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2006.06.06

放てば手にみてり

「放てば手にみてり」。
正法眼蔵 辨道話の言葉です。
「真理を得る最も優れた方法は座禅である。
座禅の修行によって執着を捨て、思いを手放し、心を空にすれば、真理と一体となった自由自在な豊かな境地が手に入る」と道元禅師は説いています。

うううう〜〜〜〜〜〜んんん。
欲深き自分ゆえ、なかなか今あるものは手放せない。
もっと、もっとと欲は限りなく膨れ広がり、
目の前にある欲にもうガンジガラメの自分がいる。
ちょっと、手放してごらん。
掌を広げてご覧。
と、言われても、首を頑として縦に振らない強欲な自分がいる。
つい先日も、トイレットペーパーの値段がが上がる、ティッシュペーパーが上がると聞けば、いっぱい買込んでしまい、狭い家が紙だらけで足の踏み場がない。
バーゲンで食材を買込むと最後まで使いきる前に腐らせる、、、
バカだね。私。と一人で笑って誤魔化しています、、、
今、持っているものにガチガチにしがみつき、振り回され、なんとも風通しが悪いったらありゃしない。
一度、全てを手から放り投げて、
がちがちのケチや、つまらない見栄や、偏見や、欲から解き放たれてみたら、
どんなに「心」が明るく楽になるだろう、、、


どんなに頑張っても握れるものなんてタカが知れている。
だから一度、執着から解き放たれたら、どんなにか心地よいだろう。

今日は、先に村上さんのことを書きました。
彼の罪は罪としても、
政治に及ぼす影響、経済界に巻き起こした不信などは、別のものとして、
村上さんが言い放った言葉「お金儲けすることは悪いことですか?」と言う言葉が、グサリと突き刺さります。
私は村上さんじゃないから、彼のような能力も才覚もない。
だから、私はできないし、行わないから捕まらない。
では、仮に私にそのような能力があったら行うだろうか?
とにかく、とにかく金儲けに日夜明け暮れ、馬車馬のようにひたすらお金を追い求める、そんな「私」になるだろうか???

村上さんは、人間なら誰でも持っている欲について、畳み込むように私の心に攻め入ってきました、、、
私は村上さんの立場だったら同じことをしただろうか???
考え込みました。
しかし、結論は
私は村上さんじゃない。
と言うあまりにも当たり前のことでした。
そんな思いが心を去来していたとき、ふと思ったのが、
「放てば手にみてり」です。


堀江さんも村上さんも、
そんなに頑張って独り占めしなさんな、、、
少しづつ、みんなが持っている方が心安らかであろうに。
と、無い者の私は思うのです。

上の正法眼蔵は次のようにも言う。
「学道の人、衣食(えじき)を貪る事なかれ」と。
そして言う。
人にはめいめい一生に備わった食べ量があり、寿命がある。分を超えた物は得られないとも。

分を超えた物を持つと、物以上に心忙しく猜疑心あふれ、孤独なことでしょう。
堀江さんや村上さん。
彼らの得た物、失った物の相殺をしたとき、
テレビで見ている私には、あまりにも教わることが多い。
彼らの使命は、
或いは、私たちに先人の知恵を身を持って教えてくれることにあったのだろうか、、、
彼らを見てると、実に「持たない者」の心安らかな一日の有り難みが分かるのです。

放てば手にみてり。
放つのは欲。
手に満ちるのは心豊かなその日の暮らし。
そして、政治はそんな庶民のささやかな幸せを守って欲しい、、、

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コメント

こんにちは。人にはそれぞれ備わった分がある、というのは本当なんだろうな、と思います。分際を知る、とかいうけど、焦っても心配してもどうせ晴れるときは晴れるし雨が降るときは降るように、自分に見合った幸せや不幸せは必ずやってくるのでしょう。

ただ、私は飢えてはいないからいいけど、テレビなどでは骨と皮になってお腹の出た子供など映ります。それに、スラムの近くに住んでいるので、ゴミ箱をあさったり道端で寝たり、角々で客を引く売春婦など毎日たくさん見ます。こういうのも、それぞれの人の業なのだろうと思うけれど、そういう人を目にするというのは私の業だろうし、それからどうする、というのが自由意志の領域なのかな、と思います。

私の職場は逆にすごくリッチなところにあります。高級ホテルに泊まるような人たちと毎日会います。彼らの富もまた、それぞれの徳に応じて引き寄せられた業であるのでしょう。毎日あまりにも極端な貧富を見るので、よくこういうことを考えます。業だと思うと、貧しさも豊かさも、どちらも「良い」こと。犯罪の被害者になることも、加害者になることも同じ。他者と関わりのない純粋に個人的な運命というのは存在しないと思うので、社会の現実として提示された全体的な運命という舞台設定の中でそれぞれがどう行動するかということが次の運命を作っていくのでしょう。

私の住んでいるところでは、何年か先にオリンピックが開かれます。一時的に雇用が増え、経済はすごく潤うでしょう。でも、観光の中心地に隣接したスラムの住人は退去を迫られると思います。売春の需要も増えるので、人身売買が懸念されています。たかだか1ヶ月だかの開催のためにハイウェイも作るので、何百年という古い木々がたくさん切られました。木は財産を持ってません。貧しい人の命なんて安いものです。この町では何十人もの連続殺人事件がありましたが、被害者が売春婦ばかりだったので警察が本腰を入れず、事件が拡大しました。オリンピックが終わったら、貧富の差はもっと顕著になると思います。自ら手放す貧困と違って、奪い取られる貧困は怒りを呼びますね。

投稿: 葉子 | 2006.06.07 01:13

葉子さん。
こんばんは。
示唆に富む深いコメントありがとうございます。
お返事しようと思ったのですが、
葉子さんのご意見を参考に別エントリーをたてようと思いますので、そのときはまたご意見いただけるとうれしく思います。
いずれにしても、
どうにかできるものと、そうでないものとをしっかり見極めて考えていきたいと思います。
私は、政治の貧困に関しては告発していきたいといつも思っています。
また、倫理や哲学に関しては、個人の掌にあるものと思い、これはこれでなかなか厄介です。
いろんな角度で見ていき、考えていきたいです。
また、ドンドン豊かな感性で感想などお聞かせくださいね。
では、、、、また。

投稿: せとともこ | 2006.06.07 22:59

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