大学法人化のその後
国立大学が法人化されて、ニ年(2004年4月から実施)。
本来ならば、廃案になっていたかもしれない法人法案。
審議は難航、何度も中断。
政府側の陳謝、発言取消、訂正が相次ぎ、
その矛盾が明らかになったところの国会会期延長(イラク特措法のため)によって生み出された、いわば鬼子のような法案だったのです。
大学はどの様に変わったのでしょうか?
時の文部科学省大臣遠山敦子さんな言った。
「大学の自主性と自律性を確保するため」と。
当時、多くの大学人が法人化に反対。
その度に大臣と副大臣(河村建夫さん)は同じことを主張。
「大学の自主性と自律性を確保するため」と。
では現実にどの様に大学は変わったか?
自主性と自律性が確保されたかという点について検討、さらには法人化が何をもたらしたかについても考えていきたいと思います。
大学は以前は「評議会」と言って教学と管理運営を担う組織がありました。
しかし、これは廃止され、代わって「「教育研究評議会」と「経営協議会」が置かれるようになりました。
それぞれの大学の裁量が認められる学長選挙も学外者を含めての選考会議に委ねられる大学も出てきました。
また研究費に対しては「裁量経費」と言う名目で「掴み金」のような予算は増える一方、研究室割り当ての研究費は大幅に削減されました。
「大学の自主性と自律性を確保するため」は早々に破綻しているのですが(尤も大学人は最初から、その様な政府の言い分は信用していませんでした。何しろ玉虫回答もいいところだったのだから)
そもそも政府は、大学に「真理の探求」と言うロマンも役割も求めてはいません。
単に行政改革の一つです。
1998年の中央省庁等改革基本法で「独立行政法人」の制度が決定されました。
その流れの中で公務員の削減や各省庁再編などがあったのですが、国立大学もその例外ではありませんでした。
名前こそ「国立大学法人」ですが実態は独立行政法人です。
つまり目指すところは「減量化」と「効率化」です。
国立大学は文科省から中期目標を与えられ、その「業務」に邁進して遂行。
そしてその報告を文部科学大臣に報告というトップダウン方式が大学に堂々と乗込んで来たのです。
この仕組みをよくよく見ると、何かににているのです。
そう「教基法改正」法案のやり方、趣旨と。
つまり、教基法10条の廃止により、行政が教育に口出しするというやり方。
「教育振興基本計画の設定」により、教育が投資の対象になりうると言うことです。
政府によって価値があると認められたものには光があたり、予算がバンバンつく。
基礎研究などはさらに教育条件が劣悪になるというものです。
ひたすら国際競争に勝ち抜く人材と大学を要請していくと言う方向だったのです。
大学法人化は「教基法」の先取りだったのでしょうか?
「自主性・自律性」はもう今では死語と化しています。
一方、国民の私たちにはどの様なツケが回ってきたかという、もうこれしかありません・
「授業料値上げ」です。
以前の記事ですが参考にしてください。
高学費。
親の負担。
教育は、結果が出るのは20年30年後です。
すぐには分からないため、なんとなく見落として来ている大学法人化です。
しかし、この結果が出る頃には「日本人の頭脳」はどの様になっているのでしょうか?
戦後の動乱を乗り越え、そして世界に誇る先端技術を身につけた日本を支えていたのは「教育」です。
戦時中も火を消さなかった教育は、日本人をして「頭のいい国民」とさせました。「頭がいい」ということは生き抜く力があるということです。
それは一部のエリートだけを作ればいいというものではありません。国民全体が広く、深く教育に接することで保障されるものなのです。
今、この国は「教育」を捨て去ろうとしているのでしょうか???
未来の子どもたちのために、真理探求の喜びと意義を伝え、守ることの責任を重く感じている私です。
この問題、これからも考えていきたいと思っています。
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