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2006.06.10

時の記念日

今日、6月10日は時の記念日です。
昨年は、Carpe Diemと言うタイトルで記事を書きました。
古代ローマの詩人、ホラティウスの言葉で「日を摘め」と言うこと。
意味は、ラテン語で「今を生きる」という事です。

今日は有事(うじ)することと言うタイトルで、
玄侑宗久さんが、道元禅師の「時」に対する思いを書かれているサイトをまずご紹介。
有名な而今(にこん、じこん、両方の読み方があります)について書いてあります。
「たったいま」と言う意味です。
人は思いの中では、過去にひきずられ、
未来を心配して、「今」には生きていないことが多いようです。
このブログでも何回も書いていますが、
釈迦の言葉を改めて思います。
〜〜〜〜〜
過去を追うな。
未来を願うな。
過去は既に捨てられた。
そして、未来はまだやってきていない。
だから現在の事柄を、
それがあるところにおいて観察し、
揺るぐことなく、動ずることなく、
よく見極めて実践せよ。
ただきょうなすべきことを熱心になせ。
(中部経典)
ーーーーーーーー

「現在の事柄を、
それがあるところにおいて観察し、
揺るぐことなく、動ずることなく、
よく見極めて実践せよ。
ただきょうなすべきことを熱心になせ。」

何回読んでも奥深い言葉です。
なんだか勇気がでてきます。
とかく失敗ばかりの私。
いつも気に病んで、過去ばかり振り返っています。
「あああ、、、あんなことしなければ良かった。こんなこと言わなければよかった、、、」と。
もう、過ぎてしまって、
私からは手放され、遠くに一行ってしまった出来事なのに。
そんなこんなのアレコレに費やしている時間があったら、
「今」を大切に、
「今」を感じて生きていくことの方が、どんなにか「得」かと思います。

先日、以前子どもの高校の担任だった先生のお話を伺ったのですが、
先生曰く、
「一流の選手は、ポジティブなことしか言わない。毎日、まいにちイメージコントロールをしていて、
心のトレーニングをしている。失敗は振り返らない。決して反省はしない。ひたすらポジティブシンキング。」と。
先生は一時期、オリンピック選手に憧れ、かなりのところまで行かれたそうです。
それこそ一流の選手を数多く見てこられたそうです。
私はこのお話を伺って、家に帰り早速鏡の前で、
「ポジティブシンキング。私はキレイ」とやっていました、、、
そう言えば以前もわが麗しのヘップバーンで同じようなこと書いていたなぁ、、、ハッハッハッ。
この結果はともかく、
家族には明るい話題が振りまけそうです。

と、いうことで、今日は「時の記念日」。

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コメント

瀬戸先生、こんばんは。怪盗ルパンです。

>ポジティブシンキング。私はキレイ」とやっていました、、、
そう言えば以前もわが麗しのヘップバーンで同じようなこと書いていたなぁ、、、ハッハッハッ。

「ブログ美人」という言葉を流行らせたくなってきました。というよりおれとしては、
きみってきれい、かわいい子だな、
ってのが、やっぱり最強の口説き文句。とか次回の恋に手ぐすねを・・・。
いや、そんな記事ではありませんでしたね。
失礼しました。(▼_▼;)

とりあえず(と誤魔化しといて)、「Carpe Diem」で思い出しました。
『今を生きる』という小説がありましたよね? 10年くらい前に読んだので詳細な情報は忘れましたけど。当時のおれにとっては、なかなかの感動ものだった記憶があります。
あれから、ほんとうに「今にだけ」しか生きていない人間やってた感じがします。その結果が・・・(以下、省略)。

まあ何ですね。少しは先のことも考えろ、といわれてきた者としては釈迦も捨てたものではないなという感想です。不遜ながら(汗)。キリストも同じようなことを言ったのなら、わが意を得たりってもの。
ですが言葉は不思議なものですね。借金かえせと過去の亡霊が追いかけてくるので、どうやって振り切るのかがむずかしいところです。過去のシガラミってやつですね。中国も朝鮮も日本軍の悪行を忘れないっていいますし。
ひとたび、どうやって生きるのがいいか、なんて考えだしたら切りがないって感じもします。ああ、生きるのはむずかしい! と嘆いたあとで思うのは、これって「未来」を憂いすぎているからですよね? やっぱり釈迦やキリストは偉い人だったのか。

玄侑宗久さんの「有事(うじ)すること」も読んでみました。理解する前に、10%しか読めない文章でしたけど。でも、どうやらそこには、過去も今も未来もみんな一緒で区別するのがおかしいんだ、みたいに書かれているのかと。これが禅宗の悟りのひとつだとすると、待ち合わせに5分遅れただけでブゥッとふくれる彼女は寺に送り込んで座禅組ませるのも方法ですね。5分前の約束の時刻と遅れて到着した今の瞬間とは実は同じなのだと知れ、なんて。おれのほうも多少は反省するべきでしょうか。

とんでもないくらい、今日もとりとめないコメントになってしまいました。ではまた楽しい記事を!

投稿: わど | 2006.06.11 00:23

わどさん。
おはようございます。
楽しいコメントありがとうございます(^.^)

私も若い頃、よく待ち合わせでは怒っていたな、、、と懐かしく思い出しました^^;
あの頃は、それこそポストが赤くても電信柱が高くても怒っていました。
彼女も、わどさんのこと、とても好きなのでしょうね。
そこはそれ、複雑な乙女心と思って、禅寺か尼寺かは知りませんが、行けなんて言われませんように^^;
でも、とても楽しいコメント頂いて、ウキウキいたしました。ありがとう!!!

さて、「今」を生きるですか。
難しいですね。
本当に。
私は一人で悩みを作るタイプなので夫にいつも「ご苦労な性格」と笑われています。
なかなか、達観できない自分と対峙しながら、
それでもこんな自分を愛しく思いながら(^^;)
図々しく厚かましく頑張っています。
これからも、こんな私ですが宜しくお願いします。
そうそう、あなたのブログの記事、とても面白いですよ(^.^)
また遊びに行きますね!!!
じゃ〜〜〜

投稿: せとともこ | 2006.06.11 11:32

>有名な而今(にこん、じこん、両方の読み方があります)について書いてあります。
「たったいま」と言う意味です。

私の生齧りのハイデッガーの思想に相通ずるようにも感じました。

結構昔からの日本の思想にも西洋の思想に通ずるものがあるように感じております。

向こうの人もこちらの人も人間だということでしょうか。

而今、而今・・・ いい言葉ばですね。

投稿: hamham | 2006.06.12 18:47

hamhamさん、はじめまして。
ハイデガーは、どう言ったのですか?

投稿: わど | 2006.06.12 22:43

わどさん。 お早ようございます。

>ハイデガーは、どう言ったのですか?

ハイデッガー思想のキーワードは「世界-内-存在(In-der-welt-sein) 」、「現存(Dasein)」、「実存(Existenz)」だと、私は今のところ受け取っております。

ハイデッガーは今私に次のように呼びかけているように思えます。
------------------------------------
「わたしはだれか」と自分に問い、いわゆる日常性に埋没することなく、良心に導かれながら、二度と戻らぬこの一瞬をみつめ、決意を通じて、死を背負っている単独者としての自己の生涯を全うしようと。
------------------------------------

投稿: hamham | 2006.06.13 11:02

hamhamさん、こんばんは。
そして、ありがとうございます。
まわりじゃサッカーの観客がラテン系のリズムで盛り上がってますけど、声が聞こえますか(笑)。

ハイデガーはどう言ったかなんて、むずかしい質問をして申し訳ありませんでした。後で読み返して、子どもじみた質問だったなあと恥ずかしくなりました。
「世界-内-存在」は、世界の「外」を強く意識させる言葉ですね。またhamhamさんがおっしゃる「現存」や「実存」は、「現」と「実」の文字を持っていますので「現実」となって(そのままじゃん、とひとり突っ込み(汗))、「世界-内-存在」との類似性を連想させてきます。
こんなふうに拝読しますと、(瀬戸先生の記事に調和させて)「色即是空」という言葉が浮んできたります。仏教の用語はほとんど知らないはずなんですけど・・・。
これを媒介にすると、hamhamさんのお言葉には「現存在」と「存在」(現存在ではない)との葛藤、そして融合の苦しみと「悟り」の強い願いが感じられてくるのです。
-----------------------------------
と、ここまで書いて裏口から逃げたくなります。以上の知識はハイデガーを読んだからじゃなくて、いま流行りの内田樹先生のブログを読んだうえでのハイデガー誤読・錯覚に基づく底の浅いおれの考えでした(汗)。

仕方ないので、この誤読の線で話をつづけます。
サッカーの嬌声がうるさくて、声が聞こえにくいほうがラッキーです。
これだけの準備をしておいて、コメントの最後の段落を拝読しますと・・・。

「いわゆる日常性に埋没することなく、良心に導かれながら」の語句は、やむをえず干渉してくる存在、世界「外」存在を意識されてお書きになってる部分でしょうか。
また、
「二度と戻らぬこの一瞬をみつめ、決意を通じて、死を背負っている単独者としての自己の生涯」
の部分を拝読すれば、旅人は百代のカ客にして・・・という芭蕉(?)の文を思い出します。hamhamさんのお言葉は、質の悪いおれの大脳皮質からもいろんなことを引っぱりだしてきます(笑)。
ここで人は「世界外存在」から、「世界内存在」を通してふたたび「世界外存在」に向かって旅する者とイメージされてるのでしょうか。空→色→空と。
すると
「『わたしはだれか』と自分に問い」つづけながら、「自己の生涯を全うしよう」
とおっしゃってる意味は、いま通過中のコースは私の全コースの一部であり、コース全体を完走するためには省略できない部分だ。大切にしよう。みたいになりますか?
やっとここに、「いまを生きる」に共振されてるhamhamさんを少しは読めたような気になってきます。どうでしょうか。
なるほど。今とは、この一生という意味かなあ。ありがとうございました。
場所を提供してくれた瀬戸先生にも感謝(笑)。

投稿: わど | 2006.06.13 21:08

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