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2006.06.22

共通ではあるが差異のある責任

昨年は台風やハリケーンなど大きな自然災害に見舞われ、
深刻な被害が各国、各地で出ました。
京都議定書もアメリカが離脱していることなどもあり、
なかなか課題が前に進みません。
地球規模での気候変動。
資源問題。
人口問題。
いずれも一つの国だけが実行するというには、あまりに大きい問題です。
グローバル・レベルでの規範的秩序の構築や追求が求められている時代です。

発展段階が違う国。
経済的格差が違う国。
これらの国同士が、一定のルール(国際法上)に基づき、何かをなし得るためには、
権威ある機関が必要ですが、それも未だ出来てはいません。
リオ宣言
の序文は次のように謳う。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
諸国家、社会の諸部門、人々、それら互いの協カ関係をより高いレベルに進め、新しい、公平なグローバル・パートナーシップをつくり上げていくために、われわれの活動が、すべての人々の利益を尊重し、そして地球環境と聞発のシステムの総合性を守る、そのような国際合意を目指しで展開されていくために、われわれの住かである地球は、相互依存的な関係で成り立つ総合的なシステムである、この地球の特性に対する認識を深めていくために、以下宣吉する。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

また「共通ではあるが差異のある責任」原則として第7条に次のように掲げられています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
7.諸国は、地球生態系の健全性、総合性を保全し、保護し、回復させるために、グローバル・パートナーシップの精神で協カしなければならない。地球環境の破壊にはさまざまな要因が働いており、諸国は共通の責任とともに、それぞれ個別の責任も有している。先進工業諸国は、それらの社会が地球環境に及ぼしている圧カの大きさ、それらが持つ技術カ、財政カの大きさを考慮すれば、SD探求のために国際的な負担に耐える責務を負っている。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

しかし、現実には「共通ではあるが差異のある責任」原則は実行できないのは知るところです。
正義論からみた地球環境問題 と言うタイトルで碓井さんは、環境問題を「正義」というファクタを取り入れて論じています。
正義が現実化するためには、正義に反するものへ制裁を加える制度と権力の必要性。
交換的正義は互恵的性格が強いから、必ずしも権力の介入は求められないが、契約不履行に対する制裁は必要と言う。
さらに問題は配分的正義である。
これは、強力な権力当局の介在なしには現実化しない。
ここで国家機構が如何に介在してくるかである。
そして、正義論は自由論とも関わってくる。
「平等な自由の原理」、つまり「各人は他の人々同様な自由と両立する、もっと広範な基本的自由に対する権利を持つべきである」ということです。
そしてこの原理が環境問題にも摘要、最大限尊重されなければならないと、
著者は言います。
また、参加と民主主義の問題を考えるとき、環境問題は手続き的正義の問題でもあり、配分手続きの問題でもあるゆえ、新たな秩序を作り出す必要を主張しています。

確かに環境問題は、今や民主主義とも密接な関わりをもち、
その資質が問われていることでもあると改めて思いました。

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