気で!!!

投稿: せとともこ | 2006.05.21 19:49

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