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2006.06.09

盗作事件雑感

ニュースに「盗作」の和田氏が話題になって、アレヨアレヨと思っている間に、
遂に渦中の和田氏は今までの名誉が全て泡と消えました、、、

この間、このニュースについて随分考え込みました。
芸術家とは何か?
あるいは倫理やモラルについて。
考えが進むほどに思い出すのは「ゴッドハンド」の異名を持つ藤村 新一さんの事だったり、あるいは今、話題作の小説「ダ・ビンチ・コード」の盗作訴訟だったり、「論文」捏造。
はたまたライブドアや村上ファンド。
また耐震強度、、、
と「本物、偽物」に関して、思いはドンドン膨れます。
これは、一言で言えば、
「困った事だ」
になるのでしょうが、、、

さて和田氏に関して話を戻すならば、
私にとって一番興味ある事実は、
「何故、そんなことをしたのだろう?」です。
先日、朝のある番組で、和田さんご自身が電話出演なさって、
ご自分の芸術に関して、あるいは今回の事件についてお話されていました。
その時の私の一番目の感想は、
「いかがわしい人」。
でした。
いえね。盗作や模造や、あるいはオマージュであっても、
それはそれで、私にとって大きな問題ではありません。
ルーブル美術館へ行けば、名画の前で沢山の芸術家が模倣している光景を見ました。
和田さんも事実、復画や修正術を本格的に学んでいらしたのだから、相当の技術の持ち主と思います。
今、世界に現存している昔の絵画や彫刻、あるいは建造物は、そのようなプロの技で伝えられているのだから、それはとても意義ある敬意に値する仕事と思います。
私が和田さんの事を何故「いかがわしい人」と思ったかというと、
罪を「芸術」に着せたからです。
誰が見ても、どこから見ても和田さんの作品と、スーギさんのそれは酷似しています。
コメンテーターがそれについて訊ねると、和田さんは次のように言う。
「あの作品と私の作品は全然違います。プロが見れば一目瞭然です。盗作なんてとんでもない」と言います。
因みにgoo辞書によると、
盗作とは「他人の作品の一部または全部を自分の作品として発表すること。剽窃(ひようせつ)。」ということです。
さらに和田さんは、
「いろいろテレビに批判している人がいますが、それは芸術を知らない人が、なんでもかんでも言っているのです。私は芸術を知らない人には、何も言いません。」と。
その後も和田さんとコメンテーターの間で、著作権やら何やらでアレコレのやり取りがありました。
ご自分がつごう悪くなると「私は芸術家だ」と逃げを打ちます。

「芸術家」

私は悩んでしまいました。
芸術家とはなんだろう???
芸術とはなんだろう?????

そもそも、この問題の発端は和田さんの作品の芸術性にあったわけでなく、
「アイデア」を盗んだのではないか「著作権」はどうかと言うことにあったわけです。
手続上の事を問うているのであって、
「芸術性」と言う形而上の問題を言っているのではないのです。
仮に和田さんの言われるように、スーギ氏への敬意としてのオマージュなら、ますますご本人に前もって通知するか、少なくとも受賞したことを、ご本人に知らせるべきだと思います。
色調や小物の位置など違うから、これは自分の独創的な絵だとあくまで言い張るなら、
オマージュ云々は言う必要がありません。

結局は後付けで、なんでもかんでも言っているというのが本当のところでは、と思ってしまいました。
それでゴメンナサイとすれば、可愛いが、
「芸術」を持ち出したところが、彼の品性の卑しさを表しているのでは、と感じました。
芸術に対して、失礼なことをしていると思います。
また、一般の人々に対しても、なんとも傲慢でやりきれないものを感じます。
「おまえらには、オレの芸術がわかってたまるか、、、ド素人が。」
なんて思っているとしたら、大変な誤解です。

芸術は、
誰のためにあるか、、、
確かに孤高の芸術もあるとは思いますが、
それは、名もなき多くの人々のためであり、
名もなき多くの人々が感じ入るモノこそが、
芸術なのではと思います。
そう言う意味では、
もう、和田さんは芸術を彼自身から生み出すことは出来なくなっていたのです。
人々の心を代弁するアイデアは枯渇していたのでしょう。
モラルやルールを摩滅させてしまった自称芸術家の姿は、実に淋しい。

テレビを見ながらの私の雑感です。

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コメント

せとともこさん、こんにちは。

この騒ぎのことでしばらく考えていたのですが、全体としての感想は、下らない騒動だなあ、ということです。人が模倣をせずに得るものは一つもありません。子供は一生懸命にドラえもんの絵を描きます。そっくりに描けることに彼らは価値を見出すのです。

言葉だって、子供が親たちの真似をすることによってしか伝わりません。遣唐使とかだってそうです。優れたものから学び、できるだけ忠実に、変化を加えずに模倣することによって文化は伝わります。それが基本で、応用はそれからです。オリジナリティーというのはその部分にあたると思いますが、自分の独自な発想が誰からも何の影響も受けていないと思い込むのはあんまり単純すぎると思います。

例えば、言語によって人の考え方は制限されます。他者の影響と関係のない独自なものなど存在しないのです。文化とは模倣と応用の集積に過ぎず、その中で小さな独自性の幻想にしがみついて盗んだの盗まれたのと言ったり、誰の作品が誰のより素晴らしいと言って賞を与えたりすることは、壮大な茶番ではないでしょうか。

優れた芸術はそのほとんどが無名です。世界各地のカテドラルの飾り窓など、どれを取ってもそっくりだし、作者も分かりません。こういうことは芸術に限りません。私が絵を描くのに使うガラス板や額縁や絵の具や筆でも、誰かが作ったものですが、誰だかはわかりません。なぜ芸術作品だけが大げさに著作権をうんぬんするのだろう、と思います。

インスピレーションはどこにでもありえます。花を描くのもそうだし、花を撮った写真をもとにして描くのもそうです。花を作ったのは神様ですが、神様が「私の作品の肖像権を侵害するな」とおっしゃるでしょうか。まあ、これはさすがに屁理屈かもしれませんが、そう思います。

投稿: 葉子 | 2006.06.14 02:44

葉子さん。
こんにちは。
考えさせられるコメント、ありがとうございます。
お返事をと思いつつ考え込んでいました。
そうなんですよね、、、
本当に仰るように、この問題、本質は「権威」という目に見えない「有り難い」(?)ものではないかと思いました。
優れた芸術の多くは、本当に無名なのでしょうね。
名誉とか欲とか権威とかそんな世俗から離れたところに高邁な精神が宿り、芸術が生まれると思います。
俗世間の垢でまみれた権威が、芸術を蝕んだのかもしれません。
「そこにある。それだけで委員だよ。」
とソッと掌の上で暖める。
そんな純粋さを、忘れたのかと改めて思いました。
自戒を込めて、このコメントを書いています。
また豊かな感性で感想をいっぱいお寄せください。
楽しみにしています!!!
じゃ〜〜〜ね。
お体、冷やさないように。

投稿: せとともこ | 2006.06.15 15:02

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